甦れ美しい日本 第177号
発行日時: 2008/4/22□□■平河総合戦略研究所メルマガ■□□(2008年4月23日 NO.177号)
☆☆甦れ美しい日本☆☆
☆・・・・私たちは書きたいから書くのです・・・・
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☆文化・芸術・映画・味覚などは水曜日発信となりました。
< 目次 >
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◎奥山篤信の美術館めぐり;徳島県鳴門市大塚国際美術館に観る日本人の似非美術観
◎奥山篤信のDVD映画評「地獄の黙示録 Apocalypse Now」1979 ☆☆☆☆☆
◎奥山篤信の映画評論 「王妃の紋章 原題CURSE OF THE GOLDEN FLOWER」☆
◎阿嶋彩子の料理つれづれに (34)<しゃぶしゃぶ料理>
◎廸薫の「タカラジェンヌが日本舞踊家になったわけ」
其の十九「惜しむ春・・・のお話」
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◎奥山篤信の美術館めぐり;徳島県鳴門市大塚国際美術館に観る日本人の似非美術観
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神戸から約1時間半で淡路島を明石大橋を経由鳴門市に到着する。先週悪友2人、一人はカナダ人を伴い鳴門市にある大塚国際美術館を目指した。
鳴門市の鮨屋でまず昼食、鳴門海峡で揉まれた魚介類に感嘆する。中トロを除いてすべて鳴門産である。平目の縁側、一本釣りの鯛、烏賊、踊り海老、赤貝、穴子、海栗など、どれをとっても関東では味わえないコクのある特上品である。魚介類は新鮮だからうまいというものではない。いかに身が揉まれているか、いかに板前の包丁さばきが優れているかに寿司の良し悪しは決まるのである。瀬戸内海のそれは、どんなに千葉や湘南の海でとれる幸が新鮮であろうと及ばない。
鮨を堪能した後、鳴門出身の企業家大塚製薬一族の誇りである平成10年に開館された話題の美術館を訪問した。規模は日本最大、設計は板倉建築研究所、施工は竹中工務店と建築界の超一流になる、渦潮の海を見下ろす丘にそびえる白亜の殿堂はロスアンジェルスのゲッティ美術館を髣髴させる。
僕たちがまず驚いたのは3150円という破格の入場料である。世界を探してもこんな法外の入場料はないだろう。シニア料金も設定がないのには驚いたが、さぞかし世界の超一級品のコレクションがあるのだろうと、期待を籠めて渋々ながら入場したのである。
まずは実物大のシスティーナ・ホールの再現、原寸大のミケランジェロの絵画がはめ込まれている。それが陶器であると知ってまず驚く。そしてこの美術館が全て世界25ヶ国190余の美術館が所蔵する現代絵画を含め、1,000点を越える世界の名画が印刷、焼き物の特殊陶板技術によっる原寸大で再現であると気が付くのは、すでに入場した後の祭りである。こんなコピーを並べて「美術館」と言えるのか、疑問と怒りの念が持ち上がる。どっかの国だったら訴訟が起こるのではないか?確かに道路を隔てて悪趣味の極みである竜宮城のような建物は社員の保養寮と聞いていやな予感はあった。
同様実物大のスクロヴェーニの礼拝堂や聖マルタン聖堂などの空間が12室あるという。絵画は原寸大で、「ゲルニカ」やれゴヤの作品集、やれモナリザなど、日本人のブランド志向そのものの展示品を観て、苦笑してしまう。
日本人観光客が海外に行って、美術館に行くのだが、美術を鑑賞するよりも、有名品を観たことだけがその海外旅行のアリバイとなっている、そんな日本人用の展示品の数々である。
庭にはモネの睡蓮の絵があるではないか!
