甦れ美しい日本 第181号
発行日時: 2008/5/6□□■平河総合戦略研究所メルマガ■□□(2008年5月60日 NO.181号)
☆☆甦れ美しい日本☆☆
☆・・・・私たちは書きたいから書くのです・・・・
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☆文化・芸術・映画・味覚などは水曜日発信となりました。
< 目次 >
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◎奥山篤信の映画評論
1.アメリカ映画「アイム・ノット・ゼア I am not there」☆☆☆
2.香港映画「軍鶏 shamo」☆☆
◎奥山篤信のDVD映画評
1.アルゼンチン映画「娼婦と鯨 LA PUTA Y LA BALLENA」2004年 ☆☆☆☆
2.イギリス・インド映画「カーマ・スートラ愛の教科書 kama sutra」1996年 ☆☆
3.「ロンリー・ハート lonely heart」2006年 ☆☆
4.アメリカ映画「ガルシアの首 Bring Me the Head of Alfredo Garcia 」1974年 ☆☆☆
◎阿嶋彩子の料理つれづれに (36)<京都・梅むらの京料理に思う>
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◎奥山篤信の映画評論
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1.アメリカ映画「アイム・ノット・ゼア I am not there」☆☆☆
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66歳の現役ボブ・ディランは歌手、作曲家以上に天賦の詩人の才能に恵まれ何度もノーベル賞候補として挙がっている。まさに生きる伝説である。
この天才ボブ・ディランの複雑な人間の側面を6人の登場人物に演じさせているのである。この手法は斬新であり、ボブの人生における色々な場面での心理状態が浮き彫りになる。
ボブはユダヤ系であり、その意味で国籍なきアメリカ人である。そのコスモポリタン見地から自然主義であり、反戦主義者であり、キリスト者でもあった。善悪の判断はそれぞれが置かれた仕組みのなかでしかない。永遠に続く音楽とは、体制や政治に影響されるものではなく神秘性をもった論理的なものであるべきだ。などなど画面にはメモしたくなるキーワードが続々とでてくる。
ボブはその作風も転々としており、それは進化ともいえる。
クリスチャン・ベール(ジョン牧師 )、ケイト・ブランシェット(ジュード )マーカス・カール・フランクリン(ウッディ )、リチャード・ギア(ビリー )、ヒース・レジャー(ロビー )ベン・ウィショー(アーサー)の六人がボブ(ただしボブではなくそれぞれ括弧の名前)の内面を演じるのである。だから黒人少年もいるので始め何故と錯覚を起こす。ボブ・ディランの名前が出てこないボブの伝記映画なのである。トッド・ヘインズ監督が7年の構想をもとに、ボブの了解も取った公認映画である。
とりわけ女性なのに男役で演じたケイト・ブランシェットの演技が興味深い。フォークを捨てバンドをバックの作風に変えた1966年の演奏会で「ヨーロッパの唄でもなく、アメリカの唄でもない。」とステージで語ったところ二階席からの「裏切り者ユダ!」との野次に、「卑怯だ。そこではなくここに出てきて言ったらどうだ!」との迫力は圧巻である。注目すべきはシャルロット・ゲンズブールというボブの家庭問題の悩みを描いた部分の夫人役のフランス人女優が魅力的である。ジュリアン。ムーアも出演している。
このトッド・ヘインズ監督の独創的イマジネーションの世界で、観客にもイマジネーションが不可欠なこの映画の新しい手法は大変評価できる。
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2.香港映画「軍鶏 shamo」☆☆
