頂門の一針 |
この記事の発行者<<前の記事
|
次の記事>>
|
最新の記事
□■■□ ──────────────────────── □■
渡部亮次郎のメイル・マガジン 頂門の一針 第630号
□■■─────────────────────────── ■□
平成18(2006)年11月15日(火)
悲喜交々各位殿;渡部亮次郎
ハノイ喜怒哀楽(20):渡邉由喜
道楽人生の国土づくり:伊勢雅臣
中国の不良債権は公表の2倍:宮崎正弘
三島由紀夫氏第三十六回追悼会 『憂国忌』
e-pros英語教育11月フォーラムのお知らせ
話 の 福 袋
反 響
身 辺 雑 記
□■■□ ─────────────────────────── □■
第630号 発行周期 不定期(原則日曜日発行)
御意見・御感想はchomon_ryojiro@yahoo.co.jp
購読(無料)申し込み御希望の方は
下記のホームページで手続きして下さい。
http://www.max.hi-ho.ne.jp/azur/ryojiro/chomon.htm
バックナムバーは http://www.melma.com/backnumber_108241/
━━━━━━━
悲喜交々各位殿
━━━━━━━
渡部亮次郎
昭和35(1960)年前後にNHK仙台で記者生活を送った仲間が14日夕、九段会
館の地下レストランに集まり、懐旧談義に時を忘れた。中華7品にアルコ
ール呑み放題。会費5000円を集めたが、終わってから500円のお釣を返却。
珍しいことだ、お前、永久幹事だと大笑いした。
丁度南米のチリ沖で起きた津波が三陸海岸を襲って死者119人を出した
「チリ地震津波」の取材の思い出で話は始まったが、あの時、名文を評
価された先輩が「俺は著名な国文学者から直接、電話を貰って用語の誤
りを指摘されたことがある」と敢えて恥を披露した。
それは大学入試の合否発表のニュース。合格を小躍りして喜ぶ顔、がっ
かりする顔、悲喜交々(ひきこもごも)でした、と放送したところ、直
後に電話がかかって来たのだと言う。
「悲喜交々とは、一人の顔に喜びと悲しみが交互に表れることであって、
あのような場面に使う言葉ではありません」と教え、窘められたという
のである。
岩波の四字熟語辞典でも「悲しみと喜びが入混じること」とあり「悲喜
交交至る」の略。交交は、入混じり、あるいは代る代る訪れる意とある。
名文家にも間違って覚えた若輩時代があったのだ。名文家はスペイン語
の名手でもあって南米特派員を経て外信部長になった。
NHKには今はどうか知らないが昔は研修所があって、何年かごと、1週間
ぐらい泊まりこみで、文章の錆を落とされた。いい大人に言葉を教える
事は世間では憚られるだろう、とそっと教えてくれるのである。
各位のあとに様や殿を付けてはいけない。各位というのは、皆様がた、
皆様と言う意味で既に様が含まれているのだ、と。皮切りとは包茎と関
係があるから使ってはいけない。本腰を入れるもいけない。性行為と関
係があるからだ、といった具合。各位殿は至る所で見る。
しかし、最近は新聞が自由に使っている。まだ未熟も出てくる。未熟と
は未(いまだ)熟さずの意味だから「まだ」は不要。これらは高校で漢
文を不履修する時代だからだろう。
漢字そのものを漢の国(中国)に拠っているのに漢文を履修しないとあ
っては漢字の使用方法を習わないに等しいから、こういうことが起きる。
そのうちに馬から落馬なども読まされるかも知れない、ちょと覚悟が要
る。
偉い政治家でも、若い頃に間違って覚えた言葉は世間が直してくれない
から、陰で笑われることになる。
芝居や映画の立ち回りを殺陣(たて)というが「さつじん」と読んだり、
旗幟鮮明(きしせんめい)を「きしょくせんめい」と読む。偉い人だか
ら聴いている人はまさか注意も出来ず、心の中で馬鹿にしている。
この人は憎悪(ぞうお)を「ぞうあ」と国連で演説した。幸い通訳は予
め演説原文を持っていたからhatredと訳したから、本人は笑われずに済
んだ。消え入りたい思いをしたのは日本語原文を草した人であった。
2006.11.15
━━━━━━━━━
ハノイ喜怒哀楽(20)
━━━━━━━━━
渡邉 由喜
先日、うちの息子が言った。「だって○○さんはメイドでしょ」○○の
中にはうちの家政婦の女性の名前が入る。私は、とうとう来たか、とい
う心境である。
息子の通う幼稚園の秋休みが1週間あった。クラスが一緒の子数人の母
と相談して、各家順番で子供を集め私設保育園にするのが私の周りの恒
例である。
母が面倒みる場合もあるが、その家の家政婦にその仕事を頼むこともあ
る。うちが担当の日、午前中私が留守にする間、子供達を集め、私がい
ない間、仲良く遊べと伝える際、家政婦を呼び、「彼女がリーダーだか
らちゃんと従うように」と言った。その途端息子の口から出た発言が冒
頭のそれである。
うちの家政婦は子供の扱いが上手い。私なんかよりずっと上手に面倒を
みる。息子が小さい頃から、ことあるごとに彼女に保母役を頼んできた。
信頼している。息子は私に怒られると彼女に庇われ成長したのだ。小さ
い頃は彼女の後をついて歩くほどであった。息子の発言を彼女も聞いて
いた。
「大人は偉いのだから、絶対○○さんの言うことを聞きなさい」と私は
言い切る。息子は釈然としない表情で「えー」と言ったが、他の子供達
の手前もあってこれ以上言い聞かせるのもと、彼の不満の発言は無視し
た。
開発途上国に住むと、家政婦を雇い運転手がいて一見豪勢と見える生活
をすることが多い。紐解いてみるとどちらも生活に不可欠なのだが、と
りあえずはそう見える。
そんな環境で子供が育つと、子供はいつの間にか自分の相対的な位置を
家政婦等の雇用人より上に置くらしい。そして家事は家政婦の仕事とい
う意識を持つ。
家政婦は親のように煩く部屋を片付けろとは言わず片付けてくれるし、
飲み物を溢しても文句言わずに拭いてくれる。そんなことが当たり前に
なると物心つかない子供が家政婦を顎で使うことも起こり得る。
実際にあるのだ。子供と家政婦の相性がよくないのか、子供の年齢によっ
ては他人を受け入れない難しい時期があるのか、根底に人種差別的なも
のがあるのか、その辺は様々だと思うが、家政婦への苛めに発展するこ
ともある。
親が知らない場合もある。親の知らないことを近所の人が知り、それを
