甦れ美しい日本 第154号
発行日時: 2008/1/11□□■平河総合戦略研究所メルマガ■□□(2008年1月11日 NO.154号)
☆☆甦れ美しい日本☆☆
☆・・・・私たちは書きたいから書くのです・・・・
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< 目次 >
◎塚本三郎 新時代と三国同盟の教訓
◎レギュラー執筆者
1.佐藤 守 大東亜戦争の真実を求めて 147
2.奥山篤信 馬鹿バカしい報道2001の中曽根・阿川対談 —海軍善玉論こそ戦後自虐史観と同根なのだ。—
3.西山弘道 「退屈内閣」
4.松永太郎 本の紹介 さまざまな「陰謀論」を読む
◎細江英公 人間写真展案内
第49回毎日芸術賞受賞!!平和へのメッセージ
写真絵巻「死の灰」
◎阿嶋彩子の料理つれづれに(19)<創作和食の難しさ>
◎廸薫の「タカラジェンヌが日本舞踊家になったわけ」其の八「温故知新・・・のお話」
◎奥山篤信のDVD映画評論
1.「クライング・ゲーム」The Crying Game
2.「教授と呼ばれた男」Il Camorrista
3.「リプリー 原題THE TALENTED MR. RIPLEY」
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◎塚本三郎 新時代と三国同盟の教訓
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戦後、約五十年を経た頃から、世界はゆったりと変化し、戦後ではなくなりつつある。
アメリカがアメリカでなくなり、ソ連がロシアと変り、支!)が中国と変り、この三大覇権国が世界の首座を占めて来た。この変化の中で、日本はどう進むべきか。
平成十九年の日本の政局は、大連立構想と呼ぶ与野党の政策をも含めた連立話を、直下型大地震と大げさに論じた。この大地震について、各メディアは真相を語りたがらない。
おそらく原作は、渡辺恒雄読売新聞会長が書き、脇役として中曽根、森の元両首相が配され、主演は福田首相と小沢民主党代表というのが定説である。
いずれの各氏も、政局指南が大好きで、日本の様々な場面で、少なかざる役を果たして来た大物である。この方々は、当面の政局をどう解決するかに心を砕いている。
衆参のネジレ現象が、このままでは最低六年間は続き、国会は停滞して大変な事態となると予想し、それを解決する為の憂国の発露と心情が汲みとれる。
大連立は絶対の善であり、国政安泰の為に成功させねばならない、と信じての行動ならば、主役、脇役共に、その経過を堂々と述べ、大地震を起させざるを得ない点を説明すべきである。今ならば国民は耳を傾けて聞いてくれるはずだ。
それをしなくて、なぜ闇の世界に封じ込めてしまい、原作者に真相を語れと、他人事の如くケシカケているのか。大連立が一つの解決方法であることは確かなのに。
国民の期待は
さきの参議院選挙で民主党が大勝した。一度は政権交代をして欲しい。そして自民党の金銭にまつわる汚れた政治を一掃するには、政権の交代が一番すっきりすると国民は願っていた。そして次の衆議院選挙では、と云う強い期待と、政治に対する「希望と明るさ」を求めていた。しかし、参議院選挙後の政治は、混乱を重ねるばかりである。
野党が余りにも弱く、志がないから、与党のわがままが続き、堕落しても反省さえない。野党を強くさせ、力を与えることが、相対的に自民党を牽制してくれるものと期待した。ところが結果は国民の期待に反している。
民主党は、自民党に劣らずワガママであり、ゴリ押しの政党としての、「民主党の本性」を露呈してしまった。何が為に参議院選での民主党へ勝利を得せしめたのかと、国民は小言を言いたい。君達は、そんなワガママなゴリ押しで、政権を担当出来ると思うのかと。
自由を守る「テロ対策特別措置法」を置き去りにして、国会の会期中に、四十六名の国会議員を引き連れて、北京の胡主席に御挨拶に及んでいるのは、どう云うつもりなのか。
そして、南京をはじめ、多くの反日の舘は「友好の名に恥じる」から止めなさい、とでも言った議員が一人でも居たのか。友好の名で「反日の舘」を建てている北京政権は、余りにも日本を見下しているのではないかと、詰問するのが日本の国会議員ではないのか。
日中友好条約を結んでおきながら、それ以前の戦争と、!)の反日工作をこれ見よがしに宣伝している処へ呼び寄せる。中国は、すでに日本を属国扱いをしているのだ。そんな国へ民主党議員はなぜ行くの。それは友好ではなく、隷従であると気付かないのか。
国連を神聖視するのか
小沢氏は、自衛隊の海外派遣は憲法違反であるが、国連の決議さえ在れば、違反ではなくなる。国際貢献に従って、生きている日本としては、国連の決議こそ、自衛隊の海外派遣の大儀であり、名分である、と信じているようだ。そして海上に於ける警備活動よりも、更に危険で武力行使を伴うアフガンの陸上への派遣をも進言している。
小沢氏は、国連を自国の憲法以上に重視している。或いは憲法改正が無理だから、せめて国連をカクレミノとして、海外派遣と国際貢献の要を説くのかもしれない。その言の裏には、彼一流の政権戦略がみえる。福田首相は、小沢氏の提言に賛成し、それができれば、提案しているテロ対策の特措法をも、保留する意向を示した。
そのことは日本外交と安全保障の大転換を意味する。
国連とは一体如何なる存在なのか。国連に於ける五常任理事国は拒否権を持っている。その中で米国を除く四カ国全部よりも、日本一カ国の拠出金のほうが多い。それでも日本に対する敵国条項を外されない。かつて日本は、常任理事国になりたいと要望しただけで、中国は反日の暴動まで起させている。有体に言えば、国連は、中国やロシアの一方的主張に従うべき、歪められた国際組織で、両国が「ノー」と言えば何事も出来ない組織だ。
