
昼食を終えた後、私はヤルカンドに到着した直後に歩いた大通りのほうへ再び足を向けてみた。
前日には、道行く人からひたすら冷たい視線を浴びた通りだったけれど、不思議と自然に足が動いた。昨晩と今日、ライラと話したいろいろなことが頭にあって、視線があまり気にならなかったということもあるのかもしれない。
大通り沿いの小さな公園の前のベンチで私が一休みしていた時のことだった。
隣に私と同じくらいの年齢に見えるウイグル族らしき男性が座った。しかも興味深そうにこっちをちらちらと見ている。どうやら私のメモ帳の文字に気がついたらしい。
開いていたのは、前日にライラに教えてもらったウイグル語をカタカナで書き並べていたページだった。
ウイグル族の人から見れば、風貌だけなら漢民族と区別がつかない私の手元に、少なくとも漢字ではない見慣れぬ文字を見つけて不思議に思ったようなのだ。
「漢民族・・・じゃないんですか? どこの人ですか?」
正確には聞き取れなかったが、彼からの最初の質問はそんな内容だったと思う。
「メン、ハンズーアマス。ヤポンルック(=私は漢民族ではありません。日本人です)」
私がウイグル語でそう答えると、男性は少々驚いた表情を見せながらも笑顔でペラペラとウイグル語で話し始めた。さすがに言われていることはほとんど理解できなかったが、年齢や仕事やこれまで訪れたウイグルの町の話を、私のつたないウイグル語とジェスチャーを交えてしばらく話した。
「シズヌン、ハズマット、ニメ?(=あなたの、仕事、何ですか?)」
今度は私が彼にそう質問すると、彼は口を「へ」の字に結んで首を横に振った。
そして両手を広げて肩をすぼめ、「ヤルカンドには仕事なんかないよ」と、ため息混じりにつぶやいた。
「仕事がない・・・」その言葉を聞いて、不意にパミール高原のことが私の脳裏をよぎった。考えてもみれば、前日にカシュガルからヤルカンドへ到着したばかりだ。カシュガルの数日前にはパミール高原の奥地の村に滞在していたわけだから、わずか4、5日も遡れば、私は現金もなければ職業という概念もないところで過ごしていたことになる。
さらに彼の言葉で、私はライラのことも思い出していた。進学や就職が希望通りには行かず、ウルムチの高校を卒業後にヤルカンドへ戻ってきたライラ。少し話しただけだけれど、彼女は自分の現状に少なくとも満足してはいないようだった。
標高7000mを越える峰が手に届くような距離に見えたあの自給自足の村。パキスタンへと続くカラコルムハイウェイからも遠く離れたパミール高原の奥地の村。ヤルカンドの公園のベンチで、私は自給自足の村で目の当たりにしたことやそこで考えたことを改めて思い出していた。
公園の角には小さなアイスクリーム屋がある。通りには焼きたてのナンを売る店が並んでいる。その通りを渡ったところには書店がある。もちろんどれもが自給自足の村には存在しなかったものだ。
そして、進学の悩み、就職の悩み、仕事がみつからないという嘆き・・・。やはりそのどれもが、自給自足の村には存在などしなかった。職業の概念が存在しない世界には、仕事にまつわる悩みも嘆きもないのである。そこにあるのは、今日、明日、明後日・・・自分が生きながらえるために食料を得るという過酷な作業の連続だった。もちろん、紙切れに数字が書かれたものに価値などなかった。
私はベンチに腰掛けたまま、パミール高原がそびえる西の方角を眺めてみた。
わずか数日前にいた自給自足の世界と、職業のある世界。
2つの世界でそれぞれに生きる人々の環境や無意識に携える価値観に思いを馳せた時、自分自身も片方の世界にどっぷりと属して生きていることも含めて、なんだが整理のつかない愕然とした感情を抱いたものだった。
(次号へ続く)
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