神なき人々のための聖書(23)
発行日時: 2007/12/1この世の苦悩から逃れたい、こんな人生を生きるくらいなら死んだほうがましだ、何のために生きているのだろう、生きがいが欲しい、などと思う人は多くいます。
後世の仏教徒が神格化したとは言え、仏すなわち悟りを得た覚者という尊称で呼ばれた実践的人生哲学者釈迦は、「人生の苦悩は煩悩にあり、修行してそれを超越すれば涅槃に導かれる」と教えました。これが、釈迦が確立した原始仏教の教義です。
辞典によれば、
涅槃 (ねはん、サンスクリット: nirvanaは、「さとり」〔証、悟、覚〕と同じ意味である。しかし、ニルヴァーナは「吹き消すこと」「吹き消した状態」という意味だから、煩悩(ぼんのう)の火を吹き消した状態をいう。その意味で、滅とか寂滅とか寂静とか訳された。
また、涅槃は釈迦の死そのものを指すようになり、さらに釈迦が死去してからは、涅槃の語にさまざまな意味づけあるいは拡大解釈(苦がなくなった状態とするもの、善や浄の極致とするもの、など) がおこなわれた。
と書かれています。
さらに次の教義もあります。
涅槃を有余と無余との二種に区別する。有余涅槃は、釈迦が三十五歳で成道して八十歳で入滅されるまでの間の「さとり」の姿を言う。無余涅槃は八十歳で入滅した後の「さとり」の姿とみるのである。この場合の、「余」とは「身体」のこととみて、身体のある間の「さとり」、身体のなくなった「さとり」とわける。
しかしこれらは、釈迦の神格化と同じく後世の仏教指導者の拡大解釈でしかありません。
仏教はこのように拡大解釈によって、分派を重ねて、また他宗教の影響もを受けて、混合宗教として今日に至っています。
このような涅槃は、単に煩悩の火が吹き消えたというような消極的な世界ではなく、煩悩が転化され、慈悲となって働く積極的な世界である。その転化の根本は智慧の完成である。ゆえに「さとり」が智慧なのであるとされています。
ここまではいいのですが、次のように、釈迦の教義にはなかった「慈悲」が導入されていきました。
涅槃は以上のように、煩悩が煩悩として働かなくなり、煩悩の障りが涅槃の境地に転じ、智慧の障害であったものが転じて慈悲として働く。
村川注)キリスト教の歴史には宗教改革がありますね。聖書にはない煉獄の教義や、神と人間の間に立つローマ法王の制度に反対し、免罪符がきっかけとなってルター宗教改革が行われ、聖書こそが全て、万人祭司が実現したのです。つまり神に帰れ、キリストに帰れだったのです。
ところが仏教の宗教改革は、釈迦の教義を拡大解釈して、大乗仏教の教義を新たに作り上げたのです。
後世の人たちが勝手に考え付いた仏教教義なのに、それをなんでもかんでも、釈迦の教えだとしてしまうのです。
さてこの辺について、久保牧師は易しく説明しています。お読みください。
小乗仏教から大乗仏教への仏教の宗教改革では、改革者たちは、自分たちの教えこそ、大きな"船"のように、たくさんの人を向こう岸に運べる"乗り物"だとしたのです。
大乗仏教の成立は、一世紀頃です。
大乗仏教においては、「在家信者」、つまり出家していない信者にも、彼岸に渡れる可能性があるとされています。なぜなら、自分自身がこの世で厳しい修行をしないでも、すべての人を"慈しんでおられる仏"の功徳(恵み)によって、私たちは救われる、と考えるからです。
仏は、在家信者も慈しんでおられ、在家の者も彼岸に渡れるように望んでおられる、という考えです。
こうして初めて、「慈悲」という考えが登場したのです。
慈悲が強調されるようになったのは大乗仏教になってからで、慈悲の仏の典型的な例は、やはり「阿弥陀仏」でしょう。
村川注)釈迦は慈悲につい積極的に教えていませんから、慈悲の仏として、釈迦とは違う別の仏を考え出す必要があったのです。
久保牧師の説明をさらに引用します。
そして、仏教では、しだいに宇宙のいたる所に仏が住んでいる、と考えるようになりました。
はじめ無神論的だった仏教は、しだいに多神論(多仏論)になって行ったのです。
その無数にいる仏の中で、日本人によく知られてき代表的な仏が、阿弥陀仏です。弥陀仏は、宇宙のはるか西方にある「極楽」と呼ぶ浄土に住んでいる、とされています。
紀元一世紀ごろにできた大無量寿経(だいむりょうじゅきょう)という仏典によると、阿弥陀仏は15劫(648億年という昔には、地球上でひとりの人間でした。
彼はある国の王でしたが、あるとき王座を捨て、出家して修行に出ました。彼は「五劫」もの間、輪廻しながらも修行し続け、善行を積み、ついにある大きな誓願を立てました。
それは、必ずやすべての人を救い、「浄土」に導こうというものです。もしその誓願が果たされないなら、成仏はすまい、と彼は堅く決心しました。
そして今から10劫の昔に、彼はついに成仏した、というのです。
ですからこの阿弥陀仏を信じてその名を唱える者は、だれでも浄土へ行くことができ、救われる(仏になる)というのが、念仏の教えです。
つまり阿弥陀仏の「慈悲」によってて救われる、というものなのです。
村川注)慈悲とは仏教指導者が自分で考え付いた概念で、それはキリスト教の影響ではないかと思われます。
キリスト教の「愛」は啓示によって神から与えられ、その愛とは何か?は、イエスの十字架の死によって、歴史的事実として示された奥義です。
人間が想像で作り上げた(架空の存在である)阿弥陀仏の慈悲とは全く異なるのが、聖が教える「愛」です。
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