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甦れ美しい日本 第125号

発行日: 2007/6/30

□□■平河総合戦略研究所メルマガ■□□(2007年6月30日 NO.125号)

  ☆☆甦れ美しい日本☆☆

☆・・・・私たちは書きたいから書くのです・・・・
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< 目次 >

◎ゲスト執筆者

1. 塚本三郎   教えなければ知るよしもない 
2. 松島悠佐  軍事のはなし(38)「クラスター爆弾の規制」 

◎福田秀人の「日本の経営を斬る」7:戦力の強化を軽視する危険な経営戦略論

◎ビジネス情報月刊誌「エルネオス」舛添要一の「賢者に備えあり」改革に欠かせない社保庁解体法

◎レギュラー執筆者 
      
1.佐藤 守     大東亜戦争の真実を求めて   120      
2.奥山篤信   言挙げせよ日本外交−松岡洋右待望論 -2-
3.西山弘道  「宮沢元首相死去」

◎成澤秀麗の書で語る美(7) 「勇」

◎三島由紀夫『薔薇と海賊』上演にあたって〜夢に溺れて  久保亜津子
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1. 塚本三郎 
  教えなければ知るよしもない               
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 子供の行動に対する非難の多い時代となった。しかし、「こんな子供に誰がした」と、子供からは逆に抗弁したいであろう。人間としての道理も、世間のことも知らないまま育った子供達は、礼儀作法も、思いやりも教えられず、感情のままの行ないが、イジメとなって自殺者まで次々と出している。それらの責任の大半を、学校と教職員に押し付けている親達。もちろん、学校は知育のみではなく、徳育も教育の仕事である。
 しかし、三つ子の魂百までと言われる如く、知育以上に、徳育と呼ぶ躾の責任のすべては、生まれた時から家庭に在る。その子にとって、命を養う場は家庭である。
その家庭が、子を育てる舞台としては、余りにも不完全で、家庭崩壊が、学校と社会の混乱の元凶となっている、と言えば言い過ぎだろうか。
テレビに映る「漫才さんのお笑い」は、かつては智恵が吹き出すような笑いが多かった。最近は種が尽きたのか、ドタバタ騒ぎが多い。まして、各チャンネルに映るコマーシャルが気になる。若い女の子が、行儀悪いポーズで素肌をみせる。家庭の主役はテレビか。
テレビを見る子供に、どんな影響を与えるかを親は心配しないのか。
祖父、祖母と同居している若夫婦は、世間の常識や近所付き合いが比較的スムーズだ。老夫婦の行なっている姿を見て成長するからであろう。或いは老夫婦の手前、そうせざるを得ないから、行動の手本が眼前にあるからか。親の背をみて子は育つ。
孫を持つ私共の年代は、孫が可愛くて仕方がない。その愛情の自然の流れの中で、日常生活に対する躾を、子や孫達に口にするから、古い日本的礼節が生活の中で育ってきた。
それにしても老夫婦の家に、若者が同居生活することの幸運を、幸運と味わうことが出来ない今の若者。その幸運を嫌い避けて、わざわざ核家族を求める人達が多い。
 戦後教育の中で育った若い夫婦は、子供の教育の仕方を知らない。否、夫婦共働きが多く、若夫婦は、子供と一緒に生活する時間さえ案外少ない。その上、
 核家族が普通の時代となった。共働きをして、自らの生活の城を築くことに懸命である。子供の教育の為には、塾通いも必須とされ、親は教育者としての自覚をあきらめて、子供達のすべては、経済的負担のみ。人間らしく教えられ鍛えられなければ、人間らしく育たない。この鉄則が失われている。
 核家族を非難するつもりは毛頭ない。まして、老夫婦を交えた三家族同居をすすめることの無理も承知している。
 もちろん、老夫婦もかつては若夫婦の時代があった。その人達が、やがて老境に至って、漸く、夢中で生きて来た時代を静かに振り返って、長所、短所を、より分けている世代となった。老夫婦は、自分達の若い時代に出来なかったことを、生活にゆとりが出来た今、夢として子供夫婦や孫に礼儀作法を教えているようにみえる。 
 老、若の分別を論ずるのではない。子供に対する思いやり、「子供本意に可愛がらなければまともには育たない」。これは大自然の中に生まれ、生きるものの宿命である。若夫婦は、自分の為に働くことは大切だが、自分達を犠牲にしてでも、わが子を真に可愛がることが、どんなに大切かを知って欲しい。

