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甦れ美しい日本 第071号
発行日: 2006/6/22□□■平河総合戦略研究所メルマガ■□□(2006年6月22日 NO.071号)
☆☆甦れ美しい日本☆☆
☆・・・・私たちは書きたいから書くのです・・・・
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< 目次 >
◎レギュラー執筆者
1.佐藤 守 大東亜戦争の真実を求めて66
2.奥山篤信 低俗マスコミの福井総裁叩きを叩く
3.松永太郎 愛国心について
4.藤岡知夫 芸術と美について
5.西山弘道 小泉政権で見捨てられた地方
◎図書室
1.薄田泣菫 完本「茶話」 古書(松永太郎)
2.危機の宰相 沢木耕太郎 魁星出版(奥山篤信)
◎ 映画寸評 アメリカ映画 「インサイドマン」 奥山篤信
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1.佐藤守
大東亜戦争の真実を求めて66
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山本長官は、軍事的判断に基いて対米一撃(約半年間の有効期間ではあったが)
後、有利な形で「対米講和」を結ぶ以外に途はない、と判断していたと考えられる。
しかし、知米派の長官にしてはいかにも思慮が浅いというべきではなかったか?
日本側が軍事的“有利性”を保持したままの状態で、米国が講和に応じると考え
た理由が分からない。
他方、近衛首相の方は、対ソ戦回避が主眼だったのではなかろうか?
両者は、「軍事的合理性」と「政治的判断」という異なった“物差し”で世界情
勢を判断しつつ、その心中には「コミンテルン」と「日本国」への忠誠心という、
天と地ほどの差異があったのではなかったのか?仮にそうであったとすれば、近
衛首相の思想分析は欠かせないということになる。
その前に、「唐突に」決められた“真珠湾奇襲攻撃”について、まず、当時の海軍
の年度作戦計画の観点から分析していこう。富岡定俊著「開戦と終戦」にはこう書
いてある。
「十六年九月の御前会議の結果、『重大な決意』を固めなければならなくなって、私
たちは、あらためて新しい問題にぶつかった。開戦の場合、真珠湾に行くべきか、
南方にするべきか、ということである。
もともと、伝統的な海軍の戦略思想は、内南洋を固めることにあって、それから
南の方は、どうするか、はっきり決まっていなかった。日本は、戦略上、油に困る
ので、その地点を押さえなければ戦争はできない。それで、フィリピン、ボルネオ、
ジャワまで食い込もうとは考えられたが、ジャワまで行けば片付くものとされてい
た。そして、あとは開発と輸送が続けられるのであって、マレーについては、とく
に決まっていなかった。況や。ハワイ、米本土までも以降などということは、全く
問題にもされていない。ともかく、力を結集し敵海上力を潰してしまえば、敵も二
の矢はなかなかつげないだろう、というのだった。それというのも、内南洋を固め
て、そこで米艦隊を迎え撃つのが、根本思想だったからである。
最悪の場合、マーシャル群島あたりまで食い込まれても南方作戦(油田、鉄鋼地
域)がうまくいけばいいじゃないかという考えも持っていた」
当時の国際情勢からも、至極当然な「国家防衛戦略」であった事が覗える。いわ
ば「専守防衛」の最たるもので、自ら、遥か地球の反対側まで「遠征」する計画
などさらさらなかったのである。福留繁著「海軍生活四十年」にもこうある。
「海軍は多年対米作戦一辺倒であり、アメリカが攻めてくれば止むを得ず防衛す
るが、攻めてさえ来なければ、われから進攻する事はないとする専守防衛方針を
取り、艦船すべてこの方針に則り、近海防衛作戦に適するように造られていた。
(中略)
このようなわけで、対米作戦は本来極めて困難な守勢作戦であり、そこにワシン
トン、ロンドン両条約の結果、一層作戦を困難ならしめたもので、対米戦争は極
力回避するというのが、わが国の最高方針であり、海軍の常識でもあった」
富岡氏の「開戦と終戦」に戻ろう。
「真珠湾攻撃が、はっきりした形を取り、開戦しなければならなくなったら真珠湾
を攻撃しようと決心したのは、九月である。最も、構想としては、昭和十六年のは
じめからあった。だが、私は、当事者(注、軍令部第一部第一課長、すなわち作戦
部作戦課長)としては、当初は少しもそれに与っていない。山本連合艦隊長官の私
案としては、計算してあったかと思うが、昭和十六年の年度作戦計画(四月制定)
には真珠湾計画は入っていなかった。その後四カ国作戦計画にも出ないで、実行作
戦計画になって、上述の経過によって始めて真珠湾計画が出てきたのである」
このような“極めて困難な対米攻撃計画”が突如浮上して、「九月末から、大急
ぎで、真珠湾攻撃用の特殊魚雷を作ったり、練習したりした。こういう間に合わ
せの準備を、押し詰まってからやったということは、いかにも無準備を露呈して、
相済まなかったと思うが、そのくらい真珠湾作戦は唐突に決まったものであり、
一説に、日本軍は虎視眈々として、何年も前からこれを計画していたというのは、
間違っていることの裏づけにもなろう。南東作戦、ビルマ作戦、マレー作戦につ
いても、同様である」と富岡氏は書いている。
わが国は、「北進論」を戦略とする陸軍をも巻き込んで、何故「南方」へ侵攻し、
その上無計画な「対米戦争」を決意するに至ったのか? (続く)
佐藤守:
防衛大航空工学科卒(第7期生)。
航空自衛隊に入隊
戦闘機パイロット(総飛行時間3800時間).
