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甦れ美しい日本 第135号

発行日: 2007/9/8

□□■平河総合戦略研究所メルマガ■□□(2007年9月8日 NO.135号)

  ☆☆甦れ美しい日本☆☆

☆・・・・私たちは書きたいから書くのです・・・・
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< 目次 >
◎ゲスト執筆者

1.塚本三郎      小者にされた政治家   
 
◎松島悠佐の軍事のはなし(45)「わが国の核対応能力」

◎福田秀人の「日本の経営を斬る」17:つぶれない会社をつくる(上)

◎レギュラー執筆者 
      
1.佐藤 守     大東亜戦争の真実を求めて 130
2.奥山篤信   野平一郎(のだいら いちろう)という音楽家
3.西山弘道   「分裂国会スタート」

◎阿嶋彩子の料理つれづれに(1)『料理人アラン・デュカスに思うこと』

◎成澤秀麗の書で語る美 最終回 (18)「しあわせ」

◎訂正とお詫び 前号 「昭和写真の1945−1989 第3部 高度成長期」奥山篤信
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塚本三郎      
 小者にされた政治家        
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 米国映画に『ポセイドン・アドベンチャー』という傑作がある。豪華客船が、海底地震による大津波によって転覆し、様々な人間模様が画かれている。船は津波に対しても、正面から向かえば安全に乗り切れるが、横腹から押されるような形になると転覆することがあるらしい。
 日本という豪華客船は、今洋上にいるが、船内は船の幹部たちの吊し上げに大騒動である。問題の発生源はカネの使い途にある。一円でも領収書を取れ!という声もある。ミスがあるなら責任を取って辞任せよという罵声も聞こえる。操船をする者がいないため、船は横向きになりつつある。津波が迫り、嵐が吹き、時に海賊たちが眼を光らせている。
安倍首相の就任以来一年も経っていないのに、五名の大臣が辞任した。そのうち四名は「政治とカネ」についてである。政治家が政治活動を行なう事務所費の問題である。
政治団体の経費支出に(人件費を除く)領収書の添付を義務づける、政治資金規正法の論議で、「公的資金である政党助成金について、キチント書くのは当然である。しかし自分の集めた政治活動費もすべて一円までと云うのは、少し違うのではないか」と自民党の麻生太郎幹事長は言う。
 お葬式のおくやみに持参した御香典に、領収書を求められますかと笑って言う。

清潔が必須条件か

政党代表が、政治家のカネについての討論で奇異に思うことがある。    
特に共産党、公明党の代表者は、立場が全く異なった人達である。議員となる候補者が、自身で支持者を開拓し、支持組織を造り、育て、当選した人は殆んど居ない。党や宗教団体等が中心となって運動してくれる。自分はその組織から任じられた、言わば組織丸抱えの代弁者に過ぎない。
この二党の議員は、何の努力もしていないと言うのではない。そして彼等も、それなりの苦労と勉強と努力の上にこそ、当選の栄を得ているに違いない。
だからと言って、活動資金を自ら調達し、自ら計画し、使っているとは思えない。極端に言えば、組織の中の出先代表であるに過ぎない。ゆえに、自分の意思よりも、背後の支持組織の指導、監督の下におかれる。
組織力に頼る選挙活動、政治活動は、すべての政党に不可欠である。しかし、その力の比重は、前記二党は極端に重い。その人達が、他の政党と同等に活動資金の多寡を論じ、僅かの支出まで明記を迫るのは、いささか手前勝手ではないか。
ならば、その背後の政党や宗教団体や、更に労働組合や業界団体に至るまで、支持団体として、政治活動資金の僅かまでを論じ、調査、報告しなければ平等でなくなる。  
大部分のメディアが対象とした五名の大臣は、一面トップに非難事項を掲示され、国民の、辞めろ辞めろの大合唱となって、今日の始末である。
大臣でなければ、これ程のことならば許されるのか。既に小沢一郎氏の十億円の不動産投資は許されるのか、二十五億円の政党助成金の使途如何。また他国からと疑われる献金を受けている野党議員を見逃し、新聞、テレビは黙して報じない。余りにも偏向した扱いをしている。
論じたいことは、これらの大臣が、その任に堪えないがゆえの辞任ではなく、この人達が就任以前の問題で、メディアの騒動の対象とされ、騒がれ辞任している。
その結果、大臣として大切な適任の人物が消え、逃げているような気さえする。
東京での集会に招かれて訪れた椿山荘は、広大な庭園と共に、豪華な建物と所式及び絵画に、思わず眼を釘付けにしたことを思い出す。華やかな婚礼の式場に利用され、また賓客との集会には、招く人の心遣いに思わず敬意を催した。
同様の思いは、目黒の八芳園も大差ない。変化にとんだ自然の庭園は、夜ともなればその立体的な趣に、この素晴らしい庭園の当初の所有者は誰かと尋ねてみたくなった。前者は、明治の元勲、山県有朋であり、後者は大久保利通と聞く。
それで思い出したのは、かつて「政治とカネ」について、遂に刑事被告人のまま病死した、田中角栄元首相についての評価である。
田中元首相についての功罪は、種々の立場で論じつくされているから、今日論ずるつもりはない。しかし田中氏の功を論ずる数少ない評者小室直樹氏は、「田中氏の『目白の豪邸』と大騒ぎをする、野党の政治家は余りにも小者である。一国の総理大臣が、この程度の邸を造ったからといって一国の政治にとっては、必要であり、当然である」という趣旨と論を述べ、例の明治の元勲の邸に比べて、日本の政治家は「小者」になったものだと論じた言葉が思い浮かんだ。

