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甦れ美しい日本 第023号

発行日: 2005/7/22

□□■平河総合戦略研究所メルマガ■□□(2005年7月23日 NO.023号)

  ☆☆ 私たちは書きたいから書くのです ☆☆

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 < 目次 >

  丹羽春喜       「打ち出の小槌」を使っても、ハイパー・インフレの心配はない!
1.佐藤守コーナー    「大東亜戦争の真実を求めて」その20
2.奥山篤信コーナー   映画『モディリアーニ 〜真実の愛〜』とジャポニズム
3.松永太郎コーナー   クレタの日記(2)
4.花岡信昭コーナー    郵政法案は成立する
5.西山弘道コーナー    「僕自身のための広告」
6.有馬尉彰コーナー   電波政策の意味と役割
7.山崎行太郎コーナー  「供給側の経済学」か「需要側の経済学」か、では問題の本質は見えてこない。 
8.桜井裕子(寄稿)   パール博士顕彰碑建立に寄せて「日本よ、独立を回復せよ」(下)


☆花岡信昭 テレビ出演
チャンネル桜―22日21時〜「桜らぷそでぃ」。山口裕美、扇さや氏二人
を相手にトーク。花岡が歌手デビュー。再放送23日2時、11時。

チャンネル桜―26日19時〜「佐藤勝巳の現代コリア研究」。政局展開について。
再放送27日7時。

国会テレビ―22日21時「言いたい放題・金曜ナイト」(インターネット放送・生
番組。8月12日まで無料視聴サービス中。http://www.kokkai.jctv.ne.jp/)☆

☆平河総合戦略研究所 講演会 ご案内
日時 8月21日(日曜日) 午後1時半より4時まで
場所 学士会館(神田錦町) http://www.gakushikaikan.co.jp/ 203号室
会費 一般 3000円 学生 2000円 平河総研特別会員 1000円 
講師 佐藤守  平河総研専務理事 元空将
ブログ http://d.hatena.ne.jp/satoumamoru/
テーマ 台湾危機に直面する南西方面の実態…沖縄勤務の体験から
定員 80名 申し込み先着順(info@hirakawa-i.org 宛)☆

☆私達は、ブルーリボン運動を断固支持します。日本国民が一丸になっての意思表示、
行動を起こすことが大切です。北朝鮮の金正日総書記や日本政府、そして報道機関
や国外に対しての私達の願いや怒り、救出へのアピールができれば良いと思います。 
拉致被害者と御家族が苦しまれている25年間は、私達の無関心が作った悲劇なの
です。☆

☆人権擁護法案という、私たちの人権を危うくする法案を、郵政民営化法案の
ドサクサに紛れて成立させようという陰謀が渦巻いています。
この法案の恐ろしさは下記アニメを御覧ください
http://homepage2.nifty.com/save_our_rights/jinken001.swf  ☆

☆花岡信昭のサイトが開通しました。評論集やブログが見られるとともに
原則毎日発信のメルマガがここから登録できます。http://www.hanasan.net/
メルマガ政治ジャーナリスト・花岡信昭による分析・考察
http://www.melma.com/mag/68/m00142868/

☆佐藤守のブログ http://d.hatena.ne.jp/satoumamoru/

☆山崎行太郎のサイト http://yamazakikoutarou.gooside.com/

☆青葉ひかるのニコニコプラン2525計画推進協議会に賛同を!
  http://www.2525plan.jp/  ☆  

☆クライン孝子さまはドイツにて日本の名誉を守るべく欧州に様々な形で働きかけております。
クライン孝子さまのブログには理不尽な中国に対する憤怒の思いが篭っております。日本の情報
をリアルタイムにキャッチされ、売国奴の群れを叩き斬るご活躍には頭が下がります。
http://www2.diary.ne.jp/user/119209/☆ 

☆丹羽春喜氏のカレント7月号に掲載された論文を丹羽氏通じカレント誌の了解を得て
掲載します。☆
 
☆一般公開掲示板-BBS-
http://imbbs3.net4u.org/3/sr3_bbss.cgi?cat=10819hirakawa

☆ウェッブサイト< http://www.hirakawa-i.org >
平河総研会員募集中です。
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  丹羽 春喜  
 「打ち出の小槌」を使っても、ハイパー・インフレの心配はない!
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 デフレ・ギャップこそ超巨大な「真の財源」

 私は、本誌(『カレント』誌)に寄稿した幾編もの論稿をはじめ数多くの私の著作
を通じて、わが国の現行法に明記されている「国(政府)の貨幣発行特権」が、ま
さに、「打ち出の小槌」であって、これを活用しさえすれば、国民にまったく負担を
かけること無しに、わが国の破綻しきった政府財政を再建し、不振・低迷を続ける
経済を再生することも、きわめて容易であるという「救国の秘策」を、幾度も、提
言し続けてきました。一昨年の春に米国より来日されたスティグリッツ教授(ノー
ベル経済学賞受賞者)も、同様な政策提言を行なっておられましたが、今ちょうど、
ベスト・セラーズとなっている藤井厳喜氏の著書『破綻国家、希望の戦略』(ビジネ
ス社刊)でも、私のそのような政策提言が、詳細に解説されていますので、藤井氏
のこの本で、あらためて、私の「救国の秘策」をお知りになった読者も、居られる
のではないかと思います。

 しかし、この「打ち出の小槌」の利用案については、「それは、悪性のインフレ的
な物価高騰をもたらす!」として、それに反対する意見も多いようです。例えば、
タレントの「やしき・たかじん」氏がコーディネーターを務めて昨年12月に放映
された読売系テレビ・チャネルの討論番組「そこまで言って委員会」(大阪では12月
19日に放映)では、パネラーの一人としてその番組に参加していた西村真悟代議士
が、私の名にも言及してくださりながら、わが国の危機的な財政と経済の再建・再
生を、「国の貨幣発行特権」の発動によって達成するべきことを示唆されたのに対し
て、他のパネラーが、「そんなことをすれば、ハイパー・インフレーションになるの
ではないか?」と批判していました。そのテレビ番組では、それ以上には深く掘り
下げた議論は行なわれずに終わってしまったのですが、本稿では、そのような懸念
や批判に対して、以下のごとく平易に、解答を与えておくことにしたいと思います。