小沢氏は、国家を蔑ろにして北京の胡主席に親善の義理を果したが、福田氏もまた同様の儀礼を果している。
やがて、アジアは「中国を宗主国」として、東アジア共同体へ、アジアは一つの合言葉によって、日本国家の共産主義隷属化が進むことになりはしないか。
独裁軍事国家の庇護の下に、正直でひ弱な民主国家日本が、共産勢力下に組み込まれ、
米国を中心とする民主国家と対立させられる、これが中国の遠謀深慮である。
日本が隣国と仲良くすることは、常識的には良いことである。しかし、中国、ロシア、北鮮は共産主義国家であり、独裁政権下に在る。日本は民主主義国家であると共に、世界に類例をみない、半武装の平和国家である。日本が中国の共産国の隷属下に付けば、アセアン諸国もまた止むなく、それに向かわざるを得ない環境となる。
米国は、日本のみならずアセアン各国の自由を護る為に、日本と中国との間に、逆のクサビを打ち込むはずだ。中国が、日本と米国の間に打ち込む対抗手段として。
日本は、中国の強圧に屈するのか。
敢然としてアジアにおける自由主義陣営の先頭の座を守り通すことが出来るのか。
国家の基本、外交、安全保障政策
日本国家としての大切なことは、外交・安全保障問題を統一的に議論し、中・長期的に国家戦略を企画・立案する機能を、首相官邸に設置することである。そのため首相官邸の司令塔機能を強化するため、安全保障会議設置法案(日本版NSC)が安倍内閣の責任で通常国会に提出されていた。
福田首相はそれを全く論じないだけではなく無視した。その上、その直後に、国会に提出した案を断念し、設置準備室をも解散した。
日本は、独立国家としての国家意識が欠如している。今日までの日本国家は、幸い民主国家の保護者を自任していた米国の庇護の下に、安楽に過ごすことが出来た。
だが今日は、もうそれが危うくなりつつある。それと反比例して、中国の共産主義独善国家が、狂暴の!)を研いでいる。国家の基本を論ずる必要を痛感した安倍前政権の提案を無視し否定した、福田首相と小沢代表との国家観は、日本を危険な道へ逃げ込んだ。
六十数年前の、日、独、伊三国同盟
今日の日本を取り巻く政局は、六十余年前の、日・独・伊三国同盟直前と生写しである。
昭和十二年七月七日の盧溝橋に於ける一発が、日本の運命を決定付けた。それは{支!)(中国)とソ連(ロシア)共産主義の陰謀による挑発であること}が、今日漸く明るみに出た。それ以後に於ける、日本と支!)との泥沼の争いは周知の如く、その解決の為、日本政府は昭和十五年に日・独・伊三国同盟を決断した。近衛文麿と松岡洋右の二人である。
当時の近衛首相と、今日の福田首相は、良く似た善人であり、良家の出自で、世界情勢の厳しさを認識しない、幸運と優柔不断の政治家である。
加えて、松岡洋右(外相)と、小沢一郎氏もまた、頭脳明晰で、決断力が在る、似すぎる程に良く似ている。他人の意見に耳を貸さない点まで相似形である。
福田首相も、小沢代表も決して反米主義者ではない。それなのに政局運営に翻弄され、国家の基本に付いての外交と、安全保障に対しての、国家観が欠落している。
この二人が、隣国を大切に、即ち中国に気を奪われることによって、東アジア共同体と呼ぶ甘言になびく心配が消せない。両氏が国家の基本を自覚していないから。
与党のうち、公明党は親中派の先陣争いに終始しているし、自民党内にも、公明党に先を越されるな、と盲目的媚中派議員が執行部を占拠している。
日独伊三国同盟の当時の目的は、共産主義の北からの侵略を食い止め、かつ、中国の泥沼の事変から足を抜かんとしての、近衛内閣にとって、苦肉のアガキであった。
日支事変の主敵は国民党蒋介石政権であったが、その裏で米国とソ連が、南北双方から支えていた。それを見越して、近衛内閣は三国同盟によって、ソ連を抑え、米、英が対支!)への支援をあきらめさせるとの作戦であった。やがて独が、英国を降服させれば、米国も支!)への支援を止めるとの、勝手な、誤った情報が逆の結果となった。
今日では、与野党の議員が、積極的に中国に近づかんとしている。そのことが、心ならずも、同盟国である米国を主敵とせざるを得なくなり、日本の致命傷となりはしないか。
日本は再び独裁国と結ぶな
◎日本は自由と平等を原則とする民主主義政治の国家である。この原則を堅持しての繁栄
を目指す。現代社会は、自国のみが孤立して暮らすことは不可能であり、何れの国とも対等に付き合い、相互協力の実を挙げることによって共存共栄に努める。
◎各国は、それぞれ政治形態を異にするのみならず、独善と排他的な国家も周囲には存在
する。人類の歴史は、共存共栄の実績と共に、侵略と従属を強いる戦争の歴史の繰り返しでもある。今日なおその渦中に在るから、外交と防衛力の強化は不可避である。
◎何れの国とも仲良く協力すべきであるが、日本と同じ民主主義体制の国には、安心の度
合いは高いが、独裁政治の国には、格別に注意を怠ってはならない。彼等は突然に政治、経済の方針を変えられ、思わぬ危険を伴った過去の歴史を忘れてはならない。
◎何れが是であり、非であるかの判断を行なっても、その態度を貫く為には、充分なる国
力、特に軍事力が背景に無ければ、自国の主義と主張を守り貫くことはできない。
◎日本は、その意味で現憲法を破棄し、新しい憲法を創設して、近代国家にふさわしい独
立国家を達成しなければならない。現憲法は時代の進歩と、日本の在り得べき体制から比べ、不具合の憲法となり、日本国家としての独自行動の足手まといとなっている。
今年の政局は、六十余年前の三国同盟が犯した、日本外交の悲劇を繰り返すことを憂うる。歴史は繰り返す。それを学ぶことが真の政治家であり、指導者である。
塚本三郎;
愛知県名古屋市に生まれる