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橋本以蔵の人気コミックを香港の鬼才ソイ・チェン監督が映画化した。それに「インファナル・アフェア」で好演技したショーン・ユーとフランシス・ンが出演、映画は無国籍映画となっているが、問題は名前が日本人そして地名も姉が埼少年院やら北海道が出てきて、シナ語を話す日本映画と誤解されてしまってもおかしくない。
両親殺しの罪で二年の少年院送りとなった成嶋亮(ショーン・ユー)は院長や少年たちの苛めやリンチや性的迫害を受ける。気の弱い亮はその時空手教師の黒川(フランス・ン)に救われ空手の極意を学び少年院を実力で支配する。この空手の手ほどきが小気味よくて面白い。
出所後も親殺しというレッテルの中で苦闘しながらも、格闘技LFの特訓を受けチャンピオンの菅原(本物のファイターである魔裟斗)と挑戦する。血だらけの最後の死闘はド迫力である。傷だらけになってダウンして負けるが、最後に立ちあがり、観客はその勇気を称え親殺しの汚名を雪ぐのであった。肉体精神ともに弱いものが空手を通じて強くなろうとするが、その狂暴性は見せかけでしかなく、心の底に潜む精神的弱さを克服する場面として勝負には負けても精神では勝ったのである。
無国籍とはいうものの、親殺しや日本を思わせる場面が多く、極めて不快感もあり「反日映画」かと思うこともあったが、その親殺しこそ精神病を患う妹の衝動殺人の代わりに罪を被ったということが分かり安堵するのである。
日本の監督ではここまでアクション映画を描くことは不能であっただろう。だから原作者自身がそう考え香港監督に目をつけたという。クールでドライーでいてなんとも言えない遣る瀬無さは香港ノワールの伝統である。「インファナル・アフェア」の二人の男優が存在感溢れる熱演である。日本人では「ログ・アサッシン」で暴力団の親分を演じた石橋凌が出ている。台湾生まれでカナダ留学の経験あるアニー・リウが洗練された顔と肢体で魅了する。
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◎奥山篤信のDVD映画評
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1.アルゼンチン映画「娼婦と鯨 LA PUTA Y LA BALLENA」2004年 ☆☆☆☆
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アメリカ、イタリア、フランス、スペイン、ロシア映画でないマイナーな国の映画が時折傑作を作り出す例に漏れない映画である。なんとこの映画は日本で上映されなかったらしい。「オフィシャル・ストーリー」でアカデミー賞外国語映画部門のオスカーに輝いたこともある アルゼンチンのルイス・プエンソ監督の映画である。
傷ついた鯨と乳がんによる死期の迫った小説家を巧みに連関させながら、マドリッド、ブエノス・アイレス、パタゴニアを舞台に 二つの時代の悲劇と愛をそして蘇生を、哀愁あふれるバンドネオンとアルゼンチン・タンゴの踊りを交えながら、かって繁栄した美しいアルゼンチンのデカダンスと湛えながら繊細に丁寧に描いている。
マドリッドで夫と別居中の作家ベラは、元恋人の編集者から 、ある従軍写真家でスペイン解放戦線で戦死したエミリオと彼が残した遺書と写真についての調査を依頼されアルゼンチンを訪問する。エミリオが自由奔放な女性ロラと知り合うブエノスのハイソのパーティ。二人は熱愛の間がらとなり、エミリオはパタゴニアに写真撮影のために出向くがロラは同行する。これが1930年代の一本の流れである。
一方ベラは乳がんを患い、癌細胞も転移している恐れがあったが、この仕事に興味を持ち、愛する息子とも別れ、アルゼンチンで手術することになる。その病室のベッドの隣に偶然エミリオがかってパタゴニアで係り合った娼館の主の夫人が死の床にあり、当時の写真と整合してくるのである。このベラのアルゼンチンでの、片方の乳房を失った、女性としての絶望の中での生きざまがこの映画の他方の流れとしてある。
現在と1930年代を交互に絡み合わせながら、ベラの運命の悟りを描いていく。
1930年代に鯨がパタゴニアの岸に漂着する。ロラは鯨に異常な興味を示すが、それは写真家との別離でもあった。ロラの自由奔放な性に業を煮やした写真家はロラに引導を渡すが、それがきっかけでロラは娼婦になってしまう。
