>> 記事トピックス一覧 
トップ > マネー・政治・経済 > 政治・経済 > 甦れ美しい日本

甦れ美しい日本 第144号

発行日: 2007/11/2

□□■平河総合戦略研究所メルマガ■□□(2007年11月3日 NO.144号)

  ☆☆甦れ美しい日本☆☆

☆・・・・私たちは書きたいから書くのです・・・・
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

< 目次 >
◎ゲスト執筆者

 塚本三郎     違いを暴くより共通を求めよ           
  
◎松島悠佐の軍事のはなし(52)「イラン核疑惑への対応」

◎ビジネス情報月刊誌「エルネオス」巻頭言 紺谷典子の賢者に備えあり
  「民にできないこと」を民に?

◎レギュラー執筆者 
      
1.佐藤 守      大東亜戦争の真実を求めて 138
2.奥山篤信   故周英明先生の思い出☆一周忌を迎えて☆
3.西山弘道    「なぜ?大連立!」
4.松永太郎    本の紹介 ジョン・プラドス「ロスト・クルセイダー」 John Prados  Lost Crusader  2003 Oxford   未訳
5.藤岡知夫    寿司屋寸評

◎阿嶋彩子の料理つれづれに(9)<魚のこと>

◎廸薫の「タカラジェンヌが日本舞踊家になったわけ」其の二 「所作と心は表裏一体のお話」

◎奥山篤信の映画評論 
 アメリカ映画「ブレイブ ワン 原題 THE BRAVE ONE」☆☆☆☆☆
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
──────────────────────────・・・・・☆
------------------------------------ 
 塚本三郎    
  違いを暴くより共通を求めよ             
----------------------------------- 
 「政争は水際まで」と叫び続けたのは、西尾末広・民社党初代委員長である。
 六十年安保と呼ばれる、改訂前の日米安全保障条約は「片務的」で、あたかも日本が、米国の属国の如き条約であった。その内容を改訂し、同盟国らしく日本と米国が対等に近い条約に改訂しようというのが六十年安保であった。内容は完全ではないが、一歩も二歩も前進せしめた岸内閣に対して、暴徒の如き反発暴動が行なわれていたから、それを戒めた言葉であった。

 当時、国会に向って、全学連を中心とする若者たちの、安保反対の叫びは、連日、五万、十万と津波の如く押し寄せ、遂に国会の表庭に乱入し、警備の警護車を倒し、流れ出たガソリンに火をつけて、国会周辺は、夜ともなれば赤々と火の海の如く化した。

 社会党幹部が、その先頭に立っている姿に、私は呆然と涙を流し眺めていた。そして遂に、四十名の社会党国会議員が脱党し、民主社会党、後の民社党を結党した。

あれからもう四十七年が過ぎた。

 内政に関して、与野党が烈しく争うのは当たり前である。だが、対外問題、特に安全保障に対して、国内の与論が対立していては、外国との論争にならない。外交は、常に国力、特に軍事力を背景にして行なわれる。外交は血を見ない戦争と評されるゆえんである。

 現在は、日米同盟と呼ぶ軍事力の傘の下で、平和を享受しているのが日本の実状である。

 その米国の、国力は衰えつつある。二〇〇一年のニューヨークの同時多発テロ以来、信用力も低下し、加えてイラク戦争以来、その姿は顕著となり、対する中国やロシアが牙をむきつつある。北朝鮮の脅威は、既に韓国をも包含する勢いとなっている。

 極論を言えば、日本は反米の国々に取り囲まれており、それを遠巻きにして、米国及び民主主義政治の諸国家が、日本の行方に対し、固唾を呑みつつ眺めている。

 頼りにすべき唯一の同盟国米国を非難しつつある日本の野党は、米国に協力せんとする政府に対して、集団的自衛権は、憲法違反だと声高に叫ぶ。

その姿は、例えて言えば、日本を守る自分の右腕を、野党が左手で切り捨てるのと同じではないか。日本はやがて右腕を失ない、共産圏の仲間入りをお願いするつもりなのか。
 「平和への希望と、戦争の危険との差は極く僅かにすぎない。そして、途方もない威力で恫喝してくる敵に対しては、同じ途方もない力を持った武器をもって、初めて軍縮交渉ができる」と語ったのは、かつての西独首相シュミットの言葉である。

 彼は社会主義インター(反共産主義の社会主義国際組織)の責任者であり、西独社民党党首であった。そして日本の民社党、社会党の両党もそれに加盟した仲間であったはずだ。

外交を政争にするのは利敵行為

 今国会の焦点は、インド洋に於いて、海上自衛隊が行なって来たテロ対策特別措置法に代るもので、より平和的な措置法案によって、従来通りの活動を行なおうとすることを政府が民主党に理解を求めている。

今を去る十七年前、湾岸戦争が連合国の勝利に終った時、クウェートが開放を支援してくれた三十カ国への感謝広告を、アメリカの有力新聞に掲載した。その中に、日本の名はなかった。日本は百三十億ドル、全体の約二〇%の大金を支払ったのに。

アメリカの議会は、その時、日本を「張子の同盟国」と呼んだ。

日本は経済大国として、ペルシャ湾から、最大量の石油を輸入している国として、実質
的に、眼にみえる援助をして欲しいと、当時のアマコスト駐日米国大使は言明していた。
 イラク軍のクウェート侵攻を追い出すのに、連合国は、戦車や重火器の莫大な量の、前線への到着の為、輸送手段を手伝って欲しい、との切実な要望が、出されていても、後方支援をさえ、当時の海部内閣は行なう気がなく、日の丸が湾岸地域で目撃される機会は一度もなかった。インド洋は、日本にとって今日なお、日本の生命線となっている。

残念なことに、最近の小沢一郎民主党代表の発言は、常軌を逸しているやにみえる。
失礼な言い分であるが、一体、民主党の一部の諸君は、世界情勢を学んでいるのか。米国を中心として、テロ撲滅は世界各国の共通の念願ではないのか。 

 米国を中心とする民主主義国家と、共産圏各国とのテロ対策は、同床異夢である。

 中国も、ロシアも、北朝鮮も、本心は反米である。ただ自国の反政府勢力を、テロ撲滅と称して、独裁権力の維持に利用しているだけのことである。我々が重視しなければならないのは、米国内の最近の与論の分裂と、イラクでの足踏み状態で、国際信用を失った、その分だけ、警戒すべき相手の中国や、ロシアが意気軒昂になりつつあることだ。

日本は、前述の如く米国とは同盟国であり、共同の運命の傘の下に在る。その日本が、表面はともかく、結果として、冷笑している共産国と同様の態度をとりつつあっては、日本の運命はどうなるのか。世界は、今や日本の出方を注視している。

インド洋での警戒は、日本が出る、出ないにかかわらず粛々と行なわざるを得ない。
だがここに来て、海上自衛隊の、厳正な行動を軽視して来た世界各国は、日本が果している役割の重大性に漸く気付きつつあり、感謝決議までしてくれた。

誠に残念なことは、野党民主党が、本来の政党としての任務を失っているやにみえる。

インド洋での日本の役割、特に国益よりも、この案件を政権奪取の道具とし、条件と化していることである。外交と安全保障を政争の具と化すことは、利敵行為に通ずる。

民主党議員の中には、小沢氏の発言に不信と不満を抱いている、多くの良識議員が居る。なのに堂々と、正論をもって、歪められた党内の印象を是正する意見が外に出て来ない。

小沢氏の指導力が、参議院選勝利によって、党内での発言力が絶対化されつつある。それに脅えて、異論を出し得ない、とそれらの議員は云う。現在の小選挙区制と、政党助成金の制度の下では、党執行部の発言権は、選挙公認権と、資金の支配力を有するが為に、末端の議員にとって、発言の機会と舞台を削られることは止むを得ないかもしれない。

各政党は国益の為の共通点(憲法改正)を

この際、自民党と民主党の相当部分が、相共通している部分で協力を求めるべきではないか。その同一着地点が、「新憲法創設」であると思う。

自民党内は勿論、民主党内にも、憲法改正、或いは新憲法創設の必要を認める良識者は、国会議員の中の相当数を占めている。

自民、公明の連立政権が、参議院選挙の大敗によって、その地位は揺るぎつつある。そして、一度は民主党に政権を任せてみたら、と云う国民の良識の声もあちこちから聞こえてくる。さりとて、政権を左右する衆議院は、自・公両党の手中に在る。まして、外交を政争の具に悪用して、政権奪取を狙う民主党の行動は邪道である。

