風のまがりかど |
この記事の発行者<<前の記事
|
次の記事>>
|
最新の記事
〜= = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = =
____________________________________________________________________
〜*’
風のまがりかど
__________________________________
− その12. 不機嫌について (身体と脳)−
--------------------------------------------------------------------
どうも体調が良くない。原因は明らかで約一ヶ月休みの日がないからなのだが、そ
れでも毎日に体調の波があり、良い日は疲れなど感じない。だが日に日に疲れが増
して来るのが感じられ、このごろでは内臓がいい加減にしてくれと言っているよう
な気がしてきた。
こんな極端な生活でなくとも、普通の人なら誰でも日々の暮らしの中に波があり、
その波から機嫌の良し悪しも現れてくる。夏目漱石の小説を読んでいると、実によ
く機嫌の悪いとか良いとかが出てきたように記憶している。漱石はたしか胃が悪く、
ずっとそれに悩まされてきたためいつも機嫌が悪かった、と鏡子夫人が書いていた
と思うが、彼の小説の主人公もたぶんに機嫌に良かったり悪かったりしている。
と、こう書いてきて、ふと明治から昭和の戦前まではこの「機嫌」というやつが頻
繁に文章に使われていることに気が付いた。「今日は誰それは機嫌がよかった」と
か「ご機嫌斜めで」など、かつてはこの「機嫌」という言葉をよく使った。しかし
このところ、この言葉はあまり使われなくなった。新聞や小説でもどうもご無沙汰
(これもあまり使われなくなった言葉だが)だ。
私が勝手に思うには、このごろは誰もが「不機嫌」続きで、もうそんなことを言う
のも「うざく」なってしまい、それで言わなくなったのではないだろうか。漱石が
生きていた時代は、男尊女卑で権力のありかがはっきりしていた。だからこそ、自
分の思ったようにいかないときには「不機嫌」になり、思い通りになったときは「
上機嫌」になった(なれた)わけだ。
しかし、こんにちでは誰もが平等(これは難しい言葉だけれど)なので、その「不
機嫌」は蔓延し、巷(ちまた)に充満することとなったわけだ。朝の出勤時間に、
混雑する電車やバスの中をのぞいてみれば、もう不機嫌が今にも爆発しそうな状態
である。しかし、ここからお話は急展開する。
突然、わたくしごとで恐縮なのだが、この半年、私は午後から出勤すると言う仕事
をしている。当然その分、夜も帰宅は遅いのだが、なにせ元々夜行性の生活なので
これは苦にならない。で、それまで8時ごろに起床していたのが、9時や10時に
なった。なにせ1時過ぎに出かければいいので、起きる時間は自由なのである。目
覚ましなんかかけない。
この状態が、楽なのだ。本当に心地いい。仕事が特に大変でないということもある
が、それはさておき、体調が悪いのに起き出すということがなくなって、もう1時
間寝ていよう、ということが出来るというのがこんなに良いものとは思わなかった。
いや、それなら早く寝ればいいのだ、と言う声もあるだろう。無論そうなのだ。し
かし、長年夜更かしの生活を続けてくると、特別疲れている日でもない限り、早く
就寝しようなどと言うことは考えない。考えられない。
で、いつも午前1時頃就寝するという生活をもうずっと続けている。すると、疲れ
がたまった時とか、飲み過ぎた翌日などは、起床がつらい。このベースが、一日引
きずられる。少しずつ良い方に向かうとしても、体調は基本的には良くない。しか
し、睡眠を充分に取ることができると、本当に一日が楽なのだ。睡眠障害という言
葉を最近よく聞くけれど、これは本当につらいものだ。
で、さらに話は発展するけれど、こういうからだの不調が精神に実に甚大な影響を
与えるのである。やっと、ここまで来た。これが、今日言いたかったことなのだ。
たとえ、些細なことであっても、体の不調はこころに影響を与える。胃がチクチク
痛む、そのことがその人の行動に深く影響する。会社に勤めていれば、仕事での
決定事項にも影を落とすし、例えば人事考課などにも影響するだろう。
いや、人間だから仕方ないよ、などという声も聞こえてきそうだが、評価される方
は半年や一年の間の業績がそれで決まってしまうのだから、たまったものではない。
もっと、客観的に評価されてしかるべきだ。フランスの哲学者、アランはこういう
ことが日常に実に煩瑣に見受けれられることに警鐘を鳴らした。そう、我々は知ら
ないうちに、精神の身体に対する優位性を信じて、いつも客観的な判断ができると
思いこんでいるのだ。
ここまでくると、あの養老孟司氏の「唯脳論」の世界が近くにあることに気付く。
脳が、胃痛を感じさせないようにして、仕事を遂行させているのだ。からだの諸器
官を統御している脳が、それぞれの言い分を聞きながら、全体としての業務の遂行
を推し進めているわけだ。その脳にある基本的な上位命令とは、では一体何か?
こいつが問題なのだと思う。それが、生きていく方針というやつだ。もうのんびり
行くのだ、と割り切れば、脳も「あのー、ちょっと前から歯が痛かったんですが」
と言い出すことができる。もちろん、脳には以前から歯の痛みが届いていたのだが、
言い出せなかったわけだ。脳での上位命令、「仕事第一」があったために。
その仕事第一には、さらに重要な側面があって、それは「金を稼ごう」あるいは、
「もっとあれが欲しい」という名前が付いている。だからこそ、一所懸命働ける訳
なのだ。どれだけ仕事が面白くても、半分に給料が減ることになれば、誰もその仕
事は続けないだろう。「仕事」の陰に「金」があり、その陰に「物欲」という恐ろ
しい本能にも似た怪物がいる。
だからこそ、それから自由になることが必要なのだ。とらわれず、自分自身に戻り、
そこで本当に必要なものを再確認すること。それが、このモノと欲望が渦巻く21
世紀に必要なことなのだ。無論、容易な道ではない。しかし、ほんのわずかに方針
変更するだけで、考え方やものの見方を変えるだけで、世の中はがらりと変わって
見えるに違いないのだ。
自由に生きることは、楽しく、他人に迷惑を掛けずに生きることに他ならない。そ
う、私は気付いた。まだまだ長い道のりだが、自分自身が自由に生きるため、少し
ずつではあるが、この道を歩んでいこうと思う。
<寒さにめげず、次号へ
== == == * == == == == == * == == == == == * == == == =
■ 2005年2月6日(日曜)発行
□ 発行者:風のまがりかど mailto:meer@aug.email.ne.jp
■ バックナンバー http://www.asahi-net.or.jp/~fv2y-mrs/magarikado.htm
□ マガジンID 『まぐまぐ』:0000135635 & melma!:m00118412
= + = + = + = + = + = + = + = + = + = + = + = + = + = + = + = + = + =
この記事の発行者<<前の記事
|
次の記事>>
|
最新の記事
