甦れ美しい日本 第163号
発行日時: 2008/3/4□□■平河総合戦略研究所メルマガ■□□(2008年3月5日 NO.163号)
☆☆甦れ美しい日本☆☆
☆・・・・私たちは書きたいから書くのです・・・・
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☆文化・芸術・映画・味覚などは水曜日発信となりました。
< 目次 >
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◎奥山篤信の映画評論
1.日本映画「明日への遺言 」 映画として ☆☆ 教科書として☆☆☆☆☆
2.フランス映画「地上5センチの恋心 原題ODETTE TOULEMONDE」☆☆
3.ルーマニア映画「4ヶ月、3週と2日
原題: 4 LUNI, 3 SAPTAMANI SI 2 ZILE/4 MONTHS, 3 WEEKS AND 2 DAYS/4 MOIS, 3 SEMAINES, 2 JOURS 」 ☆☆☆☆
◎奥山篤信のDVD映画評論
1.アメリカ映画「マッチスティック・メン 原題matchstick men」☆☆☆
2.デュエリスト/決闘者 原題 THE DUELLISTS ☆☆
3.グラディエーター原題GLADIATOR ☆☆☆☆
◎阿嶋彩子の料理つれづれに (27)<生姜(ショウガ)の効用>
◎読者の書評 超・映画評 愛と暴力の行方」扶桑社
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◎奥山篤信の映画評論
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1.日本映画「明日への遺言 」 映画として ☆☆ 教科書として☆☆☆☆☆
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陸士23期の岡田資中将のB級戦犯裁判についての原作大岡昇平の「ながい旅」を小泉堯史監督が15年間思いをこめて映画化したものである。
米兵虐待・処刑については僕たち団塊の世代は日本の残虐行為としてしか教わってこなかった。まさに東京裁判史観に洗脳された戦後世代の間違った歴史観である。
岡田の裁判での堂々とした武士の態度、それは責任を一身に引き受け、アメリカの戦争犯罪に反論する、そして死に直面してもなお部下を思いやり、アメリカの軍事法廷の公平さに感謝し、死を粛々と受容する、これほど立派な男の美学は我々大和男児にしかないであろう。藤田まこと扮する岡田の姿に涙がとどめなく流れるのである。
日本人がほかの西欧人やアジア人と決定的に異なる美徳がそこにあり、禅の力(偽りなく自然体にて、どのような逆境にも対処する)につくづく感動する。たとえばアメリカ社会では、被告は徹底的に自己の責任を回避する、そのためには仲間を裏切ってでも自己弁護する、それが社会の仕組みであり、それが当たり前とされている。自分が過ちを犯しても「私には責任がない。」がパブロフ反応として咄嗟に自己防衛として吐かれる第一の言葉に象徴される。
岡田は一切の責任を回避せず事実を認め、そして堂々とアメリカの無差別爆撃や原爆の非を主張して、戦闘機乗組員の戦争犯罪による略式裁判での処刑(斬首さえ武士の儀礼であること)の正当性を主張する。そして部下を絶対に守るという岡田の信念がそこにある。軍事法廷側が岡田の侍の態度に心を打たれ、極刑を免れさせるためにアメリカ陸軍法の条項を与え(復讐の概念が許される)、救いの手を出すのであるが岡田は(処罰だとして)それに乗らないのである。
岡田の態度はアメリカ弁護士どころか裁判官や検事まで心を捉えてしまう。結果的には有罪とはなったが、アメリカ側の委員会でも議論があり、助命運動や軍人としての名誉ある銃殺刑への嘆願がなされたが、マッカーサーに却下されたという。こうして事実上岡田は「法戦」に勝利したのである。この映画が史実そのものであるとすれば、アメリカ側横浜軍事法廷の態度も、東京裁判に比べて極めて立派であったことがわかる。岡田の裁判での最後の言葉、日米が兄弟として戦後国際社会の平和を築いていこうという言葉は、日本を敗戦に導いた軍人としての責任感とアメリカへの憎悪・復讐心を超越した人間としての美しく輝く言葉である。前述の「復讐」と「処罰」の意味がここでも重なりあるのである。
