虹の国・南アフリカ情報・2007
発行日時: 2007/11/14===================================
★☆★ 『虹の国・南アフリカ情報・2007』 ★☆★ 2007.11.14
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◆1995年ラグビーWカップ南アフリカ大会
1995年のラグビーWカップは、南アフリカがアパルトヘイト廃止後に初め
て開催した国際大会で、南アフリカが優勝した大会です。
かつて南アフリカのラグビーは白人のスポーツで、黒人やカラード(混血)が
プレーすることはありませんでした。
一方、サッカーは黒人のスポーツで、白人がプレーすることはありませんでし
た。
この大会で、アダムスというカラードが白人以外で初めてスプリングボックス
(南アフリカのナショナルチームの愛称)のメンバーに入り、日本の新聞にも
大く「南アフリカは人種による差別がなくなりつつある」というように紹介さ
れました。
この大会には日本チームも出場していて、ヨハネスブルクの西方のブルムフォ
ンテンという、司法の首都で試合を行いました。
この大会に出場した日本チームの選手が現地の方たちを指導したコメントで、
「集まった黒人の子供たちは、ボロボロの衣類を着ていて、靴を履いていない
子供もいた。グランドは荒地のようだったが、道路を隔てた白人の居住地区で
は、一人の少年が芝生のラグビーのグランドでキックの練習をしていた」と書
かれていました。
2000年代の初めに南アフリカを訪問した時は、ラグビー雑誌や新聞には黒
人プレーヤーの写真が掲載されていました。
今回のスプリングボックスのメンバーを見てみますと、色の黒いプレーヤーが
数人いますが、殆どがカラードのように思えます。
「黒人をスプリングボックスに入れない」というのではなく、まだまだ地方の
チームでプレーをする黒人は少ないのかもしれません。
余談になりますが、かつてのシドニー五輪で、南アフリカはホッケーの女子チ
ームが、白人だけで出場したことがあります。
この時、「南アフリカは今でも人種差別をしている」というクレームがありま
した。
南アフリカチームは、「南アフリカではホッケーをする黒人選手がいないため
白人だけになった」と説明しました。
このクレームに対して南アフリカは、「出場辞退を検討している」と報道され
ましたが、どうなったかは不明です。
お詫び:"肌の色の違い"については、あまり書きたくはありませんが、過去の
ことについて書こうとすると、どうしてもこの問題になってしまいます。
◆スプリングボックスのB・ハバナ
今回のフランスで開催されたラグビーWカップで私が最も注目していたのは、
今回の大会で8トライを決めて大会タイを記録し、年間最優秀賞を受賞したB・
ハバナです。
「なぜ、B・ハバナに注目したのか」というと、彼がカラード(混血)であり
ながら、新聞に大きく紹介されていたからです。
「かつては白人のスポーツと言われ、今でも白人主体のラグビーで、なぜこれ
までに大きく紹介されているのか?」と思ったからです。
「俊足で、勝つためにはなくてはならないプレーヤーのはずですが、それなり
に愛されるプレーヤーだろう」と思ったからです。
B・ハバナは24歳ですので、12年前の1995年は12歳でした。
アパルトヘイト制度が廃止されたのは1980年代の終わりですから、彼の幼
少期はアパルトヘイトの時代でした。
ラグビーWカップで優勝した翌日の10月21日、彼はパリでドイツの報道関
係者から、アパルトヘイトについて質問され、「肌の色による差別はなかった」
と答えています。
彼が小学校へ入ったのはアパルトヘイト廃止後で、すでに表面的な差別はなく
なっていた時代です。
彼は、「小学校へ入っても肌の色による差別はなく、ランド・アフリカーンス
大学で教育を受け、白人、カラード、インド人の友人たちの中で人種について
意識しなかった」と言っていました。
こんなことを書くと叱られそうですが、B・ハバナはアパルトヘイト廃止後の、
よい時代に育ったといえるかもしれません。
もともとカラードは、アパルトヘイト時代は差別をされてはいたものの、黒人
のように目にみえる差別は受けていず、仕事もあり、収入も安定していました。
(例えば、アパルトヘイト時代は、白人は2年間の兵役の義務がありました。
カラードには兵役義務はありませんでしたが、本人が志願すれば兵役に行くこ
とができたみたいです)
私が滞在していた町では、黒人は丘をこえた別の場所に小屋といった方がよい
ような家に住んでいる人たちもいましたが、カラードは白人の街の外れのきれ
いな家に住んでいました。
B・ハバナは1995年当時、南アフリカで開催されたWカップを見たそうで
すが、まだラグビーについてまったく知らなかったそうです。
しかし、彼はラグビーのプレーがどのようなものか感覚的に理解できたそうで
す。
その後にラグビーを始め、オーストライアへ行ってプレーする予定だったそう
ですが、スプリングボックスのコーチ(監督)に就任したホワイト氏によって
南アフリカにとどまるように説得され、1年後に南アフリカの年間秀選手賞を
受賞しました。
ホワイト氏がスプリングボックスにコーチに就任したのは2004年ですので、
まだ数年前のことです。
詳しいことは知りませんが、ホワイト氏はイギリス人で、人種にとらわれず南
アフリカの最強の人材を集めたそうです。
ブライアン・ハバナの、ブライアンという名前は、彼の父親が英国の有名なラ
グビープレヤーの名前からつけたそうで、ラグビープレーヤーになるべきして
なったことになります。
B・ハバナは今年の5月、動物愛護団体(?)の要請で、チーターと競争した
そうです。
彼が100メートルを11秒で走ることが出来ても、チーターに勝てるはずは
なく、あくまでもエキビジションだったはずです。
彼が天才と呼ばれる由縁は、彼はプレーをしていて、チームメイトからどのよ
うにボールがパスされるかが瞬時にわかるそうで、どんな体制からもボールを
受け取ることができ、ボールを受け取った瞬間から俊足でトライへ向かって走
ることが出来るそうです。
これは彼の感覚的な才能だけでなく、練習によって身につけられているそうで
す。
南アフリカの新聞に掲載されていた写真を見ますと、少年のような顔をしたB・
ハバナと、少し控えめな顔のF・ステインの並んだ写真が掲載されていました。
この2人が今後、どのようなスプリングボックスの主力選手になっていくのか
楽しみです。
この2人はスーパースターであることに間違いないのですが、決勝戦ではタッ
クルで押し潰され、値チームプレーに徹している姿に感動しました。
何回かに分けて紹介してきましたラグビーWカップの紹介も今回終了させいて
頂きます。
もう何度も紹介しましたが、2010年のサッカーWカップが無事に開催され、
風光明媚な南アフリカへ大勢の日本人が訪れ、南アフリカのファンが増えるこ
とを願っています。
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写真を掲載している関連ブログ
http://www1.ocn.ne.jp/~yeboo/southafrica/
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