神を体験する(9)霊的クリスチャンであるとは?
発行日時: 2007/12/14再び本題に戻ります。
もしもあなたが、「私は霊的なクリスチャンといえるだろうか?」と悩み、「こんな礼拝の雰囲気で、この教会は果たして霊的な教会と呼べるだろうか?」と疑問にお感じだとしたら、その必要はありません。
あるクリスチャンブックは、表現は少し難解かも知れませんが、次ぎのように述べています。
時代により,環境により,その人の個性により,霊的経験は異なるものであり,一律にこうあるべきだとか,こうしなければ霊的ではないとは言いがたい.
村川注)「あの人は祈るときはいつも異言で大きな声で祈る。でも私は、どうしても口から異言がでてこない。私はやはり信仰が不足しているのだろうか」とお悩みの方、その必要はありません。
むしろ避けるべきは、人の真似をして「サンバラヤ、バラヤ、バラヤ」などということです。
異言は霊に導かれるままに自然に出てくるもので、そのときがいつかは来るのです。無理をして口に出すのは、異言ではありません。
パウロは教えています。
第一コリント14:2 異言を語る者は、人に向かってではなく、神に向かって語っています。それはだれにも分かりません。彼は霊によって神秘を語っているのです。
14:3 しかし、預言する者(注:霊に導かれて、神のみ心とみ業を伝え語る者)は、人に向かって語っているので、人を造り上げ、励まし、慰めます。
14:5 あなたがた皆が異言を語れるにこしたことはないと思いますが、それ以上に、預言できればと思います。
また、祈祷会で、泣きながら大声を出して祈る人がいますが、そのことがすなわち霊に導かれている証拠と思う必要もありません。
祈りについて教える尾山牧師の「本当の祈り」には次ぎのようにあります。
熱心であれば祈りは聞かれると思い、ただ大きな声を張り上げて祈っている人がいます。
もちろん、それがいけないというのではありません。熱心に祈るようにと主は教えておられますから、それを否定する理由はないでしょう。
しかし、祈りが父なる神との会話であるという最も基本的なところに立てば、そんな大声を上げたり、机をたたいたりして祈ること自体、異常であるはずです。
自分の父親と話をする時のことを考えてみれば、すぐに分ります。そんな話し方をするでしょうか。自分の父親と話をする時にしないような態度を、霊の父であるお方にするというのでは、どうも筋が通りません。
再びクリスチャンブックの引用に戻ります。
事実,偉大な霊性の持主たちの神学的強調点,実践における強調点はバラエティーに富んでいる.
文化的違い,社会的相違,一言で言うなら,その人の違いが霊性の現れ方に大きな影響を与えていると言える.
また,その霊性の現れである実践や行為や態度も,それぞれユニークな意味を持っている.
それゆえ,偉大な霊性それぞれのコンテキストを理解する努力をしつつ,彼らから十分に学ぶ姿勢が求められる.
また,その霊性に見られる要素のすべてをそのままコピーすることには,注意を要する.
例えば,パウロは,彼の置かれたコンテキストの枠組みの中で,みことばの真理を実践に移したのである.実践や活動は,そのコンテキストにおいては実に意義深くまた霊的であった.
しかし、注意したいのは、われわれが今パウロと同じことをしても,彼と同じような霊性の現れを自分の周りに示すとは限らず,同じような霊的インパクト与えているとは限らないことである.
これはどの時代の偉大な霊性の持主についても言えることである.彼らの霊性は,先人から学びつつも,単なるまねやコピーではなく,自らが置かれたコンテキストの中で,苦しみ,学び,祈り,築き上げていったものである.
最後に次の点を重視してください。
霊性は実である.御霊によってすでに神の子とされた者に備えられているものである.また同時に,今,造り続けているもの,結び続けている実である.
それは、希望,平安,喜び,感謝,あわれみのように感情面にも豊かに現れる実である.
クリスチャン生活は,哲学者のそれではない.単なるものの見方の訓練ではない.神との交わりの生活である.神に聞き,神に祈り,神に訓練されるのである.
キリスト者の場合は,主イエスが生きておられ,聖書を通して御自分の民と交わり,また助けられる.御霊の実はまた忍耐,寛容,親切などの態度,行動にも現れる.
キリスト者は父なる神とキリストに倣うゆえに,神を反映する.
態度にも思いにも反映する.忠実,自制などの実も,礼拝の終りの祝祷とともに消え去ってしまう一過性のムードではない.
聖霊によるイエスとの結合こそ真の自由に至らせる.また,それによって,不品行,汚れ,情欲,悪い欲,貪りよりも,清いこと,愛すべきこと,真実なこと等を愛し,行うようになる.
奇蹟を行う賜物を求めることは,あまり勧められていない.むしろ愛である.このように,霊性はキリスト者の基本的特質である.
それは,人がイエスの御霊を持つことである.
御霊の内住は,霊的洞察力を高め,神を知る知識,神と人に対する愛においてわれわれを成長させる.主イエスの生涯に見られるように,神の身丈に限りなく近くされる特質である.
村川注)私は思います。
あなたが、またあの人が、あるいはその教会が、霊的であるかどうかは、第三者が評価すべきことではなく、神の臨在とどれほどかかわっているかにあります。
それは神がよくご存知なのです。
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