食品偽装に消えた年金!「人気メルマガ発行者」が鋭く斬り込むNEWS評論!【投票は28日迄】
トップ > マネー・政治・経済 > 政治・経済 > 甦れ美しい日本

甦れ美しい日本 第161-1号

発行日時: 2008/2/22

□□■平河総合戦略研究所メルマガ■□□(2008年2月23日 NO.160−1号)

  ☆☆甦れ美しい日本☆☆

☆・・・・私たちは書きたいから書くのです・・・・
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

< 目次 >
◎ゲスト執筆者

 塚本三郎  

◎松島悠佐の軍事のはなし(60)防衛省改革案  

◎書評 「めぐみへ 横田早紀江、 母の言葉」横田早紀江著 草思社
  奥山篤信

◎レギュラー執筆者 
      
1.佐藤 守      大東亜戦争の真実を求めて 153 
2.奥山篤信   「超・映画評 愛と暴力の行方」扶桑社 出版(発売2月21日)にあたって
3.西山弘道    「永田町の液状化現象」
4.松永太郎    本の紹介  戦争の世紀 4 Century of WAR   William Engdahl   Pluto  Press  London 2004
5.藤岡知夫     2008年2月始めのコンサートから

◎第258回「龍の子会」例会 2008年2月8日 (2)
「Japan Missing」「2006年度予測の検証」「サブプライム問題について」「2008年日本経済の展望」
伊藤 武
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
──────────────────────────・・・・・☆
------------------------------------ 
 塚本三郎 
  保守、反動こそ革新                            
-----------------------------------   
三十年前、アメリカの社会学者・ヴォーゲルは、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」即ち日本こそ世界一、だと褒めてくれた。
 占領下の日本は、不本意な法制と、経済制度を押し付けられた。それを逆手にとって、恭順、否、逆襲であったかもしれないが、唯一の敵であったアメリカを、同盟国へと仕立て、国力のすべてを、経済建設へと必死に登り詰めた。
 日本人は、純情にして一途な処がある。
改革、解放のみならず、アメリカを手本として日本の国民性までも、改良しようとする声さえあった。幸い日本の改革は順調に好結果を生んだ。
だが、それが短所に向けば、極めて危険である。かつては、その長所が全面に現れた。
 しかし、最近の日本は、その純情という短所が日本国家及び国民に逆襲しつつある。日本人の持てる長所、即ち大和魂までも米国に見習い、忘れ去ってしまった。
新しいことは、未知の世界への進出であり、未開分野への探求であるはずだ。だが、それを何を勘違いしたのか日本人は、今迄の魂と努力の多くが古いものであり、改革の邪魔ものと誤解し、こともなげに忘れ去り、改革の障害として否定してしまった。
日本ほど、地下資源に恵まれない国は珍しい。それを補い、すべての貧しさを豊かさに変えることの出来たのは、日本人の不屈の魂であった。それが時を共に古いとみなした。
 経済的先進国に追い付きつつあった、日本の「進路を支えて来たもの」、それは日本人の良き伝統であり、日本人の魂であった。その日本人の良さが、頂点に近づくに従って、忘れ去られ、「第二の敗戦」と綽名されていることに気付くべきだ。
 敗戦以来、血みどろの活躍を重ねてきた道程を省みるとき、日本人が「保守と呼ばれ、反動と卑しまれた」数々の日本人特有の長所が、実は極めて大切なことであった。
 かつて我々は占領下に押し付けられた憲法を逆利用して、立派に立ち直った。それは間違いではない。しかし、それが為に、敢えて日本人の「良心、常識、そして責任感」、言わば、精神の部分を軽視し、忘れて来たことを、今一度「拾い直してみる」必要がある。
保守、反動のどこが悪いのか
 教育勅語を禁止したのは占領軍であった。しかしその示す内容を、どうして独立後も否定されたまま放置して来たのか。日々の暗いニュース。例えば、可愛いわが子を、自分の手で殺す親。大切で大恩あるわが親を殺す不孝の子が目立つ。原因は幾らもあろう。このような、畜生にも劣る日本人が増えたのは、教育勅語の精神までも否定したことに漸く気付きつつある。今迄は、それさえも言い出せない社会風潮であった。
軍事組織は防衛に不可欠で日本のみがなぜ非武装なのか。占領下の日本と、独立後の日本とでは、国家としての根本が変った。そして、外交と、防衛の必要は、国家の根幹であり相手国との関係に対応した体勢を備えることは当然である。
勿論、戦前の軍が主張した、統帥権を認めよと言うのではない。日本人の若者に愛国心の育成と、集団生活を経験させることが悪と言い切るのは、余りにも無責任である。
世界中で、国家を愛することが、あたかも右翼とか、反動と評する風評を作っているのは、日本特有の、歪められた政治思想である。とりわけ若者には団体生活による、「規律と協力心と愛国心」を育てることは、国家の責任である。
集団的自衛権を否定することの不合理を、なぜ放置したまま今日に至ったのか。日本と米国とが、軍事同盟まで結んでおきながら。軍事同盟は、集団的防衛そのものである。
他国から軍事的庇護を受ける国家は、属国そのものである。非武装の憲法下で、属国とし続けよと言わぬばかりの現体勢、即ち今日の憲法を守っている以上、同盟国として、対等の集団的防衛を否定せざるを得なくなっている。日本は、いつまで米国の属国に甘んずる体制を続けよと云うのか。それが革新とはよくも言ったものだ。
非核三原則を、日本はいつまで続けるのか、防衛は、自国の置かれた位置と立場によって対応しなければならない、核を持ち込ませずを堅持すれば、日米同盟は無用となる。
専守防衛を唱え続けるのは、防衛の必要を漸く認めながら、歪められた憲法の眼を盗む、卑しい発想ではないか。専門家の経験では、専ら防衛のみの体勢ならば、相手に、十倍の装備と兵力が必要である。政治家の軍事音痴を寂しく思う。
 二十一世紀は核の時代であり、核を持つことが、今日の状勢では独立自尊の先進国家と考える。その中で、日本のみが例外で良いと誰が保証出来るのか。政治の世界と宗教の世界とは、次元が異なる。相手に対応する備えを考えるのが国家の任務であり、それが平和を守ることではないか。国亡び人減せば、誰か仏法を崇むべき、まづ国家を祈って仏法を立つべしと、日蓮の(立正安国論)は説く。戦後の歴史の経過を承知しつつ、日本国家の現実に在るべき姿に眼を閉じているのは、無責任であり、卑怯でさえある。
武器輸出禁止を日本は永久に続けていくのか、相手国との関係、そして武器の種類については無条件ではなく、その対応と分別を明確にする必要は当然のことである。
日本が禁止しても、他国、特に共産主義と独善国家が、自由に製造、輸出を行なっており、禁止している日本のみが、ひとりよがりの国と嘲笑されたままではないか。
以上の諸項目は、日本の政治が避け続けたことが問題で、堂々とまず国会で議論せよ。
日本は既に、核武装の各国に取り巻かれている。
それ等の国々は、決して親日ではない。反日の政権が!)を研ぎ、日本を攻撃の標的らしく振舞っているではないか。ミサイルが日本に向かって無数に据えられている。
穏和な日本国家、そして国民といえども、いつ、如何なる事態をも想定しておくのが、政治家の安全保障と防衛の任務である。
自国の安全のみではない。相手国に、横暴と侵略の邪念を起さしめない為でもある。
新憲法創設がすべての原点
 数々の不具合の点をあげ論じてみれば、それ等を解決する為には、その行手に、占領下に押し付けられた憲法の壁に突き当たる。
 日本人は止むを得ず、その壁を乗り越えて、今日の繁栄を切り拓いて来た。
今日、直面しつつある第二の敗戦を乗り越える道は、否応なく憲法という壁を破棄し、普通の国の憲法、或いは、理想的日本独自の憲法を創設しなければならない。
 今日までは、前述の如く保守と呼び反動と卑しめて来た数々の問題は、憲法という尺度を前提として来たからであった。
 今日までの日本は独立国家存立のため、止むを得ず時代遅れの憲法の条項を、くぐり抜ける為の、その場しのぎの対外行動、特に自衛隊についての行動でもあった。
 日本は世界でも有数の法治国家である。にもかかわらず、独立国家の体勢を維持するため、憲法各条文の抜け道を故意に考え、最大の非法治国家としての、汚名の傘を冠っている。それこそ、米国の属国としての汚名に甘んじる、占領下そのものの継続でもある。
 不思議なことは、野党、とりわけ反米の思想集団が、米国の傘の下で生きている憲法を擁護、特に第九条の非武装を守る集団を形成している。
反米の容共集団が、米国の隷属下に在るべきだと、叫び続けるのは二律背反である。
 その!)を深く考えてみれば、日本をいつまでも弱体化させ、日本本来の大和魂を骨抜きにして、共産主義を実現するため、まず日本を安易な欲望集団化せしめることをねらい、東アジア共同体と呼ぶ、中国に属する集団に組み込む魂胆である。それには大和魂が邪魔になるからであろう。
 日本と米国とは同盟を結んでいる、その間に鋭いクサビを打ち込む魂胆でもある。
 今日の中国は、米国に逆らわず、良き競争相手と言っているが、やがては、軍事大国となり、米国をも支配するという野望は、中国共産主義政権の言葉の端々に読み取れる。
勿論米国は、中国共産主義の暴挙を許さない。その場合、日本は、「東アジア共同体の仲間」という、耳なれた言葉に吸い寄せられる心配が大きい。
  日本の危機、即ち、米、中の争いの中間に立たされたとき、中国共産主義の側に立って、米国と、再び戦わせられはしないか。中国にはその計略が、透けて見える。
寛容を装う曖昧な政権
 その中国の作戦に乗せられて、既に野党代表が続々と北京詣でに忙しい。
 更に福田首相まで、国会の会期中の暇を縫って、中国へ、ご機嫌取りに参上している。
 中国共産政権は、卑劣な「反日の舘」と呼ぶ、嘘の宣伝舞台を増設している。
 中国側が、中・日友好三十五周年とのお託宣を述べれば、福田首相は、日本国政府の代表として、「反日の!)」を撤去しなさい。それが親善、友好の第一歩だと言うべきであった。「他人のいやがることは、しないほうがいいでしょ」と言うのが、福田首相の信条であったではないか。日本人の魂とも言うべき、靖国神社参拝をしない。それをしも敢えて信念の男として、福田首相に、一片の理を認めたとすれば、中国胡錦濤主席に対して「日本人のいやがる反日の、しかも嘘の舘はしないほうがよいでしょ」となぜ言わなかったのか。
 それとも、中国人のいやがる言葉だから言わなかった。或いは言えなかったのか?
 福田首相の訪中は、日本人よりも、中国人の心の方が、より大切ですと、世界に宣言してみせる為に、国会会期中にわざわざ北京に行ったことになる。
日本人の一人として私は、良心的で平和的で、相手の立場に耳を傾け、他人を尊重される福田康夫氏の温かい思いやりを素直に認める。だが一国を代表し、国運を担う内閣総理大臣としては、余りにも不適格な今回の行動に、寂しさよりも、怒りの心を抑え切れない。
 その上、安倍前首相が決断した、新憲法創設の第一歩である国民投票法を、具体化する作業や、教育基本法改正案、反レジューム等の段取りが出来ていたのに、作業を手付かずに放置している。為政者にとって、政権は大切である。しかし、何が為の政権なのか。
国家の尊厳と国民の安全こそ、政権の眼目でなければならない。
 かつてドイツの文学者トーマス・マンは、ヒトラーの強圧政治に対して「寛容さを装ってはならない、ノーと云うべき時には、はっきりとノーといわねばならない」と説き、寛容であることが美徳のようになっているが、悪に対しては、決して曖昧な態度をとってはならない。そのうちに手遅れになってしまう、と言い切って、祖国のナチスを嫌って亡命した。その言を、そのまま福田首相に呈したい。       