日本人はその存在を自己の感性で感じとるのではなく、その美術へのブランドの興味だけという、貧困極まる鑑賞態度を物語るような数々のブランド品の陳列。原寸大の教会や洞窟の再現、これはまさしく「美術館」ではなく「テーマパーク」に過ぎないのである。
油絵の絵の具の凹凸など登板にはないので、薄ぺらいもので、偽物であるだけに色はすべてくすんでおり、見るうちに吐き気まで催す下劣な原寸大の陶板の展示品である。こんなものが美術館?という思いである。
余程写真グラビアによる美術画集のほうが僕達に訴えるものがある。まさにこういう試みこそ、戦後日本人の貧弱な美術感を物語っているようである。
芸術の価値とはホンモノであることであり、コピー品からは何の香りも芳ばしさも発散しないのである。
それにその陳列方法などそのロケーションなどが、舞台背景として大きく左右するものである。キリスト教の「受胎の告知」だけを世界の画家のものを検索して集めたような一室、感性ではなくブランドがあるからというだけの現在日本人そのものの態度ともいえる。
それに、このようなグロテクスな美術館を、美術館と称し、3150円の高額の入場料を取る経営者の姿勢を垣間見た思いである。
こんな施設は中学生以下のプレイグラウンドに無料で開放したらどうなのかと思ってしまう?芸術に対する冒涜と侮辱しか感じないこの美術館、僕などはうず潮に揉まれた本物の魚介類を味わう楽しさと美しい鳴門の「ひねもすのたりのたりかな」を金銭力により蹂躙する商人(あきんど)のナルシズムを見るような悲しい思いをしたものである。
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◎奥山篤信のDVD映画評「地獄の黙示録 Apocalypse Now」1979 ☆☆☆☆☆
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映画の面白さは、その映画を観たときのそれぞれの人の心境や経験・知識などが心に反映される点である。僕がこの映画を観たのは、30歳そこそこのまだ未熟な青年時代であった。だから今思い出してもその当時の印象が、どうだったか分からないが余り記憶に残るほどインパクトがなかったように思える。
さて2001年に出たDVDは当時に比べ53分も長い完全版であり、206分という超大作である。結論から言えば、この映画の素晴らしさに目に鱗の思いで観ることができた。人生において接した映画でひょっとして一番かもしれないほどの感動を覚えた。これから何年生きるか知らないが、きっと10年後、20年後に観るとまた新たな新鮮さでこの映画を観ることができるのではないかと思う。
「ゴッド・ファーザー」三部作でお馴染みのフランシス・F・コッポラ 監督の最高傑作に違いない。ジョゼフ・コンラッドの小説「闇の奥」を台本として、サーフィンを画いた「ビッグ・ウエンズデー」のジョン・ミリアスが脚本を書いた。当時アメリカはベトナム戦争にて国論が分かれ、その戦争の意義が問い詰められていた時期である。
しかしこの映画をベトナム反戦映画という捉え方は余りにも表面的・短絡的でありコッポラ 監督はそんなプロパガンダを超越した人間の善悪、愛・セックスと暴力の本質はもとより、戦争とは何か、軍隊とは何か、民族とは何か、支配と被支配との関係など、研ぎ澄まされた感覚で詳細に語っているのである。
多分この映画はありとあらゆる哲学や史実や戯曲や悲劇・神話などがコッポラの豊かな教養に裏付けされているものであり、僕を含め未熟な観客はその寓喩や比喩の半分すら理解できていないと思う。英語から日本語訳の間違いなども相俟って、解釈は千差万別の様相を極めている映画だと思う。だからこそ面白いのである。
コンラッドの原作「闇の奥」の舞台はコンゴであり、コンゴ川一帯はコンゴ自由国と呼ばれるベルギー王レオポルド2世の私有国家として、原住民への搾取政策が当時国際問題となっていた。
この映画ではマーロン・ブランド扮するカーツ大佐は軍の司令を無視して暴走、カンボジアのジャングルの奥地に独立王国を築く。ベトナム戦争末期にメコン・デルタでCIAの秘密作戦に従事していた特殊部隊員のマーティン・シーン扮するウィラード大尉は、突然軍上層部に呼び出されカーツ大佐暗殺の密命を受ける。ウイラード大尉はホテルで麻薬を嗜み、自殺未遂までするほどに人生を悶々と自閉症のような暮らしをしていたのである。
