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日本再生のための政治・経済・文化などの発展・再構築を目的とし、メールマガジンの配信を行う
- 最新号:2008-08-29
- 発行周期:週間
- 読んでる人:6177人
- 創刊日:2005-02-04
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- コメント数 : 37
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甦れ美しい日本 第136号
発行日: 2007/9/14□□■平河総合戦略研究所メルマガ■□□(2007年9月15日 NO.136号)
☆☆甦れ美しい日本☆☆
☆・・・・私たちは書きたいから書くのです・・・・
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< 目次 >
◎ゲスト執筆者
1.塚本三郎 安倍が安倍でなくなった
◎大久保太郎 元東京高裁部総括判事に聞く
裁判員法の施行は違法で無責任 裁判員法は廃止し、国民参加は構想し直すべきだ
◎松島 悠佐の軍事のはなし(46)「再び国益論議への期待」
◎福田秀人の「日本の経営を斬る」18:つぶれない会社をつくる(中)
◎レギュラー執筆者
1.佐藤 守 大東亜戦争の真実を求めて 131
2.奥山篤信 フランス映画「トランシルヴァニア 原題 TRANSYLVANIA」を観て
3.西山弘道 「安倍政治の終焉」
4.松永太郎 書評 「ヴェリイ・プライヴェイト・ウーマン:メアリー・マイヤーの秘密の生涯」 A Very Private Woman, by Nina Burleigh Bantam Books
5.藤岡知夫 この1週間で観た展覧会
◎阿嶋彩子の料理つれづれに(2)『私のフカヒレ考』
◎投稿 前代未聞!嗚呼驚いた! 怒りの一国民より
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塚本三郎
安倍が安倍でなくなった
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安倍政権は、拉致によって生まれた政権である。
小泉首相に同道して平壌に赴き、金正日が拉致を認め、被害者の返還を約束をしなければ、「宣言を拒否して帰る」と強く主張したことで、日本人の心を掴んだ。
「拉致被害者の最後の一人を取り返すまで戦い続ける」と、各種拉致集会で繰り返したのが安倍首相であった。
そして、靖国神社参拝については、毎年参拝し続けた。就任前から「一国の指導者として、国の為に殉じた方々に対して、尊崇の念を表すのは当然」と言い続けた。
それが総理になる直前、曖昧な態度に一変してしまった。日本に対する中国の抵抗は、中国の内政問題がすべてである。中国が小泉首相に対して、靖国神社参拝を非難したのも、国連常任理事国入りに反対したのも、両国の首脳会談を拒否していたのも、中国の内政事情による。中国が安倍首相を真っ先に北京へ招待し、柔軟姿勢を示したのも、中国の内政事情による。
北京オリンピックを翌年に控えて、これ以上日本に内政干渉を重ねれば、日本のみならずアジア各国から、中国に対し、警戒心を高めると中国政府は気付いたからであろう。
安倍首相にとっては、まさに天与の機会であった。従って、敢えて直ちに靖国神社へ参拝しなくとも、祝日に参拝するとか、八月十五日に参拝すると宣言しておくべきであった。
処が、まんまと媚中派官僚や、中国でお金儲けをしている相当数の財界人の誘いに乗ったのか、「曖昧な態度」に一変してしまった。
「あの信念は一体何だったか」、そしていつ靖国神社に参拝されるのか。これ程の絶好の機会こそ、中国政府の内心を試すべき天機であったのに。大切な同盟国、米国を後回しにしての訪中で、外交の素人と見下げられてしまった。
安倍首相は就任以来、僅か半年を経ないうちに、数々の政治上の実績を積み上げて来たことは見事である。流石は安倍晋太郎の子、岸信介の孫と、国民の多くは拍手を送った。
その期待の星は参議員選挙で、もろくも敗退し、安倍が安倍らしくなくなってしまった。
臨時国会は、テロ特措法の期限切れを十一月に迎える。
参議院選挙では、憲法、教育基本法等の、国家の基本を論争の焦点とすべきであったのに、「政治とカネ」に問題を矮小化された。それはあたかも「豪華客船日本丸」が海底地震による、横なぐりの波に、安倍船長は翻弄され転覆寸前の様相に似ている。
今臨時国会こそ、日本は津波の横なぐりでなく、真正面に迎えて突き進むことが出来る。
米国が、もし北朝鮮のテロ指定国家を解除すれば、米国はアジアでテロ撲滅を捨てたと受け止める。ならば日本は、もうインド洋に自衛隊を派遣する大半の任を了ったことになる。核と共に、拉致と呼ぶテロの解決こそ、独立国日本の生命線だと、米国に警告せよ。
小沢一郎氏は特措法反対の発言を、過日、米国のシーファー大使に投げつけた。今度は安倍首相が、ブッシュ大統領に「テロ撲滅を捨てたのか」と投げかける時である。テロ特措法は、日本にとって、「北朝鮮の拉致と呼ぶテロ指定そのものの危険担保」でもある。それが「職を賭して」と発言した、安倍の安倍たる所以である。
この原稿を書いている直後に、安倍首相が辞意を表明した。重大局面に対して、苦悩の色を濃くした姿は、矢張り波乱の政局には、無理な宰相であったと残念に思う。
塚本三郎;
愛知県名古屋市に生まれる
鉄道省名古屋鉄道局に勤務し、県立中学校(夜間)に入学
終戦とともに労働組合運動に従事
運輸省に転勤し、中央大学法学部(夜間)に入学
国鉄を退職し、中央大学法学部卒業
昭和 33年 挑戦4回目にして初当選し、昭和生まれ初の代議士
(日本社会党所属)となる(以後当選10回)
昭和 35年 民社党結党に参加
昭和 49年 民社党書記長に就任(国鉄改革・電電公社民営化に取組む)
昭和 60年 民社党中央執行委員長に就任
平成 元年 民社党常任顧問に就任
平成 9年 「勲一等旭日大綬章」を受章
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◎大久保太郎 元東京高裁部総括判事に聞く
裁判員法の施行は違法で無責任 裁判員法は廃止し、国民参加は構想し直すべきだ
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(聞き手)
(社)福祉社会研究所理事長 田中克人
裁判員制度は
順調に運用されるか
田中 再来年の5月から裁判員制度が施行される予定です。私自身もそうですが、先生も裁判員制度に反対されておられますね。果たしてうまくいくものでしょうか。
大久保 はじめに申し上げたいのは、裁判員制度は、(1)憲法、(2)刑法、(3)刑事訴訟法、(4)国民各自が生活目的を持って忙しく活動している現代大衆社会との各関係等を一つひとつ丹念に検討すれば、とても実現(立法)できるものではなかったということです。であるのに、これらの各関係をほとんど検討もせず、「司法改革の目玉だ」というような掛け声でつくられてしまった。
しかも、裁判制度の専門家で同制度が円滑適正に運用されることに責任のある法務省と最高裁までが、裁判員制度を是認してしまった。大失策です。その結果、裁判員制度は憲法問題、長期事件への対応問題など、根本的問題を抱えたままつくられてしまった。
しかし司法当局は、いまさら問題があるとはいえませんから、そんな問題など何もないようなふりをして、「広報」に努め、国民に参加を呼びかけているのが実情だと思います。
マスコミも「大政翼賛」で、このような本当の問題点を追及しないから、国民は実は本当のことを知らされていないのです。恐るべきことです。
それで「制度はうまくいくのか」の質問ですが、私は現場の裁判官、検察官、弁護人全員が、憲法、被告人と国民の人権、正確な事実認定などを軽視し、ただただ制度の維持に努めるという態度をとらない限り、裁判員制度の運用は不可能だと考えています。
田中 違憲の疑いとはどんな点ですか。
大久保 ある学者が「裁判員制度は違憲のデパートだ」と言うほど多いのですが、紙数の関係で根本的な一点だけを挙げます。
