頂門の一針 |
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わたなべりやうじらうのメイル・マガジン「頂門の一針」 1290号
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平成20(2008)年8月23日(土)
青森県に見る学徒動員史:渡部亮次郎
北朝鮮との核交渉は中断か:古澤 襄
夏の庭を愛(め)づ:馬場伯明
息子をドイツの徴兵に送って(3):永冶ベックマン啓子
狂気か熱気かは紙一重:平井修一
話 の 福 袋
反 響
身 辺 雑 記
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第1290号
発行周期 不定期(原則日曜日発行)
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青森県に見る学徒動員史
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渡部亮次郎
「花の蕾の若桜
五尺の命引き下げて
国の大事に殉ずるは
我等学徒の面目ぞ
あゝ、紅い(くれない)の血は燃ゆる」
昭和19年の軍国歌謡「あゝ紅いの血は燃ゆる」の歌詞に言う通り、大正
未から昭和の初めに生を受けた戦中派世代の学校生活は、国家と共にあっ
た。
私は昭和11年1月生まれ。16年12月の大東亜戦争開戦時は未就学と言う状
況だったから、18年8月23日の学徒勤労令や女子挺身勤労令には無関係に
過ごせた。
だが、あの時代、旧制中学以上の先輩たちは「一旦緩急あれば義勇公に
奉じ以て天壌無窮の皇運を扶翼すべし」との教育勅語が辿り看いた結末
は、教育の崩壊でしか無かった。
太平洋戦争も末期になると、学校は実質的にその機能を失い、全ての学
生生徒は、国のため学徒勤労報国隊として、工場や軍施設で労働するこ
とを強制された。発見した青森県に関する資料から少々長いが実態を見
る。
文部省は、13年6月9日「集団的勤労作業運動実施二関スル件」を地方長
官宛てに通牒、一律に中等学校(5年制)に対し「夏季休暇ノ始期・終期其
ノ他適当ノ時期二於テ概ネ低学年ハ三日高学年ハ五日」集団的勤労動員
をさせることを指示した。
昭和14年、日中戦争も2年目になると、学校生徒への自覚を促すために、
5月22日「青少年學徒ニ賜リタル勅語(天皇陛下の命令)」が発せられ、
「教育勅語」と並ぶ重要な指針とされた。
青少年學徒ニ下シ賜ハリタル勅語
國本ニ培ヒ國力ヲ養ヒ以テ國家隆昌ノ氣運ヲ永世ニ維持セムトスル任タ
ル極メテ重ク道タル甚タ遠シ 而シテ其ノ任實ニ繋リテ汝等青少年學徒
ノ雙肩ニ在リ 汝等其レ氣節尚ヒ廉恥ヲ重ンシ古今ノ史實ニ稽ヘ中外ノ
事勢ニ鑒ミ其ノ思索ヲ精ニシ其ノ識見ヲ長シ執ル所中ヲ失ハス嚮フ所正
ヲ謬ラス 各其ノ本分ヲ恪守シ文ヲ修メ武ヲ練リ質實剛健ノ氣風ヲ振勵
シ以テ負荷ノ大任ヲ全クセムコトヲ期セヨ(今の若い人たちには理解不能
では無いか)。
戦局が泥沼化する中、勤労奉仕はさらに強化され、中学校では男子生徒
の登下校は、戦闘帽にゲートル、盡忠報國が合言葉となり、軍事教練が
重視されていった。
16年になると、物資、とりわけ食糧、家畜飼料の不足が著しくなり、そ
の増産が急務とされた。5月8日「青少年学徒食糧飼料等増産実施運動二
関スル件」が通牒され、勤労奉仕は正課に準じて取り扱うこととされ、
すべての学校田植えや稲刈り、除草などの作業を30日以内行うことが指
示された。(県立青森高女の田植え奉仕の写真あり)
太平洋戦争の勃発により合言葉は「鬼畜米英」となり、多くの学校で英
語の授業が廃止され、勤労奉仕の時間に当てられた。
昭和18年4月17日付け東奥日報が百石町に在郷軍人会、青年団員等1000名
の竹槍部隊が結成された事を伝えるなど戦局はますます厳しくなっていっ
た。
野辺地町を中心に県下中等学校連合演習が開催された8月14日、青森県は
「県下学徒ノ戦時体制ヲ確立シ其ノ総力ヲ結集シテ戦力増強二挺身セシ
メ献身奉公ノ実威力ヲ培ヒ 至誠尽忠ノ精神ヲ涵養スル」することを目
的とした「青森県学徒報国隊組織二関スル件」を通達、以後学徒の勤労
奉仕は学校ごとに組織された軍隊編成の報国隊により実施する事となっ
た。
次いで18年8月25日「学徒ヲシテ将来ノ軍務二備へ国防能力ノ増強ヲ図ラ
シムルト共二必要二当タリテハ直接国土防衛二全面的二協力セシメ或ハ
学徒ヲシテ挺身国家緊要ノ業務二従事セシメ其ノ心身ノ錬成ヲ全カラシ
ムルコト」意図した、「学徒戦時動員体制確立要綱二関スル件」を通達。
学校報国隊を国土防衛に動員し得るよう整備すること、学徒を食糧増産、
国防施設建設、緊急物資生産、輸送力増強などに重点して動員すること、
中学校以上の女子学徒に対し看護訓練を強化する事を指示した。これに
より食糧増産の為、夏休み返上で勤労作業が実施される、直接国家の労
働生産の一環に繰り込まれることとなった。
「撃ちてし止まむ」「学徒出陣」が合言葉となっていた18年10月12日、
戦局の緊迫に応じて学校教育の制度全般を検討再桶する必要が生じ、
「教育二関スル戦時非常措置方策」が閣議決定された。
昭和19年3月から5年制中学の4年終了生にも上級学校入学資格を付与する
こと、男子商業学校の工業学校への転換・整理縮小等の方針が定められ
た。
これにより、青森県内の商業学校は工業学校に転換することとなり、19
年4月1日青森第二工業学校と改名、商業科の募集を停止した。
昭和19年1月18日学生生徒を勤労に動員できる期間を1年につき概ね4ヶ
月とした「緊急学徒勤労動員方策要綱」が閣議決定された。
しかし翌2月25日「決戦ノ現段階二即応シ国民即戦士ノ覚悟二徹シ国ヲ挙
ゲテ精進刻苦其ノ総力ヲ直接戦力増強ノ一点二集中」する事を目的とし
た「決戦非常措置要綱」が閣議決定されると、原則として中等学校程度
以上の学生生徒は全て1年間必要に応じて随時動員できることなった。
女学校卒業者の女子挺身隊への強制加入等の措置も宣言された。3月7日
には「決戦非常措置要綱二基ク学徒動員実施要綱」が閣議決定され、3月
31日学校別に動員方針、期間、出動先の基準を示した「決戦非常措置要
綱二基ク学徒動員実施要綱二依ル学校種別学徒動員基準二関スル件」が
発せられた。
これにより動員は通年動員とされ、工業学校は必要に応じて学校を工場
化する、女子の学校は工場化してその学校の生徒を動員する等の他、国
民学校高等科児童にも「適当ナル作業ヲ選ビ動員スルコト」が求められ
た。
青森市では2月15日、県立高女、市立高女、堤橋高女、東奥、山田、技芸
