日本再生のための政治・経済・文化などの発展・再構築を目的とし、メールマガジンの配信を行う
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- 創刊日:2005-02-04
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甦れ美しい日本 第016号
発行日: 2005/6/3□□■平河総合戦略研究所メルマガ■□□(2005年6月4日 NO.016号)
☆☆ 私たちは書きたいから書くのです ☆☆
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< 目次 >
1.佐藤守コーナー 「大東亜戦争の真実を求めて」その13
2.奥山篤信コーナー 映画『ミリオンダラー・ベイビー』とアメリカ社会
3.西山弘道コーナー 「戦艦大和、そして臼淵大尉」
4.花岡信昭コーナー 民主党はライトウイングを狙え
5.有馬尉彰コーナー 日本のケーブルテレビ事業を取り巻く事業環境と変化 ?
=米国通信会社2強時代の次にくるもの=
6.山崎行太郎コーナー ルーカスの「ルーカス批判」に≪哲学≫ありや・・・
7.桜井裕子(寄稿) 宣戦前に一国の戦勝は決まる(下)
☆クライン孝子さまはドイツにて日本の名誉を守るべく欧州に様々な形で働きかけております。
不当な中国や朝鮮半島の反日攻勢に対し反撃しない情けない状況においてクライン孝子さまの存在は貴重であります。彼女のブログには理不尽な中国に対する憤怒の思いが篭っております。
http://www2.diary.ne.jp/user/119209/☆
☆歴史も勉強していない政治家、ビジネスマン、外交官が多すぎます。だから誇りも怒りも感じない民族に成り下がったのです。
その意味で日本民族の偉大な歴史をもっと見て欲しいという気持ちで、
西山弘道と桜井裕子両氏がそれぞれ訴えています。☆
☆青葉ひかるのニコニコプラン2525計画推進協議会に賛同を!
http://www.2525plan.jp/ ☆
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1.佐藤守コーナー
「大東亜戦争の真実を求めて」 その13
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我国が何故大東亜戦争に突入したのか?というテーマに挑み、前回までは帝国海
軍の例を挙げて大雑把な分析を試みた。その結果、
? 国際情勢の成り行き上対米開戦に踏み切らざるを得なかったが、第一撃で壊滅
的打撃を与え米国民に厭戦気分を醸成し講和に持っていこうと考えた。
? しかし、真珠湾攻撃が外交上の大失敗から「卑怯なだまし討ち」になったため、
米国民の『厭戦気分』を醸成するという期待は裏切られ、逆に米国民に『反日
感情』を植えつける結果になった。
? 当然のことながら我国の戦争準備の不備は覆いがたく、緒戦の成功ともあいま
って、戦力増強を推進しなかったツケが特攻隊という悲劇を生んだ。
これは、帝国海軍はやはり「対米戦争」を本気で想定していなかった上に、作戦計
画も『自分に都合の良い解釈』で成り立っていたことを示すものでなかったか?
そこで陸軍も同様に、何故「止むに止まれぬ、勝算の無い戦争に踏み切ったの
か?」という分析が必要になる。
ところが分析に入ろうとした矢先、戦後60年間もフィリピンのミンダナオ島で
「戦後」を戦い続けてきたわが将兵達の生存が確認されるという信じ難いニュースが、
平和ボケした日本国中を駆け抜けた。
5月27日付の産経新聞によると、昭和19年7月に北朝鮮からダバオに増援され
た第30師団の兵士だという。ジャングル内に「取り残された」これらわが将兵たち
は、反政府ゲリラ支配下の山岳地帯でゲリラと共に生活していたらしいが、高齢の
ため第一線を退くことになり、その時点で日本人としての血が騒ぎ、目的が生きる
事から帰国への願望に変化したらしいという。
時あたかも日露戦勝百周年に当たる。なんと言う奇遇であろうか。政府は迅速に
これら「勇敢なる将兵」の帰国事業を推進し、彼らの壮絶な戦いに終止符を打つ責任
がある。そこで、横井庄一軍曹、小野田寛郎少尉の生還から31年ぶりに判明した
今回のミンダナオ島生き残り将兵のドキュメントに刺激され、聊か逆順になるが大
東亜戦争の『結末』に関する所見をここで書いておくことにする。
終戦後、インドネシアに残留した2000名を超えるわが将兵たちがインドネシア
独立戦争に参加して、戦後再進駐してきたオランダ軍の復讐に会いながらも、つい
に独立を達成した話は有名であるが、残念なことに日本人は殆ど無知である。
私は当時の体験者の方々から、直接生々しい体験談を伺っているが、そこには「日
本人」の資質である、ひたむきで善良な愛情と情熱を感じる。