塚本三郎;                
愛知県名古屋市に生まれる 
鉄道省名古屋鉄道局に勤務し、県立中学校(夜間)に入学 
終戦とともに労働組合運動に従事 
運輸省に転勤し、中央大学法学部(夜間)に入学 
国鉄を退職し、中央大学法学部卒業 
昭和 33年 挑戦4回目にして初当選し、昭和生まれ初の代議士
(日本社会党所属)となる(以後当選10回) 
昭和 35年 民社党結党に参加 
昭和 49年 民社党書記長に就任(国鉄改革・電電公社民営化に取組む) 
昭和 60年 民社党中央執行委員長に就任 
平成 元年 民社党常任顧問に就任 
平成 9年 「勲一等旭日大綬章」を受章 
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2. 松島悠佐 
  軍事のはなし(38)「クラスター爆弾の規制」               
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6月19日からジュネーブで特定通常兵器使用禁止制限条約(CCW)の政府専門家会議が行われ、クラスター爆弾の規制について話し合われました。
クラスター爆弾とは、発射された弾薬が着弾直前に空中で分解し、沢山の子弾を散布し、広地域を一挙に制圧するために使用している特殊な弾薬です。わが国も、航空自衛隊の対地攻撃用爆弾や陸上自衛隊の155mm榴弾砲、多連装ロケットなどの弾薬に使用しています。
特にわが国のように海岸線が長く、防御正面が広い地理的な特性を考慮すれば、少ない弾薬で敵の侵攻を効果的に阻止するためには、非常に有効なものとして防衛計画に組み込まれています。
ただクラスター爆弾は、広域に散布された子弾の10%前後の不発弾も出るため、これによって紛争後も市民に被害を与える問題が発生し、アフガニスタンやレバノンでは、今も市民の死傷事故が絶えません。このような深刻な人道問題から端を発して、クラスター爆弾の使用や取引を規制する国際的な活動が強まっています。
わが国としては、クラスター爆弾は防衛のために必要なものであり、しかもわが国の場合には、自国の領域で使用するだけで、外国で使用することはないことから、即時撤廃・全面禁止という提案(07年2月・オスロ宣言)には反対していますが、不発率の高いものや密集地での使用など条件をつけて使用禁止に応じ、国際的な規制の動きに対応してゆく姿勢で会議に臨んでいます。
このCCWの規制については、丁度10年前に調印された「対人地雷禁止条約」を思い出します。当時、カンボジア・ラオス・ボスニア・アンゴラなどの内戦で、対人地雷が反政府ゲリラ組織によって無秩序に使用され、それが放置された結果、毎日2000人を超す一般市民の犠牲者が出ていました。
このため、CCWを改定し、地雷の使用を大幅に規制する議定書が採択され、またそれとは別に、即時全面禁止を訴えるNGOの反地雷キャンペーンが高まり、「対人地雷禁止条約」が成立しました。
しかしながら、地雷拡散の中心になっている中国・ロシアは賛同せず、アメリカも朝鮮半島38度線で、まだ地雷帯を構成していることもあり、輸出の規制はしたものの、全面廃棄には応じていません。
結局、地雷を生産輸出している大国は賛同しない中で、わが国だけが、当時の小渕外務大臣の政治的な判断から、人道上の配慮を優先させて、率先忠実に条約を履行し、自衛隊の保有する対人地雷すべてを、多大の経費を使用して解体・爆破処理してしまいました。
わが国の対人地雷は、わが領土内で自国防衛に使用するためのものであり、外国へ輸出したこともありません。しかも、広域なわが国の防衛を少ない人員で効率的に行うためには、非常に有用な手段であったにも拘らず、即時全面廃棄という理想追求のムードに押されて実行に移してしまいました。
あれから10年経って今カンボジア・ラオス・アフガニスタンなどの地雷や不発弾の処理のため、自衛隊OBで組織する「日本地雷処理を支援する会」を始め、有志国のNGO組織が少しずつ処理しているのが現状で、数百万個の放置地雷の原因を作った中国やロシアは相変わらず輸出の規制もしていませんし、わが国周辺を眺めても、中国も朝鮮半島も地雷を廃棄した国などありません。対人地雷を持っていないのは日本だけになっています。わが国の安全保障の視点からは、適切とは言いがたい政策だったことは否めない事実です。
今回のクラスター爆弾の規制にも、中国・ロシア・アメリカは消極的であり、条約が出来ても、対人地雷と同様に実効性がないものになることが懸念されます。わが国は目下のところ、人道面と安全保障面のバランスをとりながら、日本としての受け入れ可能な規制を目指すことを基本方針として、関係国際会議に積極的に参加する姿勢をとっています。しかしながら、中国・ロシア・アメリカなどの主要な生産国・保有国の合意を得るのも難しく、今年の末から来年にかけて開催が予定されているCCW国際会議における駆け引きが重要になってきます。
最終的には、国際約束を実効性のあるものにすることが重要であり、対人地雷の時のように、人道キャンペーンのムードに乗せられて、安全保障上の損失だけを被ることは避けてもらいたいものです。(07・6・29記)

松島悠佐(まつしま ゆうすけ);
元陸上自衛隊中部方面総監
防衛大学卒業後、自衛隊入隊陸上幕僚監部・防衛部長、第8師団長(熊本)
等の要職を経る。
平成7年阪神大震災時、中部方面総監として活躍。
同年中部方面総監で退官。著書に「阪神大震災・自衛隊かく戦えり」(時事通信社刊)
がある。 現在、危機管理などの講演を精力的に行う。
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◎福田秀人の「日本の経営を斬る」 7:戦力の強化を軽視する危険な経営戦略論
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○戦略とは何か

