頂門の一針 |
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わたなべりやうじらうのメイル・マガジン「頂門の一針」 1270号
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平成20(2008)年8月4日(月)
遊んでいた?園田外相:渡部亮次郎
「反応はすこぶるいい」:岩見隆夫
地方公務員法に「抜け穴」:毛馬一三
鼻濁音と英語の発音:前田正晶
一葉と中嶋歌子:平井修一
話 の 福 袋
反 響
身 辺 雑 記
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第1270号
発行周期 不定期(原則日曜日発行)
御意見・御感想は:
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遊んでいた?園田外相
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渡部亮次郎
1978年8月13日、園田直外相に従いて日航特別機で北京を訪問した時、日
本大使館には佐藤正二大使の下に公使として伴(ばん)正一氏がいた。
私は初対面の人だった。
その伴さんが外務省を退官されたあと88年5月に東京・文京区にある(財)
日中友好会館の理事長に就任。日中平和友好条約締結10周年にあたる同
年8月13日、郷里の高知県高知市の高知阪急ホテルで「日中平和友好条約
締結に参加して」と題して講演された。
その講演録を最近、偶然の機会にインッターネト上でみつけたので紹介
したい。原文は以下。なお伴氏は中国公使の後退官、衆院選に出たが落
選を繰り返した後に日中友好会館理事長。その後死去。
http://www.yorozubp.com/shoichiban/column/1988nicchuyuko.htm
日中平和友好条約は田中、三木の内閣2代に亘って締結できなかったのは
中国側の事情による。それが急遽できたのは中国を取り巻く国際情勢が
変化したため。
<交渉は大詰めまで我々事務サイドがやった。園田外相は遊んでいたよ
うなものだ>
と園田の死後とはいえ厳しい事を言うものだ。以下、前半部分をほぼ原
文のまま紹介する。
後半部分は「終わる対中借款」と題する「頂門の一針」1014号
(2007・12・02)上の拙文の中で紹介している。伴氏は昭和26年度外交官
試験合格のキャリア。
http://www.melma.com/backnumber_108241/
<日中間のことに携わるのは気の重いことが多いわけでして、私にとっ
ては(理事長就任を)祝って頂くという気分には到底なれません。
そんなことはどうでもいい、と言っているうちに妥協案としてこの記念
講演会ということになった訳であります。
日取りについては、そこまで考えずに13日のこの日を取ったんですけれ
ども、実は10年前の丁度今ごろの時刻、当時の北京時間の正午、意気揚
々たる園田外務大臣が北京から飛び立ちました。
日本時間で言うと午後1時であります。いま1時半を廻ったところです
から、ピタリ10年前の今頃、園田大臣は条約調印の大任を果たし日航特
別機の機上で記者団にホラを吹いていたはずであります。
我々大使館員は、ちょっと趣が違いまして、何か気が抜けたような感じ
で、今頃大臣を見送って空港から帰りつつあった。
それからちょうど10年、この演壇に立って感慨一入であります。
駐中国公使として北京へ
私が昭和52(1977)年に着任いたしまして、経済界、文学の世界、政界の
方が北京へみえます。例によりまして、皆さんもご経験がおありでしょ
うけど、中国へ行くと必ず向こうが歓迎宴というのをやる。
そうするとこちらが又答礼宴というのをやる。その始めにまことに仰々
しいかしこまった挨拶をやるわけですけれども、その挨拶をずっと半年
間聞いておりまして、ほんとにイヤになりました。
日中平和友好条約が締結に至りませんで誠に申し訳ない。いかにも福田{
赳夫}総理が優柔不断でお国に迷惑をかけておりますと解釈されるような
挨拶ばかりなさる。日本の政界、経済の方がなさる。
私が1番ガッカリしたのは、誰かが書いた原稿を読んだのかも知れませ
んが、井上靖さんまでが申し訳ない式の挨拶、少なくとも先方はそう受
け取るであろう挨拶をされたときでした。
着任してから1年間で、中国側にそういうおべっかを言わなかった代表
団は私の記憶ではたった1つ。それは今は冴えておりませんけれど、二
階堂さん。二階堂進さんだけはそんなこと言わなかった。だからよく覚
えております。そういう状況でございました。
条約締結交渉の始まり
日本と中国の間には2000年の繋がりというか、親しくなるとどの国もそ
うなるんですが、日米だってそうだし、日韓だってそうですが、正規の
外交ルート以外のいろんなルートやパイプができ上がるものです。
外務省にいた我々はそれを雑音といったわけですけれども、雑音があち
らこちらに出る。
雑音といっては失礼になりますが、その1つが矢野訪中。矢野公明党書
記長がやってきて、そのときにこともあろうに、安倍晋太郎官房長官の
メモなるものを持ってくるわけです。そして向こう側へ渡す。
そしたらその翌々日に廖承志がこっそりホテルの矢野さんのところへ来
て中国側のメモを渡す。!)(トウ)小平と矢野さんが話すときにまるで
条約交渉みたいな話が行われる。
我々はもうあっと驚いたわけです。こういうことをやっとったら政府間
交渉は馬鹿みたいなことになるではないかということで、これの後始末
をいたします。中国側も日本側もそれからは雑音が少し減るわけです。
いよいよ外務大臣がいつ来る、などという話に入りかかつておりますと、