鉄道省名古屋鉄道局に勤務し、県立中学校(夜間)に入学
終戦とともに労働組合運動に従事
運輸省に転勤し、中央大学法学部(夜間)に入学
国鉄を退職し、中央大学法学部卒業
昭和 33年 挑戦4回目にして初当選し、昭和生まれ初の代議士
(日本社会党所属)となる(以後当選10回)
昭和 35年 民社党結党に参加
昭和 49年 民社党書記長に就任(国鉄改革・電電公社民営化に取組む)
昭和 60年 民社党中央執行委員長に就任
平成 元年 民社党常任顧問に就任
平成 9年 「勲一等旭日大綬章」を受章
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◎レギュラー執筆者
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1.佐藤守
大東亜戦争の真実を求めて 147
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中国共産党が日本を使って国民党を背後から襲わせたことについて、「マオ」には
共産党員スパイの回想として次のようにある。
「当時、わが党の日本および協力者に対する作戦は、『用敵人的手、来打撃敵人・・・』(敵の手を使って、敵を撃て)でした。康生同志から、何度もこの言葉を聞かされました。協力者の組織にはわが党の同志が多数潜入していて、日本人のナイフを使って国民党を殺す、という事をやっていたわけです・・・・・・私が個人的に知っていることでいえば、長江の南側で起こった日本軍による[国民党地下部隊の]掃滅作戦は、日本軍とわが党の協力による最高傑作[のひとつ]でした」
この作戦がどれを指すのか不明だが、著者は次のような注釈をつけている。
「(日本との)密約には、戦場における実際の共同軍事作戦までは含まれなかったようである。ただし、延安のソ連軍参謀本部情報総局(GRU)責任者の報告には、一九四三年夏に山東省で共産党軍が『日本軍と協調して』国民党政府軍を攻撃したことがあった、と記録されている」
当時の日本軍は国民党軍と戦っていたのだから、共産党を利用して国民党軍を攻撃する作戦を行うことはむしろ適切な作戦であったといえよう。問題は、国共合作して国民党軍と“同盟関係“にあった共産党軍が、「敵であるはずの日本軍」に協力して、「味方であるはずの同盟軍」を攻撃することの方にある。
このスパイは、「用敵人的手、来打撃敵人」と語っているが、これが弱小軍であった共産党の常套手段であったことは、盧溝橋で国民党軍を用いて日本軍を攻撃したこと、つまり、敵の手を使って敵を撃った事例が証明している。
この戦法は現在でも有効に活用されているわけで、例えば日中間の歴史問題では、日本国内の意見を分裂させるように導き、靖国問題では、日本のメディアを活用して、日本国の勢力の分断を図っていることが示している。仕掛けている彼らにとっては全く犠牲が出ないという、極めて効率的で巧妙な作戦なのだが、謹厳実直、真面目すぎる日本人、ましてや「統帥綱領や軍人勅諭」などで高潔さを誇っていた当時の職業軍人には理解できない「汚い作戦」であったに違いない。よく言われる「軍人精神」、つまり、その根っこにある「武士道精神」がそのような“ダーティ”な行動を許さなかったのである。
このようなわが軍の“弱点”を活用して、共産党幹部・潘漢年は、日本軍の諜報活動の責任者である影佐禎昭中将に接近して、華北における秘密停戦を持ちかけたという。[マオ]を引用する。
「華中では、共産党の新四軍が鉄道を攻撃しないかわりに日本軍は農村地域に展開する新四軍を攻撃しない、という取引が成立した。何年もの間、日本軍の鉄道は問題なく運行され、新四軍は静かに勢力を拡大していった。共産党軍を攻撃対象にしなかった根本的な理由について、昭和天皇の弟である三笠宮が著者に明快に説明してくれた。三笠宮は、当時、支那派遣軍総司令部の一参謀だった。三笠宮の説明によれば、共産党は厄介な存在ではあるが戦力的重要性はない、というのが日本側の見方であったという。日本軍は蒋介石を主たる敵と考えていたのである」
この説は正しいであろう。まさしく当時のわが国は、近衛首相が「蒋介石政権を相手とせず」という前代未聞の発言をしたことが示しているように、中国を“舐めて”いたのである。ましてやその中の「ごく一部の勢力にしか過ぎない」毛沢東率いる共産軍においておや!三笠宮が「戦力的重要性がない」と言い切った背景がそこにはある。しかし、三笠宮がそう断言した背景には何があったのであろうか?多分、プロの軍人達が司令部で行う各種情報分析で「取るに足らない相手」であると決め付けてかかっていたからではなかったのか? そのような判断が、支那派遣軍司令部内に蔓延していたのだと思われる。
確かに常識的に見れば、強大な戦力を保有していることになっている「蒋介石軍が、日本軍の主たる敵」であることに間違いなかった。
しかし、単純明快に割り切れないのが相手国の文化伝統である。しかもシナ大陸は群雄割拠していた。その上この頃の我が国の国家戦略は、ソ連共産主義のアジア浸透防止であったから、わが帝国陸軍は伝統的な「反共シフト」をとり、常に北方のソ連の動きに注目していた。つまり、そのような情勢下にあったわが帝国陸軍の主敵は依然として「スターリン率いるソ連軍」であり、日本留学の経験をもつ蒋介石率いる国民党軍にはある種の“友軍的感情”さえあった上に、軍事的に未熟な存在という認識があったから、盧溝橋に始まった「軍事衝突」も偶発事件であり、未熟な軍隊に「懲罰」を加える程度で済むとしか考えていなかった。そこに我が国の大きな誤解と油断があったように思われる。 (続く)
佐藤守:
防衛大航空工学科卒(第7期生)。
航空自衛隊に入隊
戦闘機パイロット(総飛行時間3800時間).