一方シナ大陸のわが軍は、終戦まで沿岸地帯を中心に大陸を占領していた。つま
り勝っていたのである。しかし太平洋戦域で米軍に惨敗したため天皇の詔勅により、
『やむなく』シナ軍の武装解除に応じたのであったが、大陸でも残留して国共内戦
に参加した将兵が8000人とも10000人いるとも言われている。うち3000人ほど
が解放軍(中共軍)に参加して中共政権成立に貢献しているのだが、その代表的なも
のに陸軍第4練成飛行隊、通称『林飛行隊』がある。
林飛行隊の場合は、昭和20年9月に瀋陽で八路軍に降伏したのだが、中共軍の
林彪、彭真、伍修權将軍らに空軍を創設するよう依頼される。従って林飛行隊は『抑
留』されたというべきであろうが、彼らは現在の中共空軍、中国航空界の発展に尽
力したのみならず共産政権樹立にも大きく寄与した。
中共空軍の軍人は流石にこの歴史を『認識』しているが、研究者の多くはこの事
実を知らない。いや、都合が悪いことは無視しているというべきか? 勿論わが国
民も殆ど知らない。
また、仏印(フランス領インドシナ)に駐留し無傷で終戦を迎えた南方総軍は、昭
和20年4月にベトナム、カンボジア、ラオスの3国を独立させた。そして終戦と
共に約9万の日本軍は北緯16度以南ではイギリス軍に、それ以北では中国軍に『武
装解除』される。その混乱に乗じてホーチミン率いるベトミンがベトナム民主共和
国の独立を宣言したが、再進駐してきたフランス軍に圧倒され劣勢に立たされてい
た。そしてここでも日本軍の中から「離脱」して独立戦争に参加した将兵が実に600
人(内民間人10人)も居たのである。
私は、『ベトコン』の戦法が余りにも帝国陸軍に似ていると感じていたし、独立戦
争に参加した日本兵がいたと聞いてはいたが、確証は得られなかった。
しかし、ベトナム戦争中にサイゴン支局長だった元朝日新聞編集委員・井川一久
氏が講演で、旧軍人達が人民軍総司令官ボー・グエン・ザップ将軍の側近や軍の重
要ポストについて指導、そして生き残りの松嶋春義元一等兵(1997年に日本で死去)
が、「あれは大東亜戦争の続きだった。ベトナム人を見殺しにして帰る気にはなれな
かった」と語ったと証言した。だとすれば、大東亜戦争は1945年8月15日に終わ
ったのではなく、1975年4月30日に「わが日本軍の完勝」で終わったというべき
ではないのか? 言い換えれば日本は『対米30年戦争』に勝ち、『アジアの植民地
解放』に成功したのだといっても過言ではないのではないか?
井川氏は近々この事実を著書にするそうだから大いに期待している。 (続く)
佐藤守:
防衛大航空工学科卒(第7期生)。
航空自衛隊に入隊
戦闘機パイロット(総飛行時間3800時間).
外務省国連局軍縮室に出向。三沢・松島基地司令、
南西航空混成団司令(沖縄)を歴任.平成9年退官.
岡崎研究所特別研究員.軍事評論家.
日本文化チャンネル「桜」軍事コメンテーター.
著書に「国際軍事関係論」
ブログ;http://d.hatena.ne.jp/satoumamoru/
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2.奥山篤信コーナー
映画『ミリオンダラー・ベイビー』とアメリカ社会
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『本年度アカデミー賞で作品賞・監督賞・主演女優賞・助演男優賞の主要4部門で
オスカーを勝ち取り、全世界メディアの注目を浴びた本作は、実の娘に縁を絶たれ
た初老のトレーナーと、家族の愛に恵まれない女性ボクサーのあいだに育まれる崇
高な絆の物語を、慈しむようなまなざしでみつめたラブストーリーです。ラスト30
分、とめどなく流れる涙を、誰も抑えることはできない、そんな心にしみわたるよ
うな感動を、見る者の胸に深く刻みつける珠玉の名編です。』
という能書きを見て上映を今か今かと楽しみにしていたもので、早速映画館に飛び
込みました。本年は例年になく秀作(RAY,アビエーターなど)が多く、激戦のなか
これだけのオスカーを受賞したこと誠に納得のいくものです。まずこの映画を監督
したクリント・イーストウッドのplaying managerぶりに感嘆するとともに、三人
の俳優の演技力が結晶され、映画そのものに観衆が、違和感なく心から共感を覚え
る調和があります。ヒラリー・スワンク、モルガン・フリーマンの素晴らしい演技
とクリントの渋く無口でいて雄弁な演技が、映画のストリーを美しく感動的に語っ
てくれました。
前半は、かってのロッキー的な娯楽要素を持たせつつ、最後は悲劇へのクライマッ
クスへと導いていく、そして現代のニナ・ロータとも言える出来栄えのクリント自
作のギターの哀しくも人間の美しさを物語るメロディが筋を引き立ています。場面
場面に細かな演技への配慮が、緻密に行渡っています。
ヒラリーが成功を収め、母親の為に家を買うのですが、これを喜んで貰えず、金で
