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頂門の一針

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頂門の一針  559号

発行日: 2006/9/6

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            渡部亮次郎のメイル・マガジン 頂門の一針  第559号
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              平成18(2006)年09月06日(水)

 
                        杉本さん、頑張ったね:渡部亮次郎
                        執筆は右手が動くかぎり:古澤 襄
                    シナ(china) の情報戦:日本のお姉さん
                      侵略者・小日本は出て行け:平井修一
                                話 の 福 袋
                         反    響
                       身 辺 雑 記


□■■□  ─────────────────────────── □■
第559号            発行周期 不定期(原則日曜日発行)
           御意見・御感想はchomon_ryojiro@yahoo.co.jp

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杉本さん、頑張ったね
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         渡部亮次郎 (園田外務大臣秘書官)

杉本信行さんは、まだ57歳と若かったのに末期の肺癌には勝てなかった。
2006年8月3日早朝、東京・築地のがんセンターで息を引き取った。

杉本信行さん、と言っても知る人は一般には無かった。2004年5月、在
上海日本総領事館の館員が自殺した事件。このときの上海総領事が杉本
さんだった。事件直後に東京へ帰っていたから引責したのかと誤解した
が、帰還は末期癌と闘うためだった。

苦しい治療に耐えながらもいながら中国について、誰も書かなかった真
実を著した「大地の咆哮」(PHP研究所)。死を賭しての著述をして
悠然と去って行った。

杉本さんには永らくご無沙汰していたが、何しろ1978年8月、日中平和友
好条約締結交渉に当たって、園田直外相に同行して、一緒に北京の人民
大会堂へ出かけた「戦友」だった。京都大学在学中の1972年に外務公務
員上級試験に合格した。

田中内閣により日中国交正常化が図られた年である。いわゆるチャイナ
スクールで養成されての園田大臣の一行への参加だった。当時の記録を
取り出してみたら、中国側が用意した一行13人の名簿中になぜか「杉本
信真」と誤植。中国課事務員、迎賓館107号室に東郷和彦条約局首席事務
官と共に泊まった。

<病床にあり、直接御礼申し上げられませんが、渡部様には、拙書をと
り上げていただき恐縮しております。 当時を懐かしく思い出しました。
 とくれぐれも宜しくお伝え下さいますようお願いいたします。 杉本
信行 >

というメイルを外務省(霞関会)事務局を通じて7月31日に戴いたばかり
だった。それが3日後には、あっという間にこんなことになってしまった。
癌の恐ろしさを改めて知らされた。もっともっと仕事をしたかったろう
にと無念を思いやるばかりだ。

1978年8月8日午後3時に羽田空港を発った日本航空特別機に搭乗した日中
平和友好条約締結交渉に臨む日本側代表団のメンバーは13人。杉本さん
はまだ29歳、入省5年目のバリバリだった。

1号車紅旗 園田直  (外務大臣)        202号室
2号車紅旗 高島益郎 (外務審議官)       203号室
3号車上海 中江要介 (亜州局長)        205号室
4号車上海 大森誠一 (条約局長)        206号室
5号車上海 渡部亮次郎(外務大臣秘書官)     207号室
3号者上海 田島高志 (中国課長)        204号室
5号車上海 佐藤行雄 (外務大臣秘書官)     204号室
4号車上海 東郷和彦 (条約課首席事務官)    107号室
6号車上海 小原育夫 (中国課事務官)    208号室
6号車上海 市橋康吉  国際機関第1課事務官) 108号室
7号車上海 杉本信真 (中国課事務官)      107号室
7号車上海 頭山興助 (園田事務所秘書)     207号室
7号車上海 片桐正人 (警護官)         201号室

到着に当たって中国側が用意した車列と迎賓館(第18号楼)部屋割り表
である。(杉本信行が信真と誤植になっている)。

夕方の北京空港はそれまで篠つく大雨だったらしいが、特別機が着陸し
た途端、太陽が真っ赤に焼けて素晴らしい夕焼けになった。で迎えてく
れた黄華外相が、園田外相と握手を交わし「大臣は恵みの雨を持ってき
てくれました」と挨拶した。北京は水不足だったのだ。

ところで、日中平和友好条約に就いて、福田赳夫総理は調印を佐藤正二
大使にさせようと考えていた。このため7月21日から8月10日まで合計
15回、ほぼ毎日行われた。

佐藤大使、韓念龍外交副部長を団長としてである。このとき杉本事務官は
逐語的交渉録の作成を担当したのであった。だから杉本さんにとって日
中平和友好条約締結交渉こそは、その後の中国との関わりの原点でもあ
ったようだ。

