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甦れ美しい日本 第159号

発行日時: 2008/2/15

□□■平河総合戦略研究所メルマガ■□□(2008年2月16日 NO.159号)

  ☆☆甦れ美しい日本☆☆

☆・・・・私たちは書きたいから書くのです・・・・
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< 目次 >
◎松島悠佐の軍事のはなし(59)「空港の管理・運営は自国でまかなうべし!」

◎レギュラー執筆者 
      
1.佐藤 守      大東亜戦争の真実を求めて 152 
2.奥山篤信   自分を守るということ
3.西山弘道    「またも浮上?人権擁護法案」
4.松永太郎    本の紹介  欺瞞工作  Deception: Pakistan, the United States, and the Secret Trade 
in Nuclear Weapons   Adrian Levy and Catherine Scott-Cook  Walker NY(未訳) 
5.藤岡知夫    最近の展覧会から

◎第258回「龍の子会」例会 2008年2月8日 (1)
「Japan Missing」「2006年度予測の検証」「サブプライム問題について」「2008年日本経済の展望」
伊藤 武

◎The Rape of Nanking(南京大虐殺)アイリス・チャン著 について
日本再生会研究会(南カリフォルニア)会員 今森貞夫

◎阿嶋彩子の料理つれづれに (24)<トリュフ>

◎廸薫の「タカラジェンヌが日本舞踊家になったわけ」其の十一「美しい所作・・・のお話」

◎奥山篤信の映画評論 

1.ブラジル映画「スエリーの青空 SUELY/LOVE FOR SALE  」☆ なし 

◎奥山篤信のDVD映画評論 
1.アメリカ映画「テルマ&ルイーズ Thelma & Louise」☆☆☆☆☆
2.アメリカ映画 「悪女Vanity Fair 」☆☆☆
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◎松島悠佐の軍事のはなし(59)「空港の管理・運営は自国でまかなうべし!」
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先週来、「空港整備改正案」が問題になっています。成田・羽田などの空港会社の外資系持ち株比率をめぐる論争です。

空港会社が完全民営化になって、多額の外資が入り空港の管理・運営が外国に牛耳られるおそれもあるため、外資の参入は規制すべきであるというのが国交省などの意見です。

それに対し、外資が増えても空港の管理・運営には問題はない、むしろ外資を取り込んで国内経済の活性化を図るべきだとする意見が対立しています。

結局、安全を採るか経済を採るかの議論になり、妥協点を探っているようです。
経済については、外資への投資をオープンにすれば経済活性化が進み、狭めれば効果が下がり、さらに閉鎖的なイメージを与えることを心配しています。当然のことですが、どこまで経済効果をがまんするかの問題でしょう。

安全については、国の玄関である国際空港の管理・運営が外国に牛耳られるとどうなるか、もし国益が衝突するような事態が発生した場合に、わが国が不利益を被ることが起きるのではないかと心配しています。

このような不安があるため、ほとんどの国では主要空港の管理運営を国営にするかあるいは規制を強化しています。オープンにしている国では各種の問題が起きていますが、日本の場合にはどのような問題が起きるのか、先が読めない感じがします。

この視点の分かれ道は、外交・安全保障に関わる事態でも諸外国の公正と信義を信頼するのか、あるいは究極の事態になれば国威・国益の争いになると予見するのか、という認識の違いにあるようです。

平素の外交は信頼関係の醸成が基本であり、特にわが国のような貿易立国は、世界の国との信頼と協調が重要であることは当然です。したがって、共産党独裁国家の中国とさえ戦略的互恵関係を築くことを模索しているのでしょう。

ただ、期待の表明と現実の認識は別の問題です。

例えば、周辺諸国との間でも基本的には平和的外交を追及していますが、領土問題として、ロシア・北方4島、韓国・竹島、中国・尖閣諸島の問題があり、北方4島周辺での漁民への銃撃・拿捕が後を絶たず、竹島では日本の巡視船が近づくと銃撃され、一昨年は周辺の海流調査も阻止されました。尖閣諸島には、時折中国から違法上陸の動きがあり、その都度海保が出動して阻止しており、日本側も相手を刺激しない配慮から近づくことが出来ません。

さらに、中国は東シナ海の日中中間線付近で天然ガス採取を続け、わが国の試掘調査を実力で阻止する姿勢を崩さず、わが国の共同開発提案も拒み続けています。

また、靖国問題を梃子にして首脳外交を閉ざし経済交流まで絡めて、首相が靖国参拝を止めれば首脳外交を再開し経済交流も活発にするとの圧力をかけています。

現実の国威・国益の争いとは、公正と信義を信頼する期待感とは違います。このことは戦前でも、ABCD包囲網による孤立化、鋼鉄・石油などの禁輸政策による締め付け、さらにハル・ノートを突きつけられて遂にわが国は戦争に訴えざるを得なかった歴史があります。さらに、不可侵条約を結んでいながら、ヤルタ協定で日本侵攻に合意したソ連、日本はそれも知らずにソ連に終戦の斡旋を持ちかけたことなど、外交の裏が読めずに苦節を舐めた経験を忘れてはなりません。

外資参入の規制をしないと、アメリカ・ファンド、中国・ファンド、オイル・ファンドなどが入ってくる可能性があるのでしょうが、アメリカはすでに占領当初から引き続いて「横田ラプコン」と呼ばれる関東一円の航空管制権を握っており、現在でもわが国は飛行制限を余儀なくされています。わが国の玄関口の空港運営まで抑えられるのは得策ではありません。

中国は遠謀深慮で日本を政治的支配下に置くことを追求していると思われますので、反日の根深い行動と同様に、事態に応じて敵対的な姿勢に出てくることが予測されます。つい先日も、尖閣諸島を日本領と記した、上海日本人学校用教科書を上海税関が差し止めたとの記事が出ていましたが、国益がかかると思わぬ事態になりそうです。

オイルダラーの中東産油国も、わが国とは全く違う理念で動いており、今スポーツ界でハンドボールの不明朗な審判問題などが起きていますが、国際問題の判断については相当の警戒感を持つ必要があります。

ロシアも時折、天然ガスパイプラインを閉めてウクライナに政治的圧力をかけたり、その影響がヨーロッパにまで及んだりしています。

国の安全の基本となることは基より、それに関連する事柄の判断を外国に委ねる施策は避けるべきでしょう。それは「空港整備改正問題」のみならず、今問題になっている「外国人参政権問題」なども同様でしょう。

広く門戸を開放し諸外国との平和友好を進めることは大事ですが、国益上開放してはいけないところはしっかり見極めてそれを守ることが必要です。
その判断基準は、理想や期待とは違って、敵対的な施策や不利益な施策を押し付ける国があることを、実感を持って認識することではないでしょうか。
相手がどんな手を使ったとしても、国家の権益は自分で守れるようにする。それが安全保障の原点だと思います。             (20・2・15記)

松島悠佐(まつしま ゆうすけ);
元陸上自衛隊中部方面総監
防衛大学卒業後、自衛隊入隊陸上幕僚監部・防衛部長、第8師団長(熊本)
等の要職を経る。
平成7年阪神大震災時、中部方面総監として活躍。
同年中部方面総監で退官。著書に「阪神大震災・自衛隊かく戦えり」(時事通信社刊)
がある。 現在、危機管理などの講演を精力的に行う。
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◎レギュラー執筆者 
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1.佐藤守
  大東亜戦争の真実を求めて  152 
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 ルーズベルトの側近に、ラフリン・カリーというソ連の「エージェント」がいたことについて、「マオ」はこう続けている。
「重慶を訪れたカリーは、蒋介石にローズヴェルトからの伝言(親書もあった)を預かってきたとして、次のように口火を切った。
『一万マイル離れたアメリカから見ていると、中国の共産主義者というのは、我が国でいう社会主義者のようなものではないかと思われます。我々は、彼らの農民、女性、および日本に対する姿勢を好意的に見ています』
 ローズヴェルトに提出した報告の中で、カリーは専ら蒋介石をこき下ろし、共産主義勢力については極めて好意的な見解を披露した。カリーは『共産党は大衆の支持を集めることの出来た唯一の政党である』と書き、それが彼らの勢力拡大の理由である、と示唆した。皖南事変についても、カリーはローズヴェルトに共産党側の主張を伝えた」
 1923年9月、モスクワを訪問した蒋介石は、軍事施設などを見学して、赤軍の新兵器に目を見張ったが、ソ連の外蒙古への侵略の野望を見抜き、共産党を警戒した。彼は、蒋介石秘録(第6)に「ソ連や共産党の陰謀に気がついたのは1923年のソ連訪問の時からである。つまり、孫文・ヨッフェ宣言から半年あまりたったころであった」と書き、「中国共産党はソ連の傀儡である」と断じていた。
 その蒋介石が、カリーの正体を見抜けなかったのは彼が米国人であったことと、蒋介石自身が米国との連携を望んでいたからに違いない。『マオ』にもこうある。
「カリーの行動でもうひとつ毛沢東を大きく助けたのは、ローズヴェルトとの間に好意的な意思疎通ルートを作ろうとする蒋介石の試みをくじいたことであった。蒋介石はカリーに対して、アメリカ大統領に進言できるレベルの政治顧問を国民党政府に派遣してくれるようローズヴェルト大統領にお願いして欲しい、と要請した。そして、初代ソ連大使をつとめたウィリアム・ブリットを候補に挙げた。ブリットならば蒋介石は個人的に知っていたし、反共主義者であることもわかっていた。しかし、カリーは蒋介石の要請を独断ではねつけた。蒋介石がブリットを顧問に望んだことをローズヴェルト大統領に伝えた形跡さえない。アメリカに戻ったカリーは、オーウェン・ラティモアという中国学者を顧問に推薦した。ラティモアはローズヴェルト大統領に会ったこともなければ、まして蒋介石が望んだように大統領に進言できる立場でもなかった。結局、カリーが蒋介石とローズヴェルトのコミュニケーションを握ることになった」
 皖南事件に対する国際社会からの圧力を懸念した蒋介石は、こともあろうにクレムリンに調停を依頼するという大きなミスを犯す。
「有頂天の毛沢東は軍幹部に『蒋介石がいかに造反しようとも、じたばたしてみたところで結局は自分で自分の首を絞めるだけだ」と語った。毛沢東は『造反』と言う言葉を使って、自分が既に政権の座にあって蒋介石のほうが無法者であるかのような物言いをしている。蒋介石はソ連の要求をのんで、共産党勢力が占領地域をそのまま支配すること、南京や上海に近い中国中心部に共産党部隊を引き続き駐留させること、を認めた。
 毛沢東は自分の主張を宣伝する上でエドガー・スノーのような西側ジャーナリストが非常に役立つことには早くから気づいていたが、英米政府が蒋介石の行動を縛る上でいかに有用であるかについてはなかなか理解せず、英米両国に対して極端な敵意を抱いていた。一九四〇年一〇月二五日、毛沢東は党幹部を相手に、イギリスなどナチス・ドイツに占領されてしまえばよい、日本がずっと中国を占領し続ければよい、と話した。『最も厄介で、最も危険で、最も不吉な展開』は蒋介石が『英米ブロックと手を結ぶことだ』と、毛沢東は語った。
『考えてみるがよい。日本がシンガポールを取れず・・・・・・かわりに米海軍がシンガポールを取る。ロンドンは陥落しない・・・・・・日本がアメリカに降伏する。日本軍が中国から出て行く。アメリカが中国の親英米派勢力に資金と武器を提供する・・・・・・そうなったら、それこそ最悪の状況だ』
毛沢東にとって、この展開は日本に占領されるよりもっと絶望的だった。が、ある日突然毛沢東の態度は大きく転換する。十一月六日、毛沢東は周恩来にこう書いている。『今朝、貴君からの三日付電報にあった重要情報を読んだ。つまり、蒋介石が英米ブロックに加われば、我々にとって有利になるばかり、ということ・・・・・・今後はこれに反対するのをやめて・・・・・・英米とのつながりを強化していかなければならない・・・・・・』
西側が毛沢東にとっていかに有用に働きうるかについて、周恩来が何か入れ知恵をしたに違いない。このときから、周恩来は西側特にアメリカとの人脈構築に力を入れるようになった。一九四一年一二月に日本が真珠湾を攻撃したあと、周恩来は西欧人を魅了する物腰を武器に攻勢をいっそう強め、中国におけるアメリカの存在は大幅に増大した」
日本がソ連と結んだ不可侵条約には、毛沢東が懸念していた中国分割案は含まれていなかった。そして、周恩来が毛沢東へ伝えた“情報”とは、蒋介石が米国と手を結べば、日本が米国と戦わざを得なくなる秘策?であったに違いない。 (続く)