外務省国連局軍縮室に出向。三沢・松島基地司令、
南西航空混成団司令(沖縄)を歴任.平成9年退官.
岡崎研究所特別研究員.軍事評論家.
日本文化チャンネル「桜」軍事コメンテーター.
著書に「国際軍事関係論」
ブログ;http://d.hatena.ne.jp/satoumamoru/
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2.奥山篤信
低俗マスコミの福井総裁叩きを叩く
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先週のメルマガにも書いたがマスコミや野党などの福井バッシングにはうんざりだ。NHKや
朝日や毎日がいつもの議論をするならともかく日本の新聞で一番正論に近いと思っていた
産経新聞の、こと福井叩きには驚いている。つまりジャーナリズムの姿勢そのものが大衆
迎合的で幼稚で低俗であるからだ。6月16日つけに渡辺浩生という経済記者の視点が第
一面に出ていたので、恰好の材料ゆえ徹底的に解体していきたい。まずは原文をここにそ
のまま書きただし解体のための番号をパラグラフごとに打つことにした。
視点】日銀総裁の村上ファンド拠出 まず国民の信頼回復を
→題名からして国民の信用回復というのはあなたがたマスコミが勝手に大騒ぎして人民裁
判を煽っている極めて卑劣な行為をしていることの認識がまるでない。信頼回復してもら
いたいのはマスコミである。
11ユーモア感覚と歯切れの良さ、阪神タイガースを愛する「庶民性」が持ち味の福井俊彦
氏は、歴代日銀総裁の中で、親しみを持たれる存在だ。ただ、村上ファンドへ1000万
円拠出した問題をめぐる釈明は、村上世彰(よしあき)容疑者への思い入れが目立ち、不
信感を増幅させた印象がぬぐえない。
→最近のマスコミはホリエモン事件や村上事件を語るとき、何か金儲けが害毒のようなリ
ンチ裁判の様相である。経済哲学として、それぞれの個人が自由にその思いを信じるのは
自由主義経済社会で当たり前のことである。犯罪であるインサイダーを知る由もない福井
総裁が8年前村上氏の信念に賛同したことがなぜ悪いのか?思い入れって何なのか。全く
思い入れをして咎められることはない。日本的な美しい家族主義的経済主義の立場のかた
がたが、自由に六本木ヒル族のホリエモンや村上的手法を批判(犯罪行為は論外だが、合
法的な範囲内での手法について)するのは結構だが(僕自身もノスタルジーはある)、
福井総裁の当時の気持ちに干渉するなどまさに自由主義の旗手である報道姿勢の自らの自
殺行為である。まさに大衆迎合が、この思い入れという言葉に象徴されている。
22福井総裁が村上ファンドへの拠出を日銀に報告したのは、今月13日に参院で明らか
にした直前。日銀は早々と「内部規定には違反していない」とし、市場関係者もゼロ金利
解除を模索する微妙な時期だけに「金融政策と別問題」と早期収拾を望んだ。
→ 昨日の小泉首相の答弁、「日銀のルールにのっとっていれば問題ない。(説明責任を果
たしたと)理解しており、(交代は)考えていない」に問題の本質がつきるのである。福井
総裁が日銀としてのルールに故意過失を問わず違反していたなら責任問題はあるがそうで
はない以上、事後に勝手なルールで人間を裁くこと自体、産経新聞は東京裁判と同様のこ
とを行っているのだ。
33 しかし、総裁にとって真摯(しんし)な対話が求められる相手は、市場だけではない。
→極めて朝日新聞的な卑劣なそれでいて何の意味もなさない言いがかりに過ぎない。総裁
は堂々と国会ならびに記者会見にて包み隠さず誠意をもって明らかにした。福井総裁のとつ
とつとした答弁に誠意を感じるのは僕だけではなかろう。
44 金利に影響を与える金融政策は、その性格上、国民生活にも影響を及ぼす。バブル崩
壊後の超低金利政策は過剰負債企業や銀行を助けたが、多くの預金者の利息収入は吹き飛
んだ。日銀がその額を「304兆円」と試算したほどだ。
→日銀の裁量の範囲は当然あるが、金利とはマーケット市場で日本の需給や世界的市場要
素でおのずと大枠が決まってくるという原理が理解できていない。さらに大体金利が下が
ろうが上がろうがそれぞれ有利なpartyもあり不利なpartyもある。現に消費者側にとっ
て住宅ローンは有利だし、インフレ抑制の購買力は高まっているという一面もある。いっ
たいゼロ金利がどうのこうのと福井総裁の今回の問題とどういう関係があるというのか?