ならば、この際は、国の根幹である、「憲法改正を課題」に一致点を求めて、両党が国家百年の計を論じて、国民の期待に努めては如何か。

相手との相違と対立を暴いているだけでは、両党間の距離を拡げるのみで、政権を求める民主党の目的からは、かえって逆に益々遠ざかる。両党が共通点を求めて、相協力すれば、意外にも両党の近親感が高まり、それが双方の本心であることに気付くと思う。
それよりも何よりも、国家と国民の為に一歩一歩の努力を重ねることによって、国民の多くは、国会こそ愛国心の代表者だと受け止めることであろう。そして、それが本来の政治家の任務であることを理解するはずだ。

今のままの国会で、最も悲しむのは、さきの参議院選挙で民主党を選んだ有権者ではないか。そして、逆に心の中で拍手するのは、日米を離間せしめんとする共産圏や、独裁の非民主国家ではないか。

与党議員の多くは、こと米国に対しては、今日まで正論さえ述べることを遠慮して来たのに、小沢一郎氏が、蛮勇を奮って米国の仕業に逆襲を試み、「米国に一矢を報いつつある」点では、一部の国民は、小気味良く拍手を送っている。

小沢民主党代表等の、インド洋に於ける、テロ対策特別措置法についての発言は、米国の言いなりになるな、日本は、いつまで敗戦国扱いされているのだ、と言わぬばかりに、給油の量の多寡まで取り上げる発言に、国民の一部では、正論だ、税金のムダ使いだと憤る。しかし、それは結果として自分の右腕を切ることに繋がることを知ってほしい。

本末転倒の議論

小沢代表の発言は、「敵と味方の区別をすべきだ」と言いたい。同盟国に対する注意と警告には、限度が在る。それを越えれば警告ではなく、敵対者となる。

インド洋に展開するテロへの警戒についても、日本の自衛隊は、普通の国と同じこと(武力行使)が出来ない。その原因は、憲法の制約に在る。国家の基本法である憲法を楯にとって、自国の安全を縛るならば、その「憲法の縛り」を問題にすべきである。

その基本の誤りを論ずることをしない国会での与野党の論争は、本末転倒の論争となる。
日本の憲法が制定されて既に六十年を経過している。とりわけ、第九条が現存していること自体が奇異である。それは、独立国の存在を危くする。

それを与党も、野党も、充分に承知しておりながら、世界の常識を勝手に引用し、現行憲法の拡大解釈によって、その場、その場を糊塗し続けている。

憲法が在って国家無しの愚は、もういい加減にして欲しい。憲法に従うことによって、国家の発展と独立が害されていることは、政治家不在のそしりを免れない。

国会が、衆議院と参議院の、与野党のネジレ現象が深刻の度を加えつつある。

さりとて、一挙に政権の交代は不可能とみる。また、自民、民主の連立政権へと進むことが、理想と期待する有識者も少なくないが、双方の党内の事情がそれを許さない。

国会の直面する最大の問題は、政党間の理念と政策が行詰まり、迷いとなっている。
各党所属の議員は、国家の原点である、日本国憲法の在るべき姿、とりわけ安全保障について、第一歩から論議すべきではないか。自民、民主、公明の各党は現行憲法の不具合を承知だから、既にそれぞれに改憲、創憲、加憲の論を部分的に公表している。

三年先と言わず、「今日、直ちに」各党の示す、憲法案を論じ合うべきではないか。

現在、国際的問題として、国連をも揺るがしかねない、インド洋での連合各国への給油は、憲法問題そのものとなった。
憲法は国家在っての基本法であるはずだ。         

塚本三郎;                
愛知県名古屋市に生まれる 
鉄道省名古屋鉄道局に勤務し、県立中学校(夜間)に入学 
終戦とともに労働組合運動に従事 
運輸省に転勤し、中央大学法学部(夜間)に入学 
国鉄を退職し、中央大学法学部卒業 
昭和 33年 挑戦4回目にして初当選し、昭和生まれ初の代議士
(日本社会党所属)となる(以後当選10回) 
昭和 35年 民社党結党に参加 
昭和 49年 民社党書記長に就任(国鉄改革・電電公社民営化に取組む) 
昭和 60年 民社党中央執行委員長に就任 
平成 元年 民社党常任顧問に就任 
平成 9年 「勲一等旭日大綬章」を受章 
------------------------------------ 
◎松島悠佐の軍事のはなし(52)「イラン核疑惑への対応」
-----------------------------------  
イランの核開発疑惑・テロ支援活動に対するアメリカの対応は今年に入って次第に厳しさを増しています。

核開発疑惑が表面化したのは、02年8月、反体制派組織がウラン濃縮工場の存在に言及してからですが、一昨年夏、アフマディネジャド大統領が政権の座について以降ウラン濃縮活動を再開し、核開発への強硬な姿勢が続いています。これに対して、アメリカ及びイスラエルも強硬な手段も辞さない姿勢が次第に強くなっています。

イランの核開発についての評価には、アメリカの中にも色々な意見があり、すでに限界点を超えており速やかに強攻策を採るべきとの意見から、核兵器保有までには数年かかり、脅威になるのは10年先のことではないかとの意見もあります。しかしいずれにしても、このまま放置しておくと数年後にはイランの核が中東地域の新たな不安全要因になるとの認識は共通しているようです。

他方、核運搬手段となるミサイルについては、北朝鮮と連携をとりながら開発を進めてきましたが、北朝鮮のノドンミサイルを基に開発したとみられる「シャハブ3」(射程距離約1300キロ)がすでに装備化され、イスラエルが射程内に入っています。

さらに、北朝鮮の新型中距離弾道ミサイル「ムスダン」(射程距離約4000キロ)の製造技術を基にして、「シャハブ4」の開発を行っていることも明らかになっています。「ムスダン」の技術移転は、北朝鮮とイランのミサイル開発協力関係が一層深まっていることを示しており、射程3000〜4000キロ級のミサイル(北朝鮮のテポドン・ムスダン級)によって東欧圏が脅威にさらされることから、アメリカも警戒感を強めています。

さらにアメリカを標的にした長射程ミサイル(IRBM)の開発も進めていると見られており、アメリカの情報筋では2015年頃には完成するのではないかと予測さているようです。

このIRBMに対抗して、アメリカはチェコ・ポーランドに弾道ミサイル防衛システムを展開する計画を進めており、ロシアがそれに不快感を示し今年に入ってアメリカとロシアの対立が顕著になってきました。

核開発とミサイル開発は並行して行われるのが通常ですが、イランに対してはロシアが技術支援国になっており、アメリカとロシアの対立は解消しにくい状態になっています。イランが核兵器と弾道ミサイル開発を止めないとしたら、アメリカはチェコ・ポーランドでのミサイル防衛の計画を実行するでしょうし、そうなればロシアも欧州における中距離ミサイル全廃条約(INF条約)を覆して、再び中距離ミサイル配備に踏み切るかも知れません。

他方、イスラエルは第2次世界大戦後の国家再建以来イスラム圏の渦中にあって国家存在をかけて戦っていますので、自国の安全を守るためには、「将来に禍根を残さないように、脅威は芽のうちに摘んでしまう」という考え方を基本にして、それを実践してきた国です。従って、今後の行動には着目しておく必要があります。

1981年6月、イラクがバクダット近郊に建設したオシラク原子炉を何の前触れもなく爆撃破壊しました。当時、国際的な非難はありましたが、結果的に今日までイラクの核の脅威を排除することができたと自認しているようです。

今年の9月6日にも、シリアに突如空爆をしましたが、これも北朝鮮の支援を受けて建設中の核施設か、あるいはイランに搬送する核施設関連資材だった可能性が指摘されています。

イランの核兵器開発の兆候がある程度確定してくると、疑惑のウラン濃縮工場などにイスラエルが爆撃をする可能性は否定できません。イランへの爆撃計画はすでに3年ほど前から具体化されているとの情報もあります。

10月25日アメリカは、イランが大量破壊兵器の拡散やテロ組織の支援に関与しているとして、革命防衛隊及び国営銀行を対象に新たな制裁措置の発動を発表しました。この背景には、国連安保理による新たな制裁決議がロシアと中国の反対によって実現しないことがありますが、アメリカが単独でも強硬な制裁発動に踏み切った姿勢は、状況が緊迫していることを示しています。

 アメリカは今、イラクやアフガンでの治安回復、テロ活動の封殺に、資金と軍事力を投入する一方で、中国・北朝鮮とは当面摩擦を避け、安定化を図ろうとしており、さらには、インド・オーストラリア・東欧圏・中東親米国などの連携を強めて、イランとその支援国への包囲体制を作ろうとしているようです。
数年後には起きるかもしれないイランを巡る紛争を視野に入れて手を打っていると思われます。

 そのような状況の中で、イランとは石油開発など係わりの深いわが国としてはどのように対応するのでしょうか。目下わが国では、インド洋での対テロ海上阻止作戦に対する給油もままならぬ状態ですが、イランをめぐり政策判断を迫られる事態は緊迫しています。再び国益をいかに守るかの議論になると思いますが、今のように政党間の駆け引きを主体にした議論ばかりでは先が危ぶまれます。再び後手を踏む対応は避けてもらいたいものです。(07・11・2記)