<当時を懐かしく思い出しました。 とくれぐれも宜しくお伝え下さい
ますようお願いいたします。 杉本信行 >というメイルにそれを感じ
取れる。

2004年のスパイ事件について、

また<杉本氏はすぐに中国外務省に抗議するとともに政府に早急な対応
を求めたが、当時の外務省は小泉純一郎首相らに報告していなかった。
>という産経新聞の書き方には、事件を根底から解決しようと頑張った
杉本さんの姿勢を評価しているようで、多少、救われる思いだ。

本籍地京都府 昭和24(1949)年、中華人民共和国建国宣言目前の1月24日
生まれ、京都大学法学部卒業に先立って外交官試験に合格。希望してな
い中国畑にまわされた。まだ57歳。これまで中国勤務計14年。先輩外交
官の岡本行夫氏の評価は「行動する外交官」として極めて高い。

「金を貸すバカ、返すバカと言われる中国で苦闘する日本企業の悩みに
耳を傾け、トラブル解決のために奔走した・・・天は、過酷な試練を、こ
の愛国者に課した」と、今度、杉本氏が出版した本の冒頭に「解説」を
寄せている。

出された『大地の咆哮』元上海総領事が見た中国 PHP研究所刊。1700円。
事情が事情だから、中国側の反発を怖れず書かれた史上唯一の中国論が
詰まっている。中国共産党がなぜそんなに突っ張らなければいけないか、
すぐ分る。ぜひ一読を奨めたい。発売13日で2刷りが出る勢い。大変な
売れ行きである。

もともと私はNHKの政治記者だったが、巡り会わせで1972年9月の田中角
栄総理に同行することになり、さらに6年後の園田訪中には政務秘書官と
して随行することとなり、自然、以後も日中関係に特別の問題意識を持
つようになった。

杉本さんと出かけるときの特別機にはわが方大使館員への土産として、
食パンを特別機に大量に積んだことを覚えている。

しかも当時の事務次官有田圭輔さんは、まだ福田赳夫総理から外相派遣
のお墨つきの出ない3日前から「食パン手配」の許可を戴いたことを思い
出す。有田さんも2005年11月に逝去された。

高島益郎さんに続いてのご逝去。園田訪中団13人中、杉本さんは3人目
の逝去者となってしまった。園田団長は平和友好条約締結6年後に死ん
で、今年3月に23回忌を営んだばかりだった。

そんなわけで、爾来、私が読む本は日中関係を案ずるものが格別に多い。
しかし、中国への再入国の可能性や希望を持つ人には外交官であろうが
特派員であろうが真実の書けた試しがない。真実を書いて、ビザを拒否
されるのを怖れるからだ。当然と言えば当然である。しかし、そこへ行
くと杉本さんの本には真実がある。

杉本さんの本を読み始めて久しぶりに泣いた。また中国政府が人民の機
嫌を案ずるために、いかに大国日本に辛く当たらなければならないのか
も良く分かった。

とくに末期癌を押してなぜ著書の執筆に踏み切ったかの心情を綴った
「あとがき」には特に泣かされた。

死期の近付いていることを自覚し、これが「遺書」になってしまうこと
を自覚していたのではないか。凄絶な覚悟の遺書である。

輩外交官だった岡本行夫さんが産経新聞(2006年8月4日付)で明らかにし
たところによると、総理大臣の靖国神社参拝について「もはやここで止
めたら、日本は圧力に屈する国だと誤解して大きな弊害を残すから、止め
るべきでない」と言って死んだという。

<上海で同僚を失ったその年(2004)の秋、一時帰国中に、思いがけず自
らの体に病巣が発見された。一刻の猶予もならないと言うことで、東京で
治療を受ける手はずを整えた。

公館長の中でも多忙を極める上海総領事のポストを長期間空けるわけに
は行かないと判断した私は、外務省の官房長に後任人事を願い出た。

(中略)04年11月、帰国と同時に入院した際に医師から告げられた最終
診断は末期癌。「手術も放射線治療も間に合いません。化学療法で全身
に広がった癌細胞を叩くしか方法はありません」と言うことだった。

(略)家族の将来がひたすら案じられた。限られた命をどう有効に使う
か、時間との勝負となった。化学療法の副作用は半端なものではなく、
体力が消耗し、第一線で働いていた時とは状況が一変した。