赤の他人の私が知るという恐ろしい社会については後日に譲るとして、
現実に子供の家政婦に対する態度が目に余ることは少なくない。
そんな状況は子供によくない。そんな教育的な見地から家政婦を置かな
い家もある。子供に父親の役割と母親の役割をきちんと見せるためには
家政婦がいては困るという。
私はそれを聞いた時、かなり考えてしまった。近い将来うちにも起こり
得ることだから。そして実際に起こった。とうとう来たかの心境である。
ある程度は覚悟していた。
子供は親、主に母親と家政婦との相対関係を見て、その母親の位置に自
分を置き換えることも想像していた通りだった。
私は厳しい雇い主である。うちの家政婦は英語と日本語での会話が出来
るし、学も教養もあるので、家政婦としてだけではなく、秘書的な仕事
も随分してもらっている。
また将来彼女の自立に結び付けばと、彼女が指導者として家政婦育成や
言語の講座などの機会を与え、常に刺激を与えている。人によっては
「どうせベトナム人に何を言っても無駄」とはなから難しいことや面倒
臭いことは頼まない。私は逆である
。なるべく新しいこと難しいこと、彼女にとっては難題をふっかける。
考えようによっては嫌な雇用者である。しかし、価値観は経験によって
しか生まれないと信じているので、彼女には色んなことを経験して欲し
くてついつい厳しくなる。そうすると当然怒ったり叱ったりする機会も
増えてくる。
はじめは彼女のことを考え、なるべく息子の前では怒らないように、叱
らないように気をつけてはいたが、仕事の内容が複雑になればなるほど、
そういうわけにも行かず、息子がいる時も叱ることになる。
息子は知らん振りを装いながらよく見ていた。しかし私もそれを承知し
ていた。所詮無理なのだ。彼にそういう場面を見せないでいることが教
育上いいことなのかも私には疑問だし、彼女にとっても問題が起きた時
に言われないと実感としてわからないだろう。
私は結局、彼の前でも家政婦を叱ることを選んだ。その時から、こんな
日が来ることは予想していた。むしろ遅いくらいだった。
家政婦の彼女にはとりあえず説明した。息子が何を言おうとも、大人の
方が偉いというスタンスは変えないと断言し、彼が不謹慎な発言や態度
をした時には遠慮なく叱って欲しいと頼んだ。
場合によっては手をあげてもいいと言った。彼女の性格からして、そこ
までは出来ないとは思うが、少なくとも私の考えは伝わったと思う。
さて、今度は息子である。こちらは開発途上の人間なので、「とりあえ
ず」の説明は意味をなさない。かと言って自然にわかるのを待つわけに
もいかない。夫と相談の上、辛抱強く機会あるごとに説明するしかない
ということになった。
まずは「大人」と「子供」について。そして「仕事」について。何かが
芽生え始めた彼には、「子供は半人前」という考えは受け入れ難いもの
だが、しょうがない。これだけは妥協できない。私がやっていいことを
息子がやっていいことにはならない。「大人」と「子供」は違うのだ。
私は家政婦を怒るし叱るが、これは私の責任で、夫はまったく無関係と
いうルールで、息子はその資格さえないということを彼にわからせなく
てはいけない。
日本にいた場合、絶対に遭遇しない問題だから、せめてそこから何かを
得て欲しい。見せないで育てるより、私は現実の出来事を見せてその中
から何かを得て欲しいと思う。
子供の教育を考えた場合、私は今の海外赴任中という環境をなかなか悪
くないと思うことにしている。日本にいたら自分も周りも皆同じが当た
り前で、自分と違う人間を見ることも少ないが、ここで彼は色んな国か
らの人を見て、言葉がいくつもある中で成長している。
言葉は価値観でもある。全く相手の喋る言葉がわからなくても折り合い
をつけなくてはいけないことを学んでくれたら私は嬉しいし、全く自分
と違う相手を尊重できる人になってくれたらもっと嬉しい。そして人と
人は平等であるべきだけど、平等にはなり得ない、しかしなるべく進む
しかないという矛盾に満ちた現実も体で知って欲しい。
━━━━━━━━━━
道楽人生の国土づくり
━━━━━━━━━━
■■ Japan On the Globe(471)■ 国際派日本人養成講座 ■■■■
人物探訪:本多静六 〜道楽人生の国土づくり
多くの国立公園、鉄道防雪林、水道水源林を
育てた「国土づくりの神様」。
■転送歓迎■ H18.11.12 ■ 34,952 Copies ■ 2,286,840 Views■
無料購読申込・取消: http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/
------------------------------------------------------------
国際派日本人養成講座・総集編(電子ブック版)発売中
定価 \800(税込み)
創刊号から本年8/13号まで、インターネット接続不要で読めます。
今回より、姉妹紙 JOG Wing の一部の記事も収録。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jog/jog_buy.htm
-------------------------------------------------------------
■1.国土づくりの神様・本多静六■
日比谷公園と明治神宮は、東京都民の憩いの場としても代表
的なものである。かたや明るい開放的な西洋式都市庭園、かた
や鬱蒼(うっそう)とした伝統的な神社林と、性格は対照的で
あるが共通点が一つある。どちらも本多静六が中心となって設
計・創設されたものである。
その業績を見れば、本多静六はまさに「国土づくりの神様」
と呼ぶに相応しい。まず鉄道防雪林。東北本線沿線はじめ、我
が国の鉄道防雪林は総延長1300キロメートル、面積にして
1万900ヘクタールと世界有数の規模を誇っている。これを
最初に提案し、実現に向けて力を尽くしたのが本多静六であっ
た。
さらに東京の奥多摩をはじめとする各都市の水道水源林の整
備と拡充、国立公園運動の主導と国立公園法の制定。北は北海
道・大沼公園から南は九州・霧島公園まで全国70余の公園の
設計・改良。
国立公園だけで総面積200万ヘクタール、国土面積の約5.