政治家の資質は

一国の総理大臣として、豪華な生活と振舞が是か、或いは清貧にして質素で庶民の範を垂れ示すのが良いのか。諸外国の例を取り上げて是非を論ずる知識を私は持たない。
しかし、身の処し方を論ずることの多きに比べ、大臣として、また一国の宰相としての行動と資質について、もっと多くを論議するべきではないか。
今日の日本は、国家として、安全保障に対する危機が迫りつつある。
お隣の中国は、不気味極まりない軍事大国として牙を研ぎ、日本を威圧しつつある。
キーティング米太平洋軍司令官が訪中して中国軍、軍事当局者と会談した際、太平洋を東西に分割し、東側を米国が、西側を中国が管理することにしよう。中国側がこんな提案をしたという。それでは、日本などアジアの同盟国との関係が台無しになると米国側は断ったが、米政府の親中派の間では、この提案に前向きに受け止める者もいたらしい。
民主的である韓国もまた反日の気運を高めつつあり、その政権は油断できない。まして民主化したロシアは、プーチン政権によって、共産政権そのままに戻りつつある。
北方領土の返還どころか、サハリン2にみられる如く、民主的に合弁会社を造り、天然ガスの試掘に成功したとき、威圧的に乗り取って恥じない、旧ソ連そのままの政体に戻っている。北朝鮮の問題は申すまでもない。
対外的には、日と共に周囲の環境は厳しくなりつつあるのに、未だ日本の政治は大平の眠りから覚めていない。
もっと心配なのは、日本が唯一の頼りと信頼を寄せて来た米国が、落日の如く威信と自信を失いつつ在ることである。
イラク戦争に勝利して、軍事力の偉大さを全世界に示したのは、ほんの僅かの月日で、今日では、米国の議会の中でさえ、重荷に扱われているのがイラク問題である。
その足下を見透かすかの如く、中国が、イランや虐殺国家スーダンに武器を売り、その金で石油を買うテロ支援国家と堕している。
その中国やロシアにさえ、媚を売る議員が出てきたのが米国の最近の有様である。
中東を中心とする宗教間の対立は、民主主義国家の予想を超える対立と憎しみの争いが続き、民主政治の穏和しさでは歯が立たないことを見せ付けられた。
それに眼を向けることさえしない日本の政治は、あなたまかせになり下がっている。
ブッシュ政権は決して堕落していない。しかしイラクに於ける混乱が、米国自身にとって重荷となっていることは否定出来ない。
この重大局面に立たされても、防衛外交問題を日本の国会は殆んど論じようともせず、単に「戦争に巻き込まれる」とか、「憲法に違反する」という、非現実的論争に終始している。
日本の国家はどこへ進もうとしているのか。日本の政界は今日なお「政治とカネ」による相手の「アラサガシ」に終始している場合ではない。
世界一治安の良い国であった日本社会は、余りにも不道徳な社会に汚されつつある。
戦後日本の平和と繁栄は、日本人の良心を担保にして買い得たとは思いたくない。
教えなければ人間として身に付かないのが人倫の道である。このことは決して古い思想ではない。教育勅語に教え継がれた日本人の魂を軽視し、また否定した結果が、強盗、殺人は日常の事件と化し、親殺し、子殺しまで驚くに値しなくなった。
日本社会が教育の基本を怠った姿の反映とみる。
政治の舞台で、憲法改正や教育基本法を論ずるより、政治とカネの論議の方が勝ったのが参議院選挙であったとすれば、勝者も敗者もない。国家の衰亡のみが残りはしないか。

日本人は覇気を取り戻せ

 福祉は最も大切な政治課題である。まして政治家がカネに卑しくては、国民は信用しない。更に、少子化による人口減では将来が危ぶまれ、老人ばかりが残されてどうするのか。
 このような不信を絵に画いたような、日本の将来の不安を、すべて政府に押し付けて良いのか。この責任は政府だと非難するならば、代案を示してこそ非難をする資格がある。
 こんな日本になってしまったことを、与野党の政治家はなぜ悔いないのか。
最も危険なことは、日本人の大部分が、覇気を失いつつあることではないか。「悪と戦うこと」「反対者と争うこと」そして堂々と対立論争する勇気と意欲の欠如に在ると思う。
 日本の今日の痛恨は、日本人自身の弱体化に在る。すべて言い訳をしながら逃げる。
 日本人の平和観は不法と戦うことを回避し、威圧者に対して逃亡することを卑怯と思わなくなった処に在る。日本社会の内に在る、違法、不法、邪悪に対し、信念をもって闘う心が消え、事なかれ主義に堕している。
 その頂点に在るのが官僚であり、それを厳しく正し得ないのが政治家ではないか。日本社会は、政も官も民も悪者との戦いを忘れ、覇気の抜けた大国の骸と化しつつある。
 日本社会は女性が強くなったと言われるが、男性が去勢された日本と言いたい。
 日本人に必要なことは、若さと、勇気と、希望を抱いて、闘争心を盛り上げることである。それは自分に対しても、他人に対しても、まして他国に対しても。
 過去の日本の歴史は、決して忌まわしいことのみではなかった。日本は、アジア各国の期待の星であり、欧米人と対等に闘うことの出来た、唯一の頼りになる先進国家であった。その期待は、今でも変わらない。このままでは、アジアの仲間は心ならずも、中国の毒に侵されてゆく。                       平成十九年九月上旬
     