松島悠佐(まつしま ゆうすけ);
元陸上自衛隊中部方面総監
防衛大学卒業後、自衛隊入隊陸上幕僚監部・防衛部長、第8師団長(熊本)
等の要職を経る。
平成7年阪神大震災時、中部方面総監として活躍。
同年中部方面総監で退官。著書に「阪神大震災・自衛隊かく戦えり」(時事通信社刊)
がある。 現在、危機管理などの講演を精力的に行う。

------------------------------------ 
◎ビジネス情報月刊誌「エルネオス」巻頭言 紺谷典子の賢者に備えあり
  「民にできないこと」を民に?
------ -----------------------------                   
「民にできることは民に」という、小泉改革の主張は正しい。だが「民にできないこと」があり、その重要性は片隅に追いやられた。採算はとれないが必要な公共サービスだ。
 国民の生命と生活を守るため、採算がとれなくてもやらねばならないことがある。そのために国民は税を払い、政府の役割もそこにある。営利追求と公共サービスは、そもそも相容れない。公共性を軽視した安易な民営化は、政府の使命を放棄するに等しい。
 国の行政にも流行はあり、民営化もその一つだ。しかし民営化“先進”各国は、この十数年、失敗と修復の苦労を重ねてきた。日本は、その経験から何も学ぼうとしなかった。
 例えば英国。水道の民営化も、国鉄の民営化も失敗した。政府は、民営化株式の売却収入で財政を潤すことしか考えず、民営化企業は、利益の追求や配当支払いを優先した。どちらも公共サービスの維持には関心が薄かった。結果、設備投資や補修は後回しにされ、水道水を利用できない地域が生じた。不動産収入を得るために下水処理場は売却され、水源が汚染された。鉄道では重大な事故が相次ぎ、賠償金を払えず破産、国の管理に戻った。
 郵政民営化で、英国の郵便局は三分の二に減った。ドイツは半分以下、スウェーデンは五分の一である。アルゼンチンは経営に失敗、再び国営化された。郵便局が閉鎖されたのは、どの国でも過疎地や都会の低所得地域である。最も公共サービスを必要とする地域から、民営化企業は、撤退したのである。
 成功例と政府が礼賛するドイツだが、営利企業として成功しただけで、公共サービスを犠牲にしたことに変わりはない。ドイツの郵便事業が、世界的物流企業に成長できたのは、値上げと独占で稼いだ利益や、閉鎖した郵便局の跡地売却で得た不動産収入が、果敢な大型買収を可能にしたからである。 
 国際物流で大成功のオランダとドイツを別にすれば、EU各国の郵政民営化は名ばかりで、全株式を政府が保有する国有企業なのである。域内統一のためEUが、郵便事業の自由化を決定したからだ。自国の郵便事業を勝たせるため、自由度を高める目的の株式会社化だったのだ。そのEUにおいてさえ、国営や公社のまま続けている国は少なくない。
 もう一つの共通の理由は、各国がそれまで、官業であるがゆえの非効率と不親切、国民の不満、赤字体質に悩んできたことだ。
 一方、日本の郵政は最も評判のよい官業だった。毎年のアンケート調査でも、民間金融機関より高い評価を受けていた。独立採算で、職員の給与は事業収入から支払われ、税金は使っていない。しかも赤字ではなく!)黒字体質!)、国鉄債務を一兆円肩代わりしたほどだ。納税が免除されていたので「見えない国民負担」と改革派は批判したが、郵政公社が利益の五割を国庫に納める決まりだったことは、ほとんど報じられなかった。
 一体なんのための民営化だったのか。郵政民営化の理由がくるくる変わったのも不思議だった。財投改革、民業圧迫、サービス改善、小さな政府、世界の潮流、衰退産業などなど。そこに見えるのは「国民のための改革」ではなく、「なにがなんでも民営化」、「民営化自体が目的」という偏執的なまでの意思である。
 郵政三事業と郵便局ネットワークは、国民生活と地域を支える重要なインフラである。しかし、政府は民営化にあたり、公共インフラを守るのに必要な株式保有を放擲した。
 郵政事業の完全自由化、完全民営化を強硬にわが国に迫り続けたのが米国である。三百兆円の資金と郵便局の土地はさぞかし魅力的だろう。しかし、その米国が二〇〇三年、自国の郵便事業は国営堅持と決めていることも、国民は知らされていない。 (エコノミスト)
─────────────────────────・・・・・☆
◎レギュラー執筆者 
------------------------------------ 
1.佐藤守
 大東亜戦争の真実を求めて  138 
-----------------------------------
「マオ」を続ける。

「『中国の赤い星』は一九三七年から三八年にかけての冬に英語で出版され、西側世論を毛沢東に好意的に転換させる上で大きな役割を果たした。中国共産党は中国語での出版を計画し、不偏不党の印象を与えるべく『西行漫記』と云うタイトルをつけた。『中国の赤い星』と『毛沢東自伝』に加えて、スノーの資料をもとにした本がもう一冊出版された。この本も、中立的に聞こえるよう『毛沢東印象記』というタイトルがつけられた。『中国の赤い星』・・・・および抜粋を編集した他の二冊・・・・は、中国国内の急進的青年層に多大な影響を与えた。多くの若者がスノーの本を読んで共産党に入党した。まさに、中国共産党ルネッサンスの始まりだった。毛沢東はのちに、この出版は『禹帝の治水にも劣らぬ功績があった』と言った。禹帝は、黄河の洪水を治めて中国文明の誕生をもたらしたとされる伝説の夏王朝の始祖である。

 邵力子は、蒋介石のメディア対策責任者としてスノーに便宜を図り、毛沢東と共産党の評価を高めるうえで欠くべからざる役割を果たした。ほぼ一年後に蒋介石が邵力子を解任する頃には、毛沢東と共産党のイメージはすっかり浄化されていた」

 蒋介石および国民党にとっては「時既に遅し!」であった。こうして蒋介石の油断と個人的な子煩悩さが、国家の悲劇に結びつき、自らも10年後に没落するきっかけを作ってしまったのである。

 現代においてもかってのソ連の「宣伝戦」は徹底していたし、人民を騙すテクニックは一流であった。そしてそれは、味方のみではなく、敵方のメディアを最大限に活用するという巧妙なものであった。エドガー・スノーは、共産主義思想に芯から共鳴したわけでもなかったろうし、欧米人として、マルコポーロ以来の“魅力的”な中国に何と無く興味をそそられただけなのか、あるいはその裏には、ジャーナリスト特有の「功名心」と「打算」があったのではなかろうか?と思う。

 西安事件の影響は大きかった。1937年の元旦に、毛沢東は蒋介石から分譲された地域である首都・延安に入城し、その後10年以上にわたってここで暮らしたのだが、
その暮らしぶりは“異常”であった。真相は最近明るみに出ているからここでは省略するが、逃げ出した富裕層農民達の住居を占拠した“毛沢東一派”は、「やりたいほうだい」だったといえる。人民のため!と宣伝する彼ら共産党は、決して人民や農民の生活向上のために思索をめぐらしていたとはいえない生活ぶりであった。

 とりわけ注目すべきは毛沢東自身による派手な女性関係であった。毛沢東はスノーの宣伝に騙されて入党したり、集って来た多くの女性たちと関係を持った。

その中に美人女優であった人妻のリリー・ウー(呉広恵)がいた。そして彼女は延安を訪問してきた米国人作家、アグネス・スメドレーと親しくなった。

「(スメドレーは)ずけずけものを言う過激な女権拡張論者だった。スメドレーはコミンテルンのスパイだったが、御しがたいところがあり、モスクワは『彼女を隔離せよ』という指示を出した。にもかかわらず、しかもスメドレーの方でも毛沢東に『めめしさ』と『肉体的な冷淡さ』を併せ持った『邪悪な資質』を感じていたにもかかわらず、毛沢東はスメドレーとの関係を深めようとして長時間のインタビューに応じた。彼女がアメリカ人だったからである。毛沢東はそのインタビューの写しをスノーに送り、『広く宣伝』してほしいと依頼している」と「マオ」にはある。
 つまり、毛沢東と共産党はなりふりかまわず彼女達を利用したのである。延安における共産党“本部”の生活ぶりがどんなものであったか、又毛沢東を彼女たちがどのように評価していたか、『マオ』はその一部を次のように書いている。