塚本三郎;                
愛知県名古屋市に生まれる 
鉄道省名古屋鉄道局に勤務し、県立中学校(夜間)に入学 
終戦とともに労働組合運動に従事 
運輸省に転勤し、中央大学法学部(夜間)に入学 
国鉄を退職し、中央大学法学部卒業 
昭和 33年 挑戦4回目にして初当選し、昭和生まれ初の代議士
(日本社会党所属)となる(以後当選10回) 
昭和 35年 民社党結党に参加 
昭和 49年 民社党書記長に就任(国鉄改革・電電公社民営化に取組む) 
昭和 60年 民社党中央執行委員長に就任 
平成 元年 民社党常任顧問に就任 
平成 9年 「勲一等旭日大綬章」を受章 
------------------------------------ 
◎松島悠佐の軍事のはなし(60)防衛省改革案
-----------------------------------  
2月17日の読売新聞の社説に「防衛省改革」に関する意見が載っていました。意見の要旨は、「石破大臣は過激な改革案を提示しているが実行は難しい。背広組と制服組を統合するにしても、もっと穏やかな案にして効果の上がるような改革にすべきだろう」というものでした。

防衛省改革を、事故再発防止だけに矮小化せず、グローバルな視点で改革して欲しいことは前々回にこのコラムにも書きましたが、どうやら防衛省内の組織をいじるだけで終わってしまいそうな感じです。

しかも読売の社説が指摘するように、現実性のない机上での組織論だけのようであり、指揮・統率が自衛隊の命脈と思っている私には不安に思えることばかりです。
しかも各幕僚監部との接触を禁じた、大臣直属の閉鎖的な組織で検討するような手法を考えているようで、このままでは大局判断を誤ると危惧します。

石破大臣がこれまで自民党国防部会や防衛庁長官としてかかわってきた防衛に関する改革については、一つの傾向があります。それは、抜本的なことよりも今の法律と制度の中で出来ることだけをやるとの手法であり、国会で火花を散らす本質的な論争は避けてきました。

能登半島沖の不審船事案の後、北朝鮮のゲリラ潜入対処などが問題になった折、小規模の特殊部隊によるゲリラ戦に対処するためには、「防衛出動事態」とは別に「領域警備事態」のような新たな対処体制を整える必要があるとの意見が制服側から出てきましたが、「治安出動事態」を少し膨らませて対処すれば事足れりとの考えでした。

その後に起きた9・11テロの後の警備強化の際にも、結局治安出動の拡張で処置してしまいました。

治安出動の基本は警職法に準拠した警察行動であり、武器の扱いも軍事組織としての「武力行使」ではなく、自衛官個人に与えられた「武器使用」が基本になっており、正当防衛・緊急避難以外では人に危害を加えてはいけないことになっています。
ゲリラもテロも特殊作戦を訓練した戦闘員が相手であり、国内でのデモ鎮圧とは違います。個人の武器使用では対応できないとの制服側の意見に対し、抜本的な問題解決を避け、今ある制度を見直しするだけの措置となりました。

北朝鮮のミサイルに対しても「被害を受けた地区に災害派遣で対処するしかない」と発言していましたが、ミサイルを撃ち込まれたらまさしく防衛出動事態であり、もしそれが速やかに発動できないような法的な問題があるのなら、改善措置してしかるべきだと思うのですが、結局根本的な解決には挑戦しませんでした。

防衛庁を「省」に移行・改革することにも消極的で、長官当時も「省にする必要はない」との考えのようでした。

イラク派遣特措法の審議の時も、武器使用の国際的な基準の適用、集団的自衛権の解釈変更など抜本的な政治的措置を行った後派遣すべきとの意見が強かったのですが、結局小泉総理の「自衛隊が活動している所は戦闘地域ではない」と言う強引な論理で、基本的な処置もしないまま片付けてしまいました。派遣された隊員の努力で事なきを得ましたが、送り出す防衛所掌の大臣としては政治生命を賭して頑張って欲しかったとの思いが残りました。

なるべく穏便な施策で内向きな改革をするのが石破流のようですが、今回も事故再発防止だけに目を向けた改革となるようです。しかし今回は、その内向きなものを抜本的にやるとの印象を示したいのでしょうか。防衛省内局と各幕僚監部の組み換えを抜本的に考えているとのパフォーマンスを取っています。

これから改革をしようとしている大臣に、パフォーマンスというのも失礼かもしれませんが、このような過激な案が出来ないことを知っているのも石破大臣だと思うからです。抜本的な改革をやろうとしたが、みんなの反対で出来なかったと言いたいのかもしれませんが、抜本的な視点が違うような気がします。

目下、イージス艦と漁船の衝突事故の処理で忙しいことでしょうが、抜本的な防衛省改革を実現するため、わが国の置かれた国際的な環境、さらにはそもそも軍隊とはいかにあるべきかという視点から、密室の議論ではなく、大局を見て改革を進めてもらいたいと思います。                         (20・2・22記)                                   