1600名による女子挺身隊結成式が市公会堂で「海征かば」の斉唱と共に
挙行されている。
以後女学校卒業者は続々と、大湊航空廠や三沢分工廠に出動することに
なるが、出動は県内だけに止どまらず、千葉裁縫女学校では19年4月約30
名が神奈川県藤沢市の日本精工株式会社に動員されている。
4月には文部省に学徒動員本部が設置され、「昭和19年度第一四半期第一
次学徒動員割当」として青森県に弘前高校文科237名、理科3年22名、2年
18名、青森師範学校262名、中学校男子730名、女子50名、総計1320名の
動員が指示され、学徒動員の第一陣として、青森商業5年50名が青森県造
船へ出動を命じられることとなった。
以後、5月弘前工業学校4・5年生が大湊、三沢航空廠、青森造船鉄工所に、
弘前高等学校3年生が北海道中標津飛行場の設営作業に動員される等、全
ての学校で上級生から順次各事業所に動員がかけられることとなった。
6月27日県内政部長、県警察部長連名により、「学徒ノ勤労動員ハ学徒ノ
教育実購トシテ行フ勤労協力タル理念二徹シ作業場ヲシテ行学一体ノ道
場タラシムルヤウ工夫勘案スルコト」を指示した「青森県工場事業場等
学徒勤労動員実施二関スル件」が通達された。
これにより、女子学校の可及的な工場化がうたわれた。それは勤労とは
名ばかりの強制労働でもあった。
県内では第1次の指定工場として、陸軍被服廠本廠仙台出張所から県立
青森高女と弘前高女の2校が指定され(後に市立青森高女も指定)、青高
女では7月22日9教室にミシン百数十台を準備して青高女学校工場を開場、
「我等は召されし学徒なり、大詔かしこみて勝利の日まで戦い抜かん」
との誓いの言葉が制定されている。
7月7日サイパン島守備隊が在島住民とともに最後の攻撃を敢行したこと
が報道されると、7月28日付け東奥日報は、大湊に動員中の青森商業学
校報国隊員が血染めの日章旗に「玉砕勇士に應へん、勝利の日まで」と
の血書をしたためた事を美談として報じている。
8月になると、4日青森中学、弘前中学5年に動貞令が下り、初めて県外軍
需工場である横浜市日産自動車に出発したのに続き、10日八戸中学が三
菱重工川崎製作所、木造中学、野辺地中学、東奥義塾が東京芝浦電気の
各工場に動員された。
日本砂鉄八戸工場に動員された八戸商業4年生が10月5日から本県最初の
深夜作業に入るなど、動員体制は一段と強化され、12月1日には下北郡下
国民学校高等科児童に大湊海軍工作部への動員命令が下されるまでとなっ
た。
すでに8月23日「学徒勤労令」と「女子挺身隊勤労令」が公布、学徒動員
は法制化されていた。
動員先の大湊航空廠では8月15日青森商業5年角田浩が大湊共済病院で病
死、青森造船鉄工所で11月24日弘前工業1年長濱秀三が殉職するなどの悲
劇も生じたが、全ては殉国美談に仕立て上げられていった。
絶対国防圏とされたサイパン島を失陥し、本土爆撃、上陸をも想定せざ
るを得ない状況に追い込まれた大本営はアメリカ軍の上陸点と予期した
八戸地区に要塞工事を実施することとし、弘前の留守第57師団は八戸郊
外是川村、舘村、島守村に永久要塞の築城を開始した。
工事は10月16日から秋田師範学校生が動員されたのを手始めに11月から
湊国民学校、小中野国民学校の高等科男女による動員を加え、20年1月9
日からは秋田師範、岩手師範、弘前高校、青森師範を始め八戸市内の全
中学校、国民学校高等科の児童生徒3500名を動員して進められた。
男子はもっばら砂利採集、運搬、トーチカ構築、女子はセメント、木材
の運搬にあてがわれ、築城は3月末に完成した。
この間津軽地方に19年暮れから降り始めた雪は史上空前の大雪となり、
京浜地区の工場へ石炭を輸送する青森鉄道管理部を直撃した。
青鉄は20年1月1日から青中、一中、青商、工業に緊急動員令を下令、青
森駅、青森操車場の除雪作業に当てている。
その降りしきる雪の中、1月19日青森師範は川崎市の東京航空計器への動
員生を青森駅から送り出したが、動員は更に強化され、学校に残ったの
は一部の動員洩れの病弱者と低学年だけとなった。
20年3月5日「国民勤労動員令」施行。12歳以下60歳以上の男子、40歳以
上の女子、極度の心身障害者を除いて日本国民全ては最低1年に60日以内
労働させられる事になった。
3月18日には「決戦教育措置要綱」を閣議決定、国民学校初等科を除いて
授業は昭和20年4月1日から1年間原則として停止し、全学徒を食糧増産、
軍需生産、防空防衛、重要研究其他直接決戦に緊要なる業務に総動員す
ることが決定され、「勤労即教育」として学校はその機能を全て停止し
てしまった。
3月28日青森一中では動員先の日本火エ戸塚作業所で第1回卒業式が執り
行なわれたが、式場には「蛍の光」の代わりに空襲警報が鳴り響いてい
た。
県内の学徒達が動員された軍需工場はB29の攻撃目標となっており、4月
15日川崎市の大日本化学工業に動員中の青森商業4年専攻科白鳥達雄が直
撃を受けて死亡、5月25日横浜市の大日本兵器富岡工場に動員された青森
中4年船木英二が横浜大空襲で死亡するなど犠牲者も少なくなかった。
多くの生徒たちは防空頭巾を被り爆弾の雨を逃げ迷うことになり、工場
自体が操業停止となったために動員を解除する工場も出始めた。
日本各地で空襲が相次いでいた5月22日、「一旦緩急ノ際ハ義勇奉公ノ節
ヲ効サンコトヲ」学徒に改めて求めた上諭が附された「戦時教育令」が
公布された。
これにより学徒の本分は、「尽忠以テ国運ヲ双肩二担ヒ戦時二緊切ナル
要務二挺身」することとされ、地方長官を隊長とする学徒隊の結成が定
められた。本土決戦、一億玉砕は当然のこととなり、その野戦陣地構築
にも生徒が動員されることとなった。
5月25日には護弘師団(第157師団)から弘前中、青森中、青森一中、青
森商業に動員令が下され、六戸、古間木、五戸陣地の構築に作業、7月18
日には再び青森中、青森一中、青森商業に動員が命じられ、下田、古間
木、六戸陣地を構築することになった。
動員に洩れた生徒、低学年生は各学校が経営を義務づけられた学校農場
に全て動員され、開墾作業に当てられたが、7月28日青森空襲の結果、
青森師範、青森中、県立高女、市立高女、市立二中、青森商業、山田家
政、東奥家政、堤橋高女、青森盲唖、師範付属国民学校、千刈国民学校、
新町国民学校、浦町国民学校、莨町国民学校、橋本国民学校が焼失。多
くの生徒たちが帰るべき場所を失う状態で、敗戦の報を聞くことになっ
た。
8月16日文部省は勤労動員学徒の動員解除の方針を通達したが、食料増産