「リリー・ウーがその美貌で毛沢東の色情を刺激する一方、美貌で遥かに劣るアグネス・スメドレーは蓄音機の音楽に合わせて踊るスクエア・ダンスを催して延安に旋風を起こした。ダンスは一気に広まった。最初のうちは『プライドが邪魔をして、彼[毛沢東]は躍ろうとしなかった。彼にはリズム感というものがなかった』と、スメドレーが書いている。毛沢東のダンスの相手をした女性は、毛沢東はただ[床の上を歩いている]のと同じだった、と語っている。が、まもなく、毛沢東はダンスが運動のひとつの形として・・・・女性を手に入れる方法としても・・・・役立つことに気がついた。延安では毎週のようにダンスが催されるようになった。屋外で踊ることもあれば、かって教会として使われた建物の中で踊ることもあった。延安はダンスに熱狂した」

 こんな「人民の敵」を、敵対していた蒋介石が養わなければならなかったのだから皮肉だが、これはいつに自ら西安事件で“敗北”を招き、“息子の解放”に執着した結果だったのだから、蒋介石にとって西安事件は「切歯扼腕」する出来事であり、思い出したくもないものであったというべきであろう。        (続く)

佐藤守:
防衛大航空工学科卒(第7期生)。
航空自衛隊に入隊
戦闘機パイロット(総飛行時間3800時間).
外務省国連局軍縮室に出向。三沢・松島基地司令、
南西航空混成団司令(沖縄)を歴任.平成9年退官.
岡崎研究所特別研究員.軍事評論家.
日本文化チャンネル「桜」軍事コメンテーター.
著書に「国際軍事関係論」
ブログ;http://d.hatena.ne.jp/satoumamoru/
---------------------------------------------------------
2.奥山篤信  
 故周英明先生の思い出☆一周忌を迎えて☆
- -------------------------------------------------------
昨年11月9日周英明氏は73歳の若さでなくなられて、はや一年が経つ。最近金美齢氏が小学館より「夫婦純愛」を上梓された。この本に二人の夫婦愛、家族愛そして祖国台湾への愛が記されている。

周氏と金美齢氏は当時国民党が権力を集中していた台湾を二人は離れ、昭和30年代半ばに日本に留学する。そこでともに初めて自由を得たと感じ、台湾の民主化運動に身を投じることになる。 

 そのため祖国に帰れなくなった二人の40年の日本での生活は旅券もなくいつ強制送還されるかわからない命や生活の不安の日々であった。二人は祖国の民主化の日を求めて、日本で生活基盤を持ち耐え忍んだ。そして李登輝の総統を経て、陳水扁が総統となり台湾独立の夢が実現しようとするかに見えた。しかし現在の状況下で、台湾が独立の道を進めるのか、あるいは大陸の「傀儡」とも言える国民党が次期総統の地位を得て、台湾独立の芽が摘み取られ、中共政府との合体の道を進むのか、前者の道は険しいものがある。

いつだったか、かなり前の話だが、台湾大虐殺記念日(1947年2月28日の、本省人による、外省人や国民党軍や国民党政府への抗議行動や暴動を含む大規模な抵抗運動開始の記念日)に、毎年台湾独立派が開く市谷のアルカディアの集会で、来賓の元自民党代議士MA氏のスピーチが余りに無内容無責任の奇麗事であったことに、途中で業を煮やした一人の男性が過去の自民党の台湾政策の優柔不断さを徹底的に糾弾し、ついにはMA氏を会場から追い出したのである。その男性こそが周英明氏だったのである。その集会での周氏の怒りに、祖国台湾独立という大義に対していい加減な妥協や曖昧な態度で臨むことは許されないという信念を感じとったものである。

周氏の真面目で真摯な生き方は、台湾独立に限ったことではない。金氏の著作でお子様の教育に関しても厳しさがあり、ご長男が安直にも楽をして現役で受かった大学を周氏が頑として入学させず浪人をさせたという逸話があった。ともすればイージーゴーイングに生きようとする現代の若者への厳しいそれでいて愛情のある鞭といえる。

周氏と金氏の二人は、心より日本を愛し、そして愛するがゆえに、現状の日本に対してストレートな辛口の苦言とアドヴァイスをされているが、それが日本人にとってどれほど勇気を与えられ、日本再生の指針となっているか大いに感謝せねばならない。そして今こそ日本人一人ひとりが、二人の台湾独立に対する願いに呼応して、現台湾政府を徹頭徹尾サポートせねばならない。それが日本の国益にも合致するのである。

周氏には一切安易な妥協をしない厳しさはあるものの、円満で包容力があり、若い人々に絶大な人気があった。女性は理想の伴侶像として信頼を置いていた。それは理工系の合理性頭脳に加えて、幅広い歴史教養に裏付けされ、絶えず相手の立場を思いやりつつ、しかも陽気であるからだ。

周氏があるとき勉強会で発言された記憶があるが、僕はその言葉が大変心に沁みた。すなわち日本人は戦後「怒り」というものを忘れたのではないかと。自国の主権が拉致や領海侵犯などで侵されても怒ることがない。怒ることが恰も冷静に反することであると、戦後ことさらに教えられてきたのか知らないが、個人の名誉や国家の名誉が傷つけられて、日本人はもっと怒ってしかるべきではないかとの趣旨を、周氏は話された。

周氏は理工系の理路整然と静かに熱く語る品格ある学者であり活動家でもあった。僕たちは、これからも周氏の語られた日本の良き伝統を守り、それを活かして生きたい。それに何よりも周氏が求めた台湾独立が達成できるように陰ながら支援したい。それは日本にとっても、「真の独立国」日本として存続しうる不可欠な条件でもあるからだ。

奥山篤信:
京都大学工学部建築学科卒
東京大学経済学部卒
三菱商事本社入社
6年余にわたる米国三菱ニューヨーク本店勤務を経て
平成12年退社 
平河総合戦略研究所代表理事
-------------------------------------
3.西山弘道 
「なぜ?大連立!」

------------------------------------
 福田首相と民主党の小沢党首の2回目の党首会談が、きのう中断を挟んで2回にわたって行われた。会談では、1日で失効したテロ対策特措法のその後の扱いをめぐり、日米同盟の維持などについて話し合ったというが、本当のところ、何を話し合ったのか、その中味が極めて注目される。自民、民主両党議員の間では「大連立?いや早期解散?」の話が流れ、疑心暗鬼が生じている。

 そもそも、保・保連合や政界再編ではなく、なぜいきなり「大連立」の話が流れるのか、よくわからない。政界再編話なら、ここ数年、浮かんでは消えるポピュラーな話で、永田町では免疫は出来ていた。しかし、「大連立」となると、これは極めて具体的な話になり、筋書きを描く仕掛け人がいないと、浮かばない話である。一部では、その仕掛け人は福田政権を誕生させた、某大新聞のオーナーという話もあるが本当なのだろうか。

 大連立とは、政権を担える大政党同士が連立政権をつくることである。近年ではドイツの例が有名だ。05年、ドイツの総選挙では野党で保守のキリスト教民主同盟・社会同盟(CDU・CSU)が勝利して第一党となり、政権党の社会民主党(SPD)は敗北して下野した。しかし、過半数を制する政党がいなかったため、キ民主同盟は社民党と連立することを決め、キ民主同盟党首のメルケル氏がドイツで初めての女性首相となった。ドイツでは20年前のキージンガー政権も大連立であった。

 政界再編とは、政党が分裂して、この指とまれで核になる新しい政党が出来て、政界が大同団結して再編成されることである。大連立はドイツのように主要の2大政党同士が連立して政権に就くことである。次の選挙で政権交代がなければ政界を引退すると公言している小沢一郎氏にとっては、完成まで時間がかかり、まどろっこしい政界再編よりは、大連立のほうが悲願達成に手っ取り早いと考えているのだろうか。

党首会談は、福田首相の側が持ちかけたといわれているが、福田首相としては、中断したインド洋での海自による給油補給を何としてでも再開すべく、場合によっては特措法ではなく、恒久法で新法を作ってでも実施したいと提案したという。一方、小沢氏もかねてから国連決議に基づく自衛隊の海外貢献活動は恒久法で行わなければならないという持論を持っており、この点では両者波長が合いそうだ。福田首相には今月中旬の訪米で、ブッシュ大統領との首脳会談が予定されているため、何とか実のある訪米土産を持って行きたいのだろう。片や、小沢党首にしても、日米同盟を損ねるというアメリカの虎の尾を踏んだことや、福田政権が行き詰まって、年内クリスマス解散に踏み切ることを警戒して、党首会談に応じた向きもある。民主党は年内解散の体制は整っていないのだ。一方で、参院民主党多数のねじれ国会は、少なくとも後6年は続く。壁にぶち当たって、打開するため福田首相の擦り寄りクリンチ戦術に小沢氏が、ここぞとばかり応じたのだ。

百戦錬磨の小沢氏には、さしのトップ会談はたやすいものだ。米軍用地特措法延長をめぐって当時の橋本首相と会談した時は、新進党の党首だったが、保・保連合か騒がれたものだ。また、自自連立解消の時の小渕首相との会談では、小渕さんの体調まで悪化させ、命までとってしまった(?)