松島悠佐(まつしま ゆうすけ);
元陸上自衛隊中部方面総監
防衛大学卒業後、自衛隊入隊陸上幕僚監部・防衛部長、第8師団長(熊本)
等の要職を経る。
平成7年阪神大震災時、中部方面総監として活躍。
同年中部方面総監で退官。著書に「阪神大震災・自衛隊かく戦えり」(時事通信社刊)
がある。 現在、危機管理などの講演を精力的に行う。
------------------------------------ 
◎書評 「めぐみへ 横田早紀江、 母の言葉」横田早紀江著 草思社
  奥山篤信
----------------------------------- 
横田早紀江さんは僕が現在知る限りの日本人女性の中で最も尊敬する方である。遺伝子学者村上和雄先生によると、遺伝子は良い環境や前向きな心がけで良い遺伝子がスイッチオンされ悪い遺伝子がオフとなって人間はよりよく「進化」していくという。早紀江さんはこの仮説から程遠い筆舌に尽くし難い災難と御不幸に遭われ,なおかつ御表情が神様のようにお優しくお美しい、それは心身とも困難を乗り切ろうとするお気持ちで良い遺伝子がオンされたのだとの村上先生のお話を聞いたことある。

僕は櫻井よしこさんが司会を務めている拉致被害者救う糾弾大会に第一回から極力参加しているが、その時の早紀江さんから比べても、今の早紀江さんは本当に神々しいお姿なのである。二三年前か目黒の神社でお近くでお話をお聞きしたとき、早紀江さんは北朝鮮の飢えた子どもたちにおにぎりを握って食べさせてあげたいと言われたことを記憶する。これだけではないが、早紀江さんは人間としての北朝鮮への憎悪を超越した全世界の子供を持つ親の立場、さらには高邁な本当の意味でのヒューマニズムの域に達せられたのだとふと思ったものである。

今回ご著書を一気に読ませていただいた。この書を涙なくして読むことは絶対にできない。
早紀江さんは生まれ持った天賦の感性をお持ちで、それを誰もができない豊かでいて簡潔な表現で苦しみ、悲しみ、怒りそして希望を述べられているのである。

僕に限らず自分の家族への強い愛があるもので、何の咎もない状況で子供をさらわれたらどうだったであろうかと何時も横田ご夫妻その他拉致被害者のお姿を拝見すると胸が詰まるのである。僕などはとても早紀江さんのように、静かに心の怒りと失望を堪えて、そして北朝鮮の罪なき国民に思いをはせるなどということはできないだろう。「目には目を」の血なまぐさい復讐心しか頭にないであろう。

早紀江さんはめぐみちゃんが行方不明になったあと、畳をかきむしって泣いて叫ばれた日々があったという。めぐみちゃんは誘拐船の船底の壁を「おかあさんに会いたい」と爪でかきむしり爪が剥がれ血に染まるまで至ったという。なんという残酷なことか!

その後キリスト教に改宗されマクダニエル宣教師や聖書の教えに感銘されたという。その宗教心こそが、地獄の底の早紀江さんのお心の支えとなったことは間違いない。

この著書にはカメラ好きの滋さんのスナップが前面で何ページかに転載されている。あどけない悪戯っぽいめぐみちゃん、そして平和で幸せそうな御一家、涙がとどめなく流れる。何よりも大きな字体で書かれた数多くの早紀江さんのお言葉ほど真実を物語るものはない。

僕たち日本人は絶対にこの問題を置き去りにしてはならない。全拉致被害者が日本に戻るまでは!北朝鮮に媚を売る与党であれ野党であれ政治家ども、官僚ども、金銭の亡者の財界人ども、貴様らには政治家や社会人としての資格はないどころか、人間として失格であることを思い知るがよい!

日本全国民に読んで欲しい書である。早紀江さんのお言葉こそが、崩れそうな危機にある日本システム全体を再生するきっかけとなる悲痛な声であることは間違いない。

美智子皇后陛下のお言葉;
 「悲しい出来事についても触れなければなりません。小泉総理の北朝鮮訪問により、一連の拉致事件に関し、初めて真相の一部が報道され、驚きと悲しみと共に、無念さを覚えます。何故私たち皆が、自分たち共同社会の出来事として、この人々の不在をもっと強く意識し続けることが出来なかったかとの思いを消すことができません。今回の帰国者と家族との再会の喜びを思うにつけ、今回帰ることのできなかった人々の家族の気持ちは察するにあまりあり、その一入の淋しさを思います」
─────────────────────────・・・・・☆
◎レギュラー執筆者 
------------------------------------ 
1.佐藤守
  大東亜戦争の真実を求めて 153
----------------------------------- 
 1937年7月に、シナ事変が勃発して日中戦争が始まるや、ルーズベルトは「対日圧迫外交を強め」追い込まれた日本がついに真珠湾攻撃に踏み切ったことは周知の通りである。その「反日親中」外交を進めた当時の米国政府の実情については、日本ではあまり詳しく論ぜられていない。
 ところが南京事件を研究していた東中野修道・亜細亜大学教授が、平成15年1月に訪台して、国民党党史館で国民党の極秘文書「党中央宣伝部国際宣伝処工作概要」を入手し、詳細に分析した結果、南京大虐殺の重要な根拠といわれていた単行本『戦争とは何か』が中央宣伝部の宣伝本であることを突き止めた。そしてその影響は、当然米国にも広がっていたのである。
そこで東中野教授の「南京事件・国民党極秘文書から読み解く」(草思社)を引用しつつ検証していくことにしたい。
「この本(『戦争とは何か』)は、上海にいた英国の『マンチェスター・ガーディアン』紙中国特派員ハロルド・ティンバリー記者が南京在住の欧米人(匿名)の原稿を編集して、昭和十三年(一九三八)七月にニューヨークやロンドンで出版したものであった。戦争の悲惨さを訴えるという趣旨のもと、日中戦争、とりわけ南京の日本軍の暴行を取り上げたという構成になっていた。まさに第三者的立場の欧米人が、独自に出版した本と読者の目には映った。
 執筆者は匿名であったが、陥落前後の南京にいて一部始終を見たというアメリカ人の『手紙』と『メモランダム』が、主として南京の殺人・強姦・略奪・放火を告発していた。
 この『戦争とは何か』の評価が一躍高まったのは、その後になって、匿名の執筆者がマイナー・ベイツ教授と宣教師のジョージ・フィッチ師であると判明したことからであった。特にベイツ教授は東京裁判に出廷し、日本軍の虐殺を主張していた人物であった。その彼が南京陥落から七ヵ月後に出た『戦争とは何か』の中で、東京裁判における証言と同じことを主張していたことが明らかになったのである。これによって東京裁判の判決を裏打ちする、新たな証拠が提出される形となった。
 ベイツ教授は有名な宣教師にして社会的地位のある南京大学教授であった。その彼が嘘の証言をするはずもなければ、嘘をつく理由もない、と思われた。したがって『戦争とは何か』の内容が検証されることはなかった」と東中野教授は書いた。
 しかし、もともとアジアに対する進出で欧州に遅れを取った米国は、取るものもとりあえず大陸に対して帝国主義的進出を図っていたのであったから、中国に進出した米国の「宣教師」ほどいかがわしい者はいなかった。つまり、彼らは宗教を隠れ蓑にした「情報・工作員」だったといっても過言ではない。また「教授」と云う肩書きを尊敬する風潮が米国にあるのも事実である。
聊か余談になるが、米国留学中のある日本人学生が、学内における「南京虐殺に関する討論会」で、並み居る中国からの留学生達を相手に孤軍奮闘していたのだが、中国人留学生は英語で出版された「中国正史」を手に、ティンバリー並みの宣伝をする。ところが日本側には根拠となる有力な参考書がない。ようやく日本から取り寄せた本を担当教授に見せたところ、「著者が大学教授以外の本は信用できない」と一蹴された。「出来れば“英語版”があればいいのですが」と私にメールが届いた。
 たまたま東中野教授の著書が英訳されて手元に届いたので私は早速彼に送った。喜んだ彼はこれを教授に提示したところ、教授は「今回は読ませてもらう」と受け取ったという。ことほど左様に、かの国では「教授」の地位が高いのだから、ベイツ「教授」の文が尊重されたであろうことは理解できる。
この例からもわかるように今でも我が国の文化宣伝力は極めて弱体で、中国に太刀打ちできていないのだが、その第一は米国人を説得する「英訳本」が極めて少ないこと、次に彼が嘆いていたことだが、「自分を含めて日本人留学生達の自国の歴史に関する知識がきわめて低い」ことにある。その結果、マイク・ホンダの従軍慰安婦決議は通過した。これを憂慮し打破しようと、数年前からN財団が英訳作業を進めて米国などに配布したそうだが、どこからか横槍が入ったらしく今や中止され、担当者は左遷されたという。おそらく中国か、あるいはそれを察した外務省が財団幹部に「自粛要請?」したのだろうといわれているが、世界中に張り巡らされた中国の工作機関は今でも強力に活動しているのである。
それに比べて我が国の方は、情報網の構築はもとよりその重要性さえ認識していない。まさに1930年代当時と変わらぬ「コミンテルン」に取り囲まれた状態が継続しているというべきなのだが、日本人の殆どは『まさか』とか、『昔のこと』だと思っていて少しも反省しようとはしていない。
東中野教授は、この『戦争とは何か』を典拠として、国内で次々と南京大虐殺を主張する本や報道が増えている実例を取り上げているが、何よりも恐るべきことは、これが日本の教科書に取り上げられていることである。これは当時のみならず、今でも中国の宣伝戦に敗北していることの証明でもある。       (続く)