裁判員は裁判の評決権(一票の権利)を有していますから、実質は裁判官です。これは、憲法80条1項の「下級裁判所の裁判官は、最高裁判所の指名した者の名簿によって、内閣でこれを任命する」との規定に真っ向から抵触します。ある元最高裁判事はこの理由から、裁判員制度は違憲だと強く批判しています。
田中 最高裁自身、はじめはそのようなことを司法制度改革審議会で述べていたのではなかったのですか。
大久保 最高裁は審議会で、いったんは参加者に評決権を与えることは違憲の疑いがあるとして、「評決権なき参審員制」を提案したが、その後、審議会で裁判員制度が提案されるや、何の説明もなくこれに同調してしまった、
舞台裏で何があったのか、不可思議です。
審理期間は
どのくらいなのか
田中 今回の裁判員制では裁判の迅速化が重要なポイントの一つです。当局の説明では、審理を4日間ぐらいの数日で終わらせるとしています。
そのために、公判前の整理手続きというものが、すでにはじまっています。実際、この手続きで裁判は速くなっているのですか。
大久保 速くはなっていますね。
田中 では、4〜5日で重大事件の審理を終わらすことは可能……。
大久保 とんでもありません。その証拠に、重大事件ではありませんが、ライブドア事件があります。
同事件は公判前整理手続きが行われ、弁護人も協力的だったのではないでしょうか。それでも審理だけで公判二十数回、4カ月余を要しました。これ以上速くやろうとしても、検察官も弁護人も対処できなかったでしょう。
重大事件の中で事案が複雑または大規模な事件ともなれば、もっと長期、多数回の公判が必要なことは、当然予期しなければなりません。このような事件には裁判員制度は対処不可能です。
田中 当局はどう説明していますか。
大久保 最高裁の広報も「すべての事件」が数日で終わるとは言いません。「大部分の事件」が数日で終わる見込みだと言っているのです。しかし、前述のような、多少とも長期にわたらざるを得ない事件があることは絶対に言わない。もし言えば、その途端に国民に決定的に嫌われるからでしょう。
田中 裁判が長くなる理由は何ですか。
大久保 複雑ですが、大きな原因は、訴訟遅延を防ごうとする裁判所の訴訟指揮権の実効性を担保する規定が不備だったことです。この点は一昨年施行の法改正で、相当程度、手当てされました。訴訟促進に非協力な弁護人に対する社会の批判の目も厳しくなっており、今後は改善されるでしょう。
また、戦後新憲法に対応して刑事訴訟法が大改正され、独自の構造のものとなりました。これが時として審理を長期化させ、戦後、長期事件が増えた大きな理由です。しかし、この構造を改めることは困難です。
さらに、わが国の刑法は、被告人が数事件で起訴されている場合、併合して審理し、一つの刑を宣告する原則をとっています。オウム事件の麻原死刑囚が地下鉄サリン事件等13件の事件で審理され、死刑を科されたのは典型例です。これでは裁判は時により長期化します。とはいえ、この併合処理の原則を変更することも困難です。
この点に訴訟法的に対処しようというのが、先般の裁判員法改正による「部分判決制度」ですが、適用が許されない場合があるなど、迅速裁判の〈万能薬〉ではありません。
田中 やはり、裁判を早く終わらせるためという理由は詭弁のようですね。
マスコミが裁判員制度を
批判しない理由
田中 先生は司法の専門家ですから、違憲といった法律的な観点から裁判員制度の矛盾点にアプローチできますが、一般の国民はどう考えればよいのでしょうか。日本人のほとんどは、憲法を読んだことすらありません。これは、世界でも珍しいことです。それだけに憲法論だけでは、一般の国民は裁判員制の矛盾を理解できません。
大久保 私自身、一般の方に理解していただくことが大切だと考えています。しかし、どのようにして理解していただくかが難しい。文章にしても、どうしても法律論が入ってしまいます。すると、雑誌社は見ただけで、「これでは売れません」と。なかなか採用してくれません(笑)。
田中 マスコミに大きな問題がありますね。現実問題として、今回の制度準備にあたり、広報活動で巨額の広報予算が動いています。マスコミ各社には、この仕事を受注したいといった思惑がありますからね。
大久保 本年7月11日付朝日新聞「私の視点」に、私の意見が載ったのはありがたいことでした。マスコミは「社会の木鐸」と自任しているのですから、裁判員制度をもっと批判的な目で取り上げてほしい。そうでないと、国民に知らせるべきものを知らせないことになります。
最高裁は
違憲審査権を放棄した?
田中 裁判員法附則2条1項は、政府と並んで最高裁にも同法の広報義務を課しています。しかし法律の広報など、行政の仕事であり、司法のすることではないのではありませんか。
大久保 裁判制度を国民になじませるための広報も、憲法問題などを伴わない場合は、司法行政の範囲でしょう。
しかし裁判員制度は「違憲のデパート」と言われるほど多くの、しかも深刻な憲法問題を伴っています。ですから最高裁は裁判員法がつくられるとき、「広報は政府でやってくれ」と手を引くべきであったし、法廷等の庁舎改造も、政府による広報の結果を見て要否を判断すべきだったのです。
ところが、前記附則2条1項の規定がつくられ、最高裁は自ら裁判員制度の旗を振り、国民に参加を呼びかけている。これは、裁判員制度に関する数多い問題点について事実上「合憲」のお墨付きを与えるもの、つまり最高裁の崇高な権限である「違憲審査権」(憲法81条)を事実上放棄するものではないかとの疑いを招くものです。あとになって制度の「はしごを外す」ような違憲判断などするまいと誰もが考えるからです。
もしそうだとすれば、それは制度の適用を受ける被告人や一般国民にとって問題救済の道が事実上閉ざされたことを意味し、極めて重大な問題です。最高裁自身の憲法違反でしょう。最高裁はどう説明するのでしょうか。
裁判員法の強行は
違法である
田中 裁判員法は平成21年5月までに施行されるものなのでしょうか。
大久保 裁判員法附則1条は、同法は平成16年5月の公布の日から5年内の政令で定める日から施行すると規定していますが、同時に同法附則2条2項は、施行の日を決める政令を定めるに当たっては、「裁判員の参加する刑事裁判が円滑かつ適正に実施できるかどうかについての状況に配慮しなければならない」と規定しています。裁判員制度をつくっても、それが円滑適正に機能するかどうかは国民の協力いかんに懸かっているのですから、その協力が得られることを確認してから法を施行せよ、と言っているもので、当然のことなのです。
ところが、最高裁の昨年1、2月実施の国民8300人を対象とする意識調査によると、「参加したい」「参加してもよい」が計28%、「参加したくない」「あまり参加したくない」が計62%であり、参加に積極的かどうかを問わない参加可能日数の問いには「1日も参加できない」が29%、「3日以内」が39%、「4〜5日」が8%、それ以上の日数は計6%未満、「分からない」が19%であったといいます。これは、昨年4月28日付けの主要各紙に掲載されました。
最高裁は広報に努めており、今後「参加してもよい」の数字は多少増えるかもしれませんが、国民各自が生活目的を持って忙しく活動している社会基盤は変わりようがなく、「参加可能日数」が大幅に増えるとは考えられません。そうだとすれば、前述の、審理が数日では済まず、多少とも長期、多数回の公判を必要とする事件を含むすべての重大事件について、「裁判が円滑かつ適正に行われる」状況など存在しないことは明白です。
それであるのに裁判員法を施行することは、附則2条2項に違反し、違法です。当局は平成21年5月までにはじめるといい、マスコミも同様に報じていますが、都合の悪い附則2条2項は無視するつもりでしょう。
田中 国民が知ったら「おかしい」と言いますよね。
試行錯誤的な
実施は許されない
田中 「裁判員制度が問題があるとしても、やってみて悪い点を改めて行ったらよいじゃないか」というような意見も耳にしますが、どうでしょうか。
大久保 そのような試行錯誤的実施など、刑事裁判の実際を知らない間違った意見です、もとより前述の裁判員法附則2条2項に違反します。
一つひとつの裁判の帰趨には、被告人の人権が、被害者および社会公共の利益と安全が、切実に関係しています。裁判が全体として円滑かつ適正に行われ得る確実な見込みもないのに、見切り発車的に制度を実施することなど、国としてあまりにも無責任です。