4パーセントを占め、年間利用者4億人というから、日本人で
本多静六のお陰を蒙っていない人はほとんどいないだろう。本
稿では、この「国土づくりの神様」の足跡を辿ってみたい。
■2.何でも一生懸命にやれば道楽になる■
本多(旧姓・折原)静六は、慶応2(1866)年、埼玉県に生ま
れた。折原家は代々庄屋を務める家柄であったが、静六が11
歳のとき、父が亡くなり、家産も傾いて、静六は農作業の手伝
いをしながら漢学や英語の勉強をした。18歳にして、東京の
山林学校に入る。半官費で安いからという理由だった。これが
生涯、国土づくりに生きる出発点となった。
しかし、正規に代数や幾何をやったことのない静六は、この
2科目で落第点をとり、親兄弟に会わせる顔がない、と寄宿舎
の裏庭の古井戸に飛び込んで自殺を図ったが、腕が途中の井桁
にひっかかって、死に損なった。
「郷土の先輩、塙保己一は盲目でありながら群書類従630巻
を著した[a]。両眼のあるお前は、保己一以上の勉学を続けた
ら、さらに大きな仕事ができるはずじゃ」とは、上京するおり
に祖父が贈ってくれた言葉であった。
以後、死力を尽くして勉強し、幾何などは千題ある問題集を
3週間ばかりですべて片付け、次の学期からは満点続きで、試
験を受けるのが楽しみになった。こうした体験から、何でも一
生懸命にやれば道楽になる、というのが、静六の人生哲学となっ
た。
■3.ドイツ留学■
まだ在学中であった24歳の時に、婿に来て欲しいという話
が持ちあがった。教授から「私の顔を立てるつもりで、見合い
だけしてくれ」と頼まれ、会食の席では初めて見るご馳走に、
見合い相手の分まで平らげた。
しかし、相手にもその父親にも気に入られてしまい、静六は
一計を案じて、「卒業後、ドイツに4年間留学させてくれます
か」と申し出た。とんでもない条件をつければ、破談にしてく
れるだろうと考えたのだが、相手はこの条件もすぐに呑んでし
まった。こうして断り切れなくなった静六は、本多家に婿入り
し、卒業後にドイツ留学することとなった。
ミュンヘン大学で勉強を始めて間もない頃、本多家の預金し
ていた銀行がつぶれて、送金ができなくなったとの知らせがあっ
た。静六は一時は茫然自失していたが、手持ちの資金でなんと
か4年課程を2年で修了して、学位を取得する計画を立てた。
一日3時間の睡眠で、粗末な食事に耐えながら、猛勉強し、
なんとか論文を書き上げて、論文審査はパスした。難物のブレ
ンターノ教授による口頭試問は、3週間で教授の著書を全部暗
記して無事通過した。演説討論は、ミュンヘン大公園の滝の下
に立って、7日間朝から晩まで練習して切り抜けた。近隣の農
民達は変人が自殺でもするのでは、と心配げに見ていたという。
かくして計画通り2年でドクトルの学位を取得した本多は、
明治25(1892)年に帰朝し、帝国大学農科大学の助教授に就任
した。しかし当時の山林学は、「山林(三厘)は天保銭(八厘)
より安い学問」と言われ、仙人の道楽仕事だと冷笑されていた。
この「道楽仕事」に、以後の本多は打ち込むのである。
■4.鉄道防雪林を提案■
日本財界の大立者・渋沢栄一は本多と同郷で、帰朝を歓迎す
る宴を催してくれた。その席で本多はドイツ、ロシア、カナダ
などで鉄道防雪林が列車の安全運転を確保する上で大きな効果
を上げている事を紹介し、日本でも実施しては、と提案した。
前年に日本鉄道株式会社によって東京−青森間に東北本線が
全通していたが、至る所で列車が吹雪に閉じこめられたり、雪
崩で脱線転覆するという惨事が起こっていた。また、除雪のた
めに多額の人夫賃を払いながらも、列車運行は連日、支障をき
たしていた。
日本鉄道株式会社の重役を兼ねていた渋沢栄一は、本多の提
案をさっそく採用し、実施に移すこととした。こうして26歳
の青年教授が、鉄道防雪林の創設という国家的事業を担うこと
になった。
以後、渋沢は本多を知恵袋として、その提案を次々に実行し
ていった。渋沢は企業5百、公共・社会事業6百の設立に貢献
して、明治日本の産業近代化に大きな貢献をなしたが[b]、そ
れも本多を知恵袋として活用した事が一因である。
■5.鉄道防雪林の成長■
鉄道の雪害は、降り積もった雪よりも、強風で吹き飛ばされ
た雪が、吹き溜まりに積もってしまうことから起こる。防雪林
は風に飛ばされてきた雪を受け止め、線路上での吹き溜まりを
防ぐ役割を果たす。本多はさらに、伐採木の売却益により、保
守管理の費用も捻出することを目指した。
そこで本多は、100メートルほどの幅を持った林を作り、
そこに1ヘクタールあたり1万本規模の常緑針葉樹を植える計
画を立てた。そして最初の植樹地域として水沢−厨川間(岩手
県)の3.6ヘクタールと下田−小湊間(青森県)の45.9ヘ
クタールを選び、明治26(1893)年5月に造林を始めた。
しかし、樹木が育つには時間がかかる。植栽後10年間はそ
の効果はなかなか現れず、雪害は続いた。本多もこの間は気が
気でなかったろう。
しかし、樹木が成長するにしたがって、少しづつ防雪効果が
認められるようになり、小湊の近くに設置されていた5千メー
トルもの雪覆いはすべて撤去された。
また樹木の伐採による木材生産も順調に伸び、昭和15年に
は直営の製材所を設け、そこで加工された木材が駅舎や枕木に
使われるようになった。さらに余剰の丸太の売却益で、鉄道林
の保守費用をまかなって余りあった。
鉄道林の防雪効果は広く認められるようになり、磐越西線、
奥羽本線、上越線などにも防雪林が設けられた。これらの沿線
では毎冬百件以上もの雪崩が発生して多大の犠牲者が出ていた
が、防雪林が造成されてからは、ほとんど皆無となった。
■6.多摩川上流地域の荒廃■
明治30(1897)年秋頃から、本多は東京の水源にあたる多摩
川上流地域の山岳地帯を踏査して、博士論文の研究を続けた。