佐藤守:
防衛大航空工学科卒(第7期生)。
航空自衛隊に入隊
戦闘機パイロット(総飛行時間3800時間).
外務省国連局軍縮室に出向。三沢・松島基地司令、
南西航空混成団司令(沖縄)を歴任.平成9年退官.
岡崎研究所特別研究員.軍事評論家.
日本文化チャンネル「桜」軍事コメンテーター.
著書に「国際軍事関係論」
ブログ;http://d.hatena.ne.jp/satoumamoru/
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2.奥山篤信  
 自分を守るということ
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昨今の出来事を見て痛感するのは、戦後日本人とはなんと無防備になってしまったかという点である。社会において、自分のことは最低自分で守るということが希薄になっているようである。
僕が育った時代には、両親を含め戦前の教育を受けた世代から教えを受けてきたせいか、物事には自分の責任の一端があるということを口酸っぱく教わり、結果そういう意識で物事に対処する意識が心のなかにある。

それは天災であれ人災であれ犯罪であれ、結果的に起こったことが100パーセント自分にとって不可抗力であったかと言えば、程度の差はあれ、そうは言い切れない場合がほとんどである。ビジネスを携わってきた僕の会社生活においても、一見相手側に事情で、何らか会社にとって不都合や、損失を与えることがある場合でも、必ずやその要因に自らの落ち度がある場合がほとんどである。

こういう意識は確かに古き良き日本の道徳観からくるもので、日本特有のものかもしれない。確かにアメリカでは、部下の失敗の非を問うても、必ず反射的にでてくる常套文句は「わたしのせいじゃないわ。」である。アメリカはこういう意識の前提のもと、ある意味では社会のメカニズムが成り立っている点があることも付記しておく。

しかしそのアメリカには、一方で自分の安全は自分で守るという精神だけは極端なほどあるのも事実である。武器所有を合法とするアメリカの州があるが、そういった精神が根底にある。

最近の日本を見る場合、最低国民の権利でもあり義務でもある、「自分の安全は自分で守る」ということが全く欠如し、能天気に物事に対処し、そこで騙されても、一切騙した方が悪いということですべてを片づけるのである。憲法序文の「諸国民の公正と信義に信頼して」が日本国としての安全保障の考えどころか、個人生活までその呪縛に陥っているのである。

遭難事件、食品中毒事件、そして暴行事件など、どれをとっても要因の大小の差はあれ、自分の安全を守る責任という要素が必ず欠けているのである。そしてマスコミや政治は、社会が悪い、政治が悪い、システムが悪いとバカの一つ覚えの議論に終始するのである。これでは何も解決しない。

もちろんそうだからと言って僕が人命軽視や犯罪を容認しているわけではないし、被害者に対してはお気の毒と思う。

今回の米兵暴行問題について、もちろん米兵の犯罪やその管理体制に対して怒りをぶつけることを否定するわけではないが、原因を作った当事者の責任というものが一切問われていない点が、不思議で仕方がないのである。沖縄では田中外相時代に少女暴行事件があった。米国側にかかる事態が二度とないようにしてもらうのは当たり前だが、そういった犯罪を起こさせない僕たち一人ひとりが「安全保障マインド」を構築することこそが、事件を防ぐ大きな抑止力になることを忘れているのである。そして沖縄に基地があるからこういうことが起こるから基地を撤廃しろという頓珍漢な叫びだけがある。

かって僕たちが学んだ「人をみたら泥棒と思え」という格言こそが、子供の教育になくてはならない意識なのである。また「騙されるほうも悪い。」という言葉こそ、親や教師が何度も何度も教育すべきわかりやすい言葉なのである。いったいわけのわからないしかも外国人のオートバイに乗せてもらう無防備さ、これはまさに犯罪を「どうぞおつくりくださいませ」というのに等しい。基地が悪いと決めつけるが、僕たち大都会においても、その瞬間その瞬間に暴力犯罪がうごめいている中で、自分の軽率さを制御しなければならない感覚を持って生きていかねばならないのである。

食品問題でもそうである、これほど中国に食生活を依存せねばならなくなった体たらくは国民ひとりひとりが安全な日本産を避け、安易に価格だけで中国産を選択した市場主義がかかる大事件を招いたのである。日本国民の食の問題は絶対に市場主義とは隔離された、国家の安全保障としての地位を保たなければならないはずであった。

消費者主権などとサヨクは叫ぶが、それはより安全で確かなものを国民自身が自分のリスクで選択する基本的な思考が欠けており、何かあればすべて政府や役人の責任だと叫んでいるだけでこれでは、いつまでたっても物事の根本は解決しないのである。

いまこそ日本人は、自らの安全は自らの良識とリスクで守るという基本線に戻って考えるべきである。

奥山篤信:
京都大学工学部建築学科卒
東京大学経済学部卒
三菱商事本社入社
6年余にわたる米国三菱ニューヨーク本店勤務を経て
平成12年退社 
平河総合戦略研究所代表理事
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3.西山弘道 
 「またも浮上?人権擁護法案」
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 自民党内に賛否両論が対立して論議を呼ぶ人権擁護法案がまたも浮上し、国会提出が画策されている。法案の国会提出の動きはこれで3度目だ。1回目は平成14年の小泉内閣の時で、衆議院に提出されたが、報道機関への規制条項をめぐり、マスコミの大反対にあい、その後の総選挙もあって廃案となった。2度目は平成17年で、法務省は1度目の失敗の教訓として報道機関の規制条項を削除して再提出しようとしたが、自民党内保守派の総反撃にあい、提出を断念した。そして今回である。三度目の何とかやらで、推進派は6月までの通常国会中に提出を図りたい考えだ。

 人権法案の議論は昨年12月に再開され、13日には自民党の人権問題等調査会が開かれたが、会合では「人権の定義があいまいだ」など反対論が相次いだ。調査会の太田誠一委員長は反対派にも配慮しながら論点整理を行い、あくまで今国会中の提出を目指すとしている。

 法案は公明党が成立に積極的で、小泉内閣の時、国会に提出されたのも、郵政民営化法案とセットといわれたものだ。つまり、小泉内閣の最優先課題である郵政民営化法案を成立さす代わりに、公明党が押す人権法案もセットで成立させる、との密約があったともいわれている。また同和対策法が廃止になった以降、人権問題に闘争の重点を置く部落解放同盟の積極的な動きも見逃せない。

 何よりも推進派が今回、力を入れるのは、保守の小泉・安倍内閣から変わって、リベラルの福田内閣になったことが大きな背景にある。また法案成立に積極的だった古賀誠氏や二階俊弘氏が選対委員長、総務会長という党4役となり、党内で保守派が退潮するのに変わって、リベラル派が頭をもたげてきたこともあり、推進派は3度目の今回こそ勝負だと踏んでいるのだ。

