T.S.ヒーリングサウンド |
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貴方はこのようなことを考えたことがあるだろうか?
人の心はどこに在るものか?
空気とはどこにあるものなのか?
これらはあるということが認識できるが、存在として手に取ったり触れたりできない
形而上の観念の世界である。「気・霊気・魂」などもこの分野の中に含まれる。
またある時、何も考えずただ目が周囲の状況を見ている…
何かを考えるのではなく、心が空白でもなく…
ただぼんやりと空間に焦点をすえて時間の経過を見過ごした経験がないだろうか?
無意識の精神状況の中で空を漂う中、空白の空間に混じって何か点のような塵のような
動くものが見えた記憶はないだろうか?
自然科学の中で素粒子の動きを霧のような細かな粒子の動きといっているのは、
このような状況で眼にする光景を指しているのではないか?
薄暗い教会の中では素粒子の漂いと動きを垣間見ると表現されている。これは私が
よく目にする光景であり、特に静寂な薄暗い寺の本堂を前にした時、よく出会う光景で
ある。それは本尊に向かい流れ星のような粒子の流れが飛び交う粒の動きで、
変幻自在ともいえる動きである。人は肉体を消滅し魂の存在となる時、精神的な
思いの強さ、拘りのない素直な心のよりどころは肉体から解放されて時空の粒子の
世界に解放されるのではないか?
心、魂の拡散は生あるもとの心の結びつきにより自在に変化を起こし、意次元的空間へ
溶け込んでいく。
そして次々と新しい進化の状況を作り出していくものではなかろうかと考える。
人の持つ生命エネルギー「気」、はこの粒子の動きに変化を起させる作用を秘めるもの
である。気の粒子は厚い壁や鉄の壁を通過し、また各物質に定着包み込む作用も
兼ね備える。
人間の原点が粒子の集まりであるということから、眼にする摩訶不思議な作用は肉体を離れた魂の拡散、その一つとして粒子の躍動であると私なりの仮説としてみたままを
書き述べている。
粒子だからこそ心経の持つ言葉の響き、波動として肉体である粒子を揺り動かせる
エネルギー要素といえるのではないだろうか。
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