明治33(1900)年1月には、日本最初の林学博士を授与された
が、同時にこの地域の山林荒廃を見て、憂慮した。
この地域の住民は、江戸時代には一定の規則の下で林産物を
とることを認められていたのだが、明治維新後、政府はその利
用を禁じてしまった。それに反発した地元住民が、盗伐、乱伐、
焼き畑などを繰り返した結果、5千ヘクタールほどが「はげ山」
となってしまった。森林は緑のダムである。「はげ山」になっ
ては、雨が降れば洪水や崖崩れが発生し、降らないと水不足と
なって、水田灌漑にも支障を来した。
本多はこのまま放置すれば、将来さらに大きな災害を引き起
こすことになると東京府の千家尊福(せんげたかとみ)知事に
説いた。千家知事は、水源問題は一日の猶予も許されないと考
えて、すぐに「一切の調査経営を貴君に委託する」と依頼した。
■7.はげ山を美林へ■
本多は自分で政府と交渉して、8200町歩の大水源地を東
京府に譲り受け、水源林回復に取り組んだ。本多が最初に取り
かかったのは、荒廃したはげ山にヒノキ、カラマツなどを植栽
することであった。
大量の苗木や器具、食料は馬車や牛車で運び、また植え付け
はすべて人力で行われた。水源地内に車道が敷設された今日で
も、最寄りの車道から1時間も歩いた奥山に「工作場尾根」
「学校尾根」など、当時の林業労働者が住み着いて、植栽作業
に従事した形跡が残っている。
この間、本多は千メートルの高所での寒害から植樹を守るた
めに、失敗を繰り返しながら、独自の植栽方法を開発したり、
また伐採した雑木を木炭にして売るのに、学者商法で失敗を重
ねたりと、10年以上も苦労を続けた。
明治34(1901)年に始まった植林作業は、その後39年間、
営々と続けられ、25百万本の苗木を植栽した結果、当時のは
げ山が、今日ではヒノキとカラマツの美林となった。東京の水
源は昭和30年代までは、この多摩川水系からの水でまかなわ
れたのである。
■8.億万長者■
この後も、本多は森林学者として、冒頭に紹介したように豊
かな美しい国土づくりに多大な貢献をなしていくのだが、もう
一面では蓄財家としても手腕を発揮した。
ドイツでの恩師ブレンタノ教授は、本多の赤貧洗うが如き留
学生活を見て、「これまでのような貧乏生活から脱して、経済
的生活で自由にならなければならない。金のために精神的自由
を奪われ、屈辱を受けることになる」と忠告した。
実際に留学から帰って、郷土の苦学生を支援するために、同
郷の実業家や富豪に募金を募ったが、行く先々で嘲笑され、軽
蔑の言葉を浴びせられた。ブレンタノ教授の忠告が身に沁みた
のであろう。本多は他人の懐などあてにせず、独力で育成会を
作ろうと決意した。
ブレンタノ教授は、「まず貯金をし、それがある額に達した
ら、有利な事業に投資するがよい。日本のような発展途上国で
は幹線鉄道や山林や土地などに投資するのがよかろう」と助言
してくれた。この言葉にしたがって、帰国後の数年間は節約に
節約を重ねて、1万円余の貯金を作り、それで埼玉県秩父郡の
人里離れた安い土地や山林を買い入れた。その後、日露戦争後
の好景気がやってきて、1町歩4円で買い入れた土地の立木だ
けで280円で売れたという。
こうした土地や山林への投資で、本多は億万長者になり、あ
る年の収入が28万円で、当時の淀橋税務署管内の年収ナンバ
ーワンになったこともある。
その後、帝国森林協会会長となり、また国立公園の主唱者と
しての立場から、広大な山林を所有しているのは良くないと考
えて、昭和5年、この山林をすべて地元の埼玉県に寄付した。
その時の条件として、これを県有林として経営し、その純益が
100万円を超えたら、育成事業を始める事とした。この計画
通り、埼玉県は昭和29(1954)年度から、無利子での奨学金貸
し付けを開始した。
■9.「最大最高かつ永遠の幸福」■
努力家の本多は、生涯で376冊もの本を書いているが、そ
の中には、『我が処世の秘訣』というような人生の指南書まで
ある。その中で、本多はこう説いている。
私の体験によれば、人生の最大幸福はその職業の道楽化
にある。富も名誉も美衣美食も、職業道楽の愉快さには遠
く及ばない。・・・かの名人と仰がれる画家、彫刻家、音
楽家、文士などが、その職業を苦労としないで、楽しみに
道楽にやっているのと同様に、すべての人がおのおの職業
をその仕事を道楽にするということである。[2,p51]
いやしくも、成功した人は決してその職業を月給のため
や、名誉のためのみでやってきた人でなく、必ずやその職
業に趣味(おもしろみ)を持ち、道楽的に勉励した人に相
違ないのである。[2,p53]
職業の道楽化によって、自然に富という「かす」が貯まる。
本多は、その「かす」の使い方にも工夫がいるという。
美衣美食はいわゆる物質的享楽で、飽くなき欲望だから
いくらあっても足らぬのみか、飲み過ぎ食い過ぎの結果は
その身を害し、真の享楽は得られない。・・・しかし、精
神的享楽----慈善事業とか社会事業とくに公園、学校、図
書館、クラブ、苦学生補助その他の公利公益のためには、
いくら金を使っても、身に毫(ごう)も害もなく、かえっ
ていよいよ精神的享楽を増し、自分も人をも幸福にするの
である。[2,p74]
職業を道楽とし、さらにそこで貯まった「かす」を世のため
人のために使って精神的享楽にふける。実際に本多はそういう
人生を送り、それこそ真の幸福だと実感した。この体験から本
多は「幸福」を次のように定義した。
幸福とはまず人生すなわち努力(学び働く事)、努力即
幸福と悟って、早くより働学併進その職業(あらゆる仕事)
を道楽化し、面白く愉快に、いよいよ死ぬまで働き続け学
び通す事である。しかもその職業の目的が自分個人のため
よりは他のため人類のためである場合が最大最高かつ永遠
の幸福である。[2,p37]