選挙でお互い争っている政党同士が今すぐ連立を組む、どう考えてもあり得ない話だ。あり得るとすれば、選挙の前に連立構想を打ち上げ、民意を得るのが筋だろう。

ここまで書いて、福田首相は会談の結果、民主党に大連立に応じるよう要請したという。まさに政界は「一寸先は闇」なのだ。
 
西山弘道;
ジャーナリスト。早稲田大学政経学部卒業後、文化放送で30数年、放送記者として
活躍。政治担当として、三角大福中、安竹宮の「永田町戦国史」を取材。
2005年10月、文化放送を退社、以後フリーのジャーナリストとなる。
 -------------------------------------
4.松永太郎 
 本の紹介 ジョン・プラドス「ロスト・クルセイダー」 John Prados  Lost Crusader
  2003 Oxford   未訳
------------------------------------
 著者のプラドスは、おそらく今活躍しているなかでは、もっとも精密で、詳細な情報戦の歴史家である。今、日本では、まだ未訳であるが、岸首相がCIAのエイジェントであったとか書いてあるとかいうために「ニューヨーク・タイムス」のトム・ワイナー記者によるCIAの歴史「灰の遺産」が評判になっているが、ほとんど同時にプラドスが発表した詳細を極めるCIAの極秘作戦の歴史書「デモクラシーのために」に比べれば、かなり粗っぽい(日本のある有名な若手評論家は、ワイナーの本の翻訳が待たれる、と書いているが、この程度の本も英語で読めないのだろうか?)。いずれにしろ、膨大な極秘文書を駆使するプラドスの本は、今後、情報・諜報の歴史を知ろうとするものにとっては、必読となるだろう。
 「ロスト・クルセイダー」は、訳しにくいタイトルであるが、「失われた大義」の戦いを戦ったものという意味と、戦いそのものに敗れたものという意味と、二重に解釈できよう。CIAの歴代長官のなかでもっとも議論の多かったウイリアム・コルビー長官の伝記である。
 コルビーは、映画「グッド・シェパード」で、デニーロが演じた「ワイルド・ビル」・ドノヴァンひきいるOSSのメンバーであった。CIAは、ほぼ1970年まで、その後もレーガン大統領当時の長官ビル・ケイシーもふくめて、そのトップは、OSSのメンバーが占めていた。OSSの連中は、実際にナチス占領下のヨーロッパに潜入した連中であるから、単に机の上の官僚ではない。陸軍登戸研究所と、その後身の中野学校や、各特務機関の出身者たちが情報機関を作れば、どんなことになるか想像してみれば、ほぼ見当がつくかもしれない。歴戦の実力者たちである。
コルビーもフランスに降下し、レジスタンスを支援したが、しかし、このフランスのレジスタンスというのは、ナチのスパイに浸透され、散々な目にあわされるのである。 
 こうした地下工作部隊というのは、敵のスパイに浸透されると、命がいくつあっても足りない。コルビーが生き残ったのは、奇跡的であるが、いずれにしろ、このときの勲功がその後の彼の出世の基礎となる。リチャード・ヘルムス、トーマス・ウイズナー、ジェームス・アングルトン、そしてもちろんアレン・ダレスのような面々は、みなOSSの特殊工作で成功した連中であった。
 コルビーは、上記の面々と同じくOSSからCIAに入ったが、やがて東南アジア地域のプロとなる。実際、いろんな冷戦の歴史書を読むと、冷戦は、東南アジアが、その主舞台ではないかと思われてくる。日本の知識人たちが勝手な夢のような熱を吹いている間に、冷戦期、東南アジアでは、文字どおり、血で血を洗う戦いが続いていた。
 ヴェトナム戦争は、その極限であった。コルビーは、その戦争の秘密作戦部門を担当した。CIAの秘密部門は、秘密情報部門(スパイの世界)と特殊作戦部門(しばしば心理作戦部門と呼ばれる)に分かれていたが、コルビーは、その特殊作戦部門の実力者であった。悪名高いフェニックス工作は、彼の指揮下で実施される。それは映画「地獄の黙示録」で描かれたようにヴェトコンのインフラストラクチュア(上部構造)を破壊する作戦だった。要するに片っ端から暗殺する工作である。むろん、この作戦は、北のスパイに完全に浸透されていたから、誰が誰を殺していたのか、などは簡単にいえない。このプラドスの本を読むと、そうした底知れない情報戦争の実態が浮かび上がってくる。
 スパイの歴史とは、人間の業の歴史である。業の極限の歴史であると言ってもいいかもしれない。コルビーは、謎の死を遂げるが、スパイというのは、どんなに出世するにしろ、地獄を生きている人間なのであろう。