のため農耕への勤労動員は継続されることとなり、これを正規の授業と
して、その働きを考課対象とした。急激な民主化の波と共に各学校では
ストライキが頻発、学校現場の混乱は暫く続く。
http://www10.ocn.ne.jp/~kuushuu/gakuto.html
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北朝鮮との核交渉は中断か
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古澤 襄
韓国の朝鮮日報はワシントンからユニークな記事を送ってくる。米国務
省筋に特殊な情報ルートを持っていると思われる。今回も「核問題:米
大統領選の影響で足踏み状態」という視点で特集を書いた。さらには6
カ国協議の枠組みが、揺らぐ可能性もあると指摘した。
このニュースはワシントンの北朝鮮専門家の発言として、北朝鮮はすで
にブッシュ政権との交渉に見切りをつけて、次の政権と交渉する方針を
定めたようだと述べた。しかもこの判断は6カ国協議の参加国の間でも
共通の認識だとみている。
北朝鮮との交渉で安易な妥協に走り過ぎると米保守派からブッシュ・ラ
イス外交批判が出ているが、北朝鮮側もブッシュ政権との交渉に見切り
をつけたとなれば、交渉は事実上、暗礁に乗り上げたことになる。
朝鮮日報はほぼ断定調で報じているが、この可能性が出ていることは否
定できない。唯一の得点にしようと無理を重ねてきたブッシュ外交だが、
強かな北朝鮮に振り回されている観がある。
<米国の自由アジア放送(RFA)は18日、「北朝鮮は(米国の大統領選挙
を前に)ブッシュ政権とは核申告の線で交渉を終わらせ、今後は次の政
権と別の解決を模索する方針を定めたようだ」と報じた。
これは「匿名のワシントンの北朝鮮専門家」の発言ということだが、す
でに6カ国協議参加国の間でも共通した見方となっている。
つまり「米国のレームダック(政権末期の権力を喪失した状態、死に体)
政権による北朝鮮との核交渉は事実上終わった」ということだ。
核問題についての交渉が事実上力を失ったというのは、米国が本格的な
大統領選挙の時期に入ったことを念頭に置いている。実際に核問題につ
いての交渉は、北朝鮮が今年5月に提出した核開発プログラムの申告書の
検証方法について検討する段階で足踏み状態にある。
◆北朝鮮はブッシュ政権との交渉を終了
米国は今月末に民主党大会、来月初めには共和党大会を通じてそれぞれ
の大統領候補を正式に選出し、その後は本格的な大統領選挙戦に突入す
る。ブッシュ政権はまさしくレーイムダックとなるわけだ。
また米政府は大統領選挙期間中に保守派の支持を集めるために、北朝鮮
が極度に嫌う人権問題を核問題と連携させようとする発言を何度も行っ
ている。
柳明桓(ユ・ミョンファン)外交通商部長官ら韓国政府の関係者が、
「8月までには少なくとも3段階の核廃棄に向けたロードマップ(工程表)
を作成する必要がある」と何度も強調していたのも、このような状況を
予想していたからだ。しかし合意されたロードマップの作成は実現して
いない。
現在核問題についての交渉は、3段階どころか2段階の仕上げともいえる
検証体制の構築でつまずいて進展が見られない。
北朝鮮は先月北京で行われた6カ国協議で検証履行計画書の草案を受け取
ったが、1カ月が過ぎた今になっても具体的な回答を出していない。
今月14日から16日にかけて米国のソン・キム対北朝鮮交渉特使の訪中を
きっかけに、米朝間の実務協議が行われるのではないかと期待されたが、
北朝鮮側の担当者はついに姿を見せなかった。
その一方で北朝鮮は18日に朝鮮中央通信を通じ、「米国がテロ支援国指
定解除の約束を守らないのは、行動対行動の原則に明らかに反するもの
だ」と非難した。最近、北朝鮮がこのように米国を公に非難するのも珍
しいことだ。
◆韓米、奔走するも成果なし
18日には韓国の黄浚局(ファン・ジュングク)北朝鮮核問題外交企画団
長とソン・キム特使が会談を行うなど、韓米・韓日・米中など6カ国協議
参加国が状況を打開するためのさまざまな話し合いを行っているが、こ
れといった対策が出てこないのが実状だ。
韓米などは米国の大統領選挙戦が本格化する前に、検証体制構築に向け
た非核化実務グループ協議を開催することで一致し、また6カ国外相会談
の推進でも一致した。このようなさまざまなレベルでの協議を通じ、両
国とも米国での大統領選挙戦の影響で弱まった核問題解決の推進力を高
めたいところだ。
しかしこれらすべての計画は、北朝鮮が検証に前向きな反応を示さなけ
れば実行に移すことはできない。
北朝鮮が今後も協力的な態度を示さない場合には、「テロ支援国指定解
除の遅延→北朝鮮による寧辺燃料棒の抽出の調整→北朝鮮への経済支援
の遅れ」などと続き、6カ国協議の枠組みそのものが揺らぐ可能性もある。
韓国政府関係者は「冷却塔爆破、非公式の6カ国外相会談などを通じて交
渉を進めてきたが、検証体制についての米朝間の立場の違いが大きい上
に、米国の大統領選挙までが重なって先行きは明るくない」と述べた。
(朝鮮日報)>
杜父魚ブログの全記事・索引リスト(8月14日現在2161本)
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夏の庭を愛(め)づ
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馬場 伯明
盆を過ごしに長崎の実家に1週間帰省した。昔からのしきたりどおりに、
仏壇を白い菊の花やホオズキ(酸漿)で飾り、饅頭・西瓜・葡萄などの
供え物をした。
仏壇の前に一対の灯篭を据え、縁側の軒に灯篭(提灯)を下げ、父
(2006年死去、94歳)ら先祖の霊を迎え、そして、送った。
今年の盆は日毎に驟雨に見舞われた。どしゃ降りの雷雨が来たかと思え
ば、さっと晴れる。浮気な雨とカンカン照りだった。
それでも、わが家の庭の木や花は今年も変わらない。太陽は燦燦と照り、
木は青々と生い茂り、花は生き生きと咲く。同じチョウやトンボが飛び
交う。この「変わらない」という現実が私の心を落ち着かせる。
昨年屋根を葺き替えた2階建ての小屋の、1階の障子格子の潜戸(くぐり
ど)から外庭(*1)に入る。今はもう、ここで収納(しいの)、脱穀や
穀物干しなどの農作業をすることはない。
(*1)ほかにわ。小屋と母屋の間の庭で、本来農作業用の庭
小屋から母屋の玄関まで10個ほどの大小の飛び石を置き、芝生を張り、
木々を植え、小さな築山に大小の庭石を配している。外庭はすっかり普