塚本三郎;                
愛知県名古屋市に生まれる 
鉄道省名古屋鉄道局に勤務し、県立中学校(夜間)に入学 
終戦とともに労働組合運動に従事 
運輸省に転勤し、中央大学法学部(夜間)に入学 
国鉄を退職し、中央大学法学部卒業 
昭和 33年 挑戦4回目にして初当選し、昭和生まれ初の代議士
(日本社会党所属)となる(以後当選10回) 
昭和 35年 民社党結党に参加 
昭和 49年 民社党書記長に就任(国鉄改革・電電公社民営化に取組む) 
昭和 60年 民社党中央執行委員長に就任 
平成 元年 民社党常任顧問に就任 
平成 9年 「勲一等旭日大綬章」を受章 
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◎松島 悠佐の軍事のはなし(45)「わが国の核対応能力」      
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北朝鮮の核放棄に向けた6カ国協議がまもなく再開されるようです。何時ものことながら多くの国民は望ましい成果を期待していますが、相手が相手ですから思うように進まないのが現実でしょう。

昨年の秋ごろは、北朝鮮の弾道ミサイルの試射や核実験の影響で、わが国に核の被害が及ぶような事態が起きるのか、その場合はどうするのかなどの問題が大きく取り上げられていましたが、1年たつと火が消えたようにメディアの報道もまったくありません。報道はなくても、北朝鮮は核・ミサイルの開発を進めていると思われ、それに対してわが国の核対応はほとんど、いやまったく進んでいないのが現実です。

わが国の放射能汚染対策としては、原発など原子力事業所での事故に備えたものがありますが、汚染の監視システムも防護システムも極めて初歩的なものしかありません。しかも、それでさえいまだ不備なのが実態です。

今年の7月16日に起きた中越沖地震では、柏崎刈羽原発が被害を受け、幸いなことに原子炉の中心部は被害をまぬかれたものの、周辺施設には被害が出て、微量でしたが放射線漏洩もありましたが、それすらも対応が不十分で周辺住民に不安が残りました。

原発には安全の神話があります。「事故は起きない」「安全に設計され、地震の被害も受けない」というものです。従ってわが国では長い間、原子力災害に関する法律もなく防災計画も作られていませんでした。
平成11年9月に茨城県東海村のウラン加工施設で臨界事故が起きてから、ようやく同年12月「原子力災害対策特別措置法」ができて、はじめて原子力災害対策が考えられるようになったのが実状です。

この特措法では、異常な水準の放射線量が検出された場合には、内閣総理大臣が「原子力緊急事態」を公示し「原子力災害対策本部」を設置して、緊急事態応急対策を推進することになっています。

この緊急事態応急対策には次のような項目が含まれています。

・原子力災害に関する情報の伝達、避難の勧告・指示
・放射線量の測定等、原子力災害に関する情報収集
・被災者の救難・救助・保護
・施設設備の点検・整備・応急復旧
・犯罪の予防、交通規制等、地域の社会秩序の確保
・緊急輸送の確保
・食料・医薬品・その他の物資の確保、居住者等の被ばく放射線量の測定、放射線物質による汚染の除去等の応急措置
・原子力災害拡大防止措置

しかしながら、この応急対策を、国や地方公共団体の長が「原子力防災計画」・「原子力防災実施計画」として作ることは義務付けられていません。したがって、ほとんどの自治体では計画を作っていませんので、事故が起きた時の対応はまず不可能でしょう。

一般の災害については防災計画を作ることが義務化されており、すべての自治体が計画を作り、それなりの防災対策を整え訓練もしています。それでもイザ災害が起きると、なかなか対応に手間取るのが実情であり、まして計画もなければ、対応の仕様もないと思われます。

わが国には、核の神話と核のアレルギーがあります。「核廃絶・平和宣言をすれば核の心配はなくなる」、「唯一の核被爆国として、核は考えたくない」というものです。それが影響しているのでしょうか、地震・水害などに対する防災計画は義務付けられているのに、原子力災害の計画は義務付けられていません。

それでも80年代後半ぐらいまでは、民間団体の「市民防衛協会」が核対策の重要性を訴え、核シェルターの導入などを提唱し、スイス・ドイツ・スエーデンなどの状況を調査して啓蒙活動をつづけていましたが、なかなか官は動かず、結局、東西冷戦構造の崩壊とともに立ち消えになってしまいました。

ヨーロッパでの核の脅威は80年代に比較すれば現在は下がっていると思いますが、わが国では逆に上がっています。中国は依然として核と弾道ミサイルの近代化を進めており、北朝鮮もその仲間に入ろうとしています。北朝鮮が核を放棄するのは、残念ながら幻想にしか過ぎないでしょう。

わが国も、神話やアレルギーを排除して、核対処についての認識を少し改める必要があるように思います。まずは原子力災害の防災計画作成を義務化して、放射能汚染に対してどのような対応をしなければならないかを、国も地方公共団体も現実的に考えることから始めるのが、もっとも抵抗の少ない方法だと思います。

原子力災害対処は、もちろん原子力事業所の事故を念頭に置いたものであり、外部からの破壊力、たとえば地震やテロなどを想定したものではありませんが、対応の基本には共通したものがあります。まずは、原子力災害を想定した防災システムをしっかり整備することから始めてはいかがでしょうか。

金正日は、有難いことに時々わが国の安全保障の不備を指摘してくれます。米朝の核協議はまだまだ長引くでしょうし、核対応能力の不備を是正するために、今から取り組めばまだ何とかなる気がします。(07・9・7記)