 小学生でも分かっているように、需要が増えたとき、商品の生産・供給量もそれ
に応じて伸びれば、価格は上りません。同様に、マクロ的な総需要の増加に応じて、
諸種の商品やサービスの総合的な生産・供給量が増えれば、物価は上昇しません。
 本誌でも、幾度も、私が精密な計測結果を示してきましたように、わが国の経済
では、きわめて巨大なデフレ・ギャップが発生・累増してきたまま、居座っており、
今もなお拡大し続けています。このデフレ・ギャップは、マクロ的な「生産能力の
余裕」にほかならないわけですが、その規模は、現在、潜在的な実質GDPに換算
して、年額400兆円にも達しているほどに膨大なものになっています。つまり、こ
の超膨大な「生産能力の余裕」が有るあいだは、総需要が増えるのに応じて、諸商
品の生産・供給量もどんどん増加しうるわけです。したがって、ハイパー・インフ
レ的な超大幅な物価の高騰といった事態には、ぜったいに、なりません。

  まさに狂気のさたの想定

 すなわち、「ハイパー・インフレが起こるからダメだ!」と言っている人たちは、
私やスティグリッツ教授、藤井厳喜氏などが提言しているような「国の貨幣発行特
権」の政策的な発動によって、わが国の総需要が、現在の年額約500兆円から、突
如として年額数千兆円、あるいは、そのまた十数倍ないし数十倍の、「兆」の一万倍
の「京」(けい)という単位で表して、年額数京円ないし数十京円といった天文学的
に超膨大な額にまで飛躍的に増加し、諸商品の生産・供給がそれに追いつけず、物
価が数十倍、数百倍にも暴騰することになると想定しているわけです。


 私が提案している景気振興策は、「国の貨幣発行特権」という「打ち出の小槌」を
財源調達手段としたケインズ的財政政策によって、年額40〜50兆円程度の有効需
要を政策的に経済に追加注入し、それからの乗数効果で、その2〜2.5倍に所得が
増えると見積もって、2〜3年ほどのあいだに、少なくともGDPを100兆円ぐらい
は増加させようという程度のものです。この100兆円のGDP増加から生じる現金
通貨の流通量の増加も、10兆円ぐらいのものです。その程度のことで、数千兆円あ
るいはその十数倍ないし数十倍にも達するほどの超膨大な総需要の拡大が誘発され
るなどといったことは、金輪際ありうることではありません。この程度の政策を10
年続けても、まだ、インフレ・ギャップは発生しませんから、大丈夫です。

 実は、私自身は、日本経済における乗数効果の乗数値が、上記で言及したように
2〜2.5であるということを実証ずみです。しかし、現在、わが国のエコノミストた
ちの多くは、わが国経済の乗数値が1.0を割っているとさえ考えているのが現状で
す。であるというのに、ハイパー・インフレ論者たちは、日本経済における乗数効果
の乗数値を100以上とか1000以上といった、まったくありえない桁外れに大きな
数値として想定しているわけですから、まさに狂気のさたです。

 国債の大量償還でも過剰流動性を避けうる秘策

 問題は、むしろ、数百兆円にもおよぶほどに累積されてきた既発の国債を、「国の
貨幣発行特権」という「打ち出の小槌」で償還する場合でしょう。国内投資家が、
償還を受けた資金で、工場やビルディングを建てるといった実物投資をするならば、
それは、需要面でも、生産面でも、わが国経済の進歩・発展に役立ちます。また、
この資金が、株式や社債の購入に向けられた場合も、それは、間接的にではありま
すが、わが国の経済の発展に寄与することが多いでしょう。しかし、そのような国
債償還によって民間が受け取った巨額の資金の多くが、経済の発展に役立つような
有利な投資機会を見出すことができず、過剰流動性となって、ただ投機的なマネー・
ゲームにだけ投入されるといった事態となることは、望ましくありません。

 そのような危険性に備えて、政府は、この「打ち出の小槌」財源を利用して、円
高の防止をも兼ねて、あらかじめ、米国など諸外国の公債や社債などを大量に購入
しておき、そのような外国債との等価交換で、国内投資家から既発の日本国債を回
収(その代償として、国内投資家には外国債を渡す)すればよいのです。この方法
を、適宜、併用していくことにすれば、わが国内で巨額の過剰流動性が発生する危
険を避けながら、大量の既発国債の償還をスムーズに進めていくことができるはず
です。このことも、私が、かなり以前から提言し続けてきた秘策なのです。

丹羽 春喜;
昭和五年(一九三〇年)兵庫県生まれ。関西学院大学経済学部、同大学院経済学研
究科博士課程卒関西学院大学社会学部教授、筑波大学社会科学系教授、京都産業大
学経済学部教授、大阪学院大学経済学部教授を歴任。経済学博士。日本学術会議第
16期会員をも務めた。
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1.佐藤守コーナー
 「大東亜戦争の真実を求めて」 その20
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ところで、張鼓峯、ノモンハン事件の戦訓は、陸軍上層部の近代兵器に対する認
識不足、精神力頼みで、その結果大東亜戦争で大敗した、という、一方的な『戦史
観』が定着している。確かに同感だが当時の全般情況から判断すると、聊か酷だと
言えまいか。何度も書いたように、当時の日本(軍)は、支那事変解決のために血眼
になっていた。そんな中で『単なる国境紛争に過ぎぬ』と捉えたことの方が問題で
はなかったか?
            
この事件を中途半端に捉えたため、取った行動は旧陸軍軍人達があれほど『戦闘
時の基本』として尊重していた筈の『戦力集中の原則』に違反している。他方、ソ
連軍にとっては欧州戦に備えたテストであり、窮地に立つ中国軍にとっては願って
もない敵・日本軍の戦力分散に貢献した。

日本軍がこの事件を軽視したことを証明するように、詳細な記録を集めた1000
頁を超える大著である「大東亜戦争全史(服部卓四郎著)」は、「日本の対ソ態度と
国境紛争事件」として僅かに半ページしか取り上げていない。もっともこの著書は、
大東亜戦争が主題であるから・・・とはいえ、当時の陸軍中央部がソ連の行動にいかに
関心が薄かったかということを証明しているように思われる。

