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三島由紀夫の総合研究

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三島由紀夫研究会メルマガ

発行日: 2006/9/18


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『三島由紀夫の総合研究』 
   三島由紀夫研究会 メルマガ会報
     平成18(2006)年9月18日(月曜日)
  通巻第59号
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(短期集中連載中)

試論  三島由紀夫と保田與重郎(完結)

                   西 法太郎


 第七章  保田與重郎の三島への想い


 一方、保田與重郎は三島を、あるがまま、まっすぐに、しかも真剣にずうっと見つめ続けていた。
 保田の三島へのおもいをつづった『天の時雨』からいくつか引いてみる。

しかしこの二十年、私は三島氏の世評には盲目だったが、その作品や言説については、真剣に考え、かりそめだったことはない。 私の尊敬する人々の三島氏に対する批判は、片言隻句の感想も、深厚にうけとって自己風に考えた。

私は、この事件に即して過去の歴史のすべてを考えた。 すべてというのは、私の持する歴史のすべてということである。 三島氏の決意のこころを知りたかった。 わからぬものの少しをとらえたかった。

私の心に銘じてきた限りの今人古人英雄と詩人の行為や思いをつぎつぎに考えた。それはいっぺんに盤上にそろってあらわれる。しかしそれに応じて、私の今度の悲しみの方は少しもうすれない。

三島氏の近年の思想は、旧来右翼左翼といわれてきたものと、全く異なった次元のものだった。 

三島氏の武士の思想は、三島氏以前の武士道とは全く異質のものにて、それは史的に驚くべきものである。
三島氏晩年の思想の基本にあった即位大嘗祭の天皇、日本の文化という一線は、既成武士道では全く考えもされていない。 発想上のどこにもないのだ。 しかもこれだけが第一義のものである。

三島氏はことに感動した時、その人の誠実なるゆえに、急速に全身的に自己をそこに投入した。 しかも投入した瞬間、早くも別個の飛躍と、異質に近い変貌さえ行われる。 世俗から軽いと見られるところであろうか。 この作用は、彼の天才の所以であったのだ。世俗は彼の内部で始まった混沌を感ずる方法を知らないから、彼の進む道のあとに残した、作品としてつくり残されたものに食いつくだけである。その死は彼の文学の完成だとか、その美学の終結だなどというのは、努力された同情的な見解かもしれぬが、盲目的見解に堕している。

彼がそのわかい晩年で考えた、天皇は文化だという系譜の発想の実体は、日本の土着生活に於いて、生活であり、道徳であり、従って節度とか態度、あるいは美観、文芸などの、おしなべての根拠になっている。

三島氏が最後に見ていた道は、陽明学よりはるかにゆたかな自然の道である。武士道や陽明学にくらべ、三島氏の道は、ものに至る自然なる随神(かんながら)の道だった。 そのことを、私はふかく察知し、粛然として断言できるのが、無上の感動である。

三島氏らは、ただ一死を以て事に当たらんとしたのである。そのことの何たるかを云々することは私の畏怖して、自省究明し、その時の来り悟る日を待つのみである。 私は故人に対し謙虚でありたいからである。

三島氏の文学の帰結とか、美学の終局点などという巷説は、まことににがにがしい。 その振る舞いは創作の場の延長ではなく、まだわかっていないいのちの生まれる混沌の場の現出だった。国中の人心が幾日もかなしみにみだれたことはこの混沌の証である。

私は三島氏の少年の俤を思っては、幾日もかなしみに耐えなかった。そのかなしみを越えて、次第に崇高のものにうつってゆくのを知ったとき、私は形容しがたい深いかなしみをさらに新しく知った。


保田は『天の時雨』の掉尾に次の一文をおく。

    わが国の文学の歴史を見ていると時々尊くて不思議な人物が出てきた。 私は三島氏にそういう今世の一つの典型を味わっている。
    私は自著の「日本文学史」に後記をしたため、 「三島氏の檄文竝に命令書は、日本文学史の信実で
ある」と誌した。 これも今も、私のおしつめた思いである。


保田は、『戦後文学観』にこうも記す。

    戦後文学の作品は沢山あり、さらに沢山つみあげられることだろう。 今や大企業である。
しかしついのつまりに、三島由紀夫だけが文学及文学者として、後の世に伝わってゆくだろう。 
彼は紙幣を作っていたのでも、銀行預金通帳の数字を書き加えたのでもないからである。

保田は、「三島氏の近年の思想は、旧来右翼左翼といわれてきたものと、全く異なった次元のもの」
 「三島氏の武士の思想は、三島氏以前の武士道とは全く異質のものにて、それは史的に驚くべきもの」とポジティブに見てはいるが、既存のものを超えている、得体の知れないくらいすごい、と感嘆の程度は述べても、それを具体的に示さず、踏み込んだ理解内容を述べようとせず、あるいは放棄している。