これだけ相互依存関係を深め、いまやアジアのみならず世界の安定的な
発展に不可欠になった日中関係において、5年間も首脳同士の対話が中
断すると言う異常な状態が続いていることに対し、改めて非常な違和感
を覚えた。

(略)これまでの経験を基に、現在の日中関係に何か貢献したいという
思いが強くなり、周囲の勧めがきっかけとなって本書を書くことを決意
した。(略)

抗がん剤の副作用で頭が朦朧とするなか、薬で痛みを抑えながらパソコ
ンに向かい、家族、友人、同僚の激励に後押しされながら何とか書き上
げることが出来た。助けて下さった皆様に、この場を借りてお礼を述べ
たい。(略)

最後に、本書を、上海で自らの命を絶った同僚の冥福を祈るために奉げ
る。また、奇跡を信じて完治をいのってくれている家族、両親、兄弟に感
謝の気持を込めて贈りたい。2006年5月。杉本信行>
合掌2006・08・04。

(外務省・霞関会機関誌「霞関会報」平成18年9月号掲載)



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執筆は右手が動くかぎり
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                古澤 襄

「夏になれば、遠野も暑い。暑い遠野路をやってきた旅人は、涼と憩ど
いを求めて風の丘に立ち寄る。風の丘の展望デッキにでれば、猿ヶ石川
の川面から吹く涼しい風が頬を撫で、旅人は生き返る」と詩のような宣
伝文句を使う岩手県・遠野市の多田克彦牛乳から乳製品がどっさり送ら
れてきた。

遠野市には1度訪れたことがあるが、多田克彦牛乳とは初めて聞く名前
であった。牛乳プリンを一口食べてみて驚いた。都会風な味で、これな
ら自由が丘あたりの店で売っても人気商品になる。地方の農協あたりで
売り出している乳製品やジャムには、私は厳しい評価しか下さない。

田舎では、まだパン食があまり普及していない。おいしい米で味噌汁、
山菜の料理がふんだんにあるから、米食が中心。だからジャムひとつと
っても、都会人の口に合う工夫が欠けている。工夫をすれば、コストが
かかるから、その悪循環に陥っている。

多田克彦牛乳の乳製品は、政界の隠れた女傑・辻トシ子さんが送ってく
れた。吉田首相、池田首相、佐藤首相から可愛いがられ、日本で初めて
の女性・副総理秘書官になった人である。私は、すでに46年間のお付き
合いになったが、口が奢っていて、ちょっとやそっとの食べ物では喜ん
で貰えない。85歳になった女傑だが、今でもアメリカ大使館前の辻事務
所に詰めていて、自民党や民主党の領袖たちが顔をみせる。

辻さんの父は、保守合同の黒幕といわれた辻嘉六、吉田ご三家の益谷秀
次氏は若い時に辻家の書生をしていた。その縁で益谷氏が岸内閣の副総
理になった時に、乞われて秘書官になったのだが、政界情報を探るため
に総理官邸の副総理室にはマスコミ記者が張り付いたものである。

それもその筈。池田首相や佐藤首相のところにはフリーパスで入れる人
であった。一年生議員の小沢一郎、羽田孜、加藤紘一らは辻学校の生徒
といわれた。また辻嘉六の主治医は、民主党の幹事長だった藤井裕久氏
の父。息子の藤井氏も辻事務所の常連である。吉田・池田・佐藤の系譜
については、辻さんは滅法強い。

辻嘉六は集めた資金を惜しげなく保守合同に投じて、亡くなった時には
借財しか残っていなかった。戦後間もなく鳩山一郎の「鳩山新党」結成
準備会がもたれたが、東京・麻布の石橋正二郎邸に間借り住いをしてい
た鳩山のとろで、鳩山、辻、児玉誉志夫の三者会談があった。

戦時中、児玉は上海で特務機関「児玉機関」を作り、軍需物資の調達を
していたが、敗戦後、その資金や物資をそっくり日本に持ち帰った。

児玉は「当時のカネで七千万円。それにカマス一つ半くらいあったダイ
ヤと段ボール箱二十箱ぐらいのプラチナをそれぞれ半分ずつ」と戦後、
証言している。

その児玉機関の財産をそっくり鳩山新党の政治資金として寄付すること
にしたのが、この三者会談。戦後秘史といえよう。もっとも鳩山はGH
Qによって追放され、追放解除によって政界復帰するまで雌伏している。

