こうじ神父今週の説教 |
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しました。「取って食べなさい」というタイトルです。2004年に発行した「B年
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こうじ神父
「今週の説教」
08/07/06(No.365)
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年間第14主日
(マタイ11:25-30)
わたしのもとに来なさい。あなたを休ませる
‥‥‥†‥‥‥‥
今日は歌を1曲歌ってから説教に入ろうと思います。
『来なさい 重荷を負う者』
(作詞・作曲 高田三郎)
1.来なさい 重荷を負う者
苦しむ者はみな わたしのもとに
わたしはあなたを 休ませる
2.わたしは柔和で謙遜だから
受けなさい わたしの軛を
なりなさい わたしの弟子に
3.わたしの軛は負いやすく
わたしの荷は 軽いから
あなたの心は 安らかになる
この歌、もしかしたら聖歌隊の皆さんも今日のミサのどこかで歌うかも知れませ
ん。その時にもじっくり聞きながらこれから話すことを考えてみてください。中
田神父は今、「来なさい 重荷を負う者」という歌を歌いながら、3箇所、特に
気持ちを込めて歌いました。それぞれ、歌に込めた思いを紹介します。
1番では、「来なさい」という部分です。「来なさい」「おいで」という言葉は、
人を引き寄せる、引きつける力がなければなりません。例えそれが歌の歌詞であ
っても、「来なさい」という言葉を聞いた人にちゃんと伝わって、呼びかけてい
る人のところへ行ってみたいな、近づきたいなと思わせる歌い方でなければなら
ないと思うのです。「来なさい」と言葉では言うけれども、「本当は来てもらっ
ちゃ困る」というのでは意味がありません。
先ほどの歌のもとになっているのは、もちろん今週の福音朗読の箇所です。イエ
スはこう言いました。「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来
なさい。休ませてあげよう」(11・28)。イエスの「来なさい」という言葉に、
多くの人が耳を傾けました。
イエスの「来なさい」という言葉には、本当に疲れた人、重荷を負う人にとって
は大いに引きつけられる力があったのでしょう。私も、「来なさい」と歌うから
には、心から「おいで」という気持ちを込めて歌えるようになりたいと思うのです。
2番の歌詞で私が特に心を込めたのは、「受けなさい」という部分です。「受け
取りなさい」と言って、示しているのは「軛(くびき)」です。つまりそれは
「服従」とか「つらい仕事」を受け取りなさいという意味です。いくらイエスが
「わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい」
(11・29)と言ったって、簡単に「はいそうですか」と言えるでしょうか。
「わたしの軛を受けなさい」と言っているイエスの言葉を考える時、私は父親が
病床で過ごした最後の三日間を重ねて考えます。最後となった週の木曜日あたり
から、父は周囲の呼びかけに返事ができなくなりました。それでも、苦しそうに
している様子を見ると、たくさんの重荷を背負っていることが伝わってきます。
金曜日は、さらに反応がなくなってきました。先生や看護師の方が何度も父のま
ぶたにライトを当てて、瞳孔の反応を見るようになりました。まったく苦しい様
子を見せないなら私たちも辛くないのですが、やはり苦しそうにしています。私
はその時にこう思いました。もはや家族の声は遠くなって、イエスの呼びかけ
「受けなさい、わたしの軛を」という声に従っているのだと思ったのです。
苦しくても、イエスから「受けなさい、わたしの軛を」と呼ばれれば、イエスの
軛を負う。父の姿は、イエスの呼びかけ「受けなさい、わたしの軛を」という言
葉に偽りがないことを教えてくれたと思います。
最後の3番の歌詞の中で、私は「安らかになる」という言葉に特に気を付けて歌
いました。イエスが求める軛を負い、イエスに学ぶ人は、安らぎを覚えるという
のです。果たしてそれは、生活の中で、この日曜日の礼拝に集まって、体験でき
ているのでしょうか。
自分自身の体験から言えることは、毎週日曜日の説教を考えながら、ああでもな
い、こうでもないと頭をひねり、腕組みをし、イエスが私に伝えようとしている