今後は4月12日明け方、尖閣列島周辺に200隻近い中国の大型の漁船が我
が領土、尖閣列島を取り巻くわけです。日本側は上を下への大騒ぎにな
ります。
私もその頃、日本側として尖閣列島問題に対して当然、不快感を示さな
くてはいかんと、いつも仲のいい外交部の人たちにモノを言いかけられ
てもこっちは返事もせん、ブスッとして、「なんということをなさるん
じゃ」という顔をし続けたわけでございます。
今後もこれに似たようなことはあるかもしれない。ちゃんと和やかな話
をしているときにそんなことしなくてもいいじゃないか。中国側は全く
偶然だったというんですけれど、どう考えても偶然とは考えられない、
というのが偽らざる気持ちでした。
中には機銃を積んでいた船もあるというんですからね。
尖閣列島はご存知だと思いますけれど、中国は中国の領土だという、日
本は日本の領土で、そんな領土問題は存在ないといってるんです。「そ
んな問題はない」というのと「棚上げにする」というのと、この2つは
非常に違うわけで、
ちょっと解説しますと、例えば宿毛市の沖の島をある日突如として中国
が自分の領土だと言い出したらどうなります。それでも領土問題ですか。
「アホなこと言うな、そんな問題はない言い掛かりだ」と言わなくては
なりませんね。沖の島問題というのがあつて棚上げするということでは
ないんです。
尖閣列島については、日本はずっとそういう立場をとってるわけで、向
こうじゃ領土問題があって、しばらくそれを横に置いてあるんだと言っ
てるわけです。
日中双方の話がまとまっていよいよ条約が締結ということになった段階
で、中曽根さん、後には大宰相か、と言われますけど、当時は中曽根総
務会長。尖閣列島をちゃんと片をつけてからでないと条約を結んではな
らんといわんばかりのことをおっっしゃっていました。
当時の自民党総務会の剣幕は大変なものでそうそうたる青嵐会の台湾派
がおります。だから中曽根さんも総務会を収拾するために敢えて本意で
はない強い意見も言われたのかもしれませんけど、とにかく条約を調印
するには尖閣列島の領有権をはっきりさせてからやれという訳です。
それじゃブチ壊しで条約を結べる可能性は吹っ飛んだでしょうね。
そういう日中双方にとっての鬼門みたいな尖閣列島に大船団現わるとい
うんですから、ここでまた条約が延びてしまいます。
あっけない大詰め
話を飛ばして申し上げますが。なんじゃかんじゃやりながら実際に交渉
が始まるのが昭和53年の7月21日。条約締結、両国国旗の下で調印する
のは8月12日、10年前の昨日です。しかし実質上の妥結は実は8月9日
なんです。
この間にエピソードがありまして、当時、福田さん(首相)と園田さん(外
相)の行き違いみたいなことがありまして、福田総理は外務大臣の訪中を
なかなか許可しなかった。とことんまで事務レベル、大使レベルで詰め
ろという強い意見だったわけです。
私など、どんどん詰めましょう。大臣なしで大使で妥結まで行っていい
じゃないですか。大臣の忙しい日程に合わしていたらタイミングを失し
ますよとかなり強い調子で意見具申をしていたんですけれど、佐藤さん
(正二大使)は取り上げてくれなかった。やはり大臣の出番を作ろうと
いうことになった。
大臣の出番を作る、作らんと言うのは、こういう大きな交渉のときは非
常に微妙な問題でして、大臣が出るということを向こうが思うと最後の
案は出してこないんです。大臣が来ない、ここで仕上げてしまおうとい
うことになると最終案が先方から出てくるんです。ここら辺の絡みは微
妙で難しい。
ところで外務大臣の園田さんは来たくてたまらない。結局予定の方針通
り園田さんが8月8日に北京着。その翌日の8月9目に外務大臣会談が
行われるわけです。
ところがですよ。午後の会談でまだろくに議論もつくしてないうちに向
こう側からバサッとこっちの案、大使交渉段階で出していたものをアッ
サリ呑んできた。アッと驚く事態でした。
これができたらあとは小さい条文を条約局の専門官が打ち合わすだけの
話だから10日、11日と園田大臣は遊んでいたみたいなもんです。
なぜ向こうが突如として降りてきたかということですが、ここで世界情
勢をお話申し上げないとこの説明がつかんと思います。
これは私の推測がかなり入っておりますけれど、今まで日本側に対して
常に頭(づ)が高くて「日本はなんでソ連を恐れてグズグズしてるんだ。
いい加減で肚を決めんかい」ということばかり言っていた中国がさっと
降りた。
条約が結ばれたのは、ベトナムという第2戦線が出来て背後から中国を
脅かすようになったからだと私は考えます。
平和友好条約が8月12日に調印されて、それから3カ月で今度は、朝鮮
戦争以来アメリカと国交断絶をしていたのが、国交を回復します。台湾
というむつかしい問題を抱えながら、アメリカと国交回復する。
そうなると、中国は日本を味方にし、アメリカを味方にし、その余勢を
かってヨーロッパの協力も得てソ連を逆包囲する。こういう作戦に出た
としか考えられない。
中国というのはのろいようなところもありますし、なかなか返事が来な
いなど悠長なところもありますけれども、国際政治における敏感さにお
いては日本外交の比ではない。
日本も戦前は、日本の存亡を賭けた外交をやっておりました。しかし、
いま日本には存亡を賭ける外交なんてないんです。世界でスパイを使っ
てないのは日本だけでしょう。
そういう平和のぬるま湯にベタッとつかっているのは日本だけです。そ
ういう意味では外交がふやけてくる。ふやけるというと怒られるけどそ
うなり勝ちなのもやむをえないことではありますまいか。
とにかく日中平和友好条約が結ばれたときの中国の鮮かな布石、みごと