戦後保守政治の秘史と内幕を語れる生証人の辻トシ子さんだから、岩見
隆夫氏から「戦後秘史」を書くように勧められているという。墓場まで
持っていく話ばかり多いから、迷っているのではないか。こういう話に
なると滅法口が固い人でもある。

父親に似て、人の面倒をよくみる辻さんだが、このところ私が左半身に
不随に近い症状がでているので、それを気遣って、多田克彦牛乳の乳製
品を送ってきたと分かった。私の母や、その弟は脳血栓からくる半身不
随で闘病生活の末に亡くなった。

私も母や叔父の体質を受け継いでいるので、軽い脳血栓症状なのかもし
れない。だが右半身は健在なので、右手が動くかぎり執筆活動をやめる
つもりはない。



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シナ(china) の情報戦
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              by 日本のお姉さん

昔のことを学ぶのは、なぜ大切なのだろう。ーーー昔の世界情勢は、
2006年の今とは全く違う。今は、白人がアフリカ人や黄色人種の住む土
地を植民地にしてはならないし、人間を奴隷にしてはいけない、、そん
な時代になった。

昔は世界中が帝国主義であり、弱い国は植民地にされた。日本も世界の
強国に倣って帝国主義となり、白人に負けない国になろうと頑張った。

頑張らなければ日本という国は今頃どこかの国の植民地にされていただ
ろう。

過去に遡り、疑問を持って歴史を見直してみると、日本の弱点が見えて
くる。過去を学ぶということは、自国の弱点を発見し、今に活かして弱
い部分を強化するために大切なことだと思う。

アメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領は、支那 (china)が作っ
たニセ文書を信じた。その時、彼は「日本、葬らざるべからず」と覚悟
をしたということだ。

マッカーサーは、戦後、日本を裁くという強い目的を持って日本にはい
った。

最初アメリカは、支那のニセ文書を基にして東京裁判を始めた。日本人
も殆ど知らないそのニセ文書は、漢文と英文のもの(だけ)が支那と欧米
にばらまかれた。

日本語で読んだ人は1人もいないその文書の名は「田中上奏文」。

昭和2年6月、東方会議というアジアの国の代表を日本が集めて開いた
連絡会議の2年後にばらまかれた怪文書だ。当時の田中義一首相が、天
皇陛下に上奏した文書という形になっていて、内容は「日本が満州、蒙
古を押さえて支那を奪い、さらに世界を征服する」という方針を田中義
一首相が天皇に上奏したということになっている。

世界征服のためには、まず支那を、支那を征服するためには満州、モン
ゴルを征服しなければならない。明治天皇がそういう意志を持っていま
したからね、という内容だ。

アメリカは当初「田中上奏文」を元にして日本を裁こうとしたのだ。そ
の罪状は「1928年から1945年まで、A級戦犯の28人が共同謀議し、一貫
して満州・中国・東南アジア・太平洋・インド洋などの地域を侵略、支
配すべく陰謀を企て、実行した」という、日本人も驚く立派なものだっ
た。

日本は、支那のニセ情報を信じたアメリカによって裁かれたのだ。

田中上奏文は、1927年7月に天皇に上奏されたということになっていた
ので、日本の世界征服の陰謀は1928年1月1日からということになった。

最近、田中上奏文という怪文書は、ソ連で共産党コミンテルンによって
作成されたということが分かった。―――ニセ文書である証拠は5つあ
るが、

1番ハッキリ分かるのは、大正11年(1922年)2月に既に死んでしまって
いる山県有朋が「同年11月下旬の9ヶ国条約打開策のための会議に出席」
という部分だ。

長州閥の田中が、自分の親分の山県が死んだことを知らないはずがない。
既に死んでしまっている親分が会議に参加したと書いてある。

当時日本は、そんな馬鹿げた怪文書などどうでもいい。そんなことはウ
ソだとすぐ分かることだからと考えた。しかし日本は、「死んだはずの
山県が会議に出ていることになっている。ニセ文書だ」と声をあげるこ
とをしなかった。

だから、ルーズベルト大統領はそれを信じたのだ。

当時の支那は、このニセ文書を徹底的に反日の資料として利用した。そ
して欧米人は、日本を世界征服を企む不届きな国と信じこみ、その観念
を基にアメリカは東京裁判を開いたのだ。