そして部下四人を連れて警備艇に乗ってジャングルの河を北進することになる。その河上り(かわのぼり)で遭遇する数々のエピソード、まさにそれは戦争や人間の本質を象徴するものである。
道中ウイラード大尉はカーツ大佐のファイルを読むうちに、この大佐の魅力に嵌っていくのである。このカーツ大佐を満州国を創った板垣征四郎や石原莞爾に譬えることはできないが、カーツ大佐が本国の優柔不断に満ちた偽善と欺瞞に振り回され、命令系統が矛盾に満ちたものとなった境遇に置いて、自ら目標である戦争に勝つためには、軍隊としての合理性や決断力を自ら実践していった点では相通じるものがあって興味深い。
そんなカーツ大佐にウイラード大尉がいちいち納得するのは当然なのである。
映画の一般的評価で典型的に「戦争における人間の狂気」を描いたという場面がある。それはジャングルでサーフィンを楽しむロバート・デュヴァル扮する指揮官キルゴア中佐が安全にサーフィンができるように村を焼き払うために、ワグナーのワルキューレ騎行の音楽とともに戦闘ヘリコプターで攻撃する場面であり、カーツ大佐との、その残虐性の比較をしているという見方がある。しかし僕はそのようにはとらないのである。
キルゴア中佐がいう、アメリカ映画の名セリフとなった「I love the smell of napalm in the morning.」やサーフィンそれにバーベキューシーン、そして勇敢な敵兵にみずからの貴重な水を施すこの中佐に、遊び心と余裕をもった矛盾だらけの人間的なあまりに人間的な姿を映しているのではないだろうか。警備艇が中佐のサーフィンボードを悪戯心で盗み、それを追撃して追いかけるキルゴア中佐になんとも言えない人間性を感じてしまうのである。
河上りのいろいろなエピソードで面白いのはPLAYBOYのバニーガールの慰問ショウの場面とフランスの植民地時代からのプランテーションでの出来事がある。実際ベトナム戦争時代であのグラマーなラクエナ・ウエルチが前線を慰問した。
そのバニーガールと再度彼女らを乗せて墜落したヘリコプターで再会する警備艇一行の「充実した」空しい一時はアメリカ的エロチシズムに満ちている。
けばけばしいアメリカ文化の象徴であるPLAYBOYと対照的にフランス人のプランテーションで品格あるフランス文化を保ち続ける一家との出会い。ジャングルでの格式高いディナーの場面そしてフランス人主のいう、「フランスのベトナム植民地支配の教訓をアメリカ人は全然受け継いでいない。」「なんとしても伝統あるプランテーションを守り続ける。」とのフランス人の決意はまさにアルジェリアでのそれと同じである。
公開当時のバージョンではこのフランス人の場面がほとんどカットされていたらしい。品の良いフランス人の美貌の未亡人(オーロール・クレマン)が軍人ウイラードを誘惑し投げかける言葉「愛するあなたと殺すあなた」それは蚊帳を隔てて美しい見事な乳房とともに実に印象的な最高の場面であり、バニーガールの粗野な性であるアメリカ文化と品格ある性をたしなむヨーロッパ文化との相違で面白いのである。
仲間を一名二名失いついに警備艇はカーツ王国に辿り着く。軍人としての勇気を評価するカーツとそのカーツを畏敬するウイラードは初対面からお互いに心が引かれる。軍人は目的のためには私情を捨てて断固物事を断行せねばならない。一切の偽善や情を捨て任務を敢行することが軍人の役割であるというカーツ。
カーツ王国で道化役としてデニス・ホッパー扮する報道写真家がでてくる。これこそが世界共通のウジ虫のようなマスコミを象徴するものであり、権力と世論に迎合し信念のひとかけらもない輩として描かれる。そしてカーツは切り落とされた報道写真家の生首を幽閉されたウイラードの足元に落とすのである。
やがてカーツはウイラードの拘束を解いて自由とする。
カーツの語るベトコンのエピソードが秀逸である。アメリカ人はベトナムの子供たちをポリオから救うために予防接種を行った。そのあとベトコンが子供たちの接種を受けた腕を斬り落とし、病院の庭は子供の片腕が山と積まれた。カーツは最初はこれを見て号泣したという。だが思い直すと、その行為(西欧人が魔を子供に植え付けた。)こそが純粋であり真正直であり、これこそがベトコンが一糸乱れず戦う姿勢と根は同じだと語る。