だったと思います。亡くなった園田外務大臣には申しわけないけれど、
園田さんは得意満面に「俺がやった、俺がやった」とおっしゃるけれど
も、それは当時の世界情勢とアジア情勢が中国をそうさせたのであって、
園田さんの手柄の部分は少ししかないと思うわけです。
そういうようなことで、10年前の昨日、調印が行われました。調印が行
われたのは8月12目の午後7時です。実質妥結が9日だったのになぜ
そんなに遅れたかといいますと、中国側が降りてきたそのあとでも政府
と大使館はそのことを新聞へはいっさい言わなかった。言えない事情が
あったんです。
総務会を中心とする自民党内部のすごい突き上げに対して、福田総理(総
裁)や大平幹事長が必死の対応をしていたんです。いっときは総務会の同
意がなければ調印は認めないなんて中曽根総務会長が言い張るのを大平
さんとか福田さんが宥めたという一幕もありました。
9日に向こうが降りてからの日本国内での首脳の苦労は大変だったよう
で、今記録によりますと、調印のあった8月12日の午前、まだ総務会で
は大荒れの議論が続いている。
やっとそれが収まって午後、閣僚懇談会というのがある。そして閣議が
ある。4時10分、やっと天皇陛下のところへ伺って全権委任状というも
のに御名御璽をいただく、そして7時に調印という事務的には誠にきわ
どいスケジュールでありました。
調印の後、向こうの偉い人は全部出てきて、大宴会が人民大会堂で行わ
れます。それから外務大臣の記者会見。公邸で関係者のパーティをやっ
たのは、もう夜の11時半。「ああよかったなぁ」と互いに安堵の胸をな
で下ろしたのであります>。
<園田さんは得意満面に「俺がやった、俺がやった」とおっしゃるけれど
も、それは当時の世界情勢とアジア情勢が中国をそうさせたのであって、
園田さんの手柄の部分は少ししかない。>
ならばそうした情勢の変化を伴公使初め中国大使館から本省に意見具申
があったのか。無かったではないか。伴公使の主張は「後出しジャンケ
ン」に過ぎない。
中国の態度が急変したのは!)(トウ)小平が3度目の復活を遂げて、年来
の主張である経済の改革開放路線を展開するためには、不可欠な日本と
一刻も早く妥協すべきだという指令をしたからである。
それを園田氏はトウ小平周辺に放った黒衣(くろこ)を通じて知ってい
たが、伴氏ら大使館側は全く知らなかった。伴氏は死ぬまで知らなかっ
たろう。 2007・11・02
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「反応はすこぶるいい」
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岩見隆夫のコラム:「近聞遠見」
自民党首脳に、
「年末・年始ですか、解散は」
と問いかけると、
「いや、もっと早いかもしれませんよ」
とけむに巻くが、だれの視野にも<年内解散>が入ってきたことは間違
いない。
1日の内閣改造も臨時国会も、すべて迫る衆院選がらみで展開する。気
になるのは風向きだ。自民党は逆風に悩み、民主党は追い風に意気込む
が、どの程度のものか。
東京23区内、下町の某小選挙区をのぞいた−−。
自民党候補は官僚出身、60代のベテランA。選挙戦術が巧みでフットワ
ークよく、前回、05年9月の衆院選では、民主党候補の倍以上の票を集
めた。菅義偉選対副委員長は、
「Aさんは強い。彼が落ちるようなら、自民党は全滅だよ」
と保証するほどだ。しかし、Aは、
「こんどは大変だ。いままでと全然違う」
と警戒的である。大変だ、はどの候補も口にするが、以前と違う空気を
感じ取っているようでもあるのだ。
Aに挑む民主党候補は30代、外資系企業出身の女性区議B。連続当選で
練達の古顔と新人では、通常なら勝負にならない。しかし、今回は異変
が起きているらしい。
公認内定から約1年、毎朝、<駅頭>(駅前での街頭演説)を続けなが
ら、地元を駆け回ってきた印象をBに聞いた。
「反応はすこぶるいいんです。ひょっとしたら、なんて思ってしまう。
マイク握ってると、信じられないような人に声を掛けられるんです。
みなさん好意的で、『おれはAを応援してるよ。自民党だよ。だけど頑
張れよな』なんて」
前回の衆院選。東京25の小選挙区のうち、民主党は菅直人代表代行(1
8区)だけ、公明党が太田昭宏代表(12区)、あとの23は自民党が独占、
得票率はAがトップだった。さて、次回はどうなるか。
「自民党が7月に各選挙区の情勢調査をしたところ、勝てるのは石原伸
晃さん(8区)だけだったらしいのです。Aさんも小差で敗れると。だ
から公にしていない」
とBは言う。もし調査どおりなら、前回と逆に民主党の首都制覇になる
が、そう劇的とも思えない。だが、昨夏の参院選の悪夢が消えていない。
東京選挙区定数5、民・公・民・自・無の順で、自民党は4位の1人当
選だった。
反応がすこぶるいい、とはどんなところで感じるのか、再びBに聞いた。
「1回駅頭をやると、激励メールが10通、20通とくるんです。ビラのは
け方もすごくいいですね。ただ、いいといっても、計るものがないし、
Aさんのパワーが巨大なことも確かですが、風は確実にこちらに吹いて
いる。
保守的な土地柄で、『親はどこなの』とよく聞かれますが、両親とも地
元出身なんで、その点も有利かな。Aさんは落下傘だから」
風のもとは。
「年金、後期高齢者医療、無駄、ですか」
いずれも自民党がつくったものだ。敵失に助けられて、民主党は走って
いるところがあるが、それでも有利は有利。
この傾向は全国的に共通しているようだ。Aは最近、ある会合で、
「情勢は楽観できないが、最後の1人になっても当選してくる」
と悲壮な決意を語ったという。一方のBは、
「いつまでもバッティングセンターじゃなく、1度は球場に出ないと」