 一方、反対派は依然、法案の内容に疑義があるとして、法務省当局に説明を迫っている。
一つは、法案の「人権」の定義が引き続きあいまいだとしている。また、法案には法務省の外局として「人権委員会」の設置が明記されているが、これが国家行政組織法の3条に基づくいわゆる「3条委員会」であることが問題となっている。つまり、国税庁や公正取引委員会と同様、捜査権や懲罰権がある「3条委員会」になることに、警戒感が高まるのだ。
そして反対派がさらに問題にするのは、全国に配置する人権擁護委員を現在の1万3千人から2万人に増やすという案だ。しかも法案ではこの人権擁護委員には国籍条項がつかないという点が反対派の警戒感を一層募らせている。それでなくても一般の勤め人のように、人権擁護委員のなり手がないのに、特定の目的を持った或る外国勢力が人権擁護委員になるケースも出てくるのだ。

 反対派の筆頭である無所属の平沼赳夫氏は「絶対に国会提出を阻止する」と民主党内にも呼びかけて、反対運動を展開している。平沼氏は「法案が成立した場合、例えば拉致問題のように北朝鮮の金正日体制に反対する我々のような立場の者は、北の人権を侵害したとして摘発されるような“悪夢”は大いにあり得る」と警戒感を強めている。

 リベラル政権である福田内閣がこの人権擁護法案にどんな対応をするか、その“リベラル度”を計る意味でも注目される。
 
西山弘道;
ジャーナリスト。早稲田大学政経学部卒業後、文化放送で30数年、放送記者として
活躍。政治担当として、三角大福中、安竹宮の「永田町戦国史」を取材。
2005年10月、文化放送を退社、以後フリーのジャーナリストとなる。
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4.松永太郎 
本の紹介  欺瞞工作  Deception: Pakistan, the United States, and the Secret Trade 
in Nuclear Weapons   Adrian Levy and Catherine Scott-Cook  Walker NY(未訳)
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 「ディセプション(欺瞞工作)」は、情報機関の行う常套手段である。作戦の日時、場所などの偽情報を敵に流し込む。暗殺や破壊工作のカヴァー・ストーリーを作る。あるいは隠蔽する。こうした工作は、映画にしか出てこないのではなく、実際に行われている。第二次大戦中、イギリス情報部は、暗号解読の事実を秘匿するため、実際には存在しないスパイ網からの情報を得ている、というカヴァーストーリーを作った。そして、それをドイツ側に流したのである。このためドイツのカウンターインテリジェンスは、ありもしないスパイ網の探索にエネルギーをとられることになった。このようなことは、別に戦時でなくても、しょっちゅう、行われているのである。
 本書は、若手のジャーナリストによるものだが、詳細を極めた情報がすばらしい。日本でもアメリカでもマスコミが寡占化し、主流ジャーナリズムが、その取材能力を失った今では、こうしたインディペンデントなジャーナリストは貴重である。
 この本の核心は、こうである。2004年、パキスタンのカーン博士は、パキスタン国営放送で、自分が核の非合法的な拡散活動に手を染めていた、と告白した。数日後、ブッシュ大統領は、カーン一派の活動に関する情報はすべてムシャラフ大統領から得ており、パキスタンが核拡散の源泉になることはもはやない、と演説した。
 実際は、カーン博士の活動は、パキスタンの軍(しばしば政府よりも実権を持っている)、情報部(ISI:これも政府よりも実権を握っている)のトップ・クラスの計画であった。
カーン博士はオランダで、英、独、蘭の合同原子力機関で働いていたころに、高度の機密の技術方法を得た。これによって独自の核開発が可能になることを確信した彼は、当時のブット首相に手紙を書いた。こうしてパキスタンは、「イスラムの核爆弾」の製造に乗り出したのである。真っ先に、その開発に手を貸したのはチャイナであった。まさに核拡散防止条約に参加した、その同じ月、チャイナはパキスタンに原爆の青図、アイソトープ、技術協力などを提供することを決定した。この秘密の関係は、むろんCIAをはじめとする西側情報機関の直ちに察知するところとなった。しかし、この情報は握りつぶされることになった。
その当時、アフガニスタンで全面的に進行してきたソヴィエト軍に対するゲリラ戦争が激化していたためである。パキスタンは、アフガン戦争における戦略的な最重要拠点であった。CIAの攻撃的で活動的な長官ウイリアム・ケイシーは莫大な資金を投入して、ゲリラ活動を支援した。この資金は、ムジャヒディーン(ゲリラ戦士)を支援するパキスタンの軍・情報部を経由する。パキスタン情報部の長官は、この資金をBCCI(国際債権商業銀行)に預金した。そこから複雑な経路で、その一割以上がカーン博士の研究所、要するにパキスタンの秘密の核開発研究にまわされた。 
このBCCIは、パキスタンの銀行ということになってはいるが、実際はCIAやイギリス情報部が、よってたかって作った資金洗浄(マネーランドリー)の銀行である。簡単に言えばパキスタンは、CIAの金で核爆弾の開発に成功したことになる。
 問題は、ここから先であって、すなわち、このように西側各国が目をふさいで作られた核爆弾開発技術は、ブッシュ大統領が「悪の枢軸(アクシス・オブ・イーヴィル)」とよんだイラン、リビヤ、そして北朝鮮に売られた、ということである。北が核爆弾開発に成功したころは、ブッシュ政権はありもしないイラクの大量破壊兵器の探索に血眼になっていた。最初からないことを知っていたのか、それとも探せば何かあると思っていたのかは知らないが、ネオコンの国防次官ウオルフォウイッツは「イラクにはオイルがあるが北朝鮮には何もない」とみもふたもないことを言っている。
 パキスタンが今度は「イラク戦争」で重要拠点となり、ムシャラフ大統領の協力が不可欠になると、アメリカもパキスタンも、カーン博士を「悪者」に仕立てて、カヴァー・ストーリーを作ったということである。それはカーン博士の研究所に資材を売った西側各国やチャイナの原子力産業も異存のないところであった。ここらへんが「イスラムの核爆弾」をめぐる「欺瞞」の核心である。
 
松永太郎;
東京都出身 
翻訳家、多摩美術大学講師、レモン画翠社長
主訳書「進化の構造」「イカロスの飛行」他。
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5.藤岡知夫 
 最近の展覧会から
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王朝の恋—描かれた伊勢物語 出光美術館 2月17日
伊勢物語といえば、源氏物語や更科日記と並ぶ平安朝時代の代表的な文学、というより、日本を代表する文学の一つである。
昔男ありけり、で始まる簡潔な文章で、短い物語が125段、全て最後は在原業平の歌で締めくくってあるので、作者不詳ではあるが、在原業平の関係者が綴ったものであることは間違いないであろう。伊勢物語の多くが、色恋の話であるために、在原業平と言えば、一代の色男として知られているが、この物語の中には色恋に関係なく心打つ話も多い。筒井筒などは、井戸の周りで遊んでいた幼なじみが、後年上手く結ばれるという話であるが、幼なじみなどに全く関係のない筒井筒という言葉が、日本語の中で幼なじみの代名詞になっている。
華やかな話が多いだけに、日本画の画材としては特に適していて、その中でも光琳や宗達を始めとする琳派の人達の画材に多く使われている。最も多く描かれているのは、東下りで、富士山をバックに馬に乗った業平の一行の絵も多いが、更によく描かれるのは、八ツ橋の段である。池に花菖蒲が咲き乱れ、八枚の板から成る橋が架かっているので、八ツ橋というようであるが、これを画題に尾形光琳が六曲二双の素晴らしい絵を二組描いていて、一つはボストン美術館、他の一つは国宝に指定され根津美術館にある。どちらも金地に緑と群青で菖蒲の絵が書き込まれて居るが、ボストン美術館のものは斜めに橋が架けてあるが、根津のものにはこれがない。今度の美術展では酒井抱一が、ボストンの絵を模写した絵が出ている。同じ琳派の画家の絵であるから模写といっても立派なものであった。
この展覧会では、俵屋宗達の伊勢物語の題を取った11枚の連作、更には六曲一双の屏風も何枚か出品されていた。いずれも伝俵屋宗達で、真物かどうかはわからないが、そもそも宗達の眞筆と判っている絵など世に何枚もない。宗達かと疑われるだけに、全て誠に美しい絵で特に鮮やかと沈んだ色調に使い分けた緑が美しい。
意外であったのは、伊勢物語の中でも最も華やかな場面、交野の桜狩り、一日中桜狩りをして夕方になって、天の河原という場所に着いたという、「狩りくらし たなばたひめに 宿からむ 天の河原に我はきにけり」 で結ぶ段の絵が一枚もなかった事である。琳派の人達にとっては、桜は実物が美しすぎて案外描きにくい題材なのかも知れない。
私が最も好きなのは、武蔵野の段。美しい姉妹の、姉は金持ち、妹は貧乏な夫に嫁ぎ、どちらも幸せに暮らしていたが、妹が夫の狩衣を洗っていたら、破けてしまい、他に持ち合わせがなく、途方に暮れて泣いていたら、姉の夫が自分の一枚をその妹に与え、「むらさきのいろこきときは めもはるに 野なるくさきぞ わかれざりける」とよむ段である。残念ながらこの段を絵にしたものは一枚も見あたらなかった。
伊勢物語は美しい絵にし易いので、現代作家でも山口蓬春が宗達を真似て、何枚もの扇に各々の場面を描き、波に流している絵なども誠に美しいものであった。また傑作なのは、釈迦涅槃図を真似て、見立て業平涅槃図というのを、英一蝶が描いており、釈迦の場合には横になって死にかけている釈迦の周りに老若男女、動物までが来て泣いている図であるが、業平の場合には若きから婆さんまで女ばかりが沢山集まって、周りで泣いて、それを囲んで動物も(全てメスか)悲しんでいる図であった。
同じ女好きでも白人世界ではドン・ジョバンニは天界から来た青銅の騎士に騙されて、地獄に落とされるが、業平の最後は女に囲まれたて死ぬというのは誠に日本らしくて良い。
最も日本らしい世界最高の文学を、世界最高の画家達が描いたこの展覧会、是非必見、お勧めである。2月17日までやっている。