その商館の未亡人の孫は海洋学者として死の床に居たが、ベラは学者にも引かれていく。編集者そして海洋学者とベラはロラのように奔放に、残された生を惜しむように性愛を求めるのであった。学者より未亡人の遺品を引き取るがある日鯨の額から多額のかっての紙幣を発見する。
再び鯨が漂着した知らせを聞く。ベラは運命的なものを感じてそれはかってロラが愛した鯨に違いないと学者に言う。そして調査結果そうであることが判明した。その夜ロラは傷だらけの失った胸をさらけ出し、本当の自分を学者に投げかけるのであった。学者の労わりが優しく、「昔の裸体はしらないから」と言うのである。
鯨は地元の努力で再度海に放たれた。
そして口を閉ざし沈黙を守ってきた学者の父親が明らかにする新事実。それは彼が子供時代に観た風景であった。
エミリオはロラを取り戻すために娼館にロラの支度金を返済する。(その支度金こそ未亡人がロラを想い密かに額にしまっておいた金であった。)だがロラの心は完全に醒めてしまっており、荒んでいたのである。二度と愛は戻らない。エミリオは強制的に帰国させるべくロラを載せた軽飛行機は、鯨が海洋に戻ったその上を飛行する。ロラは鯨を求めるかのようにエミリオの手を振り切って空中から飛び降りてしまう。
エミリオの人民戦線での死はまさに贖罪意識から自ら死を求めたことがわかるのである。
ロラはこの写真家をモデルとして小説を書くことを決意し、学者と別れる。「もし書店で私の新作を見つけたら読んで、そしてそれは私が生きているということだから。」それは年老いた鯨への漂着と漂流そのものである。
不条理で複雑な人間の心の襞、そしてふたつの流れを巧妙に描く演出、ラテン系の持つ性への情熱と愛、惚れぼれするようなシナリオである。バンドネオンとアルゼンチンタンゴがこれほどまでにシナリオにマッチするのである。
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2.イギリス・インド映画「カーマ・スートラ愛の教科書 kama sutra」1996年 ☆☆
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16世紀のインドの物語である。野心溢れる宮廷の女中マヤは、同い年の一緒に遊んだ幼馴染のタラが藩主と結婚することになり、タラの侮蔑的な言葉に復讐心を宿らせる。そして婚姻直前の藩主を誘惑するのである。それが露呈し、売女と罵られ宮中を追い出されたマヤは石の彫刻家ジャイに出会う一方、愛の秘戯を教える、かっての元藩主の側女ラサと出会い入門する。
マヤの思い出にタラに触れることもせず、刹那の麻薬と女に耽溺する藩主は、ある日ジャイの作品に遭遇、それはまさにマヤをモデルにしたものであり、マヤを探させる。やっと見つかったマヤは側女の地位を得て、勝ち誇るようにタラに接するのであった。
マヤを忘れられないジャイは密かに藩邸に忍び込みマヤと不倫を重ね、自分と逃亡しようと口説くのであった。真の愛に目覚めたマヤは、タラの自殺未遂を助けるような慈悲を弁える女として生長していた。しかし間男の現場を押さえられたジャイは処刑されることとなった。マヤは藩主に対して側女でいることを甘んじるのでジャイの命乞いをするのであるが、虚しくジャイは像の足に踏み潰される刑を執行された。
欧米育ちのインド女流監督ミラ・ナイールの作品である。繊細でいて異国の感性豊かな他の彼女の作品に比べやや欧米に衒った描き方があり、心に沁みるものがない。豪華絢爛たるインド宮中や性の秘戯への欧米人の好奇心を満たすコマーシャリズムを垣間見てしまう。それにしてもマヤに扮するインド人俳優インディラ・ヴァルマの美しさはこの世のものとは思えない。
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3.「ロンリー・ハート lonely heart」2006年 ☆☆
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1940年代にアメリカで実際に起きた連続詐欺殺人事件をテーマに描いたサスペンス映画。
ロンリー・ハートとは戦争で夫を亡くした寂しい未亡人を意味する。新聞の広告募集欄で
