頂門の一針 |
この記事の発行者<<前の記事
|
次の記事>>
|
最新の記事
□■■□ ──────────────────────── □■
渡部亮次郎のメイル・マガジン 頂門の一針 第482号
□■■─────────────────────────── ■□
平成18(2006)年07月04日(火)
「ふんど」を譲らぬ永田ラッパ:渡部亮次郎
「日中友好」のシンボル視:宮崎正弘
橋本龍太郎先生のご逝去を悼む:馬場伯明
安倍宗任と安倍晋三:古澤 襄
流行歌手の晩年(8):渡部亮次郎
話 の 福 袋
反 響
身 辺 雑 記
□■■□ ─────────────────────────── □■
第482号 発行周期 不定期(原則日曜日発行)
御意見・御感想はchomon_ryojiro@yahoo.co.jp
購読(無料)申し込み御希望の方は
下記のホームページで手続きして下さい。
http://www.max.hi-ho.ne.jp/azur/ryojiro/chomon.htm
バックナムバーは http://www.melma.com/backnumber_108241/
━━━━━━━━━━━━━━
「ふんど」を譲らぬ永田ラッパ
━━━━━━━━━━━━━━
渡部亮次郎
憤怒はふんぬと読むのが普通だが、昔あった大映映画の社長永田雅一は
ある時ばかりは「ふんどと読ませるのだ」と言って譲らなかった。昔の
話なのだが、03年 11月26日付け朝日新聞夕刊に論説委員高成田享と言う
人がかつての大映映画「君よ憤怒の河を渉れ(わたれ)」の事を書き
「ふんぬ」とあえて仮名を振っていたから思い出したのである。
あれは昭和39年の終りか40年の初めかである。当時の自民党でナンバー2
の実力者は総理大臣の佐藤栄作に次ぐ河野一郎だった。洋平衆議院議長
の父、太郎衆議院議員の祖父である。国会議員何十人かを抱える河野派
を率いていた。
ある時河野さんと麻布台の河野事務所で雑談をしていた。私は29歳、河
野さん67歳である。そこへいきなり永田雅一さんが割りこんで来た。勝
新太郎らを伴っていた。河野さんに対して永田さんはスポンサーらしく
大きな態度であった。ホラも大きいので永田ラッパが通称だった。
折から永田さんの映画会社「大映」では「君よ憤怒の河を渉れ」の製作
を検討中の時期だった。詳しいことは忘れてしまったが永田さんは「あ
れをふんぬと発音したのでは印象(インパクト)が弱いからふんどと読
ませるんだ」と論を張って譲らなかった。
どうでもいいことなのか河野さんも何の反応も示さなかったように思う。
もちろん私はその映画を見ないでしまった。西村寿行原作、映画は初公
開年月1976/02/11となっているから、河野さん死して1年後となるが、ど
うしてだろう。
<中国が鎖国を止めて日本の映画を公開した嚆矢は高倉健の『君よ憤怒
の河を渉れ』であった。中国版公演のタイトルは『追捕』である。冤罪
に巻き込まれた刑事が警察を辞めて独力で犯人を探し、自らの冤罪を雪
ぐ話だ。中野良子はこれを助けるお嬢さん役。彼女はこの映画でいっぺ
んに有名になった。当時は山口百恵か中野良子かといわれたもの。>
http://www25.big.or.jp/~yabuki/soso/pe910091.htm
ところで高成田氏が夕刊のコラム「窓」でこの映画の題名を引いたのは、
主演した中野良子さんが中国での大ヒット以来の付き合いで今回49回目
の訪中でポプラの苗木を数十本植えてきた、と言う話なのである。
その時は永田さんも居なかったろうから「ふんど」と主張する人は居な
かったのだろう。憤怒はふんぬと高成田氏はあえて仮名をふっている。
後に私が秘書官として仕える事になる園田直(そのだすなお)氏は長く
河野派4天王の1人であった。79年には福田内閣から大平内閣にかけて
の外務大臣だったが、中野さんの猛烈なファンで、中野さんに会えるな
ら公務の1つや2つ、ほっぽり投げてもいいと言うので日程をやりくり
した事がある。
その園田外務大臣の残した業績の1つが日中平和友好条約の締結であり
中野さんの仕事が日中の協力で中国に植林事業を進める「緑の長城」の
平和大使と言う。そこに何かの因縁を感じる。
「君よ憤怒の河を渉れ」で中野さんは真優美(チェン・ヨウ・メイ)と
言う中国女性なのだそうだ。朝日の記事によれば中野さんは「中国に行
くたびに気になるのは貧富の差。豊かな人が先に行き、貧しい人が後か
ら追いかけるという政策だそうですが、なかなか差が埋まらないように