通の小庭(*2)風になった。西端には花壇も設けている。
(*2)こにわ。母屋の座敷側にある庭園風の庭
小屋の門をくぐれば、ツツジ(躑躅)の古木がある。球形(径2m)に剪
定されている。右側に厚ぼったい深緑の葉のマガタマ(勾玉、高さ4m)
があり、枝葉の全体は球形(径1.5m)に刈り込んである
の管理(剪定・雑草除去・清掃等)は出入りの庭師に頼んでいる。庭の
正面のマツ(松)の古木(高さ3.5m)は5段に刈り込まれ、松の芯を毎年
摘むことにより葉が密集し短く揃っている。
常緑樹のモッコク(木斛)は堂々としており、小屋の左角にあるカクレ
ミノ(隠蓑)には大きな葉の陰にすでに小粒の実が生(な)っている。
今年の夏の暑さでハナミズキ(花水木)が枯れた。今度は雲仙市の「市
の花」であるヤマボウシ(山法師)を植えることにしよう。
その他、庭石の配置に見合う木などを植えている。白いヤエツバキ(八
重椿)、ナンテン(南天)、小ぶりの花のヤマツツジ(山躑躅)、黄色
い花が美しいミオウヤナギ(未央柳)、ハラン(葉蘭)、クマザサ(熊
笹)など。
また、盆栽仕立ての鉢植えのイチョウ(銀杏)、センリョウ(千両)、
オモト(万年青)、イワマツ(岩松・イワヒバ:岩檜葉)、など。
花壇には多くの季節の花を植えている。その横には藤棚がある。ヒョウ
タン(瓢箪)の蔓にはこぶし大のものがぶら下がっている。アサガオ
(朝顔)は真っ盛り。早朝には薄紫、赤、白、水色の大輪が美しい。
2つの大鉢のゲッカビジン(月下美人)の枝には蕾が付いており、あの
狂おしい芳香が待たれるばかりとなっている。
外庭の石垣の上段に、ムクロジ(無患子)がある。細長い葉の枝の先に
は黄緑色のビー玉大の実が10数個づつ生っている。2個がくっ付いている
実もある。幼い頃、羽子板の羽根の玉に使った。
横の隔年結果(1年おきに実が生ること)の甘柿の古木(幹径40cm)に今
年はびっしり実が生っている。この柿の実は径4cmと粒は小さいが甘さは
格別であり、秋の帰省が今から楽しみである。
また、ヨウフヨウ(洋芙蓉)、ハマユウ(浜木綿)、一重のヤマブキ
(山吹)も茂っている。
場所を変える。母屋の座敷の広縁から小庭を見渡す。小庭にはうねった築
山と二つの池を配している。松竹梅の植栽の風景が広がる。
刈り込んだ古い松が2本、1本は池を低く覆う。平仮名の「ち」の字に幹
が曲がったシダレウメ(枝垂れ梅)、大きな白梅の古木(幹径30〜40cm)
が2本、コウバイ(紅梅)が1本、クマザサ(熊笹)2種類、背後にはモウ
ソウダケ(孟宗竹)やナリヒラダケ(業平竹)の竹林がある。
池の縁のイワマツ(岩松)は縮んでいたが、驟雨でよみがえり線香花火
の盛りのように葉を広げている。イワマツは日照りに強い。枯れたかと
思えば、どうして、どっこい生きている。
その他いろいろな木を植えている。葉が瑞々しいヤツデ(八手)、イヌ
マキ(犬槙)、千両・万両、ドウダンツツジ(満天星)、シュロチク
(棕櫚竹)、ゲッケイジュ(月桂樹)、サツキツツジ(五月躑躅)、ヤ
マブキ(山吹)、ハギ(萩)。
カイコウズ(海紅豆)は2度咲きの紅い花が満開である。ナガサキアゲハ
(雌)が寄って来る。漆黒の後ハネにある朱色の斑紋がきれいだ。
モクセイ(木犀)の大木、フェニックス(大木・径1m)、ユズリハ(譲
葉)、イチョウ(銀杏)、地植えのポトス、キリ(桐)、コデマリ(小
手毬)、紅白のモモ(桃)、モクレン(木蓮)、キンカン(金柑)、ザ
クロ(柘榴)。
また、ツワブキ、ジュウニヒトエ(十二単)、ジンジャ、地植のオモト
(万年青)、ユウスゲ(夕菅)、群青色の陶器の古い大火鉢(径 1m)に
は水を張りウォーターポピーを植えている。片方の池にはショウブ(菖
蒲)、スイレン(睡蓮)、クワイ(慈姑)がある。
ハカマカズラ(袴蔓)は、南串山町の児島(無人島)が「日本の自生北
限(故:外山長崎大学教授)」といわれるが、より北のこの庭に移植株
が生い茂る。葉の先端に三角の切り込みが入っている珍しい葉形である。
小庭の向こうの高台に隣家の楽常寺の鐘楼・御堂・庫裏などの建物があ
る。その背後には里山が連なり、その稜線が横切り美しい借景となって
いる。
駐車場端のクス(楠)の大木(幹径1.3m)の葉の間をアオスジアゲハ
(青筋揚羽)が忙しく飛んでいる。アオスジアゲハはクスに卵を産み付
ける。ジャゴロ(クマゼミ)も短い命を限りにひっきりなしに鳴いてい
る。
クスの対角にはタラヨウ(多羅葉、幹径40cm)がある。この木がなぜこ
こに植わっているのか不明だが由緒がある木だ。千代田霞が関郵便局の
玄関前(左)には平成9年4月植樹という「表示板」がある
《 「郵便局の木、タラヨウ」タラヨウは郵便局のシンボルツリーです。
葉の裏に先の尖ったもので字を書くとその跡が黒く残るので、古代イン
ドで手紙や文書を書くのに用いた多羅樹の葉になぞらえてその名がつけ
られました。一説に「はがきの木」と言われています。 》
母(ミスエ)の歌、2首。
牧野植物図鑑をめくりゐてめぐりあひたる多羅葉(たらえふ)の木
火に炙り黒色界線たしかめぬまさしくたらえふ紋付柴よ
500坪の屋敷のこの庭は今の母(90歳)一人の領分としては身に余る。鉢
植え植物だけでも夕方の水遣りは一仕事であるが、母は自身の運動を兼
ね日課のひとつとしている。かえって膝の痛みも少しよくなったようだ。
最後に、再びいう。田舎の庭の風景が「変わらない」という現実が私の
心を落ち着かせる。私(たち)はこの古い庭を守っていく。(2008/8/23
千葉市在住)
(追記)
私にとっては大切な(only oneの)庭ですが様式に則った庭園や公園では
ありません。好みの木などを植えた単なる農家の庭ですから客観的な価
値はほとんどありません。(了)
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息子をドイツの徴兵に送って(3)
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永冶ベックマン啓子
最初の1週間が終わり、金曜日の夕刻大きなバッグを持ち、私服で帰宅
したその息子を見て、私はアッと内心青ざめた。
何という変化、まるで白黒の古いドイツのドキュメンタリーの映画に出
てくるようなユダヤ人の男の子を思わせる出で立ちで、髪を5!)にしたの
もあるが、頬も表情も引き締まり、わずかの間に別人の様に青白く変わ
り、まるで幽霊でも見た後のような感じに変化していた。
父親は、この日仕事で国外に出かけていて、留守であった。
父親のクラウスが兵役に行っていた頃の昔は、基礎訓練の3ヶ月の間,