“ロンリーハート・クラブ”に恋人を求める未亡人で、裕福な財産を持っている女性を狙い撃ちにして結婚詐欺により財産を捲き上げる詐欺男(ジャレッド・レト)とその“妹”と偽った悪魔のような情婦(サルマ・ハエック)の殺人惨劇のロード・ムービーである。情婦は詐欺男の未亡人との「偽りの愛」の行為ですら耐えられず、嫉妬にかられ未亡人を惨たらしく殺戮し、それは子供や住人まで巻き込みエスカレートしていくのである。
一方この憎むべき犯罪を追うのがジョン・トラボルタ、ジェームズ・ガンドルフィーニ扮する刑事たち。広域犯罪ではあるが死刑が可能なニューヨーク州に引きずりだし、二人を電気椅子に座らせる。この二人の生々しい処刑風景は圧巻である。暴れる囚人を椅子に無理やり座らせ、ベルトで固定し、目玉が飛び出さないようにする仮面をつけ、てっぺんを丸く剃りあげた頭に電極を付け、スイッチを入れ電気ショックで痙攣する体、したたる失禁などリアルであり、あの「グリーンマイル」と双壁ともいえる。
この処刑風景に、凶悪犯処刑の目的を果たした二人の刑事は、満足感どころか嫌悪と空虚を感じるのである。
一人は刑事の職を捨ててどこか彼方に消えていく。
死刑廃止論の見地からの映画とも読めるのであるが、これは被害者の視点ではなく第3者である刑事の視点であり、僕は「グリーンマイル」でも感じたが、被害者の家族であれば、当然の復讐権としてかかる極悪人の極限の屈辱の処刑を観て少しは被害者の霊を慰めることができるのだと確信するもののひとりである。第3者が死刑可否を語ってはならないのである。
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4.アメリカ映画「ガルシアの首 Bring Me the Head of Alfredo Garcia 」1974年 ☆☆☆
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サム・ペキンパーは男の美学ともいえる暴力映画の粋を描いて右に出る者はない。得意の高速度撮影によるスローモーションや西部劇を彷彿させる銃撃戦などの暴力描写が観る者を飽きさせない。
メキシコの大富豪の愛娘テレサが妊娠した。そのテレサを拷問にかけ、その口から父親の名をアルフレド・ガルシアを吐かせ、その孕ませたガルシアを生死問わず100万ドルの賞金を与えべく裏社会を使う。ガルシアの首とは死を証明するための生首のことである。
一人の冴えないバーテン男はその情婦のかっての愛人がガルシアと分かり、すでに酔っ払い運転で亡くなっていることを知り、裏社会からだされた1万ドル目当てに、墓を掘り首を斬って持ち帰ること企む。途中情婦は目的を知り錯乱、私と一緒にいたいのならそんなことは止めてと迫るが、それでも女の哀願を退け、首を求めるのである。罰が当たったかのように墓場を掘り起こし、やっとのことで首を得ようとしたところ何者かによって二人は殴打され情婦は死んでしまう。
男はやっと女の愛に気づいて悔むがもう手遅れである。
やっとのことで生首を奪い返し、その生首に話しかけながら、労わりながらの復路が始まる。同じ女を愛した二人の心の傷の慰めあいなのである。蠅がたかる生首を入れた袋を氷で冷やし、女の家でドライアイスを入れてシャワーを浴びさせる男の優しさが、その男の暴力との裏腹で、まさにペキンパーの男の美学と言える。
前半のダメ男がすっかりと「改心」し、生首を持って裏社会の本部を訪れ、啖呵を切り生首の最終売却先を聴きだし殺戮する。そしてメキシコの大富豪宅に乗り込むのであるが。。。100万ドルを目の前にして、止せばよいのに生首に拘る男の「美学」が爆発してしまう。女への愛と奇妙な友情そして自己破壊の男の美学、何かヘミングウェイの系譜を見るペキンパー監督である。
ペキンパーがこの映画を、とりわけ自慢していたようだがアメリカではさっぱりの評価で、欧州では墓掘りに嫌悪を感じて公開禁止の羽目となる国もあったという。一方日本では大人気だったらしい。
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◎阿嶋彩子の料理つれづれに (36)<京都・梅むらの京料理に思う>