外務省国連局軍縮室に出向。三沢・松島基地司令、
南西航空混成団司令(沖縄)を歴任.平成9年退官.
岡崎研究所特別研究員.軍事評論家.
日本文化チャンネル「桜」軍事コメンテーター.
著書に「国際軍事関係論」
ブログ;http://d.hatena.ne.jp/satoumamoru/
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2.奥山篤信
馬鹿バカしい報道2001の中曽根・阿川対談
---海軍善玉論こそ戦後自虐史観と同根なのだ。---
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二人の海軍ご出身者が、海軍を懐かしんでいる。全く滑稽としかいいようがない。戦後海軍が戦犯訴追から逃れるためにありとあらゆる策謀をし、陸軍を悪玉とした歴史のなかで、この二人の馬鹿げた海軍論も魂胆が見え透いている。
海軍にユーモアがあったと自画自賛、「むつかしござる」(六個ある菓子を五匹のサルがどうわけるかとの問い)など、阿川はユーモアとは程遠いこのくだらない語呂合わせ話を各所で耳にタコができるくらい紹介しているが、こんなものがユーモアなどと考えている能天気こそが大東亜戦争の敗北を齎した海軍の本質であることを如実に物語っている。
戦後日本は自虐史観のもと、そもそもあの戦争を始めたことが悪との議論で塗りつぶされている。そして無謀な戦争を誰が行ったのか、それは陸軍であると海軍はひたすら逃げまくるのである。
いまこそ僕たちは「あの戦争が間違っていた。」ではなく「あの戦争になぜ負けたのか。次に勝利するためにどうすれば良いのか!」というごく当たり前な総括をせねばならない。負けた理由を徹底的に検証せねばならないのである。佐藤晃氏は「大東亜戦争敗因の検証」その他の著作において完膚なまでに海軍の愚策を叩いている。三村文男は同様「米内光政と山本五十六は愚将だった」にて二人の大罪を暴くとともに「神なき神風」にて大西瀧治郎の外道作戦とその偽善・欺瞞を叩きのめしている。二人の著作はまことに痛快である。
佐藤晃氏によればあの戦争に日本は勝つチャンスは十分あったのである。その足をひっぱったのは海軍であり、海軍こそ日本国民にとっての敗戦責任者であるはずである。にもかかわらず海軍には真珠湾の失策、ミッドウエイの敗退、フィリピン沖の失態などなど海軍がいかに国民に災禍をもたらしたことを反省する心など一つもないということである。そしてあの戦争が間違っていたとして陸軍に全責任を押しつけて、したり顔で、自分たちは戦争に反対だった、自分たちはドイツ派の陸軍とことなり英米派だったと主張する。人間の卑劣さ以外のなにものでもない。
それに海軍が素晴らしかったというのは、現在の青年の間の軽佻浮薄なアメリカニズムに通じるものがある。艦上で洗濯し立ての白い制服を颯爽と来て、洋飯をナイフとフォークで食い、食後をウイスキーやブランディ、そしてブリッジに興じる海軍将校たち。陸軍将校があのインパールやガダルカナルで、兵卒とともにどれだけの辛酸をなめた戦いをしたのか、(それも海軍の姑息な輸送作戦のあおりをうけて)、それを精神論として海軍の人たちは馬鹿にするようだが、断じて許しがたい話である。硫黄島(もちろん海軍の市丸など立派な軍人もいたが)や沖縄戦の陸軍の素晴らしい戦いぶり、海軍よ、君たちにかかる戦いは一度だってあっただろうか?
海軍崇拝者よ、あなた方は将校であって、そのような特権を思いだしてユーモアなどと戯れているが、そのような特権のない水兵があの閉ざされた艦船という空間でどれほどリンチ(根性入れ替えるという名目で軍人精神注入棒で、どつきまわされた)に苦しみ、しかもミッドウエイなどの稚拙な戦いを目撃した水兵は、証拠隠滅のために死地に向かわせしめたられたことをご存じなのか?