松島悠佐(まつしま ゆうすけ);
元陸上自衛隊中部方面総監
防衛大学卒業後、自衛隊入隊陸上幕僚監部・防衛部長、第8師団長(熊本)
等の要職を経る。
平成7年阪神大震災時、中部方面総監として活躍。
同年中部方面総監で退官。著書に「阪神大震災・自衛隊かく戦えり」(時事通信社刊)
がある。 現在、危機管理などの講演を精力的に行う。
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◎福田秀人の「日本の経営を斬る」17:つぶれない会社をつくる(上)
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○35歳の時の出会い

今から23年前、35歳の時、ある問題で、日用雑貨、時計、服飾雑貨、家電製品、加工食品・飲料などの一般消費財を現金大量一括仕入で安く仕入れ、安く小売店に販売している卸商社の社長に会いに行った。こういった商社は現金問屋と言われるが、そのなかには、売れ残った在庫商品や資金繰りに窮した会社の換金商品を徹底的に安く買いたたくバッタ屋と呼ばれる会社が数多くある。また、現金問屋はわずかの資金で創業できるため、その数は、多分、数千社に達するはずだった。それによる苛烈な競争と仕入が不安定なことにより、年商100億円を超す会社は10数社だった。ところがその商社は創業して10年にすぎないのに、年商100億円を達成していた(現在は、年商800億、東証1部上場)。

それは驚異的なことであり、ハゲタカのような老獪でどう猛な社長がでてくるのかと思っていた。ところが、現れた社長は37歳と若く、ニコニコと笑みを浮かべ、論旨明快な話を情熱的にした。商売がいかにあるべきかを話し、それについての意見を求め、私の質問にも的確に答えた。ビル内を見学したが、きれいに清掃され、机や棚は整然と配置され、活気にあふれ、すれ違う社員は礼儀正しくあいさつした。その社長と社員のありようはバッタ屋とほど遠いものだった。

その後、その商社の取引先を数社回り意見を聞いた。「あの会社は、値段には厳しいが、きれいな商売をし、いやらしい駆け引きをしない」といった趣旨の回答ばかりだった。それからしばらくして同社のコンサルティングを受注した。また、その1年後にダイナミックな活動に魅せられて入社し、さらにその1年後、経営企画、人事教育、それに、大規模な情報処理システムの構築と運用を含む販売・在庫・物流管理体制の整備と運用を統括する役員にしてもらった。ようは、営業、総務、財務、経理以外のすべてを担当した、その任務実行のための強力な権限と潤沢な資金が与えられた。

ちなみに、社長は「つぶれない会社をつくる」を至上課題としていた。最初にコンサルティングを受注した際には「どうすればもうかるかを考えてもらう必要はない。それについては私の方がはるかによく知っている」と言われ、「うちの会社がつぶれない会社になるためにはどうすればよいかを考えて欲しい」と要求された。そして、入社してからは、それを実行することを強く要求された。

 これが、「会社を発展させるには何をなすべきか」ではなく、「会社つぶさないためには、何をなし、何をなすべきではないか」を追求する私のライフワ−ク、危機管理のスタ−トとなった。しかも、そのスタ−トを強力な権限と潤沢な資金を与えられて切るという幸運に35歳で恵まれたのである。

○同志的結合の追求

商社の最も重要な経営理念は同志的結合だった。「社員が同じ志をもってがんばる同志的結合が失われれば会社はつぶれる」との考えによるものである。それは、社長が同社を創業する前につとめていた商社がつぶれた後、「なぜつぶれたのか」を考え抜き、つきつめれば「同志としての連帯感がなくなったからだ」と思い至ったからである。

ちなみに、経営学にバ−ナ−ド革命と呼ばれる変革をもたらしたニュ−ジャ−ジ−・ベル電話会社の社長チェスタ−・バ−ナ−ドは、『経営者の役割』ダイヤモンド社で、組織が成立するためには、次の3つの条件が必要であり、また、それだけで十分であると説いた。
 
 !)共通の目的→組織の構成員の諸活動を統合する。 
!)協働の意欲→組織目的に貢献する活動を生み出す。 
!)コミュニケ−ション→協働をダイナミックにする。

ようするに「社員たちが会社の目的を理解し、その目的達成のために力を合わせてがんばる意欲をもち、お互いにきちんとコミュニケ−ションをとることが必要だ」ということである。実際、これらの条件がみたされれば社員は指示に従うだけでなく「会社の存続、発展にとって、何が良いことで、何が悪いことか」を考え行動するはずである。また、難しい問題や面倒な仕事にも力を合わせて一生懸命に取り組むだろう。

逆に、こういった条件がみたされなければ膨大なル−ルとマニュアルを作り、個々の社員に細かく指示し、仕事ぶりを厳重に監視しなければならならず、経営はぎくしゃくしたものになる。しかも、社員の完全監視は不可能であり、日常的な業務処理すらトラブルの連続となり、時には不祥事も発生し、会社はつぶれてゆく。同志的結合は、そうならないための3条件を一言で言い表したものだった。

○あらゆることに細心の注意

商社では、あらゆることに細心の注意と配慮が要求された。社員の礼儀や身だしなみやあいさつなどの礼儀にうるさく、オフイスをきちんと整えているのは、外見を気にするからだけではなく、そういったことがずさんになると、仕事もずさんになり、会社をつぶす原因となるとの考えからだった。そして、仕事については次の方針が徹底されていた。

1問題は、その重要性を評価せず、急を要するもの以外は、発生した順に解決してゆけ。さもなければ、小さな問題が後回しにされ、大きな問題となる。
2仕事は小さな仕事を片づけてから大きな仕事に取り組め。さもなければ、小さな仕事がたまって、大きな仕事に集中できない。