と政権取りをにじませた。夏の甲子園高校野球とともに、衆院選も本番
入りだ。(敬称略)=毎週土曜日掲載
==============
岩見隆夫ホームページ
http://mainichi.jp/select/seiji/iwami/
8毎日新聞 2008年8月2日 東京朝刊9
岩見 隆夫(いわみ・たかお)
毎日新聞東京本社編集局顧問(政治担当)1935年旧満州大連に生まれる。
58年京都大学法学部卒業後、毎日新聞社に入社。論説委員、サンデー
毎日編集長、編集局次長を歴任。
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地方公務員法に「抜け穴」
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毛馬 一三
7億円超の「裏金」が見付かった大阪市は7月31日、関係職員351人を同
日付で処分した。平松邦夫市長は記者会見で、「処分は一つの節目とし
て、失われた市民の信頼を回復するため、職員一丸となって取り組みた
い」と述べ、頭を下げた。
平松市長は、今回の処分で「4度目の正直」となる裏金問題に何とか決
着を付けたい腹だったようだが、実は地方公務員法が「抜け穴」となり、
今回の処分対象から外れた特別職や退職者が7人もいるなど、不始末を
残した。
地方公務員法4条2項によると、<法律に特別の定めがある場合を除く
外、特別職に属する地方公務員には適用しない。>となっている。
つまり、同法は地方公務員一般職すべてに適用されるが、特別職の地方
公務員については、法律に特別の定めがある場合を除き適用されないと
いうことだ。
となると特別職には、同法29条で懲戒処分としている<戒告、減給、停
職または免職処分をすることが出来ない>ことになる。
まして一般職(現職)に限って適用する同法により、今年3月末で公務
員資格を失った退職者は当然、処分の対象外となるのである。
この結果今回、地方公務員法の規定により、本来処分対象となる筈の経
済局長(当時)が、その後副市長に就任したため、処分の対象から外れ、
更に今年の4月まで裏金で備品の購入していた教育委員会の前教育長や
元局長、元区長(局長級)5人の退職者も、処分の対象から遁れた恰好
だ。
これに対して市民や民間から出ているのが前述の不満だ。関係者による
と市長は、「逃げ得」ではないかと記者団の詰問に、「どの時期までの
退職した人を対象とするか議論があり、ある時期で区切りを付けるべき
だった」と述べ、法の適用に違和感を覚えている印象だったという。
上場会社の役員に聞いたところ、「株主から請求があれば以前の役員ま
で責任が問われるのは上場会社では常識だ。法律の不備がその結果を導
いたかもしれないが、民間とは大きな責任認識にギャップがある」と指
摘する。
また、ある商店主は「業績不振で喘いでいるのに、役所だけ法律に守ら
れて免責されることにはムカつく。責任は特別職であろうが退職者であ
ろうが、裏金に直接間接関与の事実があるのなら、市独自の処分規定を
作って対処すべきだ」という。
4度に亘る全庁調査の結果、悪弊裏金に何とかケジメをつけたかった平
松市長だが、まだ裏金隠匿の噂がある中、この免責対象者の処置に何ら
かの目途をつけない限り、大阪市政への信頼は回復されそうにない。
(了) 2008.08.01 参考・フリー百科事典「ウィキぺディア」
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鼻濁音と英語の発音
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前田 正晶
鼻濁音というか「が行の鼻音化」が段々に東京弁か標準語から消えてい
く傾向が始まって久しいものがある。この傾向を嘆くのは自分が高齢化
したことであるかも知れない。だが、こういうものだと家庭や学校で教
えていなければ、鼻濁音そのものが消滅していくかも知れない。
今回は鼻濁音と英語の発音との関係を考えてみることにする。「そんな
ものと英語の発音に何か関連性があるのか」との疑問は出てくるだろう。
そこを解説するのが私の狙いである。
それは英語のスペルで言えば”ng”と続く場合に、鼻濁音にしなければ
ならない時とそうでない場合があることを指している。ところが、鼻濁
音ができていないと、両方ともその発音になってしまうので、厳密に言
えば「一寸おかしなことになる」という程度の問題である。
多くの方がよく言われる「通じるか、通じないのか」という心配とは余
り関係がないかも知れない。だが、うるさ型に出会うと「それはおかし
い」などと指摘される危険性があるかも知れない。もっと極端に言えば
「気にしなくても構わない」のである。
具体的な例を挙げれば”English”の場合は鼻濁音的であってはならない
のである。お疑いの向きは辞書で発音記号をご覧下さい。意外なことに、
これを鼻濁音化させて発音する外国人がいるので、「それは違う」とク
レームをつけられたことがあった。
次は”sing”、”swing”、”song”、”long”等を考えてみよう。これ
らは全て鼻濁音的発音にして頂きたいのである。多くの方はごく気軽に
そうでない発音でおり通されている。でも「貴方違いますよ」などと言
う奇特な外国人はいない。
だが、面倒なことに”sing”の語尾に”er”を付けた”singer”となる
と、鼻濁音でないといけないのである。すなわち、カタカナで書けば
「スィンガー」とでもすれば良いだろうかと言う発音である。故に「シ
ンガー・ソング・ライター」などは、もしも英語で言う機会があれば要
注意であろう。以下、longもswingも同様。
