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「日本史なんて怖くない」

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「日本史なんて怖くない」松方財政

発行日: 2004/1/10

■「日本史なんて怖くない」No.424  2004/01/09 ━━━………‥‥‥☆

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□□□□□□□□□□□□□□【目 次】□□□□□□□□□□□□□□□□
 ● 今回の内容         ★ 一問一答問題
 △ 次回と一問一答の答え    ■ 最後にひとこと
□□□□□□□□□□□□□□【読者数】□□□□□□□□□□□□□□□□
 総読者数:3599人(前回配送時)  まぐまぐ:1969人
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■ 今回の内容 ■
┃近代産業の発展(1)
┃松方財政
 松方財政を説明する前に、キーワードとなる「インフレ」と「デフレ」につ
いて説明しておく。「インフレ」とは「インフレーション」の略である。これ
は、通貨の発行高が商品の取引に必要とされる以上に増えたため、通貨価値が
下がって物価が上がっていく現象のことである。もう少しわかりやすくいう
と、お金の量が増えたとき、お金の価値が下がり、物の値段が上がっていく現
象である。「デフレ」とは「デフレーション」の略である。これは、通貨の量
が少なくなるために起こる不景気現象である。つまり、物価が下がり、金詰ま
り(お金が不足すること)となって企業の活動が沈滞し、失業者が増える現象
である。

 明治政府は、近代産業の育成力を注ぎ、先進諸国の技術を導入し、官営工場
の設立に努めた。しかし、このような政策は莫大な費用を要することになっ
た。この頃、大蔵卿だったのが大隈重信である。大隈は明治6〜13(187
3〜80)年の間、大蔵卿の地位にいた。大隈は、明治9(1876)年に国
立銀行条例を改正して、国立銀行券の正貨兌換の義務づけを廃止し、さらに明
治10(1877)年に起こった西南戦争の巨額の軍事費(約4156万円)
をまかなう必要があったために、多くの不換紙幣(破損交換用の予備紙幣27
00万円)を発行していた。

 その結果、インフレが進行し、物価、特に米価が高騰した。また、輸入超過
が著しくなり、正貨が海外に流出した。それにともない紙幣価値が下落してい
た。また、地租歳入の割合も低下していた。

 紙幣流通高は明治13(1880)年には1億7000万円だった。そし
て、各種紙幣流通高の明治7〜15(1874〜82)年の統計は1.51倍
だった。

 大隈が大蔵卿辞任後、その後を継いだのは佐野常民{つねたみ}である。明
治13年には、政府は増税と官営工場の払い下げによって財政整理を行なう方
針を打ち出した。

 そして、明治14年の政変後に大蔵卿に就任したのが松方正義である。

 松方正義は、明治14(1881)年10月から明治18(1885)年1
2月までは大蔵卿として、さらに、明治25(1892)年7月まで、第一次
伊藤博文内閣・黒田清隆内閣・第一次山県有朋内閣を経て、自身が組閣した第
一次松方内閣まで大蔵大臣に就任していた。その後、松方は大蔵大臣として日
清戦争中の第二次伊藤内閣、さらに自身が組閣した第二次松方内閣でも兼任、
第二次山県内閣総辞職後、閣僚から身を引いた。松方財政は、大蔵卿に就任し
てから自身一度目の内閣退陣までを指す。

 松方は歳入を増加するために、酒造税や煙草税を増徴するとともに、新たに
醤油税・菓子税などの税を設けて増税した。それとともに歳出の緊縮をはかっ
た。まず、行政費(各省経費)を削減し、歳入の余剰で不換紙幣を処分すると
ともに正貨の蓄積を行なった。不換紙幣の処分は、経済の規模に対して多すぎ
る紙幣量を減らそうとした。しかし、軍拡のための財政支出は行なった。

 不換紙幣の処分は、明治14〜16(1881〜83)年には1360万円
の紙幣を消却した。また、貨幣価値を安定させるために明治15(1882)
年には日本銀行を設立した。明治16(1883)年には国立銀行条例を改正
して、これまでの国立銀行から銀行券発行権を取り上げて普通銀行に転換させ
た。

 明治17(1884)年の兌換銀行券条例に基づいて、明治18(188
5)年には兌換銀行券が発行された。この時は100円、10円、5円、1円
の4種類の銀兌換の銀行券である。兌換とはいつでも本位貨幣とひきかえうる
ことで、兌換券は発行機関が正貨と兌換することを義務づけた銀行券のことで
ある。この時点では、銀本位の兌換制度が完成した。兌換は、後に説明する銀
貨から金貨と交換できるようになったが、昭和17(1942)年に新日本銀
行法で兌換規定が廃止されたので、現在の日本銀行券は不換銀行券である。

