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甦れ美しい日本 第166号

発行日時: 2008/3/14

□□■平河総合戦略研究所メルマガ■□□(2008年3月14日 NO.166号)

  ☆☆甦れ美しい日本☆☆

☆・・・・私たちは書きたいから書くのです・・・・
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< 目次 >
 
◎松島悠佐の軍事のはなし(63)「Remember東京大空襲」

◎レギュラー執筆者 
      
1.佐藤 守      大東亜戦争の真実を求めて 156
2.西山弘道   「混乱の極み=永田町政治」
3.松永太郎  本の紹介 「ベルリン・地下のスパイ」Spies Beneath Berlin  By David Stafford Overlook NY   2003  未訳

◎関西零細企業経営のオッサン 悔し涙を流すの記(3)

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◎松島悠佐の軍事のはなし(63)「Remember東京大空襲」
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3月10日は、旧帝国陸軍の記念日でした。日露戦争の奉天会戦の勝利を記念して定められたのですが、もう1世紀も前のことであり、旧軍のことを抹消したいという社会的な風潮もあって、すでに忘却の彼方にあるようです。

3月10日はまた、東京大空襲の忘れがたき日でもあります。これも60年以上も前の出来事であり、平和な日本の中で次第に忘れられて行くようですが、それでも、ご遺族の方たちの慰霊の集いや、一部のメディアが特集記事を企画して、忘れないように記憶を呼び起こす努力をしています。

今年もいくつかの特集記事がありました。それを見ていつも思うことですが、戦争の歴史、特に悲惨だった被害状況の受け止め方は、攻撃した側と、被害を受けた側の評価に違いがあることです。

南京事件のように、明らかに政治的・意図的に史実を捏造したと思われるようなものは別として、立場の違いからくる状況認識の違いは当然のことでしょう。

日本軍の真珠湾攻撃でも、「海軍の施設と艦艇だけを目標にした奇襲攻撃」という日本と、「宣戦布告もせずに、卑怯な不意打ち」と評するアメリカの評価があります。今では、当時の在米日本大使館の不手際に原因があったとされていますが、結果として「Remember PEARLHARBOR」を合言葉に、日本への容赦のない反撃が始まったことは否めない事実でしょう。

東京大空襲は、無差別な焼夷弾爆撃で街を焼き尽くし、市民10万人を殺害した戦争犯罪行為だと思いますが、敗戦国の主張はいれられず、逆にアメリカは「軍需生産の拠点を壊滅するのが目的であり、一般住民の無差別攻撃ではない。東京・名古屋・大阪・神戸の市街地に集中する工業基盤を破壊する計画だった」と主張しています。

「日本では、居住地にある町工場が軍需生産の拠点になっていたので、一般住民を巻き込むのは止むを得ないことだった」との主張ですが、例え目的はそうであっても、アメリカは爆撃する地域の人口・家屋・工場の密集度を調査した上で、「焼夷弾電撃作戦」を計画したのであり、多数の市民が巻き添えになることを十分承知した上での攻撃であったことは明白です。

また一方で、生存する被災者の証言では、「B−29が大きく円を描いて周囲を焼き、逃げ道を絶った上で徐々に中心部を焼き尽くした」として、住民を焼き殺す残忍な爆撃だったことを語っていますが、これについては多分に心理的な感じがあるように思われます。

約300機のB−29が高度2000mの低空から、夜間単独飛行で、示された照準点を確認しながら、それぞれに割り当てられた地域を計画的に爆撃したようであり、当日は相当に強い西風(280度方向、地上風速10ノット)が吹いており、炎上した煙で目標地帯が覆われないように、風下の地域から順次風上の地域に、具体的に言えば、隅田川の東岸、現在の墨田区の東の端から順次隅田川に迫り、川を渡ってさらに西側、浅草の方へと爆撃地域を移動していったようであり、隅田川の橋の上から見ていた被災者には、段々と火が迫ってくる様子が実感だったのだろうと思います。