日比谷公園、明治神宮、そして多くの鉄道防雪林、水道水源
林、国立・国定公園などは、わが国の美しい国土を形成して、
国民の幸福に役立っているが、これら自体が本多静六の「最大
最高かつ永遠の幸福」なる人生の所産なのであった。
(文責:伊勢雅臣)
■リンク■
a. JOG(285) 塙保己一 〜 盲目少年の志
盲目の少年の学問への志は、周囲の人びとに大きく育てられ、
後の人びとに受け継がれて大事業を成し遂げた。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h15/jog285.html
b. JOG(279) 日本型資本主義の父、渋沢栄一
経済と道徳は一致させなければならない、そう信ずる渋沢に
よって、明治日本の産業近代化が進められた。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h15/jog279.html
■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
→アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。
1. 遠山益『本多静六 日本の森林を育てた人』★★★、
実業之日本社、H18
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4408395927/japanontheg01-22%22
2. 本多静六『わが処世の秘訣』★★★、三笠書房
知的生き方文庫、S60
━━━━━━━━━━━━━
中国の不良債権は公表の2倍
━━━━━━━━━━━━━
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成18年(2006年)11月15日(水曜日)
通巻第1617号
△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△
社外監査役や、監査法人の企業監査を妨害、あるいは解雇
中国の不良債権は公表の2倍ではないか、NYタイムズが大報道
********************************
国の4大銀行の不良債権が、ある日突然30%から一桁の7%、 そ
して5%へと激減していた!
それほど急ピッチに経営改善が可能だった{?}。
そんな筈はないだろう。
Yタイムズは11月15日付けで、中国の国有銀行の不良債権の監査
が、事実上、不能の状態になっているという恐ろしい実態を報じている。
「中国建設銀行」(中国第3位の国有銀行)は、2年前にアメリカ人の
専門家チームを雇って、行内の機構改革への助言と会計監査を依頼した。
「およそ30億ドルの不良債権が帳簿外に移されている」と、このチー
ムは同行経営トップに忠告した。
中国建設銀行は昨年十月に香港に上場し、60億ドルを掻き集めたが、
その直前に、アメリカ人の特別チームは解雇された。
バンク・オブ・アメリカは、05年に30億ドルを出資し、中国建設銀
行の9%株主に躍り出た。
それが、時価90億ドルとなって、監査に対して以前のような厳しい目
を失ったといわれる。
「同行の社外監査法人であるKPMGは、たびたび中国建設銀行の経営
陣に{怪しげなローン}の存在を忠告し、そのたびごとに激しい論争が
繰り広げられてきた」(NYタイムズ)。
すでに中国が国家として、銀行の不良債権を買い上げ(つまり不良債権
は国家の再生機構に帳場が移行しただけ)、その金額は4000億ドル
を突破している。
国家に不良債権を移して、身軽になった国有銀行が、今度は外国からの
出資を、「IPO」(株式公開)という魔法のような錬金術で掻き集め
たわけだ。
世界最大の会計監査法人のひとつ、アーンスト&ヤングが、先頃発表し
た「中国の不良債権9130億ドル」という数字こそ、実態に近いので
ある。
中国は同社に圧力をかけて、この数字を撤回させて事実こそ、いったい
中国がなにを隠したがっているかを如実に物語っているのではないのか。
◎
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
♪
(読者の声1)先週、両国国技館で行われたダライ・ラマ法王猊下の講
演会に行って参ったのですが、考えさせられること多々あります。
猊下の発言。中国に支配されるチベットの厳しい現況、未来を考え、政
治的発言を自ら控えておられる猊下の心情は察するに余りあります。ま
たノーベル平和賞受賞者としての道義的責任、そして猊下自らが宗教的
カリスマである現実、発言内容に極力気を使われておられるのでしょう。
以上を頭では理解しながらも、しかし、結ぶところである「許し、愛し、
解り合う」ではチベットは返ってこないのでは?と思ったのは小生だけ
でしょうか。平和的対話は大事であります。
しかし血を流さずして民族の独立とは可能なのか?猊下の本心がどこに
あるのか気になった次第です。
もちろん産経の取材記事などを読みますと、最近開通した青蔵鉄道や人
権問題等について批判的に述べておられ、単に中国との妥協点に急接近
されておられるばかりではなしと考えられます。
ご存知のように近年、猊下は訪中、もしくは帰国を模索されており、北
京特使と交渉を重ねています。北京は独立放棄を求め、そのかわりに
「高度な自治権」を「約束」するとか。
11月2日の毎日新聞によると猊下は「我われは独立を望んでおらず、
外交と国防以外の自治を求める現実的な方策を主張しており、(帰還)
を楽観している」と発言されています。果たして外交と国防の伴わない
自治とはいかなるものなのでしょうか。
また講演内容とは別の問題で解せないのは、現在日本人一般にダライ・
ラマ法王猊下とはどういった存在として捉えられているのかであります。
一般人にどう認識されているのか?
