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わたなべりやうじらうのメイル・マガジン「頂門の一針」 1191号
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平成20(2008)年5月19日(月)
文化大革命は毛沢東の仕業:渡部亮次郎
シナの「易姓革命」序章:平井修一
PPCの原料古紙不足:前田正晶
「従軍記者」事始(3):平井修一
地震局、専門家の予報を無視:大紀元日本
話 の 福 袋
反 響
身 辺 雑 記
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第1191号
発行周期 不定期(原則日曜日発行)
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文化大革命は毛沢東の仕業
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渡部亮次郎
1966年5月16日の「通知」(5・16通知)や同年8月の中共8期11中全会
(中国共産党第8期中央委員会第11回全体会議)での「中国共産党中央委
員会のプロレタリア文化大革命についての決定」(16か条)で文化大革
命の定義が明らかにされた。
だが実態は、失脚者毛沢東が引き起こした権力奪回闘争であった。大躍
進政策の大失敗により国家主席を辞任して以来、危機感を深めた毛沢東
が、劉少奇国家主席やトウ小平らから権力を取り戻すために仕掛けた大
規模な権力奪還闘争に過ぎない。略称は文革(ぶんかく)。
「政治・社会・思想・文化の全般に渡る改革運動」のはずが、実際には
ほとんどの中華人民共和国の人民を巻き込んだ粛清運動として展開され
た。
結果的に約1,000万人以上((異説では3,000万人))と言われる大量虐
殺とそれに伴う内戦へと発展、国内は長期間にわたる混乱に陥った。
始めは毛沢東指示の下、国家主席劉少奇からの政権奪還を目的として林
彪の主導により進められた。
林彪の毛沢東暗殺失敗に伴う国外逃亡時の事故死後は、毛夫人江青ら
「四人組」に率いられて毛沢東思想にもとづく独自の社会主義国家建設
を目指したが、実質は中国共産党指導部における大規模な権力闘争に大
衆を巻き込んだ大粛清であった。
共産党指導部に煽動された暴力的な大衆運動によって、当初は事業家な
どの資本家層が、さらに学者、医者などの知識人等が弾圧の対象となっ
た。尖兵実働隊が紅衛兵(男女)だった。
その後弾圧の対象は中国共産党員にも及び、多くの人材や文化財などが
甚大な被害を受けた。これによって中国の経済発展は20年遅れたと言わ
れている。一般の革命とは一線を画すクーデターだった。
1966年から10年にわたって吹き荒れた中国の政治混乱の背景には、
(1)1949年の中華人民共和国の建国以来、中国の社会主義建設が不調であ
ったこと (2)建国の指導者毛沢東が政治的に失脚していたこと(3) 中ソ
対立など国際的な社会主義運動の対立 などがある。
1965年11月10日、姚文元は上海の新聞「文匯報」に「新編歴史劇『海瑞
罷官』を評す」を発表し、毛沢東から批判された彭徳懐を暗に弁護した
京劇『海瑞罷官』を批判して文壇における文革の端緒となった。
1966年5月北京大学構内に北京大学哲学科講師で党哲学科総支部書記の聶
元梓以下10名を筆者とする党北京大学委員会の指導部を批判する内容の
壁新聞が掲示されて以来、次第に文化大革命が始まった。
8期11中全会以後、中国共産党中央は麻痺し、陳伯達・江青らの文化革命
小組がそれに代わった。文化大革命について最もはっきり述べているの
は1969年4月の第9回党大会における林彪の政治報告である。
江青をはじめとする四人組は毛沢東の腹心とも言うべき存在であり、四
人組は実は毛沢東を含めて「五人組」であったとすべきだろう。