高度2000mでの風速は20ノットほどで、火炎の上昇気流と相まって、台風のような状態だったと見られており、日本の対空砲火を含めて15機ほどが撃墜されています。爆撃の後段になるに従って、照準点を確認し計画的な爆撃をするのがやっとだったような感じもあり、生存者の証言のように、「逃げ道を絶った上で徐々に中心部を焼き尽くした」と言うほど、残忍な殺戮が余裕をもってできたわけではないように思います。

しかし、このような被害状況の認識の違いは、戦場には常に付き物です。今でも、イラクでの米軍の攻撃が「多数の市民、しかも女・子供を巻き込んだ殺戮」と非難され、それに対してアメリカは、「武装テロの潜む根拠地を目標にした攻撃」とその正当性を主張しています。イスラエルとパレスチナの間でも同じことが続いています。

ひるがえって、わが国に国家非常事態が起きた場合にも、北朝鮮のミサイル攻撃や、テロ破壊活動を想定すれば明らかなように、国民が犠牲になることは避けられないことでしょう。

日露戦争の奉天会戦のように、野戦で軍団同士がぶつかって雌雄を決するような戦争は過去のものになりました。今われわれが考えなければならないことは、昭和20年3月10日〜18日の間に5回にわたって行なわれた、東京・名古屋・大阪・神戸への「焼夷弾電撃作戦」死者20万人、8月6日・9日の広島・長崎への「原爆投下」死者28万人のような、多数の国民の犠牲を伴う戦禍を回避することではないでしょうか。
国民の犠牲と切り離してわが国の防衛を考えることは出来ません。ところがわが国では、国の防衛を自衛隊の専管事項として任せておけばよしとする、他人事のような防衛議論がまかり通っていることが気になります。

「Remember東京・名古屋・大阪・神戸・広島・長崎」。戦果を上げるのも、戦禍を被るのも国民の防衛努力しだいであることを考える必要があります。(20・3・14記)