北斎展
葛飾北斎は日本人なら誰でも知っている、代表的な浮世絵画家の一人で、1849年90才まで生きて、膨大な数の作品を残しているので、どこの美術館に行っても観ることが出来る。しかし若い頃、シーボルトの依頼によって日本の風俗や風景を描いた多数の作品が、オランダから日本に帰って来て、見せているというので、江戸美術博物館に行って来た。近年、両国の国技館跡に作られた江戸美術博物館は斬新な建物の構造も良く、その展示は最近日本の美術館としては卓越したもので、ここで開催される特別展もいつもなかなかである。今回の里帰りした作品は、北斎工房(推定)と書いてあり、必ずしも全てが北斎が描いたものではないのであろう。我々が知っている富岳36景など、晩年の北斎の版画から見ると画風は随分異なっている。
シーボルトが求めたのはその当時の日本の風俗を正確に描くことであったのであろう。子供の遊びや、民衆の生活などが、よくある花魁の花見の絵などと一緒に多数描かれていて、誠に興味深い。富岳36景を始め、我々が慣れ親しんでいる北斎の版画も沢山展示されていたが、この展覧会を見て、北斎という男は90才まで実に多彩な分野の絵で活躍をした人であると理解出来る。

北斎に限らず浮世絵全般に言えることであるが、確かに浮世絵が、素晴らしい絵画芸術であることは間違いないであろうし、ゴッホを始め印象派の画家達、更には作曲家のドビュッシーにまで影響を与えたそうであるが、逆にゴッホの絵であるとか、レンブラントであるとか、たった一枚の絵の前で立ちすくんでしまうほどの感動を得ることを、ヨーロッパの美術館では何度か体験したが、浮世絵で一枚の絵から痺れるような感動を受けたという経験は私にはない。

この展覧会は江戸東京美術館、1月一杯でもう終わっている。


上野国立美術館通常展 仏教の来た道

上野の国立美術館の特別展は度々観に行っているが、平常展は最近10年以上観てなかった。平常展の一つに「仏像の来た道」があるのを知り、観に行ってきた。仏像の来た道は大きな部屋一室で、ガンダーラから始まった仏像が支那を経て、朝鮮から日本に渡るまで、どのような道を辿って来たかの概略が述べてあり、沢山の仏像が展示されているわけではないが、平安朝の十一面観音などなかなか素晴らしい仏像もあり、立派なものであった。日本の奈良時代、支那での唐時代、日本の広隆寺や中宮寺にある半跏思惟像が唐や朝鮮で流行していたのだそうで、これは私にとっても初めて知る事実であった。
平常展では、立派な火炎土器を含む縄文土器から始め、明治時代の天心一派まで日本の美術がよく要約され、示されていて、なかなかのものであった。ニューヨークのメトロポリタンやロンドンのナショナルミュージアムに比べても決して見劣りのするものではないことを喜んだ。

三井美術館「国宝雪松図と近世絵画」
円山応挙の国宝雪松図は三井美術館の所蔵で、私も過去に何度も観たことがあるし、この絵は確かに立派な絵ではあるけれども、大きな松が雪をかぶっているだけの単純な絵で、面白い絵でもないので、これだけであれば、行く必要はないのであるが、三井家では円山応挙の絵を驚くほど沢山持っているようで、それを観たくて出かけて行った。応挙の絵としては、鶏であるとか、昆虫の細かい写生などが非常に面白い。しかし応挙に限らず江戸時代の絵師達は皆、バッタやキリギリスなど彼等が捕まえることが出来る昆虫は実によく観察し、精密画を描いて居るし、蛾なども燈火に集まってきて止まるので描けるが、蝶は捕まえることが出来なかったようで、殆ど誰も描いていない。この展覧会に出ていた絵で面白かったものは、江戸時代、画家は不明であるが、六曲一双の屏風が2枚、どちらも着物が描いてあって位置関係は同一、着物の絵柄が異なっていて、どちらも蝶のデザインである。そして蝶の輪郭は正確にアゲハチョウで、一方はやや引き延ばしてホソバジャコウに近い形である。
沢山描いてある蝶の斑紋はどちらの一枚もその中では殆ど同じであるが、多少の個体変異があり、模様からは同定できないが、一枚のは前翅が緑色で後翅が桃色、もう一枚のは後翅はモンキアゲハで前翅には外縁に沿って白紋があり、この白紋の出方などもシロオビアゲハに似て実際のアゲハにあり得るリアルさがあり、蝶の愛好家としては仲々面白かった。

藤岡知夫(ふじおか ともお);
昭和35年慶應義塾大学工学部電気工学科卒
昭和40年同大学院工学科博士課程終了 工博
昭和54年同大学教授に就任
平成2年東海大学開発技術研究所教授に就任
平成6年東海大学理学部物理学科教授に就任
平成12年財団法人応用光学研究所理事長に就任
専攻 レーザー工学 レーザー物理学
著書に
「レ−ザ−がひらく21世紀」(三田出版会、1990年)
「光・量子エレクトロニクス」(オ−ム社、1991年)
「オプティカルパワ−」(裳華房、1994年)
趣味の蝶関係では「日本産蝶類大図鑑」(講談社、1976年)
「蝶の紋」(河出書房新社、1973年)
「日本産蝶類及び世界近縁種大図鑑」(出版芸術社、1997年)など13冊。
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◎第258回「龍の子会」例会 2008年2月8日 (1)
「Japan Missing」「2006年度予測の検証」「サブプライム問題について」「2008年日本経済の展望」
伊藤 武
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2006年までは、数年間に亘り毎年1月又は2月の「龍の子会」例会で景気展望の話をさせていただいていました。その都度、前年の展望の反省として、どの要素が当たりどの部分が外れたかを検証し、それを糧に来る年の予測を試みました。ところが、2006年からの例会で「明日のニッポン」シリーズが開始し、10月に新経済戦略の話を最後に、1年間スキップした形となりました。既に2年前からの話となりますが、過去の2度のスピーチ内容で現在も関係深い部分を検証し、それを前提に今年の見通しを行います。

I.Japan Missing
前回2006年10月のスピーチで、日本の対応に関し最も憂慮したことは、今後日本が経済力で世界の中堅国に陥ることは確実であるが、バブルの時代の日本叩き (Japan Bashing) に始まり、クリントン政権時代の日本素通り (Japan Passing) 後、日本は何処にあるの (Japan Missing) とその存在を問われることです。
小泉政権の間は、ブッシュ大統領との蜜月期間もあり、一時的にはその存在感が高まったのではないでしょうか。ところが、現在は紛れもなく、既に世界の中で日本はMissingとなってしまいました。先日のテレビ番組で、ミスター円で名を馳せた榊原英資氏は 日本をJapan Nothing と位置づけましたが、この表現は明らかに不適切です。世界が占めるGDPの日本の比率はピーク時からほぼ半減ましたが、現在尚10%近くに止まり、経済大国に違いがありません。しかも、日本経済は、2004年に回復基調に転じた後は、過去最長を誇る2%台の安定成長を昨年の後半まで4年越しに維持し、世界的に見ても遜色のない経済環境を実現しました。
ところがその存在感(Japan Passing の状況は、存在感がある故に敢えて素通りした)を問われるとMissing となってしまいました。一国の存在感を最も如実に表現する指標は、その国の株式市場です。以下検証を行います。
2月2日号の週間東洋経済は「世界同時株大暴落」記事を掲載し、昨年の騰落率でマイナスとなったのは5カ国に止まり、日本は52カ国中51位。唯一日本を下回ったのはアイルランドであったが、過去10年間の平均リターンは日本に比べほぼ倍の10.15%。ちなみに、サブプライム発祥の米国はプラス4.02%の上昇を記録。
同様に過去10年間の平均リターンで、日本は5.15%を記録。一見悪くはないが、それも48カ国中最下位から2番目。ちなみに最下位は国の存続が中国の脅威に苛む台湾のみ。
最近の日経朝刊「大機小機」の欄で、日本株の外人保有比率は30%程度であり、70%は国内保有であるので、機関投資家を中心にもっと自信を持って株式市場に積極的に投資すべしと提唱。但し、出来高の70%が海外投資家であり、昨年の夏意向は大量の売り越しとなった。しかも先週は外人売りの記事が掲載されると、株式市場は大幅安を演じる次第。最早、株式市場の主導権は海外投資家が握り、日本離れが顕著になっているのと同時に、日本の投資家は国家同様その覇気を消失している。
2007年世界の株式売買代金で日本は11%増の6.7兆ドル。それに比較し、北米は32%増の46.8兆ドル、欧州は44%増の31.1兆ドル、そして中国は317%増の8.3兆ドル。株式の商いさえもジリ貧状態。
年初来、世界株式市場は、サブプライム問題が米国の景気を直撃する懸念が高まるに至り、下落を加速している。サブプライム問題の日本に与える影響は、主要国間最も軽度であるにも拘わらす、日本株の下げ率は最大でへばりついている。
残念ながら、日本は世界で影の薄い存在に凋落しています。それもそのはず、日本の政治は暫定ガソリン税を最重要政治課題として、経済成長が危機に直面しているにも拘わらず、能天気で、一切の景気対策措置が講じられません。それに反し、米国においては、サブプライム問題が顕在化する昨年の9月まで、FRB(連銀)の最重要課題はインフレの台頭であったのが、以後様変わりとなりました。株式市場暴落と景気後退を懸念し、モラルハザードをも無視し、FRBは本格的な緩和に転換しました。2000年の不況以来、デフレ対策として、FRBは政策金利(FFR)を未曾有の1%まで引き下げた後、2004年景気回復確認後は一貫して、金利引き上げを実行し、2006年中にはFFRは5.2%まで上昇。ところが、昨年秋以降は果敢な緩和策に転じ、4ヶ月の間に3%にまで引き下げられました。それに反し、最近まで日本は金利水準平常化を訴えその機会を持ちながら、反対勢力(竹中平蔵氏がその尖兵)に阻まれ、限りなくゼロに近い日本の金利では、金融政策の緩和導入は最早閉ざされています。又財政面では、ブッシュ大統領は直接現金を支払う16兆円の個人税金還付を発表し、その実施は超党派の賛同を得ています。還付対象者で所得税納付者以外を含む対抗案が民主党から提案されてはいるものの、5月頃には実現する見通しです。GDPが日本のほぼ3倍であるので、もし日本であれば、5兆円規模の所得減税に匹敵します。逆に一般消費税を2%引き上げれば、5兆円の増税となります。悲しいかな、Japan Missingに対し反論すら出来ないのが今の日本の現状でしょう。