海軍の見苦しい常套文句「日米開戦に反対だった。三国同盟に反対だった。」などと戦後戦犯訴追を逃れるための戦争責任回避の卑劣極まりない態度と比べ、軍人としてなんと立派な態度でろうか、処刑台に登る姿には、アメリカの復讐裁判であれ違法であれ何であれ、軍人として死を受け入れることで多くの日本国民の犠牲を齎した上での敗戦の責任を全うする潔い堂々たる男の姿がある。余談だが海軍の言い草である「日米開戦に反対だった」が戦後よく聞かれたが、命をかけて反乱でも起こしていたならともかく、こんな言い訳が通ること事体日本人の責任感がアメリカ化されている証拠である。
このように、この映画は無責任世代である中学生以上の若い世代が日本人の責任の取り方、男の武士道美学を学んで貰う意味で最高の教科書といえる。
初日の銀座TOEIでは記念として小泉堯史監督、藤田まこと、富司純子、加藤隆之、近衛はなが初回上映後登壇した。
残念ながら映画を広めて欲しいとのとるにたらないPR台詞に終始していた。小泉は15年の構想など述べたが、自分でいうようにシャイなのか、この映画の意義を一切語らなかったのは意外であった。富司純子は、昔の藤純子がかくも品格ある女性に育ったかと思うほど和服姿に控えめな日本女性の風格を漂わせていた。黒澤明の孫で岡田の長男陽を演じた加藤隆之などは、幼児ではあるまいし「おじいちゃんが、おじいちゃんが」そのおじいちゃんが岡田陽と身長が同一であったことを奇遇だと、まったく下らないスピーチで日本の俳優の知的レベルの低さを自ら物語っていた。このなかで一人輝いたのは、近衛はなであり、「最初台本を見て涙が止まらなかった。そして岡田の存在が自分のなかで大きくなっていくのを感じた。これからも岡田は私の人生の傍にいるだろう。」との趣旨を語り、若い世代がこの映画を観てくれたらとの僕の希望に明かりを灯してくれたのである。
この映画を映画として評価する場合、残念ながら、いつもの日本映画のパターンの域をでていない。この映画では岡田を神様の存在のように、こんな美しい人物が本当にいるのかと思うほど完全無欠に描いてしまっているのである。スペクタクル場面がないのでその点での日本映画の貧弱さは露呈しないのであるが、相変わらず語りによって観客に訴え、お涙頂戴の岡田の妻、家族、孫などが木下恵介流の60年前からのマンネリ風で描かれているのが、とても凡庸なのである。
岡田の人間的弱さ、岡田の狡猾さ(実際あったかどうかわからないが)、なども入れつつその葛藤の上、最後堂々と処刑台に登るという捻りがあってこそ映画として評価されるのであって、あまりにも完全、余りにも美しい家族愛、あまりにも善人として観客にもろ手をあげて訴えるのである。僕など人間の悪や弱さの一面があってこそ面白いのであって、映画の価値はそこにあると極論しているのだが。
もちろん僕がいう中学生以上の若者に観てほしいので、この映画のままの方が教科書としての効果はあったと思うが・・・
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2.フランス映画「地上5センチの恋心 原題ODETTE TOULEMONDE」☆☆
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フランス映画で性愛や複雑怪奇なストーリーではなく、これほど女性の貞節さが底にあり、ほのぼのとした男女愛や家族愛を表現している映画には驚いた次第である。
『イブラヒムおじさんとコーランの花たち』の原作者エリック・エマニュエル・シュミットが初監督をした映画である。今は未亡人で夫を愛したオデット(カトリーヌ・フロ)は、レジをしながら、細うでで二人の子供を育ててきた、まさに庶民の代表のような主人公である。彼女がとことん嵌っている大衆小説家バルタザール(アルベール・デュポンテル)のサイン会に出かけて、人生の奇跡的転換が始まる物語である。