帰宅は許可されず、週末もKamerad仲間(戦友)と友情を深める為に、行
動を共にし、歌、演劇、話、スポーツ等したり、小旅行や教会へ行くな
どして過ごしたという。
親が兵舎を訪問する事は、3ヶ月が終わる頃許可されて、母親と叔母さ
んが2人で面会に来たが、母親は息子クラウスがあまりにも痩せていた
ので、目を赤くして泣いていたという。その頃は携帯電話もなかった時
代。
しかし、今でもその時の仲間は、ミュンヘンに2人居て、1人は映画監
督、もう1人は出版社を持ち、古い写真を見ながら話してくれたが、今
でも仲が良いというのに驚く。
木曜日の夕刻息子から「 兵舎の食事はお昼は肉が多く、野菜がとても少
ない。魚料理が食べたい」と電話で注文があったので、私は青空市場に
いそいそと買い物に出かけた。
あれやこれや本人が好きなものを沢山購入し、色々と料理してテーブル
一杯にカラフルに出すが、美味しそうにゆっくり味わって食べていたが、
何時もと異なり半分位しか食べない。「 なぜか食べられない」と言う。
親バカで、料理を作りすぎてしまった。人は急激な環境の変化にはな
かなかついて行けないし、受けている精神的ストレスもかなり大きいと
感じたので、マルチビタミン、ミネラル類等もサプリで飲むようにと色
々と出すと、素直に飲んだ。
朝食はパンが2〜3種類出るが簡単で、昼は一応フルコースだが、夕食
はドイツ人は後は寝るだけだから、沢山食べる必要は無い、と大抵は黒
パンとソーセージ、チーズ類、サラダ位で簡単である。
何か特別な事が起きたかもしれないと様子を伺っていたが、1週間の出
来事を良く話してくれて、この子こんなにおしゃべりだったのかしらと
驚く程この時は話をし、私は映画を見ているように想像して聞いていた。
虐めなどはなかった様子だし、大きなショックも受けていない様子なの
で一応安心した。
デザートが終わり、テーブルを片付けはじめると、すかさず息子が、
「お母さん、こんなに手の込んだ料理を出してくれて、ありがとう! 涙
が出る程、美味しかったけど、全部食べられなくてごめんね。」と、今
まで聞いた事も無い言葉、まるで別人からのような言葉が、息子の口か
らごく自然に流れ出たのです。
わずか1週間で何という変化と、私はこの日の夕べに大きな驚きを2回
も体験した。
“行進”の練習を毎日したという、正しい姿勢、正しい歩き方、右や左
に方向転換する事、全員で(5人づつの小隊が5つで中隊25人)リズム
やスピードを合わせて行進移動する事、ルールがあり、案外難しいとい
う。かかとを このように揃えて、手はこの位置でと、再現して見せて
くれた。
「右向け、右、の指令の時、僕の前の子が左を向いたんだよ、小さい声
で 右、右だよ」、と伝えたけど、後から 左と聞こえたと言うからよ
ほど緊張していたんだね、とあきれて話していた。
敬礼の仕方も、右手の位置、左手の位置、角度で意味があり、こうする
んだよと見せてくれた。ドイツ語で、どのように報告し、挨拶するか
まじめな顔をして、演じて教えてくれた。
「明日の朝は起こさないでね、睡眠不足だから早く寝るね、おやすみな
さい」とお風呂に入って、早々と自分の部屋へ消えた。
土、日曜日、私はまた料理を色々作り、疲労を回復させ、迷彩色のユニ
フォームなど選択してアイロンかけて、(この時もありがとうと息子は
言う)日曜日の夕刻息子は兵舎に戻るのでその準備をした。
出かける前、お末茶が飲みたいというので、虎屋の羊羹を添えて出すと、
満足そうに「ああっ〜 おいしかった! お母さんのおかげで、また元
気が出てきたよ、ありがとう!」と言い、玄関の踏み台に私が上がり、
184cmの息子を短く ハグ して、彼は兵舎へと出かけていった。
私は165cmなので、踏み台か階段に上がらないと 不味いのです。
(つづく)
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狂気か熱気かは紙一重
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平井 修一
永井荷風の日記「断腸亭日乗」を読み直している。軍隊を嫌悪していた
荷風だから「軍国主義」にどこかで触れているはずだと思ったのだが、
昭和7(1932)年の日記にあった。
<二月十日。昨宵、党人、前大蔵大臣井上某を刺したりという。
二月十一日。早朝より花火の響き聞こえ、ラジオの唱歌騒然たるは紀元
節なればなるべし。去秋、満州事変の起こりてより、世間の風潮再び軍
国主義の臭味を帯ぶることますます甚だしくなれるがごとし。
道路の言を聞くに、去秋、満蒙事件、世界の問題となりし時、東京朝日新
聞社の報道に関して、先鞭を「日々新聞」につけられしを憤り、営業上
の対抗策として軍国主義の鼓吹には甚だ冷淡なる態度を示しいたりしと
ころ、陸軍省にては大いにこれを憎み、全国在郷軍人に命じて「朝日新
聞」の購読を禁止し、また資本家と相謀り、同社の財源をおびやかした
り。
これがため同社は陸軍部内の有力者を星が岡の旗亭に招飲して謝罪をな
し、出征軍人慰問義捐金として金十万円を寄付し、翌日より記事を一変
して軍閥謳歌をなすに至りしことありしという。
この事もし真なりとせば言論の自由は存在せざるなり。かつまた陸軍省
の行動はまさに脅嚇取財の罪を犯すものというべし。>
朝日新聞が東京日々新聞(のちに毎日新聞に合併)に満州事変のニュー
スを抜かれたものだから、「それならうちは増派反対でいこう」となっ
たのだろう。ところが陸軍の圧力で部数減、広告収入減になるや、陸軍
の胸に飛び込み、論調を一転させて媚びたという事件に、「言論の自由」
への危機感を覚えた荷風の心配はその後現実になる。
この頃から戦時色が急速に広まってくるようだ。テロも増えてくる。
<三月四日。銀座通り商店のガラス戸には日本軍上海攻撃の写真を掲げ
しところ多し。蓄音機販売店においては盛んに軍歌を吹奏す。時に満街
の燈火一斉に輝きはじめ、全市こぞって戦勝の光栄に酔わんとするもの
の如し。
思うにわが国は永久に言論学芸の楽土にはあらず。わが国民は今日に至
るもなお往古の如く、一番槍の功名を競い、死を顧みざる特殊の気風を
有す。また奇なりというべし。
三月五日。風月堂に行き、一人晩餐をなす。給仕の持ち来る夕刊新聞を
見るに、今朝十一時頃、実業家、団琢磨、三井合名会社表入口にて銃殺
せられし記事あり。
・・・下手人は常州水戸の人なる由。前大蔵大臣井上準を殺したるもの
も同じく水戸の者なる由。利と害とは何事にも必ず相伴うものなり。昭
和の今日に至りて水戸の人の依然として殺気を好むは、これを要するに