松永太郎;
東京都出身 
翻訳家、多摩美術大学講師、レモン画翠社長
主訳書「進化の構造」「イカロスの飛行」他。
 -------------------------------------
5.藤岡知夫 
 寿司屋寸評
------------------------------------
9月29日の平河総合戦略研究所メルマガに阿嶋彩子さんが頑固な寿司屋の事を書いて居られました。私も食い意地が張っていて、貧乏なくせに、身分不相応にあの店この店と食い歩く方で、阿嶋さんの文章を読み、私のこれまでの寿司屋の経験が思い出され、つい書いてみたくなりました。
通常の料理屋であれば、どこでも御客様は神様で、店主は低姿勢でへいこらするのが普通です。しかしたまに態度のでかい店主が居ることがありますが、私の経験では、寿司屋か蕎麦屋の高級店に限ります。
蕎麦のことはさておいて、私がこれまで体験した寿司屋の中で、圧倒的に上等で、尚かつまた圧倒的に店主が威張っていた寿司屋は、今はないはずの、「やまはら」という店で、築地の魚河岸の中にありました。
築地の魚河岸の周りには沢山の寿司屋がありますが、魚河岸の構内にあったのは後にも先にもこの一店だけで、朝日新聞に「公共の施設の中に寿司屋があるのはおかしいのではないか」と社会面に書き立てられたことがあります。しかしここの主人は魚河岸の株を大量に持っていたらしく、朝日に書かれても一向に平気で、息子の代になるまで営業を続けて居りました。
私がこの店に行ったのは、学生時代、昭和30年前後です。佐藤栄作が「戦後は終った」と宣言する前の、未だ戦後のごちゃごちゃした時代でしたが、食材は現在に比べて圧倒的に種類が豊富にあったと思います。築地の魚河岸の顔役で、尚かつ魚河岸の構内にある店ですから、ネタは種類が豊富で、また素晴らしく美味い物が出てきました。マグロでも単に大トロとか中トロとかいう区別ではなく、シビマグロの腹だとか、横腹だとか、これは大島沖でツキンボウでついたカジキだとか、当時私は二十歳前後の食い盛りでしたから、美味い物ならいくらでも食うことが出来て、マグロなども十種類余り、全部で30カン以上毎回食ったと思います。
その主人は魚河岸の株など沢山持っていて金持ちだったのでしょう。自分の本職は俳人で、寿司屋は趣味でやっているのだと、自称して居りました。店は大きくはなく、カウンターだけで十人ほどだったでしょうか。背後に堅山南風描く唐獅子牡丹の大きな絵を掛けてあって、その前で「ボタンの花びらというのは、はらりと落ちるのですなあ」などと言って客を煙に巻きながら寿司を握り、客の注文など全く聞かずに、今日はこれを食えと、無言で、ジャカジャカ出してきました。上手い高級店で値段も高かったはずですが、勿論私は学生で自分の金で払えるはずがなく、父が連れて行ってくれたのです。
私の父は大学の物理学の教授でしたが、自分の研究を企業化し、二つのベンチャー企業の走りを立ち上げて、それが成功していたらしく、学者にしては懐が豊かだったのでしょう。また大変な子煩悩で、子供をあちこち連れて歩きたがり、その上私のすぐ下の弟が癌で余命幾ばくもないことを、家族皆知っており、またこの弟が中学生の頃から、自分で料理を作るのが趣味で、尚かつ味覚のセンスも良く「やまはら」に行きたがり、父が間もなく死んでしまう子が可哀相だと、高級な店によく連れて行きました。そして、弟だけ連れて行くわけにもいかず、兄の私も一緒について行って美味い物にありついた訳です。
それでも父は学者の身分で来るような店ではないと思っていたらしく、その店には当時の経団連会長の石川一郎氏だとか、道路公団の総裁であるとか、父が親しくしている財界の大物が時々来ておりましたが、そのような人達に会うと、自分には身分不相応な店なのだけれども、息子が癌で、彼の食べたいという店に連れてきているのだというような言い訳を言っているのを、小耳に挟んだこともありました。
この店は昭和30年過ぎまで、私も合計10回以上父に連れられて行ったでしょうか。しかしある時からばったりと父はこの店に行くのを止めました。それは池田勇人が総理大臣になって、昼飯を食いにちょくちょく現れるようになり、警備など何かとうるさい上に、その店の主人の態度が以前より更にでかくなったためであると、父は言って居りました。
これほどの店ですが、食の雑誌などに紹介されたことは、一度として見たことはありません。おそらくこの店の主人は、雑誌記者など馬鹿にして軽く扱ったでしょうし、値段が高過ぎることもあって記者の反感を買っていたのだと思います。
昔あれだけの店だったのだから、自分の金で寿司を食うようになってから、これも30年以上前ですが、その後どうなっているか行ってみたら、店は未だありました。主人は死んで息子が後を継いで、唐獅子牡丹の絵こそ未だ残って居りましたが、天井紙が剥がれかけていたり、何となく薄汚く、以前の豪華な感じは全く影を潜めて居りました。この店はその後たたんでしまったと、人づてに聞きました。
私が自分で行った店で、一番立派だったと思うのは、岡山の「魚正」です。この店は丸谷才一が「食通知ったかぶり」の中で、岡山に西国一の寿司屋ありと紹介して居たので、行ってみる気になったのです。丸谷才一はその後に書いた「裏声で歌え 君が代」などを読み、こいつは左翼、それも斜に構えてエリートぶった左翼であることを知り、その後彼の書いたものを読むのは止めましたけれども、この本を書いた頃には、それ程の偏見は持っていなかったのです。
学会で岡山に行ったとき、昼前に岡山に着く列車を選び、タクシーに乗って、「魚正に行ってくれ」と頼んだらタクシーの運転手が「あんさんはどこの会社の社長でっか」と聞くので、「いや俺は社長ではない。貧乏書生だ」と言ったら、その運ちゃんが「あの寿司屋は社長しか行かん店でっせ」と言って、まずカウンターパンチを食らいました。店に着くと門構えの日本家屋で、門を入ると店の入口まで10mほど。その間の中庭には、ガーベラや金魚草などが咲いてました。店に入ると客が一人座って待っており、食事が終わった後で名刺をもらったら、その地域の大自動車会社の代表取締役社長と書いてあったので、運転手が言ったことは本当だと悟りました。
店はカウンターが5〜6席、他に4〜5人が座る机が一つある程度で、こじんまりとして、壁には絵が二枚掛かって居りました。その一枚を見ると、小品ながらどこかで見たようなシロっぽい色の裸婦で、下には「嗣治」と署名があり、藤田嗣治です。もう一枚は大き目の日本画の風景で、これには小野竹喬のサインがありました。
12時にならないと、寿司を握り始めないのだそうで、暫く待って12時を少し過ぎた頃、小柄な店の主人が、平たいオケを持って現れ、カウンターに、昼だというのに客はその社長と私の二人だけ。オケの中には色々なネタが入って居り、それを取りだして切りながら握ってくれるのです。その店では一応「何から握りましょうか」と聞き、横暴寿司屋のように向こうから色々出してくることはありませんでしたし、確かに旨い。特に旨かったのは穴子で、これは丸谷才一も絶賛して居りましたが、穴子を折り曲げてその間にしゃりを入れ、サンドイッチ状にして出すのです。その他印象に残っているのは、ままかりですが、兎に角全て瀬戸内海の最上のネタです。丸谷才一は気取って、マグロなんか食わなかったと書いてましたが、私は何しろ大食いですから、勿論マグロも食いました。そして食っているうちに支払いが心配になってきました。いい気になってガンガン食っているけれども、この食い方だったら、銀座であれば2万円くらい取られるだろう。この店は銀座の寿司屋の倍以上高級であるから、下手すると4〜5万円になるかも知れない。そして私の財布には3万円しか入っていないことに気付いたのです。これは今から30年以上前で、その当時はカードも持っていないし、金が足りなかったらどうしよう。そうだ岡山で医者をやっている友人のところに電話をして助けてもらおうと、その辺の戦略まで考えて、最後の巻物までしっかりと何種類も食べて、いざ勘定になったら、予期したほど高くはなく、銀座の5〜6割だったでしょうか。
この魚正にはその後岡山に出張するたびに、合計3〜4回行ったでしょうか。最後のときには、親父が死んで、娘が寿司を握って居りました。この店は親父が余りにうるさくて、弟子が寄りつかず、結局娘が後を継ぐことになったんだそうです。男勝りの立派な女性でしたが、やはり女の寿司職人というのは、流行らないようで、その後更に行こうと思ったら、あの店は潰れたとの話を聞きました。
最近行った店で、一番態度がでかいと私が思うのは、目黒の「いずみ」という店です。この店はけっこう流行っているようで、友人のNHKの局長が連れて行ってくれました。どういう点が態度がでかいかというと、この店では握った寿司を前の板に置くのではなく、客に手を出させるのです。5〜6人カウンターに並んで座って居る客が一斉に、「寿司ちょうだい」と手を出すと、主人が次々とその手の上に握った寿司を置いて行く訳です。こんな店は私は他に聞いたこともありませんが、それでもこの主人は研究家のようで、「ヒラメの三段重ね」、白身とキモともう一つは皮だったか、そんなものも食わされました。勿論不味い訳はないけれども、特に旨かった記憶はないのですが、酒の肴の話題にするには行ってみても良い店だと思います。
私が数年前までよく行き、最近では接待の必要も殆どなくなり、懐も年と共に寂しくなって来るので、余り行きませんが、店の主人とも懇意にしているのは、銀座の寿司幸本店と浅草橋の美家古寿司です。どちらもこちらから注文することなく、向こうから出してもらうのを食うわけですが、寿司幸本店の主人杉山氏は温厚な人柄で、私の息子のコンサートにも来てくれるのですが、仕事が実に丁寧で、こちらが一個食べ終って次に手を出したくなる間合いを計って、丁度良いタイミングで次を出してくれます。この店には独自のオリジナルがいくつかありますが、私が最も好むのは椎茸で、焼き椎茸を握るのが珍しいものです。
美家古寿司の主人、加藤氏は頑固者で態度もデカイ男ですが、私はこの主人とも親しくなり、文句を言いながらも時々行って居ります。加藤氏は「自分は寿司は本業ではなくサイドビジネス」だと言って居りますが、「やまはら」のように俳人という訳ではなく、メインの商売は株だと言っているので、寿司屋らしく生臭い人間です。この店は私よりも先輩の友人が何人か贔屓にしていて、店でばったりと会ったことも何度かあり、態度がでかいながらも皆から愛されているようです。しかし人間に対しては相当好き嫌いがあるようで、例えば浅草に同じ美家古寿司という店がありますが、この浅草の店に行くと、その主人は、自分は浅草橋で修行をし、暖簾を分けてもらったのだと言って居りますが、その話を浅草橋の加藤氏にしたら、突然機嫌が悪くなり、「浅草の寿司屋なんかワシは知らん」と怒鳴るように叫びました。
私が最近まで最も好んで行っていた店は、銀座の日航ホテルの裏の細い通りにある「すし仙」という小さな店で、この店では私の好みをよく知っていて、まず白身の薄作り、それからコハダ、づけ、という順に出して来て、酒も「菊正」のタルが旨く、くつろげたのですが、今年の6月で店を閉めてしまいました。兄弟二人でやって居りましたが、二人は背丈も顔かたちも全く異なり、種子か畑かどちらかは違うことは明かでしたが、ずっと仲良くやっていたのに、止めてしまうとは、誠に残念な事でした。
最近私が最も気楽に行っているのは深川の事務所の近くにある「田門」という店で、この店は大衆店の割には良いネタを揃えており、また私の好みもよく知っていて、前日に「明日行くよ」と声をかければ、夏でなければ好物の平貝の良いのを用意していてくれたり、私は枝豆が好きなので、ダダ茶豆だとか丹波の黒豆の良いのが入ったときには声をかけてくれます。
最後に大切な店を忘れてました。足立区関ヶ原、「白善」という寿司屋です。北千住からタクシーに乗り、荒川を渡って細い道をゴチャゴチャと行き、木造家屋の建て込んだ中の一軒で、見たところ普通の大衆寿司屋です。以前大学の体育会剣道部のキャプテンをしていた私の娘が教えて呉れた、体育会系のグルメの店で、ネタは大変素晴らしい。アワビなど元気が良くて、ガラスにひっついて逃げようとしているし、ヒラメも毎日生きているのを仕入れ、目の前でさばいて縁側を食わせてくれ、しかも一個のネタが普通の倍以上でかい。こちらの注文を聞かないわけではないけれど、基本的には向こうからガンガン出してくるので、食い終って立ち上がると、腹の皮がつっぱって、へたっと座ってしまいます。そんなに沢山食っても、払いは銀座の半額以下で、いつもこれで採算が採れるのか気になります。
寿司屋というのは、酒飲みは誰でも「高い高い」と文句を言いながら、けっこう皆行ってしまい、払いに苦労しているようで、ラーメン屋はすぐにつぶれるけれども、寿司屋はなかなかつぶれないようです。日本人は皆、生まれながらにして寿司好きなのでしょう。

