神なき人々のための聖書(10)
発行日時: 2007/11/16神なき人々の聖書−西奥著「法華経が日本を救う」から−の続きです。
内容は、聖書の教えに似ていてるところがありますが、解決方法は、神により頼むのではなくあくまで人間の努力にあります。
ここが大きな違いです。
(以下引用)
仏教での「悟り」とは、この世、この世界からの逃避を意味するものではない。たしかに、仏教のシンボルマークというべきことの一つに「一切皆苦」という言葉がある。
「一切皆苦」の字義通りの意味は勿論「この世の一切のものはすべて苦である」ということである。
ただ、仏教で一切のものはすべて苦であるからといって、ただちにこの世界からの逃避を教えてはいない。
また、「一切苦」の解決を全知全能の神に祈願し、お願いすることを教えてもいない。
仏教が教えていることは、この世界は何故、一切苦になったのか、まずその原因を深く追求理解し、次にその原因を滅除することによって一切皆苦の状況を一切皆楽の理想社会の実現を目指す、ということである。
苦を分析し苦の原因をつきとめるためには、智慧がなくてはならない。仏教は、人々にいかにすれば智慧力をつけることができるかを教える智慧の宗教である。
法華経方便品の中に「苦を以て苦を捨てんと欲す」とある。苦しい時、人がどんなに苦しみを訴えても、それは苦しみを苦しむだけで苦の解決にはならない、ということである。
「何故、苦しいか」を解明しその原因を突きとめ、次にその原因となったものを是正・消滅せよ、ということである。そこにおいてのみ真の解決がある、ということである。
同じような教えで、法句教というお経の中に「怨(うらみ)は怨を以て終に休息を得るべからず、忍を行いてのみ怨は息むを得る」とある。
他人から酷い仕打ちを受けた時、その人を酷い奴だとどんなに怨んでも、怨むだけでは自分の怨みは決して収まることはない。
相手に酷い仕打ちをやり返せば、キャッチボールと同じで、二人の間の怨みはエスカレートするだけとなる。
従って仏教では、他人から受けた怨みを自分の中で受け止めることを教える。忍の一字で自分の怨み心を相手に返してはならない、即ち、自制し忍耐することが大切であると教える。そのことによってのみ自分の怨み心は消えることになる、というのが仏教の教えである。
仏教では、自制と忍耐のためには、理法を明らかに知る智慧力と、理法に従って行動する勇気がなくてはならないと教える。
この智慧力と勇気(仏教の言葉では勇猛なる心)を人に教え諭すのが仏教の根本教義である。
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