松島悠佐(まつしま ゆうすけ);
元陸上自衛隊中部方面総監
防衛大学卒業後、自衛隊入隊陸上幕僚監部・防衛部長、第8師団長(熊本)
等の要職を経る。
平成7年阪神大震災時、中部方面総監として活躍。
同年中部方面総監で退官。著書に「阪神大震災・自衛隊かく戦えり」(時事通信社刊)
がある。 現在、危機管理などの講演を精力的に行う。
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◎レギュラー執筆者 
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1.佐藤守
  大東亜戦争の真実を求めて  156  
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 西安で上官の蒋介石に対して「兵錬」を起こした張学良に対する私見は既に書いたが、彼が如何に「小物」であったかについて、古野氏の著書を引用する。
「(西安事件で)蒋も最初は驚いたが、その後少し自信を持つようになったようだ。反対に学良側は、何応欽指揮の中央軍が接近し、洛陽には空軍五〇機も到着し、潼関(西安東方二〇〇キロ)には砲兵部隊も到着したので落ち着かなくなっている。学良配下の楊虎城や王以哲は、乱世をくぐり抜けた将軍達だからしっかりしていたが、貴公子学良は十日余の極度の緊張で疲労して精神状態は崩れ始めている。宋子文の談話では『彼は話すことにロレツが廻らず論旨も支離滅裂になりつつあった』という。『私の子供を頼む』とか『私の財産を妻子に渡してくれ』とも依頼されたという。小心なのは子供の頃から同じである。事件勃発一週間後の一九日、二十日には涙を流し大声で泣いたこともあった」
 なんとも早見苦しい“将軍”だったわけだが、それに対する蒋介石の方は、悪の権化?だったから、学良なんぞ問題にしていなかったに違いない。問題にしていたのは、唯一のわが子・蒋経国の安否だったろう。
 学良が「妻子」を気にし、蒋介石も「息子」を気にする。シナ大陸の指導者の「公私混同振り」が面白い。
「蒋は若い頃から、夜の上海で麻薬王・杜月笙の青幇の殺し屋をつとめていた男である。上海租界の工部局(警視庁)の保有する彼個人の犯罪記録は、租界没収の一九四八年に英本国に移送されようとしたが、紛争を恐れて断られ、シンガポールの倉庫に置かれていた。この資料は一九六五年にアメリカCIAの手に渡ったが、租界一〇〇年間で最大の犯罪量とも言われている。彼の暗黒面に触れた本を書いた台湾人のジャーナリスト江南は、一九八四年十月十五日にサンフランシスコで台湾のヤクザの竹聯幇に射殺された。CIAは電話盗聴でこれを知り台湾政府に抗議し、責任者の処罰と遺族への補償を要求した。結局、台湾政府はこれに応じ、責任者を懲役一〇年の刑とし、遺族には二〇万ドルを支払った。また、蒋の秘密に触れた『宋王朝』の著者S・シーグレイブは一九八五年の発刊と同時に家族と共に姿を消した」
「壮絶な暗黒街物語」を読む思いだが、あの時代に先進国から新鋭機を続々輸入し、破格の報酬で米国陸軍からシェンノートらを招聘できた理由も想像できる。その上、大陸を追われて台湾へ逃避したあと、台湾人を迫害した「暗黒政治」の実態も理解できる。
「これほどの『大物』である五十歳の蒋介石に、三十六歳の学良は挑戦したのだから苦しいことであったろう。満州事変とその後、多くの恨みを持った学良は蒋打倒の道具に『抗日』を大義名分として利用したのだが、蒋はプロだから、どうすれば学良を丸め込めるかを考えたに違いない。
 一九九八年九月に私が学良と会談した時、彼が蒋の若い頃の経歴を全く知らないことに驚いた。いや、最も驚いたのは、私から始めて知らされた学良夫妻であった。蒋介石を唯唯偉大な、輝ける軍事委員長と信じていたらしい。“奉天の狼”では“上海の殺し屋”に勝てるはずはない」
 古野氏の評価は厳しいが、敵も知らず、己の力量も知らなかった学良は所詮「将軍」の器でないことは明白であった。『マオ』にあったように、「私の哲学はギャンブルだ」と豪語していた見栄っ張りな学良は、毛沢東の秘密連絡係・葉剣英に「クーデター計画」を相談した時点で、したたかな共産党の深慮遠謀にまんまと引っかかったのであった。
「蒋が政敵を倒すときは、必ず相手を嬉しがらせて油断させてから実行するのが常套手段なのだ。楊虎城は、学良の南京行きを必至に止めたが、学良は危険とは感じなかった。一九二七年の北伐中に上海を占領した後の四月十二日、蒋は共産党弾圧を行い一万人以上を殺したが、その前日には真紅と金で飾った党旗を共産党本部に贈り、軍資金を渡して北伐中の功績を賛美し、今後の友情を誓っている。
一九三九年に重慶を脱出した汪兆銘が仏印のハノイに到った時も、蒋は特使を送って『欧州視察』の成果を祈り三〇万ドルと公用旅券を贈ったが、その翌日には汪を襲撃している。汪は奇跡的に助かったが、秘書の曽仲鳴は殺されている。蒋が学良を甘いささやきで(南京へ)誘ったと考えるのは単なる推測ではない。上海ゴロの習性と思われる。三日後に宗子文邸で学良を待っていたものは、蒋を委員長とする軍事委員会の逮捕状(上官暴行監禁罪容疑)と憲兵隊の一団であった。
 兵変二週間後、蒋は南京に帰着した。ジョンソン米国大使は、『西安事件は中国にソ連か日本かの選択を迫り、中国はソ連を選んだものと思われる。抗日戦の約束は実行するのではないか、日支衝突は避けられないであろう』と憂慮してワシントンに報告している。その後の西安については、滞在していた米人が『西北、東北の諸軍は相変わらず市内の掠奪を続け、また多数のソ連人顧問が新疆省経由で到着し、街には赤旗と共産主義宣伝ビラが氾濫し、ラジオは毎晩親共放送を続けている』と報告している」とあるが、日本側の滞在者やメディア関係者、例えば松本重治氏などは、これらの動きに全く気がつかなかったのであろうか?      (続く)

