創立35年の老舗「三島由紀夫研究会」の会報を兼ねた、あらゆる角度からの総合研究メルマガ
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三島由紀夫研究会メルマガ
発行日: 2006/11/29
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『三島由紀夫の総合研究』
三島由紀夫研究会 メルマガ会報
平成18(2006)年11月29日(水曜日)
通巻 第94号
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憂国忌の記録
西 法太郎
平成18年11月25日の三島由紀夫の追悼会、第三十六回『憂国忌』は、映
画『憂国』に使われた、ワーグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ」の荘厳に響く
楽曲が、寒気の帷を揺らす中、豊島公会堂に千名近い参会者を迎えて行われた。
自決直前の昭和45年11月、都内で開催された『三島由紀夫展』で、三島は、
自らの活動を ”書物の河” 、”舞台の河” 、”肉体の河” 、行動の河 の四つの河に分
けて回顧した。
今年の『憂国忌』は、”舞台の河”をとりあげ、趣向が凝らされた。
村松英子(村松剛の実妹)、大出俊、伊藤高(伊藤雄之助の子息)、若柳汎之丞
が、戯曲『薔薇と海賊』のいくつかのシーンを台本を手に読み合わせる形式で演じ
た。
当日が出演者の初顔合わせということだったが、壇上での読み合わせが初とは思え
ない、各出演者のマチエール(技能)の高さに驚いた。
三島戯曲で再演されたのは、生前では『鹿鳴館』ぐらいだったのに、三島は昭和
33年文学座初演の『薔薇と海賊』の再演を冀い、周囲の訝る中、昭和45年10
月から11月に掛けて、自決の二日前まで、初演と同じ松浦竹夫の演出で、劇団浪
漫劇場が上演した。
稽古のときも本演でも、その場面に差し掛かると三島が薄い色のサングラスをずら
して、時に滂沱と涙を流していたという、第二幕の幕切れのシーンも壇上で読み合
わされた。
題名は当初、「お月さまの庭」というようなものだったが、最終的に理想をあら
わす”薔薇”と、俗物をあらわす”海賊”を併置するタイトルとなったという。 三島は
この戯曲の着想をニュー・ヨークで観劇した「眠れる森の美女」から得たそうだ
が、中身はピーターパンを想い起こさせると村松英子は語る。 ピーターパンは自分
が子供のままの純真な心を持ち続けるために、ネバーランドで成長した子供たちを
平気で殺す残虐性を持つ存在である。 この戯曲からピーターパンを想起した村松
の感性は鋭い。
三島の死後、その翌年二月には、三島たっての希望で日夏耿之介訳の台本でヨカ
ナーンの生首が銀盆に載せられて登場する『サロメ』が上演された。 三島は村松
に、十二歳の時に小遣いで初めて買った本が「サロメ」だったと語ったという。
劇団浪曼劇場公演で主役のサロメを演じたのは森秋子だった。 全裸になるサロメ役
のオーディションを、当時の劇団所属の女優たちは逃げ回ったそうである。
三島は上演パンフレットに「東洋の神秘と西洋の神秘との混合体である古拙な美
にあふれたサロメの肢体が、身悶えてほしいのである」と遺し、 幼時から思い出深
い、血の滴る生首が登場するこの作品の自決直後の上演を仕組んで逝った。
大出俊は三島の自決した日、京都で松山善三監督の映画を撮っていたそうで、当
日は午後の撮影が突然中止になり、翌日も、その翌日も、理由無く中止され、再開
したときに松山監督はげっそりして現れたそうで、そのことが忘れられない記憶と
して残っていると語った。
『薔薇と海賊』が演じられた後、『檄文』が五人の学生のリレー形式で、ある者
は朗々と、ある者は溌剌と、ある者は力強く読み上げた。
自衛隊市ヶ谷駐屯地に撒かれた『檄文』はコピー機を使わないすべて手書きのもの
であった。 三島のバルコニーからの演説は、拡声器を使わない肉声であった。 自
決に用いたのは火器でなく日本刀だった。 近代文明の産み出した利器への三島の最
後の拒絶は、つねに神慮をうかがって行動した神風連に繋がる。
『檄文』が読みあげられた後、水島総桜チャンネル社長の司会で、識者によるパ
ネル・ディスカッションが行われた。
井尻千男拓殖大学日本研究所長は、三島の自決直前、日経新聞記者として、昭和