55それだけに、金融政策の変更は、一定の預金者か借り手に「犠牲」を強いる結果を招く。
そうした副作用にも日銀総裁は職責上、我慢や理解を求める責務を担う。だからこそ、潔
癖さと中立性が強く求められるのだ。
→物事には表裏があり先ほどの章でいうように金利で犠牲となるなど、一方的な決め付け
であり、かような経済論議など話にもならない幼稚で低レベルである。そのあとのパラグ
ラフは朝日新聞的常套手段の言いがかりに過ぎない。福井総裁が8年前民間人としてファ
ンドを求めたことに何の咎があるのか?その投資が儲かるとか儲からないとか当時はリス
クであり、資本主義というのはリスクテイキングということから成り立っている。リスク
をとって儲けることが悪いことなのか?お聴きしたい。
66福井総裁が「志への激励」と出資した同じ1000万円を普通預金に1年預けても利息
は100円。超低金利に国民が耐えている間、どれだけの運用利益が得られたか。素朴な
疑問に総裁は答えていない。
→薄汚い根性の僻みとしかいいようのない論議。このような下劣な僻み根性をジャーナリ
ズムが代弁するのか?もっというなら銀行普通預金には基本的にほとんどリスクはない。
福井総裁の投資が儲かるか損するかは当初予測できないことであり、普通預金の利息と比
較するこの幼稚な経済学知識には驚きだ。二倍三倍になったら悪であり、損したら悪には
ならないのか!全く矛盾だらけの議論である。
77 結果的に、市場規律を犯した「グリーンメーラー」に個人的感情を傾斜させること自
体、不可解でもある。「職責を全うしたい」と語った福井総裁だが、金融政策運営に不可
欠な国民の信頼を取り戻すことが先決だ。(渡辺浩生)
→何度もいうように福井総裁が8年前にこの村上氏が法を破るなど誰が想像するのか?い
ったい支離滅裂のこういう論評は害毒を与えるだけでありまさに産経新聞が人民裁判官に
成り果てているということだ。さらにいうなら、法を遵守している限り「グリーンメーラ
ー」がどうのこうの言うこと自体ナンセンスな議論なのだ。ついでにいうが「グリーンメ
ーラー」は合法的行為であって犯罪的脅迫ではない。こういう形で儲けるのは嫌だなとの
個人の美意識の問題はあろうが。
政府が規制緩和などと掛け声を飛ばすなら、性悪説にたって法整備をし、ルールを確立す
ることが先決であろう。日本人の欠陥はルールも定めずに、その場の空気やひがみややっ
かみから合法的な事柄でも非難する点である。法治国家たるべき自覚を持つべきだ。
上記の通りこの渡辺某とかいう記者、まさに日本のマスコミの程度の低さを顕著に物語っ
ている。先週のメルマガに書いたが福井総裁の手腕は総裁列伝のなかでも際立っており、
世界的評価も高く今日本の国益に大変必要な人材である。小泉首相の答弁に集約されるが、
福井総裁になんら落ち度もなく陳謝する理由もなかった。むしろまともに議論するとする
ならば、今まで日本を代表とする公僕になる前提として日銀総裁であれ首相であれ国会議
員であれ、コンプライアンスをきっちりと明文化しなければならないというのが結論であ
ろう。海外で福井総裁が誤解されているとすれば、日本にそういう公僕のコンプライアン
ス規定が当然あると考えているからであり、日銀にそういうものがないことを知らないか
らである。何も規定を違反したものがない以上それを人民裁判のように騒ぐのは、まさに
事後法で裁いた東京裁判であることを自覚するがよい。福井総裁は「今後ともチャレンジ
しようとする若者を応援したい」と述べた。これこそが福井総裁の心のなかの煮えくり返
る思いを物語っていている。
低俗な似非「ジャーナリスト」よ、貴方らこそが戦前は戦争賛成、戦後は一転して反戦平
和人権ところっと変わったあの空気に左右される日本のレベルの低さを物語る代表である
ことを自覚するがよい。あのホリエモンや村上が脚光を浴びたときにエールを送ったのは
貴方ではなかったのか?田中角栄しかり、堤義明しかり、いったん「英雄」が失墜したと
きには、大衆のやっかみ根性の尻馬に乗り正義面して一緒になって叩く節操のなさ。日本
の「ジャーナリズム」など社会になんら貢献もなく価値を創造しない後追いの野次馬に過
ぎず、大衆に迎合し正義面する偽善者の群れであることを自覚するがよい。(2006.6.16)
現在福井総裁の投資ファンドが運用益が1273万円でたと、それに対して本質と関係ない議
論が政界マスコミを跋扈している。一体運用益が少しか或いは損をだしていれば批判の程
度は異なるのか?笑止千万である。全くフランス革命裁判所の貴族狩を彷彿する次第だ。
不条理な世論があるとすれば毅然として正論を述べるのが政治家やマスコミの使命ではな
いのか!(2006.6.21)
奥山篤信:
京都大学工学部建築学科卒
東京大学経済学部卒
三菱商事本社入社
6年余にわたる米国三菱ニューヨーク本店勤務を経て
平成12年退社
平河総合戦略研究所代表理事
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3.松永太郎