ところがこの事件については、たびたび引用する「支那事変作戦日誌」が極めて
詳細に取り上げているので、ここでは井本熊男氏の「所感」を引用しておこう。
井本氏は「この事件の発端が生起したとき、中央部の用兵責任の重要な部分を担
任していた参謀本部の作戦課長以下4名の幕僚(筆者も含む)が、現場の最高指揮
官たる第23師団長の位置するハイラルにいた」という。「若しこの一行が自ら経験
した前年の張鼓峰事件の真相に対する深い認識と反省が在ったならば、ノモンハン
が如何に広漠不毛の土地であっても、事態拡大の可能性あることに気づいたに違い
ない。それに気づいたならば、その拡大を防止するための手を予め打ったであろう
と思う」と書き、関東軍の「国境処理要綱」は、「張鼓峰事件を手ぬるい対ソ態度と
見て、機会あらば国境でソ連軍に痛撃を加えることを強く意図して作製された物だ
った」が、参謀本部がこれを深刻に検討していたならば、所要の措置を講じたであ
ろうと反省している。そして「中央部は支那事変に直面しており、更に世界中に目
を配っている必要があるために、事変拡大を戒める態度は関東軍よりも強かったこ
とは明らかである」

ところが参謀本部の「航空戦力の使用禁止令」を、関東軍が中央に秘匿して破り
6月27日にタムスクなどへの侵攻作戦を行ったため両者間の統帥関係は隔絶する。
井本氏は「この点は明らかに関東軍の専恣であり、おまけにその後逆ねじ的に中央
部に食ってかかった関東軍参謀の言動、処置は、常軌を逸したものであった。この
統帥破壊の無軌道の行為に対し、断固たる処置を取りえなかった中央部の責任は極
めて重大である。関東軍参謀としては、何をやっても中央部は大した処置をするこ
とは出来ないと見くびってやったのだとも推察できる。その見通しの通り、何もな
し得ない状態に陸軍中央部は変貌していたのである。その根本的原因は、幕僚によ
る軍の支配にあった。幕僚相互間では、断固たる処置は出来ない。(中略)敵対可能
の限度を遥かに超越し、一方的に鉄火に拠って蹂躙せられる地獄のような状況の中
で、止むを得ず起こった守備地放棄、後退などの部隊行動の責任を取り、複雑な心
境で自決した人が数人あった。そのような運命に第一線部隊を追い込んだ責任は、
勿論関東軍司令官以下若干名の幕僚にも大いにある。しかし更に大きな責任は、中
央部の不徹底な統帥にあったと思う」と述懐している。

しかし、果たしてその中央部は「世界中に目を配って」いたのであろうか?「支
那」しか眼中になかったのではないか?

中央部はこの事件の重大さに気づき研究委員会を設置し各項目別に研究するが、
その報告内容はわが火力戦能力の飛躍的向上を強調したほかに、「ソ連軍の優勢な火
力に対しては勝ちを制する要道は奇襲戦法にある」と断定しただけで終わっている。
井本氏は「これは日本陸軍は到底火力装備においてソ連を凌駕することは不可能
である」との前提に立った案かもしれないが、「ノモンハンの反省は、中央部首脳自
ら深刻に行わなければならなかった。それが出来なかったことが残念」であると締
めくくる。

勿論、軍の装備改善は当然の帰結であったろう。しかし戦勝を目的とする以上、
戦備の能力向上を目指すべき軍中央部が、当初から「不可能」と決め付けて報告案
を書くが如きは言語道断ではなかったか?

現代自衛隊に於いても、予算制限が余りにも強固なので、当初から不可能と決め
付ける「性癖」が気になったものだが、「軍国主義」時代も同様であったとは興味深
い。とまれこのノモンハン事件は、統率と装備に関する研究は実施されたものの、
世界戦略的観点、つまり、ソ連の極東における「開戦目的」の分析、それに伴う中
国軍との連携、並びに緊迫する欧州方面に対するソ連の対応に関する注目度が低い
事が伺われ、中央部を含めて当時の陸軍全体が情報戦、謀略戦に如何に「無関心」
であったことを示しているように思われてならない。      (続く)
         
佐藤守:
防衛大航空工学科卒(第7期生)。
航空自衛隊に入隊
戦闘機パイロット(総飛行時間3800時間).
外務省国連局軍縮室に出向。三沢・松島基地司令、
南西航空混成団司令(沖縄)を歴任.平成9年退官.
岡崎研究所特別研究員.軍事評論家.
日本文化チャンネル「桜」軍事コメンテーター.
著書に「国際軍事関係論」
ブログ;http://d.hatena.ne.jp/satoumamoru/(人気沸騰中)
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2.奥山篤信コーナー
 映画『モディリアーニ 〜真実の愛〜』とジャポニズム
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『第一次世界大戦後の1919年パリ、モンパルナス。カフェ“ラ・ロトンド”は新進
気鋭の画家、小説家、詩人、そして彼らを取り巻く女たちで毎夜にぎわっていた。
そこには成功者のピカソと、異端児モディリアーニの姿もあった。互いにライバル
心を剥きだしにする二人だったが、ついにあるコンテストで対決することになる。
モディリアーニは最愛の妻・ジャンヌをモデルに画を描き始めるが、酒と薬に溺れ
た長い日々は、彼の体を静かに蝕んでいた・・・。
アンディ・ガルシアが悲劇の天才画家モディリアーニに扮し、画学生だった若きジ
ャンヌとの激しい恋と、宿命のライバル・ピカソとの対決を描いた作品。20世紀初
頭のパリといえば、世界中から芸術家が集まっていた黄金時代。本作品にもスーチ
ン、ユトリロ、キスリング、コクトーと、美術ファンなら思わず興奮してしまう顔
ぶれが続々と登場する。もちろんフィクションのエピソードもあるが、見事に再現
された往時の自由な雰囲気は一見の価値あり。そんな熱に浮かれたような華やかさ
の裏で、転落の一途をたどるモディリアーニのみじめさが際立つ。ジャンヌ役のエ
ルザ・ジルベルスタイン、ピカソの妻・オルガ役のエヴァ・ヘルツィゴヴァの、ま
るで肖像画から抜け出たような美しさも印象深い。』 (Gooより引用)

