子供の成長を願わない親はいませんね。同じように神様は、その子となったクリスチャンが、聖書の全てのみ言葉を栄養にして、大人に成長するように願っておられます。これは成長なさりたいクリスチャンのための励ましのメ−ルマガジンじんです。
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信仰の教義(11)神学的解釈(その1)
発行日: 2008/1/18(原稿を推敲していて、送信が遅れてしまい、お詫びいたします)
成長なさっている皆様の中には、それぞれの教会の「聖書学校」の出身者の方もいらっしゃるかも知れませんね。
信仰には神学は不要とも言われていますが、牧師になるには神学校を卒業しなければならないように、成長するクリスチャンになるには、神学的考察は、素養として持っていてもいいでしょう。
もちろん、霊に燃えての信仰の行いこそが、成長なさっている皆様にも私にも必要不可欠ですが・・。
さて、聖書は神のことばであると、教会では教えられ、聖書を読めば、それに対する十分な証拠があるのに、どうしてすべての人が聖書は神のことばであると信じないのでしょうか?
という問題を提出します。
ニケア信条あるいは使徒信条などと呼ばれているキリスト者の信仰告白でもある事実を、全て作り話だとして、信じないのがほとんどの日本人です。
<我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府(よみ)にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、天にのぼり、全能の父なる神の右に坐したまえり。>
日本人の多くが、キリスト教は、現代科学に基づけば到底信じられないとされる事柄を無理に信じさせる宗教であると批判します。そして、誰もが納得できるとして、釈迦の教えとその後継者の拡大解釈教義からなる仏教教義を信じます。
これに対して、神学的理論では次ぎのように説明するのです。
1.罪人の全的無能の教理:
証拠が信仰を生じさせるのではない。証拠が信仰を引き起す前に、判断によって証拠が評価されなければならない。
だから、客観的には十分な証拠があっても、人は、主観的には、必ずしもそのようには評価しない。必ずしも、すべての人が信じるには至らないのである。
聖書は教えています。
第一コリント2:14 生まれながらの人間は、神の御霊に属することを受け入れません。それらは彼には愚かなことだからです。また、それを悟ることができません。なぜなら、神の霊のことは神の霊によってわきまえるものだからです。
2.聖霊の内的照明の教理:
さらに、聖霊の内的照明によらなければ、罪人は聖書にある十分な証拠も正当な証拠であるとは評価できない。それゆえに、罪人は、聖書は神のことばであるという信仰を持つには至らない。
さらに、ここで、一般信仰と特別信仰という2つの信仰が区別されます。
そしてそれらは別々ではなく、その二つが重なって、クリスチャンの信仰を形成するというのです。
一般的信仰は、聖書は神のことばであるという信仰に関するものであるが、特別信仰は、神に背を向けている罪人の救いと切り離し得ない関係を持っている信仰である。
罪人を救うのは、聖書を信じる信仰ではなく、キリストを信じる信仰である。
特別信仰と区別されるこの救済的信仰は、福音の提供によって引き出され、また、それに応答する信仰である。
福音は罪人に提供されているのであって、この福音は罪の自覚のない者にはアピールしない。福音は、キリストが罪人を救うことができる、また、救おうとしておられるということの十分な証拠を提供している。
その証拠に基づく知的判断によって、キリストを信じる信仰が引き起されるのである。
この神学理論が理解できたからといって、クリスチャンになる、あるいはなれることは、まずないでしょう。神学とはそういうものですが、信仰とはなにかを、さらに深く理解し確信する助けになるのではないでしょうか。
さらに信仰の理論を提供している聖書辞典では、次のようにも解説しています。
救済的信仰の本質は、キリストへの委任である。それは、私は救われているという確信でも、キリストは私を救われたという確信でも、キリストは私のために死なれたという確信でもない。
そしてキリストへの委任の前提になっているのは、私たちは救われていないということである。私たちは救われるためにキリストを信じるのである。
キリストが提供されているのは、失われた罪人たちに対してであって、救われるために罪人に要求されているのは、ただキリストにのみより頼み、キリストに自分を委託することであ。
このような言い方をしたら、初心者の方は混乱するだけで、信仰の成長にはほとんど役立たないでしょう。しかし成長なさっている皆様には」、信仰とはなにか?を補強するのに役立つのではないかと私は思うのです。
聖書にあるイエスを信じて生きた人たちの多くは、使徒たちも、パウロのように高等教育を受けた人たちは少なく、イエスに呼ばれれば、網も舟もそのままにしてイエスに従った漁師のような人々でした。
ですから、信仰には神学は不要、それどころか妨げにもなると言われるのですが、哲学や文学やさまざまな評論に取り囲まれている素直ではない現代人にとっては、神学も時に必要ではないでしょうか。
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