単なるカルト的な「スピリチュアル・リーダー」として捉えられている
だけでは?
というのも会場の聴講者、大半が所謂サブカルチャー系で占められてい
た現状です。ラブ&ピース的様相の若者も決して少数はではありません。
小生の認識では決してダライ・ラマ法王とラブ&ピース的思想は重なり
合わないのですが。
あと新興宗教の筋の方も多数おられました。
講演で設けられた質疑応答、猊下へ投げかけられる質問といいますと
「背後霊についてどう考えられるか?」、「最近、何かに操られている
のですか、どうすればいいのか?」「光のパワーを私にお与え下さい!」
等々、猊下も困惑気味。人権問題などの「生臭い」質問はなし。
欧米では人権問題、チベット難民問題、中国問題といったハードな話題
で取り上げられる猊下でありますが、この日本においては「サブカル・
カルト的」な存在のカリスマとして捉えられる方々がどうもマジョリテ
ィーのようであります、ビックリいたしました。やはり日本では大メデ
ィアのニグレクトが、そのダライ・ラマ像の誤解を作り上げてしまった
のではないかと思った次第です。
宮崎先生はどうお考えになりますか?
(AI生、渋谷)
(宮崎正弘のコメント)ちょうど二十五年前、加瀬英明・三好修両氏主
宰の「日本安全保障研究センター」(小生がボランティア事務局長でし
た)で、ダライ・ラマ猊下をお招きして、東京で講演会をおこなってこ
とがあります。
そのおり参加者のなかに新興宗教指導者がまじり、なかには怪しげな指
導者がいて、(あの麻原がインドへ行ったおりも猊下は拝謁を許されま
したが)、盛んに記念写真を撮っていました。この俗物根性め、と新興
宗教の連中の一部をこころのなかで罵った事を思い出しました。
♪
(読者の声2)台湾「在台中国派」のやりたい放題について。
彼らは2004年の陳水扁総統再選以来、揉め続けてきました。まともにや
っていたのでは「勝てない」と悟って、まともでないやり方を続けてき
たのです。
あらゆる口実を儲けて事あるごとに陳水扁総統と民進党政権にケチをつ
け、イメージを悪くすることです。
「陳水扁打倒騒ぎ」は、すべて年末選挙へ向けた「陳水扁・民進党のイ
メージ悪化作戦」にほかならない。
立法院では野党多数を頼んで政府の立法は妨害する、捩じ曲げる審議し
ない等々。
野党である国民党の票買収は棚上げにして、与党が少し怪しいと大々的
に言い立てる。 何しろメディアを握っているので、言いたい放題なの
です。
施明徳が腐敗反対・総統打倒運動をやりましたが、国民党と一緒になっ
て「腐敗反対」とは、漫画もいいところです。
私の台湾の知友の多くが、政治に愛想をつかしています。 在台中国派
の度厚かましさについて行けないのです。
この厚かましさが判らないと、台湾の政治も判らない。台湾の民主主義
はまだ軌道に乗ったとは言い難いと私は思います。
民主的手続を無視する勢力がのさばっているのですから。
(KiI生、生駒)
(宮崎正弘のコメント)施明徳は、獄中10年を売り物にした、ただの
売名家、今度は国民党か、或いは北京から「物理的支援」もあったので
は?と噂されていました。
陳総統下台(辞職)集会で、施らの制服。おそろいのジャンバーの色が
「赤」でしたからね。この類いの奇怪な人間が民進党側にもいます。
国民党の陳総統退陣要求集会にも行きましたが、例によって「カネ」で
動員された形跡ありありで、参加者十人かそこらでした。まったく報道
が、国民党メディアの情報操作によって誤って伝えられていますね。い
つものことながら。
♪
(読者の声3)宮崎さんの新刊『三島由紀夫の現場』(並木書房)を拝
読しました。
言及されている地のうち、何箇所かは訪ねたこともあり、ことに「暁の
寺」(ワットアルン)の舞台となったバンコクは7年ほど住んだだけに、
感慨ひとしおでした。
文中になにげなく挿入されて、「国際印刷の住田さん」。小生も知り合
いで、なんとも懐かしい思い出おいでです。
ところで小生、長いバンコク滞在ですが、ワット・アルンには一度も行
ったことありません。小説の中の「暁の寺」はやはり作者の想念のなか
の存在ではと思い、貪り読んだ感激を消したくなかったからです。
(KH生、千葉)
(宮崎正弘のコメント)今度、バンコクへ寄られたら是非行ってみてく
ださい。
♪
(読者の声4)ふと三島由紀夫著『奔馬』を手にとりました。
そしてつぎの件りに目がとまりました。《三十八歳とは何たる奇異な年
齢だらう! 遠い昔に青春が終わつてしまって、その終わつたあとから
今までの記憶が何一つ鮮明な影を宿さず、そのために却っていつも、青
春と壁一重隣合わせに暮らしてゐいるやうな気がしつづけてゐる。
隣の物音はたえず詳にきこえてくる。しかし、もはや壁には通路はない
のである。