唄も歌いながら、往年のハリウッド映画を彷彿させるラブコメディである。余りにも浅薄なので、僕にはチョッと言う感じであるが、性愛を離れた人間の恋や愛があるという現代の世相を皮肉る映画なのかもしれない。
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3.ルーマニア映画「4ヶ月、3週と2日原題: 4 LUNI, 3 SAPTAMANI SI 2 ZILE/4 MONTHS, 3 WEEKS AND 2 DAYS/4 MOIS, 3 SEMAINES, 2 JOURS 」 ☆☆☆☆
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僕は残念ながらルーマニアを訪問したことはない。しかし共産圏時代の東独、ブルガリアそしてソ連の都会にはよく訪づれた。共産圏共通の設計モデルがあるのか、ルーマニアでも同じようなアパート、ホテル、道路、ゴミ捨て場など灰色でいて、太陽の薄い光線をバックに何とも言えない共産主義の重苦しい陰鬱さがこの映画に出ている。アパートの入口、階段など、それだけですえたような悪臭が、画面から漂ってくるようである。
それに制作コストをかけていないがゆえのリアリズムがこの映画にはある。
映画はチャウシェスク政権末期のルーマニア・ブカレスト独裁政権末期を舞台に、二人の女学生ルームメイト並びにその恋人との関係を描いたルーマニアの新鋭クリスチャン・ムンギウ監督の見事な心理映画である。昨年のあの日本の駄作といえる河瀬直美監督の「殯(もがり)の森」がグランプリを受賞した同じカンヌ映画祭でパルムドールを受賞した作品である。カンヌも捨てたものではないと、この映画を観て考え直した。
二人の女学生のオティリア(アナマリア・マリンカ)とガビツァ(ローラ・ヴァシリウ)は寮生活をしており、お互い恋人を持つ間柄である。オティリアは責任感が強く聡明であり、恋人はいわばルーマニアの持てる階級に属している。一方ガビツァは人柄は良いにしても、その場だけの繕いの悪意なき嘘を連発する女性であり、妊娠後かなり経ってからの中絶を行うとのを、オティリアは彼女の場当たり的言葉に翻弄されながらも一生懸命金策など努力し友達を助ける。腹の立つほど馬鹿なガビツァのせいで、もぐり中絶医者に不足分の対価を、手術直前のホテルの部屋でセックスを対価に支払う羽目になっても、それでも一生懸命友を助けるのである。
その同じ日に恋人の母親の誕生日がある。つい先ほど医者に体を売った自己嫌悪そして恋人の間に自分自身が妊娠している予感を、腹立たしく恋人と語り合う場面が、見事な心理描写である。オティリアに扮するアナマリア・マリンカという女優はハリウッドでは見かけない新鮮なインテリ風の美しさと重みがあり、目だけでの演技が特に極め付きである。
共産主義では宗教心というものが希薄で、怖れる神が存在しないので、自ずと性愛も自由奔放であったのは事実である。そしてもぐり医者の対価は違法手術の処罰が懲役10年にもなることで、当然支払金額との兼ね合いとなる。共産圏ビジネスを経験した僕には、共産主義の無宗教性と金銭第一主義がわかりすぎる位わかるので、このもぐり医者の言うこともそれなりに理解できる。本当の意味での悪党ではなく、体制あっての必要悪なのである。
親子や友人関係さえも密告にさらされているチャウシェスク政権下においても、人間の信頼関係が存在すること、そして一人の女性の逞しい生き方を、この映画は僕たちに訴えているのである。
オティリアは、恋人の母親の誕生日祝いもそこそこに、ホテルに戻り、流した胎児の後始末をするために危険を冒して夜中胎児を高層アパートのごみ処理シューターに捨てに行く。ほっとして、ホテルに戻ったが、部屋で絶対安静にすべきガビツァが見当たらない。なんと食堂で腹が減ったと食事しているではないか。そんなガビツァが「土に埋めてくれた?」との「宗教心」を投げかけ、オステリアがそれを黙殺、そして食事にがっつく姿を無言で眺めるところで映画は終わる。何とも言えない余韻と暗示を残す見事なフィナーレである。
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◎奥山篤信のDVD映画評論 今回はリドリー・スコット監督の三本
