風のまがりかど |
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風のまがりかど
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−その29−
いつか見た風景
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一週遅れで書いております。言い訳は一応ブログにしてあります。
http://blog.melma.com/00118412/
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よく通る商店街で、商店だったところがある日突然壊されて、ビルになります
なんていう張り紙がしてある。まあ、日本国中どこへ行ってもこんな風景は少
しも珍しくはないのだけれど、どうもなんだかよくないという気がしてきてい
るのである。
日本の人口はどうも今年あたりがピークで来年くらいから減少するようだ。そ
れにもかかわらず、「開発」は一向に止まず、鉄道も新線を引いたり延伸した
り、宅地も造成されているし、海を埋め立てて土地を造りだすなんてことをい
まだに大マジメに考えている自治体さえある。
どんどん便利になっていき、暮らしやすくなっていくことには何の反対もある
わけがなく、両手を挙げて賛成するけれど、そのために税金をザブザブと使い
そのツケがいつか回ってくることを言わずに、事を進めていくのはどうだろう
か。
国の財政を良く見てみると、今のところバラ色の未来ははるかに遠そうだ。
日曜にこんなメルマガを送られても困るよな、という顔が見える気がするの
で曲がりかけた話題を元に戻そう。(いや、脱線しただけなのだけれど)
生まれたところに死ぬまで暮らしている人って、今の日本にいったいどれくら
いいるのだろうか。現在多くの人は、都会で暮らすようになっている。その都
会では日々景観が変わっていく。子供のころの記憶がもう蘇らせられない国に
私たちは住んでいる。都会でなくとも、農地が宅地化したり田畑が荒地化した
りなどの変化もあるに違いない。
こういう変化の激しいところに住んでいると、人間の精神に与える影響はどう
なるのだろうか。このあいだ、ふとそんなことを考えた。きっと良くないに違
いない。子供のころの風景を大人になっても変わらずに保ち続けることができ
る町は、できないものだろうか。
いつだったかエドガー・アラン・ポーの「アッシャー家の崩壊」という短編小
説について書いたと思う。これなどはアッシャー家の主人が死ぬと屋敷自体が
崩壊してしまうのである。つまり、家とはそこに住む人間の拡張した自我自体
なのだ、ということをわたしは思う。
長く乗っている車や自転車が手足のように動かせる、それ以上に家は自分のか
けがえのない一部なのであり、その感覚を忘れてしまうことが近代化のように
思ってきたわたしたちは、誤っているのだと思う。子供のころの落書きや柱に
付けたキズ、ぶっ壊した窓枠などにひそむ思い出の数々は大人になっていく過
程で忘れて行きはするが、じつは心の奥底で自分を成り立たせている大切な要
素ではないか、とわたしは感じている。
そういう忘れてしまった記憶の中に、気がつかない心の傷や取り返しのつかな
いことがらが、ずっと眠らされている。しかし記憶の表面では忘れ去っても、
家があればそれを思い出させてくれる。かたちとなって残っていれば、あると
きふとそれらは意識の表面に現れてくるのだ。
わたしの家はもうない。借家だったので取り壊されてしまい、今はもうまった
く影もかたちもない。そのことがときに自分の意識に与える影響について考え
るのだ。その家を去るときには仕事で忙しかったこともあり、たいして気にせ
ずにいたのだが、しばらくして夢がその昔の家のことばかりなのに気がついた。
新しい家の夢を見るのはずっと後になってのことだった。
そのときにわたしは気付いたのだ。あのポーの小説の内容が、どういうことを
意味していたのかを。家がなくなり、思い出自体が瓦解してしまうような精神
的な危機感を味わったのだ。喪失するものは、喪失した後でしかそのものの意
味がわからない。いま、そこにあるものはその意味がわからないのだ。
商店街にある古い店が、ある日突然なくなる。それは仕方のないことかもしれ
ない。しかし、そこにつながっていた思い出を持つ多くの人から、また一つ過
去とのリンクが切れてしまったのだ。そうして我々は根無し草になって行き、
糸の切れた風船のように荒廃したビルの間をさまよう存在になっていく。
もう、新しいものはやめてもいいのではないか。全部とは言わない。少しずつ
ものとの付き合いを深くしていこう。金で買えるものが何なのか、買えないも
のが何なのかを少し考えよう。「うるるん」の番組で途上国といわれる国の生
活のほうが、明らかにわたしたち日本人の生活よりも魅力的なのはなぜなのだ
ろうか。人間味にあふれているのはなぜだろうか。金と引き換えに魂を売り渡
してしまったかのような生活を、もう一度見直すときに来ていると、わたしは
思います。
< さらに秋へ。
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■ 2005年10月30日(日曜)発行
□ 発行者:街角の風 mailto:meer@aug.email.ne.jp
■ Blog http://blog.melma.com/00118412/
□ マガジンID 『まぐまぐ』:0000135635 & melma!:m00118412
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