本多にとつて青春とは、松枝清顕の死と共に終わつてしまつたやうに思
はれた。あそこで凝縮して、結晶して、燃え上がつたものが盡つきてし
まつた。》
なんというすぐれた、すさまじいメタファーなのでしょう。涙を流さず
には読み下せません。
(HN生、神奈川)
(宮崎正弘のコメント)昨晩は拓殖大学日本文化研究所の公開講座「新
日本学」で『三島由紀夫が聴いた英霊の声』と題しての講演をしました。
この要旨は、いずれ論文として、同大学『新日本学』に発表する予定で
す。聴講者はしずかに訊いてくれました。終わってから質問が多く飛び
出しました。
♪
(読者の声5)昭和20年8月、ソ連は日ソ中立条約を破棄して満州に
乱入し、瀕死の日本の背後を襲いかかった。
そして当時在満日本人のうち30万人がソ連兵、中国人、朝鮮人の襲撃
で満州の荒野に命を落としたといわれる。その過半数は女子供である。
それ以外に財産を奪われ、病苦と飢餓に襲われ、女は陵辱され、あるい
は子供を奪われたり売ってきたきた人の数はかぞえ切れない。
亡国の民は哀れなり、いまなお荒野には無数の死骸がうもれ、赤い太陽
に照らされて鬼哭啾々。
坂本俊雄氏は八王子に住む医師であるが、当時12才の少年。満州奥地
の鶴岡炭鉱から新京(現長春)まで悲惨な流浪の旅で数々の惨状と悲劇
を目撃してきた。
下記はそのドキュメンタリーである。ぜひ皆さまに読んでいただきたい。
坂本俊雄著「沈まぬ太陽」(坊やは日本に帰れるといいな)(文芸社、
1575円)
(IS生)
(宮崎正弘のコメント)御教示有り難う御座いました。昔、『文藝春秋』
が満州引き揚げ者の手記を募集して特別号を作ったところ、忽ち売り切
れになった“事件”を同時に思い出しました。
♪
(読者の声6)或る授業で日中関係をしゃべっていたのですが、10人ほ
どの学生の全員が「盧溝橋事件」を知らないという悲惨で残酷な現実に
直面。教育基本法を論議するもいいが、この現実をどうすべきか。
まあ五・四運動のみならず文革すら知らない中国人留学生が跳梁跋扈し
ている時代です。教育の崩壊、カネを掛け家畜や鬼畜を育てているのが
現状では。
まさに「後世畏るべし」ではなく「後世恐るべし」です。
(KH生、愛知)
(宮崎正弘のコメント)教育再生なる審議会も、有識者会議も、ま、あ
れはあれで存在理由があるんでしょうが。
基本は「知育」、「体育」だけの戦後教育には「徳育」が欠けている。
そうした教育の国に、それほどの未来はありませんでしょ。
ところで、いまの学生さんは18歳から、大学院生で25歳くらいでしょ
う。驚くなかれ、1989年6月4日の天安門事件を知りませんよ!
◎ ◎ ◎
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
三島由紀夫氏第三十六回追悼会 『憂国忌』
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
日本を代表する文豪、三島由紀夫氏が「楯の会」学生長の森田必勝とと
もに憂国の諫死をとげてから早くも三十六年の歳月が流れました。
北朝鮮のミサイル、核実験。中国の反日など北東アジアの軍事・政治の
緊張を眺めると、三島氏が予言したように我が国の将来が暗澹たる事態
は些かも減じていません。この憂国忌は「三島由紀夫氏の作品と訴えを
通して日本の将来を考える機会」とするイベントです。
(代表発起人)井尻千男、入江隆則、桶谷秀昭、嘉悦康人、小室直樹、
佐伯彰一、篠沢秀夫、竹本忠雄、中村彰彦、細江英公、松本徹、村松英
子ほか 発起人二百数十名。
記
とき 11月25日(土曜日) 午後6時半(6時開場)
ところ 池袋東口「豊島公会堂」(別名「みらい座いけぶくろ」へは
JR、メトロ「池袋」駅東口、三越裏。豊島区役所隣り。電話は398
4―7601)
会場への地図は下記
http://toshima-mirai.jp/center/a_koukai/
会場分担金 おひとり1000円(学生500円)
プログラム 村松英子「三島由紀夫”演劇の河、行動の河”――『薔
薇と海賊』を軸に」。
(この世界は虚妄ともみれるが、薔薇にも喩えられる?)
三島原作の戯曲「薔薇と海賊」は当時、観劇に来た三島氏が泣いてい
た。公演終了から二日後に、あの事件はおきたという因縁経緯がある。
つづいて著名人による追悼挨拶(登壇予定 井尻千男、篠沢秀夫、藤
井厳喜、松本徹、水島総の各氏ほか)など。
参加者には小冊子を差し上げます。
さらに詳しくは http://www.nippon-nn.net/mishima/annai/
♪
<<本誌(宮崎正弘の国際ニュース・早読み)愛読者者の方、先着
100組をご招待します!>>
「憂国忌実行委員会」の御協力により、先着100組の読者にご招待があり
ます!