愛国心について
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あるとき、ダライ・ラマのもとに、欧米の精神科医たちが集まっていろんな話をしたと
き、ダライ・ラマが良く理解できなかった概念に「自己否定」というものがある。西欧や、
とくにアメリカのような競争社会では、さまざまな「競争」に敗れた、と感じる人が、自
己否定感に陥り、やがては、うつ病になるとか、神経症状などを呈するようになる、と、
説明されたときのことである。
たしかに、そういう意味では、アメリカはきびしい社会であって、仕事も家族も健
康もすべて「OK」であることが求められる。しかし、そんなに何もかもうまくいっている
人など、あまり、いないわけで、どうしても、どこかで、うまくいっているふりをしなけ
ればならず、それがまた新たな悩みの種になるのである。
なぜ、ダライ・ラマが自己否定という概念、あるいはそこから生まれる感覚を理解できな
かったかといえば、それは仏教においては、人間に生まれたことが、この上ない幸運ない
し幸福なことであると教えるからである。
たとえていえば、それは千年に一度、深海から海面に上ってくる亀が、たまたまそこ
に浮かんでいた輪のなかに頭を入れるようなものだ、といわれる。
私は、宗教に関係なく、人間に生まれることはそんなに幸福ないし幸運なことである、
と子供たちに教えることは、非常に大切なことであると思う。そういう考えが頭の中に
あれば、人生の多少のつらいことは乗り越えられるだろう。たしかにダライ・ラマの生ま
れたかつてのチベットでは、自殺などということをする人はいなかったし、あれだけつら
い目にあわされても、多くの亡命チベット人は、とても明るい。
日本においても、昔から唱えられてきた「和賛」などには
この身、今生に度せずんば、さらに、いずれの生においてか、この身を度せん
という言葉もある。せっかく人間に生まれてきて、一定の悟りを得なければ、今度いつ悟
る機会があるだろうか、という意味であろう。仏教においては、人間に生まれた幸運とは、
心のなかの仏性に気がつく、あるいは悟るという力が人間にはじめて与えられるからであ
ると説明される。しかし、そういう説明でなくても、人間に生まれた、ということは、そ
れだけで幸運なことであるという説明は、いくらでもなせるだろう。
つぎに子供たちに教えるべきなのは、日本のよさである。最近、愛国心という言葉をめ
ぐって、多くの知識人や評論家が空論を戦わせている。しかし、そういう言葉をいきなり
持ち出すのは直接的に過ぎるし、空論のもとである。そうではなく子供たちに教えるべき
なのは、日本の歴史と文化のすばらしさである。
なぜ、それが大事なのか。これからあなたたちが育つ日本という国は、これだけすばら
しい点があるということを教えられれば、それだけで、生きるうえでの幸福感がわいて
くるからである。それはサッカーの試合で日本が勝ったよりももっと数倍もすばらしい幸
福感である。そして、そのような幸福感こそ、健康な社会の基礎となるものである。
今の日本の教育は、生きるうえでの力をそぐようなことばかり教える。男女の違いはそ
れだけで、すばらしいことであるが、それがいけないという。価値というのは相対的なも
ので、何が大事なのか人によって違うという。日本という国は、権力者が威張っていたひ
どい国であり、他国を侵略してばかりいたという。こういう思考すべては、非常な否定的
なエネルギーとなって、子供の心を苦しめるのである。
あなたという人間はかけがいのないものである。
そういう人間に生まれてきた、というのは幸運なことであり
そうした幸運を、あなたに、もたらしたのは、あなたの家族や祖先である。
あなたの家族は、その意味でも、かけがいのないものである。
あなたの生まれてきた国は、かけがいのないすばらしい国である。
そういうすばらしい国をもっとすばらしいものにしていくのは、将来のあなた方である。
子供たちには、こういうことを教えるべきだと私は思う。
松永太郎;
東京都出身
翻訳家、多摩美術大学講師、レモン画翠社長
主訳書「進化の構造」「イカロスの飛行」他。
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4.藤岡知夫
芸術と美について
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小堀桂一郎先生の紹介で。佐藤守閣下や奥山篤信氏と懇意になり、奥山氏が個人的に主
宰する勉強会などに頻繁に通うようになって以来、主義、主張を同じくする同志の場とし
て、また様々な新しい知識が得られる発見の場として憩いの場として楽しんでいる。最近
同氏が代表を務める平河総合戦略研究所に理事として参加することになり、そのメルマガ
「甦れ美しい日本」にレギュラーとして気の向いたときに論文を書くことになった。 私