ところが、”finger”は鼻濁音的ではないのである。さらに、一寸と難
しい言葉に”elongation”=「伸び、延び」というのがあるが、この場
合には普通は鼻濁音化しないのである。「だから英語はややこしい」と
私は何時も考えている次第。これ以外にも沢山あると思うが、そのよう
な言葉に出会った時に、どうなっているかは辞書を引いて確認して貰う
しかないと思う。 以上
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一葉と中嶋歌子
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平井 修一
「夭折とはあらゆる芸術家の夢のまた夢」とは言うものの、一葉、本名
樋口奈津は数えの25歳で亡くなってしまった。あまりに短すぎる。「彗
星のごとく」駆け抜けた作家人生であった。
一葉の名の由来は「葦の葉の一枚」のようだ。「内緒だけれど、おあし
が一枚しかない貧乏暮らしだから、一葉」と友人の三宅花圃に告白、今
で言うカミングアウトをしたそうだ。その彼女が5000円札になっている
のだから、天国でさぞ苦笑しただろう。
一葉は明治19(1886)年、小石川にあった中嶋歌子の歌塾「萩の舎(はぎ
のや)」へ弟子入りして、ここで和歌・書道・古典を学んだ。時に14歳。
多感な時期だから中嶋歌子の薫陶を体いっぱいに受け止めただろう。
ここで作家としての基礎を身につけた。18歳の時には中嶋歌子の家に住
み込み、内弟子となっているから、歌子も一葉の才を高く評価したに違
いない。20歳のときに最初の小説を発表している。
弟子が弟子なら、師匠の中嶋歌子の人生もすごい。波乱万丈である。以
下、山川菊栄著「武家の女性」から脚色する。
幕末、江戸・小石川の水戸藩邸近くに「池田屋」という大きな旅館があ
り、水戸藩の定宿となっていた。国事に奔走する藩士の一人、林忠左衛
門に池田屋の娘が恋をする。忠左衛門は美男の凛々しい若侍で、桜田事
件にもかかわった急進派だった。
恋は盲目、怖いものなし。池田屋の娘は「どうしても忠左衛門さまへ嫁
がせてください」と親をかきくどく。人を間に入れて申し入れたが、
「池田屋は江戸で知られた大家、こちらは田舎の貧乏侍。釣り合わぬ縁
であり、ご時世も逼迫しており、明日をも知れぬ命だからご辞退申す」
と聞き入れてもらえない。
親「そういうわけだから、縁がなかったと諦めなさい。灰神楽の立った
ような水戸のお武家様へ嫁ぐなんぞ、お前、第一危険だろう。商人でい
れば身に危険はなかろうが」
娘「・・・どうぞ、どうぞ、忠左衛門さまのお嫁さんにしてください。
どんな貧乏、どんな苦労も厭いません。忠左衛門さまと一緒に命を捨て
ても悔いはありません」と、涙がぽたぽた。
江戸っ子の負けん気で娘は後へ引かない。ハンガーストライキもしただ
ろう。親も乳母もオロオロするばかり。
山川菊栄が語る。
<手を代え、品を代えして、どう説き伏せたものか、とうとう忠左衛門
との間はめでたく結ばれました。
池田屋の娘が花嫁となって下った時には水戸中の評判となったくらいで
した。なにしろ手織り木綿に手束ねの髪で働いてばかりいる女たちの中
へ、江戸の大商人の金にあかした嫁入り仕度で、
大長持に絹寝具をいっぱいつめて運び込み、縮緬の小袖に緋縮緬のたす
きをかけて、「生まれて初めての雑巾がけ」をしているというので、そ
れからそれと大した評判になりました。そのころまだほんの十あまりの
子供だった翁はこんな話をしてくれました。
「私はちょいちょい林の家に使いにやられましてね、あの池田屋の娘は
よく覚えていますよ・・・色の白い、愛嬌のある顔立ちで、江戸商人の
娘だから、はきはきしているし、おそろしく気がきいてお愛想がいい。
こちらは子供のことで、いつも使いに行くたびにお菓子を包んでくれる
のが嬉しかった」
池田屋の娘の花嫁姿の評判がまだ消えうせぬころに「子(ね)年のお騒
ぎ」となりました。忠左衛門は藩主の名代、松平頼徳に従って江戸から
下り、水戸城へ入る間際に戦端が開かれたので、余儀なく応戦、(敗戦)
後に久留里藩にお預け中、26歳の若さで病死しました>
池田屋の娘は覚悟の上とはいえ、過酷な運命が待っていた。「逆賊の妻」
として捕われ入牢。冬でも満足な着物はなく、歯の根も合わぬ厳寒の夜、
牢の近くで聞こえる内紛の銃砲の音に、しばし寒さを忘れたときもあっ
た。
ながながに 銃砲(つつ)の音(ね)きいて 一夜(ひとや)の中の
寒さ忘れる
この「池田屋の娘」が中嶋歌子であった。
数ヶ月後、赦されて実家に戻った歌子は一心に学問を学び、20年後に
「萩の舎」を開塾、門下生は数千人にも及び、樋口一葉など明治の才媛
を育て上げた。
一葉は近代文学に名を残すことで、歌子の業績をも永遠に顕彰しており、
夭折したとはいえ師の恩にしっかり酬いていると言えるだろう。
━━━━━━━
話 の 福 袋
━━━━━━━
◎炭疽菌事件で訴追予定の科学者が自殺、治療研究の第一人者
【ワシントン=宮崎健雄】米ロサンゼルス・タイムズ紙などは1日、米
同時テロ直後の2001年秋、米議員事務所などに炭疽(たんそ)菌入りの封
書が送られ、5人が死亡した事件で、連邦捜査局(FBI)が近く訴追
する予定だった科学者が自殺したと報じた。
この科学者は、メリーランド州フォート・デトリックの陸軍感染症医学
研究所で勤務していたブルース・アイビンス氏(62)。7月29日、薬物
の大量摂取で死亡した。
アイビンス氏は炭疽菌治療研究の第一人者で、事件当時、FBIにも協
力していた。捜査当局は、治療法の研究の一環として事件を起こしたと
みているという。
同研究所は、生物・化学兵器の研究施設として知られ、早くから複数の