藤岡知夫;
昭和10年生まれ東京都出身
昭和35年慶應義塾大学工学部電気工学科卒
昭和40年同大学院工学科博士課程終了 工博
昭和54年同大学教授に就任
平成2年東海大学開発技術研究所教授に就任
平成6年東海大学理学部物理学科教授に就任
平成12年財団法人応用光学研究所理事長に就任
専攻 レーザー工学 レーザー物理学
------------------------------------
◎阿嶋彩子の料理つれづれに(9)<魚のこと>
------------------------------------
海に囲まれた国土を持つ日本人にとって魚は馴染み深い食物であるばかりでなく、魚名の持つ意味なども日常生活の中に溶け込んでいるように思う。例えば同じ魚でも稚魚から成魚になるまでの間に成長過程に於いて呼び名が変わっていく。このように呼び名が変化していく魚を出世魚とよび、この出世という語彙のイメージに魚をてらし、「ブリ」はお正月に食したりする。

「ブリ」はワカシからイナダになり、イナダの時期の味はブリとは異なり、さっぱりとしていて刺身にすると味わいがある。イナダからワラサを経てブリになるが、冬の日本海の氷見で取れるブリは絶品である。刺身にするとコリッとしまった身が口の中で溶けていく食感は素晴らしく、日本独特の山葵醤油と日本酒が出会い物である。

同じく出世魚である「ボラ」は稚魚の時に地方によっては「おぼこ」と呼ばれ、この呼び名は世間知らずの娘の意味を持ち、親しみのある言葉だと言う。その後イナとなりボラになる。

祖母が戦争中に予科連隊のお世話をしていて終戦になり、そのお世話をしていた方々が戦地から帰られて祖母を尋ねてこられた折、未だ物資が少ない時だったが、やっとボラを手に入れて、皆に少しずつ振る舞い、これから良い人生が待っているようにと言い、これが予科連隊の方々には大変に励みになったとの話を祖母の法事の時に予科連隊だった方々に聞かせて貰った。たった一口の食べ物でも心に沁みる事がある。

日本の祝い事には何といっても鯛は代表的な存在であり、姿も味も良く皆に好まれる。
大きな一匹鯛の浜焼きや兜煮を食す折、私は必ず「タイのタイ」という小さな骨が胸ヒレのところについているのを探して、その可愛い形を外して横に添えるのが好きである。魚の形をしており江戸時代の商人はこれを金運のお守りとしたと言う話を聞いた事がある。鯛は古跡からも出土していて、古くから日本人には大切な魚だったことが伺える。

魚の種類は多いが私が特に魅力を感じるのはアユである。アユは魚偏に占う、という字から受けるイメージのように神秘的な美しさと有している。アユ釣り解禁時になると、未だ水が冷たい川に腰までつかりながら友釣りなどを仕掛けた釣竿を持っている釣人の姿に、アユが人気モノであることが判るような気がする。

アユの語源はアユル(落ちるという意味)で、川で成長をしたアユが川を下る様からこのように呼ばれたという説。又神功皇后が今後を占う為に釣りをして釣れた魚に占うという字をあてたとか。戦国の世に武将がどちら側から攻め入ろうかという時にアユの飛び跳ねた方向から攻めたとか。このように諸説を産むに値する魚である。食しても素晴らしく、若アユの天ぷらはほろ苦く風情があり、京都貴船の川床料理にでるアユの刺身は天然モノ特有の身のしまり方が良く、又ウルカという鮎の塩辛は味わい深い珍味中の珍味である。焼いた姿は美しいし本当に飽きない魚である。

日本はこのような魚に関する楽しみを多く持ち合わせている幸せな国であるが、漁業は言うまでもなく水との戦いであり、そこに長く受けつがれてきた漁法が加わり大変な作業である。この海や川からの恵みを感謝しつつ資源という観点にも気を配りながら、大切に無駄なく食していきたいと思う。
------------------------------------
◎廸薫の「タカラジェンヌが日本舞踊家になったわけ」其の二 「所作と心は表裏一体のお話」
------------------------------------
 25ans<ヴァンサンカン>12月号(407ページ左上)に、小っちゃ〜くですが私のコメントが掲載されています。編集者の方が小さな記事ですが・・・とおってしゃっていましたが、本当にここまで小さいとは正直思いませんでした。でもちゃんと写真も載っていますので、書店で立ち見・・・いや、良かったら購入してくださいませ。(編集者の方ゴメンなさい)
 なんで、25ans<ヴァンサンカン>のような西洋趣向の権化(重ね重ね編集者の方ゴメンなさい)のような雑誌に、日本文化を連呼している私が小さいながらも載ったのか不思議に思う方もいらっしゃると思いますが、実はある方を通じて一ヶ月程前でしたか取材を受け、最近25ans<ヴァンサンカン>の読者達が、自分たちの有り方に疑問を感じ始めているのだという興味深〜いお話を伺いました。動きや所作が美しくない自分たちに気づき始め、その原因が何なのか知りたがっているという事でした。取材に来られた女性の編集者本人も行き詰っている様で、そのような傾向をどの様に扱ったら良いのか、途方に暮れていると言った風でした。一時間程話をした中で「所作と心は表裏一体」という言葉が特に印象に残っていた様で、今回の記事は取り敢えず西洋趣向の池に和の小石を投じてみようという形になりました。

 さて、本題に入りますが、着物の場合は、美しい立ち振る舞いのポイントの総てが日本舞踊に集約されていますが、洋服やドレスの場合も同じようにダンスやバレエなどの西洋舞踊の動きの基本が出来ていると奇麗に見えるのです。立ち方、歩き方、手の使い方、袖や裾の扱い及び捌き方は、着物、洋服に係わらず、大きなポイントになる部分だと思います。
いずれにしても全くトレーニングが出来ていない身体をいくら飾り付けても、「板につかない」のは当然でしょう。町ですれ違う人達を見ていても、年齢性別に関係なく奇麗に歩くことの出来る人は、残念ながら殆どお目に掛かる事が有りません。トレーニングをする事によって正確な姿勢で立つ、座る、歩く為の筋肉が鍛えられ、同時に美しい所作の為のテクニックを学ぶことによって、相乗効果となる訳ですが、もっと基本的かつ大切なのは「意識をする」事。総ての事柄に通ずるものだと思いますが、これが中々難しかったりするのです。

伝統芸能の稽古場には、基本的には鏡が有りません。鏡の無いお稽古場で先生の動きを真似る所から始まります。自分がどんな格好をしているのか、さっぱり見えない状態で、只ひたすら先生の動きを真似るのです。踊りだけで無く礼儀や作法の部分でも先生をお手本に、稽古場や舞台上で起きる総ての事を学んでいくわけですが、始めからそれがどういう意味を持つのか、なぜそうしなければならないのか、すべて理解をできるわけでは有りません。
何度も何度も真似ていく内に意味を理解し、理解した所で自分の物になるはずなのですが、心で理解しても未熟なうちはまだそれを形に表すことが出来ません。形と心の逡巡を幾度も繰り返し、時が流れて行くのと共に少しずつ身についてくる。そして、ようやく初めて自然な形、所作として表に表れて来るわけです。所作と心がどちらもおなじレベルで完成するのは、そう簡単なことではないのです。でもそこまで来てから始めて自分の感性が加味され、自分のオリジナリティーと言うものが生まれてくるわけですから、ほんまに芸の道は厳しおす。稽古の時、師匠によくご注意頂くのは「作為的な動きは不自然で綺麗じゃない」という言葉。水が流れるように、雲が沸き立つように、炎が燃え盛るように、風がそよぐように、人の心を捉えて離さない自然の美しさを自分の心と身体の中に取り込めたらと思います。

「美は一日にして成らず」と言いますが、正に其のとおりだと思います。
まずは美しいものを美しいと、美味しいものを美味しいと感じることの出来る健康な心と身体が基本です。ともあれあんな小さな記事では到底伝えることの出来ない深いテーマだってことに、編集者の彼女はどこまで気付いているのかしら?