ことを何とか形にしようと毎週格闘しています。そして何かの形にまとまった時、
いつも感じるのは「やっと終わった」という安心感です。中田神父にとっての軛
を負い、今週の学びを得た時、そこには必ず安らぎが待っています。
それは終わりのない経験です。今年何かの安らぎを得たからと言って、3年後に
はまた何かを求めてイエスの軛を負い、イエスに学び直します。そこには新たな
安らぎが待っています。私の経験から言えることは、何度イエスの軛を引き受け
ても、その度に何か新しい学びがあり、安らぎを得ると言うことです。
お一人おひとりにも、イエスのもとに来る度に新たな安らぎがあるように、イエ
スの思いを伝える協力をしたいと思います。「あなたの心は 安らかになる」そ
う歌うだけで十分、説明してもらわなくても分かる。それほど、イエスの呼びか
けを考えに考え抜いて、とことん吟味して、歌えるようになりたいと思います。
「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげ
よう」(11・28)。だれもがこのイエスの言葉を味わえるミサにしていきましょ
う。日曜日にミサに来てこの言葉の意味が分かったと思えるような教会づくりを、
一緒に進めていくため、ミサの中で照らしを願いましょう。
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ちょっとひとやすみ
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▼今、個人的に意地になって続けていることがある。縄跳び。小学生の時に皆さ
んもよく取り組んだに違いない。42歳のおじさんが今になって縄跳びを思い付い
た理由はただ1つなのだが、これが思うようにいかない。最初、1分間飛び続け
ようと縄を回し始めたら10数秒でさっそく失敗してしまった。
▼そんなはずはないと、再び挑戦するも、30秒程度で中断。それを繰り返してい
るうちに息が上がり、リズムよくと頭は思ってもオットセイが縄跳びしているよ
うだった。でもこんなたとえを使ったら、オットセイに失礼かも知れない。
▼縄跳びを始めたら、当然昔できていたことはいまでもできるものだと思い込ん
でしまう。8の字、2重飛び、後ろ飛び、後ろ2重飛び。ほかにも「ハヤブサ」
とかいろんな技があるそうだが、実際に飛んでみると先の3種類は飛ぶには飛ん
だが、後ろ2重飛びはついに飛ぶことができなかった。
▼絶対飛んでみせると意気込んでも、ヤンバルクイナが飛べないのと同じように、
オットセイは昔のようにはどうしても飛べない。しかたなく何度も失敗しながら、
15分ほど時間を消費してシャワーを使った。その日は体も心も適度な疲れを感じ、
夜もぐっすり眠ることができた。
▼思い付いて縄跳びをしたのは6月14日の土曜日だったが、翌日曜日の朝6時半、
けたたましく司祭館のチャイムが鳴った。日曜日の朝6時半と言えば、大明寺教
会のミサが始まっている時間である。ビックリして飛び起き、玄関に行ってみた
ら修道院のシスターが立っていて、「もう時間過ぎてますよ!大明寺教会に連れ
て行ってください」と角を出していた。到着した時にはすでに6時45分、大明寺
の信者には寝坊したことを説教中に謝ったのだった。
▼今はようやく「その日の苦労は、その日だけで十分である」(マタイ6・34)
に近づいてきている。とりあえずその日の疲れが翌日、翌々日に出るという状況
ではないようである。ちなみに、縄跳びはいちばん効果的にエネルギーを消耗し
ます。ジョギングよりも短時間で同じ効果が得られます。
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今週のセンテンス
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第38回目。アメリカに移住した人々の「るつぼの思想」について。
http://hanashi-no-mori.news-site.net/80706.jpg
詳細は、ホームページ:http://hanashi-no-mori.news-site.net/にて。
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‥次の説教は‥‥
年間第15主日
(マタイ13:1-23)
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