軍事でも、ビジネスでも、さらには恋愛でも、がむしゃらに立ち向かうだけでは、克服できない障害が数多く存在する。そこに、いかにすれば障害を克服することができるかという、戦いの策略、すなわち「戦略」を考え、実行する必要がある。すなわち、「意思(目的)+障害(問題)→戦い→戦略(戦いの策略)」となる。

そこで、私は、戦略を次のように定義している。「実現したい意思を明確にし、その実現を妨げる障害を想定し、それを克服するための課題と対策をまとめたもの」。ようするに、実現したい意思、ひいては目的があり、その実現を妨げる障害があり、それでもあきらめないところに戦いが生まれ、戦略が生まれる。

頭の中でいかに戦うかを考え、まとめるのも立派な戦略である。ただし、想定される障
害がきついほど、多いほど、戦略は高度で長期的なものとなり、紙やコンピュ−タが必要となる。一方、戦っていても、思いつくままに、新しい商品や事業に手をつけるとか、経営の特効薬のように説かれる制度や方法を導入する会社は、戦略なき「場当たり経営」におちいっているのである。(注:ここでの戦略の定義は、動員部隊の規模により戦略を定義する軍事と異なるものである)。

○戦略の本質

1870年、世界最強とされていたフランス軍と戦って勝利し、ドイツ統一を成し遂げたプロイセンの参謀総長モルトケは、「戦略とは状況を救済する術なり」と戦略の本質を説いた。ここでの状況とは、存続が困難な状況とか、意に添わない不本意な状況ということである。それを、どう打開するかという策略が、戦略ということである。そして、私は、モルトケの言を参考に、経営戦略の本質と目的を次のように定義している。
経営戦略の本質:会社を存続発展させるのが難しい状況を打開し、会社を存続、発展させるための戦いの策略。
経営戦略の目的:会社の将来にわたる存続発展。

これは、戦略を、「環境への適応」を追求するものと説く経営戦略論者と異なる考えである。環境には、目的達成の障害となる「不利な要素」と、目的達成に貢献する「有利な要素」がある。そして、目的達成のため、いかにして、有利な要素を活用し、不利な要素を克服するかを考えるのが、戦略というものであろう。

何よりも、適応という言葉のイメ−ジは、あまりにものどかで、受動的で、食うか食われるかという、顧客の争奪戦を繰り広げているビジネスの世界になじまないものである。そこからは、自らよりも強力なライバルとの戦いをいかに避けるかという発想が優先し、それらといかに戦うかという発想は生まれないであろう。

実際、適応を強調する戦略論は、ライバルが存在しないか、存在しても相対的に弱体なライバルしか存在しないマーケットの開発や攻略を推奨し、数十、数百のライバルが存在するマーケットで戦いを強いられている多くの会社の参考にはならないであろう。

○優勝劣敗の原理

戦いを支配する原理は、「優勝劣敗」である。これについては異論もあるが、戦いを勝ち抜くには、人材、資金、技術、そして、それらを効果的に生かすための組織力などの、戦力の強化が重要な戦略課題となる。もちろん、戦力を強化しても、使い方がまずければだめである。しかも、戦力の強化には、手間と時間がかかり、今を戦っている会社にとっては、今の戦力でいかに戦うかが最優先である。

しかし、戦力の強化を怠れば、不安定で、危うい経営を強いられ、さしたる成果をあげることもできない。戦力が弱体であれば、できることは限られ、ひとつの失敗が致命傷となりかねず、活動は、どうしても消極的になる。もしくは、一か八かの賭けのような、危険な戦いしかできない。その場合、一時的に成果をあげることができても、持続できず、無理がたたって、破綻を招く危険が高くなる。

また、戦力の強化努力を怠れば、戦力はどんどん低下し、これまでできたこともできないようになり、ミスやトラブルが増え、顧客や取引先から見放されてゆく。しかも、人材の育成や技術力の強化などの戦力の強化を怠ったがゆえに発生するミスやトラブルは、その防止のための規則やマニュアルをいくら作り、罰則を厳しくしょうとも防止できない。

戦力の強化策を欠いた戦略は、危険なものとなるのである。戦力が強化されるにつれ、できることも多くなり、チャレンジャブルな活動も可能になる。また、失敗しても、ばん回できる。子供にも分かる当たり前のことだと思うが、人材の育成などを副次的な課題としたハーバード大学のポーターの『競争戦略論』1980年をはじめ、アメリカの経営戦略論は、戦力の強化策を軽視し、もっぱら戦力の運用策を論じている。ポ−タ−は、「日本の会社には戦略がない」と論じ、また、それをもって日本の会社経営を批判する日本の論者と、うなずくトップやスタッフもいるが、それは、浅薄にすぎる考えと思う。