は人生の大半を大学の教育者、研究者として過し、物理学、特に光科学、レーザーの研究
者・技術者である。また趣味として蝶の収集並びに分類学、進化学の研究も行ってきたア
マチュア生物学者でもある。このような立場から発言すべき事も少なからずあると自分で
も考えているが、自分の専門に近い事柄では、現在若干書き難い立場にある。一方で現在
日本の政治情勢、社会情勢については言いたいことも山ほどあるが、まず第一作目として、
レーザーと蝶に次いで、私が最も時間を費やしている芸術について、まずは語らせて頂き
たいと考える。
そのため、 芸術とは何かと大上段から振りかぶれば、ギリシャ、ローマ時代から、様々
に語られていると思う。しかし私は芸術というとまず思い浮かべるのは、30年ほど前まで
活躍していて何度か来日もしたドイツの大ソプラノ歌手、エリザベート・シュワルツコッ
プの言葉である。
彼女はオペラ歌手としても超一流で、フルトベングラーが指揮したリヒアルトシュトラ
ウス「薔薇の騎士」の元帥夫人として、名演技をフィルムに残していて、LDで観ることが
出来る。しかし、彼女が晩年日本に何度か来て、その素晴らしさを我々の心に刻んだのは、
リード歌手としてである。シューベルト、シューマン、ブラームス、リヒアルト・シュト
ラウス、フーゴー・ヴォルフ。そして彼女は次の言葉を残している。
「ドイツリードは、それを聞く前と聞いた後とで、聞いた人の人生観が変わっていなけ
ればならない。」
このリードという言葉を、美術、絵画なり小説なりに置き換えれば、これは全ての芸術
に通用する言葉、芸術についての最高の定義ではないかと私は考える。そして、接して
人生観が変わるか変わらないかが、芸術と芸能を区分する敷居ではなかろうか。その敷
居は明確なものではなく、幅広くぼやけたものではあろうが。
接した人の人生観を変えるほどの心の揺さぶりを与える震源としては、幾つかの要素が
あろうが、最も大切なものは美であると私は考える。芸術はまず美しくなければならない。
自分の経験を振り返って見て、接したときの美しさに心のふるえが止まらなかった経験
は何度かあった。ゴッホの絵、「モーブの思い出に」と題がついた桃の花畑やアルルの
跳ね橋を初めて見た時、モーツアルトのアヴェヴェルム・コルプスをコンサートで初め
て聞いたとき。シャルル・パンゼラの唱うシューマン「詩人の恋」を、78回転レコード
の雑音の中から初めて聴いた時。蕪村の俳句を萩原朔太郎の著作を通して読んだ時。ロ
マン・ローラン、トーマス・マン、ヘルマン・ヘッセ。
しかしこれら、自分の人生観が変えられた体験は、全て十代の後半から二十代の前半ま
での間であった。コンサートや展覧会には若い頃からずっと行き続けているし、70才を
越えた現在では更に足繁く通っている。そして腹が立つことは最近数多くあるが、心が
ふるえて止まらないと言う体験は、50年ほど絶えてなかった。
モダンアートや現代音楽では、いくら汚くても作者自身を裸のまま見せるので、腹は立
たないが、最近新国立劇場での公演の「フィガロの結婚」を演出したアンドレアス・ホ
モキであるとか、ワーグナーの「リング」を演出したキース・ウォーナーなど、愚劣な
自己主張のために美しい芸術作品を汚く見せられるのには、腹が立って仕方がない。
しかし極く最近、私としては約50年ぶりに、自分の心がふるえるような美しい芸術作品
に接した。そしてこれが、メルマガ第一作として、芸術について語らせてもらおうと考え
た動機である。
その作品は「死者の書」。折口信夫の原作に基づく川本喜八郎の人形劇映画である。折
口信夫は、釈迢空の名で歌人としても著名な国文学者、民俗学者で、慶應義塾大学と國學
院大學の教授を務めた。「死者の書」は近代日本文学の最高傑作と讃えた文芸評論家もい
たが、難解な小説で一般には余り知られていないので、少し解説をしておきたいと思う。
時代背景は、奈良時代東大寺大仏開眼の頃であるから、日本の歴史上最も美しい彫刻美
術を残した天平時代。聖林寺や普賢寺の十一面観音、戒檀院の四天王、興福寺の阿修羅像
など、この時代にだけ存在した技術、乾漆像が造られたり、薬師寺や蟹満寺の薬師如来像
など、巨大な丈六の素晴らしい仏像が制作された時代である。そして日本文学の最高傑作
の一つである万葉集の編者、大伴家持の人形が、友人の恵美押勝と女を侍らせながら酒を
飲み、季節の流れや芸術について語っている。
物語は天武天皇の数多い皇子の中で最も文武に秀で、人望の厚かった大津皇子が、天武
天皇が世を去ったわずか8日後に、後の持統天皇になる叔母によって、息子の皇太子、草
壁皇子の地位を危うくする故を以て、濡れ衣で捉えられ処刑されてしまった物語と、その
大津皇子の墓が置かれ、大和と河内の境に聳える二上山の麓の当麻寺の本尊の当麻曼陀羅
を、藤原家の中将姫が蓮の糸で織り上げた伝説とを合体させた物語である。
大津皇子が処刑された50年後、村人達の魂乞いによって大津皇子は墓の中で蘇る。そし
て殺される直前に見た美女、耳面刀自に憧れて、その姪で若く美しい藤原南家の郎女に