佐藤守:
防衛大航空工学科卒(第7期生)。
航空自衛隊に入隊
戦闘機パイロット(総飛行時間3800時間).
外務省国連局軍縮室に出向。三沢・松島基地司令、
南西航空混成団司令(沖縄)を歴任.平成9年退官.
岡崎研究所特別研究員.軍事評論家.
日本文化チャンネル「桜」軍事コメンテーター.
著書に「国際軍事関係論」
ブログ;http://d.hatena.ne.jp/satoumamoru/
---------------------------------------------------------
2.奥山篤信  
「超・映画評 愛と暴力の行方」扶桑社 出版(発売2月21日)にあたって
- -------------------------------------------------------
本の外観→ http://www.strategies21.org/leonessa.htm

僕もついに還暦を迎えた。還暦など昔と異なり、平均寿命が延びているので、せいぜい8掛けの48歳と考えてよいのではないだろうか。御蔭さまで身心も充実して、あと20年は青年のような情熱をもって生きたいと思っている。

この2,3年映画に凝って、その映画評が150本以上蓄積された。結構ほめてくれる人もいることから、やや自己満足かもしれないが、還暦を期して、これからの人生をさらに前向きに生きようとマイル・ストーンとして出版に踏み切った。「世界最速のインディアン」という映画、これは著書でも取り上げているが、なんと68歳で1000cc以下のバイクの世界新記録を樹立した実在のライダーであるバート・モンローの決して諦めない少年のような夢を描いているが、僕もあやかりたいと思っている。

僕が尊敬して止まない真性保守論壇の第一人者遠藤浩一拓殖大学日本文化研究所教授に書いて頂いた書評「画期的な映画評との邂逅」(あとがき)をお読み頂ければ幸いである。やや過分な評価で赤面するが、確かに今までの映画評論とは異なる観点から書いたのは事実であると自負している。映画評としての何字以内という束縛を超え、また何らかの形式にとらわれず一つひとつの映画の特徴を、時にはストーリー中心に、時には時代背景を中心に、時には監督の思想哲学を中心に、時には演技を中心に、時には美学を中心に歯に衣着せぬ毒舌にて評価している。

そんなわけで日本の映画界からは総スカンを食う可能性はある。基本に流れるものは保守思想であり、偽善や欺瞞を憎悪する僕のスタンスがある。感動的な映画では涙もろい僕であり、不快な映画には怒りを爆発させる僕でもある。従って時には映画を思い出しながら涙を流しながら書いた評もある。そんな僕の感性や情念が読者に伝わってくれれば良いなと思っている。

映画など全然興味のない方も、この映画評はある意味で世相を斬る目的であるが故に、俳優や監督など専門的なところを読み飛ばしても、僕の言いたいことが伝わると確信している。どうかそういう視点で、幅広い読者を得られればと勝手に期待している。

尚表紙カバーには僕が偉大な芸術家として尊敬してやまない世界的写真家細江英公先生が自らその写真集「ポンペイ遺跡と現代人」シリーズから躍動感あふれる写真(カソリックの修道女が水たまりをピョンと跨ぐ決定的シーン)から選んで頂いた写真を基に馬淵晃デザインオフイスに装丁デザインをして貰った。

細江先生は三島由紀夫の「薔薇刑」の成功に安住されず常に今その瞬間に何をやるべきかとの人生観を持って次々と斬新な企画に挑戦されている。今は核廃絶に向けて、先生のライフワークとして人類の生存という高邁な運動に取り組まれている。その情熱たるや前述のバート・モンローのような若々しさとひたむきさがあり、僕も見習いたいと思っている。まさに人生の師といえる。

最後に本の帯に激烈な文章を書いて頂いた久保紘之元産経新聞論説委員は僕の私淑する古典にも通じた教養あふれる理想的な言論人であり知識人である。その久保先生の文章をここに紹介しておく。

・・映画に“癒し”を求める世の“病人たち”は、この本を読まない方が良い。奥山氏の鋭い筆法はテロリストや切り裂きジャックのナイフのように容赦なく対象を切り刻むからだ。しかし、物事の本質はその生々しい切り口にしか顔を顕わさない。この本は感性豊かで瞬時に物事の本質を見定める奥山氏の映画を通じての現代への警告である。・・ 久保紘之

21日東京の大書店の映画コーナーに積まれましたが、東京以外書店にあるかどうか初版発行部数が限られているので不明です。アマゾンにてネット購入が可能です。
http://www.amazon.co.jp/s/ref=nb_ss_b?__mk_ja_JP=%83J%83%5E%83J%83i&url=search-alias%3Dstripbooks&field-keywords=%92%B4%81E%89f%89%E6%95%5D&Go.x=12&Go.y=14

奥山篤信:
京都大学工学部建築学科卒
東京大学経済学部卒
三菱商事本社入社
6年余にわたる米国三菱ニューヨーク本店勤務を経て
平成12年退社 
平河総合戦略研究所代表理事
-------------------------------------
3.西山弘道 
 「永田町の液状化現象」
------------------------------------
 去年秋の「大連立」騒動以来、「議連」という形で、自民党内の派閥を超えた新たなグループ化が盛んになっている。一方で、民主党も巻き込んだ超党派の議連結成も相次ぎ、政界再編を見据えた動きとしても注目されている。その背景にはかつて自民党で最盛を誇った派閥が弱体化し、派閥としての態をなさなくなった「液状化現象」が上げられる。

 自民党内の派閥横断の動きはまず、昨年秋結成された「真の保守政治考える会」の結成だ。これは中川昭一元政調会長を会長に、党内の保守派が総結集したグループであり、福田現リベラル政権に距離を置く。一方、その福田政権を支えるリベラル派としては、与謝野馨前官房長官を座長とした財政改革研究会が結成され、園田博之政調会長代理や、後藤田正純氏らが消費税増税や社会保障税などについて活発な提言を行っている。これらリベラル派とは別の立場から福田政権にアドバイスしているのが中川秀直元幹事長や竹中平蔵氏ら小泉政権の“残党”達で「経済上げ潮派」として財政再建派の与謝野グループとは肌合いを異にしている。このように自民党内は、保守派とリベラル派、そして中間・現実派と三分される状態となってきた。

 そこに最近、ニョキニョキ出来てきたのが超党派議連だ。まず話題を呼んだのが「せんたく議連」。これは北川正恭元三重県知事らが立ち上げた「地域・生活者起点で日本を洗濯する国民連合」を支援する国会議員のグループということで自民党の河村健夫元文相と民主党の野田佳彦元国対委員長が代表世話人となり、先の園田博之氏や石原伸晃氏らが名を連ねている。また自民党の麻生太郎元幹事長と民主党の鳩山幹事長が立ち上げた「地方政府IT推進議連」もその顔ぶれから注目されている。二人とも「ITオタク」を自称しているのが共通だが、それよりも鳩山氏の腹の内である。由紀夫氏の弟の鳩山邦夫法相は、総裁選で麻生氏の代表推薦人になるほど肩入れしており、今も選挙区の関係から親麻生と見られていることから、兄の由紀夫氏も麻生氏に将来の保険を掛けたのでは、と穿った見方をする向きもある。

 一方、今月中旬に訪韓した自民党の加藤紘一元幹事長ら超党派訪韓団もその顔ぶれから注目された。加藤氏の他、山崎拓元幹事長、そして民主党からは仙石由人氏や枝野幸男氏など反小沢の議員が加わったからだ。この加藤訪韓団には先述の園田氏や後藤田氏、それに社民の辻本清美氏なども参加しており、さしずめ超党派リベラルの総結集ともいえそうだ。

 こうした超党派議連の蠢動は、「ねじれ国会で政策を遂行するには超党派しかない」(関係議員)という背景もあるようだが、大連立は再び日の目を見る可能性があるとして、政界再編の先取りとしてとらえる向きもある。そしてもう一つは派閥の流動化だ。

 先日、山崎派に石原伸晃氏が新加入したが、これは今の自民党の派閥の現状を端的に表すものだろう。山崎派は総裁候補が不在の上、代貸し格だった武部元幹事長が山崎氏と仲違いし、おまけに大幹部の甘利経産大臣が麻生氏を応援するなど派閥内はガタガタだった。山崎氏はどうやら石原氏に、跡目相続の言質を与えているようで、石原氏はいずれ総裁候補の一人にカウントされるだろう。この山崎派の醜態を、他の派閥も笑っておられず、いずれも同じような液状化現象にあることに変わりはない。