戦後の自虐史観の根底には、海軍が戦後アメリカに迎合して大東亜戦争そのものを悪として、海軍善玉、陸軍悪玉論に議論をすり替えたといっても言い過ぎではない。海軍の戦争敗戦責任を徹底的に暴くことこそが、阿川一家(弘之、尚之、佐和子)に代表される「英米隷属が保守主義なり」との属国根性すなわち似非保守主義者を一掃することに繋がると確信する。
山本、米内、井上、大西などいったいこれらの将官が、ひとつでも日本のためになることを行ったのか?ミッドウエイ出撃直前までの芸者遊び(これもユーモアかい?)、艦上でのフルコースの食事など特権意識、数々の稚拙な学習効果のないバカの一つ覚え作戦、フィリピン沖の栗田反転,戦艦大和の無駄死、などなど海軍の愚策、悪行は数え切れないのである。
たちの悪いのは海軍の短期現役制度やら海軍予備学生制度などで海軍主計中尉など将校を短期間でも経験した連中である。この連中が戦後政財界の中枢を占め、戦争敗戦責任などそっちのけで、軍歌を歌い海軍万歳を叫んでいる姿やその連中のクラブを、僕ら団塊世代は良く遭遇したものだ。偽善と欺瞞に満ちた海軍OBの姿である。
奥山篤信:
京都大学工学部建築学科卒
東京大学経済学部卒
三菱商事本社入社
6年余にわたる米国三菱ニューヨーク本店勤務を経て
平成12年退社
平河総合戦略研究所代表理事
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3.西山弘道
「退屈内閣」
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福田、小沢両党首の初顔合わせになる党首討論がやっと行われた。“大連立”の密談を語って以来、公開の場での討論は初めてだが、何とも低調に終わった。国民は大連立の真相、どちらが持ちかけたかなどを聞きたかったのだが、そんな話は一切出ず、消えた年金記録と自衛隊の海外派遣問題の2点しか出なかった。特に福田首相は低姿勢に終始し、小沢氏を持ち上げて、「ごもっとも」の連発。この小沢氏への「抱きつき=クリンチ作戦」は早期解散を迫る小沢氏の攻勢を何とかしのぎ、勝負を今年秋以降にかける福田首相のそれまでの「耐え忍び」戦術なのだろうが、一国の指導者の姿勢としては何とも迫力のない、無様なものに写る。
そもそも福田氏はこれから首相として何をしようとしているのか、内閣として何を手がけようとしているのか、政権発足から100日を越えた今も、やろうとしていることが一向にわからない。無味乾燥、無気力、脱力感が漂う「退屈内閣」である。
福田内閣は発足早々の所信表明で、「国民生活の安心、安全を目指す」というスローガンを掲げた。「戦後レジームからの脱却」というハードな政策を掲げて、「政治は生活である」という小沢民主党に惨敗した安倍前政権のツテを踏まないように、国民生活に密着した政策を打ち出そうという福田政権だろうが、面食らっているのは民主党だろう。自分たちが訴えた生活者重視の政策に福田政権は着々と擦り寄ってきているのである。最近では「消費者庁」の設置構想まで出る有様で、我々国民も自民、民主どちらがどうなのかわからなくなってくる。これこそ、福田首相の擦り寄り、クリンチ戦術なのだ。
そもそも「国民生活重視」は何もことさらに、政権が取り上げるほどのものではなく、「重視」は当たり前の自明のことなのである。仁徳天皇が民のかまどを憂いて以来、生活安定は政治の大前提であり、さらにその上に立ってこれからの国のかたちをどうグランドデザインするかが政治の要諦なのだ。
一方で、米大統領選挙を見てみよ。ヒラリー・クリントンとオバマが民主党でドラマチックな争いを展開し、「変革」か、「経験」かで全米の若者を興奮させている。さすがに草の根民主主義、アメリカンデモクラシーの本家であり、政治の醍醐味を見せている。「安心、安定」も政治には勿論必要だが、人を突き動かせ、沸き立たせるドラマも政治には必要なのだ。福田首相の売りは、「経験」と「安定」になるだろうが、それだけでは政権は長続きしないだろう。政治は国民に未来への夢や希望を与えることも必要だ。
7月7日から9日までは洞爺湖サミットが開かれる。一番年長で61才のブッシュ大統領を除けば、ブラウン英、メルケル独両首相、サルコジ仏大統領など皆50才台の首脳を相手に71才の福田首相が議長国首脳として、どこまで中味のある議論を仕掛けることができるのか、それとも相変わらず、沈香も焚かず屁もへらずの退屈話でお茶を濁してしまうのか、日本の名誉にかかわる場面になってきそうだ。
西山弘道;
ジャーナリスト。早稲田大学政経学部卒業後、文化放送で30数年、放送記者として
活躍。政治担当として、三角大福中、安竹宮の「永田町戦国史」を取材。
2005年10月、文化放送を退社、以後フリーのジャーナリストとなる。
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4.松永太郎
本の紹介 さまざまな「陰謀論」を読む
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今回は、趣向を変え、ある分野を取り上げてみたい。それは陰謀論である。
陰謀論は、世界の現象に対する因果論的な解釈や説明である。怪しげなオカルト宗教や偏ったイデオロギーなどに見られるような「原理主義」といってもよい。「君は知らないだろうが、世界はこう動いているんだ(あるいは、動かされているのだ)」というわけである。言われたほうは、その真偽をただす方法を持たないので、比較的、素直な人が信じてしまうのは、オカルトと同じである。イデオロギーも似たところがあるが、こちらは抽象概念なので、学者などがよくはまる(この社会は、男社会なのだ、とか資本家が悪いのだ、とか、いろいろある)。
ただ現在の陰謀論は、ストーリーあるいはプロットとしては非常によくできているので、読みながら、半分以上、本当かなと思わせるところがある(すでに、私も、はまりつつあるのかもしれない)。特に情報機関の歴史などを読んでいると、彼らがしょっちゅう、やっている暗殺だの政府転覆工作だのは、要するに陰謀である。したがって、現に陰謀は存在するわけで、その説明の仕方が異なるだけである。