福田 秀人 (ふくだ ひでと)
76年慶應義塾大学大学院商学研究科博士課程修了(経営学・会計学専攻)。以後、主に、企業の危機管理体制の開発・運用や経営再建支援に従事。また、横浜国立大学、慶應義塾大学、法政大学他の非常勤講師、及び、外務省ロシア知的支援プロジェクト講師、海上自衛隊幹部学校講師等を歴任。立教大学大学院教授(危機管理学)、放送大学客員教授(兼、危機管理学主任講師)。
著書:『見切る! 強いリ−ダ−の決断力』祥伝社06年、『管理職入門』東洋経済新報社9
2年、他多数。
福田永一のペンネームで、『誇り高き男たち:日本の自衛官』エイデル研究所83年、「士気と権威:自衛隊の統率基盤と課題」月刊朝雲84年11月、「対談:私の見た自衛官」防衛アンテナ84年8月などがある。
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◎ビジネス情報月刊誌「エルネオス」舛添要一の「賢者に備えあり」改革に欠かせない社保庁解体法
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 五千万件の「消えた年金」があるとして、大問題となり、安倍内閣の支持率も急落した。これでは参議院選挙は戦えないと、自民党は苦慮している。今回の問題の経緯については、報道などで国民周知のことであるので省略するが、私が党の年金問題調査チームのメンバーとして社会保険庁の業務センターを視察したときの感想は述べておこう。
 まず目につくのは、その非効率性である。親方日の丸、情報隠蔽、職務怠慢と、かつてのソ連邦を訪ねたときのような印象である。トップの歴代長官は現場を見たこともなく、高給をむさぼり、一〜三年の在職後、巨額の退職金を手にして、次の天下り先に渡っていく。この渡り鳥たちが、第一の戦犯である。
 コンピューターのシステムは旧式(レガシーシステム)であり、例えば一千四百三十万件のマイクロフィルム化された旧台帳の記録はオンライン化されつつあるのに、その件数が検索できない。手書きの台帳をやめてコンピューターを導入しようとしたとき、首切りにつながるとして反対したのが労働組合である。これが第二の戦犯である。
 この組合は、かつては自治労国費評議会と呼ばれていたが、歴代長官と「覚え書き」を取り交わし、仕事をさぼるために驚くべき労働条件を定めてきた。このような覚え書きが廃棄されたのは、わずか五年前である。
「フライデー」(二〇〇七年六月二十九日号)に掲載された「国費評九州地連三役会議」の二〇〇一年十二月一日の文書によれば、「我々はどうか。電話照会を受けながら、タバコを吸いながらの入力。疲れたらコーヒーを飲んで一服。年休はどんどん取ったり、時間内組合活動、職場集会をやったり、病休者がいたり、パソコンひとつも一人で満足に扱えず、雑談したり色々。昼休みも電話がかかってきたり、来訪者がきても休憩している」そうである。
 そして、このようなふざけた労働状態について、「一生懸命たたかってきたから今の労働条件があり、我々の財産である」と誇らしげに述べているのを見ると、まさに噴飯ものである。この労働組合は、約一万七千人の社保庁職員の七割を組織化しているという。
 もちろん個々の職員で、まじめに勤務している者もいよう。しかし、この役所は組織として腐敗しきっており、まさに旧国鉄と同じである。国民の不便も顧みず、動労や国労がストを行い、サービス業としての自覚すらなかった国鉄は、分割民営化によってまともな組織になった。社保庁もまた、同様な解体分割が不可欠である。
 この腐敗した組織は、三年前、年金未納問題をでっち上げることによって組織の温存に成功した。女優、タレント、国会議員などの年金情報をリークし、未納問題に火をつけたのである。この問題は、年金制度改革の本質的な問題ではないにもかかわらず、マスコミがとびついたために大問題となり、その結果、社保庁は解体を免れたのである。枝葉末節を針小棒大に取り上げるメディアにも問題があるが、まんまと社保庁の陰謀にひっかかったといえよう。
 今回の騒ぎもまた、二匹目のどじょうを狙った社保庁の情報リーク戦略が背景にある。この騒ぎで社保庁解体法案が成立しなければ、また陰謀が成功することになる。それだけは絶対に許してならないが、この陰謀に加担しているのが「朝日新聞」である。六月十六日の社説は、「社保庁法案、どさくさで押し通すな」と主張している。つまり、解体反対というわけである。社保庁が最も喜ぶような社説である。三年前の年金未納は、じつは社保庁の記録ミスであったのかもしれない。伏魔殿の組織を温存しようとする社保庁を「朝日新聞」が支援しようとも、良識ある国民は事の本質を認識しはじめている。
(参議院自民党政策審議会長)
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◎レギュラー執筆者 
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1.佐藤守
 大東亜戦争の真実を求めて   120      佐藤守