 総裁候補を持っているのは、自民党9派閥のうち、18人の麻生派だけであり、谷垣派は4月に古賀派と合体して61人の党内第3派閥になるが、古賀氏は谷垣氏の総裁候補に確約を与えていない。第2派閥の津島派は、額賀財務相の派閥継承に反対する勢力も強く、これも一枚岩とはいえない。そして最大派閥の町村派であるが、ポスト福田は町村氏とはとてもいえない状況だ。

 こうした派閥の液状化、政界再編の見通しなどから、国会議員は皆、疑心暗鬼にとらわれ、居ても立ってもいられず、将来を見据えた保険を掛けようと必死なのだ。派閥横断の政策グループや超党派議連の相次ぐ結成はこうした確かな海図が描けない議員たちの不安心理があるのだろう。

西山弘道;
ジャーナリスト。早稲田大学政経学部卒業後、文化放送で30数年、放送記者として
活躍。政治担当として、三角大福中、安竹宮の「永田町戦国史」を取材。
2005年10月、文化放送を退社、以後フリーのジャーナリストとなる。
 -------------------------------------
4.松永太郎 
 本の紹介  戦争の世紀 4 Century of WAR   William Engdahl   Pluto  Press  London 2004
------------------------------------
 同じ[戦争の世紀]という題名でアメリカの歴史家ジョン・デンソンも書いている。彼は、アメリカが戦争を行うとき、必ず「最初の一発」を相手に撃たせることを、リンカーン、ウイルソン、ルーズヴェルトなどの例を挙げて検証している。南北戦争のときはサムター要塞、米西戦争のときはメイン号、第一次大戦のときはルシタニア号、第二次大戦のときは真珠湾のように、アメリカは、必ず「先制攻撃」、ないしは、それに匹敵するような行為が相手側から行われた後、開戦、あるいは参戦に踏み切る。最初の湾岸戦争のときは、グラスピー・イラク大使に「イラク・クエート関係のことはアラブ・アラブの問題でアメリカは関係ない」ということを言わせた。このためサダムはクエートに侵攻しても、アメリカは座視するだろうと信じたのである。以上はよく知られた歴史的事実である。
 この本の中で、デンソンはイギリスの歴史家ナイアル・ファーガソン(Nilall Ferguson)が面白いことを書いているのを紹介している。ファーガソンは、ケンブリッジで研究し、今はオックスフォードの学寮長(ドン)であるから、これほど正統的な歴史家もいない。その分、あまり面白くないが、そのファーガソンが、こういうことを言ったということをデンソンは驚きをもって紹介しているのである。
 ファーガソンは、900万の死者をだした第一次大戦は、不必要であったばかりか、避けられたはずだ、と書いている。イギリスは、もしドイツが覇者となった場合、帝国に対して脅威となるはずだ、と感じた。このパーセプションはその後も繰り返される。ワイマール共和国当時、外相のワルター・ラーテナウは、
ジェノア近郊のラパロでソヴィエトと協定を結んだ。ウイルソン大統領が主導したヴェルサイユ条約の結果、過大な賠償金の支払いに苦しんだワイマール・ドイツがソヴィエトとの協調に活路を見出したのだが、これはイギリスの戦略家にとっては許しがたい悪夢であり、ラーテナウは暗殺されてしまった。いずれにしても、ファーガソンは、イギリスがベルギーやフランスと一緒に戦うべき何の義務もなかったことを論証している。
ドイツは、イギリスに対し開戦直前、フランスとベルギーの領土保全をイギリスの中と引き換えに保障すると申し出ていたのである。もしイギリスが参戦しなければ、当然、第一次大戦は、ドイツが覇者となり、ロシア・ボリシェヴィキ革命は起きなかったろうとしている。逆に言えば、イギリスは、アメリカの参戦が確実でければ、フランスとロシアに参戦するような「そそのかし」はしなかったろうし、自らも参戦しなかったであろう。実は、アングロ・アメリカは、最初からドイツをつぶす意図を持っていたのである。その最終的な狙いは、ベルリン・バグダットの中継を断つことにもあった。第一次湾岸戦争のとき、いまだに残っていたバグダッド鉄道は爆撃によって完全に破壊されたとイングダールは書いている。
さらにその後のヴェルサイユの過酷な賠償金によって、人類史上最悪のインフレに見舞われ、ヒトラーの台頭するところとなった。ボリシェヴィキ革命とヒトラーのナチズムは、いずれも「人類に悲惨な結果をもたらした」と普通の教科書には書いてあるが、この2つのどちらもが、アングロ・アメリカ、すなわちイギリスとアメリカの第一次大戦への介入がなければ起きなかった、というのがイギリスの正統的な歴史家、ファーガソンの主張である。

松永太郎;
東京都出身 
翻訳家、多摩美術大学講師、レモン画翠社長
主訳書「進化の構造」「イカロスの飛行」他。
-------------------------------------
5.藤岡知夫 
 2008年2月始めのコンサートから
------------------------------------
歌劇ムソログスキー作曲ホバンシチーナ
マリンスキーオペラ1月26日東京文化会館

セントペータースブルグにあるマリンスキー劇場は、エカテリーナ女帝が力を入れたロシアナンバーワンというより、ミラノスカラ座、ウィーン国立歌劇場、ニューヨークメトロポリタンなどと並ぶ世界有数の豪華歌劇場である。ソ連時代にはキーロフ劇場と呼ばれていて、若干くすんだ感じもあったが、1992年からまた元の名前に戻り、1988年から芸術監督に就任していたゲルギエフが、最近ニューヨークメトロポリタンを始め、世界各地で活躍の場を広げ、世界ナンバーワンの指揮者の一人と認められるようになってから、特に彼の本拠地であるマリンスキーオペラの名声も上がってきたように思われる。
ロシアは声楽及びバレーに関しては世界ナンバーワンとも言える高い水準にあり、特に第二次大戦前にこのマリンスキーから出発して活躍した世界最高スターのテオドル・シャリアピンを始め、男性の低音歌手に関しては質、量共に世界ナンバーワンであろう。マリンスキーオペラ劇場では、イタリアオペラやワーグナーなども他国の主要劇場並に度々演奏されていて、一昨年にはワーグナーのリング全4曲の素晴らしい公演を東京で聴かせてくれたが、ロシアオペラというジャンルも世界で確固として存在しており、ロシアオペラに関しては、やはりロシアのオペラハウスが公演の質といい、公演する演目の数といい、他国の追随を許さないものであろう。

ロシアオペラの中でもチャイコフスキーはドイツやイタリアの伝統に沿った作曲をしているが、グリンカから始まるロシア民族派作曲家群があって、ムソルグスキーはリムスキー・コルサコフと並んでその代表と言えるであろう。
ムソルスキーの作品の中ではイーゴリ公はロシア以外の他国でもしばしば上演される演目であるが、ホバンシティーナはロシア以外で公演されることは余りなく、この日私も始めて観た。舞台は1600年代の終わり、ロシア正教が改革派と保守派の二つに分裂し、それに伴って皇室内の大貴族達も二派に別れ、内戦になりかけるが、保守派がピヨトル大帝の力を背景に改革派を鎮圧し、治めるという話を、鎮圧される改革派の内部の話として描いている。登場人物には大貴族が3人現れるが、3人とも堂々たる体型というよりか、背丈だけではなく横幅も広い大男達で、こんな大男をテノール、バス、バリトン3人も揃えられるのは、やはりロシアオペラならではではなかろうか。
大勢の登場人物が出てくるが、イタリアオペラなどと違って複雑な話の動きに重点が置かれ、歌手達が大事にされてないことが、ムソルグスキーなどロシア民族家の歌劇の一つの特長なのではないであろうか。例えば、この事件の一つの発端となる銃撃隊長を務める大貴族の親子が取り合いをする美少女など、5幕のうち一幕で出てくるだけで、後は話の中で名前が登場するだけである。大貴族3人も全て4幕までに殺されたり追放されたりしてしまう。
結局誰が主役なのか余りはっきりしないのであるが、1幕から4幕までずっと登場するのは、占い師で大貴族の1人の息子の元恋人でもあるメゾソプラノのマルファと、改革派を率いる司教バスのドシュフェイの2人である。
舞台は大貴族の衣裳など、誠に豪華であるし、舞台全体としては豪華とは言い難いが、それなりに立派なものであった。またロシア歌劇らしく、貴族の館の中の場面ではバレーも出てきて、暖かくはない会場で、ロシア美女が半分裸でへそを出して踊っていたのもなかなか良かった。
音楽全体として特に美しいメロディがあるわけでなく、重厚な音楽が流れ、歌手の中にも特にイタリアオペラやワーグナーのようにスターが居るわけではないが、一昨年の日本に於けるリング公演でワルキューレのブリュンフィルデを歌ったオリガ・サボアとか、ジークムントを歌ったオレグ・パラシュ、ウオータンを歌ったミヒャエル・キートなども出ていて、歌手のレベルは極めて高かった。