取り憑こうとする。
何と言うことのない神話のような話であるが、川本喜八郎が操る人形の舞台が誠に美し
く、「青丹よし奈良の都は咲く花の匂うが如く今盛りなり」の情景の中で、藤原南家の郎
女が大きな真珠を抱き美しく青い浜辺で、海底に大津皇子転じた阿弥陀陀仏を見る情景で
あるとか、大伴家持の目の前で、郎女が踵を返して美しく咲き誇る桃畑の中に消えて行く
姿だとか、天平時代の美を凝縮させたような情景の動きに、半世紀ぶりに身震いを覚えた。
この映画は今年の2月11日からスタートして4月7日まで神保町の岩波ホールで毎日3
回ずつ上映された。岩波茂雄の始めた岩波書店が、日本文化の根底を形成した大きな功績
は誰でも認めざるを得ず、私も岩波文庫には大変御世話になった。しかし最近の左傾ぶり
は朝日新聞に匹敵するほどで、4代目の社長安江良介など金日成の奴隷と言っても良いので
はないか。現在の社長もその安江の弟子であると聞いていたので、岩波ホールに近づくこ
とには若干の後ろめたさがあった。
それでも意を決し、4月3日に初めてこの映画を観て、若き日と同じ身震いを感じ、映画
が終了となる4月7日までの5日間に6回も観に通った。そしてその10日後の4月18日
には、奈良の二上山に登って大津皇子の墓に詣で、若き日以来50年ぶりで、麓の当麻寺を
訪れ、本尊の当麻曼陀羅や様々な仏像を拝顔した。
この人形映画「死者の書」は、この7月1日から14日まで、東京の下高井戸シネマ(Tel
03-3328-1008)でまた上映されるらしい。私も再び観ることを楽しみにしているが、たま
たまこの駄文を読んで下さる方が居られたら、是非一度行かれることを御薦めしたい。
藤岡知夫(ふじおか ともお);
昭和35年慶應義塾大学工学部電気工学科卒
昭和40年同大学院工学科博士課程終了 工博
昭和54年同大学教授に就任
平成2年東海大学開発技術研究所教授に就任
平成6年東海大学理学部物理学科教授に就任
平成12年財団法人応用光学研究所理事長に就任
専攻 レーザー工学 レーザー物理学
著書に
「レ−ザ−がひらく21世紀」(三田出版会、1990年)
「光・量子エレクトロニクス」(オ−ム社、1991年)
「オプティカルパワ−」(裳華房、1994年)
趣味の蝶関係では「日本産蝶類大図鑑」(講談社、1976年)
「蝶の紋」(河出書房新社、1973年)
「日本産蝶類及び世界近縁種大図鑑」(出版芸術社、1997年)など13冊。
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5.西山弘道
小泉政権で見捨てられた地方
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先週、新潟へ小旅行をした。行き先は信越国境近くの津南町。この冬、4m20
cmという全国一の豪雪に見舞われた町である。上越新幹線の越後湯沢で下車して
車で峠を越えること30分、雪害に苦しんだ町は、あの雪がうそのように新緑に映
え、田植えを終えた広大な田んぼが広がっていた。米は勿論、魚沼コシヒカリであ
る。秋になると一表当たり2〜3万円になるという高級米が収穫される。
津南町はまた河岸段丘でも有名だ。日本一の河川、信濃川が山間を流れる間に台
地が侵食され、何段もの段丘ができた。山頂の展望台から見えた段丘は9段にも及
び、まるで緑のじゅうたんが敷き詰められたと見えるほど壮観だった。
地元の人たちは自嘲気味に言う。「ワシらは、二日酔いの連中と同じだ。大雪の被
害に遭ってもう二度とこんなところには住まない、酒は飲まないと決意するが、春が
来て緑を目にするとそんな決意はいつもコロッと忘れてしまう・・・」
津南町は人口1万2千人程、雪害がなければコシヒカリは産するし、豊かな農村
地帯である。隣接する十日町市は昨年4月、5市町村の合併により誕生したが、合
併を呼びかけられた津南町は町民投票の結果、十日町市への編入を拒否し、自立を
選んだ。しかし、今町民の間では、このまま自立でいくことに不安感が生じている。
というのも、町の高齢化による農業の後継者不足、町財政がその47%も地方交付税
に頼らなければならない財政悪化など、どこの市町村にも共通する問題を抱えている
からだ。
津南町では今、町長選挙が真っ盛りで、25日、投票が行われる。自立を推進した
現町長は72歳、5期目に挑む。対抗馬は元町の職員だった55歳の新人だが、こち
らは将来の十日町市への編入を主張する。合併か自立か、津南町の町長選挙には今、
どこの自治体も抱える共通の問題が内在する。
この5年間の小泉政権の「改革」は、確かに規制緩和、自立・自助の市場経済への
転換を確かにしたものの、「地方」は大きく切り捨てられた。六本木ヒルズ族にみられ
る「勝ち組」と、生活弱者、ニート・フリーターなどの「負け組」にますますの格差
が生まれ、この「負け組」には「地方」も入るだろう。三位一体の改革のスローガン
の下、地方に配分される補助金や地方交付税は大きく削られ、5年間の小泉改革で地
