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◇◆◇ 大神神社「講社崇敬会大祭!」 ◇◆◇
http://www.oomiwa.or.jp/
全国各地から講社・崇敬会員が多数参列し、各講の提灯が大前に掲げられます。
11時からの祭典では、「大祓詞、神拝詞、いのりの詞が宮司以下祭員にあわせて
全員で唱和され、「みわ鈴」を自身の手の中に包み込み、心を込めて振り鳴らす
「むすびの鈴行」が行われるほか、祈祷殿前では三輪山福袋や振る舞い酒など
楽しい催し物もあります。
日 時 : 9月27日(土)・28日(日)
11:00〜
場 所 : 桜井市三輪
交 通 : JR三輪駅より徒歩約5分
問合せ : 大神神社
TEL 0744−42−6633
◆ イベント情報、HP・サークルの紹介など
みなさんからの書きこみお待ちしております。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~n-emiko/keijiban.htm
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天平十三年(741)九月八日
恭仁京遷都を正式に宣言。
天平十二年十月二十九日、藤原広嗣(ふじわらのひろつぐ)の乱を契機に東
国行幸を開始された聖武天皇は伊賀を経て伊勢に至り、関宮(三重県一志郡白
山町川口)の行宮で広嗣らの斬殺によって乱が鎮圧されたことを聞かれた。し
かし、それでも行幸は続けられ美濃を経て近江に入られた。そこで先発した右
大臣橘諸兄(たちばなのもろえ)は山背(やましろ)の恭仁(京都府相楽郡加
茂町)に入り、ここに都を遷す準備を行った。この地にはもともと甕原離宮
(みかのはらのとつみや)が設置されていたが、今度はここに本格的な都城を
建設しようとしたのである。そして十二月十五日、いよいよ聖武天皇が行幸、
後に元正上皇と光明皇后も合流された。そして翌天平十三年正月には伊勢神宮
など諸社に遷都を報告、また閏三月には五位以上の官僚の平城京在住を禁止し、
八月末には平城京の東西市(官営市場)を恭仁京に移設するなど着々と実質的
な遷都を行って来た。その上でこの日、遷都を理由に大赦の詔が出された。公
式に遷都を宣言したのはこれが最初。あわせて智努王(ちぬのおおきみ)、巨
勢奈弖麻呂(こせのなでまろ)の二人を造宮卿に任じ、新京建設に当たらせた。
建設を急ぐため、大極殿(正殿)や朱雀門などは平城京より移築された。逆に
言えばこの段階ではこれらの主要建物さえ未完成の状態であった訳で、この年
正月の朝賀の儀式も幔幕で囲っただけの状態で行われた。なお近年平城宮跡に
再建された朱雀門はこの時に恭仁京に移築されて以降平城京には再建されなか
ったらしい。
恭仁京はその後天平十五年末までに造営は停止され、十六年二月、難波宮が
皇都と定められるに及んで都としての短い命を閉じた。
(続日本紀)
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