ロッシーニ作曲「ランスへの旅」
マリンスキーオペラ 1月31日東京文化会館

モーツアルトやベートーベンを始め、現在大作曲家として知られている人達は、存命中は余り幸せでなかった例が圧倒的に多い。その中でロッシーニは例外中の例外で、30代の前半までに10本以上のオペラを書いて、これがことごとく大成功し、名声が確立してしまった。そしてパリのイタリア歌劇場の音楽監督に就任し、大金持ちになると共に、38才でオペラの作曲を止めてしまったのである。そして明治元年にあたる1868年、76才で死ぬまで、もっぱら美食家として一生を終ったという誠に幸せな作曲家である。
ロッシーニの好んだ食事とはどういうものか、何種類かレシピが残っているようで、15年ほど前に惜しくも亡くなった当時の日本ナンバーワンのバリトン歌手小嶋健二が、自分は癌で近い死を悟ったときに、北九州の自分の生家のホテルに、自分と女房のソプラノ歌手、それにテノールの五郎部俊朗、アルトの松尾和子と当代一流の歌手4人を揃えてコンサートを催し、尚かつ10万円の会費を取って親しい友人を招き、ロッシーニのレシピ通りの食事をする会を開いた。私も物好きに10万円の会費を払って、北九州まで食べに行き、そのコンサートに出席したが、白トリフ、黒トリフ、フォアグラなど世界の珍味をふんだんに使った誠に濃厚なものであった。
こんなものを毎日食べていたらすぐに肝臓がおかしくなったであろうに、それで76才まで生きたとはロッシーニは流石イタリア人である。
ところで、「ランスへの旅」はフランス国王シャルル10世の戴冠式の祝賀のために作曲されたオペラであって、女性4人、男性6人の歌手が皆で戴冠式に出席しようと、馬車を待っているけれども、馬車が壊れて来れないとか、行く行かないとゴチャゴチャ言っているだけで、筋立てもろくにない。10人が順番にアリアを歌い続けるが、どの曲もさわやかに始まって、クレッシェンドで盛り上がっていき、誠に美しく楽しくロッシーニらしい。
筋がなく楽しい音楽だけというという点も、王様の戴冠式の祝典のためのオペラだと思えば、納得がいく。
この楽しいオペラは1825年6月に初演されて4回の上演後、ロッシーニが引っ込めてしまったため、世の中に出ることはなかったが、1984年クラウディオ・アバドがウィーン国立劇場で復活、再演して大評判となり、日本へも1986年に引越上演され、私も聴くチャンスがあり、誠に楽しい思いをした。筋は何もなくても、各々立派なアリアが沢山続くわけであるから、優れた歌手を10人揃えなければならず、アバドとウィーン国立劇場の時には流石という顔ぶれであったが、今度はマリンスキーでムソルグスキーなどの重苦しいオペラを歌っていた歌手達に、この軽やかな曲を上手く歌えるかが心配であった。しかしゲルギエフ率いるロシアの名歌手達である。10人見事な歌唱で、楽しい3時間を過ごさせてもらった。

リヒアルト・スュトラウス「サロメ」新国立劇場歌劇

このオペラはオスカーワイルドの原作をリヒァルト・シュトラウスが作曲したものであるが、サロメの話は聖書にも登場し、美女が予言者の首を抱えて踊る場は、誠に刺激的で絵画的な場面であるので、ティツィアーノやモローなど、オペラ登場の遙か前から数多く描かれている。
話としてはユダヤの領主ヘロデが自分の妻の連れ子である妖艶な美少女サロメに踊りを強要し、自分のために踊ってくれれば、何でも望みは叶えてやると約束をする。そこでサロメは自分の着物を次々と脱いで、最後には裸(と言っても実際の舞台では上下に小さなスリップとパンティは付けていたが)になる妖艶な踊りを演じ、褒美として自分がその声に聞いて憧れていた、予言者ヨハナーンの首を所望する。民衆から尊敬され、ヘロデ王ですら神の使いだと信じていた予言者を殺すわけにはいかないと、何とかサロメの望みを変えさせようと、なだめたりすかしたりするが、サロメは約束であるとがんとして聞かず、遂にヨハナーンの首を切らせサロメに与える。憧れのヨハナーンの首を手にしたサロメは驚喜し、接吻するが、その場面に恐怖を覚えた王に最後は殺され、幕となる。
サロメはおそらくあらゆるオペラの中でも最も難しい役で、声の質はドラマティックなソプラノでオペラの始めから終わりまで殆ど歌いっぱなしであるし、裸まで見せなければならないので、若く豊満な肉体で踊りも上手な美女でなければならない。この難役のサロメを歌ったナターリア・ブシャコアはロシア出身のソプラノで、妖艶な強い立派な声、美人で尚かつ出るべき所はしっかりと出て、くびれるべきところは見事にくびれた素晴らしい肉体で、立派にこの難役を演じきった。ヘロデ王のウォルフガング・シュミットはドイツ出身のヘルデンテノールで、これまた見事な声で、更に素晴らしかったのは、ヨハナーンを演じた同じドイツ出身のバリトン、ジョン・ウェーグナーで、神の使いだから、劇の中で他を圧しなければならない。地下に閉じこめられていたヨハナーンが地上に登場したときの第一声は、見事に周囲を圧倒した素晴らしい声であった。
ヘロディアスを歌った小山由美も日本を代表するメゾソプラノの一人で、国外からの出演者に劣らない声を示したし、ウィーン生まれの指揮者トーマス・レスナー指揮の東京交響楽団も美しく力強いリヒャルト・シュトラウスの音楽を奏でていた。アウグスト・エファーディングの演出も、モスクのような建物を一つ置いただけの簡単なセットではあったが、美しく、外国から来日した最近の歌劇団のどれにも一歩も引けを取らぬ、誠に立派な公演であった。
藤岡幸夫指揮日本フィルハーモニーオーケストラ1月27日及び、
東京シティフィルハーモニックオーケストラ 2月2日 ティアラこうとう

私の愚息の指揮によるオーケストラ公演である。愚息は慶應義塾大学文学部を卒業後、というよりか、六本木派の指揮者と自称しているほどに、慶應義塾在学中は、昼は湘南、夜は六本木と学校には殆ど行かず遊びまくりながら、亡くなったマエストロ渡辺暁雄先生に可愛がられて指揮の勉強をし、またピアノや音楽理論など10人ほどの個人教授に習い、親としては大変な経済的苦労を強いられた。
慶應義塾卒業後イギリスに渡って、ロイヤルノーサーンミュージックカレッジの大学院指揮科に入学し、BBCフィルでデビューを果たし、現在は関西フィルハーモニーの正指揮者となって、年間50回ほどのコンサートをこなし、また英国圏を中心に国外での活動も行っている。その藤岡幸夫が1月27日には、サントリーホールで、日本フィルハーモニー交響楽団を指揮し、その6日後の2月2日にはティアラこうとうで東京シティフィルハーモニック管弦楽団を指揮した。1月27日の演目はドボルザークの交響曲第9番「新世界より」、米本恭子のバイオリンでメンデルスゾーンバイオリン協奏曲、そして最後はラベルのボレロであった。日本フィルは何度も指揮をしていて、無難な演奏ではあったが、ラベルのボレロのように個々のプレイヤーの独奏が剥き出しに出てくると、演奏者個人の技量がもろに出て、やはり日本フィルの管楽器の奏者達の技量はまだまだ100点満点とは言えないことが、浮き彫りにされた。ティアラこうとうでは、独奏者はおかず、吉松隆「鳥は静かに」、ベートーベン交響曲1番、シベリウス交響曲第2番で、やはりオーケストラはよく鳴らし、特にシベリウスの2番は立派な演奏であったと考える。
まあ父親としては、金をかけただけの価値はあったと自己満足は得られたが、1月27日のサントリーホールはチケットがソールドアウトであったのに対し、2月2日のティアラこうとうは1500〜1600人の比較的小さなホールであるのに、(しかし音響効果などはたいへん素晴らしい)空席が多少目立ったのは、残念であった。やはり江東区というと、音楽の演奏会場としては場末と人々が感じるのであろうか。藤岡幸夫はこの後更に3月20日14:00より、杉並公会堂大ホールで日本フィルハーモニーを指揮し、ドボルザークのチェロ協奏曲とリムスキー・コルサコフ「シェエラザード」を演奏する。行ってみたいと思う方が居られたら、下記に連絡下さい。
レーザー技術研究会 電話03-3642-4725 FAX03-3642-4790 メール iltj@dsnw.ne.jp