モディリアーニの描く長い首の上下にデフォルメされた肖像画、その表情にモディ
リアーニとその写体のすべての心の奥底の表情が描かれている、そして美しい色調
は現代に通じる斬新性があり、かって僕を虜にしたものだ。このモデルで20点以上
描いた女性が、このジャンヌであり、まさに悲劇の愛としてこの映画で語られてい
る。でも正直なところ、この映画の趣旨である永遠の愛など、あまり僕の心の琴線
には響かなかった。何故かと考えれば、かかるモンパルナスという場所的にも、時
代的にも典型的良きパリを描くには、台詞は当然仏蘭西語を語ってしかるべきもの
が、英語で語られているという致命的というべき欠陥のせいだと思う。純粋日本を
描く映画が韓国語で語られることを思い浮かべて貰いたい。それにあのパリのかも
し出す演出力がない一方、吐き気を催すほどリアルに喀血の血を映し出す手法はや
はり監督の目イギリス人のものであって、フランスの世界ではないと思った次第。
これは民族性の差であろう。勿論この監督『ナインハーフ2』などで、それなりに
耽美的な性の世界を描く美意識はあったと記憶しているのだが、これは仏蘭西とは
噛み合わない美意識の世界なのだろう。

モディリアーニはユダヤ系イタリア人であり、知的な家庭に育ち、それなりに教養
のある画家だったらしい。彼に影響を与えた三人の女性は、最初がイギリス人ジャ
ーナリストで詩人のベアトリス、二人目が友人の妻ルニアで、三人目が反ユダヤに
凝り固まった差別主義者の家庭の娘で画学生のジャンヌ。それぞれの肖像画は初期
の行きずりの娼婦やモデルを描いた女性肖像画が明るいが平坦であったものから、
この三人の肖像画を描くようになってからは、確かに知性や意思がにじみ出ている。
蛇足だがジェラールフィリップやアンディガルシアが扮するだけあって、性格破綻
者だが、だからこそ一方で母性本能をくすぐる男だったに違いない。

エコールドパリといわれる、第一次大戦から第二次大戦までの1920年ごろのモンパ
ルナスやモンマルトルには、スーチン、コクトー、ピカソ、キスリング、ユトリロ、
シャガール、藤田など異邦人も混ざり毎晩のように酒を飲み芸術を語りあかした、
まさにパリの芸術の黄金期ともいえる時代だ。この映画でも和服で騒ぐ乱痴気パー
ティの場面がある。藤田が出てこなかったのは残念だが、最後に読者のためにジャ
ポニズムにふれておく必要があろう。

1867年ナポレオン3世がフランスの威信をかけてパリ万博を開催した。日本が正式
に参加した最初の万博である。徳川幕府、佐賀藩、薩摩藩それぞれがパリ万博に出
品している。このパリ万博に、陶器、漆器、金細工、浮世絵、家具製品などを出品
したが、日本の伝統技術を駆使した工芸・美術品は、欧米の人達を魅了し、既に芽
生え始めていた「ジャポニズム」は大いに盛り上がった。モディリアーニも例外で
はなく、僕はとりわけ浮世絵喜多川歌麿の強い影響をみる。ゴッホ、モネ、ロート
レック、セザンヌなど印象派の画家が浮世絵など日本絵画に傾倒し、自らの画法を
築いていった基礎にジャポニズムがあることを、今一度私たち日本人は誇りにすべ
きではないだろうか。

奥山篤信:
昭和45年京都大学工学部建築学科卒
昭和47年東京大学経済学部卒
三菱商事本社入社
一貫して海外畑 
6年余にわたる米国三菱ニューヨーク本店勤務を経て
平成12年退社 
コンサルタント会社ストラテジーズ設立 
勉強会『平河サロン』主宰
平河総合戦略研究所代表理事
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3.松永太郎コーナー
 クレタの日記(2)
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 イギリスの混成旅団がアレクサンドリアに向けて撤退したあと、クレタは完全に
ドイツ軍に占領された。
 「花束を持って迎えられるであろう」という情報部の予測を信じていたドイツ軍
将兵は、農民たちの思い
がけない抵抗に出会い、報復の決意を固めていた。ある村では、15歳の少年二人
が、ドイツ兵を殺したが、ドイツ軍将校は、少年の居場所を明かさなければ、村の
男性すべてを銃殺する、と脅迫した。驚くべきことに、このとき村人は、もちろん
少年の居場所を知っている女性も含めて、一人も裏切らなかった(もっとも裏切れ
ば、いずれは命がないだろうが)。男性全員が広場に集められ、まさに処刑が開始
されんとするとき、丘の上から、この様子を見ていた少年が耐え切れずに駆け下り
て、投降した。しかしほかの村では、実際に集団処刑は何度も行われたようである。
 はじめは、散発的な抵抗を行っていたクレタ人たちは、ただちに組織的な抵抗に
移った。今も写真に残っている当時の組織の首領たちの、気迫に満ち溢れた表情は、
はるかにオスマン・トルコの時代を思わせるものがある。もともとクレタに限らず、
ギリシャには「クレフティス」の伝統があった。「クレフティス」とは、オスマン・
トルコに抵抗した匪賊であり、各地でそのような匪賊たちが暗躍していた。ギリシ
ャの詩や民謡の多くが、この「クレフティス」の物語を唄っている。
 一方、イギリスには、ロマン派の詩人バイロン以来、このような組織を支援する
ギリシャひいきの男たちがいる。英軍の撤退後、このバイロンの再来のような連中
が、次々に潜水艦から、夜陰に乗じてクレタの南側の海岸に上陸していた。
 彼らは、「特殊作戦執行部(SOE)」の要員たちであった。SOEは、「ヨー
ロッパを燃え上がらせろ」(Set Europe ablaze)というチャーチルの指令のもとに、
各地のレジスタンスを支援すべく結成された秘密組織である。ほかの土地、とりわ
けフランスなどでは、より大きな戦略目的のための「捨て駒」にされることが多か
ったが、ここクレタでは、あたかも「紅はこべ」や「ロビン・フッド」のような冒
険物語が、葡萄酒色の海とつねに雪を頂く山々を背景に、島の人々とSOE要員の
あいだで織り成されたのである。
 その主役の一人が、「クレタの伝令」(Cretan Runner)を書いたジョルジュ・サ
イコウンダーキスである。筆者は、クレタにいたとき、この本(ペンギン文庫)を
読み、「巻、おくあたわざる」思いで、一晩で読んでしまった。サイコウンダーキ
スは「単なる羊飼い」であった。しかし、彼は、ほかの多くのクレタ人同様、2時
間は平気で詩を朗誦することができた。後に彼は「オデッセイ」、ついで「イーリ
アス」を全篇、クレタ方言に直す、という荒業をやってのけ、アテネ学術院から高
く評価され、賞を受けている。「クレタには頭でっかちの、いわゆる知識人はいな
い。しかしクレタの人々の知性は、おそろしく高い」とSOE要員で、詩人のパト
リック・リー・ファーマーは報告している。
 