一般人に
人は裁けるのか
田中 私は最近、裁判員制について、『あなたは殺人犯を裁けますか』というタイトルで本を上梓したのですが、一般の人間に人が裁けると思いますか。
大久保 「裁く」ということは、具体的には、その事件の問題点ごとに責任をもって意見を述べることですが、一般の人々には難しいでしょう。
田中 私は裁判員制度は国民の意見も聴かずに拙速につくられたもので、実施は無理だと考えています。裁判員法を停止し、国民参加は振り出しに戻って議論されるべきです。
大久保 裁判員制度は、(1)参加者を選挙人名簿からクジで選ぶ、(2)参加者に評決権を与える、(3)重大事件を担当させるというものですが、これらの点が憲法及び社会の実体に照らして無理なのです。裁判員法は速やかに廃止し、それでも刑事裁判への国民参加が望ましいというのであれば、あらためて構想し直すべきでしょう。
法律が施行前に廃止された例として、グリーンカード制に関する所得税の一部改正があります。これは昭和55年3月に成立後、いったん施行が延期された後、61年1月からの実施を待たずして60年3月に廃止されたものです。
なお、裁判員法に関しては、西野喜一さんの『裁判員制度の正体』(講談社現代新書)は好適な解説書と言えます。
(おおくぼ・たろう)
昭和3年兵庫県生まれ。東京大学法学部卒業。27年司法修習生。31年裁判官任官。各地勤務後、最高裁調査官、東京地裁判事、同部総括判事、東京高裁判事を経て、59年より那覇家裁所長、同地裁所長、長野地家裁所長、東京高裁部総括判事。平成2年退官。同年から10年まで東京法務局所属公証人。長年多数の長期継続事件を含む刑事裁判実務に携わった経験から、陪審制・参審制・裁判員制導入に反対する論文多数。最近のものとして、「国民をあざむく裁判員制度の偽装点」(『月刊日本』18年12月号、19年1月号掲載)がある。有志による「裁判員法の廃止を求める会」代表代行。
聞き手:田中克人(たなか・かつんど)
昭和18年生まれ。明治大学法学部法律学科卒業後、(社)国民政治研究会事務局に入局。事務局長、常務理事、専務理事、理事長を歴任。その後、(社)日本フィランソロピー協会を発足させ理事長就任。また、大学でマスコミ論、社会貢献論を講義する傍ら、平成元年にはテレビ朝日「CNNモーニング」のキャスターも務める。現在は、(社)福祉社会研究所理事長、(社)日本フィランソロピー協会副会長、国民政治研究会理事長、(財)濱野生命科学研究財団理事長等、多数の公職を兼任。近著に『心の駅伝--安倍晋三君への手紙』があり、最新刊は『殺人犯を裁けますか?--裁判員制の問題点』がある。
※本原稿は清話会(http://www.seiwakai.com)発行「先見経済」9月1日号「シリーズ・この国の未来
」より編集部の許可のもと転載したものです。
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◎松島 悠佐の軍事のはなし(46)「再び国益論議への期待」
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いよいよ「テロ特措法」延長の議論が始まると思った矢先に安部総理の退陣で唖然としました。安部総理は、「海上自衛隊の活動は、対外的な公約であり、職を賭しても実現する責任がある」とその決意を表明していましたが、まさにその視点は、国際社会の中での日本の立場を明確にした国益論であり、意志貫徹に期待をしていたのに残念です。大将がつぶれたら、速やかに体勢を立て直し、新しい大将の下で戦わなければなりません。
今、インド洋の海域で、米・英・パキスタンなどが国際テロ組織の動きを封殺していますが、それを支援し給油・補給活動をしているのが海上自衛隊の活動です。それを中止すれば、テロ組織の動きを監視・警戒する力が弱まり、相対的に、テロ組織の活動が活発になる恐れがあります。警察と泥棒の関係と同じで、ごく簡単なシーソーゲームです。
この海域の安全は、わが国の海上輸送・物流にとっても不可欠の要件になっており、反対を唱える人たちも、海上自衛隊が活動を停止し、テロ組織の活動が活発になるという事態を望んでいる訳ではないのでしょう。
「このような方法ではなく、日本らしいもっと平和的な手段で、テロ組織を封じ込める手段がある」と主張する人もいますが、今アフガンやイラクその他世界各地で起きているテロ組織の活動を、話し合いで解決するような手段を見つけるのは大変難しい問題です。もしそのような方法を探すとしても、今やっている力による封鎖を緩めることは危険です。
反対を唱える民主党をはじめとする野党は、「国連の明確な決議がないところで、自衛隊が行動するのは憲法の趣旨に反する。これは米軍への支援であり、明らかに集団的自衛権の行使になる。」という国内向けの国会対策論が主体になっています。
「対外的な公約だから、続行しなければならない」という意見と、「派遣は国内法に抵触する」という意見は、視点が違いますのでかみ合いません。何を我慢し、何を得るのか、国益のためには何が必要かを徹底的に議論し、国の採るべき施策を明確にしなければなりません。その辺の議論をしっかりして欲しいのですが、民主党からは、党首会談には応じないとか、法案審議のやり方に疑問があるとか、総理の決意表明は野党への挑戦だとか、国会対策の意見ばかりが出ています。政府与党もそれに対し、新法案提出とか、衆議院再可決などの手段を考え、まさに国会対策の駆け引きの様相を呈しています。これでは、国益を全うする議論にはなりません。
軍隊運用の是非は、大義名分・国益・国民感情の3要素から決められるのが一般的だという話を前にも書きましたが、大義名分と国民感情は、視点を変えると変わる要素があります。だが、国益は、領土と国民と国家主権を守り、平和で豊かな生活を国民に保障することであり、相手の国益に過度の配慮をするような意図的な考えを採らない限り、不変のものでしょう。
諸外国の例を見ても、米欧など2大政党制が機能している国では、与野党間で国内のゴタゴタはあっても、安全保障など国益のかかった対外的施策では共通した認識を持っているのが普通です。その背景には、普段から国益論争を徹底し、国益についての一定の共通認識が作られているからだと思います。
もう10年も前になりますが、ユーゴ崩壊後のコソボ紛争にドイツ連邦軍を参加させるか否かで、ドイツ議会でも激しい論争が続いていました。コソボ紛争の解決はヨーロッパの安全に重要な意義を持つものであり、そのためにドイツが応分の役割を果たすのは当然であり、それこそが、今後のヨーロッパの安定にドイツが主体的に係わってゆく道を開くものであるとの結論のもと、与野党を通じて圧倒的多数で議会の賛同を得て、戦闘部隊1個旅団(約5000人)を派遣しました。第2次世界大戦後ドイツは日本と同様に、連邦軍は国内での防衛作戦のみに運用することになっていましたが、この時がドイツにとっての戦後レジームの脱却だったと思います。
海上自衛隊の活動を止めると、国益は一体どうなるのか、国家として何を犠牲にして何を得るのか。まさに正念場の1ヶ月ですが、中身のある国益論争を期待します。 (07・9・14記)
松島悠佐(まつしま ゆうすけ);
元陸上自衛隊中部方面総監
防衛大学卒業後、自衛隊入隊陸上幕僚監部・防衛部長、第8師団長(熊本)
等の要職を経る。
平成7年阪神大震災時、中部方面総監として活躍。
同年中部方面総監で退官。著書に「阪神大震災・自衛隊かく戦えり」(時事通信社刊)
がある。 現在、危機管理などの講演を精力的に行う。
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◎福田秀人の「日本の経営を斬る」18:つぶれない会社をつくる(中)
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○世間に評価される会社をつくる
社長は、つぶれないだけでなく「世間に知られ、よい会社だと評価され、皆が誇りを持って働ける内容と規模の会社をつくる」ことを決意していた。その規模は、当時の百数十億円に対し、「年商1000億円以上」だと判断し、10年でそれを達成することも追求していた。また、売上だけでなく利益もきちんとあげ、在庫や売掛金などの資産の内容も健全にするとの条件もついていた。