能・狂言

国立能楽堂定例公演1月30日、まずは一門の頭領、山本東次郎が甥二人を従えての狂言惣八。料理人をやっていたのに出家して坊主になったばかりの男と、元坊主だったのが、辞めて料理人になったばかりの二人の男が、金持ちに召し抱えられた話。料理人は料理を、坊主は経を読むことを命ぜられるが、どちらもよく出来なくておろおろして、元料理人と元坊主が手慣れた商売を交換し、上手くやっていたら、召し抱えた主人から怒られるという話である。相変わらず山本家の狂言は、全ての登場者の声が大きく、明瞭で解りやすいが、狂言の中では比較的解りにくい演目であった。
次ぎに能は宝生流で難波
よくある話で、梅の花見をしているところへ昔の人間の霊が現れて、仁徳天皇の政治が誠に立派であったことを語り、その仁政を誉め、霊と登場者が梅の花の下で優雅に舞うという筋立てなのであるが、この能の主役が途中で突然体調を崩したのか、全く力がなくふらふらになり、誠にしまりのない能になってしまった。通常の劇であれば、途中で止めて交代するところであろうが、能・狂言ではどんなことがあっても劇は続けねばならず、もし演者が死んだ場合には後ろに控える後見人が代わって演じなければいけないという事で、逆に能・狂言の厳しさを見ることになった。
2月11日杉並能楽堂に於ける山本東次郎一派の狂言の会、3本の狂言が演じられたが、まず総領の山本東次郎が甥の山本紀孝を従えた富士松。従者太郎冠者が富士山に登って参拝してきて、持ち帰った富士松(唐松のこと)が素晴らしく、主人が取り上げようとするが、太郎冠者の方は取られまいとして、あれこれと言い逃れる。その時に連歌でやりとりをするので、連歌の知識がないと、完全には理解し難い。狂言としてはやはり高等で難しいものと言えるであろう。二番目の「泣き尼」は東次郎三兄弟の二番目の則直が、同じく子供や弟子を伴っての公演で、新米の坊主が説法の依頼を受けたが、自分の話に自身がないため、八百長で泣いてくれる尼を雇って連れて行くが、肝心の説法をしているときに尼が寝てしまい、すったもんだの話。
三番目の千鳥は三兄弟の三番目の山本則俊が子供二人を従えて演じ、太郎冠者が酒屋に酒を買いに行くのだが、酒屋は溜まっているツケを払わなければ売らないと頑張る。そこで太郎冠者が金は用意はしてあったのだけれども、家に忘れてきたとか、酒屋が話し好きなのにつけ込んで、尾張の祭りに行ったときの様子など色々語り、すったもんだの末、遂に酒樽を1個持ち出しに成功するまでの話。
この3つの狂言全てを通じて、山本東次郎御大を筆頭に大蔵流の狂言師の語りは声が大きく、更に語尾を少し上げるという流派の特長で、言葉が明瞭に聞こえ、誠に気持ちがよい。発声もベルカントのように美しく、他の流派の狂言や、特に宝生流や観世流の能楽師と比べると、格段の差がある。蝶屋でもある山本東次郎氏は誠に立派な流派を受け継ぎ、指導し、率いていると感嘆せざるを得ない。

藤岡知夫(ふじおか ともお);
昭和35年慶應義塾大学工学部電気工学科卒
昭和40年同大学院工学科博士課程終了 工博
昭和54年同大学教授に就任
平成2年東海大学開発技術研究所教授に就任
平成6年東海大学理学部物理学科教授に就任
平成12年財団法人応用光学研究所理事長に就任
専攻 レーザー工学 レーザー物理学
著書に
「レ−ザ−がひらく21世紀」(三田出版会、1990年)
「光・量子エレクトロニクス」(オ−ム社、1991年)
「オプティカルパワ−」(裳華房、1994年)
趣味の蝶関係では「日本産蝶類大図鑑」(講談社、1976年)
「蝶の紋」(河出書房新社、1973年)
「日本産蝶類及び世界近縁種大図鑑」(出版芸術社、1997年)など13冊。
------------------------------------
◎第258回「龍の子会」例会 2008年2月8日 (2)
「Japan Missing」「2006年度予測の検証」「サブプライム問題について」「2008年日本経済の展望」
伊藤 武
------------------------------------
III.サブプライム問題について
ア)その背景
1990年頃までウォール街で一世を風靡した長老エコノミスト・ヘンリーカウフマン博士による、昨年春イエシーバ大学学生に向けられた予言的な講演を紹介します。彼は、プリンストン大学アルバート・アインシュタイン博士の研究室に掲げられた標語を教訓として掲げました。
“Not everything that counts can be counted and not everything that can be counted counts” その意味は、「捉えられる(計算できる)全てのものが重要ではなく、また重要なもの全てを捉える(計算できる)ことができるわけでもない。」正に、サブプライム問題の真髄を捉えた格言といえます。サブプライムに拘わる仕組み証券は全て計算尽くめで、世界の信用格付け機関が、サブプライム関連の上級証券はその安全度に対してお墨付きを与えていました。ところが蓋を開けてみると、中身は全く捉えることが出来ていませんでした。サブプライムに少しでも関わる証券(仕組み債の大半は多かれ少なかれ関連していた)は瓦礫の如く崩れ、一時的に流動性を吸い上げられた市場において、値付けが出来なくなり、世界の金融機関が多大な損失を蒙るに至っています。
カウフマン博士は以下の分析を行っています。
「金融市場成長の規模と範囲は誇張すら不可能なほど膨大になっている。伝統的な株式、債券や金融商品を遥かにに凌ぐ、極めて多角的で且つその多くは著しく複雑な信用商品が参入している。さらに、それらを取り扱っているのは、最早
商業銀行とか、証券会社とか、保険会社等に分類できるものではなく、世界をまたぎ多角的に活動する巨大金融機関となっている。それら金融機関の市場介入はその規模や影響力において、格別の地位を築いている。
一世代内にこのような現象が起きた原因は、金融市場で「流動性」の概念が構造的変化を遂げたことにある。第二次世界大戦以降の数十年間、流動性は概して資産を軸とした概念であった。企業にとって流動性は、手持ち資金、売掛勘定残高と期限、在庫の回転等で負債全体との関係上計算された。個人にとっては、将来の蓄えとした証券やその他貯蓄性で満期のある資産であった。ところが、今日においては、流動性と信用調達力との区別がなくなっている。すなわち、資産ではなく、負債に対するアクセスを意味するようになっている。
このような見識は、三つの主要構造変化がもたらしている。
☆その一つが資産の証券化であり、市場性のない資産を大量の流動性資産に転換することにより、金融活動の性格さえも変えている。信用は妥当な価格で常に入手できる概念を植えつけた。
☆その二つは、技術変化で、ITネットワークは金融情報を世界中ほぼ同時に発信し、コンピューター取引やその他の取引は遅滞なく執行されこととなった。
☆その三つは、それに関連し、金融取引慣行として、高度の軽量リスクモデリングが利用されるに至っている。
証券化は、多くの資産の市場価格を創出し、ITは価格とリスクの関係を計量化する力を与えている。ここにおける課題は、リスクモデリングが市場ファンダメンタルズを一定と想定することである。なぜならば、進行している構造変化が将来の価格形成に充分に織り込まれないからである。前述アインシュタイン博士の引用句を紹介する所以である。
広範囲に利用されるリスクモデリングは、今後も利用度がいっそう高まるのみならず、リスクそのものも増大してゆくであろう。なぜならば、最も積極的はリスクモデリングを取り入れる金融機関ほど収益力も高めることができるからである。
同時に、リスク査定に常識や判断を用いる定性的な手法は追いやられることとなろう。明確な期間評価やリスクの数量化を可能とする計量分析に対し、定性手法は確実性を訴える説得力に乏しい。裾の広い構造変化の要因分析を行うのは必要であり、回避できるものではないにも拘わらずである。
金融の仲介業務が拡大するのに応じて、主要国中央銀行は部分的には正しい方向に導く手を打っている。金融機関の自己資本規制を規定するバーゼル協定はその顕著な例である。しかし、これすら金融市場が直面する長期的且つ根本的課題を直視する方策でない。とりわけ、市場に規律を強制する課題には触れていない。
☆その一つの方法は、競争原理の導入である。強者が残り弱者が淘汰されるべきである。ところが、巨大金融機関の淘汰は大きな社会負担を強いるのみならず、世界の金融システムを危険に晒すこととなる。それ故に競争原理を用いる規律は公平になされない。規模の小さな金融機関に過大な負担を強いることとなり、淘汰されるこのない保護された大手金融機関に吸収される動機を高める。この流れが、金融市場の集約化を進め、今後も継続するであろう。それは競争原理を弱め、規制環境も市場活動に充分な対応がなされなくなる。
☆第二の方法は、市場とそれに参入している金融機関に対する監督権の強化である。現実にはそのような措置を講ずることに市場の抵抗は強く、政治的にも支持は得られないであろう。金融市場最大の濫用の結果施行されたサーベインズ・オクスレー法ですら見直し方向にあるのが、政治の状況である。
    金融システムが長期的にその健全性を保持するために必要な秩序は − それが市場機能に依るのか、又は監督と規制の実施によるのかは別として − 将来に持ち越されることとなろう。」
イ)サブプライム問題の量的考察
日本のバブル後に処理された不良債権総額は最終的に100—120兆円に達し、日本のGDP比20−25%の規模となりました。問題の処理を延々と引き伸ばされた結果生じた悲劇といわざるを得ません。米国におけるサブプライムローン総額は1.2兆ドル(約130兆円)で、25%程度が不良化しています。サブプライムローンを含む、米国の信用商品総額の規模は7.5兆ドルで、約7%の評価損が生じています。従って、現在の損失総額は50兆円強と算定されます。事態が今後更に悪化すると想定しても、最悪の場合損失は75兆円程度には収まるでしょう。この損失は米国に留まることはなく、世界に分散されています。世界GDP比では1%強の不良債権となります。減損処理を行っている世界巨大金融機関の2007年末の償却金額は10兆円程度であり、国家ファンド等の増資を受け既に部分的に資本は補填済みです。世界規模の金融危機が生じた場合、過去の経験から観測すると、半年ぐらいの期間で危機を脱しています。もし過去の経験を尺度にすれば、2008年第一四半期中にサブプラム問題は解消方向に向かうでしょう。IMFによる直近の実質世界GDP成長予測は2007年の5.2%から2008年には4.8%に減速し、米国GDPは前回予測に比べ0.9%低下し、1.9%成長となっています。サブプライム問題の影響は大きいですが、政策当局の迅速な対応も手伝って、経済の停滞は免れることになるでしょう。米国FRBのジレンマはむしろリセッションを回避することにより、インフレの台頭を許す可能性を高めることに移行するでしょう。

