今日もイエス様と共に |
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聖書の罪表を見て驚かれたかもしれませんね。
あるクリスチャンは、私はイエス・キリストを信じているから、
もはやこれらの罪に陥ることはないと考えます。
あるクリスチャンは、私はクリスチャンになったけれども、こ
の罪表に挙げられている罪をいつも犯している。こんなことで
天国へ行けるだろうか?と不安を感じています。
またある人は、罪を犯したら悔い改めれば赦される・・だから
くよくよする必要なんかないとしています。
さて、さきのトラクトは教えます。
イエスに敵対したのは、当時のイスラエルの宗教家(パリサイ
人)たちでした。彼らは、聖書に書かれていない多くの規則を
勝手に付け加えて、「あれもいけない、これもいけない」とい
うように、人々の生活を面白みのない、楽しくないものにして
いました。
けれどもイエスは、そのような規則にそぐわないお方でした。
戒律に縛られないで、愛とあわれみと自由とを教えた、当時
の宗教家たちからすると型破りのお方でした。
神に受け入れていただくためには、それにふさわしい、清く正し
い生活をしなければならない、と勘違いしています。そうではな
く、ありのままの姿で、神の前に出ることができるのです。
そうすれば、神は私たちを受け入れ、一生涯のすべての罪を赦し、
「永遠のいのち」という、天国にまでも続くいのちを与えてくだ
さるのです。それは、キリストがあなたや私の身代わりになって
十字架にかかり、罪の償いをしてくださったからです。
(トラクト引用終わり)
私はここで、次のことを申し上げたいと思います。
「神が人間に与える罪からの救いは無条件だが、その後の神の約
束は条件付である。」
例えば新約聖書の黙示録で、イエスは言われます。
黙示 3:10 あなたは忍耐についてのわたしの言葉を守った。それ
ゆえ、地上に住む人々を試すため全世界に来ようとしている試練
の時に、わたしもあなたを守ろう。
ここで、イエスは終わりのときに来る試練について、「あなたは
すでに私を受け入れている。だから試練の時に、あなたを守ろう。」
とは言っておられないのです。そこには、「忍耐についてのわた
しの言葉を守った」という条件があるのです。
イエスはさらに言われます。
マタイ 5:13 「あなたがたは地の塩である。だが、塩に塩気がなく
なれば、その塩は何によって塩味が付けられよう。
もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけら
れるだけである。
イエスは、「私を受け入れた人は、地の塩である。彼らは常にその
塩気を保ち、また世の光として輝き続けるであろう。」とは言って
おられません。
塩気を保つことができなければ、外に投げ捨てられると警告されて
いるのです。
神にそむいていた過去の罪は、神の恩寵によって、無条件で赦され
る、つまり過去の全てが帳消しにされるのです。
過去に罪を犯したあなたは、これからもずっと日陰者として人生を
生きてゆかねばならない。一生かかってその罪を償わんければなら
ない・・のではないのです。
これはなんという恵みでしょう。しかしこの恵みを履き違えて、
「だからこれからは、罪からは自由になって、このトラクトが教え
るように、人生を十分に楽しもう」と考えるのは間違いです。
救いは無条件で与えられますが、救われた後の人生の生きかたにつ
いては条件があるのです。
その条件とは、徹底して「神にあって生きる」ことです。そうすれ
ばこのトラクトが言うように、本当の人生をエンジョイできるので
す。
適当に神様と付き合っている人は、人生を十分にエンジョイしてい
るとはいえないでしょう。
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