理由のいかんを問わず、こういった大きな目標は、ちょっとした成功に酔い、経営の極意をつかんだかのように錯覚した経営者が抱きがちなものである。しかし、社長には、そういった甘さは微塵もなかった。成長のための活動を積極的に展開する一方で、つぶれる危険に気を配り、小さな問題をおろそかにすることはなく、会社をつぶすような発想と行動を徹底的にマ−クし、次の理念と注意を、毎日のように、いや、毎日、幾度となく、しつこく説いていた。
1、社会性のない会社はつぶれる。どんな犠牲を払っても社会の信用を失うな。
2,社会から評価され、皆が、誇りがもてる会社を作らなければならない。そのために、まっとうな商売をせよ。あやしい会社や人間とはつきあうな。
とにかく、「つぶれない会社をつくる」ことと、「社会に評価される会社となる」ことが一切の妥協を排して追求された。そして、それらに貢献するか、反するかで、あらゆる提案や行動の適否が判断された。業績をあげても、その方法が不適切と判断されれば厳しく叱責された。最も印象に残っているのは、不適切と判断された方法でもうけた社員を叱ったさいの次の発言である。「金に色はついていないと言うが色はついている。腐った臭いもついている。そんなことをすれば会社も腐った臭いをだすようになり、誰も近寄らなくなる。そうなればおしまいだ。お前のしたことは会社をつぶすことだぞ」。
当時は、今よりはるかに株式上場が困難な時代だったが、真剣にそれを追求していた。それは、世間に評価される会社となるためであると同時に、つぶれない会社をつくるためでもあった。その理屈は次のとおりである。「簡単につぶれないだけの財務内容と管理体制をもっていないと株式公開はできない。そこで、株式公開の追求は、つぶれない会社をつくることにつながる」。実際、リスク管理の本の中には、内部牽制制度をはじめとして、株式上場に必要な管理の要件と仕組みを多く含んだものがある。
○社長の死を前提とする
つぶれず、かつ世間に評価される内容を伴った1000億企業を10年でつくるという目標がたてられた理由は2つある。第1に、当時、社長の余命が10年程度と想定されていたからである。社長は20歳代の中頃に自動車事故で重傷を負い、その後遺症のおかげで医者から50歳まで生きるのは難しいと言われ、障害者手帳も交付されていた。幸い、その後の医療の進歩でその懸念は払拭され、今も元気に生きており100歳まで大丈夫と思うほどだが、当時は深刻な問題だった。
第2に、社長にとって会社は自分が生きた証であり、自分の思想を体現した分身として将来にわたってつぶれずに存続することを切望していたからである。また、自分の分身である以上、「よい会社だ」と評価される会社であるべきであり、社会的に存在が認知されない会社や、後ろ指をされ軽蔑される会社であってはならないのである。
このような動機とタイムリミットをもって、おまけに肉体的な障害のハンディまでかかえて急成長に挑んだ社長は空前絶後と思う。しかも宣告された余命は10年ではなく10年以内であり、いつ死ぬか分からない。ただ、たまに体調を悪化させてドキッとさせることはあっても、私のちょっとした手抜きにも敏感に気づいて叱り、ゴルフにも励んでいたので「本当に10年で死ぬのかしら」とも思っていたが、死を想定し、10年以内での年商1000億円達成と株式上場を追求していたことは事実だった。
そして、私は、つぶれない会社をつくるのに役立ちそうな管理体制の整備などに精を出す一方で、社長がいつ死んでも何とかなるように、その後継者が「経営の経過、現状、問題点、課題などを簡単に理解できる資料」を社長にも内緒で1人で残業して作成し、3ヶ月ごとに更新していた。社長にも内緒にしたのは「社長ほどの信念と能力をもった後継者がえられるはずがない」と考え、そういった人間が成長を追求するのは危険きわまりないと判断し、「売上を20〜30%ほど下げて、成長のための先行投資的な事業や設備・人的投資を大幅に見直す縮小均衡戦略案」となっていたからである。それは社会的に認知される会社となることを放棄する案であり、社長には不本意にすぎる案だと思ったからである。
ただし、1990年の末、管理体制の整備や最大の難題だった情報処理システムの開発が一段落し、コンサルタントに復帰したくなった私は、辞める前に社長に、ひとつの提案としてその資料のさわりを見せた。社長はきちんと読み、合理的な考えではあると認め、特に不快感を示さなかった。ただ、「20%以上もの売上減は信用不安を招く可能性が極めて大きい危険な策である」ことを指摘した。その対策は考えていたが、それは社長の死により発生確実な信用不安への対策に含めていたので示さなかった。
○商売の基本は変わらない
私が在籍した5年間、商社は売上ベ−スで年率30〜60%の大変な急成長をしたが、社長の経営手法は画期的なものではなかった。社長自身、「商売の基本は、江戸時代となにも変わっていないはずだ。その基本をどれだけ実行できるかが問題だ」、「商売は、よりよい商品をより安く提供することに尽きる」などと言い、「値決めと見切りができて、はじめて一人前の商売人だ」と言っていた。それは井原西鶴の『世間胸算用』同様であり、次のような商売の方針を説いていた。
1,商売は1、2、3・・・と積みあげてゆくしかない。1から3にジャンプすれば転げ落ちる。我々は、その積み上げを早くやっているだけだ。
2,自分で値決めができない商売は商売ではなく、ただの売り子だ。自分で値決めができない商売には手を出すな。
3,楽してもうけることを考えるな。まともな商売は、厳しく、苦しいものだ。もし、楽な商売でもうければ、それから楽な商売ばかり考え、まともな商売ができなくなる。
また、リスクについては、次のような方針を明示していた。
1,リスクのない商売はない。リスクがないのは、リスクに気づかないだけだ。リスクを明確にしてから商売に取り組め。
2,商売では、リスクをとらなければ、イニシャチブがとれず、イニシャチブがとれない商売ほど危険な商売はない。
3,新しい商売をする前には、徹底的に悲観的に考えよ。それでも見込みがあると思ったなら、思い切った資金を投入せよ。中途半端な資金投入は、失敗のリスクを高める。
これらの発言は、商社に在籍した1980年代の中頃から盛んとなった、「これまでの常識の否定を推奨し、独創的なアイデアを創造することが会社の存続発展のための唯一至上の条件とし、もうかる仕組を作れと説く経営論」、いわゆる創造的破壊論を一蹴するものだった。そして、愚直なまでに商売の常識にこだわりながら、その常識を実行するための高度な商品開発戦略と販売戦略、それに先端的な販売・在庫・物流システムと管理体制の整備を追求したのだった。
福田 秀人 (ふくだ ひでと)
76年慶應義塾大学大学院商学研究科博士課程修了(経営学・会計学専攻)。以後、主に、企業の危機管理体制の開発・運用や経営再建支援に従事。また、横浜国立大学、慶應義塾大学、法政大学他の非常勤講師、及び、外務省ロシア知的支援プロジェクト講師、海上自衛隊幹部学校講師等を歴任。立教大学大学院教授(危機管理学)、放送大学客員教授(兼、危機管理学主任講師)。
著書:『見切る! 強いリ−ダ−の決断力』祥伝社06年、『管理職入門』東洋経済新報社9
2年、他多数。
福田永一のペンネームで、『誇り高き男たち:日本の自衛官』エイデル研究所83年、「士気と権威:自衛隊の統率基盤と課題」月刊朝雲84年11月、「対談:私の見た自衛官」防衛アンテナ84年8月などがある。
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◎レギュラー執筆者
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1.佐藤守
大東亜戦争の真実を求めて 131
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周恩来との会談に否定的であった蒋介石であったが、モスクワは、奥の手を使って蒋介石を翻意させた。「マオ」を引用する。
「蒋介石からは、西安事件直前の一一月、紅軍がソ連からの武器援助の受け取りに失敗して窮地に陥った時期にも働きかけがあったばかりだった。蒋介石政権の在モスクワ大使はこの機をとらえて蒋経国の帰国を要請したが、それに対してモスクワは拒絶の返事をした。今こそ、カードを切るタイミングである」