カーツに私淑するウイラードの想いは、前任者と同様にカーツへ寝返りたいと逡巡する内面の心である。しかしついにウイラードは軍人として情を捨ててカーツ暗殺を決意する。それこそがカーツより教わった軍人魂であるからだ。カーツは言う「俺を殺すことはできるが、裁くことはできない。」
コッポラ監督は「ゴッド・ファザー I,II」に於いてマフィアの暴力を賛歌しているのではないかと一部で非難を浴びたという。確かにこの映画を見ても、僕が反戦映画ではないと断定するのは、そういったコッポラが人間の純粋性と暴力との連鎖を密かに思っているふしがある。コッポラが三島由紀夫の「豊饒の海」を合間を見つけては読んでいたという。コッポラのカーツ大佐への愛と憎悪のアンビバレンスをこの映画でも僕は感じとるのである。カーツ大佐と三島、三島はカーツになりえず自死を選んだ。
生贄の牛を刀で殺す儀式と、ウイラードが寝込みのカーツに同じ刀で襲いかかる場面の交錯場面があるが、非常に宗教的で感慨深い。ポリオ事件など内面での弱みを吐くカーツは今や弱い指導者であり、それは強い指導者が成敗してなり代わる権利があるということである。そしてカーツに代わり、血染めの刀をもってお立ち台に立ったウイラードは原住民の祝福と服従を受けるのである。
この映画は任務を遂行して帰国して少佐に昇格するであろうウイラードとして描いているが、そうでなければアメリカ言論界で叩かれる。実は監督の本心はカーツになり代わったウイラードとしたかったのではないだろうか。
さてこの映画カンヌ映画祭で未完成のままパームドールに輝いたが、意外にアカデミー賞ではマイナーなオスカーしかないのは驚きである。僕はマーロン・ブランドの名演は勿論だが、マーティン・シーンの名演技には舌を巻いた。何よりもマーティン・シーンのぼそぼそと語るモノローグの一言一言が心を打つのである。
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◎奥山篤信の映画評論 「王妃の紋章 原題CURSE OF THE GOLDEN FLOWER」☆
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「HERO」の中国の巨匠チャン・イーモウ監督である。この監督が問題の北京五輪の開会式のプロデューサーとして、まさに国家の栄誉と威光を担っている。
10世紀、唐時代の豪華絢爛たる王室の陰謀や権力闘争を描いたスペクタクルである。
まさにハイテク屈指のコンピュータグラフィックのフル回転である。王妃(コン・リー)は継子である皇太子(リィウ・イエ)と不倫関係にあったが、王(チョウ・ユンファ)はそれを知り砒素を毎日王妃の薬として飲ませる。
今や国際的スターとして「SAYURI」にもでたコン・リーの意地悪な顔は、まさに恐怖の中国政府の陰謀と世界支配を象徴しているかのようである。
まさに国策としての中国映画であり、内容はあまりない。中国人らしい残酷性と権力と性への飽くなき欲望を描いている。日本人とは見かけ同じでも、全く異質の文化である。負けた側の甲冑がエビの抜け殻の山のようであり、被支配者が残酷に蒸しエビの殻のように放置されるようで、その毒々しい色彩感覚とともに嘔吐感を感じた次第である。
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◎阿嶋彩子の料理つれづれに (34)<しゃぶしゃぶ料理>
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今ではしゃぶしゃぶ料理と言うと専用鍋を食卓に置いて囲み食する物だと大抵の人が思うであろうが、しゃぶしゃぶの歴史はさほど古くなく、昭和30年に肉のスエヒロが『肉のしゃぶしゃぶ』として商標登録したものである。「肉の」という名を外すと、しゃぶしゃぶという言葉は商標登録外として使えるので、近頃では豚、鶏肉、タコ、鯛など色々な食材をしゃぶしゃぶ料理にしている。しゃぶしゃぶ料理は専用鍋の真ん中に煙突のようなものがあり、これは開発した当時その中に炭を入れて鍋を加熱したと言う。
しゃぶしゃぶ料理は専用鍋で薄切りの材料をさっと茹でて、胡麻ダレやポン酢をつけて食すので、さっぱりとした味である上に、つけダレで自由に味の調整ができる。この食し方の為に幅広い年齢の人が共に楽しめるのが良い。
