
ヤルカンドの大通りをしばらく歩いた後、私はバスターミナル付近へと戻ってきた。
私が泊まっていた宿へ戻る途中に通る交差点からは、ライラの母親が営む売店が見える。私は少しだけ気になって売店のほうへ視線を向けてみた。けれども特に人影は見あたらない。
「ライラはまだ仕事中で戻っていないんだろうな」
なんとなくそう思い、交差点を渡ろうとした時だった。
「アリガトウ! イチ、ニー、サン! ワタシノイエ!」
後ろから聞き覚えのある声がする。
この街で私に日本語で話しかける人は私が知る限り一人しかいない。振り返るとやっぱりライラだった。私が教えた日本語を覚えていてくれた。
彼女は仕事を終えて、これから近所の親戚のおばさんの家を訪ねるところだったらしい。その親戚の家までは歩いて10分くらいの距離で、バスターミナル周辺の家とは違ってウイグルの伝統的な農家だという。「時間があるなら一緒に来ない?」というので、私もライラと一緒に行ってみることにした。
もうそろそろ日が落ちる時刻の、ヤルカンド郊外の住宅街の道。
通りの両側に高々と積み上げられた日干し煉瓦は、粒子の細かいタクラマカンの砂塵から家々を守っている。舗装されていない道を自転車が通るだけで、パウダー状の砂塵は舞い上がるのである。
けれども、夕刻の乾いた風の涼しさは、疎ましい砂塵の存在を時に忘れさせてくれる。乾燥した土地を旅している中で、この夕刻の時は最も心地よい時間帯だと言っていいだろう。
住宅街を歩いている時、何度かライラは友人に会い、その都度一言二言立ち話した。会話をしているライラと彼女の友人が私のほうを見ながら笑顔で「ヤポンルック(=日本人)」と言っている時だけは、2人が何を話しているのかはわかったが、それ以外の会話の内容はさすがに私にはわからない。
友人と別れて歩き始めるたびに、私はライラに「アウ、キム?(=あれは誰?)」と尋ねてみた。みんな中学時代の友人なのだという。
それまでは気がつきもせず、あまり考えもしなかったのだが、ライラは同世代の友人たちとはどこか違う雰囲気を持っていた。ライラが話す何人かの友人や街中で見かける人たちと比べてみて、少なくとも私にはそう思えた。
住宅街の細い路地を歩きながら、私はライラに聞いてみた。
「ライラは・・・スカーフはしてないんだね」
少なくともヤルカンドでは、スカーフをしていない女性はあまり見かけなかった。
もっとも「イスラム教だから女性は髪を隠すためにスカーフをしなければいけない」というのは、習慣の起源としては当てはまるのかもしれない。けれども現在のウイグル族の生活の中では、多くの女性にとってスカーフはファッションの一部として位置づけられていると言えそうである。色や柄にも流行り廃れがあるようで、およそ宗教色の強い習慣には感じられないというのが偽らざる印象である。
ライラは私の質問に、少し笑いながらこう答えた。
「ん・・・私はウルムチの高校に行ってたから・・・。わかるでしょう?」
「ウルムチの若い女性はスカーフはしてないってこと?」
まだウルムチを訪れていない私は、大都会の若者の生活スタイルや価値観の変化を想像してみるしかない。
「私のウルムチの友達は、誰もスカーフはしてなかったよ」
そう答えるライラの服装は、スカーフに限らずヤルカンドの同年代の女性とは確かに違っていた。ヤルカンドの他の女性が特に民族色を強く感じさせる服装をしているわけではないけれど、黒いジャケットにスリムなジーンズ、そしてショートカットのライラの風貌は、中国の大都会を颯爽と歩く若いキャリアウーマンのような雰囲気さえ感じさせる。
そんなライラと、路地に積もった柔らかいタクラマカンの砂塵を踏みしめながら、しばらく歩いた。
住宅街の小道を流れる夕刻の風の涼しさが、少しずつ肌寒さに変わり始めていた。
(次号へ続く)
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