つまり、冷酷なスターリンは、蒋介石のような“人情派?”にとって最大の弱点である「人質・経国」を利用した。親子関係という人間最大の弱点を上手く活用して、蒋介石を篭絡しようとしたのである。
「一二月二四日の夜遅く、前党書記の博古が特別な知らせを携えて西安に到着し、そのおかげで周恩来はクリスマスの日に蒋介石の寝室へ通された。周恩来は蒋介石に、御子息は帰国するでしょう、と告げた。スターリンからこの約束を受け取った蒋介石は漸く共産党の要求に応じる姿勢を見せ、周恩来に『南京へ直接交渉に来てよい』と言った。このときを境に中国共産党は公式に『共匪』ではなくなり、国政の舞台で政党として扱われるようになった」
冷酷無比なスターリンならではの作戦だった。こうしてスターリンは、国共合作の目的を達し、「後方の危機」から解放される望みが出た。国家指導者である蒋介石は、国益よりも「わが子」の身の安全を優先したのである。
危機存亡の淵に立った場合、例えば戦国時代の日本では、捕らえられた武将は自らの命を絶って藩主の決断を狂わせない様配慮したし、藩主も人質である身内、家来を見捨ててまでも“藩益”を優先させた例があるが、昭和時代の日本人にその精神が残っていたのかどうか、興味のあるところではある。
話は逸れるが、これに関しては、鳥居民氏の著書「近衛文麿『黙』して死す」に興味ある例が出ている。
この著書は、近衛と当時の内大臣・木戸幸一を比較して、戦争責任を巡る両者の「暗闘」を活写したものであり、詳細は読んで頂く他はないが、要約すると「木戸、都留、ノーマンが組み立てた計画は、近衛を戦争犯罪人だと断定する意見書の作成、提出だけではなかった」として、日米開戦を回避しようとする近衛が、中国からの撤兵問題に関して「お上(天皇)から陸軍大臣に下命されるように言上してもらいたい」と要請したにもかかわらず、「木戸が言を左右にし、なにもしようとしない」ので、「近衛は我慢できず、天皇に直接、この問題を奏請したのではなかったか。これまた確然とした事実であったと思える。戦い(日米開戦)に踏み出せば、日本も皇室も滅亡の淵に追われると近衛は深く恐れていた。そのあと木戸が天皇の問いにたいして、近衛にお答えする必要はないと思われますと言上したのは、これも疑う余地のない事実だったのではないか。もちろん、木戸はその重大な事実を日記には記さなかった。それを示唆するような書き込みをしていたのなら、昭和二十年後半か、翌二十一年はじめに、彼か都留重人が墨で塗り潰したはずである」と著者は推察している。
木戸内大臣と近衛公との確執は省くが、見逃せないのは「木戸が喋った出鱈目に応えて、ひとつだけ述べておこう」として、著者が次のように書いている点である。
「中国撤兵の問題が原因の閣内不統一によって、第三次近衛内閣が瓦解した後の昭和十六年十月十七日、官邸から陸軍大臣、東条英機にお召しの電話が入った。海軍大臣と同道せよとの通知だった。有能さではその世代のなかで群れを抜いていた軍務局軍事課課員、西浦進が大臣室から出てきた大臣を見た。大臣の表情が憂色濃いことに気づいたとき、西浦は全てを察することが出来た。東條はのちに決して口にはしなかったし、西浦も回想録の中ではっきりと記すことを避けたが、天皇から中国撤兵に反対するのをやめよとの御沙汰があるものと陸軍大臣は予測していたのだし、その覚悟を胸に秘めた表情だと西浦は理解したのである。西浦は回想録の中で、そのとき軍事課では誰もが前首相、近衛に大命再降下があると思っていたのだと記すにとどめた」
この部分は、著者の推測であるとはいえ、極めて重大なものを含んでいる。木戸幸一がどのような人物であったかは別にして、私には「マルクス主義信奉者として名高い都留重人」に関する次のエピソードが気にかかるのである。
「昭和十七年に交換船でアメリカから帰国した都留が外務省に就職できたのは、身内を大事にする義理の伯父、木戸幸一が彼の盟友、重光葵に頼んでくれた」からで、「昭和十九年五月三十一日か、六月一日に都留に召集令状が来た。木戸は六月一日の日記に『赤松秘書官に都留君の身上に付き相談す』と記した。続いて六月十九日の日記に木戸は『赤松秘書官と面談』と綴った」
つまり木戸は、都留重人の召集解除を「東条英機の秘書官・赤松大佐に依頼した」のである。内大臣という特権を利用したルール違反ではなかったか?
これに比べてシベリアに抑留され悲惨な死を遂げた近衛の実子・文隆である、として著者は「木戸幸一は私欲、嫉妬心と競争心、ごくごくつまらない動機から中国撤兵の決断が出来ず、東条英機を首相としてしまい、アメリカとの戦争に踏み出してしまった・・・・・・もしも都留重人が三ヶ月で除隊とならず、兵士として華北に、それとも満州に送られていたらどうであったか」と書く。
蒋介石にせよ、木戸幸一にせよ、国益よりも「私情」を優先するという“人間臭い?”指導者が、当時の日中それぞれを“支配”していたことが、この大戦の悲劇の裏にあるように思われる。 (続く)
佐藤守:
防衛大航空工学科卒(第7期生)。
航空自衛隊に入隊
戦闘機パイロット(総飛行時間3800時間).
外務省国連局軍縮室に出向。三沢・松島基地司令、
南西航空混成団司令(沖縄)を歴任.平成9年退官.
岡崎研究所特別研究員.軍事評論家.
日本文化チャンネル「桜」軍事コメンテーター.
著書に「国際軍事関係論」
ブログ;http://d.hatena.ne.jp/satoumamoru/
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2.奥山篤信
フランス映画「トランシルヴァニア 原題 TRANSYLVANIA」を観て
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トランシルヴァニアは歴史的に、強国の利害に翻弄されたルーマニア、ハンガリーの紛争地帯で現在も両者がそれぞれこの地方を分割している。あのドラキュラは15世紀のルーマニアトランシルヴァニア地方出身のワラキア公といわれている。
僕はこの地方に足を運んだことはないが、森あり谷あり丘ありで独特の寂しげな厳しい風土を想像する映像である。
2006年カンヌ映画祭のクロージングを飾ったトニー・ガトリフ監督の最新作である。彼自身この地方に流浪するロマ(ジプシー)の血を引いている。フランスで愛し突然失踪した男を追って、その出身地のトランシルヴァニアへやって来た女性ジンガリナ(アーシア・アルジェント)が、愛情の一欠けらもない残酷で容赦ない言葉をぶつけられ、身ごもっている事実さえ告げることができない形で打ちのめされる。そして自暴自棄になりつつも、ロマの力強さのように大地にしがみついて、傷つきながらも再生していく姿を画いている。
詐欺師のような謎の男、骨董品や金銀細工を民家から叩き買って日銭を稼ぐ男チャンガロ(ビロル・ユーネル)が相手役の男として登場、そしてインチキ稼業人生を購うかのように、彼女の激しく真っすぐな力強い姿に惹かれていく。
アーシア・アルジェンの演技はフランス女の洗練さから始まり、徐々に泥臭くまさにロマになりきり大地に根付いていく、そして臨月と腹が膨らんでいく中での、主人公の心理を心の襞まで演じる演技力は驚嘆に値する。
この映画はこの地方特有の民族舞踊や音楽それに原始宗教みたいな謎めいた風習、たとえば悪魔払いの儀式なども登場し、僕たちを日本人からして遠い遠いかの地トランシルヴァニアへと導いてくれる。
まさに欧州の僻地、それは西欧のソフィスティケーションから隔離された大地に母性の本能が赴くままに引かれていく姿に本来の人間の姿、それは放浪の民ロマの生き様に監督はアンチ機械文明アンチIT文明アンチグローバリズムを訴えたいのに違いない。
エンドロールの際に監督が作曲したというオリジナル曲が字幕で流れる。「俺が人からもらえるのは イエスの手をつらぬいた釘だけ」これこそが偽善を憎む流浪の民が極める人生の本質かもしれない。
森が青々と茂り 山が緑に覆われ
俺のツキが 定まらぬとき
悲しみの刃が 俺の体をつらぬく
この世の中は 偽善だらけ
世界全体が 俺の敵だ
奴らが考えるのは 盗っ人を葬ることだけ
俺が人からもらえるのは イエスの手を
つらぬいた釘だけ 神よ 許したまえ
われらの罪を
俺が人からもらえるのは イエスの手を
つらぬいた釘だけ 神よ 許したまえ
われらの罪を