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 ところで、蒋経国をモスクワに連れ出した邵力子とは如何なる人物だったのであろうか?彼は孫文がソ連の支援を求めて門戸解放した時に、モスクワが国民党内部に潜入させたスパイだったという。
 一九二七年に蒋介石が共産党と手を切ったとき、潜入していたスパイの多くは国民党内で身を隠した。その間も、モスクワに情報を流し続けただけではなく、国民党内で高い地位に上り詰め、一時毛沢東がそうであったように、政策決定に大きな影響を及ぼすほどであった。国民党政府は、当時から共産党に「乗っ取られて」いたのである。こう見てくると、盧溝橋事件はおきるべくして起きた、モスクワの指示に基づく局地紛争なのであった。
「マオ」によれば、「彼らの多くは、今日なお正体を明かしてはいない」という。邵力子もその一人で、創立時から共産党のメンバーだったが、モスクワの司令によって「共産党活動から距離を置いていた」から、その正体を知る者は極めて少なかったという。国民党内に留まっていた彼は、重要ポストを歴任するが、1949年に毛沢東が勝利して大陸統一を果たしたあと、毛沢東側に移って「一九六七年に北京で死去」したといわれているが、今でもその正体は明かされることはなく「長期冬眠スパイではなく、誠実な共産党シンパということになっている」そうである。
 モスクワに息子を「人質」にとられていた蒋介石は、息子の身を案じ続けたらしいが、それは「一九三一年十二月に、邵力子の息子がローマで射殺体となって見つかり」それは邵が経国の連れとして同時にモスクワに連れ出していたからで、邵の息子はその後中国への帰国を許されたが、経国は許されなかった。
「イタリアのマスコミはこの事件を恋愛関係がもつれた末の悲劇として扱い、『恋人を傷つけた中国人の悲劇的結末』」と報じたというが、邵とその一族は、国民党と共産党が揃って事件のもみ消しに走ったのを見て、犯人は国民党スパイに違いないと確信した。とすれば、蒋介石の許可なしに実行できることではない——息子には息子を、という蒋介石の私的なあだ討ち」であったと「マオ」は書いているが、なんとも日本人には理解できない凄まじさである。
 こんな状況を、我が国の情報機関などがつぶさに掌握していたならば、盧溝橋事件勃発に際しても、国民党内の共産分子の仕業であることが明白になり、その後の対応も間違えなかったであろうに、と悔やまれる。
 さて、「毛沢東の子息たちをソ連まで送り届けてほしい」という一石二鳥を狙ったモスクワの提案を張学良は喜んで受け入れた。
 狡猾なモスクワは、毛沢東の息子たちを人質にし、旅費全般を張学良に負担させ、おまけに蒋介石の目が光っている中国国内での取引を本気で実施しようとしていると張学良に思い込ませたのである。こうして張学良の特使と毛沢東の息子二人は、6月26日に中国からマルセイユに向けて出発した。
 この頃、モスクワは毛沢東に対して、蒋介石との間で「統一戦線」を作るよう命令している。蒋介石側が歩み寄りの姿勢を示していることを知ってはいたが、「モスクワも毛沢東もこの方針を張学良には伝えず、張学良にとって最大の関心事——蒋介石に取って代わること——について誤解を与え続けたままにしておいた。
 そして「七月下旬に張学良がソ連大使ポゴモロフに対して、『自分と〔中国共産党〕との連盟は倒蒋抗日が目的であり、ソ連もこれを支援してくれる』ものと『希望』する、と述べたとき、大使はモスクワの支援を望む張学良の思い込みを煽り続けた」のである。こうして張学良はまんまとスターリンの罠にはめられたのである。
 一方で、後方の「安全」を確保するためにスターリンは何としてでも日本軍を中国との戦いに引き込まなければならない。満州の日本軍が、矛先を変えて中国に侵入してくれれば、スターリンとしては「後顧の憂いなく」欧州戦線に没入できる。
「マオ」を引用する。
「一九三六年九月初旬、スターリンは大量の武器類を外モンゴル経由で中国共産党に送る計画を了承した。毛沢東からの要請は、『毎月三〇〇万ドルの援助」のほか、「航空機、銃砲、砲弾、歩兵用ライフル、対空機関砲、舟橋用台船」及び航空機と銃砲類を操作するのに必要なソ連兵を送って欲しい、というものだった。一〇月一八日、コミンテルンから毛沢東に対して、『物資は貴君が〔十一月〕二日付電報で要請された内容を満たすには至らない・・・・・・航空機と重砲は用意できない・・・・・・』という連絡があった。それでも、貨物輸送を扱う〔外国の会社〕(GRUのダミー)が車両一五〇台を運転手とガソリン付きで用意し、毎回五五〇ないし六〇〇トンの貨物を積んで・・・・・・二往復できる』ことになった。運び込まれたライフルの数は、内戦が勃発したばかりのスペインにソ連が送ったライフルとほぼ同数だった」
 この頃、つまり1936年1月には「日独防共協定」が締結され、1940年9月に「日独伊3国軍事同盟」が、1941年4月には「日ソ中立条約」が締結されているのだが、恐るべきソ連の野望について、当時の我が国政府首脳はどのくらい承知していたのか気になるところである。             (続く)
                
