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========☆T.S.ヒーリングサウンド(206/4/14)☆=======
「近頃の安楽死と極楽往生…あなたの選択は?」
今週は近年新聞紙上を賑わす医療現場の問題についての私の考えを述べてみたいと思います。
先日終末医療で末期の患者の延命のための人工呼吸器を、医師が取り外して患者を死に至らしめたと報道されていました。末期の患者側の家族はおそらく少しでも長く生きていてくれたら‥そんな気持ちで人工呼吸器を選択したのでしょう。しかしこれは患者本人の意思ではなく家族のエゴかもしれないとも思うのです。
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私にはこの様な経験がありました。
記憶ももはや定かではありませんが六十歳位の女性でした。検診で胃がんが発見され手術をしたもののもはや手遅れ‥胃、膵臓、脾臓、肝臓の摘出できる部分だけを摘出しました。この結果余命は三ヶ月〜一年との宣告。彼女の娘さんは泣いて、泣いて手がつけられない状況ではありましたが、術後のケアの相談に来られたのでした。私が出した答えは「抗がん剤は止めること」「栄養を十分に取ること」又「医師に依頼して栄養点滴をしてもらうこと」。そして、体力が回復するまで十分な栄養を摂取することの大切さを話しました。
体力が回復してからは都会の生活より環境の良い田舎暮らしを始め、これが功を奏したのか一年が二年と寿命が伸びて行きました。三年経ち医師からもう「転移の心配はない」と言われ薬の服用も必要なくなりました。
その後…
再び「胸焼けがひどい」とサウンド体感に来られました。急激な変化なので「何か違ったことをされたのでは?」と聞いてみると、当時流行していた健康グッズのパワーの出る腕輪をもらってはめているとのこと。
確かにこの様な商品からは良い悪いは別としてエネルギーが発散されています。それは私から言わせると体にはちょっと強すぎると思われるような瞬間的に感じるエネルギーです。この健康グッズから出るエネルギーが術後回復していた傷口に穴を開けたと思われます。当然再手術、彼女は体力の回復しないままホスピスに入院し、痛みの無い終末ケアを受け亡くなったのです。このときは家族はもう涙することもなく見送ることが出来ました。三年間の延命の時間が家族に冷静さを取り戻させたのでしょう。
死は家族のものではなく死に直面した本人のものです。
本人はおそらく話すこともままならず、自己の生死を決定する意思表示すら出来ない状況であるため家族に判断を委ねざるをえません。この様な判断は家族にとってもなかなか答えは出せないものです。それは全ての状況が人により違うからです。この様な状況にならないため、日ごろから、いざと言う時のためにわが身の処し方を考えておきたいものです。「経つ鳥後を濁さず」の喩えのように家族や周辺の人たちに迷惑のかからない様に対応しておきたいものです。
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更にこのような経験もあります。
「お母さんには元気で長生きして欲しいから」と、八十歳近い義理の母親を毎週体感に連れて来られた女性がいました。働いている家族のため家事全般はそのお母さんの仕事でした。心臓が弱いものの体感すれば調子は良いのですが、帰り際いつも「先生私はいつお迎えが来るでしょうか 」と聞かれます。
私は「いつ来てもおかしくないから準備はしておいたら」と冗談で返していました。
この様なやり取りで時が過ぎ…
その朝も畑で花を摘み、墓参りをし、定期的に診察を受ける医師のところに行き‥‥普段と変わりない一日でした。夕食後少し疲れたと自分の部屋に入ったお母さん。しかしお嫁さんが日ごろと様子が違うと感じ、部屋に行ってみると様子がおかしい…医師が駆けつけた時には息子の腕の中で息を引き取っていたと言います。時間にしてものの三十分位の出来事、極楽往生でした。私はこのような終末を安楽死というのであって病院で人工的な機械の取り外しで無くなることは決して安楽死とは言えないと思います。
後日談ですが、あれほど毎回毎回、「お迎えはいつ来ますか?」とたずねていた人なのに実際は何一つ身の回りを整理せず、お迎えの準備はできていなかったらしいのです。
人とはその様なものかもしれません。いつかはお迎えが来るとは思いながら、まだ時間があるとついつい考えるのが人の人たる由縁であるかもしれません。それほど自分には甘いのが人間であると言えるでしょう。
ヒリーングサウンドでは健康に関する情報を提供しています。
詳しくはホームページを ⇒ http://www.healingsound.co.jp/
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