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神なき人々のための聖書(9)
発行日時: 2007/11/15神なき人々の聖書には。次のような教えが書かれています。
− 西奥著「法華経が日本を救う」(日進報道)から −
仏教では「四苦」といって、生・老・病・死の四つが人生の苦悩の根本原因であるとしている。
「広辞苑」を見ると「くるしみ、なやみ、心配」とある。また、「大漢和辞典」では「くるしい、わるい、きびしい」と説明されており、共に我々が日頃、慣用しているのと同じ意味である。
これに対して仏教で「苦」という場合、その主たる意味は「自分の思い通りにならぬこと」ということである。
何故、「生」が苦なのか。
生きていること自体、何一つ自分の思う通りにならないからである。アレも欲しい、コレも欲しいと思っても、またアアしたいコウしたいと思っても、なかなか思う通りにいかない。だから、苦なのである。
「老」は何故、苦なのか?
今の若さを保ちたい、老醜は嫌だと思っても、人は人である以上、必ず老いてしよまう。だから、苦である。
「病」は何故、苦なのか?
たしかに病からくる痛みも苦であるが、病気になることもならないことも一切思う
通りにいかないから、苦なのである。
同じように「死」も決して自分の思い通りにいかない故に苦なのである。
「苦」も「悪」も自分の心の働きによる以上のように「私の思い通りにいかない」ことが苦であるならば、「苦」の原因は自分にあるということになる。自分の思いにあり、ということは、自分の心の働きにある、ということである。
従って仏教でぽ、世界はそれ自体、苦でも楽でもなく、また、善でもなく悪でもなく、人一人ひとりの心によって、心の働きによって、苦ともなり楽ともなると教える。
心の働きが悪ければ、その人の人生は悪となり苦となる。
仏教では、この悪い心の働きを煩悩と名ずける。煩悩を滅除する、すなわち煩悩という自己の心の中のいわば内的障害を克服することが、仏道修行の一大目的である。
煩悩を滅除する時、精神は自由・自在となり、これが苦よりの解脱である。
以上のべたように、仏教においては、「苦」も「悪」も自分自身に由来するのである。自分自身の煩悩という悪い心の働きに由来するものなのである。
キリスト教では人間は神に由来する善を通して悪から解放されるという。
仏教の世界観から批評すれば、キリスト教の思想は人間の倫理道徳規範の上位に神の規範を置くものであり、それこそ人間の尊厳を低める消極的人間論であり救済論である、といわざるを得ない。
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