IV. 2008年日本経済の展望 − スタグフレーション到来
4年間に亘り年率2%の成長を維持してきた日本ですが、景気の勢いは失われ再び経済成長減速の危機に直面しています。IMFの予測では日本のGDP成長は前回から0.3%下方修正となり1.7%としています。景気後押し要因の導入なくして、現状では更なる下方修正の確率が高まっています。以下要因を挙げます。
☆空前の企業収益を記録しつつも、日本の労働分配率は低下を継続し、実質賃金はマイナスとなっている。大企業間でも正規社員の比率は高まることなく、賃上げ圧力は高まっていない。日本人1人当たり賃金の伸び率は2005年に最大となり、2007年はほぼ横ばいに低下。GDPの2/3を閉める個人消費を直撃。
☆数年前とは様変わりとなり、実質的な物価は既に大幅上昇となっている。週間ダイヤモンドは値上げ続出なのに上がらない「消費者物価指数」の謎と呼び、それはヘドニック法に基づいている。例えば、パソコン、携帯電話、薄型テレビ等、性能が2倍に高まれば、実売価格が同じでも統計上値段は半額になるというからくりである。昨年11月のCPIは前年同期比プラス0.6%であった。その要因は他の物価が上昇しても、家庭用耐久財(電子レンジ、ルームエアコン、電気冷蔵庫等)がマイナス6%、並びに教養娯楽用耐久財(テレビ、DVDレコーダー、パソコン、カメラ等)がマイナス15%となったからである。
☆昨年の後半以降、世界の物価は上昇を加速し始め、日本も引っ張られ上昇へ。
物価のマイナスや上昇率ゼロの時代は終焉した。
☆世界の不動産価格は下落方向に転じ、ミニバブルと化した一部日本の不動産価格も下落。株式市場の停滞に加え資産マイナス効果が増大。既に株式では、個人資産は年初来20兆円が消滅している。
☆福祉税としての一般消費税税率引き上げは時間の問題となってきた。消費マインドに与える影響は多大。
☆経済成長が2%を大きく下回ると税収減は顕著になり、財務官僚の頭には財政立て直しかなく増税の発想が持ち上がる。
☆連立政権でも誕生しない限り、政治は機能不全を継続。たださえ無策の政府は奈落の軌道を辿る。
☆日本にとり世界経済は概ね追い風が吹き続けるが、勢いは減速。
☆過度の円安は終焉し、好調の輸出企業の企業収益は為替差損を被る。企業収益は圧迫される。
☆金融の舵取りは不可能となる。一方では積極的な緩和策を必要とし、他方では、インフレ対策の引き締めが望まれ、実質金利はマイナスを拡大し、八方ふさがりとなる。そのような状態では、短期金利は据え置き、長期金利は乱高下する。
過去3年近く、強気で予測してきた日本経済は大きな転換点を迎えています。予測が大きく外れたのは強気見通しをしてきた株式市場のみでした。今後は、本格的な景気支援策が講じられなければ、再び停滞に向かう可能性を呈してきました。しかも、デフレ終焉のあとは、物価値下げの好影響もなくなり、最悪のスタグフレーションが視野に入ってきました。最も恐れるシナリオとなります。長らく忌み嫌われたデフレを逆に待望することになるでしょう。

以上

伊藤 武:
英国ケンブリッジ大学経済学修士
ジャパンベンチャーパートナーズ創業パートナー
企業コンサルティング、投資銀行及び投資顧問業務に従事。
UBS投信投資顧問株式会社社長、ソロモン・スミスバーニー証券会社マネジング・
ディレクター歴任。
35年間に亘りニューヨークと東京で国際投資銀行業務の実績を積む。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
次回の配信は3月1日(土)を予定しております。どうぞお楽しみに!
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
登録内容(メールアドレス等)の変更、メールニュース配信の停止は、
こちらからお願いします。
<http://www.melma.com/backnumber_133212/>
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
有限責任中間法人 平河総合戦略研究所< http://www.hirakawa-i.org >
発信元:< info@hirakawa-i.org >
掲載された記事を許可無く転載することを禁じます
Copyright(c)2005 Hirakawa Institute

 
このメルマガの読者になる
規約 
>> メルマ!の会報誌もお届けします
ブックマーク: はてなブックマークに追加del.icio.usに追加Buzzurlにブックマークニフティクリップに追加ライブドアクリップに追加Yahoo!ブックマークに登録My Yahoo!に追加Add to GoogleRSS

このメルマガを読んでいる人はこんなメルマガも読んでいます

Japan on the Globe 国際派日本人養成講座
日本に元気と良識を。歴史・文化・政治・外交など、多方面の教養を毎週一話完結型でお届けします。3万4千部突破!
週刊アカシックレコード
02年W杯サッカー韓国戦の「誤審」を世界で唯一「前日」に誌上予測し、誤審報道を「常識化」した推理作家(金正日の「遺書」で始まる「中朝戦争」後の北朝鮮...
宮崎正弘の国際ニュース・早読み
 評論家の宮崎正弘が独自の情報網を駆使して世界のニュースの舞台裏を分析
頂門の一針
急所をおさえながら長閑(のどか)な気分になれる電子雑誌。扱う物は政治、経済、社会、放送、出版、医療それに時々はお叱りを受けること必定のネタも。
花岡信昭メールマガジン
政治ジャーナリスト・花岡信昭が独自の視点で激動の政治を分析・考察します。ときにあちこち飛びます。


この記事へのコメント

全1件表示
コメントを書く
塚本三郎氏の「保守、反動こそ革新」で所々、文字化け(?)しているようです。

>反日の政権が!)
>その!)を深く考えてみれば
>「反日の!)」を撤去しなさい
日時:2008年3月4日


おすすめキャンペーン

おすすめカードローン!
オリックスVIPローンカードなら

<<年率5.9%〜15.0%、利用可能枠最高500万円>>
ゆとりのカードローンです。
お申込みはこちら⇒

はじめようメルマガ生活
メルマガを読むには
メルマガを出すには
約64000誌から検索

メルマガデータ

  • メルマガID : 133212
  • 創刊日 : 2005-02-04
  • 最新号 : 2008-07-22
  • 発行周期 : 週間
  • バックナンバー: 全て公開
  • 発行者サイト: あり
  • 読んでる人 : 6144人
  • コメント数 : 37
  • Score! : 94点
  • >> 月間ランキング

発行者プロフィール

ペンネーム :


このメルマガの読者になる

規約に同意する



このメルマガの最近の記事


このメルマガの最近のコメント


このメルマガのバックナンバー


注目情報


新着記事トピックス