今、よく読まれている「陰謀論」は、集約すると、何冊かの原本がある。とくにそのなかでも、基本的な本(というのもおかしいが)は、キャロル・キルギーというジョージタウン大学教授の書いた「悲劇と希望」という現代史の本である(Carrol Quiglley,Tragedy and Hope).この人は、ハーヴァードやプリンストンなどでも教授をしており、ビル・クリントン前大統領なども、最も影響を受けた人としている。この本は、いわゆる陰謀論ではなく、世界は、こう動かされているのだ、そして、そっちのほうが人類にとって、よいことなのだ、という立場から書かれているところが、変わっているというか、おもしろい。
陰謀論が、邪悪な連中が世界を動かしているという視点から書かれているのに対して、この本は、いわば陰謀をたくらむほうの立場(どうでもいいが、陰謀論では、これを「インサイダー」という)から書かれているのである。手の内をすべてばらしてしまったというわけで、多くの陰謀論者が引用している。
その基本は、なあんだ、と思われるかもしれないが、ロスチャイルドの陰謀である。現在出回っている陰謀論は、すべてこの筋にそっているといってもよい。ロスチャイルドだのロックフェラーだのモルガンだの、といったファミリーが世界を動かしている、結局のところ、やつらが儲けているのだ、というわけであるが、ほとんど、すべての近代世界の歴史的事象は、これで説明がつく、というところが陰謀論である。単純といえば、単純であるが、ただ、今、サブプライムで失敗すれば、原油先物取引で儲けようとする国際金融の動きを見ていると、なんとなく陰謀論も、そうかもしれないと思わせるところがある。
日本というのは、幕末の開国まで、こうした陰謀の外に立っていた。西欧の「邪悪な連中」にとっては、アジアとは、要するに、麻薬(アヘン)で「かたにはめる」ところだったのだ(すでにかなり陰謀論にはまっているが、最近では、そんな変な人ではない高山正之氏も、何度も書いている)。とすれば、鎖国政策を採った幕府の人々は、つくづく頭がよかったと思う。寄らば、切るぞ、という政策は、その当時としては、ベストの政策だったのだ。「鎖国」という言葉(いつ、できたのかは知らないが)とは裏腹に、幕府は、相当な世界情報をもっていたので、こんな連中と付き合ったら、大変だ、と思ったのだろう。それはあたっていたのである。
陰謀を戦略という言葉で置き換えれば、陰謀(論)による世界の読み方も、少しは参考になるかもしれない。
松永太郎;
東京都出身
翻訳家、多摩美術大学講師、レモン画翠社長
主訳書「進化の構造」「イカロスの飛行」他。
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◎細江英公 人間写真展案内
第49回毎日芸術賞受賞!!平和へのメッセージ
写真絵巻「死の灰」
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日時 2008年2月2日(土)〜2月10日(日)
11:00〜19:00
(入館は18:45まで)
※初日は17:30まで
(初日の入館は17:00まで)
会場 杉並公会堂グランサロン
料金 無料
※舞踏公演のみ有料(1500円)
公演内容 2000年前のポンペイの死者たちから聴こえてきた。「天災は避けられない宿命だが、核兵器は人間が作ったものだから、現代人の決意と英知で避けることができる」と。ポンペイからヒロシマまで時空の彼方から〜写真と言葉で伝える。「原水爆禁止」市民運動発祥の地、杉並よりおくる“平和へのメッセージ”展。
<写真絵巻「死の灰」展によせて>
長い人類の歴史の中で20世紀ほど罪深い世紀はないだろう。1945年8月6日広島に、その3日後の8月9日に長崎に人類史上初めての大量破壊兵器であり、大量殺戮兵器である原子爆弾がアメリカ軍によって投下された。以来、アメリカの他にロシア、イギリス、フランス、中国、インド、パキスタン、北朝鮮、イスラエルなどが核兵器を保有し、人類は20世紀の後半から核時代に突入した。それは、われわれが再び「死の灰」を浴びる可能性があるということだ。
-細江英公-
<関連企画>
●2/2(土)16:00〜17:30
細江英公氏によるアーティスト・トーク(無料)
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◎阿嶋彩子の料理つれづれに(19)<創作和食の難しさ>
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私は麻布にある流行の創作和食の店に出かけた。今流行で予約が取りにくい店であり、ミシュランガイドに載ることも断ったという気骨のある主人の店である。
先ず始めにお通しとして出された「柿なます」はしっかりとした味で量も多かった。お通しというものは小鉢に少し入っていて、食の助走のように思っているので、最初から頂くお皿のボリュームには感覚的についていけなかった。次はゴマ豆腐を焼いたもの、セイコカニの入った茶碗蒸し、次々と力作が続き最後はトリフ入りの御飯で締め括りだった。中でもトリフ御飯は逸品で、土鍋で炊いた味付け御飯にトリフを削ってまぜるのであるが、目の前で大きなトリフが削られて香りが広がるとリッチな気分にもなる。創作料理としてどれも素晴らしく、主人の心意気を感じた。私はどんどん出される迫力のある料理を気分的に息つく暇もなくお酒を片手に食した。これがこの店の1つしかないコース料理の感想である。夫々の料理は本当に美味しく材料もレベルが高く、店の主人の努力が感じられる。他の店でも和食にさりげなくキャビアが使ってあったりする事を遊び心として好感が持てる場合もあるが、これは時と場合と量の兼ね合いが大変難しいと思う。
私の好みの話になってしまうが、これだけの料金を払うのであったら私としては自分では勝てない何か、つまり本当のプロだなと思える料理を頂きたいと思った。例えば有名な和光の高橋料理人の作る「エビシンジョウ」のお椀物を頂いた時、ふくよかで味が薄いけれども重量感があるのには、感服した記憶がある。このように修行を積んで古典的な料理法と味をしっかりと学び、これを崩さず守ると、そこには家庭料理にはない崇高な引きしまった料理の出来上がり方の美しさと味が存在するのだ。そして、食事の流れの中に、ふっと息が抜ける料理の「間」のような弛緩があり、食する方は無理なく食せるのである。高橋料理人は茶懐石の辻嘉一氏に仕込まれた人だと聞くが、私は普段に頂いているような食材がこのような非日常の世界を感じさせる事に大変魅力がある。何ひとつ突飛な技があるわけでもないのに、酢の物やお作りを頂いている間に、微笑みたくなるような柔らかい味わいがあり、頂き終わった時には満足感が大きいのである。
