こうじ神父今週の説教 |
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●メルマガ「こうじ神父・今週のお説教」をもとに、文庫本の形で説教集を印刷
しました。「取って食べなさい」というタイトルです。2004年に発行した「B年
説教集」と「C年説教集」は残り200冊ですが、2006年12月に発行した「A年説
教集」はまだまだあります。もしよかったらメールでご一報ください。
●文庫本は、B年のみ700円、C年とA年は800円の頒布価です。冊子小包で郵送
しますので、送料込みの代金を「ぱるる」に送っていただければ幸いです。参考
までに、1冊のみの送料は210円、2冊で290円、3冊で340円となっています。
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こうじ神父
「今週のお説教」
07/07/15(No.307)
‥‥‥†‥‥‥‥
年間第15主日
(ルカ10:25-37)
行って、あなたも同じようにしなさい
‥‥‥†‥‥‥‥
今週の福音書の朗読箇所は「善いサマリア人」のたとえです。今年、初心に返っ
て次の2つの言葉を比べながら糧を得ることにしました。比べたいのは、1つは
「わたしの隣人とはだれですか」(10・29)という律法の専門家の言葉、もう1
つは「行って、あなたも同じようにしなさい」(10・37)というイエスの言葉です。
イエスが言った「行って、あなたも同じようにしなさい」とは、前後の流れから
考えると、「行って、あなたもだれかの隣人になってあげなさい」という意味で
しょう。ですから比べて考えたいことは、「わたしの隣人とはだれですか」とい
うことと、「だれかの隣人になってあげること」この2つの違いを考えるという
ことです。
2つの違いを考えるために、私が思い付いたことを例にしてみます。それは、
「祈りについて」です。2つの違った言葉を並べてみます。1つは、「わたしが
祈る相手はだれですか」という言葉、もう1つは、「とにかく、だれかのために
祈ってあげること」この2つの違いです。
「わたしが祈る相手はだれですか」。この問いかけには、終わりはないと思いま
す。私に家族がいるなら、家族のために祈るべきでしょうし、身近な人で病気に
かかっている人を知っていたら、その人のために祈ってあげたほうがよいと思い
ます。また、私自身のために祈ることも、考えておいたほうがよいでしょう。
このようにいろんな相手を思い浮かべて、「わたしが祈る相手がだれなのか」を
見極めたとしましょう。ただしここには、1つ落とし穴があると思うのです。そ
れは、「いくら祈る相手がだれか分かっても、だからといって実際に祈るとは限
らない」ということです。
家族のために祈るべきです。病気の人のために祈るべきです。大好きな人のため
とか、自分自身のために祈るべきですが、祈る相手が分かって、それがそのまま
実際の祈りにつながるとは限らないのです。祈る相手が分かったというのに、家
族のために結局祈らなかった。病気を抱えている人のためにとうとう最後まで祈
らなかった。一度も祈ることなく大好きな人を失ってしまった。こんなことはめ
ったに起こらないと言い切れないのです。
一方、「とにかく、だれかのために祈ってあげること」こちらは必ず目標にたど
り着きます。終わりのない話し合いや議論ではなく、必ず結果を出します。家族
のために主の祈りを1回祈った。病気のあの人のために、聖母マリアへの祈りを
1回唱えた。私自身のために、自由な言葉で祈ってみた。どれも無駄が無く、必
ず結果に結びついています。そこには「考えてはみたけれども祈らなかった」と
いう落とし穴もないのです。
どちらが、意味があり、結果をともなうでしょうか。疑いもなく、「とにかくだ
れかのために祈ってあげること」のほうが意味のある考え方です。私も、最近1
つの経験から、「とにかく、祈ってあげることが必要だ」とあらためて考えさせ
られました。それは、電話で相談を受けた病人との出会いです。
私はこの病人とは1度も直接会ったことがありません。ところが、向こうは私を
知っているらしくて、現在の自分の病状や、何を必要としているか、どんなこと
をかなえてほしいと思っているか、事細かにメールで相談をなさるのです。私は
最初、「何について祈ってほしいのかとても具体的だなあ」と思ってそのたびご
とにその人のために祈ってあげていたのです。
ところが、少し考えているうちに、私は「わたしが祈る相手はだれなのか」を目
の前に示されて祈っていたのではないだろうか、ただ言われたからそれに従って
祈っただけで、私のほうから「行って、その人の隣人になってあげる」という気
持ちではなかったのではないかと感じたのです。
原因はどこにあるのか。おそらくそれは、こまめにだれかのために進んで祈って
なかったからではないかと思います。毎日のミサ、司祭や修道者に義務づけられ
ている教会の祈り、洗礼・堅信・罪の赦し・病者の塗油・婚姻などの秘跡、通夜
での祈りや、納骨、火葬の前の祈りなど、さまざまな場面で「はい、ここで祈っ