関係者が捜査対象となっていた。 8月2日11時10分配信 読売新聞
◎くいだおれ太郎 売却しない意向…貸し出し方式に 大阪
先月閉店した大阪・道頓堀の飲食店「くいだおれ」の看板人形「くいだ
おれ太郎」について、同店の女将(おかみ)、柿木道子会長(67)は3
日、初めて太郎を売却しない意向を明らかにした。
太郎の商標権をこのまま同店の経営陣が持ち、イベントなどに貸し出す
方式を検討しており、来月にも正式に決める見通し。太郎の行く先に関
心が集まっていたが、“くいだおれ”の看板を背負った活躍は今後も続
きそうだ。
同日、大阪・ミナミであった人気音楽バンドのイベントに、太郎と一緒
に参加した柿木会長が「『くいだおれ』が太郎を持ったまま、いろんな
挑戦をさせたいという(周囲の)声が多い」と話した。
同店側はこれまで、今後も太郎を道頓堀に残したいとの意向は示してい
たが、売却先などの取り扱いについては「未定」としていた。8月4日0時
30分配信 毎日新聞
◎写楽の肉筆扇面画、ギリシャの美術館で発見
江戸時代の浮世絵版画の巨匠、東洲斎写楽(とうしゅうさいしゃらく)の
肉筆扇面画がギリシャ・コルフ島のアジア美術館に所蔵されていたこと
が分かった。
小林忠・学習院大教授ら国際学術調査団が真筆と鑑定した。歌舞伎「仮
名手本忠臣蔵」を題材にした役者絵で、浮世絵版画の世界から姿を消し
た直後の筆と見られる。写楽の肉筆作品は極めて少なく、謎の多い絵師
の実像に迫る一級の手がかりとなる。
扇面画は端の一辺が17・4センチ。竹を素材とする中国製の
「竹紙(ちくし)」を使ったと見られ、署名と花押がある。「忠臣蔵」2
段目から、4代目松本幸四郎が演じる加古川本蔵と、松本米三郎による
本蔵の娘、小浪(こなみ)を描いている。
調査団によると、2人がこの父娘を演じた上演記録から、1795年
(寛政7年)5月の舞台に基づく絵と推定される。写楽が役者絵などを
発表した期間は約10か月で、同年初めには浮世絵版画の制作をやめてい
るが、その後も肉筆画は描いていたことになる。
真筆と判断した根拠について、小林教授らは、〈1〉役者の表情のとら
え方や繊細な彩色など、オリジナルな表現の質を備えている〈2〉通常、
浮世絵に描かれない場面を取り上げており、場面の選び方がユニーク−
−などの点を挙げている。
コルフ島のアジア美術館は、19世紀末から20世紀初めにかけて、ギリシ
ャの外交官グレゴリオス・マノスがパリやウィーンで買い集めた日本な
どの美術・工芸コレクションを所蔵している。今回の扇面画もマノスの
収集品。近年、同館のコレクションが日・英の研究者に知られるように
なり、7月下旬、絵画・陶磁器などの調査団が訪れた。
小林教授は「版画では役者の表情を強調し、奇をてらうイメージもある
写楽だが、この肉筆画では抑制された筆致を見せている。彼の表現の本
質や実像をとらえ直す上で、重要な作品となる」と話している。
8月4日3時8分配信 読売新聞
◎世界最小のヘビ発見=10センチ弱の新種、カリブ海の島で
カリブ海のバルバドス島で世界最小のヘビを発見し、新種に分類したと、
米ペンシルベニア州立大の研究チームが4日付のニュージーランドの国際
動物学誌ズータクサに発表した。
長さは10センチ弱で、太さはスパゲティ並み。日本で雨の後によく見掛
ける大きめのミミズより小さい。主にアリやシロアリの幼虫を餌にして
いるとみられるという。 (時事通信)
◎転倒事故で145人圧死 インド北部ヒンズー寺院
【コロンボ3日共同】インド北部ヒマチャルプラデシュ州にあるヒンズー
教のナイナ・デビ寺院で3日、多数の信者が転倒する事故が発生し、145
人が死亡した。大半が圧死したとみられる。PTI通信が伝えた。
インドメディアによると、数百人が死傷したとの情報もあり、死者数は
さらに増える可能性がある。
AP通信によると、死者のうち30人が子ども。40人以上が負傷して病院
に運ばれた。
転倒事故の原因は特定されていない。PTI通信によると、地元警察は
山の頂上にある寺院に向かう山道沿いの鉄製の手すりが壊れたのが原因
と説明した。
寺院に入ろうと待っていた信者の間で、巨石が斜面を転がり落ちてくる
とのうわさが広まり、逃げようとした信者が次々に転倒したとの報道も
ある。
寺院は州都シムラの北西約160キロ。寺院では、9日間にわたるヒンズー
教の行事が行われていた。信者は山のふもとから歩いて約1時間かけて
寺院を目指すという。
◎テロ指定解除の8月11日で・・・ 古沢襄
北朝鮮に対する米国の「テロ支援国指定解除」は8月11日から発効する
運びだが、一方ではライス国務長官が示唆したように「11日からの発効
が延期される」可能性も消えていない。
ここにきて韓国の聯合ニュースが北京とワシントンから注目すべき報道
をしている。
一つは米国務省のソン・キム6カ国協議担当特使が北京で北朝鮮側と予
備折衝したが、「米国が提案した核計画申告内容の検証草案に対する反
応はない」と悲観的な発言をしたことである。
さらにワシントンからは、米国務省のヒル次官補が北朝鮮に拉致された
キム・ドンソク牧師問題を北朝鮮に正式に提起する考えを明らかにした
と伝えてきた。8月11日が目前にきているうえ、北朝鮮に譲歩に譲歩を
重ねたヒル次官補の発言だけに、如何にも唐突な感じをうける。
これが「11日からの発効が延期される」前兆なのか分からない。ただ聯
合ニュースが丹念にこの情報を追いかけているのは、何かの心証を得て
いるのかもしれない。
◎法務省が裁判権放棄を指示 米兵事件処理で53年通達
日本に駐留する米兵の事件をめぐり、1953年に法務省刑事局が「実質的
に重要と認められる事件のみ裁判権を行使する」との通達を全国の地検
など関係当局に送付、事実上、裁判権を放棄するよう指示していたこと