貰う方が良かったと無下に言われる。ガソリンスタンドで、車の助手席に座り、折
角の母親への気持ちが受け入れられず、悲嘆に表情が曇る、ヒラリーを、車の外か
らフロントガラスを拭くクリントが、包容力にあふれた男の優しさのまなざしをガ
ラス越しに投げかけるシーンなど印象的でした。まさに一場面一場面が精魂を込め
て作られているのです。最後の30分は能書きの通り、嗚咽なしには見られません。
でも終わった後、こういう筋書きにつきものの沈痛な気持ちにはならないのは、矢
張り、この映画には絶望ではない、希望の光があること、そして人間を信じて信じ
きる肯定的人生観によるものでしょう。それに男の優しさとは、本来『無言』であ
るべきと思いますが、まさにクリントやフリーマンの『無言』の優しさを共有でき
るからでしょう。
さて世には反米を説く保守派が跳梁跋扈しています。それは反米のための反米とい
うものから、ヨーロッパに比較しての確かに歴史や文化伝統のない人工国家アメリ
カを侮る気持ちまで、色々動機があります。僕は、それはアメリカという国家の偉
大な側面を体感していないがゆえの偏見であると思っています。
僕自身アメリカに六年以上ビジネスマンとして住んだ経験などから、いつも感じる
のは、人種の坩堝であるがゆえに、機会の均等、競争原理、ルールなどの共通規範
を設け、その中でフェアーであれば何事も許される開拓精神と単純かも知れません
が竹で割ったような正義感ではないでしょうか。まさにこの女ボクサー極貧のヒラ
リーの勤勉と努力の成果としてのアメリカンドリームとそれをencourageする周囲
の善良さです。また、絶えず新陳代謝が働くアメリカであってこそ、宗教界と対立
してまで人間の尊厳死というタブーのテーマに挑戦した勇気です。
アメリカを唯物主義あるいは拝金主義と断罪するむきがありますが、それは中国に
言えることであり、アメリカは全く異なります。アメリカ社会には偽善と言ってし
まえばそれまでかもしれませんが、実は宗教心や倫理観に基く、こうあるべきとの
正義とか行動規範が存在しており、アメリカ映画を観るたびに何かを学ぶことがで
きるのは、そこだと思っています。人工国家であるが故の逆の素晴らしさではない
でしょうか?勿論それを日本を含め世界が受け入れるべきということを言っている
のではありませんが。
是非読者にこの映画をじっくり鑑賞していただきたいと思っております。
奥山篤信:
昭和45年京都大学工学部建築学科卒
昭和47年東京大学経済学部卒
三菱商事本社入社
一貫して海外畑
6年余にわたる米国三菱ニューヨーク本店勤務を経て
平成12年退社
コンサルタント会社ストラテジーズ設立
勉強会『平河サロン』主宰
平河総合戦略研究所代表理事
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3.西山 弘道
「戦艦大和、そして臼淵大尉」
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戦記文学の最高傑作の一つといわれる「戦艦大和ノ最期」(吉田満著)を改めて
読んだ。実は講談社版で以前読んだのだが、最近文庫版が出版となり、購入して再
読したのだ。全編文語体である。例えば「出撃ナリ 斗酒ヲモ辞スベキヤ 乗員三
千 スベテミナ戦友、一心同体ナリ」といった具合である。若い人には取っ付きに
くいかも知れないが、読み進むうちに、文語体に馴れ、戦場の緊迫感、戦争の重み
を表現するには、かえって口語体よりも文語体のリズムの方が的確と思ってくる。
「大和」の悲劇については語り尽くされているだろう。「武蔵」とともに日本海軍
が誇る当時世界最大の戦艦といわれ、特にその主砲9門は46センチ、世界最強の
艦砲といわれた。昭和20年3月末、沖縄海域に向けて呉軍港を出航、燃料の重油
は片道しかない特攻出撃だった。連合艦隊司令部が下したこの「天一号作戦」に、
「大和」の第二艦隊司令長官、伊藤整一中将は猛反対したが、戦争末期の「大和」
の死に所と、伊藤中将も判断したのだろう、この玉砕出撃を了承した。案の定、南
西諸島沖で待ち構えていた米軍機の何波にもわたる編隊攻撃と、雷撃戦により、4
月7日、「大和」は3千人の将兵とともに水底深く消えた。最強砲を一発も発するこ
となく、海の藻屑と消えた「大和」の無念は如何計りだったろう。後世、「万里の長
城、ピラミッド、大和は世界の三馬鹿、無用の長物」と悪罵も投げつけられた。
著者の吉田満少尉は、「大和」に副電測士として乗り組み、沈没の時は艦橋から投
げ出され、重油の海の中を泳いで九死に一生を得た。東大法学部在学中、学徒出陣
で海軍に入った、当時20才の青年士官だった。戦後、日銀に入行し、理事まで務
め、昭和54年、56才で死去する。
私が始め読んだ講談社版はタイトルが「鎮魂戦艦大和」というもので、「大和ノ最