次回はこのパトリック・リー・ファーやザン・アレクサンダーなど詩人や考古学
者上がりの工作員たちとサイコウンダーキスの冒険に触れてみたい。

松永 太郎;
東京都出身 
翻訳家、多摩美術大学講師、レモン画翠社長
主訳書「進化の構造」「イカロスの飛行」他。
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4.花岡信昭コーナー
 郵政法案は成立する
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 永田町、霞が関を中心とした政治の中枢では、郵政民営化法案はどうなるのか、
衆院解散か、の一点に関心が絞られている。誰に会っても、あんたはどう思うか、
と聞かれる。こちらも政治評論をなりわいとしている以上、それなりの見通しを示
さなくてはならない。

 成立か、廃案か―と聞かれたら、「まず間違いなく成立する」と答えることにして
いる。これが政治記者30年の蓄積を踏まえた直感なのだから、仕方がない。もし、
この見通しが間違っていたら、55年体制時代の政治記者修行の感覚では、いまの政
治展開を見通せなくなっているのだとあきらめる以外にない。

 なぜ成立間違いなしと読むか。その理由を考えると、以下の3点に集約される。

 ?「参院議員が衆院議員のクビを取ることはできない」。衆院では曲がりなりにも
可決したのである。小泉首相は廃案なら衆院解散だと言明している。衆院を通過し
た法案を参院側の判断で否決し、その結果、解散―衆院総選挙という事態を招くよ
うなことは、参院議員の「モラル」からしてもできない。いうまでもなく参院には
解散はないのであって、自分たちだけ身分は安定していながら、衆院議員に過酷な
総選挙を押し付けるようなまねはできない。

?「5票差ショックがガス抜きになった」。衆院ではわずか5票差というきわどい結
果であった。これによって、反対派議員にとっては、ここまでやったんだというあ
る種のカタルシス効果を生んだ。関連団体に対する面目も立った。衆院段階でかな
りの修正が行われたから、もう法案の中身についての議論は食傷気味である。要は
自民党の反対者を18人未満に抑えこめばいい。そこは名うての青木幹雄議員会長
がいる。個別撃破はお手のものだ。

 ?「法案の行方よりもポスト小泉の攻防戦に発展している」。となると、ポスト小
泉を狙う「中2階組」らにとって、どういう展開が望ましいのか。衆院解散―総選
挙―自民大敗―民主党政権誕生では、元も子もない。廃案の場合、小泉首相に解散
ではなく内閣総辞職を選択させる圧力をかけられるのか。そこがポイントである。
小泉首相が気力を失い、政権の座を投げ出すのなら「中2階組」の出番が出てくる。
だが、現段階ではとてもそういう可能性は望み薄である。

 こういったところが、成立必至とみる背景である。こうした状況を大転換させる
のは、衆院の造反組51人を中心に「新党樹立」といったダイナミックな展開にな
ったときだ。そうなれば、ポスト小泉どころか政界大再編につながる。そういう思
い切り興奮させる政局を見たい思いはヤマヤマだが、現実政治は絵に描いたような
具合には動かない。

花岡信昭:
政治ジャーナリスト、慶應義塾大学院・国士舘大学院非常勤講師、
読売新聞監査委員会審査委員。
1969年早大政経学部政治学科卒、
産経新聞入社、政治部長、論説副委員長などを経て2002年退社、評論活動に入る。
著書に「小泉純一郎は日本を救えるか」(PHP)など
サイト:http://www.hanasan.net/
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5.西山 弘道
「僕自身のための広告」
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 私はこの秋、文化放送を定年退職する。入社以来、報道部一筋、30数年の記者
人生に一応ピリオドを打つ。私が携わってきたのはラジオニュースであった。テレ
ビニュースにとって映像が欠かせないように、ラジオニュースにとっては「音」が
命である。ラジオニュースの原稿に「音」をはさみ込む、いわゆる録音ニュースの
スタイルをわが文化放送のニュースはずっとキープしてきた。今も「音」にこだわ
る伝統は受け継いでいる。
 これまで文化放送の報道活動の中で、そうした「音」によるスクープもいくつか
ものにしてきた。例えば古くは、昭和38年の「吉展ちゃん誘拐殺人事件」での犯
人の独占インタビュー、45年の「三島由紀夫事件」での三島・最後の演説の完全
収録、同じ年の「よど号事件」での田宮高麿の決起演説等々・・・。文化放送のア
ーカイブにはそれらの貴重なスクープ音、重要ニュースの「音声」が詰まっている。

 今年は戦後60年、またラジオ放送が始まってちょうど80年を迎える。その節
目の年に、たまたま私が60才の定年を迎えるということで、今年初め新潮社から
話があり、私をナビゲーターにした、戦後のラジオニュースをふりかえる出版企画
がスタートした。文化放送が開局した昭和27年以降の半世紀にわたる取材音をア
ーカイブからピックアップし、CDに収録するとともに、その「音」を解説した本
を出版するというものである。このCDブックのタイトルは「スクープ音声が伝え
た戦後ニッポン」。72分のCDには昭和33年の「赤線が消えた日」から、平成
9年の「神戸児童連続殺傷事件」まで、33アイテムが収録されており、私がそれ
ぞれに解説ナレーションを行っている。また本の方にも、私の取材回想記を全編、
付け加えている。定価は2940円(税込み)、7月29日に発売される。

 手前味噌になりますが、「おやっこんな音があったのか」という貴重な音も入って
おり、戦後60年目の節目の今年、改めて戦後の昭和をふりかえる意味でも、重宝
な資料となると思っています。以上、今回は貴重なメルマガ誌上を借りて、「僕自身
のための広告」をさせてもらいました。

西山弘道:
昭和44年早稲田大学政治経済学部卒業後、
文化放送入社以来、放送記者として30余年、
ニュースの現場を踏む。
平成5年報道部長。兼ニュースキャスターとして
「西山弘道の世の中朝一番」なfどの番組で活躍。
また政治記者として、田中内閣以降の「永田町戦国史」
をウォッチ。
現在、文化放送編成局次長。