佐藤守:
防衛大航空工学科卒(第7期生)。
航空自衛隊に入隊
戦闘機パイロット(総飛行時間3800時間).
外務省国連局軍縮室に出向。三沢・松島基地司令、
南西航空混成団司令(沖縄)を歴任.平成9年退官.
岡崎研究所特別研究員.軍事評論家.
日本文化チャンネル「桜」軍事コメンテーター.
著書に「国際軍事関係論」
ブログ;http://d.hatena.ne.jp/satoumamoru/
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2.西山弘道 
 「混乱の極み=永田町政治」
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 日銀総裁の後継人事は、武藤副総裁の昇格が民主党の反対で参議院で不同意となり、政府与党は現福井総裁の任期切れの19日ギリギリの17日までに人事案を再提示することになった。この日本の混乱を見越したかのように、金融市場では急激な円高株安のダブルパンチに見舞われ、円は12年ぶりに100円台を突破、平均株価も2年半ぶり安値となった。

 この経済の混乱に、政府与党も動揺しており、17日に提示する日銀総裁の人事案は民主党の要求を入れた武藤氏以外の別の人物か、或いは日銀法を改正して現在の福井総裁の任期を延長することも考えているという。特に日銀総裁人事問題を正確にフォローしてきたロイター通信が日銀法の改正をいち早く報道したことは注目に値する。改正案は議員立法で17日一日で衆参両院を通過、成立させるというが、それだけ緊急避難の事態と捉えられているのだろう。

 しかし、別の人事案といい、日銀法改正といい、本当にそれでいいのか?これでは民主党の無理難題を全て受け入れることになり、今後のねじれ国会に大きな禍根を残すことになる。世論はこの問題に対しては、民主党に批判的な声が多く、民主党も実はどう矛を収めるか頭を悩ましていたところなのだ。それが政府与党の方から、救命ブイが投げられたとあっては、ますます民主党は増長するだろう。

 政府与党もサブプライム経済の混乱が続く中で、日銀総裁を空位にすることだけは避けたいと考えているのだろうが、こうなったら衆参両院で同意を受けた白川方明副総裁を堂々と総裁代行に任命したらどうか。国際的には“代行”は“臨時”と同じであり、空位と見なされるだろうが、それだけ民主党の“横暴”も世界に発信されるのである。

 国会同意人事は「人のよろしきを得る」、本来ならその人物でなければならない、という妥協の出来ないものであり、法案を与野党で修正する問題とは全く違う。別の人物を提示するとか、日銀法を改正するなどは法案を修正することと同じであり、それこそ国会の悪しき慣例である“妥協”になってしまう。

 福田首相は、自民党内の山崎某氏の意見などにこだわることなく、ブレずに堂々と当初の武藤人事案を再提示するか、白川副総裁の代行就任を要請すべきである。

 一方、さらに民主党が反対する暫定税率維持の税制関連法案は参議院での審議が時間的に困難となり、民主党が意図するガソリン税値下げが一時的にでも実現の可能性が出てきた。参議院では現在、政府予算案が審議されており、与党はこれと並行して税制関連法案を審議するよう要求しているものの、民主党はあくまで予算案の審議が終了した後を主張しており、そうなると3月31日までの年度内で税制関連法案が審議できる日はたった1日しかないことになってしまう。新年度の4月1日からは法案が成立しないと自動的にガソリン税は25円下がることになっており、3分の2条項で与党が衆議院で再議決しても4月の数週間、値下げが実現することになってしまう。下がったと思ったら、またすぐ上がる、混乱するのは消費者とガソリンスタンド業者だろうが、民主党はすでに業者に値下げの差額補填を考える案も創出しているという。

