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日刊 なら情報!! 2005.11.18 Vol. 2056
 ̄ ̄ N e w s  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ E v e n t  ̄ ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ニュース・イベント・寺社の紹介等など、奈良に関する各種情報の中から、
毎日いずれかの情報をお届け致します。何が届けられるかお楽しみに!!
◇◆◇ 第34回「かぎろひを観る会!」 ◇◆◇
http://www.town.ouda.nara.jp/top.html
大宇陀町観光協会では「かぎろひを観る会」を下記のとおり開催します。
万葉の昔からの雄大な情景を是非ご覧ください。
柿本人麻呂が詠んだ「ひむがしの野にかぎろひの立つみえてかへりみすれば
月かたぶきぬ」は、阿騎野という現在の大宇陀町周辺で雄大な夜明けの情景
を詠んだものです。時期は持統6年(西暦692年)、旧暦の11月17日と推定され、
毎年この日に当たる早朝にかぎろひの丘万葉公園で行われるイベントです。
当日、参加者はたき火を囲み、笹酒、芋汁で暖をとり、人麻呂が詠んだ、
阿騎野の雄大な「かぎろひ」の現象を体験し、万葉の昔をしのびます。
イベントの後は、近くにある薬の館、森野旧薬園など旧城下町の街並みを
訪ねるのもおすすめです。
日 時 : 12月18日(日)午前4時〜6時 (旧暦11月17日)
場 所 : 奈良県宇陀郡大宇陀町大字迫間、かぎろひの丘万葉公園
交 通 : 名阪国道針インターチェンジから国道369号線を南へ、
榛原町を通り、国道370号線から国道166号線へと南下。
無料駐車場300台。
(早朝のため、公共交通機関は利用できません。)
問合せ : 大宇陀町観光協会
TEL 0745-83-2251
★ かぎろひ
観光協会では、「厳寒の良く晴れた早朝、太陽が地平線上に現れる約1時間前に
太陽光線のスペクトルにより現れる最初の陽光」としています。
◆ イベント情報、HP・サークルの紹介など
みなさんからの書きこみお待ちしております。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~n-emiko/keijiban.htm
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★ ◇◆◇ <なら・今日の歴史> ◇◆◇ ★
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文治元年(1185)十一月十八日
吉野山に源義経を探索。
平家一門を滅ぼした後、兄源頼朝と決定的に対立した源義経は兄の刺客、土
佐坊昌俊(とさのぼうしょうしゅん)による襲撃事件をきっかけに十月十八日、
頼朝追討を命じる後白河法皇の院宣(いんぜん、上皇の命令書)を得て兵を集
めたが思うようにいかず、十一月六日西国へ赴こうと乗船した。しかし暴風に
吹き戻されて散り散りになり、弁慶や愛妾静らわずか四人となった。義経一行
は吉野に入ったが、吉野の僧兵が襲撃するとの風聞により山伏に姿をやつし、
更に逃亡した。その時、吉野山中で静には金品を与えて別れた。一行と別れた
静であったが、金に目がくらんだ従者たちは彼女の金を強奪し、深い峯雪の中
に置き去りにした。静は蔵王堂まで迷い出たところを十七日、衆徒(僧兵)に
捕らえられた。
この日、静の供述によって義経を追って吉野山の探索が行われた。結局義経
の行方はわからなかったが、静は鎌倉の頼朝のもとに護送されることになった。
一方、当の義経はその頃は暫く京都周辺に潜伏したらしい。彼を庇護する勢力
もあったにせよ、ある程度わかっていながら「泳がせて」いたのかも知れない。
結局義経は文治三年二月には奥州平泉にあったかつて自分を庇護した藤原秀衡
(ふじわらのひでひら)のもとにあった。しかし、秀衡の死後奥州藤原氏を継
いだ泰衡は頼朝の脅迫に屈して文治五年閏四月三十日、衣川の館に義経を襲っ
た。武蔵坊弁慶たちが防戦している間に義経は妻子を殺した後自尽、三十一歳
の波乱の人生を閉じることとなった。
(吾妻鏡)
★ この欄は狸さん(oodanuki@yahoo.co.jp)の投稿によるものです
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