原理主義的な毛沢東思想を信奉する学生たちは1966年5月以降紅衛兵と呼
ばれる団体を結成し、特に無知な10代の少年少女が続々と加入して拡大
を続けた。
実権派(「走資派」とも呼ばれた)と目された!)(トウ)小平や劉少奇
などの同調者に対しては、徹底的な中傷キャンペーンが行われた。批判
の対象とされた人々には自己批判が強要され、「批闘大会」と呼ばれる
吊し上げが日常的に行われた。
実権派とされた者は三角帽子を被らされ町を引き回されるなどした。吊
し上げ・暴行を受けた多くの著名な文人名士、例えば、老舎、傅雷、翦
伯賛、呉!)、儲安平らは自ら命を断った。
極端なマルクス主義に基づいて宗教が徹底的に否定され、教会や寺院・
宗教的な文化財が破壊された。特にチベットではその影響が大きく、仏
像が溶かされたり僧侶が投獄・殺害されたりした。
毛沢東の1927年に述べた「革命とは食事に客を招くことではなく、上品
で温順でつつましやかなものではない。革命は暴動だ。一階級がもう一
つの階級を打ち倒す暴力なのである」という言葉がスローガンとなって
多くの人々を動かし暴力に走った。だが、中華人民共和国政府はこの事
に対する、明確な説明あるいは謝罪を行っていない。
1973年8月から1976年まで続いた林彪と孔子及び儒教を否定し、罵倒する
運動は後に判明したところによれば、孔子になぞらえて周恩来を引き摺
り下ろそうとする四人組側の目論見で行われたものであった。
毛沢東は「日本共産党も修正主義打倒を正面から掲げろ」「日本でも文
化大革命をやれ」と革命の輸出的な意見を述べた。日本共産党は「内政
干渉だ」として関係を断絶した。その後1998年に日本共産党と中国共産
党は「誤りを誠実に認めた中国共産党側の態度」によって32年ぶりに関
係を修復した。
評論家の大宅壮一は幼い紅衛兵が支配者に利用されて暴れているようす
を「ジャリタレ革命」と批判した。この最中の1972年9月、田中角栄首相
は特別機で北京入りし、日中国交正常化を成し遂げた。
同行した私は天安門広場に残された佐藤前政権非難のたて看板多数を目
にした。北京は敗戦直後の東京を想像させた。チップは取るはずが無い
という日本外務省の説明は嘘。ソヴィエトの建てたホテッルは湯が出な
くて苦痛だった。
そうした矛盾を何とかしようと周恩来首相やトウ小平は現実路線を採ろ
うとしていたが、毛沢東は修正主義として非難。世の中を知らぬ青少年
に倒させようとしていたのである。トウは「下放」されていて現れなか
った。
1976年には、文革派と実権派の間あって両者を調停してきた周恩来、こ
の混乱の首謀者であった毛沢東が相次いで死去し、新しく首相となった
華国鋒は四人組を逮捕した。
翌1977年8月、中国共産党は、1966年以来11年にわたった文革の終結を宣
言した。 1981年には四人組と林彪グループに対し、死刑から懲役刑の判
決が下された。
トウが復活して1978年8月、日中平和友好条約が締結され、日本の資金と
技術が驚異的な経済の改革・開放を可能にし、今日の北京オリンピック
を可能にした。だが、全体主義国のオリンピックはいずれも9年後に国を
滅亡させたと不気味な分析を突きつけられている。
1981年6月に中共11期6中全会では、文化大革命は「指導者が誤って発動
し、反革命集団に利用され、党、国家や各族人民に重大な災難をもたら
した内乱である」としている。
文化大革命期間中の中華人民共和国では大学が1972年頃まで閉鎖され、
再開後も入学試験は行われず、青年は農村に下放された為、専門知識を
持つ人材の育成は大きく遅れた。
1954年生まれの中華人民共和国前駐日大使の王毅ら、中華人民共和国の
指導的人物に若い世代が多いのもこれが原因である。紅衛兵、吊るし上
げられた人の相違を問わず現在の中国を無批判に評価している人物は少
ないと推測される。
公式コメントでは、「わが党が犯した最大の過ちである」と認識、謝罪
し、毛沢東についても、「七分功、三分過」と言う!)(トウ)小平の発
