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◇◆◇ 「蓮華会蛙飛び!」 ◇◆◇
http://www.kinpusen.or.jp/event/event_index.htm
その昔、信仰を侮ったために蛙にされた男を、行者が修験の呪術で
元の人間の姿に還らせた縁起による行事。
輿に乗ったぬいぐるみの大蛙が町内を練り歩く。
日 時 : 7月7日(月)
場 所 : 金峯山寺蔵王堂(吉野郡吉野町)
交 通 : 近鉄吉野駅よりロープウェイ山上駅下車、徒歩10分。
問合せ : 金峯山寺
TEL 07463-2-8371
◆ イベント情報、HP・サークルの紹介など
みなさんからの書きこみお待ちしております。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~n-emiko/keijiban.htm
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養老七年(723)七月六日
太安万侶、卒す。
昭和五十四年(1979)に奈良市田原町此瀬の茶畑から偶然発見された銅
板は「古事記」の撰者として知られる太安万侶(おおのやすまろ)の墓誌であ
ることがわかり、話題をさらった。その墓誌には次のような文字が記されてい
た。
「左京四条四坊従四位下勲五等太朝臣安万侶、癸亥の年七月六日を以て卒(し
ゆつ)す。養老七年十二月十五日乙巳」
当時の墓誌がいずれもそうであるように、簡潔に住所・官位・姓名や亡くな
った年月日などを記すのみである。続日本紀では七月七日の記事として太安麻
呂が卒したことを記すが一日違うのは報告された日などと間違えたのであろう
か。文字も「古事記」序と墓誌は共通して太安万侶としており、恐らく自分で
はそう表記していたのであろう。
太氏はもともと多氏を称しており、安万侶の父は壬申の乱の功臣である多品
治(おおのほんじ)とされる。安万侶の代から太氏を称するが、奈良時代末に
は再び多氏に表記を戻している。大和国十市郡飫富(おお)郷(奈良県磯城郡
田原本町多)がその本拠であり、その地にある多坐弥志里都比古(おおにいま
すみしりつひこ)神社はその氏神である。
安万侶は和銅四年(711)九月、元明天皇の命を受けて「古事記」の撰進
を行い、翌五年正月には完成し、奏上した。墓誌に「勲五等」とある以上、文
官としてだけではなく武官としても功績を挙げたと推定される。亡くなったと
きは民部卿であった。
(太安万侶墓誌)
★ この欄は狸さん(oodanuki@yahoo.co.jp)の投稿によるものです
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