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1.アメリカ映画「マッチスティック・メン 原題matchstick men」☆☆☆
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リドリー・スコットの2003年のコメディ風人生悲哀映画である。スコットのレパートリーの深さと広さに驚く映画である。
マッチスティック・メンとは詐欺師であり、騙しの芸術家(con artist)である。主人公の
ニコラス・ケイジ扮するロイは異常ともいえる清潔漢であり、暴力沙汰を絶対に避けて、美しく、人を騙し金を巻き上げるプロである。
彼が別れた妻の間にできた娘への父親としての愛情が画面からほとばしり涙ぐましい親子の愛情、そして娘を犯罪に巻き込んでしまった悔いから真人間へと立ち直ろうとする心の葛藤をケイジが芸術的なレベルで演じるのである。
ところが詐欺師が見事最後仲間の相棒フランクに裏切られる面白さ、娘かと思っていた「娘」にも・・・
この映画の素晴らしさは、奇想天外なストーリー運びと名演技の数々であるが、まともな仕事に復帰したロイが、顧客としての「娘」と遭遇するが、そこに怒りと復讐の念はなく、「娘」として穏やかな気持ちで接し、「娘」も父親に対する尊敬の真心で応える最後の場面に観る者は心を打たれるのである。コミカルさに親子の情を散りばめた見事な演出である。
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2.デュエリスト/決闘者 原題 THE DUELLISTS ☆☆
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リドリー・スコット の1977年の出世作であり、これでカンヌ映画祭で新人監督賞を受賞一躍世界の舞台に躍り出た作品である。
19世紀初頭のナポレオン時代の男の名誉をかけた決闘をテーマにしている。フランス軍中尉の主人公が、些細なきっかけから決闘を挑まれた相手と、ただひたすら決闘を繰り返すという物語。ハーヴェイ・カイテル扮するフェローが執拗な病的なほどの決闘マニアとして、主人公のキース・キャラダイン 扮するデュベール にまとわりつく。映画はヨーロッパの場面を次々と運命の二人の出会いと都度決闘を描く。サーベルから最後は拳銃へと決闘の手段が変わっていく。
なぜここまで決闘をとやや退屈感は免れないが、最後の拳銃の血統で規定の二発を消費しし絶対絶命のフェローに対し何故かとどめの一発を撃たないデュベールの男の美学と崇高さに心が打たれるのである。
若いスコットが一生懸命映画を創った気概が溢れ出ている。何よりも欧州独特の田園風景が美しい。
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3.グラディエーター原題GLADIATOR ☆☆☆☆
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2000年の映画であり、アカデミー賞作品賞ならびにラッセル・クロウが主演男優賞を受賞した。当時湾岸戦争にあり、受賞の背景にはアメリカの言う「正義の戦い」と重ね合わせるものがあった。ローマ時代のスペクタクルは「ベン・ハー」など彷彿させるが、筋書きが映画らしくて飽きささない面白さがある。ラッセル・クロウがこの受賞を機としていまや世界の名優となった。「ある愛の風景」のコニー・ニールセンがとても美しい。
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◎阿嶋彩子の料理つれづれに (27)<生姜(ショウガ)の効用>
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生姜は香辛料や生薬、食材として多方面に役に立つ食品であり、私は生姜を常に野菜箱の中に置いている。古事記にも出てくる位古くから親しまれており、和食はもちろんのこと中華料理にも良く合う。