言が公式見解のようだ。
2006年5月、文化大革命発動から40周年を迎えたが、中国共産党から「文
化大革命に関しては取り上げないように」とマスコミに通達があった為
に、中華人民共和国内では一切報道されなかった。この様に「文化大革
命」に関しては中華人民共和国内のマスコミにとって触れてはいけない
政治タブーの一つとなった。
紅衛兵は、「赤は革命の色であるから赤信号で止まるのはおかしい。赤
信号で進んで青信号で止まるべきだ」と主張した。この案が却下される
にあたっては、なんと周恩来が動いたとの説もある。
他にも、「道路の右側を通行するのはアメリカ帝国主義的であるから左
側通行にすべき」との主張もあったが、帝国主義においてアメリカの先
生的存在であるイギリスが左側通行との理由で取り止めになった。
当時まで粛清されずに生き残っていたかつて富農や官僚だった者が批判
・迫害され、吊し上げや殺害が盛んに行われた。ついには毛沢東の父が
富農だったことを批判する壁新聞すら出た。
旧思想・旧文化の破棄をスローガンとする紅衛兵らにより、明王朝皇帝
の万暦帝の墳墓が暴かれ、万暦帝とその王妃の亡骸がガソリンをかけら
れ焼却されたという。
1967年、劉少奇夫人の王光美はピンポン玉のネックレスを首からかけさ
せられブルジョワと非難された。
寝室に毛沢東の肖像を飾っていた新婚夫婦は「主席の前でセックスをし
た」と非難された。夫婦は「その時は電気を消していた」と反論した。
毛沢東に忠誠を捧げる意味から、「毛沢東語録歌」にあわせて踊る「忠
の字踊り」が強制され、踊らなかったら列車に乗せてもらえないことが
あった。また豚の額の毛を刈りこんで「忠」の字を浮き上がらせる「忠
の字豚」が飼育された。
2008・05・10 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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シナの「易姓革命」序章
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平井 修一
北京五輪への国際社会の非難は、四川省大地震で隠蔽された。シナが今
度は同情される側に移って、中共は内心ほっとしているのではないか。
後は救援活動、復興活動において、「為政者としてシナには中共が必要
なのだ」ということを内外に強くアピールできれば「災い転じて福とな
す」と思っているだろう。
大躍進や文革で3000〜4000万人が死んでも頓着しないのが中共で、「核
戦争で 1000万人が死んでもいい、我が国は人口が多すぎる」と毛沢東は
豪語したそうだが、地震で5万人、10万人死のうが「貧乏人、厄介者、暴
動予備軍が死んだだけ」であり、中共にとってはほとんど痛痒を感じて
はいまい。
中共にとって人民は抑えつける対象であって、人民はいつ中共に反旗を
翻すか分からない潜在的不穏分子なのだ。餓死しようが災害で死のうが
共産党の支配に影響しない限りは「関係ない」というのが、そもそもの
共産主義なのである。
ビルマの政権がサイクロンで国民がひどい目に遭っていても平気なのと
同様に、中共も本心は平気の平左だ。政権に悪影響を及ぼさないように
適当に救援活動をし、それを大々的にプロパガンダに利用しているだけ
である。
「自分は被害者だ、一所懸命に救援をしている、国際社会の支援も受け
入れている、だから五輪を開催する資格はあるし、政権の正当性もある
のだ」というわけである。
人民を圧殺する暴力組織が中共の人民解放軍と警察で、拷問と射殺はお
手の物だが、人民救済なんてやったこともなく、大いに戸惑っているの
ではないか。兵士や武装警察隊にとって被災者は赤の他人だから同情を
向ける対象ではない。
「幹部がエエカッコシーをするために俺らが苦労させられる。んったく、
面倒くさい、埋もれた奴らはもうそのまま死んじまえばいい」と思って
