三島由紀夫研究会メルマガ
発行日時: 2007/6/23
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『三島由紀夫の総合研究』
(三島由紀夫研究会 メルマガ会報)
平成19(2007)年6月23日(土曜日)
通巻 第151号
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<< 力作連載 >>
三島由紀夫と神風連 (弐)
西法太郎
神風連の副大将格、加屋霽堅の「廃刀奏議書」は、三島由紀夫の『奔馬』の中に組み込まれたかたちの一書『神風連史話』の中に全文引用され、「これは日本刀を讃える千古の名詩文であり、言々句々心血をそそいだ大文章である」と紹介されている。
加屋の存念は、太田黒らの主張する義挙ではなく、「あくまで言挙げによって、刀に血をぬらずして敵をまつろわせ、・・・建白書を差し出すと同時に忽ち自刃して、死諫の実を挙げようと」する処にあった。
しかし建白書は熊本県令から却下され戻されてしまった。
そこで加屋は中央政府にこれを上呈し、自刃して果てる覚悟を固めていた。だから加屋は、大田黒らの挙兵に加わる心境になかった。加屋が一挙に同じる決意を固めたのは決行日の「九月初八日」直前で、先述したように別途神慮に諮ったところ「進め」と出たからだ。
敵方二千と対するに二百人の義挙であった。大田黒が背負った、藤崎宮の軍神の御霊代が、一同の将帥であった。ここには亡き櫻園の遺志がこもっていた。
緒戦から頽勢はとどめ得ず、討たれず散り残った四十六人の同士は、熊本城の西にある蔵王権現を祀った金峯山に逃れた。
そこからは、すでに古戦場のように思える、過半の同士が斃れた熊本城下と、その彼方に静かに噴煙を湧き昇らせる阿蘇の外輪が窺えた。西の方の眼下には、有明海と天草灘の間の海峡が、そして対岸の島原半島が雲仙を央にしてよく望まれた。
これを見た一同同志の心に、櫻園先生の『昇天秘説』の訓えが、ありありと蘇り、そして響いた。 高天原に至る秘奥を掴み、その場所に到達したと感得した。
▼三島と東文彦との出逢い
加屋との偶会を綴っている石光真清の『城下の人』の出版は昭和18年で、その子真臣の手になる遺稿集であった。真臣の1才年上の姉菊枝は、東季彦という学者に嫁いだ。このふたりの間にできたのが東文彦であった。 文彦は真清の孫になる。
三島は、学習院の5年先輩にあたる東文彦と昭和15年末から18年10月まで百通以上の手紙を交わした。 その大部分が『三島由紀夫 十代書簡集』に収められている。
文彦は結核に罹って自宅療養していたので、三島が会えたのは一回だけであったようだ。三島は東邸を頻繁に訪れ、手紙の授受を文彦の母、菊枝を介してした。息子の文学活動を喜ばない父梓(あずさ)に自分ひとりで抗することが難かった三島に、文彦や文彦の執筆を支えている東家は、格好の助け舟となった。 文彦と東家が十代の三島の至福の在り処となった。
文彦の「幼い詩人」という作品に“悠紀子”という登場人物がいて、三島はこれからとって悠紀夫と称したりした。これが“由紀夫”になったとも云われている。
三島、文彦、それに徳川義恭の三人で同人誌『赤絵』を出した。
しかし二号を出したところで、この至福は潰えた。 三島の文彦との再会は彼の死の床でとなった。その枕元で深夜まで徳川と文彦を弔い、徳川は死顔をデッサンし、三島は「東徤兄を哭す」を書き上げた。徤(たかし)は文彦の本名である。
文彦の急死により三島の至福の時は去り、文学についての思いを通わせる相手をなくした三島の心内は一挙に暗転した。そしてこの至福と悲しみはともに三島の心の奥底に沈んでいった。
これが三島の書くこと(=生きてゆくこと)の秘泉、「源泉の感情」となり、自決の直前まで三島の書き物に“東文彦”は一切あらわれなくなった。
文彦と文通し、東邸を頻繁に訪れていた昭和17年に文彦の祖父真清が没する。
そして文彦は亡くなる直前の昭和18年夏に出された祖父の遺稿集『城下の人』の表紙絵(墨絵の熊本城)と5枚の挿絵を描く。 この『城下の人』は昭和33年復刻出版され、毎日出版文化賞を受賞する。
三島はこの『城下の人』を蔵書の中に有していた。
真清の自伝は四冊に渡るが、文彦が関わったのは『城下の人』一冊だけである。他の三冊は『廣野の花』(旧書名、諜報記)、『誰のために』(旧書名、続諜報記)、『望郷の歌』である。
石光真清は、明治元年現在の熊本市内の藩士の家に生まれ、商法講習所(現一橋大学)を経て職業軍人になるべく陸軍幼年学校・陸軍士官学校に進学し、卒業して近衛師団に配属され、日清戦争では満洲、そして占領した台湾に渡る。 帰国後露語の習得を開始し、シベリアへ渡り、ハルビンで写真館を開業するが、日露戦役に出征し、金州城、遼陽・奉天会戦に参戦する。戦後田中義一参謀の要請で使命を帯びて再び渡満するが、事業を興して失敗し、帰国し郵便局を開く。
再再度、渡満して貿易会社を興し、諜報活動にも従事するという波乱の人生を送った。
『東文彦 遺稿集』の巻末年譜に、“外祖父 石光真清”の名がみえる。