46年元旦の一ページ全面を ”葉隠”と”陽明学” をテーマに埋める企画を樹て、三
島に取材を申し込んでいた。
21歳の時に三島由紀夫論を物しそれが村松剛の目に留まり村松家に出入りして
いた井尻は、この件で三島に初めて電話をしたら、三島は、いま猛烈に忙しい、君
の言ったことは忘れるかもしれないが、11月25日にもう一度言ってくれと、力
強い声で対応したという。
井尻はその当日、三島に電話をしてから会う算段をしていたが、神保町から大手
町の会社に向かうタクシーの中で、三島が自決し、果てたことを知った。 替わりの
企画を何にしたか今だに思い出せない衝撃だったと語った。
評論家の井川一久は三島自決を朝日新聞の記者として海外で聞いた。 帰国して朝
日ジャーナル編集部に配属されると、同誌で唯一の三島を肯定的にとりあげた”三島
由紀夫は甦るか”という特集を組み、保田與重郎、阿部勉、伊藤好雄などに取材し
た。 保田は10時間以上酒を酌みながら取材に応じ、三島君はいい、何もかもい
い、と語ったという。
文芸評論家の山崎行太郎は、自分はそもそも大江・柄谷が好きで、三島は嫌い
だったと聴衆を挑発する説き起こしで語り始めた。しかし三島の自決で三島文学で
はなく、三島自体にすこぶる興味を持ち、自決に至る過程を「小説三島由紀夫事
件」に仕上げた。 それまで哲学だと思っていたが三島の自決は哲学より文学だと気
づかせてくれたと、自己の内心の変遷を語った。
田中英道は、三島の自決で小説は死んだ、文学というジャンルは消えたと悟り、
美術論に移ったと語った。 荻野貞樹は、『美徳のよろめき』を三島の代表作に挙
げた。
大学時代に評論「埴谷雄高と三島由紀夫」で文学賞を得た富岡幸一郎は、三島の
自決した時は中学一年で、高校時代憂国忌の運営に関わり、来賓の林房雄からパン
フレットにサインしてもらったと思い出を語った。
藤井厳喜は、来栖弘臣は三島事件に批判的だったが、八年後週刊誌上で「日本に
は有事法制がないので、緊急時には自衛隊は“超法規的行動”をとらざるをえない」
と発言して”腹を切った”と述べた。
最後に壇上に登った松本徹は、三島が作家人生の折り返し点で書いた『薔薇と海
賊』は三島のそれまでのものと、それ以後のもの、いろいろなものが凝縮されてい
る、死ぬことは甦ることに繋がる、文化は甦ると結んだ。
たまたま同じ日に書店店頭に並んだ『WiLL』1月号に、堤堯は”三島由紀夫「僕
を殺す唯一の男」”の中で、三島が川端のノーベル賞受賞に寄せて書いた、「長寿の
藝術の花を − 川端氏の受賞によせて」を丹念に分析し、川端康成と晩年の三島の
確執に切り込んで、衝撃の事実をスリリングに開陳している。 三島は川端本人にし
か判らない恐ろしいことごとをこの一文に仕込んだ。
三島の川端への賛辞には、特殊メガネを掛けないと見えない赤外線のように、身内
にしか明かさなかった三島の川端への思いと、いくつかの隠れた事実が放射されて
いることが判る。
夜闇の雲間からさっと射し込む月の光で事物が顕証になるように、秘められた事実
が掘り起こされて、ますます魅力を増す三島である。
まさに”死後も成長し続ける作家”である。
豊島公会堂は、三島自決直後の昭和45年12月11日に一万名以上の参列者を集
めた ”追悼の夕べ” と、昭和46年11月25日に第一回『憂国忌』が開催された
場所である。 同じ建物である。 今年はそれ以来三十五年ぶりに再び三島を追悼す
る場となった。
この建物は、その間、三島が手挟む太刀の鞘鳴りに耐えていたように、粛然と我々
を待っていたかのようだった。
三島が初霜を踏んでから、長い刻が経った。 参会者は、会場を満たした熱気に、堅
氷に至る兆しを感受したことだろう。
森田烈士、三浦烈士も微笑んでいることだろう。
(文中敬称略)
◎
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真っ赤な一輪の薔薇_とショートピース
真紅の薔薇の花束はさりげなく左側に大輪の白菊を中心に大きな花束がお墓の両端の添えられ、その周りに無数の愛らしい花束の数々
沢山の方がお墓参りにいらして下った中で、私の目を釘ずけにした一輪の真っ赤な薔薇とショートピース2箱
三島さんの身近にいらした方のなさりよう。多分25日にいらしてくださったのでしょう
お目にかかりたかったなぁぁぁ〜〜〜
憂国忌には、いらしてくださったのかしら? それとも、24日の野分祭にご出席の方かしら?