てください」と示されて祈ることがあまりにも多いので、私は個人的にだれかの
ために祈るとか、ある一定の人々のために祈るということがおろそかになってい
たのではないか。そんなことを考えたのです。
さんざん祈りの場に引き出されていながら、私は「行って、だれかの隣人になっ
てあげる」ということが本当はできてなかったのではないかと反省させられまし
た。先週の福音朗読のなかには、「『この家に平和があるように』と言いなさい」
(10・5)とありましたが、本当にその人のためだけを思って、素直に祈ることが
いったいどれくらいあっただろうかと、つくづく考えさせられたのです。
私は、たくさんの祈るための場を与えられる中で惰性に流されたり機械的になっ
たりして、いつの間にか「わたしが祈る相手はだれですか」という態度を取って
いたかも知れません。これは私の反省ですが、みなさんもお一人おひとり、「わ
たしの祈る相手とはだれですか」という落とし穴に落ちているかも知れません。
たとえば、どれだけ考えても話を聞いても、実際には主の祈り一つ唱えようとし
ないのは、態度で「わたしの祈る相手とはだれですか」と返事をしているような
ものです。「わたしの祈る相手とはだれですか」「わたしの隣人とはだれですか」
これらの問いかけにはたどり着く目標など無く、無意味な議論を重ねるだけなの
です。
むしろ、「とにかくだれかのために祈ってあげる」「行って、だれかの隣人にな
ってあげる」文字通りに実行してみることです。例えば、今日の説教を聞いて、
ミサの中で祈ってあげる必要を感じる人が思い浮かんだとしましょう。ミサの終
わりに十字架のしるしをしてアーメンと唱えます。そのあとすぐに席を立つので
はなくて、席を立つ前に、実際にだれかのために祈ってあげることです。それが、
意味のない議論から抜け出す唯一具体的な方法ではないでしょうか。
教会を出る前に、実際に祈ってあげる必要のある人はいくらでも思い付くはずで
す。私のことを告白するなら、過ぎた一週間の中で「あの野郎」と思った人が実
はいまして、思ってはいけない言葉を心の中で言ってしまったわけです。そこで、
私はこのミサが終わってひざまずくときに、「『あの野郎』と思ってしまった人
のことをゆるしてください」と祈りたいと思います。私は気が短いため、「あの
野郎」と思うことがしばしばあるのです。ぜひゆるしてもらいたいと思っています。
「だれかのために祈ってあげること」「だれかの隣人になってあげること」。実
行するための力の源はどこにあるのでしょうか。それは、先に私のために祈って
くれたイエス、私の隣人になってくれて、私の救いに必要なことはすべて配慮し
てくださったイエスに力の源があります。
だれかのために自分を使おうと、何度も実行しようとして失敗したり挫折したり
するかも知れません。それでも、いつも私に手当をして立ち直らせてくださる
「善いサマリア人」であるイエスに力を願い、今日も「だれかのために祈ってあ
げる」「だれかの隣人になってあげる」この生き方に自分を向けていくことにし
ましょう。
‥‥‥†‥‥‥‥
ちょっとひとやすみ
‥‥‥†‥‥‥‥
▼今、肺炎をこじらせて入院し、人工呼吸状態に陥っている人がいます。今、癌
が末期の症状にさしかかり、積極的な治療を受けられずに最後の日を待っている
人がいます。今、臓器の癌におかされ、それでも未来に希望を持って今日を生き
る青年がいます。うっかり海に落ちて救急車で運ばれ、寝たきりになっている人
がいます。私は今日、この人たちのために祈ります。
▼これまでに、司祭であるがゆえに出会い、秘跡の仲介をし、ある場合には転勤
で別々になり、ある場合には最後に立ち会って神さまのもとに送り出した人々が
います。今、思い出せるだけの人々を心に留め、その人々のために祈ります。
▼私の過ちで、苦しめてしまった人のためにも祈ります。思い出せる人もいます
が、気付かずに苦しめてしまっている人もいることでしょう。謙虚にゆるしを乞
い、いやしが与えられますように祈ります。どんな形で償いをするのがよいのか、
探し続けます。
▼今日の説教で例に挙げた家族、大好きな人、そして私自身のためにも祈ります。
務めが課されている祈りはたくさんしてきましたが、本当に祈ってきたのだろう
かと考えると疑問です。まだまだ祈りの道は長く、健康を取り上げられて本当に
祈ることができるのか、誤解され、裏切られ、憎まれても祈ることができるのか
分かりませんが、とにかく、だれかのことを主に祈ってみたいと思います。
‥‥‥†‥‥‥
こうじ神父絵手紙
‥‥‥†‥‥‥
第88回目。録音聖書。旧約聖書続編は、個人で録音したものです。
http://hanashi-no-mori.news-site.net/70715.jpg
詳細は、ホームページ:http://hanashi-no-mori.news-site.net/にて。
‥‥‥†‥‥‥‥
‥次の説教は‥‥
年間第16主日
(ルカ10:38-42)
‥‥‥†‥‥‥‥
[発行・管理] 中田輝次
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