応募は簡単です。お名前と希望人数だけを書きこんで、下記へ。
yukokuki@hotmail.com
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
e-pros英語教育11月フォーラムのお知らせ
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
―― コミュニケーション能力育成への効果的取り組み ――
◆
日 時:平成18年11月26日(日)午後2時30分〜7時00分
会 場:東京・市ヶ谷 アルカディア市ヶ谷(私学会館)
参加費:3千円 (2名以上の参加とe-pros会員は2,500円・学生無
料)
予約申込方法:下記事項を記入して、info@e-prosjp.comにお申込みくだ
さい。
(1)氏名、(2)勤務先(学生は大学名)、(3)住所、(4)e−アドレ
ス
<講座と講師名>
(1)コミュニケーション育成トレーニング「弾丸インプットの底力」
◆教材開発者 川村光一先生(春日部市立中野中学校教諭)
(2)コミュニケーション能力育成「中学での校効果的な取組み法」
杉田和子先生(埼玉県吉見町立吉見中学校教諭)
(3)「英語を話せる日本人」指導対策へのヒント
赤塚裕哉先生(東京都立足立新田高等学校教諭)
(4)意見交換「コミュニケーション能力育成法の疑問・悩み解決法」
(全員参加)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
NPO法人教育情報プロジェクト 〒102-0073 東京都千代田区九段北
1-1-7-304(当メルマガ主宰者が理事)
電話03(5213)2028(代表) Fax03(5213)2029
e-mail:info@e-prosjp.com http://www.e-prosjp.com
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
◆ e-pros会員募集中!
会費無料 フォーラムへの参加費やフォーラムDVDの割引などの特典
があります。
氏名・住所・勤務先名(学生は大学名)・メールアドレスをご記入の上
「入会希望」として上記アドレスへご連絡ください。折り返し会員証を
お送りします。
━━━━━━
話 の 福 袋
━━━━━━
1)だるまの夕日
高知県宿毛湾の冬の風物詩「だるま夕日」がこのほど、今シーズン初め
て現れた。幻想的な「だるま」の訪れとともに、幡多路にも冬がやって
来る。
だるま夕日は、大気と海水の温度差が大きくなる冬場、海面から立ちの
ぼる水蒸気で光が屈折し、夕日がだるまのように見える現象。
「これぐらい冷え込んでくれば」と、上着を着込んだアマチュアカメラ
マンが宿毛市の片島岸壁に多数陣取る中、午後5時すぎ、真っ赤な太陽
が水平線に近づくと、だるまの“下半身”が海面からせり上がるように
現れた。
自然がつくりだすわずか数分のショーに、見物人らは無言でうっとり。
「いよいよ、だるまの季節やね」と互いに顔をほころばせた。来年2月
ごろまで楽しめるという。高知新聞 2006年11月14日
2)越後湯沢で積雪、早くも除雪作業
冬型の気圧配置が強まった12日、新潟県湯沢町などでまとまった積雪が
あったのを受け、同町三国付近の旅館や道路などでは、同日から13日午
前にかけて、除雪作業が行われた。
国交省長岡国道事務所湯沢維持出張所によると、12日夕に同町二居で26
センチの積雪を観測。同所から三国峠までの国道17号の約13キロで、今
冬初の除雪車を出動させた。13日朝も同町三国の旅館駐車場などで除雪
車を使い、雪を取り除く作業が見られた。
新潟日報2006年11月13日
3)前NY市長、大統領選への一歩? 資金集めの組織を設立
【ニューヨーク=長戸雅子】ルドルフ・ジュリアーニ前ニューヨーク市
長が2008年の米大統領選に向け一歩を踏み出した。AP通信は13
日、ジュリアーニ氏が選挙資金集めのための組織を設立するための書類
を準備、大統領選出馬への布石と報じた。
この組織は公式な出馬宣言をしなくとも、設立の申請者が大統領選に向
けた資金集めや支持度合いの調査を行えるとしている。やはり出馬が有
力視されている共和党のマケイン上院議員も米NBCテレビに同様の組
織を設立する意向を明らかにしている。
ジュリアーニ氏は2001年の米中枢同時テロで強力なリーダーシップ
を発揮、「米国の市長」と呼ばれ、危機対応能力を高く評価された。全
米レベルでの知名度と人気があり、中間選挙期間中も共和党候補応援の
ため全米各地を遊説した。
CNNが10月下旬に行った世論調査では共和党支持者と答えた約40
0人の有権者のうち同党の次期大統領候補としてジュリアーニ氏を支持
する人は29%とトップで次点はマケイン氏の27%だった。
(Sankei Web 11/14 11:10)
━━━━━━
反 響
━━━━━━
1)【産経 噴火11/13 中国人民解放軍、「靖国参上」 斎藤勉氏】
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/world/27508/
『「自衛隊はなぜ、規律がしっかり守られているのか。どうしたら規律
は守れるのか。規律ある軍隊はこわい…」』
斉藤氏の味のある記事ですので、どうぞお読み下さい。
◇唸声小話
大佐「大尉、どうして自衛隊が規律を守るのか分かったか?」
大尉「はい、総政治部がないからであります」
人民解放軍組織図↓
http://kccn.konan-u.ac.jp/keizai/china/08/01.html#8-1-5
佐藤隆一
━━━━━━
身 辺 雑 記
━━━━━━
ご投稿、ご感想、ご意見を待っています。
………………………………………………………………………………………………
◆メルマ!メルマガの退会・解除はこちら→
http://melma.com/contents/taikai/
登録状況確認は[マイメルマ!] → http://my.melma.com/
………………………………………………………………………………………………
--------------------- Original Message Ends --------------------
………………………………………………………………………………………………
◆メルマ!メルマガの退会・解除はこちら→ http://melma.com/contents/taikai/
登録状況確認は[マイメルマ!] → http://my.melma.com/
………………………………………………………………………………………………
--------------------- Original Message Ends --------------------
--
━━↓チェック↓━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
ここに広告が入ります。
ここに広告が入ります。
ここに広告が入ります。
ここに広告が入ります。
ここに広告が入ります。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━↑チェック↑━━
--------------------- Original Message Ends --------------------
--
渡部 亮次郎 <ryochan@polka.plala.or.jp>
この記事の発行者<<前の記事
|
次の記事>>
|
最新の記事
