キリスト教の間違った先入観(20)
発行日時: 2007/6/22旧約の律法によれば、罪のためのいけにえは,1頭の雄の子羊で、いけにえの血が、祭壇の回りに注ぎかけられると記されています。
またイスラエルの人々が、神に導かれモーセに率いられて、奴隷にされていたエジプト国からの脱出を図ったとき(出エジプトのとき)、迫害から逃れる必要がありました。
そこで神の命令に従って、イスラエルの人々の家をエジプト人の家々と識別するために、子羊を殺してその血を各家の入り口に塗り、また人々は酵母を入れないパンを食べて準備しました。
酵母の入らないパンとは、純粋という意味があり、またこのような緊急なときにも作れるという意味があるとされています。
これは過ぎ越しの祭りとして、ユダヤ人に、今も守られています。
イエスは主の晩餐の制定に際して,パンをご自身のからだであり、ぶどう酒をご自身の血であると言われました。これは明らかにご自身を過越の小羊になぞらえています。
特にイエスは、ご自分の血を「わたしの契約の血」と言っています。それゆえ、十字架におけるイエスの犠牲は、神が新しい契約を結ぶ上で最も重要な意味を持つのです。
この恵みの契約は、神と罪人との間で、契約の仲保者キリストにあってことごとくかつ完全に成就し、キリストを信じるすべての民族,国民に提供されるようになりました。
こういうわけですから、今や全世界の罪人は、ユダヤ人であっても異邦人であっても罪を悔い改めてイエスを救い主と信じるならば、契約の約束である永遠のいのちを神からいただくことができるのです。
新約聖書においては、この契約の概念は、旧約における神と神の民との契約を背景として、神と民との新しい関係を表すのにもっぱら用いられています。
主イエスは、最後の晩餐において杯を取り、「これは,わたしの契約の血です。罪を赦すために多くの人のために流されるものです。」(マタイ26:28)、あるいは、「この杯は、あなたがたのために流されるわたしの血による新しい契約です。」(ルカ22:20)と言われました。
「これは…契約の血です」との表現は、シナイ契約締結時のモーセの言葉を踏まえており(出エジプト24:8)、「罪を赦すために」と「新しい契約」という表現は、新しい契約についてのエレミヤの預言を踏まえている(エレミヤ31:31‐34)ことは明らかです。
少し難しい言い方をすれば、「この新しい契約は、エレミヤが預言した通り、シナイ契約にまさる契約として、罪の赦しをもたらし、心に律法を刻み込む契約(聖霊により内発的な服従の心を造り出す契約)である。」と言うことになります。
難しいでしょうから、さらにその意味を説明します。ここが特に重要なのですから。
(続く)
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