方は疲弊した。そして「平成の大合併」のかけ声で、市町村は合併の渦に巻き込まれ、
3232あった全国の市町村は1820まで激減した。合併それ自体は地方議員の削
減など自治体行政のスリム化につながり、効果は出ようが、多くの合併市町村は「バ
スに乗り遅れるな」のムードの下、将来の街づくりの明確な展望も持てないまま、合
併に走ったのが実情だ。
私が行った新潟県津南町も、町財政の半分を交付税に頼ったまま、明確な将来展望
を持てていない。ただ、他の市町村と違ってメリットがあるのは、全国ブランドの魚
沼コシヒカリを持てているということだ。ここから、町民はブランドの拡大努力にし
ろ、大規模企業化にしろ、さらなる街づくりの夢を持てるだろう。
「シャッター通り」や、村一番の産業が今や「“年金”産業」としかいえないなど疲
弊した地方の実情は厳しい。
来年は参議院選挙がある。この選挙のカギは、29に増える1人区にあるといわれる
が、29はそのほとんどがこの5年間の小泉改革で痛めつけられた地方である。来年の
参院選では、これら地方の“怨念”のマグマが噴出すような気がしてならない。
西山弘道;
ジャーナリスト。早稲田大学政経学部卒業後、文化放送で30数年、放送記者として
活躍。政治担当として、三角大福中、安竹宮の「永田町戦国史」を取材。
2005年10月、文化放送を退社、以後フリーのジャーナリストとなる。
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1.図書室 薄田泣菫 完本「茶話」 古書 松永太郎評
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平塚駅の海側の出口近くに古典的としかいいようのない古本屋さんがある。おやじさん
は、いつも同じように端座しているし、並んでいる本はまことに趣味が良い。しかも神保
町の古本屋街の値段の半分以下である。久松真一の監修した「南方録」がたったの00円で
ある(実際の値段は商売の邪魔になるので書かない)。
しかし、神保町の古本屋さんを責めるつもりはない。この世界的な本屋街は、バブルの
ときの地上げ攻勢にあって滅びてしまった。ロンドンにもボストンにもあまりないような
りっぱな洋書店だった「北沢」も一階のすばらしかった新刊書売り場を閉じてしまった。
そういえば銀座の「イエナ」もなくなってしまった。
文化が滅びてしまったのである。たしかに新刊書はたくさんでている。しかし、どれも
まあ「ダヴィンチコード」のたぐいなのである。
その古典的な平塚の古本屋さんでたったの00円で買ってきたのが、この三冊本の薄田泣
菫の「茶話」である。大正5年から8年まで大阪毎日新聞の連載された全665編のコラム
である。富山房百科文庫にはいっている。この文庫はどなたが編集されたのか、すごい本
ばかり入っている(キーツの「詩人の手紙」、サント・ブーヴの「月曜閑談」、そして悪名高い
「近代の超克」など)。富山房も昔の建物はりっぱだった。
戦前の日本が、軍国主義であり、全体主義であり、「今の北朝鮮のような国だった」(立花
隆)と思っている人は、この大阪毎日新聞学芸部長だった人のコラム集を読むといいのであ
る。断言してもいいが、今、このなかの一編にでも匹敵する文章の書ける人はいない。教
養の程度、人間理解の深さ、その皮肉、諧謔、それを伝える見事な文章。どれをとっても
今は失われてしまった日本の文化のすばらしさをおもわせるものばかりである。
登場する人物は、古今東西にわたる。夏目漱石からジョン・キーツまで、犬養木堂からク
レマンソーまで。いったいこの人はどこからこんなにいろんな話を仕入れたのだろうと思
わせるものばかりである。しかも日本人だろうとフランス人だろうとイギリス人だろうと、
みんな同じように、一筋縄では行かない観察力で描き出されているのである。たとえば、
こういう文章がある。
医者が間違いをしたときには、お弔いをしたらそれですむ。
独身者が間違いをしたときは、死ぬまでその間違いを一緒に暮らさなければならぬ。
あるいは
西園寺公を田中村の清風荘に訪ねていった政治家たちが、数多い訪問客のなかで、老公
がうちとけて会ったくれるのは、まづ自分だけだといったようなことをてんでに吹聴す
るのはおかしなものだ。
このコラム集を読んで思うのは、この大正時代が、明治以降の日本の黄金時代であった
ということである。「さようなら、あまりにも短かりし、我らが夏のきらめきよ」という
言葉も頭に浮かぶ。少なくとも、今よりも、よほど自由であり、闊達であり、悠然とし
ており、気宇壮大である。どれも文化を熟成させる必要条件であるが、今の日本には、
どれもまったく見られないものばかりである。
松永太郎
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2.図書室 危機の宰相 沢木耕太郎 魁星出版 奥山篤信評