 これではまさに政治が国民生活の不安を助長させているわけであり、政治の責任、とりわけ民主党の責任は重いと言わざるを得ない。

西山弘道;
ジャーナリスト。早稲田大学政経学部卒業後、文化放送で30数年、放送記者として
活躍。政治担当として、三角大福中、安竹宮の「永田町戦国史」を取材。
2005年10月、文化放送を退社、以後フリーのジャーナリストとなる。
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3.松永太郎 
 本の紹介  「ベルリン・地下のスパイ」Spies Beneath Berlin  By David Stafford
Overlook NY     2003       未訳
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 まだ偵察衛星やエシュロンのような電子的な盗聴システムのなかった冷戦初期、西側のスパイたちは、ウイーンやベルリンのような都市にトンネルを掘り、直接、ソ連側の電話線を盗聴しようとした。ソ連や東ドイツでは秘密警察が隅々まで目を光らせ、スパイを潜入させることはきわめて困難であった。しかも仮に潜入させたところで、機密情報に接する可能性は、これまた皆無に近い。したがってCIAは、敵方の軍事部門や情報機関の大物を寝返らせ、こちらのスパイにするか、あるいは盗聴する以外、敵の意図を知る手がなかった。ソヴィエトKGBも、大規模なスパイ網を西側に張り巡らせていたが、ルーズヴぇルト政権の後は、ホワイトハウスにスパイを浸透させることは困難であった。すでにヴェノナ通信の解読で、ルーズベルト時代のソ連スパイは一掃されていた。
今となると、なかなか想像が困難だが、冷戦時、アメリカの大統領もソ連の首脳も、おたがい敵の意図が探知できず、実際に核戦争が起こることを覚悟していたのである。先制攻撃は、いつ、あるかもしれない。その予兆は絶対に手に入れなければならない。冷戦の最前線にあるベルリンやウイーンのような都市のスパイたちの任務は、それであった。ウイーンは、英国情報部SIS、アメリカのCIA、ソヴィエトのKGB、東独のHVDなどのスパイたちで充満していた。実際に命のやり取りがあり、誘拐されれば、そのまま行方不明となるような「戦場」そのものであった。
 イギリスの情報部MI6は、まずウイーンの地下の複雑に集中する電話線に盗聴を仕掛けた。1950年代のウイーンは、言うまでもなく「第3の男」の舞台であり、ハプスブルグ帝国時代に建設された例の巨大な地下水道がある。ここに目をつけたのが英国情報部のピーター・ルンである。本書で始めて紹介されるルンというスパイはなかなか興味深い。
 ルンは、今まで、イギリス情報部の歴史を読むと、一行しか出てこないような端役である(公式な情報部の歴史がいかに当てにならないか、よくわかる)。彼は、KGBがMI6に送り込んだ最大の「もぐら」、キム・フィルビーをベイルートから逃亡させた間抜けである。ベイルート支局長だったルンは、ロンドンのMI6本部から飛んできたニコラス・エリオットとともに、フィルビーの事情聴取を行い、自白を得た次の日、なんとスイスにスキーに行ってしまうのである(ルンの祖父は山スキーを国際的なスポーツにしたイギリス貴族であった)。これを読んだとき、私は単にこれは、スキーなんかではないはずだ、と思った。エリオットもイギリス情報部の大物であるが、これも次の日、たまたまローマにいたCIA幹部アングルトンに会いに行くのである。その間、ベイルートはがら空き、そしてフィルビーは、そのまま、まんまとモスクワに向け、脱出する。冷戦期のスパイ史上、もっとも有名な脱出劇は、かくも謎だらけなのである。
 実はルンは、間抜けなスパイではなかった。本書によれば、ウイーンの地下作戦は非常に成功した。成功した、ということは、この作戦、フィルビーも察知していなかったことになる。
 一方、CIAは、さらにソヴィエト軍の最大の基地に近いベルリンにトンネルを掘ることにした。この作戦は、英米合同作戦であり、CIA側を仕切ったのは、カラフルな伝説に彩られたスパイたちの中でももっとも有名なウイリアム・キング・ハーヴェイである。「二日、同じ女性と寝たことはなく」、常に真珠のグリップのついた自動拳銃を持っていた彼は、大統領執務室に入るときも、拳銃を手放さなかった。
 ベルリン地下トンネル作戦は、突然、終わる。それはイギリス情報部にもぐりこんだ二重スパイ、ジョージ・ブレイクによってKGBがトンネルの存在を知ったからだが、謎の一つは、KGBが、このトンネルの存在を知ってもなお一年近くこの作戦を続けさせたことである。そのために、KGBは大量の偽情報(ディスインフォメーション)をトンネル通じて流し込んだ、とかさまざまな憶測が流れた。
 ベルリンを舞台に命をかけて戦った男たちが一堂に会する、という、ありえないような
会議がソヴィエト崩壊後、行われた。「バトルグラウンド:ベルリン」に収められたこの会議の記録は、敵味方に分かれて戦ったスパイたちの記録として、二度と出ないようなものである。旧KGBの面々は、自分たちは偽情報など流していない、仮に少しでもそうしたことが疑われれば、ジョージ・ブレイクの正体がばれるからだ、と証言した。
 本当だろうか。ブレイクは、KGBがそれほど秘匿しておきたいほどの大物だったのだろうか。著者のスタフォードも、どうもそれを疑っているようである。