期」の他に、「臼淵大尉の場合」と「祖国と敵国の間」という2編が書かれたもの
だ。特に私が深い感動を持って今でも読み返すのは「臼淵大尉の場合」である。特
攻という無謀な「大和」の出撃に、乗り組みの青年士官はその無意味さに激論を交
わす。彼らの煩悶と苦悩を収拾したのは、哨戒長・臼淵磐大尉の次の言葉であった。
「進歩のない者は決して勝たない。負けて目覚めることが最上の道だ。日本は進歩
ということを軽んじ過ぎた。私的な潔癖や徳義にこだわって、真の進歩を忘れてい
た。
敗れて目覚める。それ以外にどうして日本が救われるか。今日目覚めずしていつ
救われるか。俺たちはその先導になるのだ。日本の新生に先駆けて散る。まさに本
望じゃないか」
私はこの臼淵大尉の言葉を何度噛み締めてきたことか。今の、だらけきった日本人
はこの言葉を何と思うか。あれから60年、臼淵大尉が願っていたように日本は進
歩したのか。否、否、否・・・・。
「大和」とともに玉砕した臼淵磐大尉は、横浜育ちのモダンな海軍将校だったと
いう。妹おもいで、歌舞伎の好きな多感な芸術青年だった。
私は今の日本には絶望しつつあるが、日本という国には決して絶望していない。
なぜなら、このような貴重な言葉を残し、22才で散華した、臼淵大尉のような人
物がいた、ということだけで日本は救われるのである。
西山弘道:
昭和44年早稲田大学政治経済学部卒業後、
文化放送入社以来、放送記者として30余年、
ニュースの現場を踏む。
平成5年報道部長。兼ニュースキャスターとして
「西山弘道の世の中朝一番」なfどの番組で活躍。
また政治記者として、田中内閣以降の「永田町戦国史」
をウォッチ。
現在、文化放送編成局次長。
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4.花岡信昭コーナー
民主党はライトウイングを狙え
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通常国会はなんとも緊張感を欠いたまま推移している。民主党の対応がいかにも
不可解きわまりないためだろう。
永田町用語では「寝る」と称するのだが、審議拒否戦術というのがある。かつて、
55年体制下では当時の社会党の専売特許だった。気に入らない法案だと、あれこれ
ややこしい質問をぶつけ、答弁がなってない、閣内不統一だ、などとして審議拒否
に出る。
自民党はそのまましばらく社会党を寝かせておく。「あの人たちも、それぞれ何
万という票を得てきたわけだし、面子もあるだろうからな。それを立ててやらね
ばいけない」というのが、故竹下登氏の口癖であった。これがいわゆる国対族の
“美学”なのだ。
で、適当な時期になると、竹下氏は“朝回り”をやってしまう。政治記者の夜討
ち朝駆けと同じである。議員宿舎の社会党幹部の部屋を「おはよう」と訪ねるの
だ。
「どうかね。そろそろ起きることを考えようや」。竹下氏は社会党幹部と一緒に
起きるための理屈、仕掛けを考えてやるのである。首相にこういう答弁をさせる
とか、法案に付帯決議をつけるとか、あらゆる知恵が絞り出された。
つまりは、あの当時は良くも悪くも、それなりの“大人の秩序”があった。それ
が、このごろの民主党の審議拒否は裏側でそうした交渉もないまま行われるらし
い。
だから、今回もそうなのだが、起きるときがいかにもぶざまである。集中審議を
やるというのが審議復帰の条件というのでは、いかにもスケールが小さすぎる。
審議拒否という最後の手段に出る以上、起きるときにはそれなりの“戦果”がな
ければならない。
岡田克也代表は「首相になっても靖国神社参拝はしない」と、いまから言明して
いる。これも「政権準備政党」としては不可解である。
中曽根康弘氏は首相時代、「レフトウイングに手を広げる」と公言していた。た
だでさえ右派とみられがちな中曽根氏だったから、支持層を左側にも広げようと
いうわけだ。
その前例でいえば、民主党は「ライトウイング」に支持層を広げないかぎり、政
権への道は遠いといわなくてはならない。靖国はその格好のリトマス試験紙なの
だが、いまから厳しい壁をつくって支持層を遮断してしまうというのは、あまり
に政治的に稚拙である。
実りなき審議拒否戦術と靖国参拝拒否は、民主党の体質を考える上で共通するも
のがある。二大政党時代の到来を待ち望む立場としては、なんとも歯がゆいのだ。
花岡信昭:
政治ジャーナリスト、慶應義塾大学院・国士舘大学院非常勤講師、
読売新聞監査委員会審査委員。
1969年早大政経学部政治学科卒、
産経新聞入社、政治部長、論説副委員長などを経て2002年退社、評論活動に入る。
著書に「小泉純一郎は日本を救えるか」(PHP)など
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5.有馬尉彰コーナー
日本のケーブルテレビ事業を取り巻く事業環境と変化 ?
