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「三身」と「三位一体」

発行日: 2008/6/3

「三身」と「三位一体」
これは、先日以来紹介しています久保田教授の「仏教とキリスト教」の中のある比較論です。

著者は言います。
(引用)
「三位一体」というキリスト教における神のかたちのとらえ方には、それなりの教理の歴史的過程がある。聖書の中には「三位一体」という用語はどこにも使われていないが、さまざまな過程を通って、聖書に教えられていることを一つの教理としてまとめてきたものといえる。

キリスト教における「三位一体」との類似を仏教で求めると、それは仏の「三身」になると思う。「三身」とは、「法身・報身・応身」のことである。
(引用終り)

ところで、「三身」という仏教用語はご存知ですか?

この教義について、私はずっと以前にもここで解説したのですが、日本人もごく普通に納得して、そう思い込んでいる仏教の教えなのです。

日本人は、仏様を拝みます。拝むからにはそれにふさわしい存在であるはずです。

その仏様とは、いずれも仏教の創始者の釈迦でしょうか。
いえ、釈迦牟尼仏(釈迦如来)のほか阿弥陀仏(阿弥陀如来)、今話題にもなっています、月光菩薩、そして、観音菩薩、弥勒菩薩、などなど実に多くの仏(仏像)がありますが、
それらのすべてが礼拝の対象になっています。

それから、「南無妙法蓮華経」という教典の名前を、あるい「南無阿弥陀仏」という仏の名前を、繰り返し唱えて礼拝する、修行する、あるいは日々の勤行(ごんぎょう)に用いることも普通に行われています。

礼拝するということは、しばしば「神格化して拝む」という形式をとることがあります。所詮人生哲学者で人間に過ぎなかった釈迦をありがたい仏様として、宇宙に永遠にいます仏として、さらに宇宙の真理として拝むことがそうです。

さて、かって私が書き込んだ記事のもとになったのは、久保有政牧師の著書「仏教の仏とキリスト教の神」にあった創価学会の教義の批判でした。

 −シャカの神格化−

仏教の開祖シャカは、後世になると、「久遠実成の仏」といって、永遠の昔から仏なのだ、と説かれるようになりました。つまり、「人々はシャカは二九歳で出家して三五歳の時に悟りを開いたと思っているが、実はそうではない。シャカは本当は"永遠の昔に"悟りを開いて仏になったのだ。では、この世に生まれ、修行したのは何なのかというと、それは人々を導くための方便なのだ」というのです。

このような思想を説いているのが、(村川注:創価学会の人々が、これこそ真の釈迦の教えであるとして、また、その教典が、原始仏教から大乗仏教への宗教改革以後に意図的に作られたにもかかわらず、排他的にそれだけを信奉する)『法華経』です。
こうして人間シャカは「永遠の仏」に昇格し、「神格化」されたのです。

これは、「永遠のキリスト」の教義の、いわば「仏教版」と言えるでしょう。実際、インドの高名な宗教学者アーマンド・シャー博士は、キリストの使徒トマスの福音に対抗して、シャカを聖人から救い主に昇格させたのが大乗仏教である、と言っています。
(引用終り)

日本人の間で有名な「永遠の仏」としては、釈迦如来、大日如来、阿弥陀如来、薬師如来などがあります

如来とは、修行を完成し、悟りを開いた人、すなわち、真理の世界から衆生救済のために迷界に来た人と解し、如来と訳されています。

ところで仏教では、大ビルシャナ仏(大日如来)のような仏を「法身仏」、阿弥陀仏のような仏を「報身仏」、歴史上の釈迦のような仏を「応身仏」と呼んでいるのです。

この考え方は釈迦が教えたことではなく、仏教の大衆化を目的とした宗教改革後の大乗仏教で考え出されたことです。
原始仏教の資料から、釈迦は自分が神格化されることを望んではいなかったとされています。

久保牧師の解説を引用させていただきますと、次のようになります。

(1)「法身仏」とは、「法(真理」)そのものを身とする仏ということで、形がなく、永遠に存在し、真理そのものである仏です。

(2)「報身仏」とは、法身の「果報」または良い性質が現れた身の仏ということで、形なき法(真理)を具現化させ、形を持たせたような仏のことです。つまり、法身仏をもっと身近にしたような仏です。

(3)「応身仏」とは、時に「応じて」人々を救うために私たちの世界に現れる仏ということで、歴史上に現れた仏をいいます。歴史上の釈迦がその代表です。

仏教の教理によると、これら「法身仏」、「報身仏」、「応身仏」は、三つの異なった仏というわけではなく、すべて一体であると言われるようになりました。

どの一仏をあげても他の二仏はその中に含まれているとし、これを一身即三身、または三身即一身」といいます。

これはキリスト教の三位一体のコピーではないかと言われていますが、大乗仏教が作られた時代に、キリスト教の伝道者が今の中国に来ていたことは十分に考えられ、またその根拠もありますから、「三身仏」というコピーが作られたとしても、不思議ではありません。

いずれにしても、啓示から与えられた三位一体の教義と、コピーとしての三身仏の教義とは似て非なるものといわざるを得ません。

法身仏はキリスト教でいえば父なる神、報身仏は天国でのキリスト、応身仏は歴史上のキリストにあたりますから、「法・報・応の三身が一つである」という仏教の主張は、キリスト教の「神とその子イエス・キリストそして聖霊の一体論」の仏教版、あるいは仏教的な"焼き直し"であると言えるでしょう。

仏教は、初めは無神論的でした。しかし仏教学者・岩本裕教授も言っているように、「仏教は後になって多神論になり、最後には一神論的に展開していった」のです。・・とは久保牧師の言葉です。
 
さてここで先日以来紹介しています久保田教授の「仏教とキリスト教」に戻りますと、次のように説明されています。

西暦紀元前後、インドにおける仏教は、漸次、上座仏教(小乗仏教)から大乗仏教へと変貌する。そうした中で、ちょうど「三位一体」の場合と同じように、最初ははっきりしたかたちではなかったものが、仏身そのものが示していることを教義的に確立しようとの動きが起こり、やがてそれが「三身」説として固まってきたのである。それがさらに、分け方によっては「四身」説、「十身」説と細分化される。

 
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