II.2006年度経済予測の検証
さて、2006年は一昨年であるので、今さらとは思いますが、多くの経済要因は一時的に止まる事象ではないので、敢えて検証を試みます。下記の前回予測をそっくりそのまま記載しました。
2006年の日本経済の展望 − 世界経済パラダイムシフトの認識不足による帰結
日銀が示唆している量的緩和解除すら、過剰流動性のブレーキとはならない。それさえ、政府は牽制し、金融政策転換時期は大幅に遅延。いずれ大きな付けが残る。竹中平蔵大臣は「長期金利は名目GNP成長率を下回るべし」と提唱し、政策の論争に発展している。国債の金利負担を低く押さえたい意図は解るが、何を論拠に経済成長と金利水準を結びつけているかは全く不可解。
「正にこの付けが回ってきた。景気減速の事態に直面した現在、金融の正常化を実施せず金利引上げを行わなかったので、金融政策の支援は選択枝となり得ない。米国はFFRを5.2%まで引き上げた結果、本格的は金融緩和策が可能となっており、上記の通り、数ヶ月以内にFFRを3%まで引き下げている。」
過剰流動性がもたらす不動産と株式バブルは持続。今年中にバブルがはじけるかどうかは、むしろバブルの規模によるであろう。
「世界的な過剰流動性が不動産と株式市場のブームをもたらした。日本では不動産市場のバブルが生じたが、株式バブルには至らず。主要要因は一部インターネットトレーディング等の個人投資家の投機以外に積極的な株式投資に進行しなかった。むしろ海外のブームに乗じる海外証券投資や為替のキャリートレーディングが活発になり、資産投資は国内株投資に波及せず。」
資産インフレに伴い、景気の好況感は高まり、経済成長を助長。2%台半ばの経済成長は持続(コンセンサス予想は1%上限台)。
「当時のコンセンサス予想を上回る経済成長を2007年後半まで維持できた。」
米国を含む世界経済は成長し続け、日本の景気を継続して支援。
「当時過半数の識者が予測した世界景気の減速はなく、日本は恩恵を受け続け、世界的な好景気はサブプライムショックに至るまで継続。」
財布の紐は緩むが、小泉政権去就後、一般消費税を含む大幅増税となれば、景気は早期に冷え込む。大幅増税・金融量的緩和となれば最悪のシナリオ。
「最悪シナリオは幸い回避され、良好な環境が続いたが、今その最悪シナリオに今直面しつつある。」
実態景気とは裏腹に、米国経済も2006年中に悲観論が多数説となる。実態経済は2007年まで減速はなし。
「米国景気減速懸念は、2006年中に消え去り、サブプライム問題以後初めてその懸念が深刻化。」
デフレは終焉。原油その他の素材価格上昇よりも、マクロ経済要因による物価抑制効果が働き、物価は上昇に転換するが、インフレは問題とされぬ。
「当時問題しされていたデフレは終焉し、物価上昇も実現。但し、後述するが、物価上昇は物価指数には表れていない。」
米ドル需給は、貿易赤字の増大と他諸国の米国債購入が相殺し合う。米国短期金利は、その政策金利FFRが2003年6月に設定した1.0%を底に、2004年6月以降、連銀市場公開委員会会議開催毎に引き上げられ、現在は4.25%。日本の公定歩合は0.10%。ドル・円の金利差がドル高を誘導。2006年中に金利差が縮小すれば、円高に転換。2006年後半以降は円高進行。
「米国政策金利は5.25%まで上昇し、それに反し日本の金利は期待に反しほぼ据え置きとなり、ドル・円金利差は更に拡大。キャリートレードを促進し、更なるドル高となる。」
米国は最も積極的に引き締めを展開。それでも金利はせいぜい中立で、引き締め効果は緩慢。ヨーロッパは現在米国を追随。日本は大きく遅行。長短金利差(利回り曲線)は当面平坦で推移し、引き締め効果を低減。インフレ期待が高揚し、2006年後半世界的に長期金利が上昇。日本の10年国債は2%台乗せ。
「資産インフレは加速化したが、物価インフレは物価指数では顕在化せず。長期金利の上昇は据え置きとなった。10年国債は予想に反し2%には達しなかった。」
世界景気は2006年中崩れることはない。BIS警鐘のとおり、その後の行方は、主要国中央銀行の金融舵取りが鍵となる。但し、手遅れは避けられぬ。
「世界景気は崩れるどころか加速し、一年半後に全く予想されなかったサブプライムショックという形が、長らく誤った金融舵取りの結末となった。」
2004年まで概ねの予測は的中 − 背景に、日本経済は不況の国内要因が支配し、パラダイムシフトは潜在要因に止まる; 2005年の予測は大きく外れる − パラダイムシフトの影響をフルに受ける; 2006年は、政策当局の現状認識不足、且つ世界の過剰流動性に対する舵取りが不十分。船は舵取り不十分のまま進行。
「日本政府及び政策当局は経済政策無策のまま舵なしで浮遊し続けている。幸い2006年以降も追い風の軌道に乗り続けた。今逆風の軌道に転じたが無策の状況が続く。景気の荒波に対し、舵なしの政府に期待することは無意味であろう。増税等の下手な舵取りをすれば、致命傷となる。」
いずれにせよ、2006年日本経済は、不動産及び株式投資がいっそう活発化、マネーゲームが横行する資産バブルの年。バブルに浮かれ、景気も浮かれる。
「上記の通り、2006年の日本経済は資産バブルに浮かれ、景気も浮かれたが、資産バブルの資金は国内不動産に留まり、日本株市場を Passing し、外貨と外国証券に回った。」
経済政策の正しい処方箋 − (1)金融政策は早期に引き締めに転換すべし;(2)小泉政権集大成として、行政改革を本格的に推進;(3)財政の無駄を省くと同時に増税はなし。赤字対策は、景気回復による税収増と歳出削減に依存すべし。早期の大型増税は、進行中の景気回復を破壊。
「金融政策は金融正常化の機会を逸し、行政改革は小泉政権後後退。経済は成長重視から財政再建重視に転換。景気の好循環過程は終わり、景気対策は喫急の課題。処方箋は今までに増して緊急に実行すべし。」