=米国通信会社2強時代の次にくるもの=
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ケーブルTV会社のいうトリプルプレイは美しいことばである。とは言ってもこ
れはアメリカ輸入のことばであり、その存在基盤は米国と日本とは決して同じでは
ない。しかし、5月31日、6月1日の二日にわたってパシフィコ横浜で開かれた国
際会議ブロードバンドワールドフォーラム、FTTH Council General Meeting の
席でアジア、アメリカ、オセアニア各国の方が講演する中で、北京清華大学のト天
其氏も盛んにトリプルプレイのことばを多用しておられた。今や世界的流行語の感
があるのであろう。美しいといったが、それは、技術的に、制度的にサービスが出
来て、これさえあれば3種の神器で怖いものなしという意味である。だが、ビジネ
スとしてはそれぞれのサービスに強力な競争相手がおり、ただバンドルしたからと
いって勝てるわけではけしてないのである。
日本政府、具体的には総務省(旧郵政省)はかなり長期的に日本の産業の情報化
対応を準備してきたと思う。その一つは光ファイバ化である。これは、既に知られ
ているように世界のトップクラスの位置に達していることは間違いないであろう。
そしてもう一つはデジタル化である。デジタル化は、2003年12月の地上波放送(普
通に言うテレビ局)のデジタル信号の発信をもって、一つの区切りがきた。もちろ
ん、OFDMの信号発信について、種々の心配や批判があるのは確かである。しかし
基本的には様々な情報通信社会のプレイヤーが、一つのチームとして、プレイのフォ
ーメイションを形成したのである。
このフォーメイションをもっていよいよ始まるのが帯域(スペクトラム)配分の見直しと、帯域の
開放である。今日の経済社会はすべて電波といわれる帯域は国民共通の財産であり
極めて限られた資源であるという前提の下に様々なビジネスモデルや、国の制度が
考えられてきた。その上で工業社会を支えてきた、電話事業や、総合編成を行う地
上波テレビ局がいわば排他的独占をもって帯域を使い、競争なきビジネスを繁栄さ
せてきたのである。
それには2つの意味を持つ役割があったと思う。電話会社もテレビ局も工業社会
を発展させ、巨大な利潤を生み出す工業社会のメインプレイヤーを支える、欠く
ことのできないサブプレイヤーであったということである。しかも彼らは、実に
効率よく工業社会と重なり合う日本の高度成長期を目で見える形にしてきた。
もう一つは中央発信型、中央集中型をますます高め、その効率を上げていったと
いうことであろう。しかしながら、そのような工業社会は既に終焉を迎えた。工
業社会のいわゆる1:Nのカタチを持った情報発信から、誰もがケイタイをもつ
1:1の情報の在り方があたりまえになり有線社会から、あたかも無線社会に変
貌したかに見えるのである。
帯域の見直しと開放は2つの側面を持つ。一つは現在まで排他的に使われてきた
低い帯域を免許により独占しているサービスがデジタル化により今までより少ない
帯域ですむようになるということである。理論的にはアナログのテレビ1チャンネ
ル分に3から4チャンネルが入るようになるということである。一つの局が4チャ
ンネルに増えることがないとすれば、3チャンネル分他の新しいサービスが生まれ
るビジネスチャンスが発生するということである。
もうひとつは、ヤフーBBのケイタイ論争にあるように、高い帯域といわれる今
まで使われてこなかった帯域が新たに開放されるということである。この高い帯域
こそが、技術革新が生み出しつつある21世紀の新しい経済社会のフロンテイアと
いってよいであろう。(続く)
有馬 尉彰;
昭和41年学習院大学経済学部卒業
東急電鉄勤務を経てi-HITS副社長など歴任
インターネットイニシアテイブ(IIJ)顧問他 政府関係委員多数
立教大学大学院講師 武蔵工業大学講師 前慶応義塾大講師など
著書に「マルチメデイアオムニバス」(東洋経済新報社)他
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6.山崎行太郎コーナー
ルーカスの「ルーカス批判」に≪哲学≫ありや・・・
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ケインズ経済学批判は、ロバート・ルーカスの「ルーカス批判」で決定的な段階を
迎える。それ以後、「ケインズ経済学は古い…」「ケインズ的経済政策は無効だ・・・」
という言説が、アメリカだけではなく日本でも、無批判的に蔓延することになる。
では「合理的期待形成学派」のルーカス教授の「ルーカス批判」とは何なのか。は