三島の頻繁な東邸訪問、都度の真清の娘にあたる文彦の母、菊枝との遣り取りに真清のことは話題に上ったことだろう。
文通の最中真清は亡くなり、文彦は祖父の遺稿集の製作に、表紙絵や挿絵を描くことで深く関わった。 三島は初版の『城下の人』を手にとっていたろう。
それを読んで真清と出会った加屋霽堅を知り、真清が父真民から教え諭された次の件りを読んでいただろう。
「おまえたちは、神風連、神風連とあの方々を、天下の大勢に暗い頑迷な人のように言うが、それは大変な誤りだ。・・・ あの方たちは、ご一新前は熊本藩の中枢にあって、藩政に大きな功労のあった方々だ。学識もあり、勤皇の志も篤い。 ところがご一新後の世の動きは、目まぐるしく総じて欧米化して、日本古来の美点が崩れていくので、これでは国家の前途が危ういと心配し、明治五年、大田黒伴雄氏、加屋霽堅氏等をはじめ国学の林櫻園先生の感化を受けた百七十余名の方々が会合して今後の方針を協議された。 この会合で日本古来の伝統は必ず護る、外国に対しては強く正しく国の体面を保つことを申し合わせた。この人々を進歩派の人々が神風連と呼ぶようになったもので、・・・」
三島が、昭和18年の時点で『城下の人』を読んでいなくとも、昭和33年の復刻版を手にして、加屋霽堅と真清との出遭いを知った。
三島が『城下の人』を所蔵していたのは、文彦がこれに関わり、文彦の手になる表紙絵と挿絵があったからだろう。そして加屋の名が刻まれていたからだろう。 文彦は神風連の加屋霽堅に祖父真清を通じて繋がっていた。
三島は、文彦の死と同時期に加屋を知ったか、遅くとも『金閣寺』で文壇の寵児となり、たちまちにその頂点に駆け上がり、大作『鏡子の家』を世に問おうとして執筆に励んでいた最中に、すでにこの二人のつながりを心奥でしかと捉えていた。
それが三島のなかで、いつかしら、痛切なものに転化していった。 この機縁が『奔馬』の“ますらおぶり”を生んでいく。
(以下次号 参考文献・引用資料は最終回掲載予定)
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第229回 三島研究会「公開講座」は
講師に田中英道先生
演題は「三島由紀夫と憲法」(仮題)。
9月13日午後六時半
市ヶ谷「アルカディア市ヶ谷」 四階会議室です。
会場分担金 おひとり2000円(会員および学生1000円)
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(憂国忌) 今年の憂国忌は11月25日(日曜日) 午後二時から豊島公会堂です。
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(事務局より) 下記の方々からカンパが寄せられました。順不同敬称略で列記させていただき、御礼を申し上げます。
今田進(千代田区)、上田次兵衛(多摩市)、神永光(茨城)、後藤満造(大阪市)、杉田欣次(富山市)、鈴木孝則(横浜市)、関根雅之(台東区)、佐藤克己(墨田区)、鼎書房 (江戸川区)、斉藤弘美(新潟県)、砂押和彦(茨城県)、新岡和幸(札幌市)、藤平晴士(横須賀)、牧 実(杉並区)、山崎達璽(鎌倉)
< 平成十九年六月二十二日までに到着分 >
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(事務局より 2)下記の方々(敬称略)への宅配便が「転居先不明」などの事由により戻りました。
新住所をお知らせください。
或いはご存じの方、お知らせください。
メールは yukokuki@hotmail.com あてに。
池田一矢(東久留米市)、岡本孝雄(杉並区)、加藤四郎(大阪阿倍野区)、川上亮(豊島区)、黒岩徹(渋谷区)、衣川和栄((京都)、高木文昭(多摩市)、本多照樹(江戸川区)、松崎一樹(新宿区)。
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(編集部から)小誌は「三島由紀夫研究会」(昭和四十六年創設)の会員に限定せず、三島研究の論文、エッセイを常時募集しております。
比較文学論(たとえば「吉本隆明と三島」とか)、作品論(たとえば『仮面の告白』に新解釈)、読後感、政治論、芸術論。まるで分野を問いません。三島先生自身が古典から前衛まで、映画からシャンソンまで万能の作家でしたから。
「憂国忌」や「公開講座」への希望講師、御感想も歓迎です。
皆さんからの御投稿を広くお待ちします。原則として実名。簡単な肩書きをつけて下さい。ただし三島文学批判も構いませんが誹謗中傷のたぐいの投稿は採用しません。ゲスト寄稿者コーナーも常設しております。
一部の原稿は年二回発行のメルマガ合本に掲載することがあります。
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メール yukokuki@hotmail.com
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