しゃぶしゃぶ料理は言うまでもなく、材料の味が重視されるので、魚が新鮮な水揚げ漁港の料理によく出され、本当に美味しいのである鯛やブリ、タコなどは生でお刺身にして頂くのは美味しいが、さっとダシ湯にくぐらせると、ナマの時のクセが消えて一段と口当たりがよくなる。そして、タレにつけて味わうと食が進むのである。
鯛には典型的な和食料理である「ゆぶり」という方法があり、これは刺身のように切った身をしゃぶしゃぶにして食すのでありが、ナマの臭みと余分な脂をおとすのである。夏には氷の上にスノコをおき、その上に涼しげに盛られて供されると、見ても食しても良い料理であり、生とは異なった美味しさがある。
スエヒロが肉のしゃぶしゃぶ料理を考案したのは冬ではなく、暑い夏に肉料理が売れないので考え出されたものだと言う。鍋料理なので、冬の料理だと思ってしまうが、しゃぶしゃぶというあっさりした味を夏に食しやすいであろうと考えたスエヒロはたいしたものだと改めて感心する。タレにぴりっとした辛さを加えたら、清涼感が増し、食欲不振の夏にピッタリの料理である。
肉のしゃぶしゃぶが好きで時々食べにでかけるが、言うまでもなく肉の質次第である。昔から馴染みの「ざくろ」が赤坂にリニューアルしたので、家族で出かけた。しゃぶしゃぶ用のサーロイン肉とロース肉を布で巻いてカタマリのまま席に持ってきて選ばせてくれる。生で見て本当に綺麗な細かいサシが入っており、素晴らしい肉にしばし魅入ってしまう程であった。サーロインを選んだ私は口の中で溶けるように柔らかく甘みさえ感じる肉にタレをつけるのが惜しい感がして、ほんの少しの胡麻タレを付けただけで頂いた。お酒と共に口当たり良く食が進み、気が付くと満腹状態で、その日は満足な気分で食後の葛きりのデザートを楽しんだ。
随分前の事、人に誘われてあるチェーン店の肉のしゃぶしゃぶを頂いた時、お皿の肉を見たら、美味しそうではなくどうしたものかと思った。しかし、付けタレの辛みがきいていて、ネギもたくさん入っていて、これを付けると結構美味しく食せるのである。完全にタレに助けられているのであるが、これも一考かと思ったことがある。
肉・魚に限らず新鮮な美味しい食材は素の味が美味しく、余分な味を付ける事は本当に味に対してもったいない。如何に上手に素材のよさを味わうのかが、そして料理人は食する側に出すかが大切である。素材の良さをさらに良くなるようにするという事は大袈裟な料理のしかたではなく、そっと脇役のダシのような味にその勝負所があるが、これは微妙な感性が要求される事だと思う。このきめ細かさはやはり日本人の持つ良き文化と一致するものであり、このような観点からみると、日本の食文化を大切に保っていきたいと考える。
美味しかった肉のしゃぶしゃぶの時も胡麻ダレだけを舐めてみると、滑らかな良い香りの胡麻のもったりとしたタレで本当においしかったし、しゃぶしゃぶをする時の鍋に入っているスープも素晴らしかった。この脇役があの美味しい肉を支えて更に素晴らしい味にまとめあげたのである。
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◎廸薫の「タカラジェンヌが日本舞踊家になったわけ」
其の十九「惜しむ春・・・のお話」
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長唄に「惜しむ春」という今の季節にぴったりの演目があります。唄の内容は春から夏に移り変わる季節を背景に、大人になっていく怖れと期待、二度と戻る事の出来ない少女時代を懐かしむ思い等、何も悩みの無かった少女時代から、人を恋する事を知り大人の女性へと生長していく思春期の、若い女性の揺れる思いを詩情豊かに描いた美しい曲です。
「惜しむ春」
春やいくとせ惜しまるゝ 身にふさはしき振の袖 つゝむに余る色草や
うつゝなき 桜の色に戯れて 東風は心に流れくる 空さえ夢の銀砂子
燃ゆる想を陽炎に たゆたひよればいつしかに
とけて吹かるゝ緋鹿の子の 手絡に顔も染模様
丘の若草 もつれて匂ふ 霞の奥の揚雲雀
一つ姫松二人が命 都恋しやあの山憎くや
君が恋ひしや都の空は 涙つゞれの花ぐもり
「何とえ」濡れてよいよい こひ春雨に ぬれりゃ色ます糸柳
聞いたかえ ほんにやるせがないわいな
なげく我かな はらはらと散り行く花に暮れそめて
いづくへ 帰りはぐれて身を残す あはれ供養の細煙り 棚引わたる静寂さを