見えます」と顔を曇らせたそうだ。2003.11.28.追記:2006・07・03
君よ憤怒の河を渉れ 西村寿行 徳間文庫
「この人がうちに入った強盗です。」新宿の交番で未知の女性水沢恵子
からそう言われた時、東京地検のエリート検事杜丘冬人は一瞬何を言わ
れたのか分からなかった。しかし彼女の証言を裏打ちする目撃者寺町俊
明も現れ万事休す、このままではすまされぬと一瞬の隙をついて逃げ出
す。
能登金剛近くの田舎に水沢を尋ねるが、殺されており、水沢殺害の容疑
まで背負ってしまう。ならば寺町と北海道幌別川の田舎を尋ねるがすで
に警察の手が回っており、ようよう逃げ出すことに。逃げ惑ううちに、
彼は羆に襲われている村の娘を発見し助ける。
娘の生家、さらにそこも追われて、ひっそりとあの娘遠波真由美を襲っ
た羆を仇と狙って暮らす老人のもとに身を寄せる。羆はかって老人の妻
と娘を食ったのだ!対決、ついに羆を倒すが、老人は命を失い、隠れ場
所もしつこく杜丘を追う矢村刑事に発見され、ふたたび逃亡。
青函フェリーで北海道を脱出しようとはかるが失敗、危うく捕らえられ
そうになったところを真由美の父に助けられ、自家用機を操縦し脱出す
ることになる。鹿島沖で海上着水、いったん北に登って、追手を撒き、
奥多摩湖あたりから東京都に入り込む。
なぜ自分が罠を仕掛けられ、追われる事になったのか、考えるうちに厚
生省医務局医事課技官朝雲忠志の死にぶつかった。自殺で服毒薬はアト
ロピンと結論が出されたが、その夜朝雲を東邦製薬営業部長の酒井義広
等が訪問していた。そして煙を食う猿、ツグミ、羆の謎!これら事件と
どう関わるのだろうか。
情報収集中に裏切られ、新宿で警察に囲まれる。しかし十頭のサラブレッ
ドと共に駆けつけた真由美に救われる。杜丘は、酒井の愛人の亭主武井
吉晴が城北病院という精神病院で不審な死を遂げたことに疑問を持つ。
東邦製薬が開発している向神経薬A=Zの実験を行っているのではないか。
証拠を求めて城北病院に潜入する。しかしそこにはもっと恐ろしい現実
があった。モルヒネの過剰投与、新薬投与、ロボトミー手術などで廃人
に追い込むシステム。証拠はつかんだものの、院長堂塔康竹等との生死
をかけた対決が始まる。
逃
亡者を主題にした作品といえば外国では古くはレ・ミゼラブル、逃亡者、
日本では熊谷独「最後の逃亡者」、夢野久作「氷の涯」、佐々木譲「五
稜郭残党伝」などが浮かんだ。最後の作品はこの作品と似たような部分
がある。
しかしこの作品は活劇としてのスリルが断然大きい。映画にしたいよう
な作品である。おそらく最初によほど正確にプロットを考えておいたの
であろう。最後の作者の「作品を書くまで」にその事情が書かれていて
興味深い。
「白紙の状態だが、いつのまにか<逃亡検事>というイメージだけは出
来上がっていた。さて、とぼくは原稿用紙に向かった。最初はコチョコ
チョといたずら書きから始める。人の名前とか、人間の目玉の絵とか、
○や△を無意味に書いて、1日は終わる。2日、3日目になって数行の
ストーリーらしきものが書ければいいほうである。
そんなことを10日近く続ける。一種のセレモニーである。.原稿用紙に数
枚、細字でビッシリ書き込んだ筋書きなるものが出来上がるのが約半月
後である。陣痛までの苦しみが長いせいか、ぼくはこの筋書きなるもの
にいうにいえない愛着を感じる。右から見ようが左から見ようが、もう
これ以上のものはないような気になる。」
アトロピンは日本にも自生するハシリドコロなどのナス科植物の根茎か
らとるもので、スコポラミン、ヒヨスアミンなどと似た化学構造式を持
っていた、致死量〇・〇五グラムとされている。致死量を飲んだ場合は
延髄に作用して急死することが多い。(86P)
クモはAの薬を与えられればAの網をはり、Bの薬にはBの網をはる。
網を見れば薬の成分が分かるほどパターンは正確なのだ。(338P)
000816 http://www.bekkoame.ne.jp/~agatha/JKIMIYOH.html
永田雅一(ながたまさいち、1906年1月21日 - 1985年10月24日)は昭和
初期から後期(1930年代後半-1980年代前半)の映画制作者、プロ野球オ
ーナー。競走馬主。長広舌の「永田ラッパ」で知られる。(フリー百科
事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
━━━━━━━━━━━━
「日中友好」のシンボル視