いるだろう。
共産主義には血も涙もなく、あるのは政治的な打算である。事件を政治
的に自分に有利なほうへ利用する。あくまでも自分のためで、人民のた
めなんて思わない。共産党による、共産党のための、人民の統治なのだ。
「人民のため」などと思ったら胡耀邦や趙紫陽のように失脚させられる。
間もなく1989年6月4日の天安門事件から丸9年だ。広場の上空に漂う犠牲
者の魂魄は、チベットの怒りを燃え上がらせ、五輪を恨み、大災害をも
たらした。シナの伝統の「易姓革命」かくやという情況で、今は序章に
過ぎず、さらなる騒擾と天災地変をもたらすだろう。
一党独裁と自由主義市場経済は並立するはずはなく、その矛盾を乗り越
えて止揚するのが歴史だと毛沢東は言った。シナは今大きく回天しよう
としている。怨嗟に包まれた「政治の祭典」北京五輪は、回天へ向けて
のトリガーを引くのだろう。
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PPCの原料古紙不足
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前田 正晶
07年のPPC(コピー用紙)の正式の生産統計を見たところ、あの古紙配合
量偽装問題が起きた際、製紙業界は謂われなき非難であると正々堂々と
反論すべきだったことが明確になった。あらためて口惜しくなってきた。
環境大臣に「製紙産業が環境保護に貢献しない」と批判され、マスコミ
に叩かれたが、もともと叩いたり非難するほうがおかしかったのだから
業界は落ち着いて反論すべきだった。
察するところ、年賀ハガキの注文を受けた時、古紙を使うと安請け合い
をした手前、理屈を並べれば「食言」と受け取られると恐れて真相を話
せなかったのだろう。
07年のPPC(コピー用紙)の正式の生産統計によると、日本におけるコピ
ー用紙の生産量が958,978トンで、出荷が948,979トン、加えて輸入が
363,372トンだった。出荷+輸入=1,312,351トンとなる。
これでも日本の紙と板紙の総生産量の4%くらいにしかならない。これと
年賀葉書だけを捉えて、製紙産業が環境保護に貢献しなかったと論ずる
のは無理があると断言する。
年賀ハガキを受注した王子製紙が事実発覚した際に「コピー用紙生産に
適した古紙手当が思うに任せず、つい低い古紙配合率にしてそのままに
推移した」という趣旨の釈明をしたのはこのためだ。事態を正しく表現
している。
我が国で回収される古紙は2,200万トンもあるが80%は新聞・段ボール・
雑誌であってコピー用紙のような白い紙の再生原料には不向きなのだ。
コピー用紙に配合するような古紙は極めて少ないのだ。
王子製紙はその点を説明した心算だったろうが舌足らず。混ぜようにも、
それ用の古紙がないのだ、と付け加えるべきだった。
仮に出荷+輸入=1,312,351トンの72%を古紙として回収できたとしても、
約94万トン強。私の持論は「コピーの目的は大半が保存ですから、破棄
して古紙として出てくる量が72%になる訳がないであろう」。
さらに仮に、50%しか回収できないとすれば、65万6,000トン。この全量
をPPC生産用の古紙に使っても、国内産コピー用紙96万トン作るためには
沢山の新パルプを配合しなければならない。歩留まり等を無視して単純
に計算すると、古紙が70%近くなる。
しかも、高速コピー機で使用に耐える紙は古紙率40%でも使い物にはなら
ないとメーカーは言っている。
それに止まらず、使用済みのコピー用紙だけを回収することや、日本全
国で回収された多くの品種が混合されている古紙から、コピー用紙だけ
を選別して1箇所に集めることなどは物理的に不可能です。
もし出来たとしても、輸送費と人件費の負担が大きくなって、品質に優
れたパルプの方が遙かにコスト安となり話にならない。