松永太郎;
東京都出身 
翻訳家、多摩美術大学講師、レモン画翠社長
主訳書「進化の構造」「イカロスの飛行」他。
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◎関西零細企業経営のオッサン 悔し涙を流すの記 (3)      
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大阪の繁華街と言えば心斎橋。その心斎橋に交差する長堀通りは、市内の幹線道路である。
今事務所の窓から長堀戸通りを見下ろすと、直ぐ斜め前に黒いベンツが路上駐車されているのが見える。このベンツ、私の記憶している限りそこに放置されて既に1ヶ月以上になる。先日気が付いたのだが、窓には黒のマスキング、前部の角は何かにぶつけたのか凹んだままになっている。ナンバープレートは勿論ついている。
大阪に住んでいる方はすぐピンとくるが、この手のベンツを運転しているやつは通常只者では無い。
実はこのベンツが駐車している直ぐ横の角を曲がった枝道で、私は車を駐車して事務所に立寄り、一時間足らずの仕事を片付けて車に戻るとレッカー移動されていた、と言う経験がある。しかもつい半年ほど前のことである。
まさかと言う感じだが、このベンツの直ぐ斜め前、私の事務所よりもっと手前に交番がある。交番からベンツはほんの目の前である。
今日交番前で立ち番中の若い警官に話しかけた。
「このベンツを何時まで放って置くのだ。俺の車は直ぐそこに止めて1時間もしないのにレッカー移動されたじゃないか。法律の対応が何んでこんなに不公平なんや。」
警官は照れ笑いの表情で、「何度も府警の交通課に連絡したし、車にも張り紙しましたが、誰も取りに来てくれんのですわ。」
「何でや。」
「さー、それは僕に言われても...」
この野郎、せめて「本官には良くわかりませんが、何とかします」ぐらいの返事は出来んのか。
ややこしい問題には首を突っ込むな。やり易いことで点数稼げ。多分本署の壁にはこんな標語が貼ってあるのだろう。大阪だけの現象であれば良いが。
以上
(2008 3月12日)
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◎読者の書評 超・映画評 愛と暴力の行方」扶桑社
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遠藤浩一氏が言っているように、なかなか奥行きのある映画評と拝見しました。なかでも福田恒存氏の一か所の引用には、我が意を得た思いをしました。舞台の上は勿論、現実社会においても「二重の役割」があるし、そこをきちんと捉えることが肝要です。この視点を持つ奥山氏の存在を嬉しく思いました。
(文芸評論家 TM)
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次回の配信は3月19日(水)を予定しております。どうぞお楽しみに!
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