 この時に出た100円札には、「此券引かへに銀貨百円相渡可申候也」とな
り、その下に「明治十七年五月廿六日、太政官布告第拾八号兌換銀行券条例ヲ
遵奉シテ発行スルモノ也」とある。紙は日本独特のみつまた漉き紙に凹凸の透
かしを入れたもので、イタリア人キヨソネが原版を作ったものである。

 ちなみに、紙幣に初めて登場した人物の肖像は明治14(1881)年の神
功皇后である。この時は152行もあった国立銀行の紙幣デザインは様々で、
スサノオノミコトや新田義貞、児島高徳{こじまたかのり}(南北朝時代の武
将だが、実在の人物かどうか不明)らも登場するという。最初の日本銀行兌換
銀券はすべて大黒天である。

 明治20(1887)年9月、紙幣の人物肖像画は日本武尊{やまとたける
のみこと}・武内宿禰{たけのうちのすくね}・藤原鎌足・和気清麻呂・聖徳
太子・坂上田村麻呂・菅原道真の7人に限ると定めた。また出てくるかもしれ
ないが、昭和2(1927)年の金融恐慌では裏が白いままの200円札が刷
られるなどの異常事態となった。

 占領軍は、昭和21(1946)年5月に国家主義的人物の肖像の使用を禁
じる通達を出した。ちなみに、昭和25〜28(1950〜53)年に出た紙
幣は、1000円券が聖徳太子、500円券が岩倉具視、100円券が板垣退
助、50円券が高橋是清だった。昭和59(1984)年からは現在の肖像と
なり、1万円券は福沢諭吉、5000円券は新渡戸稲造、1000円券は夏目
漱石である。ちなみに、2000円券は守礼門が描かれている。

 平成16(2004)年に20年ぶりに肖像画が代わり、1万円券は福沢諭
吉(裏は宇治平等院鳳凰堂)、5000円券は樋口一葉(裏は尾形光琳の燕子
花図屏風)が、1000円券は野口英世(裏は富士山と桜)となる予定であ
る。


<1万円札の肖像画への反応>
 1万円札の肖像画に福沢諭吉が登場することが韓国でも知られるようになっ
た昭和58(1983)年4月29日号の『朝鮮日報』は「日本の紙幣の肖像
画」と題して次のような記事をのせた。「福沢を紙幣にすることにした今日の
日本は、それほど遠くない昔に、彼らの兄や父達が、隣の韓国、韓国人をどれ
ほどひどいめにあわせたかについて、全く無神経であり、その無神経さを異常
だと考えてみようともしていない」と。


 そして、明治17(1884)年に工場払下げ概則を廃止したことで軍事工
場を除いて官営事業の払い下げが本格化した。特定の政商たちに極めて安く払
い下げ、民間での近代産業の発展に大きな役割を果たした。

 松方の財政政策はかなりの効果を上げた。財政は安定し、インフレーション
は収まった。しかし、明治17年には物価も下落し始めたが、今度はデフレー
ションによる不況が襲った。その結果、農民層が分解した。自作農が没落し、
土地を売って小作農になったり、労働者となって町に出る者もいた。そして、
その土地をたくさん買った人が寄生地主として成長するとともに、民権運動の
第3の波がやってくることになる。


※※※※※※※※※※※<読者の声を募集しています>※※※※※※※※※※
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※ ルマガを返信する形でメールで送ってください。本誌上でさらに詳し ※
※ く説明します。また、いろいろな情報もお待ちしています。     ※
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● 一問一答問題 ● 答えはフッターの下にあります。
1.明治十四年の政変後に大蔵卿に就いたのは誰か。
2.貨幣価値を安定させるために1882年に設立した銀行を何というか。
3.2.の結果、国立銀行条例が改正されて、これまでの国立銀行はどうなっ
  たか。
4.発行機関が正貨と兌換できることを義務づけた銀行券を何というか。


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/ 「日本史なんて怖くない」(第424号 2004/01/09)
/  発 行 者 :村田圭(ZVD04624@nifty.ne.jp)
/  ホームページ:http://homepage1.nifty.com/keimurata/

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● 次回は? ●
ノートは、「近代産業の発展」(2)で、「産業革命」です。
次回の「その時歴史が動いた」は、
          「秘められた革命工作〜孫文を支えた日本人〜」です。

● 一問一答問題の答え ●
1.松方正義 2.日本銀行 3.銀行券発行権を取り上げて普通銀行となる
4.兌換銀行券

最後にひとこと:1日配送が遅れました。

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