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「従軍記者」事始(3)
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平井 修一
日本陸軍に従軍した最初の外国人記者、ハーバート・ジョージ・ポンテ
ィング。米国の雑誌の特派員という名目で第一師団に従軍した彼は「こ
の世の楽園・日本」と題する、こちらが恥ずかしくなるほどの“日本最
高、大好き!”という日本礼賛の著書を残しており、その中で重要な取
材をしている。
ポンティングはこう書いている。
<あるとき奉天で陸軍大将・児玉源太郎男爵に敬意を表しに行ったが・
・・彼はすぐに私を自分の官舎に招きいれ・・・「ほら、君はあれをど
う思いますか?」と日本語で言った。
見るとそこには近代的な装いをした日本の少女を描いた大きな掛け物が
掛かっていて、それはほとんど等身大であった。・・・「ご覧のように、
ここでこんな美人を見ているのでちっとも寂しくありませんよ。別嬪さ
んですねえ」。そして前よりももっと楽しそうに笑った>
児玉大将の部屋のテーブルの上を見てポンティングは感動する。
<私が今まで見た中でも最高に美しい人形が飾ってあった。約十二イン
チ(30センチ)の高さで、驚くほど真に迫って見えた。優美な藤色の着
物を着て、豪華な金色の刺繍を施した帯を締め、宝石に入った可愛い帯
留めから、髪にさした簪(かんざし)に至るまで、日本の婦人が身につ
ける服飾のすべてが細心の注意をもって製作されていた。それはまさに
完全な縮小化された日本婦人で、最高の芸術品であった。
「これは私のお守りです。だからどこへ行くときでも一緒です。今まで
にもずいぶんと幸運を授けてくれました」と日本陸軍の頭脳として知ら
れているこの偉大な将軍は言った。これは児玉大将が祖国の婦人に寄せ
る賛辞であった。
彼の言葉を聞いたとき、現代史の上で最大の偉人の一人であるこの勇敢
な将軍の心中の一端を知るという大きな特権に恵まれたことに感激した
>
人形や壁に掛けられた絵は、母であり、妻であり、家族であり、そして
祖国を象徴していたのだろう。苦しい戦いの中で「なんのためなのか」
という思いがよぎったとき、将軍は人形を見つめながら「母のため、妻
のため、家族のため、そして祖国のため」と思いを新たにしたに違いな
い。
その数日後、ポンティングは幕領昼食会の席で第一師団司令官の黒木為
!)(ためもと)陸軍大将の隣に坐った。維新の前夜、英国艦隊と薩摩軍
は鹿児島湾で交戦したが、黒木大将は18歳で参戦していた。
この話題で盛り上がった後、彼らは「日本の兵隊の勝れた資質、すなわ
ち困難を気にせず、忍耐強く、勇敢で、立派な成果を挙げた素質につい
て討論を行った」。
ポンティングは黒木大将の言葉をしっかりと記録している。
<日本の兵隊の挙げた業績について話すときに忘れてはいけないのは、
これらの行為を成し遂げたのは決して日本の男子だけではないというこ
とです。
もし我が国の兵隊がその母親から、義務と名誉のためにはすべてを犠牲
にしなければならないという武士道の教育を受けなかったら、今日の成
果を挙げることができなかったでしょう。
日本の婦人は非常に優しく、おとなしく、そして謙虚で、これからも常
にそうあってほしいものだと思います。また、それと同時に大変勇敢で
もあり、我が国の兵隊の勇気は、大部分、小さいときにその母親から受
けた教育の賜物です。
一国の歴史の上で婦人の果たす役割は大きく、どこの国でも、もし婦人
たちが何にもまして勇敢で優しく謙虚でなければ、真に偉大な国民とは
言えません。兵隊と同様に、日本の婦人は国に大きな貢献をしているの
です>
児玉大将、黒木大将の2人が期せずして日本の母を賛美した。母は強し、
である。(つづく)
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地震局、専門家の予報を無視