━━━━━━━━━━━━
△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成18年(2006年)7月4日(火曜日)
通巻第1497号
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「剣道宰相」の死を悼んだ中国の新聞各紙
橋本龍太郎は中国のメディアが「日中友好」のシンボル視していた
********************************
たまたま元首相の訃報を四川省の成都で滞在中に知った。
日本では媚中派代表として評価が低いが、中国はまっさかさま。“剣道
宰相”が「日中友好につくした政治家」って高い評価。記念に各新聞を
買ってきたが、ちなみに写真の配列はスポーツ新聞なみの大きさでカラ
ー。そのとなりにブッシュ大統領と、たまたま、同じ日に米国で面談し
た小泉首相のおどけた顔が、“橋龍さま”の十分の一ていどのスペース
で扱われていた。
帰国便は黄砂の影響からか、北京空港で2時間またされた。
ようやく昨晩(2日夜)最終便で帰国、成田からの鉄道、バスの便はす
べて終了しており、しかしながら中国国際航空は新宿までのチャーター
バスを仕立ててくれた。
◎
********************************
(今週の書棚)
♪
近藤大輔『東アジアノート』(ランダムハウス講談社)
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
著者の近藤さんは現在『週刊現代』の副編集長。というより衝撃的な直
撃ルポの数々で知られ、平壌でも裏町へいきなり飛び出してのインタビ
ューをこなす。
なにしろ中国語と朝鮮語をあやつり、通訳をつける必要がないので何処
へでも飛び込んでいくという記者精神に溢れる。
北朝鮮では外国人記者には「案内人」という名の監視役が同行する。そ
れをすっぽかして、路地裏から貧民屈へ潜入、その衝撃的光景を、しか
もユーモラスに綴る文才も見事だ。
平壌の小泉首相訪問の随行記者団にも雑誌記者枠は僅か4名しかないの
に、するりと潜り込む才能もある。しかも2回も!
本書に掲載された平壌市内への突撃ルポは『現代』誌上で掲載されたと
きも読んでいるが、相当量が加筆されたのか、さらに濃度が深まり、極
め付きで面白い。尾行をまいて、いや逆に案内人を尾行したらホテルの
会議室で数十人がごろ寝していた、という現場も、じつに面白い報告で
ある。
本書を旅行鞄にいれて、旅行中に読み継ごうと思っていたのだが、どっ
こい、一晩で読んでしまった。
平壌市民との会話の記憶力も異常な才能。おそらく4カ国語を同時に操
れる才能というのは瞬時にあらゆることを記憶する能力がなければ出来
ないことなので、その脳細胞の活性化と直結しているのだろう。
たとえば「案内人」の制止を振り切って裏町の貧民街では暗闇のなかに
大衆食堂があって、まずいビール。
それを「配給券」で立ち飲みし、無言。表情も照明がないのでよく読み
とれない。
ビ
ールは各人がコップを持参するか、紙コップ。つまみは腐っているかの
ような、ひどい肉。
北朝鮮の首都、平壌。その同じ場所を2年後に訪れた著者は、電気がつ
いて配給がすくなくなって(闇市になったためだろうが)、ビールをの
む人達の表情も明るく、会話をしているという事態の変化、それこそ広
告塔が増えたりの革命的変化を発見する。
駅舎には電光掲示板、脇道にはアイスクリームを売る屋台。そして食べ
物にありついた北朝鮮の人達の表情に明るさがでている事態を見逃さな
い。
1回目の小泉首相の電撃的な平壌訪問では、記者会見にプレスセンター
へやってくる直前にホテルの周辺に突如、明かりがともり、食堂が演出
されて並べられ、動員された「客」が食堂で舌包みを打つという光景が
演出されていた。
案の定、首相が立ち去るや否や照明は消され、演出用の食堂はばたばた
と閉店になり、暗がりに一挙に戻った。
小泉首相一行が帰国すると北のテレビニュースはさも、朝貢をしに日本
の首相がやってきたので「偉大なる将軍さま」が慈悲深く「会っておや
りになり」、そのうえで拉致問題はひとことも報じられなかった。ただ
の一言も。
率直に言って過去に読んだ、どの平壌旅行記より、この近藤さんの目と
耳と鼻を通しての、一眼レフと高度の隠しカメラ、録音機が本能的に作
動する人間の観察能力が冴えていて、これほど面白く読んだ本はない。