水戸儒学の余弊なるべし。桜田事変のことを義挙だの快挙だのとあまり
誉めそやさぬがよし。>
この年の5月15日、そして4年後の昭和11年2月26日、一部の軍人による政
治家の暗殺、クーデター未遂事件が起きる。
ところで「軍国主義」だが、大辞林によると、
<軍備力による国家の対外発展を最も重要なものと考え、戦争に勝つこ
とによって国威を表し、国家の政治・経済・道徳・教育など、すべてを
この目的に添うよう組織しようとする思想・立場。ミリタリズム。>
広辞苑では、
<国の政治・経済・法律・教育などの政策・組織を戦争のために準備し、
軍備力による対外発展を重視し、戦争で国威を高めようと考える立場。
ミリタリズム。>
どう見ても大辞林の引き写しだが、いずれにせよ、戦争という非常時、
特に存亡をかけた大戦争の場合には言論の自由をはじめとする基本的人
権はかなり制約されるのが常で、戦前は多くの国が多かれ少なかれ軍国
主義にならざるを得なかった。
列強の中で本土が戦場にならなかったのは米国だけであるが、それでも
真珠湾の4000人の国民を生贄にするという、およそ信じがたいほどの許
されざる狂気を発したから、「狂」は戦争になくてはならぬ要素としか
言いようがない。
先の産経新聞に「アーロン収容所」の著者でもある会田雄治・京大教授
の30年前の論文が載っていた(8月17日号)。
<全国民が必死の応援をやるべきであり、いい加減な応援をやったり無
関心であることは許せない、非国民、国賊だという風になったらどうな
るのか。恐るべきは、人間集団が一つの目的を達するために排他的信念
に燃え、それを阻むもの、それに組しないものを、絶対的悪として処断
しようとする時である。・・・
集団が巨大になればなるほど、この心酔者の役割は大きくなる。
・・・心酔者が陰惨で強力な権力を振るい、その威を借りる便乗者と一
緒になって、多数者を「唖者になった人々」に化してしまう・・・自分
の生き方を他の人々に強制し、他の生き方を排除することを要求するよ
うになればどうにもならない。その社会は地獄に変わる。>
「死を顧みざる特殊の気風」に顔を背けた荷風や会田雄次、司馬遼太郎
らごく一部の「非国民的」知識人には戦中は耐え難い時代だったろうが、
その狂気がなければ日本は植民地主義を一掃できなかったろうし、ユダ
ヤ人虐殺がなければイスラエル建国もなかったかもしれないし、パック
スアメリカーナもなかったろう。戦に負ければ狂気は「地獄だった」と
断罪され、勝てば「燃える熱意」と評価されるのもおかしなものである。
人道や博愛ではなく、怒り、嫉妬、憎悪、損得といった狂気こそが歴史
を動かしてきた。いやなものだが、人類はそういう動物なのだろう。
「千万人とも我行かん、とは勇ましいが、千万人なら我も行くというの
が健康的で、ゆえに健康的というのは厭なものである」(山本夏彦翁)
現在、軍国主義に一番近い国は中共、ロシア、北朝鮮あたりか。いずれ
も事実上の独裁国家であり、日本を取り巻いている。いざと言うときに
は狂気を発する「健康的」気概をもたないと外交はとてもできたもので
はないし、北方領土、竹島は永遠に戻らない。尖閣諸島も危うい。それ
でいいのかと問いたい。
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話 の 福 袋
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◎世界一の金持ちはタイ国王=王族長者番付、天皇陛下は選外−米経
済誌
【ニューヨーク21日時事】米経済誌フォーブスは21日までに、世界の王
族長者上位15人の番付を公表し、タイのプミポン国王が推定純資産350億
ドル(約3兆8000億円)でトップに立った。
タイ当局が今年に入り、バンコク市内の広大な所有地を含む大胆な国王
の資産公開に踏み切ったため、総額が膨れ上がった。
第2位はオイルマネーで潤うアラブ首長国連邦(UAE)のハリファ大統領
(アブダビ首長)で、推定純資産は230億ドル(2兆5000億円)。
3位はアブドラ・サウジアラビア国王の同210億ドル(2兆3000億円)だっ
た。
英国のエリザベス女王は12位にランクインしたが、天皇陛下は15位以内
に届かず、順位は不明。 8月22日11時38分配信 時事通信
◎「デニーズ」大胆値下げのナゼ? 客が増える保証ないという声も
セブン&アイ・フードシステムズは、ファミリーレストラン「デニーズ」
のメニュー価格を2008年9月11日から値下げする。「マクドナルド」を始
め外食店舗メニューの値上げラッシュが続く中での決断に、「この時期
になぜ?」という驚きが広がっている。
■「原材料費高の今、既存メニュー値下げは驚きだ」
値下げするのはメーン料理、サラダ、デザートなど23品で、メニュー全
体の約3割。下げ幅は10〜110円。「選べるフライのハンバーグ デミグ
ラスハンバーグ」が100円安い980円。「ツナとフレッシュ野菜のサラダ」
が100円安い350円。
「フルーツ ナタ・デ・ココ」が110円安い280円になる。セブン&アイ・
フードシステムズ広報はJ-CASTニュースの取材に対し、今回の値下げに
ついて、
「より多くのお客様にご来店いただきたい、ということで、お客様の求
めるリーズナブルな価格設定にしました」と話している。量は変えず、
品質をさらに向上させるのだという。料理を提供するための様々なロス
を徹底的に取り除き、「企業努力」によって値下げを実現させるのだそ
うだ。
ファミリーレストラン業界は、少子化やライバルとなる他業種飲食店の
台頭によって年々業績が低下。日本フードサービス協会が発表した08年
上期(1月〜6月)の統計では、客数は4・4%減。売上高は3・6%減と落ち
込んだ。
特に08年上期は原油高の影響で車利用の消費者が来店を控え、メニュー
価格を値上げした店舗が相次いだことも原因とみられている。そうした
中での「デニーズ」の値下げ発表について同協会の広報は、
「値段の変更は新メニューで行うのが一般的だが、原材料費高の今、既
存のメニューを値下げするのは驚きだ」と話している。
ファミレス業界関係者は「顧客を増やすために大胆な賭けに出たな、と
いう印象だ」と話す。ただし、仮に価格を10%下げたからといって客数
が10%上がるといった単純な業界ではないそうで、
「うまくいけばいいのだが、ハンバーグを980円にしたところで、安いと
いうインパクトを与えられるのだろうか。間違えば命取りになりかねな
い戦略だろう」と指摘する。
■ファミレスという名前や形態そのものが既に古くなっている?