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【大紀元日本5月17日】5月12日の四川大地震発生後、中国科学院エンジ
ニアリング地質力学重点実験室研究員の李世輝さんは同夜、自分のブロ
グに「地震予報専門家は今回の大地震を予報したが、無視された」こと
を発表し、人々の強い関心を引き寄せた。多くのネット利用者はこの内
容を転載して、当局の姿勢を非難した。
*四川大地震を予測した専門家
李世輝さんは文章の中で「四川省で発生した大型地震を聞き、中国の地
震科学者・耿慶国さんは落胆し、心を痛めている」と綴った。耿さんは
中国地震局研究員で、中国地球物理学会天災予測専業委員会の副主審で
もある。
李さんによると、耿慶国さんは2006年に旱魃・地震関係に基づいて、ア
バ・チベット族自治区でマグニチュード(M) 7以上の大地震を予測したと
いう。
2008年4月26日および27日に中国地球物理学会に付属する「天災予測委員
会」の討論会を通じて、「1年以内(2008・5月〜2009年4月)に蘭州より南、
四川、甘粛、青海の境界付近に震度6〜7の大地震発生可能との予報を出
した(書類による報告は中国地震局など宛てに、4月30日に投書した)。
さらに、耿さんは強い磁気嵐(Magnetic storm)の組み合わせによって、
明確にアバ・チベット族自治区における震度7以上の危険時期が5月8日
(前後10日間以内)と示した」との内容を明らかにした。地震予報の3つ
の要素:震度、場所、時間がすべて明確に記された。
*排斥された地震専門家
李さんは「耿さんは人間国宝級の能力を持つ人物なのに、中共政権にお
もねる地震科学者らに排斥され、わずかな退職金で科学研究を続けてい
る。有効に活用されるべき定年退職された地震科学専門家の意見が生か
されなかったのは、とても残念だ」と語った。
耿さんは1975年の海城地震を予報し、さらに1976年の唐山地震も予報し
た。
しかし、これらの成果は地震界権力派の利益を脅かしたため、耿さんは
予報チームから外され、地震新聞社へ左遷された。
*地震局への非難飛び交う
李さんのブログに多くのネット利用者もメッセージを残し、当局が専門
家の警告を無視したことを非難した。次は一部のメッセージ。
「何故国家は地震科学者を重視しないのか?無実な民衆を苦しませるの
か」とか、「もう少し情報を入手できれば、死傷者は軽減したのに」、
「中国政府の汚職が最も多いのだ。真面目に仕事はしないで、権力ばか
り使うのだ。何故彼らを管理する人はいないのか、私が住んでいる地区
がそうだ。どんな政府関係者もいて、お金しか目に入らない。国民の存
在を無視して、本当に悲しい…それぞれの命は一瞬にして亡くなった。
これは天災か?それとも人災?」と綴っている。
「政府関係者が知っているのに、何故民衆に知らせなかったのか。もっ
と早く準備していれば、死傷の数はここまで深刻にならなかった。政府
関係者らは、でたらめばっかり言って、大事なことは何もしないのだ」。
「この文章は温家宝首相に読んでもらうべきだ。地震局関係者が全員耿
さんと同じように、自分の肩書きではなく、人民のために働き、強い責
任感を持つ科学者であれば、首相も苦労はしない。人民の生命財産も被
害に遭わない。
私も水利関係のエンジニアで、科学技術者としてあるべき良知を持って
いる。今日、ニュースで地震局関係者が記者の質問に答えた内容は殆ど
が曖昧で、まさに言葉のゲームをしているのだ。まったく笑えるのだ。
中国人は愚かではない。このような政府関係者がいること自体、私が恥
ずかしいのだ」。
「私は唐山大地震の唯一の生存者だ。唐山人は特に地震局に反感を持っ
ている。壊滅的大型地震を知らせることはできなくて、24万人の民衆が
亡くなった。32年が経って、四川省で発生した同様な大型地震に関して
も、同じように知らせることはできなかった。
国家地震局の人たちよ、あなた達は税金で養わされているのは何にため?
