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復習ヨブ記(11)(終り)
発行日: 2007/11/5該当部分を引用します。
斜め読みして註解部分に移ってください。
ヨブ記42章
42:1 ヨブは主に答えて言った。
42:2 あなたは全能であり/御旨の成就を妨げることはできないと悟りました。
42:3 「これは何者か。知識もないのに/神の経綸を隠そうとするとは。」そのとおりです。わたしには理解できず、わたしの知識を超えた/驚くべき御業をあげつらっておりました。
42:4 「聞け、わたしが話す。お前に尋ねる、わたしに答えてみよ。」
42:5 あなたのことを、耳にしてはおりました。しかし今、この目であなたを仰ぎ見ます。
42:6 それゆえ、わたしは塵と灰の上に伏し/自分を退け、悔い改めます。
42:7 主はこのようにヨブに語ってから、テマン人エリファズに仰せになった。「わたしはお前とお前の二人の友人に対して怒っている。お前たちは、わたしについてわたしの僕ヨブのように正しく語らなかったからだ。
42:8 しかし今、雄牛と雄羊を七頭ずつわたしの僕ヨブのところに引いて行き、自分のためにいけにえをささげれば、わたしの僕ヨブはお前たちのために祈ってくれるであろう。わたしはそれを受け入れる。お前たちはわたしの僕ヨブのようにわたしについて正しく語らなかったのだが、お前たちに罰を与えないことにしよう。」
42:9 テマン人エリファズ、シュア人ビルダド、ナアマ人ツォファルは行って、主が言われたことを実行した。そして、主はヨブの祈りを受け入れられた。
42:10 ヨブが友人たちのために祈ったとき、主はヨブを元の境遇に戻し、更に財産を二倍にされた。
42:11 兄弟姉妹、かつての知人たちがこぞって彼のもとを訪れ、食事を共にし、主が下されたすべての災いについていたわり慰め、それぞれ銀一ケシタと金の環一つを贈った。
42:12 主はその後のヨブを以前にも増して祝福された。ヨブは、羊一万四千匹、らくだ六千頭、牛一千くびき、雌ろば一千頭を持つことになった。
42:13 彼はまた七人の息子と三人の娘をもうけ、
42:14 長女をエミマ、次女をケツィア、三女をケレン・プクと名付けた。
42:15 ヨブの娘たちのように美しい娘は国中どこにもいなかった。彼女らもその兄弟と共に父の財産の分け前を受けた。
42:16 ヨブはその後百四十年生き、子、孫、四代の先まで見ることができた。
42:17 ヨブは長寿を保ち、老いて死んだ。
註解書から:
ヨブの第2回目の答(42:1‐6)
ヨブは主の挑戦に答えて,〈あなたには,すべてができること……を,私は知りました〉(2節)と告白する.
主はヨブの心の中に潜む自分を神とする高ぶりを掘り起し,ご自分の全能の力を示し,ヨブが造られたものにすぎないことを示された.
ヨブはその意図を正しく受け止め,主こそ全能の神だと告白したのである.
主が全能であることはもちろん以前から知っていた.しかし今,主がすべてのものを支配しておられ,世の中の不可解なことも自分の苦難もすべてご支配の中にあることを心から確信したのである.
ヨブは,〈知識もなくて,摂理をおおい隠した者は,だれでしょう〉(3)と主の言葉を引用し,〈私は,自分で悟りえないことを告げました〉と自分で答える.何も知らないのに,全能の神に意見し,そのやり方を批判するという,造られたものの分際を越えた高ぶりを告白する.
最初の答では明確でなかった罪の認識がはっきりと表されている.
4節は,次節とのつながりが不自然なので,3節と同じく主の言葉の引用と取り,「聞け,わたしは語ろう,わたしはあなたに尋ねる,わたしに答えよ」と訳している聖書もある.
後半は確かに主の言葉の引用である(38:3,40:7)が,前半はやはり「私が申し上げる告白をどうか聞いて下さい」という懇願と取るべきだろう.
その告白とは5節の〈この目であなたを見ました〉である.見たといっても,もちろん肉眼で見たわけではない.主の語りかけを聞く中で,自分を愛し,しっかりと握っておられる主の御手を感じたのである.
その経験に比べれば,今まで主について知っていたのは噂を聞いていたようなものだというのである.
ヨブはその結果,〈自分をさげすみ,ちりと灰の中で悔い改めます〉(6)と言う.
自分の知識や義を主張していたヨブが,主の前で自己否定し,ちりと灰に等しい者であると認めたのである(30:19,創18:27).
自己否定といっても押え付けられるような雰囲気はない.それは神を見るという素晴らしい経験によって満たされた結果としての自然な反応である.
造られたものとして創造者との正常な関係に戻ったと言える.悔い改めはその関係において生きて行こうという決心である.
エピローグ(42:7‐17)
この最後の散文体の部分ではヨブの回復が語られているが,これは結びではなく,言わば「あとがき」である.
もしこれが結びであれば,ヨブ記は通俗的な幸福物語になってしまう.ヨブ記の結びは42:1‐6である.ヨブの求めは「神を見る」という体験ですべて答えられた.それこそヨブが求めていたものであり,ヨブに与えられた祝福のすべてである
(1) 友人たちのためのとりなし(7‐9)
主はヨブの3人の友人に,〈あなたがたがわたしについて真実を語らず,わたしのしもべヨブのようではなかった〉(7)と叱責される.
彼らが真実を語らなかったというのは,神の真理をすべてわきまえているかのように,因果応報説を主張したこと,それによって人間の義をたたえ,神の恵みをないがしろにしたこと,しかも神に代って語った(13:7)ことである.
エリフが彼らに含まれていないことは注目に値する.それに対し,ヨブは「神のしもべ」と呼ばれている.激しい言葉と高ぶりは責められるべきであるが,死に物狂いで神に向かって行き,神ご自身を知ろうとしたことは正しかったからである.
そこで主は彼らに,全焼のいけにえをささげ,ヨブに祈ってもらうように命じられた.これはヨブの霊的祝福に彼らもあずかるための主の取り計らいであった.
〈ヨブのところに行き〉(8)と言われているが,彼らはその時ヨブの所にいなかった.恐らくエリフの弁論が終った時に,帰ってしまったのであろう.ヨブに対する神のさばきを見るのを恐れたためか.
(2) ヨブの回復(10‐17)
主はヨブの家族や財産を以前にも増して回復される.しかしその回復はヨブが悔い改めた結果ではない.その回復がやって来たのは,彼が悔い改めた後ではなく,友人たちのためにとりなしの祈りをした時であった.
ヨブは自分の繁栄の回復のために一度も祈っていないし,期待していなかったように思われる.
彼にとっては「神を見た」ことで十分だったのである.繁栄の回復は余分の祝福であった.以前の妻,あるいは現在の妻について何の言及もない.しかし根拠はないが,以前の妻も回復の中に含まれているものと信じたい.
〈元どおりにし〉(10)は原文では「捕虜から帰らせ」で,あらゆる面での回復を意味する.
健康の回復も含んでいることは言うまでもない.〈彼のすべての兄弟,すべての姉妹,それに以前のすべての知人は,彼のところに来〉(11)たとあるが,ヨブがどん底の時には姿を見せず,繁栄するとやって来るとは,何とも薄情な人たちであるが,そういうことさえもヨブの祝福を表すものとして記されている.
(終り)
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