 保田は文学者としての三島を、戦後文学で、「三島由紀夫だけが文学及文学者として、後の世に伝わってゆくだろう。」と断定し、誠実さにより感動へ全身投入し、これを直ちに飛躍し変貌させてしまう天才だと呼ぶ。 三島らしくないと世評された檄文を、日本文学の信実と感動する。
 保田與重郎は三島を日本文学の至上の宝として、十全の理解を示している。

 一方、保田は、三島の思想のなかの、文化概念としての天皇について、「これだけが第一義のもの」であり
「天皇は文化だという系譜の発想の実体は、日本の・・・おしなべての根拠になっている。」と明瞭に賛同している。 


 第八章 保田與重郎の天皇観と三島


 三島は埴谷氏との座談の中で、保田は戦後生き延びず、死んでいたらとの留保をつけて、ゲバラやキリストになっていただろうと喝破している。重大な発言である。三島にとっての保田與重郎を文学者だと捉えると混乱してしまうが、チェ・ゲバラのような思想家、キリストのような導師として見たなら合点がいく。
 思想家・導師としての「保田」は、どんなもの、どんな胚種を三島にもたらしたのだろう。  

 三島の先輩にあたる林房雄氏と、終生心友関係を紡いだ伊沢甲子麿氏は、対談(『歴史への証言』)で保田與重郎の三島への影響を次のように鋭く衝いている。


    伊沢; (三島先生は)古林尚氏との対談の中で「十九才で思想形成ができた」と語っておられますが、それは、学習院時代に保田與重郎氏の影響を強く受けて、保田與重郎氏の、日本浪曼派の尊皇論、これは三島先生の思想にかなり影響を与えていますね。 ただし、誤解の無いよう断言しておきますが、三島先生は保田氏の弟子ではないのですよ。 蓮田善明さんも影響を与えていますが、三島さんの少年期から青年期に至る過程で思想的に最も大きな影響を与えたのは保田與重郎氏だと考えられますね。
      林;  そうでしょう。 保田君の方でしょうね。
    伊沢;  清水文雄先生を通じて、保田氏に傾斜し、保田與重郎の尊皇論の影響を受けていますね。 
そして三島先生の天皇観も、保田與重郎の天皇観が、それをつちかう原動力になったんだと思いますがね。 
      林;  私もそう思います。 保田君は、わかりやすい言葉で言えば、日本の美の学者で、そして美の観点から文化史をみて、日本の美の頂点にあらせられるのが天皇だ、これを汚すものが近代であり、文明開化である、だから西欧の文明と武器によって西欧に対抗してもダメだ。 
            竹ヤリでよかったんだ、とまで極言した。 三島君はこういうことを保田君から引き継いで,古神と神風連の研究まで行ったんですよ。 
            三島君のほうが陽性でラディカルな日本文化観を獲得したとも言える。

 橋川文三氏は、『日本浪曼派批判序説』で、保田與重郎を中核とする日本浪曼派の特性として、「一般に自然村的秩序とよばれる原始共同体の理念」が基盤であり、ここから「神」と「天皇」が導き出されてくるとしている。

 三島は、日本浪曼派の代表選手である保田與重郎から文学的なものより、それ以外のもの、天皇についての思想を核とした浪漫的衝動を注入され、これに強く揺さぶられ、意思的に、苦しみながら受肉化していったのだろう。これが三島晩年の「武士」の行動にまっすぐに繋がっていった。

 三島はいくつかの天皇についての論を物しているが保田與重郎の名をまったく出していない。 大きな謎である。しかし思想面で三島と保田が相互に通じ合っていた一点は天皇観であった。三島と保田與重郎はこの部分でしっかりと心情的に繋がれていただろう。 


 因みに『潮騒』の底本について三島自身「ダフニスとクロエ」と自記しているが、同本を藍本にしたという観点では、『潮騒』を妹とすると兄にあたると云えるのが、ゲーテの名作「ヘルマンとドロテア」である。 しかし三島は一切ゲーテのこの作品に言及していない。  三島は「ダフニスとクロエ」とともに「ヘルマンとドロテア」も大いに参考にしているはずである。 これは小さな謎である。 

 ロマノ・ビルピッタ氏は、保田の天皇観の特質を民族意識の深層から湧き上がる社会復興の動的エナジーと捉える。

    保田與重郎の天皇主義は過去の称賛に甘えた静的なものでなく、文化の深層から新しい民族意識を生み出そうとする動的な思想なのである。 彼の保守の精神は、“保守革命”を思わせる「維新の父、革命の母」であり、したがってかれは決して旧社会体制を復興させようと考えたのではない。         (『不敗の条件』)