地震局長は責任を負い、辞任すべきだ」。
*無能な者が権利を握り、仕事のできる人は排斥される
次もネット利用者のメッセージ。
「恥知らずな政治屋の科学者、本当の科学者を愚弄した」「能力のない
者は往々にして、能力のある者の上に立つ。これが中国の現状だ」。
「人民に害を及ぼす者たちが大勢いる、我々の国家はまだ希望があるの
か。まるで大きいケーキに噛み付いているネズミの大群を見ているよう
だ。しかし、そのケーキはすでに穴だらけになっている」
*政府関係者、すべてが政権維持のため
さらに、次のようなコメントも、「すべてが政治のため、民生、民主、
民権はすべてが権力者らに踏みにじられた」。
「記者会見を見たか。官僚らは、地震予報は世界における難題だと理由
をつけて逃れた。官職を保持するために専門家の意見を無視した。国家
と人民に災いをもたらした者たちだ」。
「平和ボケだ。カエルの集団大移動の現象が現われても、専門家は現在
が話題になっている「環境保護」の科学道理で無理にはめようとし、地
震の前兆だと認めない。そうでなければ、チベット独立分子にされ、五
輪を破壊するとされるのだ」。
「この件について真面目に調査し、本当に地震局が専門家の意見を無視
したのであれば、被害者のためにも、地震局関係者らを厳重に処罰すべ
きだ。良知を持つ科学研究者に敬意を…」。
(記者・辛菲、翻訳/編集・余靜)
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話 の 福 袋
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◎踏切で間一髪、遮断機くぐり女性を救出…神奈川
17日午後3時ごろ、神奈川県大和市福田の小田急江ノ島線の踏切で、ス
ーパー店員の女性(71)が線路上に倒れた。近くに住む同市職員の山本
剛 (たけし)さん(31)が、遮断機をくぐって踏切に入り、女性を引っ張
るようにして一緒に線路外に転がり出た。直後に片瀬江ノ島発相模大野
行きの急行電車(6両)が通過したが、2人にけがはなかった。
大和署によると、女性は酒に酔っていたという。山本さんは読売新聞の
取材に、「無我夢中で、とっさに体が動いた。お互い無事で良かった」
と話している。
現場は高座渋谷駅のわきの踏切。山本さんは妻(31)、長男(1)とと
もに水族館に出掛け、同駅で下車して帰宅する途中だった。「倒れてい
る人がいる」という妻の言葉で女性に気づき、妻に「子どもを頼む」と
言って遮断機をくぐったという。
小田急電鉄によると、電車の運転士は2人に気付いて非常ブレーキをか
けたが、2人のそばを約100メートル過ぎて停止した。
山本さんは「自分のつま先から十数センチを電車が通った。今思うと怖
い」と振り返った。5月18日3時7分配信 読売新聞
◎北海道旅行に「満足」93% 接客や料理に注文も 道が観光客調査
道がまとめた2007年度の来道観光客満足度調査で、北海道旅行に「満足」
「やや満足」と答えた人の割合が計93%となり、5年前の002年度に行っ
た前回調査から11ポイント上昇した。
北海道旅行が2回目以上の「リピーター」の割合も79%で、前回より5
ポイント上昇し、北海道旅行が高い人気を誇っていることが分かった。
ただ、個別の意見では「宿泊施設や飲食店の接客態度が悪い」「料理に
工夫が足りない」など厳しい注文も少なくなかった。
道は本年度スタートした「観光のくにづくり行動計画」で、食事と接客
サービスの満足度を12年までに80%以上に引き上げる目標を掲げている。
数値目標はクリアした形だが、旅行情報誌「北海道じゃらん」のヒロ中
田編集長は「われわれの調査では、ほかの都府県と比較した満足度はそ
れほど高くない」と指摘。今回の結果をうのみにせず、どうやったら観
光客に満足してもらえるか、考え続けるべきだと提言する。
実際、今回の調査では、満足度が高く出る傾向がある「家族旅行」の割
合が51%と前回(28%)から大きく伸びる一方、団体旅行が前回28%か
ら11%に減少しており、旅行形態の変化が満足度上昇につながった側面
も否定できない。 北海道新聞 (05/18 07:01)
◎イタリアに太陽光発電所 シャープ、電力大手と提携