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6.有馬尉彰コーナー  
  電波政策の意味と役割
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 7月21日付けの日経新聞の一面トップには、地上波デジタル放送の情報信号を光
回線(光ファイバーケーブル)によって配信する(伝送する)ことが承認されるこ
とが、29日に予定されている総務省情報通信審議会で決定する旨が報じられている。
旧郵政省時代から、時間をかけて準備されてきた放送と通信の融合(筆者は
integrationを当てはめている)がいよいよ決定的なときを迎えるということである。

 放送と通信の融合といわれるが、実際のところは、「放送」の「通信」という先祖
への“先祖がえり”ということが正しいと思う。無線から出発したいわゆる「ラジ
オ放送」が始まったのは1920年11月2日の米国大統領選挙の開票日といわれてい
る。この時、ピッツバーグの放送局(?)が時の商務長官から、KDKAというコ
ールサインをもらい、いわゆる定時放送を始めたといわれている。しかし、実際に
は、不定期的に電波を発信していた局は他にも無数あったらしい。いずれにしろ、
この時点から、放送は無線から独立してマスメデイアとしての道を歩き始め、以来
80数年を経て再び通信との融合が始まろうとしている。

 1920年代に相次いで放送事業を開始している、イギリス、ドイツ、イタリア、フ
ランス、そして日本などと比較すれば、米国の放送事業は、一つの点が極めて特徴
的である。ほかの国が、ほとんど国家事業として放送を始めたのに対し、米国にお
いては、市民、民間企業がいわば入り乱れて放送事業を立ち上げ、以来今日にいた
るまで、常に電波は、民間の側にあったということである。

 日本の場合、戦前、電波(電磁波の周波数帯域)は国家の貴重な資源として、ご
く特別の例外を除き、国もしくは地方公共団体以外は利用することは出来なかった。
それが、民間に開放されることになったのは1950年の電波法の制定による。この
日、6月1日が以来電波の日とされ、情報通信関連の様々な行事が毎年開催されて
いる。この電波法により、民間ラジオ放送が始まり、いずれ、それが、テレビ放送
へと発展してきた。しかし、全体としては圧倒的に公的セクターの電波利用が多か
ったといえるであろう。

 しかし、こうした戦前からの流れに大きな変化を与えるきっかけが起きることと
なった。1985年のNTTの民営化である。もちろん、それまでは、電信電話公社と
して国営されていたのである。電波利用の主体であるNTTの民営化に伴い、電波
利用そのものも民間利用されることとなったのである。

 1950年の変革が電波利用の第一期とすれば、1985年のNTT民営化は、第二期、
そして、いよいよ、その第三期が来年2006年を境にして始まることになるである。
その意味で7月21日の情報通信審議会の決定は予定されてきた変革のプレリュー
ドということが言えるであろう。第一期の変革では電波がマスメデイアの誕生に多
いに寄与し、工業社会のサブシステムとして発展したラジオ、テレビ産業の勃興を
進めた。彼ら民間放送局は日本の工業社会による経済の成長と日本の戦後の民主化、
中流化に多大な貢献を果たしたといえるであろう。

 第二期は、本格的に電波が、経済社会の基本となる資源として認識され、その利
用が実現した時代である。人類の夢は、太古の昔から、一対一の自由で限りないコ
ミュニケーションの実現であり続けてきたと思う。この時代に我々は、コードレス
電話に始まり、ヒモから解き放たれた自由を手に入れてきた。ケイタイ、PHS、
そして屋内無線LANへと発展してきた。第二期は、28Kbpsという電話の今と
なっては限りなく遅い速度からの開放の始まりでもあった。

 政府は、まず、長い時間をかけてネットワークの光化に取り組んできた。日本の
光化の現状は間違いなく世界最先端にある。この光の潜在力がこれから何を生み出
すか誰もわかっていない。“もっと光を”といったベートーベンの臨終の言葉を彷彿
とするまでもなく、光は電磁波としてのエネルギーを限りなく発揮してくることに
なるであろう。

 第三期には、おそらく限りなく広い帯域をもった光ファイバと、無線のブロード
バンドがシームレスに連続した、まったく新しい環境が実現してくるであろう。そ
れを支える技術は、IPv6という日本が先導しているインターネットの新しい技術と
2006年より始まる電波の開放政策である。現在のところ、米国は軍事目的に縛られ
て電波の開放の目途が立っていない。日本だけがいち早く、新しいコミュニケーシ
ョン社会にはいる準備が整ってきたのである。その準備とは、一つにネットワーク
の光化であり、さらには、放送のデジタル化であったのである。この大テーマにと
りあえず目途をつけ、日本は、電波の大解放に臨もうとしているのである。
                       2005/07/21
有馬 尉彰;
昭和41年学習院大学経済学部卒業 
東急電鉄勤務を経てi-HITS副社長など歴任 
インターネットイニシアテイブ(IIJ)顧問他 政府関係委員多数 
立教大学大学院講師 武蔵工業大学講師 前慶応義塾大講師など 
著書に「マルチメデイアオムニバス」(東洋経済新報社)他 
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7.山崎行太郎コーナー  
  「供給側の経済学」か「需要側の経済学」か、では問題の本質は見えてこない。
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経済学者、経済ジャーナリスト、エコノミストとか称する人達の書くものを読んで
いて不思議なのは、彼らが現象論や現状分析、未来予測ばかりやっていて、その理
論や分析の土台になっているはずの理論や原理の宝庫である原理論や古典論を決し
てやらないことである。具体的に言えば、ケインズやマルクスは当然のことだが、
アダム・スミス、リカード、ミル…等にほとんど言及しないことである。これは文
学や哲学、あるいは政治学などの分野の学者や思想家たちの書くものと決定的に異
なっている点である。

私の専門分野である、文学や哲学は当然のことだが、常に古典からの引用や古典へ
の言及が欠かせない。たとえば、哲学の場合、ソクラテスやプラトンまではともか
くとして、デカルトやカント、ヘーゲル、マルクス、あるいはニーチェやフロイト
などに言及せずに哲学を語ることは不可能だろう。シェイクスピアやゲーテ、ある
いはフローベールやドストエフスキーなどを完全に無視して文学論を展開する文学
者はいない。新理論や新思想の虜になってそれらを売り出そうとする人でも、必ず
古典や原典への言及は欠かせない。それがしばしば正統性の根拠となるからである。
むろんそれは文学や哲学だけのことではない。政治学や社会学の分野でおそらくま
ともな学者や思想家ならそうだろう。