たしてそれは信頼にたる批判なのか。そもそもフリードマンやルーカス等によるケ
インズ批判によって誕生したと思われるのが「アメリカ経済学」なるものの実体だ
が、そのアメリカ経済学とは何なのか。その哲学的背景はどこにあるのか。
ところで、「日本に哲学なし・・・」と言われるが、これは、私は、いい意味に解
釈している。日本人の思考には、偏狭な体系的思考がない、あるいはそういう体系
的思考に対しては常に批判的である、と。言い換えれば、日本にはより深い哲学的
思考(反哲学的・・・)があるということである。
私は、むしろ「アメリカに哲学なし」と言うべきだろう、と思う。アメリカに伝統
や文化や歴史が欠如しているようにアメリカ人の思考には、哲学的思考というもの
が欠如している。たとえばフロイトの精神分析は、アメリカに移入されると「社会
心理学」や「心理療法」になってしまう。そこでは、フロイト的な「哲学」として
の人間存在論が消滅し、単なる技術論に堕落している。
科学哲学や分析哲学も、あるいはポスト・モダニズムも、アメリカで流行したもの
だが、しかしアメリカのオリジナルではなく、イギリスやフランス、あるいはドイ
ツからの輸入品である。むろん、マルクス経済学もケインズ経済学も、アメリカに
とっては外来文化であり、輸入品である。アメリカでは、批判や改良はなされるが、
根本的な理論構築はない。誰でもが使えるように、プラグマチックに変容されるだ
けである。いい意味でも悪い意味でも哲学的思考、あるいは原理的思考が消滅し、
実用的・技術論的思考に転換する。
アメリカ経済学が、ケインズ理論の輸入から本格的に始まったことは言うまでもな
いだろう。その段階では、アメリカ経済学というものは存在しなかった。もし「ア
メリカ経済学」というものがありうるとすれば、それはケインズ批判以後だろうと
私は考える。「ケインズ経済学は無効だ・・・」「ケインズ・モデルはもはや通用
しない・・・」という、フリードマンからルーカスに至る反ケインズ経済学理論の
登場こそ、アメリカ経済学の誕生を告げるものだったと言っていい。
わが国の経済学界や経済ジャーナリズムの言説が、「アメリカ一辺倒」に傾斜し始
めたのもこの頃からであり、わが国の実体経済がダッチロールを始めたのもこの頃
からである。とすれば、問題がどこにあるかは明らかだろう。それはアメリカ経済
学とも言うべき「反ケインズ理論」としての最近の「アメリカ経済学」そのものに
あるのだ。
したがって、われわれは、哲学なき思考としての「アメリカ経済学」とは何か、そ
の理論は有効なのか、その理論を盲目的に信頼していいのか、と問うべきなのだが、
そういう議論が、わが国の「経済論議」にまったくない。ここにこそ、現在の日本
経済の病根がある。
たとえば、ルーカスの「ルーカス批判」を、専門の経済学者で知らない人はないだ
ろう。しかし、「経済論議」の場にこの問題が登場することはない。誰もがその正当
性を認めているからだろうか。いや、実は、構造改革だ、総需要拡大政策だと騒い
でいる自称「専門家」たちの多くは、「ルーカス批判」そのものを知らないのでは
ないか。知っていても理解できていないのではないか。
マルクス主義が健在であった頃は、学界や論壇やジャーナリズムでは、新しい思想
や哲学が流行する度に、たとえば「マルクス主義か実存主義か」「マルクス主義か
構造主義か」「マルクス主義か分析哲学か」というような類の議論が絶えなかった。
私は、それは健全なことだったと思う。
今の日本に欠如しているのはそういう議論なのだ。私が、マルクス主義を逆説的に
評価するのはそこに根拠がある。マルクス主義のおかげで、われわれは「哲学的」
にならざるをえなかったのである。したがって、今、「ルーカス批判」の哲学的背
景は何なのか、「ルーカス批判」は哲学的に有効なのか、と問うことが必要なのだ。
(マルクスとケインズの同一性と差異性12)
山崎行太郎;
文藝評論家
昭和47年慶応義塾大学大学院(哲学専攻)修了
東京工業大学講師を経て現在、埼玉大学講師、
日大芸術学部講師。
著書『小林秀雄とベルグソン』(彩流社)『小説三島由紀夫事件』(四谷ラウンド)
その他。
http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/
http://yamazakikoutarou.gooside.com/
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7. 桜井裕子(寄稿)
宣戦前に一国の戦勝は決まる(下)
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〈情報とカネと資源をもたらした日英同盟〉
