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アブシャロムの反乱とダビデの詩
発行日時: 2008/3/15人間の弱さのゆえに罪を犯しながらも、その罪の許しを乞い、主から離れることなく、主を信頼し続けたがゆえに、主はダビデを愛され、ダビデを見捨てられることはありませんでした。
「あの人は正しいことをするから、誰にでも親切だから、穏やかな性格だから、慈善事業に熱心だからだから、だからクリスチャンになれたのだ。」と思われたり思ったりするとすれば、それは神とはどのような方かを知らないからでしょう。
聖書の人々について書き込んでいますが、「聖書の人々」は「聖なる人々」であるとは限りません。むしろその逆で、罪を犯しながらもなおも主から離れず、その罪の許しを乞い、罪を悔い改めつつ主を信頼し、主に従う人たちです。
クリスチャンもそうです。
そのことは、イエスの教えからも言えることですね。
ルカ
18:10 「ふたりの人が、祈るために宮に上った。ひとりはパリサイ人で、もうひとりは取税人であった。
18:11 パリサイ人は、立って、心の中でこんな祈りをした。『神よ。私はほかの人々のようにゆする者、不正な者、姦淫する者ではなく、ことにこの取税人のようではないことを、感謝します。
18:12 私は週に二度断食し、自分の受けるものはみな、その十分の一をささげております。』
18:13 ところが、取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて言った。『神さま。こんな罪人の私をあわれんでください。』
18:14 あなたがたに言うが、この人が、義と認められて家に帰りました。パリサイ人ではありません。なぜなら、だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるからです。」
注)取税人
パレスチナでは関税,通行税は総督の管轄.ドにローマが集めたが,その徴収は請負制度であり,ユダヤ人に請け負わせていた。
これらの請け負人が取税人である。彼らは徴税を職業とし,できるだけ高額を同胞に課し,その上前をはねて私腹を肥やした。このローマの手先となったために,ユダヤ人から罪人と同様に軽蔑された(マルコ2:16,ルカ15:1)。
さて、アブシャロムの反乱を受けてのダビデの詩の続きです。もう一度詩篇4章を示してから、解説書を引用します。
詩篇
4:1 私が呼ぶとき、答えてください。私の義なる神。あなたは、私の苦しみのときにゆとりを与えてくださいました。私をあわれみ、私の祈りを聞いてください。
4:2 人の子たちよ。いつまでわたしの栄光をはずかしめ、むなしいものを愛し、まやかしものを慕い求めるのか。
4:3 知れ。主は、ご自分の聖徒を特別に扱われるのだ。私が呼ぶとき、主は聞いてくださる。
4:4 恐れおののけ。そして罪を犯すな。床の上で自分の心に語り、静まれ。
4:5 義のいけにえをささげ、主に拠り頼め。
4:6 多くの者は言っています。「だれかわれわれに良い目を見せてくれないものか。」主よ。どうか、あなたの御顔の光を、私たちの上に照らしてください。
4:7 あなたは私の心に喜びを下さいました。それは穀物と新しいぶどう酒が豊かにあるときにもまさっています。
4:8 平安のうちに私は身を横たえ、すぐ、眠りにつきます。主よ。あなただけが、私を安らかに住まわせてくださいます。
(以下註解書から引用)
この詩篇は3篇と同じ状況が背景となっていると思われるが,時間的には数日後で,危機が去り安堵の中での夕べの祈りである.
アブシャロムの謀反の中でダビデは自己反省と共に謀反者にも反省と悔い改めを促している
1節.〈私の義なる神〉という表現によってダビデは自分の潔白を証明して下さるのは神であることを告白する.
〈私の苦しみ〉とは謀反に伴う数日間の経験.〈私をあわれみ〉との祈りにダビデは自己反省を込めている
2節.〈人の子たちよ〉とは謀反を起した者たちのこと.〈わたしの栄光〉とは王としての栄光.それはダビデが神から与えられたものであるから,彼以外を王として求めることは〈むなし〉く,〈まやかし〉である.〈まやかし〉とは「失望を与えるもの」のこと(箴23:3).
箴言
23:1 あなたが支配者と食事の席に着くときは、あなたの前にある物に、よく注意するがよい。 23:2 あなたが食欲の盛んな人であるなら、あなたののどに短刀を当てよ。 23:3 そのごちそうをほしがってはならない。それはまやかす食物だから。
3節.〈知れ〉とは謀反のむなしさ,ダビデに従うことの正しさをよく判断するようにとの促し.
〈聖徒〉は、神への愛を生活において表す人,あるいは神の愛が約束に基づいて注がれている人のことで,そのような者は神の前にへりくだってすべてをゆだねることができ,従ってその祈りは聞き入れられるという確信を与えられる
4節の言葉はエペソ4:26で引用されている有名な言葉である.
エペソ4:26 怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。
〈恐れおののけ〉.神のさばきを覚えて行動しなければならないことを,ダビデは自分の反省と自戒を含めて勧告している.
怒りにはそれなりの理由があることを認めるが,その怒りが罪とならないように処理しなければならないことをダビデもヤコブも教えている(参照ヤコブの手紙1:20).
ヤコブ 1:20 人の怒りは、神の義を実現するものではありません。
5節.〈義のいけにえ〉とは謀反者に対し神の前に悔い改めの具体的な行動を促す言葉である.
6節は内乱によって混乱し不安な状態にある民衆の姿あるいはダビデに従っている者たちの心理状態を表している.
このような不安な状態を解決する最善の方法は祈りしかない.ダビデは王として,民数記6:24‐26に記されている大祭司の祈りを引用して祈る.
民数 6:22 ついで主はモーセに告げて仰せられた。
6:23 「アロンとその子らに告げて言え。あなたがたはイスラエル人をこのように祝福して言いなさい。
6:24 『主があなたを祝福し、あなたを守られますように。
6:25 主が御顔をあなたに照らし、あなたを恵まれますように。
6:26 主が御顔をあなたに向け、あなたに平安を与えられますように。』
6:27 彼らがわたしの名でイスラエル人のために祈るなら、わたしは彼らを祝福しよう。」
7節.〈心に喜びを〉とは祈りが聞かれたという確信と,神との平和がもたらす霊的な平安であって,季節に左右される穀物の収穫の喜びに勝る
8節はダビデの就寝前の心の状態であり信頼の告白である.
〈平安〉〈すぐ〉は心の平安から来る速やかな瞬時の眠りを意味する.〈主よ.あなただけが……〉とは主がダビデを他の者から,敵から切り離して安全な状態に置くという意味にもとれる
追記(村川):聖書註解書を利用すると、このように聖書を深く読むことができます。
日曜日の説教、聖書研究会での学び、あるいはクリスチャン・メールマガジンなども役立つでしょうが、註解書を手元において、聖書を、特に旧約聖書を読み進まれるように、お勧めします。
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