ニセ文書をばらまいた支那と同じだけ多くの否定資料を世界に流さなか
った日本の怠慢と大らかさを大いに反省したいものだ。

日本は、支那には戦闘では常に勝っていたが、情報戦に負けたのだ。

蒋介石は、南京事件でも、新聞記者の秘密工作員に給料を払い、支那に
有利な宣伝記事を書かせた。蒋介石はいくらでもウソの情報を流した。

――済南事件

1928年、山東省の済南に入った国民党の北伐軍が、日本人居留民を襲っ
て惨殺や略奪を行った事件を「北伐妨害のため日本軍が日本人を殺した」
と宣伝し、その事件の始まった5月3日を国恥記念日として排日に利用
した。

支那は、日本が「日支両軍の接触を容易にし、衝突を引き起こす為の謀
略だった」という文書を作って支那の歴史の資料にした。

また済南で、日本軍が一般人の服装をした支那の便衣兵から拳銃射撃を
受けたとき、日本軍が便衣兵全員を射殺したのだが、その時たまたま国
民党の外交官も巻き添えになった。

それを、「日本軍が外交官を射殺した」という宣伝を展開し、反日感情
を煽る材料にしたりもした。

この事件の実際は、北伐軍が済南に入った際、北伐軍が以前、南京で外
国人を襲った事実があったので、日本軍は日本人居留者を護るために守
備地区を設けたところ、蒋介石が「われわれが責任をもって護るから撤
退してくれ」と言ってきた。

日本軍がそれを信じ撤退すると、1928年5月3日、北伐軍は日本人を襲
撃し出した。男10名、女2名が北伐軍に殺され、5日に9体の惨殺され
た死体が発見され、その後3体発見。

暴行されたりレイプされた女性32名以上、略奪された家136軒。被害人員
約400名、被害見積額35万円9000円。(当時のお金では相当な額)殺され方
は、手足を縛られ、手斧で顔面をたたき割られていた。

女性はすべて陰部に棒を刺され、焼かれて白骨化し、白足袋でようやく
日本女性だと分かるものなど、「酸鼻のきわみ」だったそうだ。

支那兵は、一般人の服装をした便衣兵だった。兵隊の格好をせずに一般
人に紛れて戦闘を行う行為はハーグ陸戦規定に違反している。

そういう一般服を着て武器を持って戦うのは、国際法ではゲリラである。
ゲリラでも日本兵が応戦すれば、日本軍が悪であると支那は宣伝した。

――南京事件

その後、日本軍が南京に入ったときは、支那兵は日本軍の軍服を着て日
本軍に紛れ込んだ。草履を肩から吊していないので支那兵だと分かった
のだそうだ。

上海方面からの戦闘に敗れ南京に逃げ込んだ支那兵は、軍服を脱ぎ捨て、
一般市民の衣服を奪って着、市民中に紛れ込んで、陰から日本兵に発砲
してきた。

だから日本軍は、オドオドしているガッシリ系の男を選んで拘束した。
中には南京の町民が混じってしまったが、その場合は「あの人は近所の
○さんだ」と嘆願に来るので、そういう場合は良民の券を発行して解放
したそうだ。

憲兵が到着する以前に、日本軍の先発隊が約2万の支那兵を市民の中か
ら選び出して殺害した。そうしなければ逆にやられてしまうのだ。南京
城の門の前のトーチカには、支那兵が足を鎖でくくられて入れられてい
たそうだ。

先発隊は食糧の補給も間に合わず、民家から奪うしかなかったし、一部
の者がレイプなどの暴行をはたらき、後で軍法会議にかけられた。

捕虜を捕らえても与える食糧も無く、日本軍自体の食糧も無かった。空
の列車の車両に収容したりしたが、結局どうすることもできず、筏に乗
せて河に流したり、順番に走らせて銃撃し川に流したりした。その合計
が数えると2万人となる。

ところが支那側は、支那人が女性を殺す方法や、匪賊が人を殺す方法で
日本軍が南京で大虐殺を行ったと宣伝した。当時の南京には25万人の市
民がいた。外国人も証言している。しかし、支那は30万人殺されたとウ
ソを宣伝した。

支那は、日本女性が支那人に殺された写真や、朝日新聞に掲載された通
常の写真や、当時支那人が売っていたポルノ写真や、支那人がニセの日
本兵に化けた合成写真で作ったものなどを、いわゆる「南京大虐殺」の
証拠写真とした。

写真の中の影の向きがめちゃくちゃだったり、服装が日本軍のものでは
なかったりなどの稚拙な合成写真を多用し証拠とした。日本軍が南京に
入ったのは冬なのに夏の写真ばかりあるのも不自然だ。