佐藤守:
防衛大航空工学科卒(第7期生)。
航空自衛隊に入隊
戦闘機パイロット(総飛行時間3800時間).
外務省国連局軍縮室に出向。三沢・松島基地司令、
南西航空混成団司令(沖縄)を歴任.平成9年退官.
岡崎研究所特別研究員.軍事評論家.
日本文化チャンネル「桜」軍事コメンテーター.
著書に「国際軍事関係論」
ブログ;http://d.hatena.ne.jp/satoumamoru/
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2.奥山篤信  
 言挙げせよ日本外交−松岡洋右待望論 -2-
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米国遊学時代

松岡が戦後記者に語ったアメリカとは何かについての質問で、松岡が引き合いにだした話で、松岡の外交を象徴する話がある。たとえば畦道に一人しか通れない細い道があるとする。ここでアメリカ人と日本人がすれ違うとする。はじめはどちらが譲るか睨み合いとなるのだが、アメリカ人はしびれを切らして殴りかかろうとする。そんな時日本人は、さらりと道を譲るとする。そうした途端アメリカ人は今後同じような事態において、日本人を軽く見て、我が物顔でさっさと先に道を行くであろう。もしここで日本人が殴り返さんばかりの勢いで対処し、取っ組み合いの喧嘩になったとしても、そうすることによってアメリカ人はその後決して日本人を舐めないであろうし、逆に本当の友人となれるというのである。

戦後あらゆる論者が、これこそが松岡の外交の失敗を物語る典型であり、何も道を譲ったところで、それは徳であって何もこだわる必要がないと。筆者はそうは思わない。まさに現在日本の外交が対米、対中、対朝鮮半島、対ロシア、すべて言われるままに、日本が“殴り返さない”ために、これらの国の嘲りの対象となってしまっているのではないか?

当時、登り龍の日本が黄色人種として、白人支配社会において不当な差別と嫉妬を受けているだけに余計に、松岡のごとく喩え道をどちらが譲るかといった程度の小事であろうと国家のプライドに関することは、一切卑屈に妥協してはならないのだ。松岡誹謗がかかる話にかなり重きを置いていることに、筆者は驚きの念を禁じえない。少なくとも戦前の日本はこうではなかった。松岡が最も私淑する小村寿太郎のポーツマス会議での妥協は、この話しでの喩えとなるような、決して譲るというものではなかった。小村には当時の世界情勢を見たうえでの確固たる苦汁の判断があったのだ。今日の日本の外交はまさに相手の顔色を伺い、その場しのぎの曖昧模糊で、結局これが傷をどんどん深くしている事を思えば、松岡の喩え話こそ、諸国民の公正と信義を信頼する戦後性善説に終止符を与える良い訓話と考える。

松岡のかかる人生訓は小学校を卒業の後オレゴンはスクールボイとして、滞在した塗炭の苦労によるものだ。アメリカには歴史的にピューリタニズムという勤勉でしかも神に対する敬虔な個人と猛烈なフロンティアスピリットがあった。これが全く文化も宗教も全く異なる松岡の心に共感するところがあり、第二の故郷として、こよなくアメリカを愛したのだ。自分が受けた人種差別のルサンチマンが、松岡をして反米にならせたというのは当たっていない。アメリカで皿洗い、掃除夫、土方などあらゆる底辺の苦労を、オレゴンが暑ければさらに暑い仕事場を求め、金をため大学に進み、昼は労働、夜は一心不乱で勉学に打ち込んだ松岡はまさにアメリカ立志伝中の人であり、かかる苦労があればなおさらアメリカへの愛が深まったのだと想像がつく。はるかヨーロッパやアジアからの移民の成功者が人種差別の中で苦しんでも、それを体制内で是正しようとすることがあっても、アメリカ人としてアメリカへの忠誠心は変わらない。

松岡のアメリカ像には実は同様なものがあるのだ。松岡が国際聯盟脱退のあと、日本の反対を振り切りアメリカ周りで帰国する。目的はアメリカでのパブリックリレーション(後述)であるが、途中オレゴンで世話になった故ベバリッジ夫人の墓参りに行く。(同夫人は夫の事業失敗の後貧困にあえぎ墓といえるものはなく、松岡が建てた。)芝居じみているという悪意に満ちた論評もあるが、一体何の芝居が必要であろうか?純粋な松岡のアメリカの母への迸る愛情である。“母と並んでわたしの精神と人格を形成してくれた一人の女性への変わらぬ感謝のしるしとして(1933.4.9)”の墓碑銘文がある。当時松岡が献碑献している感慨にふけるようないくら硬い表情で、泣き出さんばかりの哀愁を漂わせている写真の載った新聞記事があるらしいが、松岡の真摯なまでのベバレッジ夫人への追憶とアメリカへの畏敬を感じるのは筆者ばかりではないだろう。

松岡はオレゴン大学卒業後もアルバイトを続け、東部のアイビーリーグ進学を狙っていたが、母の健康状態もありこれを断念帰国する。小村のように東部のエスタブリッシュメントとの係わりがあったら、松岡の外交にソフィスティケーションが備わったであろうとの意見もあるが、筆者は松岡にその様な素養は一切無用であったと考える。松岡にとってオレゴンの、大地の匂い溢れるアメリカこそが愛憎の交わりあった親米派たらしめたのだ。また満州への愛着執着は、満鉄経営を通じて、アメリカの大地と重ね合わせた、松岡の夢があるのだ。