伊藤 武:
英国ケンブリッジ大学経済学修士
ジャパンベンチャーパートナーズ創業パートナー
企業コンサルティング、投資銀行及び投資顧問業務に従事。
UBS投信投資顧問株式会社社長、ソロモン・スミスバーニー証券会社マネジング・
ディレクター歴任。
35年間に亘りニューヨークと東京で国際投資銀行業務の実績を積む。
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◎The Rape of Nanking(南京大虐殺)アイリス・チャン著 について
日本再生会研究会(南カリフォルニア)会員 今森貞夫
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著者のアイリス・チャンは、アメリカに移民した中国人の両親のもとに、アメリカで生まれました。チャンは、まだ幼い頃、両親から南京大虐殺について聞かされました。彼女の両親は第二次世界大戦の真っ只中、中国で育ち、戦争が終わったあと家族と一緒にまず台湾に渡り、やがてアメリカに移民してハーバード大学で学び、科学分野での学究生活を送るようになりました。
彼女の両親はイリノイ州で穏やかに学究生活を楽しんでいましたが、1937年から45年まで続いた日中戦争の恐怖を忘れることはなく、娘にも決して忘れないで欲しいと願いました。戦争当時まだ子供だった彼女の両親は実際に虐殺を目撃したわけではありませんでしたが、虐殺の話を大人から聞き、それを著者に伝承したのでした。
その後、著者が成人するまで、南京大虐殺のことは著者の記憶から薄れていました。ところがある日、著者は、中国系アメリカ人のフィルムメーカーが南京大虐殺のドキュメンタリ映画を製作したけれども、それを配給する資金に困っているという話を友人から聞かされました。これがきっかけで、著者は多くの中国系アメリカ人やカナダ人の活動家と知り合いになり、さまざまなコンファレンスに参加したり、たくさんの資料や文献を調べたりして、やがて南京大虐殺について本を書くことを決心したのです。
本書「The Rape of Nanking」が出版されるまで、南京大虐殺に関する、英語で書かれた本格的なノンフィクションの本は、材料になるデータがアメリカにたくさん存在していたにもかかわらず、執筆されなかったと著者は述べています。南京大虐殺がなぜユダヤ人大量虐殺や広島・長崎への原爆投下と同じように世界の歴史で取り上げられなかったのか、なぜ生き残りの犠牲者たちが正義を求めて声をあげなかったのか著者は疑問に思いましたが、この沈黙の背景には、関係する国々の間での政治的な理由があるのだろうと考えました。中国と台湾は、両方とも日本との貿易で競争を続け、政治的に世界に認識してもらうために、戦争の賠償金を支払うことを要求しなかったのだろう、またアメリカも、ソビエトと中国本土における共産主義の脅威から、以前の敵国であった日本との友好と忠誠を求め、そのために日本は戦争中に犯した極悪な罪を徹底的に問われることをまぬがれたのだろうと考えたのです。
著者は、日本には脅迫的な雰囲気が存在して、南京大虐殺に関するオープンで学術的な討論が抑えられ、この事件に関する知識がもみ消されていることも、この本を書こうとしたもう一つの理由として挙げています。圧倒的な証拠があるにもかかわらず、日本の著名な政治家や研究者や業界リーダーの中には、南京大虐殺が実際にあったことさえ認めない頑固な態度を取る人々がいることも、著者がこの本を書く動機付けになりました。
この本で、著者は2つの独立した残虐行為を説明しようとしています。一つは南京大虐殺そのもの、もう一つは、中国とアメリカの沈黙に勇気づけられて、大虐殺自体を人々の意識から消し去ろうとした日本によるもみ消し行為です。
まず、第一部で、著者は、どんな理由があって日本軍は南京虐殺を実行したのかという質問を投げかけます。日本軍の兵士たちはなぜこんな非人間的な行為をしたのか、できたのか、そしてなぜ上官たちがそのような残虐な行為を許し、あるいは奨励したのか。少なくとも、戦場から、あるいは外国の情報源からこのような残虐行為の報告を受け取って、日本政府はどんな反応をしたのか。
著者は、これらの質問に答えるには、南京虐殺の背景にある日本の軍事的な歴史を紐解く必要があると述べます。著者によると、過去千年にわたって、日本の社会は封建制度や武士の台頭など、社会的な階層と戦いによって維持されてきました。侍の規範である「武士道」では、自分の君主のために命を捨てても戦うことが、侍としての最高の誇りだと考えられました。やがてペリー提督が率いる黒船が来航し、時の徳川幕府は戦闘さえ考えましたが、結局はアメリカの軍事的優位さにはかなわないことを認め、鎖国を止めて開国することに同意しました。誇りの高い武士階級にとってはこれは屈辱的な事件であって、一部は即刻外国と戦争すべきであると論じるグループもいましたが、他のグループは慎重さを求め、戦争をすれば日本を弱めるだけであり、他国から学び取れるものを学び取り、静かに準備を進めて、時機が来たら報復に移るべきだと論じました。
開国後、日本は技術的、経済的、そして軍事的にも、急激に飛躍的な進歩をとげました。やがて、1894年の日清戦争、1904年の日露戦争で勝利を経験して、日本は有頂天になっていました。ですが、1920年代に大恐慌が訪れて経済が破壊したあとは、国民を大量飢餓から救って国としての日本を存続させるには、他国を占有して領土を拡張するしかないという思想が生まれました。
著者は次に、南京陥落の流れを説明します。
日清戦争で始まった中国侵略は、1937年に始まった日中戦争で頂点に達しました。1937年7月、日本の作戦参謀本部は「3ヶ月を以て終結せんことを期す」と豪語して中国に対する全面戦争を始めました。しかし、実際に始めてみた戦争は予想に反し、日本兵は中国軍民の頑強な抵抗に遭って、上海から昆山、蘇州を通って南京までの350キロの道のりを、4ヶ月してようやくたどり着きました。
8月に上海で中国軍と日本軍の戦いが始まり、南京も日本の攻撃機による空襲を受けるようになりました。当時中国の首都であった南京は城壁に囲まれた美しい古都で、人口は百万人を超えていました。日本軍が近づくにつれて首都は南京の西の長沙、漢口、そして重慶に移され、市民の多くのは西に避難しはじめましたが、逃げ遅れた人、行き場のない人が、南京市内にはまだたくさん残っていました。政府組織が移動したあと、11月中旬には5万人の中国軍が補強され、全体で約9万人の軍隊が南京を守るべく立てこもりました。
12月9日に、日本軍は「罪のない市民と貴重な文化遺産を救う最善の方法は降伏することだ」と呼びかけ、「降伏するのに24時間猶予を与える」というビラを飛行機から撒きました。24時間経っても中国側から返答がなかったため、日本軍は総攻撃を開始し、日本軍が城門を突破した12月12日夜には、すでに中国側の防衛軍司令部は離脱していて、中国軍は指揮系統を失った烏合の衆となっていました。残された中国軍兵士たちは、日本軍の目をくらまそうと軍服を平服に脱ぎ変え、市民に紛れ込もうとしました。市の三方を日本軍に囲まれ、唯一の逃げ場は揚子江に面した港がある下関でした。港に行くには、市の北西にある「水門」と呼ばれる門を通らなければなりませんでした。ですが、水門や下関に通じるトンネルには逃げる人たちや車両や馬車が殺到し、大混乱に陥りました。ようやく揚子江にたどり着いた中国軍兵士たちは、対岸で待ち構えていた日本軍によって機関銃を浴びせられました。
次に著者は、日本軍による南京攻略から6週間にわたって繰り広げられたさまざまな残虐行為を説明しています。
南京市内に進撃した日本軍はほとんど抵抗を受けることなく、降伏してきた大量の中国軍兵士を捕虜にしましたが、それだけ大量の捕虜を生かすための食糧はないとして、計画的に処刑してしまいました。また、多くの中国兵が軍服を脱ぎ捨てて隠れたため、「便衣兵(制服を着ていない兵隊)狩り」と称して、元兵士や一般市民の男性を無差別に拉致連行して集団虐殺しました。
日本軍が南京を攻略した時点では、住んでいた住民の半数はすでに南京から逃げており、中国兵が撤退したあとは、老人や子供、逃げるだけのお金のない人たち、あるいは体が弱くて逃げられなかった人々しか残っていませんでした。これらの無防備な人々が経験したのは、集団虐殺、殺傷コンテスト、拷問、レイプなど、普通では考えられないような残虐な行為でした。
日本兵たちが行った残虐行為には次のようなものがあったと著者は語ります:
生き埋め:日本軍は精確さと効率性の高い、流れ作業のやり方で集団虐殺を実行しました。最初のグループの中国人捕虜に墓穴を掘らせ、二番目のグループに最初のグループを埋めさせ、三番目のグループには二番目のグループを埋めさせるという具合です。捕虜の中には胸や首まで埋められて、刀でたたき切られたり、馬やタンクで踏み潰されたりしました。
切断:日本軍は犠牲者の腹を裂いたり、首を切ったり、手足を切断しただけでなく、さらに耐え難いタイプの拷問を実施しました。材木に犠牲者を釘で打ちつけてタンクでひいたり、木や電柱にはりつけて彼らの肉をそぎ取ったり、銃剣で突き刺す訓練の的にしたりしました。目をくり抜かれたり、鼻や耳を切り落とされたりしたあと、火を付けて焼かれた犠牲者もいました。
焼き殺し:下関では、中国人捕虜を10人ずつ縛り、地面に掘った穴に突き落として上からガソリンをかけ、火をつけて殺しました。日本兵は焼き殺すことを娯楽にまでしました。彼らは中国人捕虜を建物の最上階に登らせてから降りるための階段や梯子を取り去り、建物に火を付けました。多くの犠牲者は建物の窓や屋根から飛び降りて自殺しました。
凍死:多くの犠牲者は意図的に凍死させられました。たとえば、日本軍は一群の中国人捕虜を池のそばに連れて行き、衣服を脱がせて裸にさせ、凍った池に飛び込ませられました。そして、凍死して固くなって池に浮かんだ犠牲者の体は、日本兵の銃撃訓練の的になったのです。
犬による殺し:極悪非道の虐殺の一つは、犠牲者を腰まで地中に埋め、ジャーマンシェパードによって噛み切られる様子を観覧することでした。
これらは、日本兵が中国人犠牲者を拷問にかけたほんのわずかな例だと著者は述べます。このほかにも、犠牲者に酸を浴びせかけたり、赤ちゃんを銃剣で突き刺したり、人々を舌で吊り下げたり、犠牲者の心臓や肝臓を取り出して食べたりしました。
レイプもさまざまな方法で行われ、その他の歴史上の集団レイプ事件の中でも、その規模と方法のために、それを完全に理解することは困難だと著者は述べます。中国人の女性たちはあらゆる場所で、四六時中、レイプの犠牲者になりました。幼い子供から老女まで、あらゆる年齢の女性がレイプの犠牲になりました。妊娠していた女性もレイプから逃れられませんでした。これらの女性たちは、レイプされたあとはたいてい殺されました。
著者は、南京大虐殺の死者の数について、さまざまな数を挙げています。
中国の軍事専門家Liu Fang-chu氏 − 430,000人
南京大虐殺犠牲者記念館館員 − 300,000人
IMTFE判事 − 260,000人
日本の歴史学者、藤原明 − 200,000人
ジョン・ラーベ − 50,000〜60,000人(2月に南京を離れた)
陸軍少佐大田久雄の告白に基づく数字 + 中国の埋葬記録 − 377,400人
著者は次のセクションで、南京に設置された「安全地帯」について説明します。南京安全区国際委員会(The International Committee for Nanking Safety Zone)とは、南京攻略戦に際し、南京城内の一部を安全区に指定して、避難できなかった中国市民を保護するために設けられた委員会です。南京に残留した欧米人が中心となって結成されました。南京大虐殺の時に日本軍から多くの中国市民を保護したことで知られています。
1937年11月にフランス人の宣教師ジャクイノット・デ・ベサージは、上海に中立地帯を設置して、侵略してきた日本軍によって家を破壊された450,000人の中国人難民を収容しました。これを聞き及んだ南京長老教会の牧師であったW. プルマー・ミルズ師は、友人たちに同じような地区を南京にも設定することを提案しました。ミルズと他の20数名の外国人(ほとんどはアメリカ人でしたが、ドイツ人、デンマーク人、ロシア人、中国人もいました)は、南京安全区国際委員会を結成し、南京の中央部よりちょっと西に位置する区域を安全区に指定しました。
これらの国際委員会のメンバーのうち、著者は、ドイツ人でシーメンス社南京支社の総責任者で、国際委員会委員長を務めたジョン・ラーベ、金陵大学付属病院(鼓楼病院)に務めていて南京に残ったただ一人の医師ロバート・ウィルソン、金陵女子文理学院教授で南京の婦女子を守ろうとしたウィルヘルミナ(ミニー)・ボートリンの3人について詳しく紹介しています。
南京を占拠した日本軍兵士たちの残虐行為は、世界にも伝えられていました。著者は、アメリカ人ジャーナリストの報道、ニュース映画のカメラマンが映した映像、そして秘密裏ではありましたが、南京安全区国際委員会のメンバーたちが家族や知り合いに送った手紙などが南京大虐殺の様子を伝えていたと述べています。
これらの報道や、12月12日に起こった小砲艦Panayの日本の戦闘機による撃沈によって、特にアメリカでは反日の渦が広まりました。これに対して、日本軍は被害対策として、12月15日に外国特派員が南京を去ったあとすぐに市を封鎖し、他国の外交官が入ることも拒否し、それ以上大虐殺の詳細が外部に漏れないようにしました。
各国の政府が南京に外交官を再び送って駐在させたい旨を明らかにすると、日本側は証拠隠滅の作業をあわてて始めました。
著者は、アメリカ政府が当時、南京の占領軍と日本本国政府との間の通信を傍受していたにもかかわらず、一般には発表せずに、日本が事実を隠そうとする努力を助けることになったと述べます。
南京大虐殺がもっとも集中していたのは最初の6週間から8週間でした。1938年の春には、日本軍による虐殺がようやく下火になり、占領されてはいても全員殺されることはないことを南京の市民は理解しました。日本軍は南京の市民全体を服従させる措置を実行し始めました。南京陥落以前の空襲や、陥落までの4日間の包囲攻撃による被害は、日本軍が南京に侵入してから行った破壊全体のわずか1%だったという調査結果を、安全区国際委員会のメンバーで社会学者であるルイス・スマイスが60ページにのぼる報告書で報告しています。
南京市にもっとも大きな被害を与えたのは、日本軍による建物の放火でした。日本軍は、教会、大使館、デパート、一般の店舗、大邸宅、貧しい市民のあばら屋、果ては安全区内にある一部の建物まで、ありとあらゆる建物に火をつけて燃やしました。
1938年1月に日本は新しい「南京自治委員会」を発足させ、治安の回復とともに行政の実務を同自治委員会の手に移しました。その年の春ごろには、南京は外面的には普通の市のように機能しはじめました。ですが、日本による搾取は、高い税の取立てや武器を作るための貴金属の押収など、南京市民を苦しめるものでした。
これらの搾取よりも悪質だったのは、南京市民が簡単にアヘンやヘロインなどの麻薬を手に入れられるように日本が仕向けて、市民を麻薬中毒にして奴隷状態になることを促進したことだと著者は述べています。
南京市民の苦渋は、1945年8月にようやく和らぎました。8月6日に広島、そして9日に長崎に原爆が投下され、14日に日本は降伏することを最終的に決心しました。日本軍は以前の中国の首都である南京に降伏の日まで居残りましたが、日本の降伏によって日本兵に対する迫害や拘禁は起こらず、あっという間に撤退していきました。
本書の最後の部分で、著者は南京が被った「2つ目のレイプ」について書いています。「1つ目のレイプ」は南京やその周辺地域で起こった中国人の大量虐殺のことですが、「2つ目のレイプ」というのは南京大虐殺の存在を拒否して、犠牲となった中国人市民たちの存在と尊厳にさらに傷を付ける日本での思想や動きのことです。この部分で著者は、日本の政府高官や知識人が南京大虐殺自体の存在を否定したり、日本軍の行為を戦争の名の下に正当化したりする例を数々挙げています。
本書の結びの言葉として、著者は、南京で行った行為に関して、日本はたんに法的な責任だけでなく、道義的な義務があると語ります。最低でも、日本政府は犠牲者に対して公式な謝罪を行い、賠償金を支払い、そしてもっとも大切なこととして、未来の日本国民に大虐殺の真実を教えることが必要だと述べます。日本が諸外国から尊敬されることを望み、その歴史の中の暗い一章に終止符を打つためには、これらは、日本にとって、とっくの昔に行わなければならなかった、重大な行為なのだという言葉で締めくくっています。
2008年2月10日
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◎阿嶋彩子の料理つれづれに (24)<トリュフ>
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トリュフの種類は30近くあるが、中でも有名なのがフランスのペリゴール地方の黒トリュフとイタリアのピエモン地方の白トリュフである。ペリゴール地方の黒トリュフは11月末から翌年3月ごろまで収穫され、この地方では毎年この時期には大きな市が立つ。ピエモン地方の白トリュは9月から12月に収穫され、白トリュフの方が香りの刺激がきつい。