以上は私の感じるままに述べた事であるが若い世代の好みの感覚で推し量ると、麻布にあるこの流行の創作和食の料理人は時代のニーズにこたえるように丁寧に情報収集をして、今の時代に合わせて料理を創作したり、新しい感覚に作り変えたりしているのだと料理人の熱心さに感心する。この料理人は食材も地方の一級品を取り寄せ、今の若い人のグルメ感覚に合わせた努力もしていると思った。料理店はお客が美味しいと思って通ってくれなければならないのだから、時代に乗る事も重要だと考える。そして、どの程度まで、古典的な基本の部分を保ち、どこまで時代にのるか、と考えるとこれは本当に難しい問題だと思った。
世界中の情報が盛んに飛び交う中、又目まぐるしく新しさを求める今日の日本人の気質では、料理人の立場からすると、勝ち残る為の手段としての努力と知恵を働かせなければ、生き残れないのかもしれない。数年前に旅先で食したベニスのハリスバーという有名な歴史のあるレストランでは、シンプルで小振りな丸いテーブルが今なお使われている。これは三脚の机が一番安定感があるという先代の考えの下につくられたものである。そして出される料理も本当にシンプルな味で、飾りもない。ここは大変流行っていて皆がお洒落をしてやってくる高級な店である。
日本人の客も新しいものを求めるばかりではなく、じっくりと落着いて食を味わい、和食の文化という観点からの食し方を楽しみ、真の和食を育てて欲しい。客と料理人が相まって食の文化は守られ、基礎を間違わずに時代に乗っていけるのだと思い、期待をする。
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◎廸薫の「タカラジェンヌが日本舞踊家になったわけ」
其の八「温故知新・・・のお話」
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最近テレビを見ていると、気のせいか時期的なものなのか、古代文明の謎や歴史を探るという様な特別番組が多いような気が致します。何を隠そうこの私めも中学生の頃、将来は考古学者か作家か舞踊家という欲張りな夢があり、その頃は特に古代から平安時代までの歴史に深く興味を持っておりました。クラブ活動も社会研究部などというマニアックな部に所属して、夏休みの自由研究に縄文・弥生時代の遺跡めぐり、奈良飛鳥路の探索などしていたこともあるので、元来非常に興味の有る分野ですので、ついつい見入ってしまいます。
しかしながらその後の戦国時代に突入すると、その時代を形成する「争う意義」「男のロマン」的な思考が根本的に理解出来ず、途端にテストの点が悪くなった為「何か悩みでも有るのか?」と歴史担当の先生に大変ご心配をお掛けした・・・なんて事もありました。その頃から私の興味の対象は非常に偏っていたのかも知れません。何せ私にとって日本の歴史は古代から平安時代、そこから江戸時代まで無いも同然。白状しちゃうと、誰が誰を攻めていたのか、未だに良く理解出来ていません。織田信長の家来が藤吉郎だった事や明智光秀に本能寺で暗殺されたこと位は知っていますけどね。
閑話休題・・・。さて、近畿や静岡あたりの遺跡を見て、中学生の私の印象に深く残ったのは、古代人達の理にかなった感覚、感性の瑞々しさであり、創意工夫の柔軟さでした。状況に応じその判断は動物的な本能がそうさせたとしか思えないのに、結果的に後の世に大きな貢献をもたらす、素晴らしい発見を数多く残しているのです。生きていく為の道具さえも無から発明してしまう私達の祖先の創造品の中には、何の為に造ったのかさえ解らない、しかし大自然の中に泰然自若と存在するものさえも残しているのです。
これは日本に限らず、世界中の文明が栄えた国には今の科学をもってしても解明することの出来ない謎の1つや2つはあり、わからない事は「宇宙人の仕業としておけば間違いない」説を有力視していたりするのですが、ここで私はハタと思い当たったのです。
私達現代人は根本的な考え方に間違いを起こしているのではないでしょうか?
例えば、幼い子供が百人一首を完全に覚えてしまったり、歌を一回しか聴いていないのにそらで歌えてしまったりする事が有ります。そして大人はそれに対して「凄いわね、まだ小さいのに。」とか「大人顔負けね。」などと褒めます。でもそれは、子供より大人の方が優位だという考えが基本に有るので、そのような余裕のコメントになるわけです。が、実はそれは大きな錯覚で、脳のまだ柔らかい子供の方が記憶力にかけては、大人より優位な立場にある事は、科学的にも証明されていることなのです。
それと同じで、「昔なのにどうやって・・・。」「今の科学でも解らないのに・・・。」と現代人が思うのは、その根底に科学の発達した今の時代のほうが、昔に比べて優れているという思いが有るからではないのでしょうか?そしてその傲慢さゆえに今の時代の限界が有るのでは・・・?と。
もう1つ例え話を。ここに「はさみ」が有るとします。「はさみ」は物を切る道具です。使う人によっては人を傷つける道具、又人によっては美しい切り紙を創り出す道具。人によって使い方は様々です。
そしてさらにもう1つ。あるスピーカーのメーカーは、最低2台、しかも左右対称に無ければバランスの良い音を聞くことの出来ない本来のスピーカーの定義を根底から覆す、一台で部屋のどこに置いても、どこに居ても、どこから聞いてもバランスの良い音が聞けるスピーカーを、木と紙で創り出しました。スピーカーの老舗メーカーがそのスピーカーを購入し、分解してその仕組みを解明しようとしたらしいのですが、同じものを作ることが出来なかったそうです。そう・・・、「はさみ」を武器と捉える感性では、美しい切り紙を作ることは出来ないのですね。
世の中はすべてがデジタル化の傾向に傾いています。テレビにしてもカメラにしても音にしても、臨場感や、鮮明ですぐそばにそのものが有るように技術を切磋琢磨しているのは、より自然に近づけようとしているわけで、結局究極デジタルの求めるものは実はアナログなんじゃないかと思ったりもします。