「デニーズ」はファミレス各店の価格ランクでいえば中間に位置する。
現在、ファミレスで一番苦戦しているのがこの中間の価格帯で勝負して
いる店舗なのだそうだ。
すかいらーくグループなどは多様な店舗展開をしていて、例えば「デニー
ズ」と競合する「すかいらーく」が苦戦した場合、「ガスト」などへの
転換が可能だが、セブン&アイ・フードシステムズは「デニーズ」を中
心とした展開だ。
そのため、集客の戦略として「価格を変える」ことに着眼したのではな
いか、と先の業界関係者は見ている。実は、「デニーズ」は08年2月にも
一部メニューを値下げしている。
先の業界関係者は、「春の値下げ効果が得られなかったために、今回の
大胆な値下げになったと思うが、価格云々よりも、昨今のファミレス業
界の停滞はファミレスという名前や形態そのものが既に古くなっている
のではないかという思いが業界内に出ている。
ファミレスを支えた団塊の世代もシルバー層に移行する中で、抜本的な
改革を考えなければ将来の展望が開けない時代になっているのではない
か」と話している。 8月21日19時55分配信 J-CASTニュース
◎これは平成の蟹工船だ!手取り時給3百円の毎日新聞奨学生
https://www.mynewsjapan.com/reports/900
毎日新聞の販売店で働いていた新聞奨学生が、おそろしく安い賃金で重
労働をさせられていた。午前3時に始まる1日10時間の労働で、手取り
時給3百円台。
この最低賃金法無視の手口は、集金できなかった新聞の購読料を「責任
証券」という名目で給料から天引きしたり、購読の継続をとれない場合
に500円ずつ天引きするなどの悪質なものだ。元奨学生が平成の「蟹工船」
を告発する。
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◎チケット禁止効果 国交省、タクシー代9割減
道路特定財源の無駄遣い批判などを受けて本省職員約4,000人のタクシーチ
ケット使用を国会閉会後の6月23日から当面禁止している国土交通省は21
日、禁止にしてから4週間のタクシー使用料金が昨年同時期の1割以下
にとどまったことを明らかにした。
国交省によると、6月23日から4週間のタクシー使用料は約600万円だっ
た。昨年6月の使用料金は9900万円、7月は1億100万円にのぼっていた。
同省は当初、チケット禁止は2カ月間の試験的な措置としていたが、
「仕事に支障が出ている様子はない」(会計課)とし、引き続き禁止す
る方針。
臨時国会開会後も禁止を継続し、「国会閉会中と開会中の両方の状況を
検証してチケットの全面廃止が可能か判断したい」としている。
職員らはチケット禁止で、タクシー料金をいったん立て替え払いして事
後精算している。職員からは「深夜帰宅を減らすため早朝や土日に出勤
している。国会が始まり深夜帰宅が多くなったときに連日立て替え払い
するのはつらい」との声も漏れている。 8月22日8時0分配信 産経新聞
◎露、NATOとの軍事協力を全面凍結…グルジア問題めぐり
【ブリュッセル=尾関航也】北大西洋条約機構(NATO)のロメロ報
道官は21日、NATO・ロシア間の軍事協力を全面凍結するとの通告が
ロシア側からあったことを明らかにした。
グルジアとロシアの軍事衝突で、NATOがグルジア寄りの姿勢を鮮明
にしたことに対する抗議の措置とみられ、米欧とロシアの関係悪化に拍
車がかかりそうだ。
報道官によると、通告は「NATO加盟国との軍事協力を当面、停止す
ることをロシア国防相が決定した」との内容で、21日に軍部間の連絡経
路を通じて寄せられた。
NATOとロシアは2002年に設置された定期協議の枠組み「NATOロ
シア理事会」での合意に基づき、双方の艦船による地中海の合同巡視作
戦や、戦域ミサイル防衛システムの共同研究など、多数の合同プロジェ
クトを実施してきた。
協力凍結は、こうした軍部間の接触が無期限に中断することを意味する。
NATOは19日の外相理事会で、ロシアにグルジア領内からの撤兵を求
める声明を採択し、軍事協力の凍結を警告していた。ロシアの通告につ
いて、報道官は「留意する」と述べるにとどめ、論評を避けた。
8月22日11時16分配信 読売新聞
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反 響
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1)私は長年「相撲とは独自の言語・風俗・習慣・伝統に加えて歴史を
持つ団体である。そこに異文化を持つ一般社会から介入することは誤り
である」と言い続けてきた。
彼らは「一般人の世界とは隔離、途絶された世界に子供の頃から育ち、
一般社会とは違う常識を持っている。そこに向かって有識者だが学識経
験だか、マスコミだか知らぬが、したり顔で意見をしても、聞く耳持た
ぬではなく、理解できないかあるいはしようとしないのではないか」と
すら私は考えている。
そこに、何かと言えばアナウンサーとして近いところから相撲を見てき
て、何か自分たちも相撲経験者であると錯覚を起こしているような「評
論家」もどきが現れて、これまたしたり顔で相撲界寄りのご高説を賜る
のである。これまた空疎である。私にはそうとしか聞こえないのだが。
何と正式に法的に「国技」と決められたのではないと聞くが、国技であ
るためか、文部科学省までが管轄と称して登場し、何とか理事長に向か
って理事長より深い御辞儀までする大臣が出てくる始末である。
今回も事件を起こした当事者と監督者である親方に対する措置が甘いと
緩いとか言う前に、協会にその一般社会とは途絶した常識を是正せよと
迫る方が筋が通っていないか?
そこを解らせてから、何のかのと批判するべきではないか?今のところ
では協会は「無学者論に負けず」状態である。問題は根本から正すべき
ではないか!さもなければ介入しないことである。以上 前田正晶
2)お盆があけたので就職活動再開だ。昨日は3件に応募した。コンビ
ニで履歴書、職務経歴書をコピーし、写真を撮り、職安で紹介状を貰い、
郵送すべきは郵送。午前中はバタバタした。
小生の得意とするマーケティングの仕事もあった。これは本命だが、滑
り止めとしてドライバーの仕事にも応募し、今日はそのうちの1件が面接
だった。面接は専ら「する方」で、「受ける」のは実に30年ぶり。結構
面白かったので以下、報告する。
面接の最初に「面接用紙」への記入を求められた。家族の名前、職業、
年齢、さらに小生の血液型など、ずいぶんな個人情報を、面接段階で求
めるというのはおかしな話だが、それはともかく、小生は手書きで文字
を書く習慣がないので、手が震えてミミズがのたくったような字になっ
てしまった。
これにはかなり困った。対策が必要である。できる限り文字を書くよう
にしないと、初孫に文字を教えられなくなってしまう。
(孫といえば、まだ次女の腹の中だが、既に性別が分かってしまい、楽
しみ半減、いささか興醒め。医者は余計な世話を焼くなよ。聞かれたら
「楽しみにしていたらどうでしょう」とまずは答えるのが筋だとは思う
が・・・)
どうにか面接用紙に記入を終えて面接。開口一番「ヒゲは剃れますか?」
「はははは、もちろんです。お客さんから顔を覚えてもらうためにたく
わえたヒゲですから。剃るのはイヤだって言う人がいるんですか?」
「中にはいるんですよ、イヤだ、剃れない、それなら就職しないって」
イスラム教徒ならともかく、ヒゲにそれほどこだわる日本人がいるとい
うのはちょっと面白い。
「で、前の会社ではずいぶん忙しかったようですね。辞めた理由はなん
でしょうか」
「職務経歴書にあるように自販機専門のたばこ販社でしたが、6月からタ
スポというたばこカードがないと自販機では買えなくなりました。売上