「忙しい」を理由に小さな仕事や問題を放置することは絶対に許されなかった。指示の多くも、つぶれない会社をつくるとの観点から発せられた。たとえば、連日、深夜までの残業の連続だったが、ある日残業禁止令が出た。その理由は「こんなに残業ばかりしていると、疲れて思考力がなくなりアホになる。社員がアホになればおしまいで、会社がつぶれる」というものだった。

急成長に追われ人材確保も追いつかないため、社員がこの指示を守るのは不可能だったが早く帰りづらいということはなかった。麻雀や競馬も禁止だった。それは「商売はバクチではない。バクチをすれば商売が安易になる」との考えからだった。もちろん、私生活までは干渉できないし監視もできない。しかし、そういったことを明示するとしないとでは大違いである。社内で仕事中に麻雀や競馬が話題になるようでは、仕事もバクチモ−ドになってしまう。

福田 秀人 (ふくだ ひでと)
76年慶應義塾大学大学院商学研究科博士課程修了(経営学・会計学専攻)。以後、主に、企業の危機管理体制の開発・運用や経営再建支援に従事。また、横浜国立大学、慶應義塾大学、法政大学他の非常勤講師、及び、外務省ロシア知的支援プロジェクト講師、海上自衛隊幹部学校講師等を歴任。立教大学大学院教授(危機管理学)、放送大学客員教授(兼、危機管理学主任講師)。
著書:『見切る! 強いリ−ダ−の決断力』祥伝社06年、『管理職入門』東洋経済新報社9
2年、他多数。
福田永一のペンネームで、『誇り高き男たち:日本の自衛官』エイデル研究所83年、「士気と権威:自衛隊の統率基盤と課題」月刊朝雲84年11月、「対談:私の見た自衛官」防衛アンテナ84年8月などがある。
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◎レギュラー執筆者 
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1.佐藤守
 大東亜戦争の真実を求めて 130
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 西安事件は、張学良の“降伏”によって、蒋介石が解放されたかのように喧伝されたが、実際は中国共産党とモスクワが裏で巧妙に工作していたのであり、水面下で暗躍していたのは周恩来であった。西安事件発生を知った毛沢東は蒋介石を殺害しようとしたのだが、これはスターリンの強力な“介入”によって防がれた。
この間の事情を『マオ』はこう書いている。
「こうして毛沢東は自分の目標(注:蒋介石殺害)をスターリンの思惑と一致させるべく方向転換することになった。中国共産党は蒋介石に対して「『剿共』政策を停止する」よう要求し、また、西安で待機している周恩来との会談に応じるよう要求した。蒋介石が周恩来との会談に応じたとなれば、共産党は国政における一流性党の地位に上がることができる。今日で言えば、どこかの悪名高いテロリスト集団の指導者がアメリカ大統領と会談するようなものである。
 二三日に行われた宋子文、張学良、周恩来による交渉で、宋子文は個人的には周恩来の主張に同意すると述べ、中国共産党の要求を蒋介石に伝えると言った。しかし、蒋介石は周恩来との会談が解放の条件だと聞かされながらも、周恩来との直接交渉を拒んだ。話し合いは膠着状態に陥った」
 この時点では蒋介石は明らかに共産党との合作を拒んでいたと思われる。しかし、部下である張学良が、周恩来と“密会”していたことを知っていたからかどうかは定かではない。
 ところで中国共産党の内部の事情はこの頃どうであったのだろうか?
「周恩来秘録:高文謙著;上村幸治訳=文芸春秋社」には、この当時の周恩来と張学良、そして毛沢東との関係が次のように書かれている。
「一九三五年九月上旬、毛は紅軍第一方面軍を率いて単独で北上、第四方面軍の後尾から離れ、途中の甘粛省の俄界で党政治局拡大会議を開いた。席上張国!)との論争の経過と今後の行動方針について報告した。会議では紅軍第一方面軍とすでに合流していた彭徳懐の第三軍団を中国労農紅軍陜甘支隊に改編し、彭徳懐を司令官に任命、毛自らは政治委員となることを決めた。同時に彭徳懐、林彪、毛沢東、周恩来を『五人団』とし、軍の重要事の処理の責任を取らせることを決めた」
 つまり、中国共産党内部の指導体制は、この5人で運営されていたのであり、そこには表面に出ない熾烈な権力争いがあったのである。特に毛沢東は周恩来を排除しようと画策していた。
 紅軍が陝西省北部に到着したあと、周恩来は軍隊からほぼ排除され、周は党の組織局の責任者に回された。しかし周は毛沢東とあからさまに対決しようとは考えていなかったから、「流れに逆らわず『自分としては軍の仕事をやりたいが、指導者を替える必要はない。毛が主席である』と述べ」、軍事委員会副主席に留任し、正式に毛の補佐役になった。そしてこの時期、抗日戦争について、毛沢東と周恩来の意見は対立する。
 しかし、周恩来は、自ら毛沢東の助手に甘んじながら、着々と、しかも迅速に東北軍対策を行った。
「当時、華北には、満州から逃れてきた張学良率いる東北軍が、また陜西省には楊虎城の西北軍が展開、蒋介石の国民政府の下で共産党討伐を進めていた。周はそのうちの東北軍の張学良と秘密裏に内戦停止の合意を成し遂げたのである。共に連合して抗日に当たるという協議を成功させ、西北において密かに紅軍、東北軍、西北軍が三位一体となって連合するという局面をもたらした(周恩来秘録)」
 周恩来たちによる「秘密裏の合作」であったから、日本側がそれをつかむことは困難であったろう。この3軍合作が、「抗日」を目的になされたことは書かれている通りだが、張学良にとっては確かに蒋介石に対する「兵錬」の要素が含まれていたと思われる。それが当然の成り行きだと中国人たちの間でも思われていたから、西安事件が国民党内部の「兵錬」的要素が噴出したものだと見られても止むを得なかったろう。「周恩来秘録」にはこうある。
「これは長く苦しい旅をして疲れきっていた紅軍に貴重な息抜きの機会を与えただけでなく、一九三六年一二月に蒋介石を監禁して第二次国共合作を生み出した『西安事変』への複線となった。同事件によって、中共は根本的に困難な局面から抜け出すことが出来、事変の最大の受益者となった。中共の後の発展から見るなら、周恩来の功績は欠くことの出来ないものだった。
 しかし、冷静に見るなら、周恩来は毛沢東の指導を受け入れ始めたものの、彼に対してやはり納得しがたいところもあったようだ。心底から承服するといったものではなく、せいぜい『半分ほど心を一つにした』という程度であった。周本人の延安整風での自己批判の言葉を借りるなら『当時の毛の指導にはまだ確信が持てなかった』ということになる。実際、この時になっても、彼の胸中ではまだコミンテルンの権威の方が毛沢東より上だったのである」           (続く)