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池田勇人、下村治、田村敏雄の所得倍増政策にかかわった三人のノンフィクション物語で
ある。沢木氏が1977年文藝春秋に発表した作品を加筆して本年四月に単行本として出版さ
れたもの。
政治家池田、エコノミスト下村、宏池会事務局田村と三人の大蔵OBの戦後LOSERたる日本
を経済的に発展させる男たちの物語である。現在の構造改革を唱える小泉、竹中、飯島を
この三人に当て嵌めると、いかに当時の人間が日本復興を命がけで打ち込んできたか、ま
ことに役者が違うとはこのことである。
池田という政治家、世界に三人しかいないという落葉性天疱瘡という奇病で5年間を棒に
振った男、それでなくても大蔵入省以来三流のエリートコースを外れた男がこの奇病によ
る修羅場を乗り越え、さらに人間として磨きがかかった生き様は心を打つものがある。体
中の痒みに包帯を巻き伊予大島の新四国88ヶ所の札所巡りにでる。草鞋も履けないただ
れた足をしばりつけて歩いたという。四六時中の痒みに耐え地獄を見た男は、一生嘘をつ
きませんからと神に誓ったに違いない。「苦しむものは幸いなり、神を知るを得ればなり」
などと聖書には見当たらないが聖書らしきものを語ったそうである。正直に答弁する池田
の生真面目さの原点はここにあるのだろう。
僕が子供のころ、池田はあの気の毒なほど悪役を演じた岸信介をついで総理大臣になった。
いまや岸は後世が政治家を評価するという通り、偉大な戦後政治家として確固たる地位を
占めているが当時は日米安保強行採決の一般大衆の憎悪の対象であった。池田はその後を
ついで寛容と忍耐の精神で国民の所得を倍増するという民生に力をいれた。僕には池田の
純朴なあのだみ声の愛すべき政治家との思い出が残っている。頑固一徹親父の印象のある
下村、海外で利殖に励むどなたかとは大違いの葉隠れ士族である。田村は満州からソ連に
シベリア強制収容所五年間強制労働に拉致された理想に燃えた社会主義者であった。ソ連
のスリーパーである疑いを絶えずもたれたが、池田は一蹴した。田村は満州国運営を通じ、
理想的社会主義平和主義の思いは強かったが、社会主義実現のためソ連が行い、結局全体
主義と虐殺に終わった歴史を大規模実験として冷静に捉えていた。
この時代のエリートにはノブレスオブリージュがあったように思える。
なによりも池田に見るのは「神を畏れる」信仰心である。現代のいまそこにある私利私欲
のみに追われる政財官の「神を畏れぬ」人々を見るとき、僕たちは凋落した日本の姿の象
徴をみるのである。この本是非一読に値する。
奥山篤信
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映画寸評 アメリカ映画 「インサイドマン」☆☆ 奥山篤信
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この映画まさにドリームチーム豪華絢爛たる監督、俳優の布陣と演技力、なんとスパイク・
リー監督 デンゼル・ワシントン、クライブ・オーウェン、ジョディ・フォスターが出演、
二時間の上映時間があっという間に過ぎるほど観客を惹きつける超娯楽作である。
この銀行強盗の手法が斬新である。白昼のマンハッタンで犯人グループのは居合わせた客
や銀行員50名の人質全員に、犯人グループと同じ服装をさせる奇抜なアイデアが未曾有
で,現実に誰かに実際の銀行強盗で悪用されたらたまらない。人質と犯人の見分けがつかな
い以上、警官の突入を不可能にさせ膠着状態に陥ってしまう。そんな中、過去を持つ銀行
頭取から“特別”な依頼を受けた女弁護士ジョディ・フォスターが現れる。捜査官ンゼル・ワ
シントンの弱みを利用しながら、現場に入りリーダークライブ・オーウェンと裏取引をす
る。イエール大学出身フォスターがお得意の知性あふれた物腰でいつもの優雅な振る舞い。
実は事件は単なる銀行強盗ではなく、かって過去を持つナチスドイツに協力した頭取クリ
ストファー・プラマーの収容所送りのユダヤ富豪のあこぎな宝石横取りの奪還が絡むという
話は複雑怪奇。
とにかくこの犯人がめちゃくちゃ格好いい、それに観るものをしびれさせる頭脳の持ち主、
どんでん返しの連続で観客を釘つけにするストーリーテラー性は抜群で娯楽大作として文
句なしである。このメルマガでPRするに相応しい哲学や教訓のある内容ではないかもしれ
ない。あえていうならばアメリカ社会特有の誓い合った約束でも、社会の正義の為には相
手を平気で裏切るという(司法取引で恩人や友人を裏切ってもへいっちゃらというアメリカ
特有の社会風土と同じ流れ)、日本人の美的感覚(たとえ悪であろうと男の約束はなんとし
ても守る)からは不満が残る映画ではある。
それを割り引いても、蒸し暑い梅雨の季節、欲求不満解消のためパーッと見に行こうぜ。
奥山篤信
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