奥山篤信:
京都大学工学部建築学科卒
東京大学経済学部卒
三菱商事本社入社
6年余にわたる米国三菱ニューヨーク本店勤務を経て
平成12年退社 
平河総合戦略研究所代表理事
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3.西山弘道 
「宮沢元首相死去」
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 中曽根元首相と並んで、戦後保守政治の生き証人だった宮沢喜一元首相が87才で死去した。東京・原宿の自宅で、28日午前、日課の新聞を読んだ後、眠るように亡くなったということだが、80%が病院で点滴など管ばかり付けられた醜い惨状で身罷る昨今、何と幸せな死に方だろう。実は、一昨年、私は宮沢氏にインタビューを申し込みに、東京・麹町にある宮沢氏の事務所に出向いたことがある。部屋のドアを開けたところ、宮沢さんがソファーに座っていたが、その変わりように驚いた。顔は痩せこけ、眼はあらぬ方を向いて、私のことなどは全く気付かなかった。あわてて、女性秘書が飛んできて、「すみません、先生は今朝から体調が悪くて、インタビューは勘弁してください」と謝った。悪いが私は「あぁー、この人はもうこれでお終いだなぁー」と思ったが、あのプライドが高い御仁も年には勝てないとつくづく思ったものだ。

 私は現役記者の時、自民党宏池会を担当し、鈴木善幸氏の後、会長になった宮沢氏の原宿の自宅によく夜回りした。水割りを傾けながら、色々な話をしたが、宮沢氏は初対面の記者には必ず、出身大学を尋ねた。私はそのことで、「なんていけ好かない野郎だ」と正直、宮沢氏に悪印象を持った。エリートの宮沢氏にとっては、東大法学部卒以外は人にあらず、だったのであろう。小学校卒の田中角栄氏が「宮沢だけには首相はやらせない」と最後まで言っていたことを思い出す。

 そんなエリート神話に包まれた宮沢氏だが、実は秘話がある。

 宮沢氏が、細川非自民政権が誕生して首相を退陣してから2年たった95年の夏、ある事件があった。覚えている方もおられようが、ホテルニューオータニの部屋で宮沢氏が暴漢に襲われ、ケガをしたという事件である。この事件の真相は今だにはっきりしないが、某ブラックジャーナリストが宮沢氏にある情報を突きつけて脅迫し、金をゆすり取ろうとしたというものだ。その際、情報の中身を知らされ宮沢氏が、逆にジャーナリストに襲い掛かり、格闘になったという。私はこの事件を聞いて驚いた。あの小柄な、虫も殺さないような宮沢氏が、脅迫者に襲い掛かって格闘を演じたというのだからビックリした。宮沢氏が怒った情報とは、その出自にまつわるものだという。

 もう一つ、宮沢氏のエピソード、これは、知られたものだが、大の酒豪だった、いや永田町でも有名な“酒乱”だったことだ。実は私も一度だけ、その酒乱の現場を目撃したことがある。赤坂の某席で、宮沢氏にバッタリ出会った。(首相になる前、確か竹下内閣での大蔵大臣だった時だ)宮沢氏はまさに酩酊し、顔色は真っ青、目は据わり、私に向かって発した言葉が「おメイは、どこの記者だ。ふざけるねい!」とべらんめい口調に変わっていた。その頃、宮沢蔵相はリクルート事件に巻き込まれ、まもなく辞任するのだが、その鬱憤もあったのだろう。

 私は何も死者を鞭打つためにこんな話を披露しているのではない。日本の典型的なエリートといわれた大政治家にも、実はもっと人間的な隠された面があったということを知ってもらいためなのだ。

 ご冥福お祈りします。
 
西山弘道;
ジャーナリスト。早稲田大学政経学部卒業後、文化放送で30数年、放送記者として
活躍。政治担当として、三角大福中、安竹宮の「永田町戦国史」を取材。
2005年10月、文化放送を退社、以後フリーのジャーナリストとなる。
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成澤秀麗の書で語る美(7) 「勇」
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「勇」 http://www.narisawashurei.com/jp/essay/mmto_04.html (クリックしてください)

どんな時でも前進していく勇ましさ・・・動いてさえすれば展開が見えると信じている私には、ふさいだ気持ちの時にポンと背中を押してくれる、素晴らしい言葉です。ところが武士道によれば、勇気には静止状態をあらわす平常心があり、ただ動いていればいいというものではないとか。
私にとって平常心とは、何が起きても自分を見失わず、堂々と構えていられる状態。それは人間として最上の状態であり、生涯を通じて目指してみたい目標でもあります。
けれども、
「いずれはそんな風に出来たらいいだろうなぁ」
こうやって、のんびりと構えているだけでは乗り切れない場面が結構多いのです。
たとえば人前で話す時。指導中に、専門用語や漢字の読み方や筆順をド忘れしてしまった時。
オロオロしているのを見破られてはカッコ悪いので、何事もないような顔をし、緊張の場面を何度しのいだことか・・・。平常心を保っているフリをすることが多々あります。
果たして平常心はフリだけでも効果があるのでしょうか?
いいえ、徳川光圀は「生きるべきときに生き、死ぬべきときに死ぬことこそ、真の勇気なのである」と言いました。生きるの死ぬのなんて、ちょっと大げさですが、私なりに解釈したのは「苦手なことは苦手と、腹をくくってカミングアウトできる勇気」。
オロオロしても良いのです。でも、それを無理に隠して平気な顔でいることは平常心でも勇気でもありません。「苦手です」「忘れました」と恥をしのんで言う勇気も、自分らしく生きていくうえで大切なことだと学んだのでした。そういえば、私の師匠も「恥をかけ!」と言っておりました。