しかし経済学の分野だけはそうではない。なぜ、経済学者、経済ジャーナリスト、
エコノミストとか称する人達は、古典や原典を隠し、情勢論や現状分析だけでお茶
をにごして済ますのだろうか。なぜ、彼らの書いたものにケインズやマルクスはい
うまでもなく、アダム・スミスやシュンペーターなどへの言及が欠如しているのか。
最近の経済学者やエコノミストたちの書くものの多くが、古典からの受け売りや古
典からのパクリであるにもかかわらず。古典や先人の学者達に言及すると、自分た
ちの仕事や商売のインチキさ暴露されて、商品価値が下がり、営業活動が成り立た
なくなるとでも考えているのだろうか。

たぶん、そうだろうと私は思う。今、経済学関係の本が無数に書かれ、本屋の店頭
をにぎわせている理由はおそらくそこにある。しかし、こういう状況は、少なくと
もマルクス主義が延命していた時代まではそうではなかった。それまでは、ほとん
どの経済学者やエコノミストは古典や原典に常に言及していたはずである。私の考
えでは、それまでは経済学は、学問として健全であったと思う。絶えず「原理から」
「基本から」「原点から」…問い直すという原理論的、哲学的作業を余儀なくされて
いたからである。

たとえば、最近の経済学のテーマは、「供給側の経済学」か「需要側の経済学」か、
という点に集約できる。現に構造改革をめぐる経済学的議論の対立はここから始ま
っている。しかし、原理論や古典論が欠如しているために、「供給側の経済学」か
「需要側の経済学」かという議論もいつまでも平行線をたどるだけで何の進展も見
られない。「供給側の経済学」か「需要側の経済学」かという問題を「二項対立」と
して設定しているからである。これは二項対立する問題ではない。むしろ、現象論
と原理論の問題である。ある意味ではこの議論は両立するのである。どちらかを選
択するという問題ではない。つまり情勢分析にかかわる問題と原理論にかかわる問
題との位相の違う問題なのである。それがわからないのは、ケインズやマルクスを
無視して議論しているからである。

アダム・スミスは『国富論』でこう言っている。《分業は、人間の本性に潜む交換
という性向から生じる。》《分業は労働の生産力を増進させる最大の原因である。》
アダム・スミスが提起したこの「分業」「交換」「労働」「生産」という言葉に驚
いて、そこに立ち止まったことのない経済学者やエコノミストには、経済を語る資
格も才能もセンスないと言うべきである。そしてこれらの問題には、「問い」はある
が「答え」はないのである。しかし、昨今の経済学者、経済ジャーナリスト、エコ
ノミストとか称する人達の書くものには浅薄な「答え」だけが氾濫している。
(『マルクスとケインズの共通性と差異性』続く)

山崎行太郎;
文藝評論家
昭和47年慶応義塾大学大学院(哲学専攻)修了
東京工業大学講師を経て現在、埼玉大学講師、
日大芸術学部講師。
著書『小林秀雄とベルグソン』(彩流社)『小説三島由紀夫事件』(四谷ラウンド)
その他。
http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/
http://yamazakikoutarou.gooside.com/
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8.桜井裕子(寄稿)  
  パール博士顕彰碑建立に寄せて「日本よ、独立を回復せよ」(下)
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〈若き心を喚起した日露戦争での日本の勝利〉
 法の正義を縦糸に、自身の弛みない研鑽と見識を横糸として、敢然と復讐裁判に
異議を唱え、一分の隙もない浩瀚なる判決文を書き上げたラダ・ビノード・パール
博士ですが、その博士を法律の道に導いたのは母であり、極東国際軍事裁判での判
事としての務めを全うせしめたのは妻の愛でした。

 パール博士は、1886年1月27日、インド・ベンガル州ノディア県に生まれます。
 博士が19歳(1905年)のとき、日本が大国・ロシアと戦い勝利を収めたという
知らせがインドにもたらされます。この時のことを、博士はこう回顧しています。
「同じ有色人種である日本が、北方の強大なる白人帝国主義ロシアと戦って、つい
に勝利を得たという報道は、われわれの心をゆさぶった。私たちは、白人の目の前
をわざと胸を張って歩いた。先生や同僚とともに、毎日のように旗行列や提灯行列
に参加したことを記憶している。私は日本に対する憧憬と、祖国に対する自信を同
時に獲得し、わななくような思いに胸いっぱいであった。私はインドの独立につい
て思いをいたすようになった」
 まさしく100年前の日露戦争における日本の勝利は、アジアの有色人種にとって
独立への希望の灯となりました。当時15歳だったジャワハルラール・ネール(イ
ンド独立時の首相)も、一家でイギリスを旅行中に日本勝利の報に接し、「インドだ
ってイギリスから独立できる」と興奮したと記しています。

〈インドを救う立派な法律家となれ〉
 博士が3歳のとき、父親が亡くなり、一家は貧困の中にありました。しかし氏の
たゆまぬ努力と母親の強固な意志により、奨学金を受けることで上級校への進学が
可能になります。
 中学校で抜群の優秀さをあらわした氏は、カルカッタ大学でも首席を通し、同大
卒業と同時に州政府の大学に進学。1907年には、理学士の試験に合格し、数学賞を
受け、翌年、理学修士の学位を取得します。パール博士の学問の出発点は、数学で
した。

 しかし、若き博士と母の願いは、法律家になることにありました。
 イギリスの植民地だったインドでは、白人と同じ立場で発言できるのは法律家だ
けでした。祖国インドへの強い愛国心を胸に秘めた博士の母は、「インドをイギリス
帝国の手から奪い返すためにも、この息子を立派な法律家にしよう」という信念に
燃えていました。
 当時、インド・カルカッタ高等法院には国民的衆望を集めたグノルダース・バン
ドバッチャ判事がいました。母は、博士に、「つねに虐げられたものの味方であれ。
インド民衆の救世主になりなさい」と鼓舞していました。
息子から、「僕はバンドバッチャ裁判長のように立派になれますか」と問われる
と、母は、「なれますとも。お前の背丈が人並み優れて高いように、お前の精神も高
いのです。お前のことは私が一番知っていますから」と励まし続けました。