 またビルピッタ氏は、保田與重郎の持っている中に、人に冷静さを失わせ感情に走らせる危険性があると次のように指摘する。

保田與重郎に接近する時、日本人は、感情的に巻き込まれてしまい、傍観者としてそれらを冷静に評価することが出来ないようである。 しかも、彼をいくら拒絶しても、全面的に否定するまでにはいかない。 ・・・ この事実が物語るのは、保田與重郎が日本人の何か重要なところを衝いたことであると思われる。 その“何か重要なところ”を忘れることは出来るかも知れないが、それが現れてくると、精神的に反応せざるを得ないのであろう。 保田與重郎は、日本人すべてが敬遠するこの“何か重要なところ”を思い起こさせる危険な能力を備えている。(『同』)

 
三島は保田の持つ“危険な”放射能を浴び、これが三島の持つ能動的ニヒリズムと共鳴し合い、偉大な英雄の道を走らせた。
世人に敗北と見えても、手段が目的である行動に敗北はない。

 橋川文三氏は、「三島は『林房雄論』によって、ほとんどはじめて歴史との対決という姿勢を示した」(『夭折者の禁欲』)との見方を示す。
保田與重郎が『天の時雨』の中で語った「私の持する歴史」との照応を考えると興味深い。

 桶谷秀昭氏は、「三島由紀夫と保田與重郎」で、次のように記す。

ここで、「私の持する歴史」というのは、保田與重郎が長年抱いてきた「英雄と詩人」という想念における歴史上の詩人、思想者であろう。 大津皇子、後鳥羽院、大塩平八郎といった名が「天の時雨」にみえるが、・・・ 保田與重郎が英雄という像に抱くアクセントは、没落の相であり、人間を超えた偉大さが取るに足らぬ者によって足をすくわれて倒れる悲劇的な最後である。  保田與重郎が英雄に抱くアクセントは、没落の相であり、 人間を超えた偉大さが取るに足らぬ者によって足をすくわれて倒れる悲劇的な最後である。 保田與重郎の「私が持する歴史」の中、この偉大な「英雄と詩人」の列に三島は飛び込んで行った。

 三島は「保田の持する歴史」に魅せられ惹き入れられてしまったのだろうか・・・。

 三島は、日沼倫太郎氏が、会うたびに、自分に自殺しろと強請っていたと記している。

私の文学のめざす方向の危険について、掌を斥すようによく承知していた。 氏は会うたびに、私に即刻自殺をすすめていたのである。・・・ 氏は私が今すぐに自殺すれば、それはキリーロフのような論理的自殺であって、私の文学はそれによってのみ完成する、と主張し、勧告するのだった。
 
その日沼氏は、『ファシストの虚無』に、こう記す。

    三島はファシストではない。 自衛隊の訓練をうけたり、タカ派の宣言をしたり、表面はいちじるしく政治と癒着し、一見ファシストのごとき印象を世間にあたえているが、氏ほど政治に遠い地点にいる作家もすくない

保田は、後鳥羽院の新古今和歌集勅撰の偉業を、「断絶してはならない文明を、伝承するための・・・ 民族本有の雄渾な文明の意思」が成した、「文明に対する感覚的な危機意識に発し」ていたと描く。 
 (『日本の文学史』)


日本文明は、民族の運命に感応する者に、しばしば自らの運命を裁つ宿命を担わせてきた。 大津皇子、大塩平八郎、 吉田松陰、西郷隆盛、神風連、乃木希典、ニ・二六の将校達、そして三島由紀夫・・・。

肉体における厳粛さと気品が、その内包する死の要素にしかないとすれば、そこにいたる間道は、苦痛の裡、受苦の裡、生の確証としての意識の持続の裡に、こっそりと通じている筈だった。 そして激烈な死苦と隆々たる筋肉とは、もしこの二つが巧みに結合される事件が起これば、宿命というものの美学的要請にもとづいて起こるとしか思われなかった。 尤も、 宿命というものが、めったに美学的要請に耳を貸さないことはよく知られている。   (『太陽と鉄』)

 三島の才は、日本という器で受容しきれず、そこから溢れ、毀たれてしまった。が、そうかといって、日本以外では生まれようのない才であった。
  (了)
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 (筆者の西法太郎氏は「三島由紀夫研究会」会員)
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 今年の憂国忌は池袋の豊島公会堂です。
 11月25日(土曜日)午後六時半から。
村松英子さんの講演、「薔薇と海賊」を中心に。ほか。   
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