同時に100人近い日本人の随行記者団の無能ぶりが自然に対比され、面白
さを通り越して一種の悲嘆と感動が湧く。
北京に留学時代の著者の同級生は、かの蓮ほう議員。彼女がちょうど某
テレビのアナウンサーを休業して北京へ語学留学にきていた。
抱腹絶倒の留学記となったのがデビュー作『北京大学3カ国カルチャー
ショック』だった。
数年前、まだ彼女が議員になる前に3人で飲んだことを思い出した。
さてこの新作では上記の小泉訪朝に2回同行したときの記録に加え、韓
国のノムヒョン大統領誕生の舞台裏探訪記、中国で開かれた“アジア版
ダボス会議”における日本のかなしむべき孤立。最後は台湾で陳水扁総
統が台北市長時代のインタビューなど(これも一種抱腹絶倒)を収録し
ている。
いずれも軽妙なタッチに見えて、じつは方々に巧妙な、重厚な問題を仕
掛け、ハードな問題を浮かび上がらせる手法、本人に言わせると「現代
版ジャン・コクトーの旅日記風」を狙った由だが、立派に成功している。
いや、コクトーは芸術的直感で旅日誌を綴ったが、近藤さんは精巧なカ
メラのような眼を持っている点が異なるだろう。
各地の表情でも、意外な質問を繰り出して相手の反応をするどく観察し
ながらも、食事のメニューが、じつにそのときの景色にとけ込んでいた
り、さりげなく歴史の謂われを挿入したりなかなかの文章家である。
平明ながらも豊かな語彙が駆使されていて、この迫力と緊張感のある文
章力と、その面白さはハリウッドのヒット作を越える。
━━━━━━━━━━━━━━
橋本龍太郎先生のご逝去を悼む
━━━━━━━━━━━━━━
馬場伯明(2006/7/4)
早すぎた橋本龍太郎先生のご逝去を悼みご冥福をお祈りする。約30年前、
岡山県倉敷市にいた私は、約8年間にわたり橋本先生の選挙の下働きとし
て応援していた。
当時、倉敷2区の自民党には、加藤六月、藤井勝志両先輩議員がいたため、
苦戦気味であった。地元秘書の二階堂さんなどの依頼事項などを必死に
こなした。
橋本先生は若い割には頭が高く少し困る場面もあったが、清潔・清新な
人柄、実直・有能な政策マンとして、企業等にとっては推薦・応援する
に値する人物であった。
一方、久美子夫人は気さくな賢夫人で、ゴルフも上手であり、地元では
絶大な人気であった。橋本先生の票の半分以上は久美子夫人のものとも
言われた。
ロッキード事件等に伴い、加藤先生が坂道を転がるような状態になった
のに反比例し、選挙ではトップ当選を続けられた。とんとん拍子に国の
トップ(総理大臣)まで登り詰められた。正直(そこまでは)予想して
いなかった。
最近、政治資金規正法等の問題もあった。「そんなことを忘れてしまっ
ては、自叙伝も書けませんよ」と言いたい気もしたが、機会もなく、あ
っけなく逝ってしまわれた。
当時から応援していた私たちは、橋本先生が亡くなられても、言えない
ことは彼岸まで持って行かねばならないのであろうと思う。重ねてご冥
福をお祈りする。(合掌)
━━━━━━━━━
安倍宗任と安倍晋三
━━━━━━━━━
古澤 襄
マスコミは新聞もテレビも福田康夫が自民党の総裁選に立つのか、立た
ないのかと騒いでいる。勝手に森前首相が福田を推し、小泉首相が安倍
晋三官房長官を推すと森派分裂の構図を描いて、喧伝してきた報いであ
ろう。今になってサッパリ分からないので、右往左往している様はいた
だけない。
私は福田は立たない、立つべきでないといい続けてきた。立つとすれば、
八月十五日に小泉首相が靖国参拝して、中国や韓国が猛反発して、日本
のアジア外交を懸念する国民世論が澎湃としておこった時にかぎられる。
それまでは、あれこれ穿鑿しても、失笑を買うだけである。国民もバカ
ではない。
仮に小泉が靖国参拝しても安倍優位の党内情勢は動かないとみている。
これには東北にルーツを持つ私の安倍贔屓もある。あながち岸元首相に
接した因縁があるからではない。政局の見通しは、情をからめて見ては
ならないというのが私の主義だが、安倍に関しては、この原理・原則か
ら外れてしまう。
晋三の父・安倍晋太郎と話をしたことがある。私が岩手県の出身だとい
ったら「安倍家のルーツも岩手県」と応じてきた。山口県と岩手県が、
どう結びつくのか、晋太郎は「安倍宗任の末裔なんだよ」と言っていた。
それは、そのまま忘れていたが、宮守村の村会議長だった阿部文右衛門
さんと四方山話をしていたら「安倍晋太郎は東北の王者だった安倍一族
の末裔だ」という。そして、ほどなくして裏付けとなる資料を送ってい