 博士は1911年カルカッタ大学法学部を卒業し、ベンガル州アンナダモハン大学
数学教授となって、大学から月250ルピーを得るようになると、母親は家族を連れ
て田舎に戻ります。博士が学究生活に没頭できるように、との配慮からでした。博
士の大成を願った母は、1917年12月、この世を去ります。

〈毅然とした夫人の支えで判事の職務をまっとう〉
 博士は、1920年法学修士の試験に合格し、23年法学博士となって同年から13
年間、カルカッタ大学タゴール教授を務めます。インドにおける最高の名誉と権威
ある地位でした。37年には、ハーグ国際法学会議長団のメンバーになります。
 そしてついに、1941年1月、55歳にしてカルカッタ高等法院の判事に就任しま
す。母とともに、若きときに心に決めた目標がかなえられた瞬間でした。
 その後、カルカッタ大学副総長を務めますが、46(昭和21)年5月ネール首相
の懇請を受けて極東国際軍事裁判(東京裁判)の判事に就任します。その後、膨大
な資料に当たりながら、判決文の執筆に没頭する様子は、先回、述べたとおりです。
法廷では、パール判事は着席に際して、必ず被告席に向かって敬虔なる合掌をす
ることが、被告人たちにとっての心の慰めであり深い感動を与えるものでした。

 東京裁判の法廷も結審に近づいた48(昭和23)年8月、博士のもとに娘から一
通の電報が届きました。それは母亡き後、博士の学究生活を陰で支えた夫人の危篤
を知らせるものでした。
 急遽、帰国した博士に向かって夫人は、苦しい息のもと毅然とこう語ります。
「娘が勝手に電報をさしあげたそうで、すみません。貴方がせっかくお帰りくださ
ったことは嬉しゅうございますが、しかし、貴方は今、日本の運命を裁こうという
大切なお体です。聞けば、その判決文の執筆に寸暇もないそうですね。貴方がこの
大切な使命を果たされるまでは、私は決して死にません。どうぞご安心くださって、
すぐ日本にお帰りください」
 妻の毅然とした言葉に、博士は頷きます。
「日本は美しい国だ。人情も風景も美しい。裁判が終わったら一緒に日本へ行こう。
それまでに早くよくなっておくれ」と語りかけ、祈るような思いで踵を返して日本
に戻ります。

 同年11月、博士は裁判を終えてインドに帰国します。夫人の病状はさらに悪化
していましたが、かねての約束どおりに博士の帰りを待っていました。そして博士
に看取られて、5カ月後に息を引き取ります。

〈日本よ、真の独立を、民族の誇りを回復せよ〉
 博士は、52(昭和27)年10月26日から一月あまり、日本各地を訪れます。日
本が講和条約に調印して独立を回復してから半年後のことでした。
 この時の博士の言葉は、峻烈を極め、日本の真の独立と覚醒を願うものでした。
羽田空港に降り立った博士は、開口一番、「勝ったがゆえに正義で、負けたがゆえに
罪悪であるというなら、もはやそこには正義も法律も真理もない。力による暴力の
優劣だけがすべてを決定する社会に、信頼も平和もあろうはずがない。われわれは
何よりもまず、この失われた法の真理を奪い返さねばならない」と語りました。

 また、帝国ホテルで開かれた博士の歓迎レセプションでは、「私が日本に同情ある
判決を下したというのは大きな誤解である。真実を真実として認め、法の真理を適
用したまでである。それ以上のものでも、それ以下のものでもない。誤解しないで
いただきたい」と前置きしたうえで、東京やニュルンベルク裁判が正当か否かの論
争が世界の法学者の間で展開されていることに触れて、「しかるに直接の被害国であ
り、現に同胞が戦犯として牢獄に苦悶している日本において、この重大な国際問題
にそっぽを向いているのはどうしたことか。なぜ進んでこの論争に加わらないのか。
なぜ堂々と国際正義を樹立しようとしないのか」と憤慨されました。

 さらに「日本の外務省は、わざわざご丁寧に英文パンフレットまで出して、日本
の罪悪を謝罪し、極東軍事裁判のお礼まで述べている。東洋的謙譲の美徳も、ここ
までくると情けなくなる。なぜ正しいことは正しいと言えないのか。間違っている
ことをどうして間違っていると指摘できないのか」と慨嘆されました。

 当時、まだ巣鴨刑務所にはA級戦犯とB・C級戦犯合わせて130人ほどが留置さ
れていました。博士は、巣鴨刑務所を慰問され、A級戦犯として処刑された遺族に
も、一人一人面会され励まされました。
 また広島の原爆慰霊碑に献花して黙祷し、その碑文(「過ちは繰り返しませぬか
ら」)に疑義を呈してから、同行した田中正明氏に「東京裁判で何もかも日本が悪か
ったとする戦時宣伝のデマゴーグが、これほどまでに日本人の魂を奪ってしまった
とは思わなかった。東京裁判の影響は、原子爆弾の被害よりも甚大だ」と漏らした
といいます。

 博士は、その後も国際法の権威として世界を舞台に活躍され、1960(昭和35)
年には、インド最高の栄誉であるPADHMA PRI勲章を、66(昭和41)年に
は清瀬一郎・岸信介両氏の招請により来日され、勲一等瑞宝章を受章され、翌年1
月10日、カルカッタにて逝去されます。享年82歳でした。

 最後に、博士が、東京の弁護士会で講演されたメッセージをご紹介します。その
一言一言が、私たちの胸に重く響いてまいります。
「日本人は、この裁判の正体を正しく批判し、彼らの戦時謀略にごまかされては
ならぬ。日本が過去の戦争において、国際法上の罪を犯したという錯覚に陥ること
は、民族自尊の精神を失うものである。自尊心と自国の名誉と誇りを失った民族は、
強大国に迎合する卑屈なる植民地民族に転落する。日本人よ!日本は連合国から与
えられた《戦犯》の観念を頭から一掃せよ」


桜井 裕子: 慶應義塾大学文学部英文科卒業。PHP研究所、PHP
エディターズグループ勤務を経て、フリーに。主に書籍のプロデュースや
執筆・制作を手がける。
最近の作品は『新・国民の油断』(PHP研究所、西尾幹二・八木秀次)、
『この国を守る決意』(扶桑社、安倍晋三・岡崎久彦)など。

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