野外でトリュフを探す時は特別に訓練された犬かブタを使う。犬は臭いを訓練しないと判らず、豚は訓練なしで探せるがトリュフを食べてしまうので一長一短であるらしい。トリュフはオークの木の根本から1メートル強の円内で5センチから40センチの深さにあるといわれている。2007年にイタリアのトスカーナ地方のピサ近郊のどんぐりの木のそばで1キロ半ある白トリュフが発見され、掘り起こすのに1時間もかかったと話題になった。過去50年間で見つかったリュフの中で一番大きいといわれている。

貴重なトリュフも1808年には栽培に成功して19世紀末には数百トンの生産がなされたが、二つの世界大戦の間に壊滅状態となった。現在は回復してきており、80パーセントはトリュフ園でつくられており、今はスペインやオーストラリア、アメリカでも作られている。

「台所のダイヤモンド」と言われているトリュフが長野県上田市で栽培されている事を4年位前に知り、早速取り寄せてみた。今では一部のスーパーマーケットでフランス産が手に入るが、その頃はまだ手に入らなく、一度自分の手でトリュフを料理してみたいと望んでいた。小粒で超一級品とは言いがたいが、香りもよく初めて自分自身でトリュフをたくさん目の前におき、これをどのように使おうかと気持ちが高ぶったことを記憶している。

私は薄くスライスしてサラダに、又エビといためたり、パスタに使ったりした。折角たくさん手に入ったので張り切って創作料理を作って楽しんだ。この創作料理は鴨肉のミンチと細かく刻んだトリュフをいためて味付けをして冷ましたものを一口の大きさのパイ皮で包んでオーブンで焼いたものである。家族には評価が高く、嬉しかった。

トリュフがその周辺から出ると言われている「どんぐりの木」の実はイベリコ豚の餌であり、豚はトリュフを探させると食べてしまうと言われている。イベリコ豚の脂身には餌であるドングリ由来のオレイン酸が多く含まれており、私は好んでよく頂くが、味は甘みがありとても美味しい。

私はこの豚とドングリとトリュフの関係に気が付いて、今まで何も思わずにいたドングリの実のことを調べた。どんぐりの実は森の哺乳類の秋の餌として重要であり、それは美味で良質な植物性たんぱく質を摂取する事により、不飽和脂肪酸が豊富な健康食品になる事である。

ドングリの出来る木の周辺で素晴らしい香りのトリュフが採れ、豚がその香りを先天的にわかっている事は、西洋の素敵な童話の一節を読んでいるような気がしてくる。
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◎廸薫の「タカラジェンヌが日本舞踊家になったわけ」其の十一「美しい所作・・・のお話」
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 今月から、「目指せ平成見返り美人!!★ 美しい所作と着付けのコツ講座 ★ 」をはじめました。
日本は今や「和ブーム」「着物ブーム」で、以前に比べるとうんと和服姿の女性を、あちらこちらで見掛けることが多くなりました。ですがその姿を見て「残念!!」と思うことが度々・・・。実際身近な方からも「着物は好きなんだけど、自己流なので奇麗な着方が分からない」とか、「どうやって動いたら良いのか分からない」等の声を聞き、よし、それでは舞踊家ならではの、舞踊家しか知らない、着物好きの為の美しい所作や着付けのコツをお伝えする事の出来る講座を開こうと思い立った次第です。着物に対する興味をお持ちの方が増えてくれば増えて来るほど、只着物を身体に巻きつけて仁王立ちしている我姿に、はたと疑問を持つ方も増えてくるはず・・・。きっとお役に立つと確信しているのです。

 日本文化の「道」(どう)と名の付くものには本来「着物」を身に付けることが欠かせません。日本舞踊も大きな括りで「芸道」という「道」が付いています。「道」は日本人の精神の一番根っこの部分、核心の部分といえると思います。第二次世界大戦の時、美しい町並みや文化財を残す為に京都を爆撃しなかったアメリカ軍ですが、何と日本が敗戦すると、マッカーサー元帥はいの一番に「道」と名の付く日本文化を総て禁止したそうです。これって、凄くないですか?彼は日本の国の価値がどこに在り、その精神その物が宿るものを把握していたとしか思えません。
 少し横道に逸れてしまいましたが、日本文化を本当に勉強したいと思ったらどうしても「着物」というアイテムを無視することは出来ないでしょう。ですので、当然と言えば当然ですが、洋服には無い、袖や裾、襟あわせ等の独特の美意識は、総ての「道」に必ず関わりを持つのです。

 例えば「茶道」。袖の無い洋服でするのと、袖のある着物でするのとでは動きが全く変わってきます。袖が邪魔にならないように、どのように腕を動かせ良いのか。合わさった裾を割らないようにする為には、どのように立ち座りをしたり、歩いたりすれば良いのか。襟元や帯を美しく保つにはどのようにすれば良いのか等々、これは、着方もさることながら「所作」と呼ばれる立ち振る舞いを知っているか、知らないか、出来ているか、いないかで、大きな差が出てくるのです。