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新緑に誘われて春の京都を訪ねた私は夕食を『梅むら』に決めた。昔は旅館でもあり、伊藤博文公が常宿にしてお
り、鴨川沿いの部屋に決めていたという。私達もこの部屋に通してもらい、鴨川の流れの背景にある夕暮れの東山
を眺めながらの食事であった。部屋の横窓から見える箱庭に博文公手植えのしだれ桜の枝が風になびき、京都その
ものの風情だ。この店の入口は半間程の狭さで通り過ぎてしまいそうになるが、細い入口の打ち水された綺麗な
敷石を通り、奥の玄関を入リ廊下をずっと進むと、ぱっと鴨川沿いの良い部屋がひらける。
おっとりとした和服姿の美しい仲居さんが最初に運んでくれたのは合鴨のロースであった。私は京都らしい和風の品がでると思っていたので少々驚いたが京都は合鴨を和食に良く使う。この最初の一品を頂ただけで、この店の他には類を見ない程の素晴らしい京都料理の真髄を感じた。鴨の味は油の乗り具合や蒸し焼き具合がよく、これに添えられている新玉葱が程よくさらしてあり冷たさも適当で、サッパリとしたソースが鴨と玉葱をささえている。なかなか上手く書きあらわせないが一皿目の印象がどれ程大きくこれからの料理の印象に影響するかと改めて思い、食事に行った時の「お通し」の大切さを考えた。
京料理なので「お通し」は出ないが、お寿司屋や小料理屋の「お通し」は私にとっては、グッと飲むビールの後にワクワクしながら箸を取り、出された品を見て、美味しそうだと思いながら一口頂く。店主が天候や季節感を考慮に入れてその日のお通しを作る店もあると聞くが、お客の側からすると本当に大切な瞬間である。しかし、この間新聞に出ていた記事を見て驚いた事があり、それは「お通し」は注文外なのに料金が加算される事がオカシイ、というのである。確かにお勘定を払う時には実費からは随分離れた舌代になっているから、理論的にはもっともな話である。私の考えではスーパーでのお買い物とは異なり、ある程度の料金をだして食事を楽しむという心の余裕も時にはよいのではないだろうかと思う。
梅むらの料理に戻るが、出てきたお刺身がイタリア製らしいカラフルなガラスの器に入っており、このミスマッチがかえって楽しく、言うまでもなく、刺身の美味しさは素晴らしかった。お椀物は古く立派な器のなかに、端午の節句を意識してエビシンジョウが柏餅の葉で包んだものが入っており、目を楽しませた。魚の焼き物はヤマメが出た。大きなヤマメはその背骨が抜いてあり、ぼってりとした本当に美味しい身の上にこの背骨が形良く唐揚げにして乗せてあり、この姿の美しさと味の両立には驚かされた。鱧の蕗巻きの炊き合わせは口の中でフンワリと鱧がとけるような優しい感触で このように柔らかいにも拘らず、カタチが崩れず、綺麗に器の中にあり職人芸だと感心するばかりであった。揚げ物はどのような品がでてくるかと興味深く待っていたら、河豚を固くせんべいのように叩き、それをカリット揚げてあり香ばしいこの品がそれまでに出た口優しい感触の料理に大きなアクセントとなり、料理の出し方のナガレの上手さには感服であった。夫々に素晴らしい料理が多く、最後はレモンをくり抜いたレモン釜に鮑や野菜を寒天で固めたものであった。レモンの爽やかさがいままでの色々な料理のお腹一杯の味を締めくくるに相応しかった。
京都の伏見の地酒を片手に夕暮れの風情も手伝って本当に素晴らしい一時であった。これほど満足な気分になった事は何であったかと帰り道に思いめぐらしながら二条お池通りの方へ歩いた。今の新しい高級和食に総じて見られるような、目立つパフォーマンスはなく、新しさといえば、器の変化だけである。しかし、これほど丁寧に昔の料理の基本を守りながら作り、盛り付けも京都の古く垢抜けない良さを保ち、食する側になって隅々まで気を使っている板場の熱心さには頭が下がる思いがした。今日風な器用なもの事には飽きている私には久しぶりで心から和む一時であった。
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次回の配信は5月10日(土)を予定しております。どうぞお楽しみに!
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