成澤秀麗 :
山形県出身 書道家、墨絵作家、産業カウンセラー
東北学院大学経済学部経済学科卒
青山学院大学文学部教育学科卒
7年のOL生活と両立しながら書道師範を取得
東京書作展にて内閣総理大臣賞を受賞後、2002年に独立
著書『文字が変われば、ココロも変わる。』(学研)など。
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◎三島由紀夫『薔薇と海賊』上演にあたって〜夢に溺れて  久保亜津子
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7月12日より16日まで、目白にあるシアター風姿花伝という小さな劇場で、私の演出・主演で、三島由紀夫の『薔薇と海賊』を上演いたします。

1996年から年に一度くらいのペースになりますが、三島由紀夫戯曲の上演を続けて参りまして今回で12回目となりました。ということは12年三島に付き合ってきたことになりますが、私にとって今回上演する『薔薇と海賊』は特別な思い入れのある作品です。

上演したいと思ってからもう7年以上は経っていますか。ただその頃の私には、役者としても演出家としてもまだ未熟で、とてもこの作品に太刀打ちできる実力はありませんでした(今もまだ、そんな力はないのかもしれませんが・・・)

この作品の「あらすじ」になりますが、著名な女流童話作家・楓阿里子の自宅に、ある朝彼女の童話の主人公「ユーカリ少年」を名乗る青年・松山帝一が訪れます。自分を8才の子供と自称し童話の世界に浸りきっている帝一と、「純潔」が大好な阿里子とは、たちまち意気投合して恋に落ちてしまいますが、これが究極のプラトニック・ラブなのです。帝一は性欲を持たず、阿里子は名前だけの夫を持ちながら「そういうこと」には興味もありません。
 恋する二人は周囲の人間を巻き込み、荒唐無稽な喜劇が展開しますが、三島はこの作品について「あえて喜劇と銘打たなかった」と述べています。この作品では、最後に童話作家の「御伽噺の世界」が現実になります。「現実に対する夢の勝利」この作品はそれを表しているのでしょうが・・・ 
『薔薇と海賊』は三島にとっても特別な作品ではなかったでしょうか?1958年に文学座において初演、その後は1970年に浪曼劇場で上演されていますが、稽古場で三島は二幕幕切れの絶望した帝一の台詞「僕はひとつだけ嘘をついていたんだよ。王国なんてなかったんだよ。」に涙したといいます。浪曼劇場での公演は、三島の死の直前、この台詞は三島の実感だったのでしょう。

 死の直前に完成した『豊饒の海』最終巻『天人五衰』の最後にもそれは窺えますが・・・

もう16年ほど前になりますか、幼かった私の息子と夫と3人でタイ旅行に参りました。 

その折、明け方のオリエンタルホテル(タイ滞在時三島が宿泊した)を白いクルーズ船で船出してチャオプラヤ川を遡り「暁の寺」を訪れ、それからまた川を上り昼過ぎには、『豊饒の海』第三巻『暁の寺』の主人公・月光姫と本多の一日遊んだという離宮「薔薇宮」を見物いたしました。 その時には、子育て真っ最中で、その後芝居に復帰すること、ましてや10年以上も三島作品に付き合うことになるとは夢にも考えていませんでした。生前の三島とはある意味「縁もゆかりもない」私ですが、繋がった不思議な縁を思わずにはいられません。『薔薇と海賊』上演を決めた時から、私自身に本多のような「夢の氾濫」が起こり、夢と現実の区別が付かなくなり、次々と不思議なことが身の上に起こっています。

 私にとって芝居が成功することは「夢の実現」です。果たして夢は現実に勝てるのでしょうか?

久保亜津子;
早稲田大学第一文学部日本文学科卒業。文学座演劇研究所出身。
1996年より三島由紀夫作品などの演出と出演を兼ねる。
三島由紀夫「近代能楽集」全8作品、「サド侯爵夫人」などを演出、全てに出演。
現在、劇団・向陽舎代表 。

公演の詳細はこちらになります↓

http://koyosha.blog107.fc2.com/
・作/三島由紀夫 
・演出/久保亜津子 
・主催/向陽舎 
・期間/2007年7月12日(木)〜16日(月) 
・座席/前売り 2500円。全席自由。 
・会場/シアター風姿花伝にて。 
    (会場HP→http://www.fuusikaden.com/) 

・タイムテーブル 
 7/12(木)→19:00 
 7/13(金)→19:00 
 7/14(土)→14:00 & 19:00 
 7/15(日)→15:00 
 7/16(月)→15:00 

ご予約は、向陽舎(TEL&FAX 03−5727−1657  koyosha77@hotmail.com)
または、チケットぴあ(0570-02-9999・9988 0570-02-9966〔Pコード:377-513〕)で。
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次回の配信は7月7日(土)を予定しております。どうぞお楽しみに!
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