日露戦争に際して、結果的に日本を全面的にバックアップしてくれたのが大英帝国
でした。七つの海を支配するイギリスとの同盟は、今も昔も変わらない“資源と情
報”不在と軍資金に不安のあった日本にとって、まさに“百万の味方”となりまし
た。
当時、アジアでは、ロシアが軍拡の結果、戦艦を5隻とし、英国の4隻を上回った
という脅威に対抗するために、大英帝国は19世紀の“名誉ある孤立”を捨てて、
最初に同盟国として日本を選んだのでした。
日英同盟と国際法の規定から、日本がロシア一国と戦っている間は、イギリスは中
立の立場でしたが、陰に陽に日本を助けてくれました。
まず、戦艦の建造ですが、少なくとも2年半はかかるので、即戦力になる完成艦の
獲得は戦争の帰趨を決するものでした。チリが英国に発注した2戦艦をロシアが交
渉して買おうとすると、英国は即金で自国の海軍用に買い上げます。またイタリア
で建造中の重巡2隻の竣工が近いことを、イギリスは日本に通報、ロシアとたった
一日の差で日本が競り落とし、これが「日進」「春日」になります。
また戦費調達でも、戦費は4億5千万円と想定していましたが、その三分の一は海
外からの調達が必要でした。そこで日本は、イギリスとアメリカのユダヤ系資本の
協力を得て英米で起債を行いました。
最初の1000万ポンドの起債では、年利6%で関税収入を担保にしなければなりま
せんでしたが、日本が戦争を勝ち進むにしたがって応募が殺到し、日本の戦勝が決
まった1905年11月の外債は、利率4%で無担保になりました。日英同盟によって
「財政上の便宜を得」(小村意見書)たことで、日本は戦争を遂行することができた
のです。
もう一つ、結果的に日本を援護射撃してくれたのが大英帝国の隠然たる存在でした。
競り落とした「日進」「春日」に日本の士官が乗り込んで、イタリアから日本に回航
しようとすると、行く手を阻んだのがロシアの船でした。日本の戦艦の撃沈・拿捕
をねらった妨害でしたが、その間にイギリスの新鋭重巡キング・アルフレッド号が
割って入ってくれたのです。
港に寄港するたびに、イギリスからの連絡が入っていました。日本の船には真っ先
に石炭を補給して出発させますが、ロシア船への補給はことごとく後回しです。ロ
シアの船は、紅海まで日本の二隻を尾行した後、あきらめて引き返しました。
キング・アルフレッド号は、終始、日本を護衛しながら、インド洋で「両艦が無事、
本国に到着することを信じ、祈る」と信号してオーストラリアに向かいました。
バルチック艦隊への補給、修繕でも同様でした。当時、ロシアと同盟関係にあった
フランスもイギリスの顔色を伺ってロシアへの協力に躊躇していました。結局、ロ
シアへの石炭補給を行ったのは、ドイツだけでした。
〈日本古来の兵法から編み出した丁字戦法〉
2005年5月27日、午前5時5分、旗艦・三笠に対馬で停泊中の第三艦隊旗艦・厳
島から「敵艦見ユ」の暗号電報が入りました。
碁盤目状に区切った担当区域ごとに、数十隻の大小特務艦がはりついて敵発見の任
務についていました。日本海海戦で帝国海軍が誇るべきもののひとつに、この緻密
な索敵行動がありました。先の大戦におけるミッドウェーでの連合艦隊と第一航空
隊の粗雑の索敵行動が、米爆撃隊の発見を遅らせ惨敗したのとは雲泥の差です。
その後も、バルチック艦隊には、次々に巡洋艦が貼りついて、その針路を探りなが
ら、旗艦への打電を行っていました。
先回の「日本海海戦で揃った道具立て」として、下瀬火薬や伊集院信管を挙げまし
たが、三六式無線電信機もその一つでした。明治36年11月、外波内蔵吉大佐、
木村俊吉・海軍技師、松代松之助・海軍技師の苦心作で、レーダーの役割を果たし
ます。
そして、午後1時50分、団子のようにかたまって進んでくるバルチック艦隊を前
に、東郷平八郎司令長官は秋山真之に戦闘開始を下令します。
四色のZ旗が揚げられ、信号文「皇国ノ興廃此ノ一戦ニ在リ各員一層奮励努力セヨ」
が各艦に打電されました。
バルチック艦隊を8千メートルの距離まで近づけておいてとったのが、丁(T)字
戦法、東郷ターンと言われるものでした。鶴が翼を広げたように、味方の各艦を横
向きに並べ、敵艦隊を抑えるもので、敵側の左に大回頭しました。
三笠が回頭している間にも、敵艦からの砲撃は受けましたが、東郷長官の立つ露天
艦橋には一発もあたらず、損傷はありませんでした。両者の距離が6千4百メート
ルになった午後2時10分、三笠からスワロフへの砲撃が開始され、三笠の30セン
チ主砲4門と右舷15センチ副砲7門が、連続してスワロフに命中し始めました。
敵艦にこちらの腹を見せる形で回航する戦法は、バルチック艦隊を驚かせましたが、
後に、東郷司令長官は「左回頭の運動は、予定の行動で、早く敵の頭をおさえて敵