が4日までに、同省などが作成した複数の内部資料で分かった。
法務省は地検に「慎重な配慮」を要請し、事件の処分を決める際は批判
を受ける恐れのある裁判権不行使ではなく、起訴猶予とするよう命じて
いたことも判明。地検の問い合わせには日米地位協定に基づき、日本が
第1次裁判権を行使できない「公務中の事件」の定義を広く解釈するよ
う回答していた。
日本側の裁判権放棄については日米両政府による53年の秘密合意が明ら
かになっているが、合意を受けた具体的対応が分かったのは初。現在も
米兵の交通事故など多くの事件が起訴されておらず、通達の効力は維持
されているとみられる。
内部資料は、法務省刑事局と警察庁刑事局が54年から72年にかけて作成
した「外国軍隊等に対する刑事裁判権関係」などの実務資料。日米関係
研究者の新原昭治氏や共同通信が入手した。
2008/08/04 09:00 【共同通信】
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反 響
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1)マスコミがこの被害がまたぞろ増大中と報じている。種種の対策も
示唆されている。
私は単純に「ナンバー・ディスプレー方式」の電話機を据え付けて、通
話というか連絡先の番号を入力すれば有効な対策であると信じている。
電話機についているスクリーンには着信した番号が表示される。知らな
い番号からの電話には出なければよいのである
現に、我が家ではかなり以前からこの方式を導入している。その理由は、
この地域は勧誘の電話等怪しげな電話が極めて頻繁にかかり、応対して
いたらキリがないこともあった。
だが、ある時「何処で手に入れたか知らないが、そんな古い名簿で電話
しないで欲しい」と何気なく揶揄してしまった。
その反応が凄まじかった。全く映画やテレビで聞くその筋の人風の口調
に変わり、延々と脅迫し始めたのであった。実際にその相手が言うよう
に「若い者を集めてトラックでお前の家をぶちこわしに行く」ことはな
いと思うが、凄まじい迫力であった。
それでなくとも断っただけも凄まれたことが何度か続いた。正直に言っ
て恐ろしくなった。何分にも相手はこちらの番号を知っているのに、こ
ちらは相手の番号が解らないのである。
そこで何とか言う機関に相談したが大した助言は得られなかった。警察
も同様だった。そこで窮余の一策で、確か116に尋ねた。結果としてNTT
が提案してくれたのが「ナンバー・ディスプレー方式」であった。
これは、そのための電話機を買わねばならないが、某量販店で型落ちを
買って出費を最小限に食い止めた。そして、NTTに登録して月額600円高
を余計に払えば済むのである。
後は受話器を取っても良い知り合いの電話番号を登録する作業だけであ
る。その後に留守電をセットすれば、失礼でも相手がメッセージを残そ
うとする時に出ればよいという手順である。
我が家の機械には「着信拒否」機能もあるので、何度もかけてきてメッ
セージを残さない先を「怪しい」と見て拒否の手続きをすればよい。
「非通知」も勿論「着信拒否」である。ここまででも、有効な手段とは
思われるであろう。
私にはあれだけ騒がれているのに、NTTが公式にこの方法を推薦しないの
が不思議だ。何か特別の理由があるのだろうか? 以上 前田正晶
2)貴誌1264号の加瀬英明様の「日本は亡びようとしている」を読み,
しばらく考え込んでおりました.
仏教の主張や,先端物理学の主張に依拠した「宇宙の摂理(仮説)」に従
うならば,不変なものはこの世界になく,全てが関係し影響し合い変化
していく,それが真理だということであり,それに抗う事は誰にもでき
ないという「仮説」があります.
たぶん,これは真実だと私は感じています.それ故,「日本人の良き伝
統」を「温故知新」として強く意識を保ち,未来に背負っていく義務が
あると感じました.
それ故に,私は,「時の流れに伴って全てが変化し,世界は新たな姿に
変っていく.伝統とは,その変化の為のその時点における初期条件であ
る」とし,常に大いなる「前提」として堅持したいと想います.
過日,「地球温暖化問題」が議論になった際,東工大の丸山茂徳教授の
講演録を読みましたが,実はそれを読んでいて最も強く感じたのは,
「人類など一時的な存在なのかも知れぬ」ということでした.もちろん,
何とか生き延びて科学技術も進化していくのかも知れませんが,地球は
何時か終焉を迎えるのです.そして人類は滅亡するか他の星に旅立って
いくことになります.
その時,日本列島はいったいどうなっているのでしょうか.更に言えば,
旅立つ時点で存在しているのでしょうか.また,その存在は何か意味を
持ち続けるのでしょうか.
私は現在56歳ですが,最後まで前向きに生きたいと思っています.その
為に自分なりの「次代への伝承」にトライしたいと想います.加瀬氏が
危惧される「良き伝統の未来への継承」という役割を自分も少しばかり
担い,せめて,家内と子ども達くらいにはちゃんと伝えて終わりたいと
想いました.
因みに,家内が言うには,私は現世で「苦しむだけ苦しんで人の悲しみ
を徹底理解し,来世で君主となって民を正しく導く」のだそうです.
「ええっ,そんなのゴメンや,退屈で窮屈でしゃあないやんか,俺は次
も日本に生まれるんや」と反論しましたが,「だってお小遣い無しで毎
日頑張ってるやろ? それって苦しいやろ? ほーら,自ら実践してる
やんか.偉いやんか〜(呵呵大笑(※))」と相手にしてくれませんでした.
(※)家内はとんでもない笑い上戸で,一旦笑い出したら延々と止まらず,
腹痛と呼吸困難に陥ってようやく止みます.家族は皆呆れています.