ただいた。石至下史談会の「原姓安倍氏 豊間根家の栞」がそれだ。
そこには「前九年役の敗北」の項に次の記述がある。
安倍宗任、正任は朝廷軍に降り、肥前国松浦(まつら)また伊予国桑村
に流罪、宗任は後、宗像郡大島で生涯を閉じ、地元安昌院に眠る。(天
仁元年 1108)。七十七歳であったという。
宗任の末裔は今は亡き自由民主党幹事長の要職にあった安倍晋太郎氏で
又、子息の晋三氏は父の跡を継ぎて、衆院議員の要職に奔走されている、
とあった。平成十一年の記述である。
裏付けをとるために「姓氏家系大辞典」三巻で陸奥の安倍氏を調べてみ
た。そこには「肥筑の安倍氏」の項目に、鎮西要略に「奥州夷安倍貞任
の弟宗任、則任俘となり、宗任は松浦に配され、則任は筑後に配せらる。
宗任の子孫松浦党を称す」と載せたり。宗任の配所は小鹿嶋なりと伝ふ
るも詳かならず、とあった。
さらに「筑前の安倍氏」の項目には、筑前国宗像郡大嶋に安倍宗任の墓
と称するものあり。伝えて云う。「宗任伊予国に配流せられ、後本嶋に
流され、終に此の地にて死せり。
その子3人、長子は松浦に行き、松浦党の祖となり、次男は薩摩に行き、
三男此の嶋に留り嶋三郎季任と云い、その子孫今に此の嶋に残れり」旧
志略に見ゆ、とあった。旧志略の方が鎮西要略よりも詳しい。しかしあ
くまで配流された蝦夷の頭目という扱いになっている。
それが平家物語になるとガラリと変わる。その剣の巻に「宗任は筑紫へ
流されたりけるが、子孫繁盛して今にあり。松浦党とはこれなり」とあ
る。平家は西国の水軍と密接な関係があった。松浦党はまさしく水軍で、
後に博多湾に来襲した蒙古の軍船と壮絶な戦いを演じて、勇名を轟かせ
た。
また宗任の墓がある筑前国宗像郡大嶋は、水軍の根拠地となっている。
この松浦党は壇ノ浦の海戦で平家方についた。だが、源氏との恩顧も忘
れていない。平家物語は「源義家の請によりて、宗任を松浦に下して領
地を給う」としている。
安倍貞任は猪突猛進の武将だったが、宗任は知略に優れた名将といわれ
た。安倍一族を滅ぼした源頼義・義家親子は、宗任の武略を惜しみ、死
一等を減じて朝廷から貰い受けている。そして頼義の領地・伊予国に連
れてきた。配流とは名ばかりで、間もなく松浦の領地を与えた。
さて安倍家が松浦姓を名乗らずに安倍の本姓を名乗ってきたのは何故で
あろうか。安倍家は山口県大津郡油谷町の名門で、晋太郎の父親は安倍
寛、戦前の衆院議員である。晋太郎は自らを安倍宗任と末裔といったが、
その根拠はいわなかった。
私は宗任の長男が祖となった松浦党の系譜ではなく、水軍の根拠地・大
嶋に残った三男の末裔でないかと思っている。それなら安倍の本姓を名
乗ってきたことの説明がつく。安倍家には、その言い伝えが残ったので
あろう。
(「杜父魚だより」から転載=許諾済)
━━━━━━━
流行歌手の晩年
━━━━━━━
渡部亮次郎
ブログに「誰か昭和を想わざる」があって昭和のはじめから今に至る歌
謡曲とその時代背景を厖大な量で論述している。だが著者名は明らかの
されていない。信用はおける。
http://www.geocities.jp/showahistory/
この中で様々な流行歌手の経歴も詳しく紹介されているが、興味を持っ
たのは、病名と墓地を詳しく述べていることである。私(1936年=昭和
11年生まれ)の興味を持った歌手の晩年を引用させていただいた。本文
中の年号はほぼ「昭和」である。氏名の後についたのだけが西暦となっ
ている。
(8)
平野愛子(1919-1981)
新宿出身。22年に作曲家の東辰三が新人歌手養成用に作ったビクター戦
後第一号のレコード「港が見える丘」でデビュー。これが大ヒットとな
り、舞台の横浜には、港が見える丘公園が作られた。
23年には「君待てども」がヒット。25年には「白い船のいる港」がヒッ
ト。東辰三は神戸高商出身で深川で木工場を経営するという異色の経歴、
東の子息が山上路夫である。平野は江戸っ子気質だったが、大変な読書
家でもあった。気難しいインテリで処世術が下手だったという評価もあ
る。
晩年は自宅で音楽教室を開いた。56年11/22午後9時24分、新宿区の国
立医療センターで卵巣ガンで死去。娘の淑子はシャンソン歌手。
藤島桓夫(1927-1994)
大阪出身。電話局勤務を経て昭和25年、レコードデビュー。「初めてき
た港」「かえりの港」「お月さん今晩は」がヒット。35年「月の法善寺
横丁」が大ヒットし、大阪物はヒットしないというジンクスを破った。
