日刊 なら情報!! |
この記事の発行者<<前の記事
|
次の記事>>
|
最新の記事
◇◆◇ 「収蔵作品展II 蘇(よみがえ)る記憶!」 ◇◆◇
「〜下絵に残された真実〜」
http://www.kintetsu.jp/shohaku/index.html
素描や下絵類は、本画では見られない画家の苦悩や迷い、工夫などを
たどることができ、完成に至る制作過程を知る貴重な手がかりとなり
ます。本展では、上村三代の素描や下絵などの資料類を一堂に公開す
ることで、そこに残された画家の素顔に迫ります。
日 時 : 8月5日(火)〜9月28日(日)月曜休館
10:00〜17:00(入館は16:00まで)
場 所 : 松伯美術館
費 用 : 大人 800円、小学生・中学生 400円
交 通 : 近鉄奈良線学園前駅北口からバス
「大渕橋(松伯美術館前)」下車 徒歩2分
問合せ : TEL 0742-41-6666
◆ イベント情報、HP・サークルの紹介など
みなさんからの書きこみお待ちしております。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~n-emiko/keijiban.htm
┏━━▼━▼━▼━━━━━━━━━━━━━━━━━━━☆━☆━☆━━━┓
o○───────────────────────────────○o
★ ◇◆◇ <なら・今日の歴史> ◇◆◇ ★
o○───────────────────────────────○o
┗━━☆━☆━☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━▲━▲━▲━━━┛
用明二年(587)八月二日
崇峻天皇即位。
天然痘と見られる病気により用明天皇が急に崩御された後、皇位継承を巡っ
ての穴穂部皇子(あなほべのみこ)を奉じる物部守屋と泊瀬部皇子(はつせべ
のみこ)を奉じる蘇我馬子との間に遂に戦端が開かれた。朝廷を二分する争い
に勝利を得た蘇我馬子らの推挙と大権を代行していたと見られる炊屋姫尊(か
しきやひめのみこと、敏達皇后、後の推古天皇)の承認を得てこの日泊瀬部皇
子が即位された。崇峻(すしゅん)天皇である。天皇は同月倉梯宮(くらはし
のみや、桜井市倉橋?)に宮を営まれた。
崇峻天皇は崇峻四年(591)十一月四日、悲願であった任那(みまな)復
興を果たすため紀男麻呂(きのおまろ)、巨勢猿(こせのさる)、大伴囓(お
おとものくい)、葛城烏奈良(かずらきのおなら)らを大将軍に任じ、二万余
の大軍を筑紫に派遣、軍の圧力のもとに新羅(しらぎ)と任那(この段階では
もちろん新羅に服属している)に使者を派遣した。
この間、翌五年十月四日にある人が献上した猪を見た天皇は「いつの日か、
この猪の頸を断つように朕が嫌いな人を斬ってやりたい」とつぶやかれた。こ
の一言が命取りになってしまう。天皇の妃、大伴小手子(おおとものこてこ)
は天皇の寵愛が衰えていることを恨んでいたが、これを聞くと蘇我馬子に密告
した。これを知った馬子は嫌いな人が自分であることを恐れ、十一月三日、東
漢駒(あずまのあやのこま)に天皇を弑殺させた。こうして蘇我氏に擁立され
た崇峻天皇は(その嫌いな人が実際は誰であったかは永遠の謎であるが)蘇我
氏によって消されてしまったのであった。
(日本書紀)
★ この欄は狸さん(oodanuki@yahoo.co.jp)の投稿によるものです
http://www2s.biglobe.ne.jp/~n-emiko/cgi-bin/sun-bbs/
◆==================================================================◆
◇◆◇ このメルマガの発行・配信申込・解除は ◇◆◇
◆『まぐまぐ』さん( http://www.mag2.com/ )
http://rap.tegami.com/mag2/m/0000030043.htm
◆『 melma!(メルマ)』さん(http://www.melma.com/ )
http://www.melma.com/mag/95/m00011395/index_bn.html
◆『カプライト』さん(http://kapu.cplaza.ne.jp/ )
http://cgi.kapu.biglobe.ne.jp/m/1507.html
◆==================================================================◆
この記事の発行者<<前の記事
|
次の記事>>
|
最新の記事