とにかく、写真の横に日本軍がひどいことをしたとキャプションをつけ
れば証拠写真になったのだ。

実際、そんな大変な混乱の中で写真を撮る者などいなかっただろうし、
南京市内に設けられた安全区には外国人もたくさんいた。彼らと共に25
万人の残留市民がいたのである。

―― また、

1927年、蒋介石の国民革命軍は南京で領事館、学校、企業などを襲った。

支那の数百人の一般人も略奪に荷担した。日本の領事館は床板・便器・
空瓶まで略奪された。各国の外交官7名が死亡、2人が行方不明。この
事件ではソ連の指導を受けたコミンテルンが紛れて暴動を指揮していた。

しかし支那の教科書には、革命を破壊するために南京を占領した北伐軍
に対して各国軍が砲撃を加え、支那人が2000人死んだと書いている。そ
の時日本は無関係だったのに、日本も砲撃したということになっている。

実際の支那人の死者は12人、負傷者は20人である。支那人の暴徒が大使
館を襲って略奪したことには一言も触れていない。

現代でも、このようにたくさんのウソが支那の歴史として広く信じられ、
反日の根拠になっている。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

日本は支那の情報戦を甘くみたのだ。支那が騒いだ以上に日本は騒ぐべ
きだしニセ文書を出されたら、その倍ぐらいの文書でそれを否定するべ
きだった。

現在だって、間違った史実に基づく映画を作られたら大声で否定し、非
難し、ウソを正すべく戦わなければ、それが真実と信じられてしまうの
である。

田中上奏文を「あんな稚拙なニセ文書、誰が信じるものか。神経質に騒
ぐことはないよ」と思って放っておくから、そのニセ文章を根拠にされ
てアメリカから東京裁判をされたのだ。

支那(china) が、日本を不当に貶める映画を作れば、声を大にしてそれ
を否定し、世界中に支那のウソを糾弾する文書を倍以上出さなければ、
今後も同じ方法で日本は悪者にされるのだ。

情報戦には神経質過ぎるぐらいの気持ちで対処しなければならない。西
洋人はニセ文章やニセの写真でも簡単に騙される。日本人はおおらか過
ぎる。日本の「言わなくても外国は分かってくれる」という考えは世界
には通用しない。

支那が変な映画を作ったら、日本は神経質過ぎるぐらいにピリピリして
激しく怒らなければならない。支那では、ウソでも声を大きはりあげて
不特定多数の人に信じてもらえればケンカに勝つのだ。

支那のウソに、これからも負け続けるわけにはいかない。日本が何もし
なくても、支那は世界に向けてどんどん日本を悪く宣伝している。

それが、2006年の今も起こっている現実なのだ。

この記事を書くにあたって以下の資料を参考にしました。

※ 南京事件「証拠写真」を検証する――合成、演出、ひそかな転載、
キャプション改竄。証拠として通用する写真は1枚もなかった――より。
東中野修道、小林進、福永慎次郎著 草思社

※ 1500年の真実:日本とシナ 渡部昇一著 PHP研究所

※ いわゆるA級戦犯 小林よしのり著 幻冬社

※ 南京戦「閉ざされた記憶を尋ねて」元兵士102人の証言 松岡環著 
企画:日中平和研究会 社会評論社(死者が35万人と支那側の意見丸飲
み)

※ 日中戦争の悲劇――写真で綴る中国からの証言――
編著 馬振[牛へんに買の上に士] 陳中丹 林慧敏 柳原書店

(上記の本「南京事件「証拠写真」を検証する」に出ている捏造が証明
された 写真が満載)

≪ WEB 熱線 第757号 ≫2006/09/04_Monから転載
 http://chinachips.fc2web.com/common/31mag.html (無料)



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侵略者・小日本は出て行け
━━━━━━━━━━━━


                平井修一

支那を意識した戦力保持が日本を救う

国と国の約束は条約とか協定だが、力関係により時には自国に不利な内
容となることもある。

身近なところでは、労使協定で「残業代は月10時間まで保証する」なん
て決めることもあるが、これも力関係であり、「雇ってもらっているの
だからしょうがないか」と諦めたり。

条約の改定には長い年月の努力が必要だ。我が国も明治時代に不平等条
約の改正に多大な努力を強いられ、鹿鳴館でダンスまでさせられた。

戦前の支那は列強諸国から不利な条約を強いられたが、暴力で条約を改
定あるいは反故にするという乱暴な政策をとった。最大の標的は日本で、
夷狄(野蛮人)に負けたのがよほど悔しかったのだろう。このために日本
は恰好の攻撃対象になり、ひどい目にあった。