平成6年1/20に倒れ、2/1午後8時47分、高血圧性脳出血で死去。
本名は坂本義明。同月下旬には新曲を予定していた。住まいは中野区本
町5丁目だった。
藤本二三吉(1897-1976)
浅草千束生まれ。正真正銘の江戸前の芸者。昭和3年4月にビクターの
専属歌手となる。4年に「浪花小唄」、5年に「祗園小唄」がヒット。
芸者歌手の草分け的存在。江戸を離れた事がないのが自慢で、晩年に浜
町から渋谷へ引越す事となった際には悔し泣きをしたという。
野球は巨人ファンだった。51年10/29午後4時半、脳出血で西宮の兵庫
医科大病院で死去。本名は藤本婦美。娘の藤本二三代も紅白歌手として、
30年代半ばに「夢見る乙女」などのヒットを飛ばした。
藤本二三代(1946-2001)
東京出身。吉田正に師事し、昭和31年に「花の十九よさようなら」でデ
ビュー。33年に「夢見る乙女」がヒット。最後の吹き込みは48年の「ふ
たりの北新地」。晩年は神戸で暮らした。平成13年3/28、大動脈解離
で急逝。本名は三谷綾子。藤本二三吉の娘。娘の藤本じゅりも歌手。
藤山一郎(1911-1993)
日本橋生まれの生粋の江戸っ子。慶応普通部では岡本太郎と同窓であっ
た。東京音楽学校在学中の昭和6年、家計のあまりの苦しさを見かねて
アルバイトとして「酒は涙か溜息か」「丘を越えて」などを吹き込むが、
これが予想に反して大ヒット。
あまりの反響のすごさでわざわざ変名まで使って吹き込んだ、このアル
バイトが学校に知られて停学処分となる。同時期に吹き込んだ「影を慕
いて」も爆発的なヒットとなり、歌手藤山一郎の名は作曲家古賀政男の
名と共に全国区になった。
24年「青い山脈」がヒット。被爆体験記を書いた永井隆博士に捧げる形
の「長崎の鐘」もヒット。流行歌を「コジキ節」と蔑視したサトウハチ
ローが初めて本気で書いた作詞で、永井博士はこの曲の流行の直後、被
爆の後遺症で死を遂げた。29年にはNHK嘱託となる。
平成5年8/21午前2時まで目黒区中町1丁目の自宅で妻が腰をさすり
そのまま就寝したが、3時半に「痛い」と大声を発した。医師は20分後
にやって来たがすでに心臓は停止状態で、4時25分に急性心不全で死去。
本名は増永丈夫。「ピアノをがーんと弾いてぴたっと止まるような死に
方」を望んでいたという。
自動車狂としても知られ、戦後の一時期は自ら外車ショップを経営した
事もあった。煙草は戦後から始めたという。後輩では岡本敦郎や伊藤久
男を正統派として評価していた。美空ひばりについては「見せる歌手」
「歌える女優」と思っていたという。
藤原義江(1898-1976)
スコットランド人を父に下関に生まれた。イタリアで本格的に声楽を学
んだ。「出船の港」は大正14年にアメリカのビクター本社で吹き込みさ
れていたもの。
別れたあき子夫人は国会議員として活躍していたが義江より先に他界し
ている。あき子の死後は帝国ホテルで1人住まい、部屋で1人、倒れて
意識を失っているのを知人に発見された事も数回に及んだ。
51年3/22午前8時35分、パーキンソン氏病に肺炎を併発し、日比谷病
院の6階で死去。大歌手である事を鼻にかけず一般からの絶大な支持を
受けた。義江の没後、57年には下関に藤原義江記念館が開設され、また
記念切手のモデルにもなるなど、昭和の日本を代表する国際的歌手とし
ての評価はいささかも色褪せない。
二村定一(1900-1948)
下関生まれ。浅草オペラで有名となる。「青空」「アラビアの唄」が同
年にヒットして一世を風靡、「君恋し」でもヒットを放つ。日本で最初
にジャズソング、コミックソングを普及させた人である。同性愛癖も示
唆されていて、極度の女嫌い。
戦後の23年、かつての後輩エノケンに救われる形でエノケン一座の客分
として復活。しかし間もなく、有楽座の「らくだの馬さん」を最後の舞
台として、10/12朝、国分寺病院で死去。享年48.本名は林貞一。
星玲子(1915-2003)
東京出身。ダンサーから昭和7年、映画デビュー。10年にディック・ミ
ネとのデュエット「二人は若い」がヒット。同年に映画監督のマキノ光
雄と結婚し、14年に引退。平成15年10/24午後3時56分、肺炎で死去。
本名は多田琴子。
━━━━━━
話 の 福 袋
━━━━━━
〔福袋には様々な夢が入っている。外れも入っている〕
1) 愛媛県が定時制高の給食廃止
愛媛県はこのほど、夜間定時制高校で実施していた給食の無料提供を廃
止した。国の補助金が2004年度で打ち切りとなったのに加え、県の