シャープがイタリアの電力大手ENELと太陽光発電事業の提携で基本
合意したことが18日、分かった。
2011年末までにイタリアに複数の太陽光発電所を共同で設置し、発電能
力は計約160メガワットで1つのプロジェクトとしては世界最大級になる
見通し。
また「薄膜型」と呼ばれ、今後に普及が見込まれる太陽電池の工場建設
も検討する。
太陽光発電は二酸化炭素(CO2)を排出しないクリーンエネルギーと
して、各国が普及策を打ち出している。市場の大きい欧州で生産するこ
とで、輸送コストなどの低減を図る。
発電所の具体的な運営主体や投資額などは今後詰める。完成すればイタ
リアで8万世帯強の電力を賄えるという。
薄膜太陽電池は、製造コストを従来型より大幅に削減できるのが特徴で、
シャープは世界での生産能力を現在の年間15メガワットから将来的に
6000メガワットに引き上げる計画。2008/05/18 【共同通信】
◎瀬戸内海の焼きアナゴ 日本海の焼きサバに敗れる
備前まつりで海鮮丼味勝負
岡山県東備地域の豊富な海の幸をPRする「備前まつり」が17日、備前
市西片上、岡山セラミックスセンター西側広場で開かれた。備前と福井
県の料理人が海鮮丼で味勝負。
備前市沖の瀬戸内海で捕れた焼きアナゴ丼が日本海の誇る焼きサバ丼に
敗れた。
同市内で日本料理店を営む赤堀且師さん(43)と福井県美浜町の魚料理
店主豊島泰純さん(63)が対決。家族連れらが見守る中、赤堀さんが煮
アナゴを焼いて香ばしい煙を漂わせると、豊島さんも負けじと豪快にサ
バを1匹丸ごとあぶった。
訪れた人の中から選ばれた審査員35人が試食し1人ずつ投票。勝った豊
島さんは「一生懸命作ったまでです」と控えめに喜んだ。赤堀さんはサ
バに塩を振ってぬか漬けした福井の珍味に興味を示していた。
【山陽新聞】(2008年5月18日)
◎ケネディ上院議員が入院 「発作」と広報担当者
【ワシントン17日共同】米メディアによると、米民主党有力者のエドワー
ド・ケネディ上院議員(76)が17日午前(日本時間同日深夜)、マサチ
ューセッツ州の自宅で体調不良を訴え、ボストンのマサチューセッツ総
合病院に緊急入院した。同議員の広報担当者によると、議員は意識があ
り家族と話をしているという。
当初は脳卒中のような症状で「深刻」と伝えられたが、広報担当者は
「発作によるもの」と説明。病院で原因を検査中とし、何の発作なのか
など詳細は明らかにしなかった。
同議員は暗殺されたケネディ大統領、ロバート・ケネディ元司法長官の
実弟で、1962年から上院議員。次期米大統領選の民主党候補者指名争い
ではオバマ上院議員への支持を表明していた。
昨年、首の血管に詰まった血栓を除去する手術を受けており、17日にヘ
リコプターで搬送された際は米メディアが病院に殺到した。詳しい検査
結果が出るまで数日かかる見通し。2008/05/18 07:44 【共同通信】
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反 響
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1)映画を観たり 音楽会 展覧会へでかけるのは渡部さんの毎日の
一文に刺激されてです様々な話題を書かれておられるのに感服しつつそ
の視点を参考に勉強を重ねて行きたいと思います
政治 否政界についての記事?にはうんざりしています同じことが繰り
返されている姿に失望し 渡部さんが何を書かれているかが一番の楽し
みですへーえと驚くことばかりです
なるほどと納得するのはまだ早い一語一語丁寧に読み取り その底に示
されているものをしっかりと読み取ろうと思います
政界には興味はないですね どの紙面を読んでも何も出てきません あ
あそうですかで終わってしまうほどです大記者がいくら書かれても 底
が割れていませんか今日は渡部さんが何を書こうとされているかが待た
れます ご健筆を (一)
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身 辺 雑 記
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