佐藤守:
防衛大航空工学科卒(第7期生)。
航空自衛隊に入隊
戦闘機パイロット(総飛行時間3800時間).
外務省国連局軍縮室に出向。三沢・松島基地司令、
南西航空混成団司令(沖縄)を歴任.平成9年退官.
岡崎研究所特別研究員.軍事評論家.
日本文化チャンネル「桜」軍事コメンテーター.
著書に「国際軍事関係論」
ブログ;http://d.hatena.ne.jp/satoumamoru/
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2.奥山篤信  
  野平一郎(のだいら いちろう)という音楽家
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去る9月1日軽井沢大賀ホールにて軽井沢国際音楽祭2007として室内楽シリーズの三部からなる演奏会を通しで聴いた。5時からはじめ各セッションが約1時間それでも全部終って9時半近くになっていた。これほど日本や海外の一流奏者が出演するのに、夏休みも終わりなのかホールは閑古鳥これでは演奏者に気の毒といえる。

圧巻は野平がメインである第3部である。
 
野平作曲の「時の三重奏曲」これを漆原啓子のヴァイオリンと横川晴児のクラリネットそれに野平のピアノで演奏する。現代音楽である。メシアンを彷彿させる音楽、三つの楽器がそれぞれ個性を保ちながら見事な調和を謳い上げる。

次は野平のピアノソロであり、ベートーヴェンのピアノソナタ「月光」を奏でる。野平は高度なピアノ弾きとしての熟練度を達成しているが、それとともに野平の心は常に無邪気に演奏を楽しんでいる。丁寧で繊細な指使いがピアノの鍵盤を労るように撫でる。したがってそこから出てくる音質は、極限の柔らかさにあふれた音楽性であり、月の光の下でのロマンチシズムが再現される。実に繊細な演奏である。日本人が日本人として源氏物語の感覚で月を見て「もののあはれ」を感じながらベートヴェンを弾いたと想像してもらいたい。

ここで野平の紹介をしておこう。

1953年生まれで東京芸術大学、同大学院修士課程作曲科修了後、フランス政府給費留学生としてパリ国立高等音楽院で作曲とピアノ伴奏法を学ぶ。作曲を間宮芳生、ベッツィー・ジョラス、セルジュ・ニグの各氏に、ピアノ及び伴奏法を高良芳枝、アンリエット・ピュイグ=ロジェの各女史に師事する。ピアニストとしてフランス国営放送フィルハーモニック、バーゼル放送響、アンサンブル・アンテルコンタンポラン、ロンドン・シンフォニエッタなどにソリストとして出演する一方、内外の名手と数多く共演している。また作曲家としてフランス文化省、IRCAMからの委嘱作品を含む多くの作品が、内外で放送されている。第13回中島健蔵音楽賞(1995)、第44回尾高賞(1996)、文化庁芸術選奨文部大臣新人賞(1996)、第11回京都音楽賞実践部門賞(1996)を受賞。1990年〜2002年東京芸術大学助教授。

野平の作曲家としての本領は軽井沢音楽祭のために作曲したという「軽井沢四重奏曲」の初公開に至って場内は閑散であるが空気が引き締まる。

第一曲目のメンバーに加え、向山佳絵子(むこうやま かえこ)がチェロで加わる。メシアンの「世の終わりのための四重奏曲」(1941)を念頭において書かれたという。豊かな自然の軽井沢の鳥のさえずりや昆虫の鳴き声、そして軽井沢町の類のない瀟洒な洗練性を織り込んだ現代音楽である。全部で五楽章そして時々各楽器のソロを聴かせるのである。ベテラン漆原がリード役のヴァイオリン、端正な身なりで会社員風の背広ネクタイに身を包んだ横川の曲の変化に合わせ肺活量を出し切った素晴らしい熱演、そして圧巻が向山である。この女性日本人離れした風貌と体格そして右の頬の上部の黒子(ほくろ)がなんともいえない愛らしさとオーラを醸し出す。演奏も繊細ななかに重量感を漂わせた見事なチェロの音色である。

こういう現代風の変化に富んだ構成を初公演で弾ける人材は少ないはずである。現代日本の実力派筆頭の向山は他の一流作曲家にも初公演として重宝されているそうである。僕は彼女の重量感と音楽性に圧倒され、俄かファンとなってしまったほどである。