身にしみじみと入相の鐘を数えて恨むなり
忍べばまして 偲ばるゝ その足取りの浅みどり
春やまぼろし まぼろしの 春の調べを君に贈らん
花盛りの春の野辺で、夢見心地に佇む若い女性の夢々しい歌詞の内容に反して、この演
目の時代背景には開国という大きな変化の流れが有りました。
明治時代に西洋から多くの文化が流れ込んできた事により、従来の伝統文化への見直しがなされ、より日本文化を芸術的に高め、近代社会に相応しい内容に改める為に、坪内逍遥・小山内薫らによる「演劇改良運動」が展開され、歌舞伎等も一般庶民のみならず身分の高い者や外国人が歌舞伎舞台を見物するようになる為、みだらな筋立てを改め、さらに高尚な要素が望まれた事により、能・狂言に題材を得た「松羽目物」や、正確な時代考証に基づく歌舞伎が多く誕生することになるのです。
大正時代に入り、その流れは舞踊の世界にも波及し「新舞踊運動」が展開されることとなります。歌舞伎の中の1つの要素でしかなかったそれまでの日本舞踊の在り方から、独立した新しい芸術のジャンルとして確立され「西の舞」「東の踊」を1つに纏め「日本舞踊」との呼び方がされるようになったのもこの時からなのです。そしてこの長唄「惜しむ春」はその舞踊本来の自由な姿を取り戻した「新舞踊」として始めて発表された演目なのです。
歌詞も今までのものに比べると情緒的でかつ、誰もが懐かしむような身近な心情を唄っており、幕が開くと大道具を取り払い、ホリゾントと柔らかな春を感じさせる照明のみのシンプルな舞台装置の中央に、大きな桜の花柄でしかも銀色の傘がたった一つポツンと置いてあり、その傘の中から少女が現れるという演出は、その当時の人々の目には本当に新鮮に映ったであろうと思われます。今見てもこの演目は他の演目とは違った独特の雰囲気を醸し出す、特別な演目の1つに位置していると思われます。
この一連の経過を見て、開国と同時にどっと流れ込んできた異国の文化にもみくちゃにされた日本文化を、その時代の心ある文化人達が、何とか守り存続させようと心を砕いたことが良く理解できます。西洋文化に迎合した人々も多くいた中、世界に通じる「洗練された日本文化」へと生まれ変わる為の新しい道を創り、日本の文化を守り次の新しい時代へと繋いでくれた、そんな時代であったと思います。
今も有る意味、敗戦と同時に新たにどっと流れ込んできた異国の文化に、教育も政治も経済も思想ももみくちゃにされている状態と言えると思いますが、今回はさて、如何すれば「日本の文化を守る為の新しい道を創り、次の新しい時代へと繋いでいく」事が出来るのでしょうか?
沈没する豪華客船の中で船長は海に飛び込ませる為に各国の乗客に対してそれぞれ、こんな事を言うそうです。イタリア「飛び込んだら女性に持てますよ。」ドイツ「飛び込むのが規則になっております。」フランス「飛び込まないで下さい。」アメリカ「飛び込んだらヒーローになれますよ。」・・・、さて日本は「みんな飛び込んでますよ。」
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花柳廸薫(はなやぎ みちかおる);
NPO法人日本人のアイデンティティを育む会・紫薫子の会 代表理事
社団法人日本舞踊協会正会員。
兵庫県神戸市出身。三歳より花柳流日本舞踊の手ほどきを受ける。宝塚音楽学校首席入学。宝塚歌劇団退団後、花柳流師範資格を取得。歴史街道推進協議会、関西フォーラムに参加したことを機に、アメリカ(ワシントン、ミネアポリス、ニューヨーク)東南アジア(インドネシア、シンガポール)にて舞踊公演を行うなど、ワークショップや文化交流、結婚式、祝賀会、レセプション等の舞踊活動を中心に、古典に基づく独自の舞踊活動を国内外で行う。平成十七年NPO法人日本人のアイデンティティを育む会・紫薫子の会(しくんしのかい)を設立。日本舞踊のみならず、日常生活から消え行こうとしている日本伝統文化に警鐘を鳴らし、啓蒙普及活動をライフワークとして本格的な取組みを始動。
ご意見箱アドレス; michikaoru@hotmail.com
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次回の配信は4月26日(土)を予定しております。どうぞお楽しみに!
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