もうそろそろ科学の力が優位なのだという傲慢な勘違いに気付いても良い頃なのでは?と思います。謙虚にならなければ学んだとしても上辺だけで、その奥に在る真実に気付くことは出来ません。私達の祖先が歩んできた道を、その感性を素直に謙虚に学び直し発想の転換をしていくこと、これが今現代人に求められている本当の意味での「温故知新」ではないかと思うのです。
「温故知新」
〔論語(為政)〕昔の事を調べて、そこから新しい知識や見解を得ること。ふるきをたずねて新しきを知る。
花柳廸薫(はなやぎ みちかおる);
NPO法人日本人のアイデンティティを育む会・紫薫子の会 代表理事
社団法人日本舞踊協会正会員。
兵庫県神戸市出身。三歳より花柳流日本舞踊の手ほどきを受ける。宝塚音楽学校首席入学。宝塚歌劇団退団後、花柳流師範資格を取得。歴史街道推進協議会、関西フォーラムに参加したことを機に、アメリカ(ワシントン、ミネアポリス、ニューヨーク)東南アジア(インドネシア、シンガポール)にて舞踊公演を行うなど、ワークショップや文化交流、結婚式、祝賀会、レセプション等の舞踊活動を中心に、古典に基づく独自の舞踊活動を国内外で行う。平成十七年NPO法人日本人のアイデンティティを育む会・紫薫子の会(しくんしのかい)を設立。日本舞踊のみならず、日常生活から消え行こうとしている日本伝統文化に警鐘を鳴らし、啓蒙普及活動をライフワークとして本格的な取組みを始動。
ご意見箱アドレス; michikaoru@hotmail.com
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◎奥山篤信のDVD映画評論
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1.「クライング・ゲーム」The Crying Game (1992)
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ニール・ジョーダンといえばジョディ・フォスター主演の「ブレイブワン」にて力量を遺憾なく発揮したがこの作品は、同監督の出世作ともいわれるものでアカデミー賞最優秀オリジナル脚本賞など多くの賞を受賞した。
IRAのテロリスト・ファーガスがイギリスの黒人兵士を誘拐したが、見張り番を続け会話するにつけ友情が芽生え、兵士の射殺命令が出たにも拘わらず引き金が引けず、黒人兵士は隙をみつけて逃亡するが結局トラックに轢かれて死ぬ。
その兵士の愛人ディルへの遺言を伝えるためロンドンに行くが、身元を明かせず、そのうち二人は恋人になるが。。。。監督の作り出したギョッとするシーンには、まさに映画の面白さの極限である。
IRAテロリストながらも組織を離れた男の友情や優しさを見事なシナリオで描いている。一人の捕虜を誘拐し死なせてしまったテロリストの人間としての愛、そこには思いもよらぬ障壁があったのだが、それを乗り越え贖罪に努める男の美しさが光る。冴えない風貌のステファン・リーの演技が見事である。
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2.「教授と呼ばれた男」Il Camorrista
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トルナトーレ監督のあの「ニューシネマ・パラダイス」に先立つ1986年のナポリのマフィア集団カモッラを画いた作品である。
主人公の教授と呼ばれた男がある些細な件で喧嘩し殺人を犯し20年の懲役刑で刑務所に繋がれるが持ち前の度胸と頭脳でやがて刑務所を支配しカモッラを牛耳る大親分となっていく姿を描いている。ベン・ギャザラの演技が当初の罪なき表情より、悪の権化に血まみれていくドスの利いた親分への変身の過程の演技が素晴らしい。
トルナトーレ監督のデビュ作なのか、その後の同監督の素晴らしい持ち味とは異なり、自分の映画道を極める前の実験作ではないだろうか。
しかしそれであっても中々のシナリオと演出力で画面に惹きつける魅力は十分ある。
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3.「リプリー 原題THE TALENTED MR. RIPLEY」
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「太陽がいっぱい」として映画化されたパトリシア・ハイスミスの原作を「イングリッシュ・ペイシェント」のアンソニー・ミンゲラが映画化した。あのモーリス・ロネとアラン・ドロンが熱演した「太陽がいっぱい」は名画中の名画で最後のどんでん返しが今でも目に焼き付いている。
貧乏青年トム・リプリー(マット・デイモン)は、日銭稼ぎのピアノ伴奏のために赴いたガーデンパーティで、造船業界の大物ハーバート・グリーンリーフ(ジェームズ・レブホーン)と知り合い、イタリアで放蕩生活を送るその息子ディッキー(ジュード・ロウ)を連れ戻してほしいと頼まれる。
貧乏な青年がクラッシーな人々に交わり、その怨恨と嫉妬に駆られどら息子に成り替わることを企むのである。デイモンの屈折した心の動きと徐々に洗練されていく過程が面白い。どら息子ロウの演技も金持ちの息子の気まぐれと心の底の残酷さを演技して見事である。グウィネス・パルトロウが初々しい演技で光る。この映画にはいまや名優の一角を占めるフィリップ・シーモア・ホフマン、ケイト・ブランシェットが助演ででているのである。
「太陽がいっぱい」と比べるのはふさわしくないほどリメークは異なる味をだしている。ただし結末がだらっとしており、ピカレスク映画なのか因果応報なのかアンソニー・ミンゲラ監督の意図するところが不明である点不満が残る。あの「太陽がいっぱい」の結末の方が因果応報がはっきりしており意外性もあって素晴らしい大団円であった。
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次回の配信は1月19日(土)を予定しております。どうぞお楽しみに!
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