野平という音楽家、風貌は鬚を蓄え、哲学者風の顔つきにも楽天家として音楽を心から楽しむ風があり、その控え目な素直さが、演奏を終わって各演奏者を労うなかに、「僕の作曲の意図と寸分たがわず弾いてくれてありがとう」というかのような率直な仕草がとても印象的であった。


奥山篤信:
京都大学工学部建築学科卒
東京大学経済学部卒
三菱商事本社入社
6年余にわたる米国三菱ニューヨーク本店勤務を経て
平成12年退社 
平河総合戦略研究所代表理事
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3.西山弘道 
 「分裂国会スタート」
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 衆議院は自公与党が圧倒的多数、参議院は野党民主党が第1党に躍り出た「分裂国会」が来週10日から召集される。55年体制以来、93年は政権が非自民側になったものの、衆参の第1党は常に変わらず自民党が占めてきた。この間、自民党は衆議院で通過させた法案を、自動的に参議院に送って成立させたわけで、参議院は衆議院の「カーボンコピー」という言葉が生まれたのもこのためだ。それが、今度の臨時国会から、衆参別々の党が第1党を占めるわけで、まさに国会は未知の領域に突入する。55年体制に代わる「07年体制」という言葉も生まれるわけだ。

 11月10日まで会期62日間の「07年体制国会」で、意気上がる小沢民主党は様々な戦略で自民党を追い詰めようとしている。その最大の武器は、問責決議案だ。法的拘束力はないものの、その可決の政治的効果は大きく、98年には当時の額賀防衛庁長官が可決を受けて初めて辞任した。民主党は当然、今度の国会では、安倍首相始め他の閣僚にも問責決議案を乱発させるだろう。(問責決議案は衆議院の内閣不信任案が内閣全体を対象とするのに対し、首相始め個々の閣僚を対象とする)例えば、安倍首相が問責決議を受けた場合、首相は参議院では全否定されたことになるから、本会議や委員会での答弁はできなくなる。問責決議を解消するには、衆議院で与党が改めて内閣信任決議案を可決させる必要があるが、その手続き、処理の段取りだけでも大変なエネルギーがいる。

 参議院第1党の民主党の次の武器は、国政調査権の発動だ。国政調査は参議院の各委員会が独自に参議院の意思として、政府に要求できる。例えば、厚生労働委員会として、年金記録漏れのその後の厚労省のフォローとか、或いは安全保障委員会として、テロ特措法に基づき、インド洋で海自が行っている給油の石油が実際にどう費消されているのか、防衛省に質すこともできるであろう。何よりも与党が今一番恐れるのは、国勢調査に関する証人喚問の要求だ。小沢氏は奥の手として、創価学会の池田大作名誉会長の証人喚問も考慮しているといわれ、公明党は警戒している。

 民主党は様々な戦術をかんがえているようだが、今度の「分裂国会」の最大の焦点は、テロ対策特措法の延長問題に絞られる。11月1日で期限が切れる特措法に対し、小沢民主党は本当に延長反対を突き進むのか。今や日米同盟の象徴となっている特措法を、重要な国際関係を無視してまで、反対するのか。米国は、延長を頼みにわざわざ足を運んで来たシーファー駐日大使を記者団の眼前で10分間も待たせた上、頼みを断った小沢氏の非礼を許せないでいるという。民主党内には今度、副代表に就任した前原誠司氏のように延長に基本的に賛成する勢力もいる。

 アフガニスタンでの米国を中心とするテロ掃討作戦「不朽の自由作戦」には、米英仏など約20カ国が参加している。01年に成立した特措法に基づき、海上自衛隊の補給艦と護衛艦がインド洋で参加国の海軍艦艇に給油、給水活動を行って、テロ掃討作戦を側面から支援している。これまでに約48万!)!)(約210億円)の燃料を無償で補給したが、現在は主にパキスタン海軍の艦船に補給しているという。パキスタンは作戦参加国では唯一のイスラム国であり、日本の無償補給に感謝しているという。

 もし日本が特措法延長案不成立で、11月から補給作戦から撤退した場合、どうなるか。米国の怒りは勿論だが、日本の無償援助を頼りにしてきたパキスタンを始めとするいくつかの国も撤退を表明するだろう。その時、自由世界の結束をいち早く裏切った日本に対し、湾岸戦争の時と同じように世界から非難の嵐が巻き起こることは目に見えている。その時、国内の政争の論理だけで、国際社会に背を向けた民主党を世界はどう思うか。

西山弘道;
ジャーナリスト。早稲田大学政経学部卒業後、文化放送で30数年、放送記者として
活躍。政治担当として、三角大福中、安竹宮の「永田町戦国史」を取材。
2005年10月、文化放送を退社、以後フリーのジャーナリストとなる。
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◎阿嶋彩子の料理つれづれに(1)『料理人アラン・デュカスに思うこと』
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今から10年位前であったか、都内ホテルでアラン・デュカスを迎えた食事会があり、期待に胸を弾ませ出かけた。当時日本には店を出して居らず、アラン・デュカス自身は自分を売り込む気持ち一杯で、笑顔を振りまき丁寧に招待客に挨拶し応対をしていた。

日本人の心を取り込もうという気持ちからか「とりの醤油味」というのがコースメニューに入っており、味については私の印象ではただの「やきとり」程度のお愛嬌であった。ここまで日本と日本人に対して気を遣っていたのである。それ以外は見た目も美しく 素晴らしい料理の数々を堪能した一時であった。