 「日本舞踊」というジャンルは、江戸時代に目覚しい発展を遂げた「歌舞伎」の中から、「舞」つまり踊りの部分だけが独立して出来たものです。今でこそ舞踊家と呼ばれる私共の祖先は、明治時代に「日本舞踊」というジャンルが確立されるまで、その「歌舞伎」の中で踊られる踊りの振付けや、所作の指導などをしていた一介の振付け家に過ぎなかったのです。でも、そのお陰で私達は大きな財産を相続することになりました。なぜなら「歌舞伎」は男性が女性を演じるという特殊な要素を持ちます。つまり男を女に見せる為、どうしたら「女らしく」「美しく」見えるのか、長い年月をかけて研究に研究を重ね、工夫を凝らし、女が女を演じるよりもさらに女らしく、美しく見えるテクニックを確立し今に伝えてくれたのです。
 以前、私自身も余り意識していなかったのですが、お茶のお点前をしている時に先生から、「やっぱり踊りをやっている人は違うわね。動きに極まりが有って奇麗ですね。」とお褒めの言葉を頂いた事がありました。
それから自分の動きを意識するようになったのですが、改めて意識してみると、その動きの基本の総ては「日本舞踊」の動きの中に有ったのです。厳つい男性すら、たおやかな女性に見せてしまうテクニックこそが、その今回お伝えしたいと思っている「所作」なのです。
 着崩れしない着物の着方は「着付けの仕方」という意味だけでは無く、着物に有った動き=「美しい所作」をマスターしてこそ身に付くものなのです。一人でも多くの方にお伝えして、今の「着物ブーム」がブームに終わらず、本当の意味での日本文化再興に繋がればと、切に願っています。是非一度覗きに来てください。

目指せ平成見返り美人!!
★ 美しい所作と着付けのコツ講座 ★平成20年2月より開講 

着付け教室では学べない!!美しい立ち振る舞い=所作(しょさ)のコツ
入学式、結婚式、同窓会など・・・  今ならまだ間に合う!

着物を着慣れている人って、どうして素敵に見えるのでしょうか?それは、着物を着た時の美しい立ち振る舞い=所作(しょさ)のコツを知っているからなのです。
洋服の時と同じ歩き方や立ち方をしていても、着物が奇麗に見えないのは何故?着崩れしたらどうして直すの?苦しくない着方って有るの?・・・等々、あなたの疑問にもお答えします。さあ今年こそ、あなたも平成見返り美人を目指して、本当に美しい着物姿を身に着けませんか?

!) 着崩れが無く苦しくない着物の着付けが自分で出来る様になります。
!) 実生活の中で、着物姿がより美しく優雅に見える立ち振舞い(所作/しょさ)のコツをご指導いたします。
!) TPOに合わせた組み合わせや種類など、着物の基礎知識も学べます。
!) 受講回数は自由です。ご自分が納得出来るまで、いつ、何回参加して頂いても結構です。
カップル、ご夫婦、親子での参加も大歓迎。
!) 手持ちの着物、着たい着物をご持参下さい。(浴衣でも結構です。)
!) 月曜日〜金曜日の19:00〜の講座を希望される方はお問い合わせ下さい。
!)受講をご希望の方は下記事務局までご連絡下さい。 

2月・3月・4月講座開講日のお知らせ
日 程 
2月2日(土)  /  17日(日)
3月8日(土)  /  16日(日)
4月5日(土)  /  13日(日)
時 間  !)13:00 〜 15:00 !)16:00 〜 18:00
場 所  〒102-0073東京都千代田区九段北4-3-6
(JR中央線、新宿線、有楽町線、南北線市ヶ谷下車徒歩約5分)
受講料   正 会 員   1回 ¥2,000
賛 助 会 員  1回 ¥2,500
一   般  1回 ¥3,000

お申込/お問い合わせ 
NPO法人日本人のアイデンティティを育む会紫(し)薫(くん)子(し)の会(かい)事務局
〒100-0014 東京都千代田区永田町2-9-8パレロワイヤル永田町203
TEL 03−3500−2533 FAX 03−3500−2206
E-MAIL  shikunshi21@dream.com

花柳廸薫(はなやぎ みちかおる);
NPO法人日本人のアイデンティティを育む会・紫薫子の会 代表理事 
社団法人日本舞踊協会正会員。
兵庫県神戸市出身。三歳より花柳流日本舞踊の手ほどきを受ける。宝塚音楽学校首席入学。宝塚歌劇団退団後、花柳流師範資格を取得。歴史街道推進協議会、関西フォーラムに参加したことを機に、アメリカ(ワシントン、ミネアポリス、ニューヨーク)東南アジア(インドネシア、シンガポール)にて舞踊公演を行うなど、ワークショップや文化交流、結婚式、祝賀会、レセプション等の舞踊活動を中心に、古典に基づく独自の舞踊活動を国内外で行う。平成十七年NPO法人日本人のアイデンティティを育む会・紫薫子の会(しくんしのかい)を設立。日本舞踊のみならず、日常生活から消え行こうとしている日本伝統文化に警鐘を鳴らし、啓蒙普及活動をライフワークとして本格的な取組みを始動。                                        
ご意見箱アドレス; michikaoru@hotmail.com 
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◎奥山篤信の映画評論 
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1.ブラジル映画「スエリーの青空 SUELY/LOVE FOR SALE  」☆ なし 
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珍しいブラジル映画で楽しみにしていたが結果は落胆である。まず青空というブラジルの象徴である青の色がフィルムの品質が悪いのか全然濁っており、また風景が汚らしい街が舞台であって、何か垢ぬけしないのである。『マダム・サタン』が激賞されたカリン・アイヌー監督との宣伝だが、素人に毛が生えたようなカメラワークでもあるし、リアリズムとしての汚いカラーや風景というものでもなさそうである。要するにロー・コスト映画でしかない。

映画の内容もサンパウロで恋人との間に生まれた息子を故郷の田舎町イグアトゥに連れて帰ってくるのであるが、後から行くという恋人は来ず、その母親からも袖にされる失恋の女性の話である。そして遠くの町で生きていこうと、金を稼ごうとするのであるが、映画広告にある「秘策」でもなんでもない、古来の女性特有の商売なのである。

相手を選ぶと言いながらも結局は娼婦、それで金を稼いで新天地を求めて故郷を去るという単調な話であり、映画の触れ込みである「人生の新たな一歩を踏み出そうとする女性の姿が力強く描かれる」などというものでもない。主演エルミーラ・ゲーデスのブラジル女性の豊満な褐色の肉体と絡みをエキゾチックに好奇心をもって画面を見るだけの映画に過ぎない。

英語の題名LOVE FOR SALE  それだけである。
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◎奥山篤信のDVD映画評論 
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1.アメリカ映画「テルマ&ルイーズ Thelma & Louise」☆☆☆☆☆
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1991年公開され64回アカデミー賞並びに第49回ゴールデン・グローブ賞において脚本賞を受賞した作品である。監督は名匠リドリー・スコットである。この監督は英国人でありながら、これほど深い洞察をもってアメリカ社会を描けるのは英国人であるからだこそとも逆説的に言えるが、監督の作品のレパートリーに驚く次第である。

映画は往年の「イージー・ライダー」や「俺達に明日はない-ボニー・アンド・クライド-」を思い出させるアメリカの大自然をバックとしたロード・ムーヴィーといえる。

アーカンソー州の田舎のレストランでウエイトレスとして働く独身女性のルイーズ(スーザン・サランドン)と専業主婦のテルマ(ジーナ・デイヴィス)は極端に性格が異なるものの仲良し友達で、ある週末二人で山小屋で過ごそうと楽しい旅にでる。この旅が途中とんでもない殺人事件を起こし、その後強盗、監禁など罪を重ねて行き、凶悪犯として挙句の果ては追い詰められていくという物語である。

ルイーズは合理的で思慮溢れるアメリカ人、テレマはその場の刹那を楽しみ、人を疑うことのない陽気なアメリカ人、この正反対な二人がまさに典型的なアメリカそのものなのである。

全て善意の行為が、悪循環のような「犯罪」を犯していく姿が哀れでいて、それでいて、その中で苦難を乗り越え前へ前へと進んでいくアメリカ人のフロンティア精神をも象徴しているのである。物事の悪循環を作り出したきっかけの、観ていて腹の立つほど馬鹿な女のテルマが、逃避行のなかで思慮深く成長していく姿と、思慮溢れるルイーズがポカを犯していく姿が、映画として面白い。

この二人を追いかけるハル警部にハーヴェイ・カイテルが扮し、「善意に満ちた」アメリカの優しさを描いている。警察やパートカーという偽善と欺瞞の世界に、輝くように正義と善意を貫く警部をカイテルが演じている。

この映画で端役で出てくるチンピラ強盗に扮するブラピ(ブラット・ピット)は下積中、ジョージ・クルーニーと競ってこの役を勝ち得たという。このときのギャラがわずか6000ドル、今やブラピはクルーニーとともに世界的スターにのし上がった。

逃避行はユタ州、そしてフォーコーナーズ(アリゾナ、ユタ、コロラド、ニューメキシコ州の交わり点)そしてジョン・フォード監督でおなじみの美しく神々しい、自然の建造物ともいえるモニュメント・バレーを背景にしている。

そして何よりも主役の二人の女性の演技が光っている。最後永遠の自由を求め警察に捕縛されることなく、断崖絶壁から車ごと飛び込む場面は、その二人の美しい仏の様な表情と接吻が永遠に観客の瞼に残るであろう切なくも感動的な場面であり、涙を禁じえない。

こんな素晴らしいアメリカ映画は、いまどきのスペクタクル

 
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