この暴力的な政策を「革命外交」というそうだ。不勉強のため55歳にし
て初めて知った言葉である。ググると以下の論文があった。

(引用開始)

【中国の革命外交】 岡崎久彦
(前略)・・・・・

もう1つの後遺症は、済南事件で国民党政府内の親日勢力が弱まり、代
わって英米派の王正廷が外交部長となって、国権回復外交を推進したこ
とです。公表されたスケジュールによると、第1期に関税自主権回復、
第2期に治外法権撤廃、第3期に租界回収、第4期に租借地返還、第5
期に鉄道利権等回収です。

(中略)・・・・
最も効果があったのは、排日侮日運動です。利権回収といっても、条約
上の権利はなく、実力で取り返そうとしても、かえって日本の武力にや
られてしまいます。

そこで日本に武力行使の口実を与えないギリギリの範囲で、在留邦人、
とくに女性、学童に、唾(つば)を吐く、石を投げる、殴る、小売を拒否
する等のいじめで、満州にいたたまれないようにする方策です。

重光葵によれば、これを国民党指導の下に国策遂行の手段として行いま
した。

幣原の信念は、全ての国が既存の条約、法律を守り、その変更は話し合
いによることです。当時の米国公使マクマリーによれば、日本はワシン
トン会議の条文と、その精神を最も忠実に守った国であり、ワシントン
体制を守れるかどうかは、実際には中国の自制と、それをはっきりと中
国に要求すべきだった米、英、とくに米国の態度にかかっていました。

しかし、排日侮日という形で、日本の権益が損(そこ)なわれるのは、幣
原の平和外交をもってしてもどうしようもありません。東京裁判では、
日本が自衛のために戦ったと主張したのも、この歴史的背景があったか
らです。

国際法上の自衛とは言えませんが、国際法とは責任ある国家間の関係を
律する法律であり、国民党主導の排日侮日など国際法以前の問題です。

マクマリーの覚書は満州事変後、振り返ってどうしてこうなったのか、
当時の情勢を分析したものですが、日本側の中正穏健な識者達も同じよ
うな感想を洩(も)らしています。

「満州国の建設という結果となった原因の1つにシナの利権回復熱の躁
急(そうきゅう)性をも挙げねばならない」(矢内原忠雄)

満州建国後、日本では、これに反対の声は消え、穏健な人でも、満州国
は既成事実とした上での国際協調論を唱えていたのは、右傾化、軍国主
義化というよりは、事変前の情勢では、もう他の現実的選択肢がなくなっ
ていたことが誰の目にも明らかだったからでしょう。
(引用終わり)

支那は昔から話し合いとか共通の理解など不可能な国なのだということ
だ。毛沢東は「政権は銃口から生れる」といったが、本質的に力関係で
すべてを律する国である。

軍事力が対等なら共存を選び、相手が強ければ「我が国はまだまだ弱小、
あなたの援助が必要です」と下手に出、相手が弱ければ「そこは明確に
我が国の領土だ、言うことを聞かなければ核ミサイルを見舞うぞ」と恫
喝・侵略する。

日本は工場進出などで支那に莫大な投資をしているが、「日本は支那人
を搾取している、工場は支那のものだ、侵略者・小日本は出て行け」と
いつ豹変するか分かったものではない。

こうならぬように中国に対抗、拮抗できる戦力保持に努めるのが政治で
ある。

主宰者より:それを知っているくせに経済産業省は、沿岸部ではなく内陸
方面の開発に対する日本からの投資を呼び込みたいと言う中国政府の要
請に応えるべく1000人の公式訪中団を派遣する、という。(8月6日、産
経新聞1面トップ)。



━━━━━━
話 の 福 袋
━━━━━━


〔福袋には様々な夢が入っている。外れも入っている〕


 1)WSJ-香港ディズニーランド、開園1年目の入場者数目標に届かず

香港(ウォール・ストリート・ジャーナル)米ウォルト・ディズニー
(NYSE:DIS)が昨年9月に開業した香港ディズニーランドは、入場者の
出足が鈍かったことやマーケティングの問題などから、開業1年の入場
者数が目標に達しない見通しであることをほぼ認めた。

ディズニーにとって中国初のテーマパークである香港ディズニーランド
のマネジングディレクター、ビル・アーネスト氏によると、4日までの
入場者数は「500万人を大幅に超えた」という。ただ、「12日までに、目
標として公表していた560万人に達するか」と記者団が繰り返し尋ねると、
同氏は「9月後半か10月に到達する」と述べた。