われらの苦しみを 解くため
神は俺を破門し 永遠にさすらう罪を
与えた…
(Beata Palyaの唄うVENT)
結婚を決意したチャンガロがジンガリナを探し見つけた部屋に、安らかに幸せ一杯に乳首に赤ん坊が戯れる姿には、なんの打算もしがらみもない母子の普遍的な美しさがあるラスト場面である。
奥山篤信:
京都大学工学部建築学科卒
東京大学経済学部卒
三菱商事本社入社
6年余にわたる米国三菱ニューヨーク本店勤務を経て
平成12年退社
平河総合戦略研究所代表理事
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3.西山弘道
「安倍政治の終焉」
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「敵前逃亡」、「無責任男」、「世界の恥さらし」等々あらゆる悪罵を投げつけられて、安倍首相は去っていこうとしている。私も全くそう思う。内閣改造をして、所信表明を行い、
さて今日から代表質問という直前、辞任を伝えた宰相。憲政史上、前代未聞の辞め方だ。実は私もその日、国会に用があり、院内のそば屋で昼食のソバを食べていたのだが、そこに懇意の代議士秘書から私の携帯に電話があり、「どうも首相が辞意をもらしたらしい」。
あわてて、ソバも食べ残して、2階の各党の控え室に走ったのだが、ちょうど午後1時からの本会議に備えての代議士会をやっている最中で、自民党の部屋に飛び込んだところ、みなテレビに釘付けとなっていて、口をあんぐり開け、信じられないといった風で「辞任」のテロップをみていた。ヘタヘタと椅子に座り込む小泉チルドレンの井脇ノブ子代議士ほか多勢、みな茫然自失の状態だった。テレビカメラを抱えた報道陣は、赤じゅうたんを走り回り右往左往、制止する衛視、久しぶりの政変劇をみた。
「局面を転換したい」、「特措法延長で、私がいることが妨げになるなら、下がりたい」、
しどろもどろの辞任会見を聞いていて、つくづく情けなくなった。病気だったのなら、ひと言「体調が悪く、身を引きたい」と言って、質問も受けつけず、済む場面だった。
入院した慶応病院の診断は「機能性胃腸障害」ということだが、辞任の原因は他にも、
相続税隠しが週刊誌で発覚しそうになった、とか、母親の安倍洋子さんが信仰していたオカルト教団から、政権の先が無いことを告げられた、とか色々いわれている。これからもさらに色々な“真相”が伝わっていくだろう。
実はかくゆう私も、安倍政治を応援している一人だった。1年前、「正統保守政治の継承」をうたって登場した時、憲法改正、集団自衛権の見直し等、日本の建て直しにエールをおくった。しかし、所詮、毛並みはいいが、ひ弱な政権、同じ世襲でも「刺青政治家」を祖父にもつ、侠客・勝負師の小泉前首相とは実力が違った。それを見極めできなかった安倍応援団は今、臍をかんでいるだろう。岡崎久彦、屋山太郎、桜井良子、そして八木秀次の各保守イデオローグ氏たちは、今、どんな思いでいることだろうか。しかし、その1年弱の政権期間中に、教育基本法改正、防衛庁の省昇格、そして何よりも国民投票法を成立させたという保守の大きな功績は、率直に評価しておくべきだ。
さて、ポスト安倍をめぐる自民党内の動きは急になってきて、もはや安倍氏の存在も霞むほど政治は冷厳に進む。9月14日現在、麻生幹事長、福田元官房長官の2人が、23日行われる総裁選に名乗りを上げた。このうち福田氏が、麻生派を除く、町村派や津島派、非主流の古賀派、山崎派など全て派閥の支持を取り付けて圧倒的に有利になり、反麻生網を敷いた。津島派からは、額賀財務大臣が名乗りを上げようとしていたが、立候補を撤回、福田支持を打ち出した。
福田氏といえば、小泉・安倍政治とは180度違う、リベラル・親中派政治家である。山崎氏や古賀氏、或いは加藤鉱一氏らリベラル・媚中派は71歳の福田氏を担ぐことで、自分たちベテランにもまだ総理総裁のチャンスが来る、と考える邪な思惑を持っている。
町村派も森元首相がパリからおっとり刀で帰国、同じ派閥から連続4人目の総理を出すのに影響力を行使できるとにんまりしている。谷垣氏も次の次ということで、福田氏に乗った。30人以上の小泉チルドレンだが、小泉氏が出馬を固辞したことで、勝ち馬に乗れとばかり、これも福田支持。麻生幹事長が平沼赳夫氏の復党に賛成したので、郵政反対組に理解を示す麻生氏には反発しているのだ。
こうして福田氏圧勝、麻生氏惨敗の流れが出てきた。安倍首相からの禅譲を狙っていた麻生幹事長は、安倍氏が健康問題でこんなに早く辞めるとは思いもよらなかったろう。誤算のもう一つは、麻生氏が安倍首相から辞任することを2日前に打ち明けられながら、それを隠し、結果的に安倍氏を晒しものにした、という批判が起きたことだ。麻生氏も不本意な批判だろうが、情報開示のタイミングを逸したということだ。
福田氏と安倍氏は小泉前政権時代、“犬猿の仲”といわれるほど関係が悪かった。官房長官の福田氏が、副官房長官だった安倍氏に「私がマスコミに悪く書かれるのは、あなたが情報をながしているのでしょう」ととげとげしく言ったというのは有名な話だ。想定していた麻生氏でなく、“政敵”の福田氏に政権を渡さざるを得なくなった、というのも健康問題という不慮のこととはいえ、安倍首相の最大の“誤算”であろう。
西山弘道;
ジャーナリスト。早稲田大学政経学部卒業後、文化放送で30数年、放送記者として
活躍。政治担当として、三角大福中、安竹宮の「永田町戦国史」を取材。
2005年10月、文化放送を退社、以後フリーのジャーナリストとなる。
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4.松永太郎
書評 「ヴェリイ・プライヴェイト・ウーマン:メアリー・マイヤーの秘密の生涯」
A Very Private Woman, by Nina Burleigh Bantam Books
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この本の著者バーレイは、ケネディ大統領の補佐官を勤めたマクジョージとウイリアム・バンディ兄弟の伝記などを書いた腕利きのワシントンの女性ジャーナリストであるが、題名はやや訳しにくい。非常に私的な女性、というのでは意味が伝わらない。これはアイロニーで、社交界で花形だった女性が、実は内気な性格で、いろんな秘密を持っていた、という感じである。
秘密はいくつかあるが、一つは、この伝記の主人公メアリーが結婚した相手は、CIAの高官コード・マイヤーであった。CIAの高官になろうという男は、いまはいざしらず、かつては名家出身、富豪で、頭の良い、野心的な青年が多かった(イエールが圧倒的に多い)。当然、妻となる女性もまたヴァッサーやその他、名門女子大学出身の富豪のお嬢様が多いのであるが、結婚するとたいへんなのは、かつてCIA長官だったリチャード・ヘルムスの妻が述懐したように「見知らぬ土地に外交官としてきて、だんなは夜、突然いなくなって、いつ帰るかもわからない」生活に慣れなければならないことである。だんなはその間、政府を転覆させたりなどしているのである。またアメリカに帰ったら帰ったで、だんなの仕事をパーティなどで話すわけにはいかない(第一、よく知らない)。そんなこんなでストレスが高く、当然、離婚率が高いのであるが、メアリーもまた夫のコード・マイヤー-とは、子供を交通事故で亡くした後に、離婚した。このコード・マイヤーは、イエールの出身、若いときからの詩人で、CIAでは謀略工作というよりは情報宣伝工作、いわゆる心理作戦部(psyop)を担当していた。文化方面に対する宣伝工作が彼の担当だった。若いとき、海兵隊員として硫黄島の作戦に参加し、手榴弾で片目を失った、という経験を持つ。
ワシントンの高級住宅街、ジョージタウンは、こうした人たちがいつもパーティを開く。1950年代、アメリカの外交政策は、CIAのフランク・ウイズナー夫妻のパーティで決められた、といわれている。食事の後、男たちが残り、葉巻とブランディーでいろんな話をするわけだが、そこにいたのは、後のCIA長官アレン・ダレスやリチャード・ヘルムス、X論文を書いた国務省のジョージ・ケナン、国防長官のフォレスタル、CIAのウイズナーやコード・マイヤーらであった。彼らはいわゆるソヴィエトに対する「封じ込め政策」のプランナーであり、実行責任者である。ウクライナやポーランドに工作員を浸透させようとするウイズナーの作戦は、ほとんどが失敗に終わっている。KGBのモグラ(深部浸透工作員)がそこここにいたためであった。そのなかにイギリス情報部のワシントン代表キム・フィルビーがいる。彼こそKGBの送り込んだ最大のモグラだった。CIAやイギリス秘密情報部の工作は、片端から彼によってKGBに流された。
