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◇◆◇ 東大寺二月堂「十七夜盆踊り!」 ◇◆◇
http://www.todaiji.or.jp/index/hoyo/17ya.html
毎月17日は観音様の縁日で、特に旧暦8月17日は「十七夜(じゅうしちや)」
と呼ばれ、昔から、各地の観音霊場で様々な法要や催しが行われてきました。
東大寺の二月堂でも、毎年9月17日、堂内に万灯明をともして「十七夜」の
法要をお勤めしています。またこの日は、二月堂下の広場で、河内音頭・江州
音頭による「十七夜盆踊り」も開催されます。
二月堂の「十七夜盆踊り」は平成5年に復興されたもので、二月堂下の広場で
行われ、自由に参加することが出来ます。
日 時 : 9月17日(水) 18:00〜
場 所 : 東大寺二月堂
問合せ : TEL 0742-22-5511
◆ イベント情報、HP・サークルの紹介など
みなさんからの書きこみお待ちしております。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~n-emiko/keijiban.htm
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天平十七年(745)九月十七日
聖武天皇、重病に陥る。
聖武天皇はこの年正月を紫香楽宮(しがらきのみや、滋賀県甲賀郡信楽町)
で迎えられた。遷都の宣言こそなかったがこの時点で既に紫香楽は皇都とされ
ていたのだが、宮室が未完成のため朝賀の儀式は実施されなかった。平城京か
ら恭仁京への遷都に続き、今度は紫香楽、とめまぐるしく遷都が繰り返された
のだが、さすがに人々の拒否反応が出てきたらしく、この年四月からは紫香楽
周辺の山で放火と見られる火災が相次ぎ、更に地震も頻発するに及びとうとう
恭仁を経て五月十一日、平城京に還幸される。
しかし、聖武はそれでもなお落ち着くことなく八月二十八日には今度は難波
宮へ行幸される。そしてその難波宮で発病されたらしい。病名は不明だが、十
五日に三年間の殺生禁断が命ぜられたのに続き、この日には自らが病であるこ
とを発表、そのために大赦を発令した。しかしそれでも病状は好転しなかった
らしく、十九日にはとうとう覚悟されたのか、主要皇族全員を難波宮に召集し
たばかりか平城京にあった駅鈴や天皇印を難波宮に運ばせ、平城・恭仁の宮を
厳重に警備させた。一方では賀茂・松尾などの神社への奉幣、畿内の諸寺での
法要とあわせて鷹狩り・鵜飼いの鷹や鵜を放たせ、また三千八百人という多く
の出家を認めるなど必死の祈りが続けられた。その甲斐があったのかこの月の
下旬には漸く病状は好転したらしく、二十五日には難波宮を後にして平城京へ
還幸された。そしてここに漸く藤原広嗣の乱以来の放浪に終止符が打たれ、平
城京が再び都となることにつながって行った。この年十二月十五日、恭仁宮の
武器を平城京に運ばせたことは恭仁京の放棄を意味するものであった。
(続日本紀)
★ この欄は狸さん(oodanuki@yahoo.co.jp)の投稿によるものです
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