香港特別行政区の一部議員は、インフラ整備に17億4000万ドルを投じた
うえ4億1700万ドルで株式57%を取得したのは何のためだったのかとぼ
やいている。

ウォール街では、ディズニーの中国本土での事業見通しを占ううえで、
香港ディズニーランドの業績に注目している。同社は中国で、物販、テ
レビ番組、映画の各事業に投資しているほか、上海にテーマパークを開
設する方向で中国政府と交渉している。

アーネスト氏によると、香港ディズニーランドの入場者数には無料チケッ
トでの入場者が含まれているが、どの程度の割合を占めるのかには言及
していない。

一方で、香港ディズニーランドは中国本土からの人気が高まっている。
ディズニーが初めて入場者数の目標を500万−600万人と発表した2002年
当時、中国本土から香港へは団体旅行だけが認められていた。だが03年
には個人旅行も認められ、今や香港への旅行者の大きな部分を占めるよ
うになっている。
(ダウ・ジョーンズ) - 9月5日12時18分更新


 2)高血圧・胃潰瘍・リウマチ…温泉の効果、科学的に立証

酸性の温泉水が高血圧や胃潰瘍(かいよう)、関節リウマチなどに効く
メカニズムを、名古屋市立大医学研究科の岡嶋研二教授、原田直明助手
らがマウスによる実験で突き止めた。

温泉の効能は経験的に言い伝えられているが、その科学的なメカニズム
はわかっていなかった。秋田市で開かれる日本温泉科学会で6日発表す
る。

岡嶋教授らは、脊髄(せきずい)から皮膚に延びる知覚神経細胞をマウ
スから取り出して培養。これに薄めた酸性の温泉水をかけて刺激すると、
神経末端からたんぱく質の一種(CGRP)が放出された。

CGRPは血圧降下のほか、炎症抑制、傷の治癒促進などの作用がある
「インスリン様成長因子(IGF)―1」というたんぱく質を増やす。
そこで実際に、マウスを酸性の温泉水(40度)に5分間つけ、皮膚や
血中、胃組織のIGF―1濃度を測定した。 
(読売新聞) - 9月5日6時40分更新


 3)ネパール人少年、「世界一低身長」のギネス認定申請が却下

「世界一の低身長」のギネス認定を目指していたネパール人少年が4日、
ギネス・ワールド・レコードから、申請を却下された。ギネス側は、少
年が若すぎるためとしている。

14歳のこのネパール少年は、身長が50センチで体重4.5キロ。ギ
ネス認定の対象になるには、あと4年待たなければならないという。

少年は現在、人前でダンスなどをして、学費や医療費を稼いでいる。
(ロイター4日=カトマンズ)



━━━━━━
反       響
━━━━━━ 


 1)今日じっくりと「霞関會会報」を読んでみました。「会員投書欄」
「寄稿文」ともに読み応えのある内容に驚きました。さすが外務省、
“書ける”人が多いものだと感心しました。

亮次郎氏の「杉本さん、頑張ったね」をしみじみ読んでみて、とかくの
噂のチャイナスクールにも、このような國を思う立派な人がいたことを
知ってほっとしました。涙の出る思いです。

このスクール、すべてがその昔の加藤何某、つい最近までの何某大使の
ような人ばかりではないと・・・

夕方、事務所からの帰り書店に立ち寄り、まだ手にしていなかった「大
地の咆哮」を、杉本さんへのお香典のつもりで買い求めました。 

杉本さんは本当に強い人。自らの死期の迫っていることを知っていなが
ら、あまりにも冷静、毅然とした筆致。

誰に媚びるでない信念の人。今後読み進めばますますその思いを強くす
ることでしょう。神仏は無情か非情か? 惜しい人を亡くしました。
(璋)



━━━━━━
身 辺 雑 記
━━━━━━


台風12号は本州を目指していたが、上陸を目前にして、急に右折。太平
洋岸を只管北上。但し、余波は東京にも及び、6日は昼前から雨である。
このまま秋になるのだとすると、今年は夏の短い年と記憶されよう。

朝から強風。公園の大木の下で、栃の実を拾った。茶色い小ぶりな殻に
栗に似た実が1つには1つ、2つ目には2つ入っていた。これを餅にし
て日本人は食べるが、アク抜きが面倒なようだ。友人安宅峯夫君がパリ
に捨ててきたことをまた思い出した。

栃はフランス語ではマロニエ。唄になるが栃ではロマンティックには聞こ
えないなぁ。

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