NPO 紫薫子の会 日本舞踊ワークショップ「オドリ玉手箱」開催
☆ 開催日時 12月8日(土) 13時30分から
☆ 会  場 印西市文化ホール
☆ 出  演 藤間!)瀧 花柳廸薫 他
☆ 入場方法 無料(全席自由)当日入場券をお配りします。
※定員(522人)を超えた場合は先着順。
☆ 連絡・問い合わせ 印西市文化ホール
        〒270-1327  印西市大森2535
TEL 0476-42-8811 FAX 0476-42-8699

お気軽にお問い合わせください。
プログラム
1部 レクチャー
実演 1       長唄 「高砂丹前」(素踊り)
レクチャー 日本舞踊の基礎知識
       日本舞踊のテクニック
2部体験とQ&Aコーナー
日本舞踊の基本を説明しながら踊りの体験
3部鳴物実演
小鼓・大鼓・太鼓・大太鼓で出来る、自然と情景描写の実演コーナー
4部実演
実演 2   長唄 「藤と若衆」(衣裳付け) 地方演奏

花柳廸薫(はなやぎ みちかおる);
NPO法人日本人のアイデンティティを育む会・紫薫子の会 代表理事 
社団法人日本舞踊協会正会員。
兵庫県神戸市出身。三歳より花柳流日本舞踊の手ほどきを受ける。宝塚音楽学校首席入学。宝塚歌劇団退団後、花柳流師範資格を取得。歴史街道推進協議会、関西フォーラムに参加したことを機に、アメリカ(ワシントン、ミネアポリス、ニューヨーク)東南アジア(インドネシア、シンガポール)にて舞踊公演を行うなど、ワークショップや文化交流、結婚式、祝賀会、レセプション等の舞踊活動を中心に、古典に基づく独自の舞踊活動を国内外で行う。平成十七年NPO法人日本人のアイデンティティを育む会・紫薫子の会(しくんしのかい)を設立。日本舞踊のみならず、日常生活から消え行こうとしている日本伝統文化に警鐘を鳴らし、啓蒙普及活動をライフワークとして本格的な取組みを始動。                                        
ご意見箱アドレス; michikaoru@hotmail.com 
---------------------------------------------------------------------
◎奥山篤信の映画評論 
----------------------------------------------------------------------
 アメリカ映画「ブレイブ ワン 原題 THE BRAVE ONE」☆☆☆☆☆
----------------------------------------------------------------------
最近日本の映画館に行くと、良質の映画であればあるほど空いている。日本の観客のレベルが落ちたということか!

この映画はアカデミー賞脚本賞を取ったIRAテロを題材にした秀作「クライング・ゲーム」の監督・脚本家のアイルランド人ニール・ジョーダンが監督しており、一方イエール大学卒インテリ女優で2度のアカデミー主演女優賞に輝くジョディ・フォスターが主演しているとなると、映画館に向けてまっしぐらにということになる。そして全く期待を裏切らない映画であった。

ある日挙式を控えたエリカ(ジョディ・フォスター)とデイビッド(ナビーン・アンドリュース)がセントラルパークを犬を連れて散歩中に三人組の凶悪なごろつきに襲われエリカは重傷そしてデイビッドは帰らぬ人となる。

法治国家といえども、日本でも光市母子殺人事件での裁判所の不当な量刑判決に対して本村洋氏が死刑でなければ、保釈されたら自分の手で犯人を殺してやりたいと述べたように、司法制度は加害者の人権を擁護するあまり、詭弁を弄したような判決を出すケースが多く被害者やその肉親の気持ちを逆なでしている。
アメリカ社会は同様に過度ともいえるDUE PROCESSが重んじられるあまり、被害者にとって警察や司法は、その復讐心を満たしてくれるものではない。あのプロフットボール人気選手のシンプソン事件を見ても弁護によってはRED HANDEDが無罪になるのだから驚きである。

この映画は掛け替えのない愛する人を失ったエリカが、その心の空洞を満たすために正義の処刑人になっていく姿を描いている。その心の変遷ぶり、「自分を捨てるのよ。そして別人になるのよ。」と語るごとく、フォスターの演技はジョーダン監督が三顧の礼をもって迎えただけあって、適役以上の最高の演技である。最近フォスターのインテリぶった映画ファンを舐めたような態度の映画が多かっただけに(「フライト・プラン」「インサイド・マン」などに顕著)、久々ぶりのフォスターでなければなしえない名演技を堪能した。

事件前の朗らかな幸せそうなフォスターが、二度と恐怖に直面しないために(正当防衛として)で不法に手に入れた拳銃を携帯するのであるが、一番目は地下鉄で自分が襲われ正当防衛殺人、第二番目はDVによる夫の妻殺害現場に居合わせた自らが目撃者として殺されようとする場面での正当防衛殺人、第三番目は不法監禁された未成年の女子を変態中年から救うためのいざこざの中での正当防衛殺人、そして四番目は法律の抜け穴をこねくり回して巨悪を貪るギャングへの天誅と続く。

正当防衛といっても、その関与は自ら避けることができたものから徐々に、その恣意性が高くなっていく。「善と悪との境界線」「正義とは何か」その自問自答、フォスターが正義の「殺人マニア」に変わっていく演技は見事である。フォスターの清純な目にアイシャドウを塗る場面が別人になろうとする象徴であり圧巻である。

泣かせる場面はフォスターが怪しいと睨んだ警官が重傷を負った未成年少女に首実検させるべく対面させる。アイルランド系キリスト者であるフォスターが自分の十字架を、欲しがる少女にそっと贈る。少女は警官に答える、助けてくれた人がどんな人か全く記憶がないと。この十字架はあの忌々しい公園の事件の際家に置き忘れたお守りであった。

そしてついに復讐すべき三人組を見つけ出し本懐を遂げる場面での観客の熱い想いと重なり、やった!と僕自身も眼がしらが熱くなり拍手した次第である。

さすがジョーダン監督である。観る者の想いがこのように完全にフォスターに乗り移ってしまうのである。そして最後の10分の素晴らしいトリックと結末、映画の醍醐味とはこの大団円である。

ついでに死刑廃止論というのがあるが、「人が人を裁いて殺せるのか」などは論外の欺瞞に満ちた議論であるが、かってのような非科学的な捜査の中での冤罪による死刑があるから廃止すべきという理屈は理解できないわけではない。それはさておき被害者肉親、家族、恋人、友人の復讐心が満足されない死刑廃止など断じて受け入れることはできないというのが僕の意見で蛇足ながら付け加える。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
次回の配信は11月10日(土)を予定しております。どうぞお楽しみに!
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
登録内容(メールアドレス等)の変更、メールニュース配信の停止は、
こちらからお願いします。
<http://www.melma.com/backnumber_133212/>
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
有限責任中間法人 平河総合戦略研究所< http://www.hirakawa-i.org >
発信元:< info@hirakawa-i.org >
掲載された記事を許可無く転載することを禁じます
Copyright(c)2005 Hirakawa Institute

 
このメルマガの読者になる
規約 
>> メルマ!の会報誌もお届けします
ブックマーク: はてなブックマークに追加del.icio.usに追加Buzzurlにブックマークニフティクリップに追加ライブドアクリップに追加Yahoo!ブックマークに登録My Yahoo!に追加Add to GoogleRSS

このメルマガを読んでいる人はこんなメルマガも読んでいます

Japan on the Globe 国際派日本人養成講座
日本に元気と良識を。歴史・文化・政治・外交など、多方面の教養を毎週一話完結型でお届けします。3万4千部突破!
週刊アカシックレコード
02年W杯サッカー韓国戦の「誤審」を世界で唯一「前日」に誌上予測し、誤審報道を「常識化」した推理作家(金正日の「遺書」で始まる「中朝戦争」後の北朝鮮...
宮崎正弘の国際ニュース・早読み
 評論家の宮崎正弘が独自の情報網を駆使して世界のニュースの舞台裏を分析
頂門の一針
急所をおさえながら長閑(のどか)な気分になれる電子雑誌。扱う物は政治、経済、社会、放送、出版、医療それに時々はお叱りを受けること必定のネタも。
花岡信昭メールマガジン
政治ジャーナリスト・花岡信昭が独自の視点で激動の政治を分析・考察します。ときにあちこち飛びます。


おすすめキャンペーン

利息が気になるあなたへ
オリックスVIPローンカードなら
<<年率5.9%〜15.0%、利用可能枠最高500万円>>
ゆとりのカードローンです。
←お申込みはこちら

スポーツNEWS速報!

その他ニュース 相次ぐ食品偽装 消えた年金達

メルマガデータ

  • メルマガID : 133212
  • 創刊日 : 2005-02-04
  • 最新号 : 2008-08-19
  • 発行周期 : 週間
  • バックナンバー: 全て公開
  • 発行者サイト: あり
  • 読んでる人 : 6156人
  • コメント数 : 37
  • Score! : 94点
  • >> 月間ランキング

発行者プロフィール

ペンネーム :


このメルマガの読者になる

規約に同意する



このメルマガの最近の記事


このメルマガの最近のコメント


このメルマガのバックナンバー


注目情報


新着記事トピックス