その後アラン・デュカスがいろいろ書いているのを読んで、私は「今の時代」という事をつくづく感じた次第である。

料理の巨人として成功し、世界に多くの店を持つアラン・デュカスが各々の店に常時居て、自分の手で料理を作る事は言うまでもなく無理な事である。それゆえに、アラン・デュカスは、とても詳細にレシピを作り、加熱時間や味付けまで指示するという。この方法しか、アラン・デュカスが自分の料理を人々に届ける手段がない事は私も良く分かるが、料理というものは、本来は素材あってのモノなのであり、レシピどおりに作れるものではない。言い換えれば生き物である素材に対しての微妙で繊細なサジカゲンこそが料理人の妙味だと私は考えている。これこそが料理人が長い修業を経て、苦労を重ねた技術の上に立つその料理人の美意識ではないだろうか。この出来上がりの最後の瞬間こそが、息をこらして、そっと作品を送り出す時であり、ここに私は料理(作品)の「美」を見るのである。そして食べる側は「美味しいという満足」を得るのである。

アラン・デュカスを譬えに挙げたにすぎないが、グローバル化の下、世界の距離感覚が近くなっている昨今、極端な言い方をすると、例えばレシピをパソコンで送り、その通りに作ることは可能でも、これでは食べる側の人の心に伝わる部分が抜けてしまう感がする。

便利さと知名度による「チェーン」店の増設、利益や効率主義など、このような時代の趨勢を理解しないではないが、やはり品質価格とも最高級の料理を創る料理人には時代の波に呑まれず、大切な忘れ物をしないよう、原点に返り今一度考え直し、守るべきことを自覚して欲しいものである。

世界的に認められている料理人は、それぞれの出身地の文化の担い手であり、そして彼らは世界のグルメにとっての「宝」であるとの自負と自覚が必要である。「美味しい満足」を求めている食べる側が満足して 初めて料理は完成したと言えるのである。料理は「心」であると切に思う。

2004年12月にシャネル銀座の最上階に、アラン・デュカスとシャネル・グループのコラボレーションによってフランス料理レストラン「ベージュ 東京」が誕生した。コンセプトは「シャネルのエスプリが刻まれたレストラン」と言われている。そういえばデザートのお菓子にシャネルのロゴが刻まれて、成程これが料理界とファッション界の二大ブランドのコラボレーションかと感心した思い出がある。それも時代が作り出す遊び心なのかもしれない。
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◎成澤秀麗の書で語る美  最終回(18)「しあわせ」------------------------------------

「しあわせ」 http://www.narisawashurei.com/jp/essay/iyasi_05.html (クリックしてください)

  「目の見えなかった人が、この世界を見れるようになったら、どれほど幸せだろう」
  この考えに反対する人はいないでしょう。あなたはどうですか?

見えない人が見れるようになる。こんな夢のような話が、医療技術が発達した今、現実になったそうです。そして幸せな気持ちで、かつては想像するしかなかった世界を目に焼き付けたのでしょう!
・・・本当にそうでしょうか? いいえ、幸せになるどころか鬱病になってしまうケースがあるというのです。

この話を聞いて、あの時のことを思い出しました。青山学院に通っていた頃、同じクラスに全盲の友人がいたのですが、ある日のこと、キャンパスから表参道の駅まで歩いていたら、前方に彼も同じ方向に向かっているのが見えました。駅まで腕を支えて一緒に行こうと後ろから声をかけようと思った瞬間、「あっ、成澤さんも帰るところですか?」と振り向いたのです。
この時の驚きと感動といったらありませんでした。彼は目が見えない分、それを補うように他の感覚がとても鋭い(あるいは、よほど特異な足音だったか)。人間って、その時持っている能力を最大限発揮できるように体が機能するのですね。

 わたしたちは、不満を抱えて嫌な気持ちになったとき「ストレスが溜まった。」と言います。みんながそうとは限りませんが、海と山に囲まれて暮らしている人よりは、ビルと書類に囲まれた人が言いそうなセリフ。
情報がキャパシティを溢れてしまい、処理しきれなくなったときにストレスが「溜まる」のです。
目の見えない人が見えるようになることによってストレスが溜まり鬱に陥る・・・、そうすると、視覚はその人にとって処理しきれない=必要のない情報なのでしょう。

ありとあらゆるモノや情報に囲まれていると、気がつかないうちに不要なものも取り込んでストレスになっていることって、非常に多いですよね。毎日毎日、どれが自分にふさわしいか?と迷って選び取るだけでも大変です。
いっそのこと、足ることを知ってみることが先決です。「足りない、足りない」と探し求めるのではなく、今どれだけ恵まれた環境にあり、どれだけ恵まれた情報とモノがあるのか、本当はなくても済むものはないか、静かに目をつむって思い返してみると満たされた気持ちになれます。

成澤秀麗 :
山形県出身 書道家、墨絵作家、産業カウンセラー
東北学院大学経済学部経済学科卒
青山学院大学文学部教育学科卒
7年のOL生活と両立しながら書道師範を取得
東京書作展にて内閣総理大臣賞を受賞後、2002年に独立
著書『文字が変われば、ココロも変わる。』(学研)など。
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◎訂正とお詫び 前号 「昭和写真の1945−1989 第3部 高度成長期」奥山篤信
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「細江英公の助手として三島の薔薇刑を撮った森山大道」の箇所を「三島の薔薇刑を撮った細江英公の助手を務めた森山大道」と訂正いたします。「薔薇刑」は細江英公が撮った作品であり当時森山は細江の下で助手として働いたということです。
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次回の配信は9月15日(土)を予定しております。どうぞお楽しみに!
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