バラの花を一輪口に咥えて颯爽と舞台に登場。
あまり上手とはいえない歌を歌いだした時はおもわずのぞけったと三島さんの古くからのお友達だった知人が、病気見舞いに行った病室で愉しそうに話してくださった、今年の夏の日
その知人はとてもお墓参りできる元気はないので何方かしらこのバラを置いていかれた方は来年の憂国忌にでも是非お目にかかりたいものです。そしたら私も、あの事件の後、三浦さんご一家を匿われた山中湖在住の知人から伺ったお話でもいたしましょう
いまから来年の「薔薇と怪獣」の公演と「憂国忌」が愉しみ!
(FF生、小平)
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故三浦重周一周忌(早雪忌)の御案内
謹啓 皆さまにおかれては御健勝のことと大慶に存じ上げます。
昨師走、新潟の北岸壁で自刃した三浦重周氏(「重遠社」代表、三島由紀夫研究会前事務局長、日本学生同盟元委員長、本名、三浦重雄)の命日が近づいてまいりました。
自決直後に東京で開催された「さようなら 三浦重周さん追悼の夕べ」には全国から多くの皆さんが馳せ参じてくださり、厳粛なうちにも和やかな追悼を行うことが出来ました。
遺稿集第一弾『白骨を秋霜に曝すを恐れず』の発刊とともに有志数十人が新潟の自決現場と菩提寺を訪れ、墓前に供えて参りました。また読者の皆さまから感動の便りが多数寄せられました。
そこで、重ねて遺稿集第二弾が企画され、多数の同士の協力により編集を急いでいるところです。
命日にはこの遺稿集第二弾を見つつ、故人を偲んでいただきたく左記の要領で「早雪忌」と銘打つひとときを開催することになりました。
万障お繰り合わせの上、ご参会頂けますよう謹んでご案内申し上げます。
謹言
平成十八年十一月
記
とき 十二月十日(日曜日)午後三時
ところ 九段会館 地下宴会場
会費 おひとり 一万円(含む書籍代)
(遺稿集第二弾『国家の干城、民族の堡塁』をお持ち帰り頂きます)。
早雪忌実行委員会
105―0003 東京都港区西新橋2―13―7
ササキビル2階B クレッソン研究所気付
電話 090―3201―1740
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◎小誌の登録は下記で
http://www.melma.com/backnumber_149567/
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(編集部から)小誌は「三島由紀夫研究会」および「憂国忌」の賛助会員だけに限定せずに一般読者の皆さまからも、三島研究の論文、エッセイをつねに募集しております。
作品論、作品感想、読後感、政治論、芸術論。分野を問いません。ご投稿をお待ちします。原則として実名。簡単な肩書きをつけて下さい。原稿料はありません。三島文学批判も構いませんが誹謗中傷のたぐいの投稿は採用しません。ゲスト寄稿者コーナーも常設しております。ご投稿をお待ちしております。
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三島由紀夫研究会 HP http://www.nippon-nn.net/mishima/contents/
メール yukokuki@hotmail.com
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(C)三島由紀夫研究会 2006 ◎転送自由
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