ウイズナーはストレスで、ほとんど発狂同様になり、自殺したが、マイヤーもまた神経的に参っていた、といわれる。CIA内部には、モグラの疑惑が渦巻くようになる。
やがてアイゼンハワー政権はケネディ政権に移る。若い、ハンサムな大統領は、もちろんジョージタウンのパーティでも花形であった。こうしてメアリー・マイヤーと大統領は、恋に陥る。メアリー・ピンショ・マイヤーもまた、ジョージタウン社交界きっての美女として知られていたからである。彼らは、ホワイトハウスを舞台に密会をかさねる。メアリーの実家は大富豪であり、彼女自身は次第に絵画の制作に目覚めていった。
そのころメアリーは、ハーヴァードの若い学者ティモシー・リアリーが、幻覚剤LSDを実験していることを知った。リアリーの自伝には「目を上げると、ドアにもたれて、たっているのは、挑発的に腰を傾けた、非常に美しい女性で、まっすぐ僕を見つめて」「先生にお話があるの」と言った、とある。自伝の題は「こんばんは。リアリー先生」なので、よほどご執心だったのだろう。リアリーはCIAから金を受けてLSDの実験をしていたのである。メアリーは、リアリーの「指導」で、LSDを自ら「実験」した。
ケネディとメアリーは、LSDを2.3回は試した、といわれている。もちろんそのほかのいろんなドラッグも使った。ケネディは、持病のため激しい腰痛を抱えていて、彼の女性狂いは、一つにはそのホルモン剤のためとも言われている(ケネディのガールフレンドの一人はマリリン・モンローであり、有名なのはマフィアの情婦、ジュディス・キャンベルである。一方で、弟のロバートは猟犬のようにマフィアを追い回し、一方で兄貴はマフィアと情婦を共有する。この兄弟のやることはいま一つ、わからない)。 LSDその他で彩られた1960年代のドラッグ・カルチュアは、大げさに言えば、ホワイトハウスから始まったのである。
しかし、その後、ケネディは暗殺されてしまう。それから一年後、ジョッギングをしていたメアリー・マイヤーは、何者かによって撲殺される(犯人として逮捕された黒人はその後、無罪となった)。
メアリーの義理の兄は、後に、ウオーターゲート事件で名を上げるワシントン・ポストのベン・ブラッドレーである。急報を受けてメアリーの家にかけつけた彼は、鍵がかかった家のはずなのに、先客がいるのを見る。黒いコートをまとった亡霊のようにやせた男、CIAカウンターインテリジェンスの長、ジェームス・アングルトンであった。
ブラッドレーは、メアリーが付けていたといわれる詳細な日記を探しに来たのである。しかし、どこにも見つからない。アングルトンが持ち去ったのである。アングルトンは、それを焼却した、と後にブラッドレーに語った。
メアリーの日記にはなにが書かれていたのか。ケネディとメアリーは、寝物語になにを話していたのか。おそらく、そこにはケネディ政権で最も暗い秘密が書かれていたのは間違いない。同じように殺されたケネディの女性にマリリン・モンローがいる。
今日、CIAの最上層部においてケネディ暗殺に関わった人物として、焦点に上がってくるとき、アングルトンの名が挙がるときが多い。
メアリー・ピンショ・マイヤーの殺人事件は、いまだに完全にその謎は解かれていないのである。
松永太郎;
東京都出身
翻訳家、多摩美術大学講師、レモン画翠社長
主訳書「進化の構造」「イカロスの飛行」他。
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5.藤岡知夫
この1週間で観た展覧会
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ベネチア絵画のきらめき 於 渋谷東急本店、文化村の美術館
ベネチア絵画を集めた展覧会があるというので行ってみました。ベネチア絵画と言えば、ヌードを描かせたら古今東西彼に勝る者はいないと言われる、ティツィアーノ。赤青緑の聖なる三色をビロードのように重厚な色彩で豪華な宗教画を描くヴェロネーゼの二人に代表される絢爛たる一派です。私としては、豪華な絵が一点でも見られるかと期待したのですが、誠に日本的な西洋絵画の展覧会でした。日本的という意味は、前記ティツィアーノ、ヴェロネーゼを始め、ティントレット、バッサーノ、更にはベネチア絵画の創設者と言われ、イタリア国内でも極端にその眞作と同定される作品が少ないジョルジョーネまでも含め、殆どのベネチア派の作家が網羅されています。但し、これらの作家の代表作とも言えるようなものは一つもないし、各々の画面は小さく、ベネチア絵画独特の大きな豪華な画面は全くありません。その意味では全く期待外れでしたが、ヴェッキオのビーナスの裸体画など、ティツィアーノを彷彿とさせる豊満な見事な絵であるし、これだけの多彩な作品が沢山並ぶと、それなりにベネチア派の傾向を解らさせてくれます。文学であれば翻訳、印刷して世界中の人が読めるし、音楽でも世界中どこでも楽譜を持って行って同じ曲を演奏出来ます。それに対して、絵というのは一点しかなくて、しかも西洋絵画は殆どが西洋にあるわけで、それを日本で見ることが出来るのですから、この程度でも仕方がないか、という気持ちも持ちました。
京都五山禅の文化展 於 東京国立博物館
この展覧会は7月31日から開かれていたのですが、行こういこうと思いつつ、チャンスはいくらでもあったのですが、今年の夏は殊の外暑かったために、上野駅から国立博物館まで炎天下を歩くことを考えると、明日にしよう、と見送り、実際に出かけたのは会期が終わる前日の9月8日でした。
京都の禅宗の五山とは、最上位が別格の南禅寺で、それに続いて、天竜寺、相国寺、建仁寺、東福寺、万寿寺を指します。南禅寺を始めとして、これらの内のいくつかの寺は実際に京都で訪ねたことがあり、禅宗の寺であるためその成立は鎌倉時代も後の方で、私の大好きな仏像の良いものは全くありません。それが、私が積極的にこの展覧会に行かなかった理由でもあるのですが、9月8日に行ってみて、しまった、もっと前から何度も来るべきであったと思いました。
その理由は、カタログで見て数えただけでも、国宝が7点、重要文化財は実に106点も出品されて居り、その殆どは全会期展覧されているわけではなく、6期に分けて短いものでは1期しか展示されていない、即ち展示品を全部見ようと思うと6回来なければいけなかったのです。
禅宗の寺という性質上のため、古い仏像ではろくなものはありませんが、その代り素晴らしい水墨画が沢山出品されて居りました。禅宗の坊さんは名筆家が多いので墨跡はそれ以上に凄いのでしょうが、私は、字の美を認めないわけではありませんが、あまり関心を持って居りません。
水墨画では、雪舟など日本の画家に最も強く影響を与え珍重された、伝ですが牧谿の絵が2点出品されたようで、そのうち、1点の山水は見ることが出来ましたが、大徳寺にある竜虎の襖絵は、見たかったけど9月8日には残念ながら出品されて居りませんでした。これら宋や元時代の支那絵画は、日本にはかなり残って居りますが、その発祥地である支那では皆無と言ってもいいほど残って居ないそうです。度重なる戦乱と略奪で失われてしまっているのです。
雪舟の絵も国宝の山水をはじめ、2点出品されたのですが、9月8日には出て居らず、伝雪舟の観音図を2点見ただけでした。
絵画では、周文の絵も2点あったし、水墨画では素晴らしい絵が沢山あり、墨谿が描き、一休が賛を描いた達磨の図などは、カタログで見て、是非本物を見たかったのですが、残念ながらこれもその日に展示はありませんでした。
この展覧会はこの後、来年1月1日から2月24日まで九州の国立博物館で開催されるようですので、見たい絵の出ている時期を狙って九州まで見に行くかと、今から計画して居ります。東京で早くから行って見ていればよかったのに。
マヤ アステカ インカ展 於 上野科学博物館