厳しい財政状況を反映し「提供を維持できなくなった」(県教委保健ス
ポーツ課)のが理由。
47都道府県のうち、愛媛を含め奈良、栃木、山口、鹿児島の5県だけ
が廃止に踏み切っている。
働きながら学ぶ生徒を支えようと、愛媛県では1956年に給食の提供
を開始。ここ数十年間、パン、ジャム、牛乳が主なメニューで、全生徒
が対象だった。
最近は全日制高校の中途退学者や中学時代に不登校だった生徒の進学が
増加。働いていない生徒が増えたため02年度から、有職者の中で希望
者だけ提供する形に切り替え、今年4月、廃止した。
05年度の利用者は、県内の夜間定時制12校に在籍していた計651
人のうち、有職者(347人)の約59%に当たる205人。県の支出
は381万円だった。愛媛新聞2006/07/03(月)
2)定年就農1期生、野菜を初出荷
定年後の第2の人生で農業に挑んでいる広島市西区庚午北の元教師大橋
剛夫さん(62)が2日、中区富士見町の平和大通り緑地帯であった
「ひろしま朝市」に野菜を初出荷した。
市農林水産振興センターの定年就農者育成事業の第1期生。「安全、安
心な生産者」をモットーに、今春から栽培してきた野菜は約40分で売
り切れた。
大橋さんは妻の愛子さん(57)と一緒に、午前8時半からテント下の
テーブルにダイコン、タマネギ、キュウリ、ジャガイモの四種類を並べ
て販売を開始。
「このジャガイモは煮くずれしにくいですよ」などとお客さんと会話を
楽しみながら、減農薬栽培した野菜を1袋100円前後で売った。初日の収
益は8640円だった。
私立高で世界史を教える傍ら、20年ほど前から野菜を作り始めた。昨年
3月に退職し「基礎を学び本格的に作りたい」と1年間、同センターの
研修を受けた。
「第2の仕事場」は佐伯区五日市地区のほ場。除草剤はまかず、草刈り
や虫取りに毎日、車で片道約25分かけて通っている。
大橋さんは「(野菜作りは)教育と同じで手を抜けない。まだまだ勉強
が必要だが、種類を増やし、大きく育てたい」と意気込んでいる。朝市
には2週間に1回、出店する予定。次回はミニトマトやナスも加える。
〔中国新聞 '06/7/3〕
3)天然岩ガキを水揚げ/にかほ市・素潜り漁解禁
夏の味覚、天然岩ガキの素潜り漁が2日、秋田県にかほ市沿岸で始まり、
岩ガキが次々と水揚げされた。浜値は1個350円前後で例年より高め。
漁は8月末まで行われる。
解禁初日、象潟(きさかた)漁港では午前8時に約80隻が出港、漁師
たちは水深3―9メートルの海底に潜り、岩ガキを岩からはがしては浮
上し、海面に浮かべたたらいに集めた。
岩ガキの大きさは殻の長径が15センチほどで例年並み。県漁協南部総
括支所では資源保護のため、1日1人200個を漁獲量の上限としてい
る。
岩ガキ漁のキャリア50年の竹内一さん(68)は「きょうは数も大きさ
もまあまあ。沖の方には大きいカキがあり、体を慣らしながら捕ってい
きたい」と話していた。(秋田魁Web 2006/07/03 10:29)
4)久留米が生んだ俳優 藤田進知って 地元に記念碑・催しなし
ファン発起 6年後、生誕祭を
黒澤明監督のデビュー作「姿三四郎」で主役を演じた俳優の藤田進(1
912―90)をご存じだろうか。黒澤映画の常連俳優で「福岡県久留
米市が生んだ名優」と紹介したいが、残念ながら地元でも認知度は極め
て低い。
この寂しい現状を打破しようと、同市の黒澤ファン約80人でつくる
「黒澤映画倶楽部(くらぶ)」が立ち上がり、紹介パネル展示を始めた。
倶楽部を主宰する陣内昇さん(54)は「6年後には生誕100年祭を
開く」と意気込んでいる。 (久留米総局・橋本裕充)
藤田は、同市京町出身で地元の尋常高等小学校を卒業後、銀幕にあこが
れて京都へ飛び出した。39年、東宝入社。43年、実在の柔道家をモ
デルにした「姿三四郎」で一躍スターの座を得た。
黒澤映画には「隠し砦(とりで)の三悪人」や「わが青春に悔(くい)
なし」など八作品に出演。ベテランになってからもウルトラマンシリー
ズで地球防衛庁の長官役などを演じた。
しかし、地元には記念碑も無ければ、ゆかりの企画が開催されたことも
無い。同じ九州出身で黒澤映画の常連だった福岡県豊前市の大河内伝次
郎(1898―1962)、熊本県玉名市の笠智衆(1904―93)
がともに郷里で映画祭や生誕祭がにぎにぎしく開催されてきたのと比べ
ると、置かれた立場は寂しい。
「藤田はスターを目指し、勘当同然で家を出たという。その影響もある