2008/8/3 大阪
3)たしか、皇后陛下 美智子様が結婚されるにあたって、鼻濁音の
発音強制だったと聞きました。当時から既に、嘆かわしい状況は、あっ
たようです。ドリトル先生(マイフェアレディー)のような日本語教師
が必要なのかもしれませんね。酒井富雄
4)私はかねてから「言葉を学ぶか覚えるかには、耳から入れるか入
ることが最も即効性が高い」と主張してきた。その点ではテレビの悪影
響はかなりなものがある。そこを捉えてみる。
オリンピック開始が迫り、有力であろうと何だろうと多くの選手たちが
テレビで抱負を語らせられている。その際に決まって言うのが「応援宜
しくお願いします」である。このことをお願いするの場合に、これ以外
の台詞は絶対にない。
振り返ってみると、何もオリンピックに限らずプロ野球でも試合後の
「ヒーロー・インタビュー」に登場する者は、必ずこの台詞で締めくく
る。高校野球でも甲子園出場校の子供たちもこれだ。この傾向は何もス
ポーツの場合だけではない気がする。
これが影響したのか、誰かに指導されたのか知らぬが、兎に角「応援宜
しくお願いします」なのである。私は一人ぐらい「応援してください」
と言ってくれる日が来るのを待ち望んでいる。
次は嘗て取り上げたことがある「目線」。この言葉は嫌いであるし、品
がないと思う。だが、テレビに登場する者は例外なく「視線」と言わず
にこれを使う。誰が最初に言い始めたのか知らないが、ついには一般人
までが「視線」を忘れてしまったのは遺憾千万である。あなた方は「業
界人になりたいのか!」
これには「カメラ目線」などもあるが、これなどは典型的な業界用語だ
ろう。確か政治家も使い始めている。彼らには一度くらい「広辞苑」を
ひいて貰いたいものだ。そこには「もと、映画・演劇・テレビ界の語」
とある。
「〜させて頂きました、ないしは頂いております」もテレビが普及させ
た嫌な物の言い方であると思う。私にはこれを何か謙りと思い違いして
いるとしか考えられない。何故テレビを真似ずに、普通に「〜致しまし
た」と言えなくなったのだろう。
「ら抜き言葉」の普及も目覚ましい。笑ってしまうのは、画面に出た人
が「ら抜き」であるにも拘わらず、画面の下の方に必ず「ら」を補足し
てスーパーインポポーズ(と言うのかな?)が出ていることだ。テレビ
局はご承知なようである。
「私の中では」これは芸人とスポーツ選手御用達であると思う。思うに
「私はこう考えております」という意味だろうが、いつの間にか一般人
にも普及している。
到底ここに挙げた例だけでは収まりきれないが、私は「げに恐ろしきは
テレビの影響。新日本語を作り上げている」と感心し、且つ寒心に耐え
ないと申し上げて終わる。 前田正晶
5)桑鶴ジャガーズの挑戦(結果)
私の母校長崎県南串第1小ソフトボールチーム「桑鶴ジャガーズ」の全
国ソフトボール大会への出場(本誌1251号掲載)に際し、ご支援(浄財)
をいただきました本誌読者の方に対し、誌面を借りて心から厚く御礼申
しあげます。
8/3(日)静岡県牧之原市で試合があり(「あなたも好きね」と家人にい
われながらも)千葉から仲間とともに応援に駆けつけましたが、残念なが
ら静岡県のチームを破った兵庫県の強豪チームに4:0で負けました。
全児童数わずか100人の小学校で4〜6年の「単独チーム」でした。エース
の井上大輔君(6年)は大会屈指の好投手。95km/hrの豪速球で三振の山
を築きましたが、守備の乱れなどを突かれました。相手がわずかに勝り
ました。
当チームも1死3塁での遊直併殺や2死2・3塁でセンターへ抜けそうな当た
りを相手の美技で阻まれるなどの不運もありました。しかし、子供たち
はこの貴重な経験を必ず今後に生かしてくれると思います。
見知らぬ田舎の小さな小学校のチームに対し、暖かいご支援をいただき
まことにありがとうございました。猛暑の折、くれぐれもご自愛くださ
いますよう祈念いたします。馬場伯明
6)出藍の誉れ、緒方信一郎君
久し振りに昔の部下から便りが届いた。本が同封されている。緒方信一
郎著「もっと賢く・お得に・快適に 空の旅を楽しむ100の方法」(ダイ
ヤモンド社)。緒方君の3冊目の本だ。
「すべて平井さんのお陰です」と感謝され、いささか面映い。緒方君は
「出藍の誉れ」である。
今や航空ジャーナリストとして現役ばりばりの緒方君が小生の会社に応
募してきたのは20年ほど前。飲み込みが速く、一を聞いて十を知るタイ
プ。てきぱきと要領よくこなすからクライアントからも好かれた。プロ
モーションビデオなどの映像制作でもまたたく間に技術を身につけた。
彼が独立したときに弊社の有力クライアントのひとつ、リクルート社を
プレゼントした。小生と同様に彼も航空業界のハード(機材など)より
もソフト(流通、サービス、経営など)に詳しく、その面では指折りの
専門家だろう。実力があるから「地球の歩き方」などを含めた海外旅行
関係の雑誌や、「日経BP」などの雑誌にも記事を書いている。
本のあとがきにはこうある。
<今まで20年近く、航空・旅行関係の取材を続けてきて、私の中には航
空会社選びのノウハウがたまっていましたから、それを皆さんにお伝え
しようと思い立ったわけです・・・
滑走路伝説が残る表参道近くの事務所にて。緒方信一郎>
筆1本で(今ではPC1台で、となるか)一家を支えているのだから年中
無休で大変だろうなあと思う。そのうち暑気払いでもすることにしよう。
蛇足ながら、「戦後、旧代々木練兵場には進駐軍のカマボコ兵舎が建ち
並び、あたりは米兵であふれた。
中には表参道を滑走路に見立て、飛行機の離着訓練を敢行する米兵もい
て住人を驚かせた」(読売新聞・都民版・東京伝説より) そうだ。平井
修一
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身 辺 雑 記
━━━━━━━
3日は義母の13回忌。滞りなく済ませました、子と孫の全員が集まり、ア
ルバムをめくりながら和氣藹藹。孫たちは祖母を知らない子もいる、自
分たちの親が子供だった頃の写真を見て興奮していた、なるほど。
何年かに一度親戚一同が故人に思いを寄せながら心を通じ合うと言う回
忌は良い習慣だろう。
体質的に呑めない青年が奨めを断れずに呑んで眠り込んでしまった。飲
ませたほうが悪い。
ご投稿、ご感想をお待ちしています。下記。読者:3654人
ryochan@polka.plala.or.jp
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