の先頭を圧するようにわが艦隊を導いたに過ぎぬ」、さらに「砲は、初弾から5、6
発までが一番よく命中する。その後は砲身が熱して焼け、精度が狂いだすからねえ。
はじめの5、6発の命中精度のよい時に、うんと撃たんといかぬと思うていたから、
7千(メートル)までは撃つなと言うてたよ」と語っています。
この丁字戦法を編み出したのは、秋山真之・作戦参謀でした。“三度のメシより戦術
を練るのが好き”という秋山は、クラウゼヴィッツの『戦争論』やブルーメの『戦
略論』を愛読し、アメリカで二年半、西洋兵学を学び、米西戦争を観戦します。
留学や観戦を通して、閉塞、封鎖、海上決戦などの作戦計画に磨きをかけますが、
最終的に秋山の作戦構築の柱となったのは、武田信玄の甲州流軍学から「車がかり」
戦法と、村上水軍の『野島流海賊古法』という日本古来の陸と海の兵法でした。
秋山自身、元軍を破った伊予水軍の祖・河野氏の子孫であることを思うと、先祖の
血が、秋山をして日本の命運を決する天王山での戦略を、最高・最適のものに導い
たと考えるのが至当といえましょう。
しかし、秋山は、単なる戦術狂の戦争屋ではありませんでした。
日本海海戦は、日本側の圧勝に終わり、秋山参謀は東郷司令長官の命を受けて軍使
としてニコライ一世へ赴きます。この時、あまりに痛々しいロシア将兵の姿を見て
胸を突かれます。その後、一宗派に入信することはありませんでしたが、秋山は仏
教に帰依していきます。
また海軍兵学校在学中は、成績は首席を通していました。あまり勉強もしない様子
の秋山でしたが、友人に、「過去五年間の出題を見れば、教官の出しそうな問題は分
かるから」とこともなげに答えたといいます。
見た目の豪放磊落さの一方で、人の心を読み、駆け引きや機微、痛みも敏感に感じ
取ることができたが故に、完全無欠の戦略を組み立てられたのでしょう。
秋山は、兵棋演習について、こう述べています。
「つらつら古今の戦史を顧みると、一国の戦勝は宣戦後に得られたものではない。
平時における上下軍人の精励な素養と、惨憺たる経営によって、宣戦までに敵国に
対して有形無形の諸作戦要素が優位を占め、戦う前からすでに勝算がないものはな
いのである」
“智謀湧くが如し”と東郷長官から評された秋山真之の、戦略家としての奥深さが
窺える一文です。
秋山真之は、大正7年2月、50歳を目前にしてこの世を去ります。その数ヵ月後、
兄で陸軍大将の秋山好古は弟・真之を評してこう語ります。「真之はたとえ数秒の片
時でも、『お国のため』という観念を捨てなかった。四六時中、この観念を頭から離
さなかったことだけは、はっきりと、兄として言いうることです」
日本を背負って大任を果たした兄・好古も、おそらく同様だったことでしょう。
〈アジア独立の導火線に点火した日本の勝利〉
「天の時、地の利、人の和」が整い、世界に冠たる大英帝国の後ろ盾をいただいた
日本は、大国・ロシアを破ることができました。
そしてその勝利は、アジアの黄色人種を奮い立たせ、アジア独立への導火線に火を
ともすことになります。
インドのネールは『父が子に語る世界歴史』のなかでその感激を語っています。最
後に、それを引用しましょう。
「アジアの一国である日本の勝利は、アジアのすべての国々に大きな影響を与えた。
私が少年時代、いかに感激したかを、お前に何度も話したとおりだ。…ヨーロッパ
の一大強国が敗れた。だとすればアジアは、昔しばしばそうしたように、いつでも
ヨーロッパを撃ち破ることばできるはずだ。ナショナリズムはますますアジアに広
がり『アジア人のアジア』の叫びが起った」
ロシアの脅威に苦しんでいたトルコの宮廷では、日露戦争の陸と海での日本の勝利
の報が届くたびに、晩餐会が開かれたといいます。
トルコの人々は、子供や孫に「トーゴー」「ノギ」の名前をつけてその勝利を祝い、
通りには「東郷通り」の名が今も残っています。
百年を経た今も、アジアの国々は、大国・ロシアに果敢に闘いを挑み勝利した日本
の勇気と功績を忘れずにいるのです。
桜井 裕子: 慶應義塾大学文学部英文科卒業。PHP研究所、PHP
エディターズグループ勤務を経て、フリーに。主に書籍のプロデュースや
執筆・制作を手がける。
最近の作品は『新・国民の油断』(PHP研究所、西尾幹二・八木秀次)、
『この国を守る決意』(扶桑社、安倍晋三・岡崎久彦)など。
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巻末までお付き合い頂き、ありがとうございます。
次回の配信は、6月10日(金)を予定しております。どうぞお楽しみに!
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