| >> 記事トピックス一覧 |
力(6)
発行日時: 2006/12/30お詫び:原稿を送信するとき、なぜか !)コリント12:12 のような誤りが発生していしまいます。
これは、第二コリント12:12です。今後、対策をしますが、過去にもこのような誤記がありましたことをお詫びします。
「力」についての書き込みは、もう少し続けたいのですが、年末になってしまいましたので、ここで打ち切りとさせていただきます。
第一コリント2:4 「私のことばと私の宣教とは、説得力のある知恵のことばによって行なわれたものではなく、御霊と御力の現われでした。2:5 それは、あなたがたの持つ信仰が、人間の知恵にささえられず、神の力にささえられるためでした。」
私は、説教とはこういうものであってほしいと願っています。
教える側はもちろんですが、聞く側もまたそれを期待し、そのように受け止めていただきたいと思います。
「今日の牧師の説教は素晴らしかったですね。」と言い合う信徒の言葉は、何を意味するのでしょうか?
教会に来て間もない方々と、成長なさっている方々とでは、その受け止め方が違っても当然ですが、成長なさっている皆様の場合には、その受け止め方は厳しいものである必要があります。
素晴らしかったのは牧師の言葉でなくて、神のみ言葉であったはずです。素晴らしかったとは、「目からうろこ」ではなく、与えられた神の力の凄さです。
素晴らしかった説教は、牧師の素晴らしさではなく、牧師に働いた聖霊の力の素晴らしさの故にだったはずです。
話術が巧みで、冗談も交えて、聖書のみ言葉の深みに大会衆を引き入れる牧師とは違って、それは、言葉もたどたどしく、数少ない信徒の前での地味な説教で、「説得力のある知恵のことばではない」としても、「霊と力の現われである」そういう説教はあるのです。
また、同じ説教であっても、「説得力のある知恵のことば」に説得された人と、「霊と力の現われ」を豊かに与えられた人との違いがあるのです。
第一コリント 4:20 神の国はことばにはなく、力にあるのです。
ヘブル4:12 神のことばは生きていて、力があります。
第二コリント 12:9 しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。
12:10 ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。
このメルマガを読んでいる人はこんなメルマガも読んでいます
- シオンとの架け橋・イスラエルニュース
- イスラエルの政治・宗教・社会・和平などに関して、日本国内では報じられない現地ニュースを中心に週2回配信します。3日分のニュースが5分で読めます。
- 宮崎正弘の国際ニュース・早読み
- 評論家の宮崎正弘が独自の情報網を駆使して世界のニュースの舞台裏を分析
- 今日もイエス様と共に
- 私たちはなんのために生きているのでしょうか?どうしたらもっと生きがいのある人生を送れるのでしょうか?それは聖書のイエス様と共に生きること。みんなで本...
- 【いざ、日本再生へ!】 日本再生ニュース
- 「わが国のあり方はこれでいいのか」「日本は国家としてのバックボーンが失われつつあるのではないか」との問題意識のもと、日本の伝統的な価値の「再建」を広...
- 暦のツボ
- 「○○の日」って、誰がどうやって決めたの?「旬の魚」って、どんな魚なの?生活や食、歴史の視点から、暦や記念日に関する疑問を一歩踏み込んでズバッと解決...
![メルマガスタンド[メルマ!]](/img/common/melma_logo.gif)