のかな…」と、陣内さんは残念がる。
◇ ◇
陣内さんは、久留米市で黒澤映画にちなんだ店名の居酒屋「隠し砦(と
りで)」を営んでいる。04年に同倶楽部を結成。以降、同店は黒澤映
画の出演者やスタッフを招いた催しを開いている。
今年からは、藤田の知名度を少しでも高めようと、店内に活躍を紹介す
るパネル展示を始めた。「『姿三四郎』は久留米の人やったんか」と、
驚かれることがうれしい。
加えて、藤田の久留米時代を知りたいと資料収集も開始。卒業した小学
校には、53年の筑後川大水害で名簿さえ残っていなかったが「どんな
にわずかな手掛かりでも」と、藤田の親類や知人にも協力を求めている。
陣内さんは「藤田の魅力は、九州男児らしい朴訥(ぼくとつ)とした男
らしさ。久留米の誇りとして後世に伝えたい」と、情報提供を呼び掛け
ている。同倶楽部事務局=0942(36)3055。
=2006/07/03付 西日本新聞夕刊=2006年07月03日14時37分
━━━━━━
反 響
━━━━━━
1) 481号のの馬場氏の話おもしろかった。暖かくって穏やかな家庭の
映像。(か)
━━━━━━
身 辺 雑 記
━━━━━━
ひさしぶりに「狐の嫁入り」を見た。東京北湾岸の江東区で2006年7月
3日午後3時ごろ。「日が照っているのに雨が降る天気」(広辞苑)
2日の仙台では2重の虹が出たと記事にはありましたが、映像はメルマ
ガでは送信できないのが無念です。
サロンオーケストラジャパンの次回公演は7月13日(木)午後2時と7
時。渋谷駅に近いセルリアンタワー東急ホテル1階「教会」生誕250年で
五月蝿い「モーツアルトの名曲集」。チケット(4000円)予約は「ラ・ポ
ール」電話03−3368−2043(非広告)
ご投稿、ご感想、ご意見を待っています。
………………………………………………………………………………………………
◆メルマ!メルマガの退会・解除はこちら→
http://melma.com/contents/taikai/
登録状況確認は[マイメルマ!] → http://my.melma.com/
………………………………………………………………………………………………
--------------------- Original Message Ends --------------------
………………………………………………………………………………………………
◆メルマ!メルマガの退会・解除はこちら→ http://melma.com/contents/taikai/
登録状況確認は[マイメルマ!] → http://my.melma.com/
………………………………………………………………………………………………
--------------------- Original Message Ends --------------------
--
━━↓チェック↓━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┼─────────────────┼ こだわりがあるからこそ、
| ネット積算住宅「Hops」ホップス | 家はスマートにモダンに。
┼─────────────────┼ 余計なものは無くして、
○。O 大阪ガス住宅設備 O。○ 本当に必要なものはしっかりと。
http://ad.melma.com/ad?d=q0A0PJbnv0v1dGXnb0qNhEKh107YrZlR
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━↑チェック↑━━
利息を払いすぎていたあなたへ http://ad.melma.com/to?id=23997
………………………………………………………………………………………………
◆メルマ!メルマガの退会・解除はこちら→ http://melma.com/contents/taikai/
登録状況確認は[マイメルマ!] → http://my.melma.com/
………………………………………………………………………………………………
--------------------- Original Message Ends --------------------
--
渡部 亮次郎 <ryochan@polka.plala.or.jp>
この記事の発行者<<前の記事
|
次の記事>>
|
最新の記事
