法華経と聖書(11)
発行日時: 2005/12/8仏教とキリスト教はどちらも「教」ですね。しかし仏教が徹底して「教」であるのに対して、キリスト教は「教」を越えた「教」だという思いを持ちます。
法華経にはお釈迦様が語ったという物語やたとえ話があります。
如来寿量品 第16-5 それは、薬の処方に熟練した医者と、その子供たちの物語でした。あるところにとても優れた医者がおり、調合した薬によって大勢の人々の病いを治していました。またその医者は大変な子福者で…
しかし旧約聖書の物語は、神と人間との関わり合いの長い歴史について、時系列で書かれています。それらの物語は教えであるというよりも前に、神は人間を創造して以来、罪を犯し続ける人間を義と愛によって導いてこられたことを伝える歴史なのです。唯一の神は釈迦のような見える人間ではありませんが、多くの預言者(神の啓示を人々に伝える人)を通じて、その意思を示されました。
旧約聖書は教えの書でもありますが、歴史書なのです。歴史を通じて、神が人間に対してその意思を示し、かつ導いてこられたことが記されているのが旧約聖書です。
新約聖書では、神は目に見える神であるイエス・キリストを通じて人間に語られました。イエスが群衆に与えた教えには、釈迦の教えと共通するものもあります。
マタイによる福音書6:25 「だから、言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。」
これは釈迦の教えの「煩悩解脱」と似ています。しかしイエスの教えは、全知全能の義と愛の神がおられるから、そしてその神は人類を罪から解放しようとされているから、その神に自分をゆだねなさい・・ということであって、自己努力による煩悩解脱を教える人生哲学とは全く違います。
イエスの教えには、釈迦の教えのように、たとえ話が少なくありません。また倫理道徳に関する教えもあります。しかし仏教経典と聖書との決定的な違いは、ひとりの人生哲学者釈迦が煩悩解脱という生き方を倫理道徳的に教えたのに対して、聖書は、旧約聖書で預言されたイエスの十字架の死という大きな歴史的出来事によって、神にあって生きる生き方が全人類に知らされた・・という「教えを超えた教え」なのです。
その神とは、そして人間の姿をして、人間が目に見える神として地上に現れた神のひとり子イエス・キリスト(かれがこの世に生まれたその時を記念するのがクリスマスですが)とは、どのような存在なのかを教えるのが聖書です。その神とは、釈迦の原始仏教を大乗仏教に宗教改革した後に、仏教指導者が考え出した久遠仏とは、似て非な存在なのです。
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