古事記に出てくる頃は生姜を「はじかみ」とよんでいた。今では生姜の芽を湯通しして甘酢に漬けたものを「はじかみ」と言って日本料理の焼き魚の添えなどに出されて、大変口あたりの良い添えものである。少し赤みをおびて可愛らしい感じがするところから、恥じらいからきた呼び方だと言う人もいる。又紅生姜にして、たこ焼きや焼ソバちらし寿司等に添えて食したりもするが、色あいも良く美味しい。
生姜は夏の冷奴や素麺の薬味として欠く事の出来ない品である。暑い夏にこの生姜の味が薬味に加わる事で急に清涼感が増して食欲もでる。日本料理の使い方としてはすりおろして生姜しょうゆに、又刻んで煮物の上にそえたりするが、何れにしても一味良くなるのである。鰯や鯖のような青背の魚を煮たり、刺身で食したりする折にはニオイを消す役目も果してくれる。中華料理やカレーの隠し味としても必要な香辛料である。
生薬としての生姜は素晴らしく、冷えに効能がある。風邪をひいた時はすりおろして液を蜂蜜と共に湯で希釈して飲むと体が温まり発汗作用がある。私は冬の寒い日には美味しい飲み物として好んで作り、これを飲むと胃腸も温まるので気分が良くなる。
私は食品の脇役の大切さを時々考えるのである。必ずと言っても良い位、体に良い食材が多い。これは昔の人達が語り継いだ知恵なのか否かは判らないが人間健康に生きていく能力の一つかもしれない。又、欠かすことが出来ない位美味しさを助けるのである。
お鮨屋では、「わさび」と「生姜」は立派な脇役である。わさびはお鮨には欠くことの出来ない品で、代役はきかない。マグロのトロにはわさびの強さがトロの濃い味を鎮めてくれる。美味しいわさびは只辛いのではなく、粘り気と甘みを含んでいるので味わいに深みがある。伊豆の上等なわさびはかまぼこや海苔と共に食しても充分満足な味である。銀座久兵衛で食して印象に残っているのは、わさびを細い千切りにして海苔でマグロの赤身と共に巻いた品であり、これはわさびの持つ何とも言えない深い甘ささえ感じられる逸品であった。一方生姜は白身魚の漬け汁である三杯酢や青背魚のお供に使われ、この生姜は生姜本来が有している凝固作用の為か、白身魚の身を一層ひきしめるのである。
小料理屋さんのカウンターで小鉢物を頼んで作ってもらっている時、料理人が最後の仕上げに付けてくれる生姜やわさび、柚子などを添える時に緊張している雰囲気が私は堪らなく好きである。程よい少量をそっと置きつける時こそ最後に作品を手放す瞬間である。これをみても判るように脇役食品の味の仕上げの大切な役割を改めて思うのである。そして、この脇役食品こそ良質のものを選びたい。
私達はいつもメインの食材ばかりに目がいくが、このような脇役食材がいかに大切かと考える。出来上がって食する時の美味しさを求めて添えの食品にも気を配りたいものである。この心がけが料理を一段上の味に導き、又消化を助けたり食中毒を防いだりする大きな役割も持っている事を忘れてはならない。
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◎読者の書評 超・映画評 愛と暴力の行方」扶桑社
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1.奥山さんの映画評は、ひとことでいうと情熱的である。観てきた映画の魅力や感動、失望や慨嘆など、文章から奥山さんの感情があふれんばかりにほとばしってきて、読んでいる私たちにもその熱が伝わってきて、引き込まれてしまう。
昔みた映画で、何の映画だったか忘れたが、生意気な口をきいた息子に父親が「お前、そんなこと言ってると映画評論家みたいになるぞ」というシーンがあったのを覚えている。にくまれ口をきいたのか、はたまた批判のための批判をしたのかは覚えていないが、日本でも米国でも、映画評論家が評価する映画がおもしろかったためしはないような気がする。「Two Thumbs Up!!」とか「全米が泣いた!」とかの文句を宣伝で見ると、「ああこれは観なくていい映画なんだな」という指標感すらある。私も一時、学生時代に映画にかなりのめりこんだ時期があり、手始めにNewsweekが出している映画ガイドを参考にいろいろと借り出して観た。ところが、Newsweek の映画担当記者に「これは素晴らしい」という評価を得ているものほど、私にとってはまったくおもしろくない。仕方がないので、自分がおもしろいなと思った映画に出ている俳優、女優の出演作を手当たりしだいに見ていくうちに、自分なりの好みがあることに気づいた。