が4分の1とか5分の1になりまして、コンビニに多くのお客さんが流れて
しまった。
年商50億円が1年後には70%の35億円ほどには戻ると見ていたのですが、
東京はコンビニだらけですからお客さんはあまり不自由しないんですね、
タスポの普及率が伸びずに一年後でも売上は40%に届くかどうかという
レベルです。本社がそう判断し、東京営業所をクローズすることになっ
たのです」
「なるほど」
一通り就業条件などを聞いたが、「勤務時間は8時半からですけど、8時
には出社して着替えとラジオ体操、車の始業点検をします、1年契約のア
ルバイトとしての採用ですから社会保険はありません」など、なんだか
なーという感じ。
仕事はコンピュータメーカーのパーツ輸送で、午前中は5箇所ほどのサー
ビス拠点へ配送、午後はコンピュータのトラブルに備えて待機し、連絡
があればパーツをもってユーザー先で修理に当たるエンジニアに直接届
ける。
「午後は故障次第ですから暇なときもあれば忙しいときもある。とにか
く待機していないといけない。以前は雷が鳴ると故障が多発して忙しか
ったんですが、今はずいぶん改善されたものの午後の仕事の予想はつき
ません」
車が出払っているときは契約タクシーを使ってでも現場にパーツを届け
るそうだ。コンピュータの具合が悪いとユーザーの仕事に支障をきたす
から大変である。
まあ、面白そうな仕事ではあるが、条件が悪すぎる。何年勤めようが労
災と雇用保険さえないのではキャリアにならない。若い人には夢も希望
もない仕事だろうと思っていたら、「若い者が8月末で辞めるので、その
ための欠員補充」だそうな。
条件を良くしたくても景気後退や燃料費高騰などで運送業界はゆとりが
ないのだろう。そういう業界には若者は定着しない。この会社も40代と
50代が多いという。
若者は若者と一緒に仕事をしたいので、オッサンばかりの職場は敬遠さ
れてしまう。だからこそ若い人を雇いたいという企業の気持ちもよくわ
かる。夕方、4件目の不採用通知(薬局に薬を配送する仕事)をもらった。
平井修一
3)今回の女子Softballについて思う所がありましたので投稿します。
世間では上野投手の力投のみ賞賛されているのを見ると日本人の本性は
全く変わっていない事を改めて痛感させられました。
上野投手の力投は勿論素晴らしいですが、彼女の手の中指は皮がむけて
いた由!同一投手に同日に2連投、翌日も投げさせるのは気違い沙汰です。
同等能力の投手を用意していないからです(米国は3人用意していました)
事前に3人用意しておれば、こんな馬鹿げた、Riskyな投手起用は避けら
れたはずです。今回は彼女の神がかり的な奮闘により、たまたま勝てま
したが、こんな事は滅多には起りません。
1個人の神がかり的な奮闘に依拠するのは極めて危険です。成功の可能性
が極めて低く、又継続性に欠けるからです。
Washington DC勤務時、議会図書館でMidway海戦の記録を調べたことがあ
ります。暗号が解読されていた、雲の為に偵察機の索敵が遅れた等の、
よく知られている事実よりも私が最もShockを受けたのは次の事でした。
南雲艦隊の幹部は緊張を強いられる艦隊勤務を2年以上、続けていたのに
対して米艦隊の幹部は半年毎にそっくり交替し、英気を養ない、艦隊指
揮に誤りなきよう 努めていた事である。
個人に犠牲を強いる日本と、個人の弱さを熟知して、それを補う体制を
作る米国、この対比はMidway海戦後65年経過しても、全く変わっていな
い事を、今回の女子Softballを通じて、改めて再認識させられました。
これはBusinessの世界でも全く同じだと私は感じています。(T・F)
4)続・クレディットカード物語:
これは結局「文化比較論」であろうか。すなわち、日本では未だに「
“カード”というと何となく気楽に金を使ってしまう結果になりかねな
いので危険なものと敬遠する」という認識を持っている人がいる。私は、
換言すれば「外国旅行には腹巻きに現金を入れて持ち歩く古き良き現金
主義の方はカード払いを潔いとしない」気風が残っていると思っている。
在職中に何度も「アメリカに来る時は“お願いだからクレディットカー
ドをご持参願いたい」とお願いしても持参されない方がかなりおられた。
そして、予約して差し上げたホテルで現金で予定宿泊代の3倍もの預かり
金(=deposit)を取られる結果となるのであった。そこで、私に「失礼
なホテルを紹介した」と憤慨され、「だから言ったじゃありませんか」
とも言えずに、困ったことが何度かあった。
これは、アメリカでは単に「クレディットカードも持てないような、銀
行やカード会社が渡さないような信用がない人」という認識になると思
って頂きたい。ここに文化の違いを見出す次第である。
この点をいくら初の海外出張の方などに言っても「俺はカードを持たな
い主義。借金はしない主義」と言われてしまうことになるのだ。「現金
払いは、貸す側にとっては何の安全保障にならない」ということを理解
して貰えないのだ。
ここまでのポイントはカードを持っていることが「社会的信用度を表す」
のがアメリカということ。アメリカで買い物をすれば"Cash or charge?"
と言って支払法を尋ねてくる。キャッシュを払う 人は少数派である。小
切手は現金であるから、アメリカ人はスーパーでも 3ドルくらいで平気で
小切手で払っている。
今更こんなことを言うのは失礼かも知れないが、そういう文化の国で普
及したのがクレディットカード。「現金払いが普通の我が国とは違う」
ことを認識することが必要である。
アメリカでは現金を持ち歩くことが危険なことは常識である。彼らは万
一「ホールドアップ」をやられた場合に備えて(?)精々10!)程度を持
ち歩く。現金はチップと駐車場代用に10〜15ドルくらいしか持っていな
い。
すなわち、少額でもカードか小切手で払えるお国柄である。この辺りが
我が国との大きな(文化の)違いであると認識している。
この程度のことは旅行案内などにも記載されていると思うが、人々は直
ちに信用しないか、その通りに実行していないと感じている。
我々の出張の場合には仮払いで出して貰った経費支払用のトラベラース
・チェックを持ち歩いていた。だが、それもアメックスが“コーポレー
ト・カード”に指定されてからはごく僅かな金額にしていた。
余談だが、私はアメリカに到着するやいなや、空港内ですぐにチップ用
に25セント硬貨を少なくとも2〜3ドル分と、1ドル札を10枚は両替して用
意していた。
ところで、チップを2ドル払おうと思った時に10ドル札しかない時には
「お釣りを寄こせ」と言えばよいのだという人もいる。
因みに、我々の出張旅費清算制度では全ての正当な経費は会社に請求で
きる実費制である以上、支払ったチップも経費として請求できる。
私は何処でいくら誰に渡したかは全て記憶していたが、普通の人は細か
くメモを取っていた。だが、何れにせよ、これは結構面倒なことだった。
この辺りが日当制で宿泊代が役職で定められている我が国との文化の違
いの一つか?以上 前田正晶
━━━━━━━
身 辺 雑 記
━━━━━━━
東京湾岸も涼しくなった。21,2日と窓を開けて寝たら眠れた。エアコン
が止まるから経済的だ。ただし、高速道路騒音は夜通しだから、眠りは
浅くなる。やはり秋が待ち遠しい。
児童はともかく、生徒や学生まで「勤労」という名の「動員」。現在の
日本なら考えられない事を私の先輩たちはやり遂げた。その具体的な記
録がなかなか見つからなかった。今回偶然に発見した.敢て引用したしだ
い。
ご投稿、ご感想をお待ちしています。下記。読者:3656人。
ryochan@polka.plala.or.jp
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