上野科学博物館で開催されていて、中南米の熱帯〜亜熱帯で栄えた文明の紹介で、美術の展覧会というわけではありませんが、石板の彫刻や焼物の器などが沢山展示されていて、半分以上は美術展と言えます。誠に見事な美術、文化で、彼等が信じた宗教では生け贄を沢山必要としたために、キリスト教からは野蛮とされ、野蛮を正すというローマ法王からのお墨付きをもらって、スペイン軍のだまし討ちで、三つの文明共に絶滅させられてしまったことは、世界の人類史でも最もむごたらしく非難されるべき事跡だと考えます。
白人キリスト教徒のこのような思い上がった行為が、現在もアメリカに引き継がれていると言えるのではないでしょうか。
藤岡知夫;
昭和10年生まれ東京都出身
昭和35年慶應義塾大学工学部電気工学科卒
昭和40年同大学院工学科博士課程終了 工博
昭和54年同大学教授に就任
平成2年東海大学開発技術研究所教授に就任
平成6年東海大学理学部物理学科教授に就任
平成12年財団法人応用光学研究所理事長に就任
専攻 レーザー工学 レーザー物理学
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◎阿嶋彩子の料理つれづれに(2)『私のフカヒレ考』
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フカヒレの料理の仕方による味付けに私は2つの大きな方法があるように思う。
昭和中頃には「フカヒレの姿煮」というと、決って大人の手のひら位の品が青菜と共に中華醤油味でしっかりと煮込まれ、今にもくずれそうに柔らかく見た目も豪華であった。そして、そのコラーゲンの多いフカヒレが口の中でほぐれて、とろみの付いたスープと共に心地よい気分を誘うのであった。今もこのタイプの料理の仕方で出すお店もあり、私はいつも満足感に溢れる。
もう1つのタイプに形は比較的小ぶりでしっかりとした形のままであるが、食すると熔けるように柔らかく大変美味しく、味は薄味で西洋料理のコンソメにトロミをつけたお汁のなかに浮かんでいるようなのがある。フカヒレの持つクセのあるニオイなどを見事に消して 薄味に仕上げる事はとても難しいであろう、と推察する。この薄味の中に美しい姿がトロミソースの中から浮かび上がり、貴婦人のようにも見える。
本場のフカヒレ料理がどのような味かと興味深く、9月1日オープンのザ・ペニンシュラ東京の2階にある中華料理店(ヘイフンテラス)に出かけた。お店の話では東京の料理長タン氏は6年間も香港店で料理長をしていた人で、味付けと食材は香港店と同じと言っていた。出されたフカヒレは後者のあっさりタイプであった。
世界的にあっさりとした味付けが多種の料理の傾向としてみられるように思う。これには健康に対する考えもあるだろうし、又人々が外食する機会が多くなり度々の食事のチャンスを得ると、どうしても口当たりの良い味が好まれるのかもしれない。料理は客あってのことだから、客のニーズにこたえながら如何に美味しい品を出すかが鍵であり、この傾向をみていると、世の中の状況が見えてくるようである。以前は中華料理というと赤い円卓を囲んで、お皿に大盛りのお料理をお腹一杯頂くのが中華料理のイメージであった。
フカヒレは中華料理の食材だから、中国産だと私は思い込んでいたが、日本の気仙沼でとれるフカヒレもなかなか美味しい。日本産だから何となく淡白な味わいのように考える私の先入観念だと思うが、さっぱりとした印象である。江戸時代には中国に輸出していたと聞くが、その頃は日本人には馴染みのない食材だったであろう。いや、一部の人は好んでいたかもしれないと推測する。もし、食べていたとしたら、和食の中にあって、体に良く喉が越しよく格別な美味しさを感じていたに違いない。
時代の流れは速く今の日本ではフカヒレは好まれる食品となっているが、これから先、時代の食に対する味の要求の変化にこの素晴らしいフカヒレがどのように変身していくのかと興味を持つ反面、私の心の中では今の素晴らしい料理法をがっちりと守って欲しいと望むのである。
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◎投稿 前代未聞!嗚呼驚いた! 怒りの一国民より
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こんな無責任な事態がそれも国家の宰相のレベルで、眼を疑う出来事が起こった。
日本の代表には恥じの感覚や誇りも名誉もひとかけらもない哀れな姿である。
こんな情けない事態がこの日本で起こったこと我々日本人は反省せねばならない。
これはまさに敵前逃亡、登校拒否の現実逃避以外何物でもない。日本の憲政史上これほど幼稚で無責任な政権放棄はなかった。これは一国の宰相の行動である。小沢一郎の談話、福島瑞穂の談話は残念ながら核心をついており正しいのである。
自らが唱える「美しい日本」の基本であるはずの一人の人間の最低限のマナーを放棄したこの出来事、直前の国際会議での公約を放りだした、世界で笑い物の政権投げ出し敵前逃亡である。日頃教育問題を説いてきた日本の代表がこの体たらくである。そもそも中途半端な保守なら保守を唱えないほうがよほど良かった。これで真正保守再生の芽は完全に無くなった。中国や半島やアメリカの反日勢力はこれで、日本の傀儡化が更に進むことで歓喜しているに違いない。
したがって宰相の、この罪は日本史上購い切れないほど重大である。これほど政治家、更に政治に対し不信感を日本国民が抱いた瞬間はかってないだろう。
今となれば、この宰相の勇ましい空虚な言葉が一年間虚しくこだましただけである。
思い起こせば就任爾来首をかしげる言動や行動はあった。中国朝貢外交、靖国参拝意味不明念仏、慰安婦謝罪、村山河野談話継承などなど。
与野党とも二世三世議員が跋扈する日本の政界、まさにこのひ弱な二世三世がこの事態を生んだ。これらのお友達これらの取り巻きが齎す「政治ごっこ」は幼児がおもちゃを弄ぶがごとく、お遊びのなかで負けが込んできて幼児がおもちゃを抛り出した風景そのものである。日本の中枢がこのざまである。なんと恥ずかしい事態であろうか!
体が悪い、冗談じゃない、自ら主張していたのは命がけの闘う政治家ではないのか!特措法を延長して職を賭する覚悟なら、死んでもそれを貫くのが政治家ではないのか?あの大平正芳の素朴でとつとつとした地味で芯のある言葉の重み、そして過労のために命を失った大平の死、その爪の垢にも及ばない。与謝野さんよ、くだらない言い訳や庇いはやめたまえ。問題となっているのは日本を代表する宰相であって、一国民ではないのである。
朝日ほかマスコミが足を引っ張ったなどと御用学者はのたまう。そんなことを理由にするなら、もともと首相になろうものにそんな軟なら資質がない証明にすぎない。そういえば「小沢代表に面談を拒否された」こんな事を理由に挙げること自体全く幼児的である。
こんな宰相に同情など無用である。同時に我々日本人はこんな幼児に夢を託したことを大いに恥じるべきであり、こんな幼児は直ちに議員バッジも外すべきである。所詮せいぜい大企業の朝から晩まで指示待ち平社員の器でしかなかったのである。
現在の日本にはきれいごとを並べる純粋培養の二世三世の議員が跋扈している。そんな人々に限って逆境の中で耐え忍び克服する精神力も体力もないのである。そもそも政治家になる資格はない。純粋培養人間とは泥をかぶらない、逃げ脚が早い、危機管理が最もだめな人種である。せいぜい親の金や権力で丸抱えの甘い生活をしているのが、他人様に迷惑がないだけふさわしい。
こういう坊ちゃんが勇ましい発言をし、世間受けを狙う。事態が悪くなれば逃げ脚だけはダチョウのごとくである。騙されてはならない。言葉が勇ましいことこそ、実は内容が身についておらず、それを守り切る度量も勇気もないのである。言葉の軽々しさ、今後永田町で「職を賭して」「命がけで」「不退転の決意で」「万死に値する」「政治生命を賭けて」などの守ることもできない用語を禁止してもらいたい。
政治とは純粋培養や道徳家が支配する世界ではない、まさにドロドロした権力の渦であり、その調整であるはずで、手練手管に長けた不撓不屈のワルでしか難局に当たることはできないのではないか。少なくとも美辞麗句に酔いしれる二世三世のひ弱な坊やより鈴木宗男や中村喜四郎の方が余程政治家としての資質があることは間違いない。
怒りの一国民より
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