そうなのだ。別に映画評論家が素晴らしいというからその映画が素晴らしいわけではなくて、自分が素晴らしいと思った映画が素晴らしい映画なのである。
そういう意味で、奥山さんの映画評論はまことに気持ちがよい。好き嫌いがはっきりしていて、すべての表現が奥山さんが心から感じたものだからだ。観た映画について語る時、その映画が「いいか悪いか」という客観的な評価ではなく、自分が気に入ったか気に入らなかったかという主観的な感情を語っているのだと思う。どの映画も、絶対的な評価基準など存在せず、それこそ観た人によって感想は違う。いい悪いというjudgement な評価ではなく、「僕はこう思う」という主観的な個人の好みをはっきりと打ち出してあるからこそ、おもしろいと感じる。同意するものもあれば、同意しないのもある。だけど、自分も観た映画を奥山さんと語りあうのは、これまた大変におもしろい。「僕はこう思う」「私はこう思った」と、お互いにも、まわりの評価にも媚びていない本音の感想が語り合えるからだ。
奥山さんの評論を読んで、絶賛と酷評の幅が大きければ大きいほど、魅力的な映画評論であるように思えてきた。新聞や雑誌などの映画評論がたいていパッとしないのは、あたりさわりなくストーリーを紹介し、最後に決してポジティブな評価を与えないひとことで締める、というパターンが多いからだろう。たまに絶賛する映画も、普通の人が普通におもしろいという映画ではなく、なんとなくマニアックな映画をほめる傾向にあるからかもしれないが、要するに「これ、めちゃめちゃおもしろいで」とか「これ、最低の映画や」とか、パーソナルな感情のほとばしりが感じられないから、いいとも悪いとも(好きか嫌いかという意味で)どっちつかずなことしか書いてないようにみえるのだろう。
ともあれ奥山さんの映画に対する、もしかしたら人生に対する基本的な姿勢は、「僕を感動させてくれ!!」という情熱ではないかと私はひそかに思っている。だからこそ、あんなに情熱的に映画を求めるのではないだろうか(違ってたらごめんなさい)。だけど人生に感動を求め、それに値するものに出会ったときは心の底から素晴らしいと感激し味わうことは、「さあ批判してやるぜ!」というひねくれた批評家精神よりずーっと人間的で、魅力的で、人生を楽しくするものではないだろうか。
(ライター・梅)
2.筆者と私は1960年代の全共闘世代で、同じ大学生活を送った。当時は民青(日本共産党民主青年同盟)が日共の手先としてその本質を現し、左翼・ノンポリの両陣営から蛇蝎のように嫌われた時代であった。バリケードや機動隊の催涙弾が目にしみる日常性の中で、学業を放棄しデモや読書三昧、そして自由恋愛を謳歌する時代であった。
そんな堕落した生活の中でも、緊張感は常にあり、バリケードで封鎖された建物の中の空気はピリッと引き締まり、階段の段端が異様に鋭角に感じられたものだ。今日の日常空間に漂う弛緩した空気とは比べものにならない。
この映画評は100本余の映画をそれぞれ絶賛し、あるいは酷評しているが、筆者の批評からはそのような個別論とは離れ、何か当時の全共闘時代から今日まで私が出会い又別れていった一人ひとりの人間の軌跡が重なって浮かんでくる。ある人は猛烈社員の時代を経て、マイホーム、出世競争の勝ち組・負け組といった悲哀や、ある人はドロップアウトしたまゝ個の中に閉じ篭り社会と離れ、又ある人は自分を信じ世直しの孤独な戦いを続けている。
そんな団塊の世代の一つの叙事詩のような流れを感じるのは、私一人だけであろうか。
(建築家 ST)
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次回の配信は3月8日(土)を予定しております。どうぞお楽しみに!
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